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星野哲郎氏の死を悼む

2010-11-19 08:36:37 | レポート
 11月15日自宅近くの世田谷の病院で心不全のため亡くなり、18日青山の葬斎場で大々的なお別れの会を持った。惜しい人を亡くしたものである。かって一世をふうびした作詞家星野哲郎君とは戦時中商船大学で共に学んだクラスメート、戦後卒業して我々は商船舶の運航の方へ、彼は魚を取る漁船の方へ回った。不幸にして彼は乗船中病魔に見舞われ、それが原因で下船し入院して療養生活に入った。当時の治療はいい薬もなく長い療養生活に入ったらしい、暇なその間に雑誌の投書欄に時々投稿しているうちにある歌詞が当選、それがきっかけで作詞家の道に踏み込んだ。次々に作る演歌の歌詞がレコードになるにつれヒット曲も出てくる、作曲家舟村喬と組んでもう一流の大家になっていった。幾多のヒット曲を出しとうとう最後は作詞家協会の会長に祭り上げられた。彼を内々援助していた最愛の妻が病魔に倒れた頃より、体調すぐれず歌謡界から祭り上げられながら不遇な何年かを過ごす。
2005年卒業60周年全国クラス会では出席を強いられ出席したが元気がなかった。5年毎に催す全国クラス会2010年の65周年では欠席で姿を見せなかった。
作詞は本職だが彼は絵も描く、私の手元に2,3枚残っているし、病を得て切歯扼腕船を続けられなかったを歌詞にし楽譜にもした「私は一生船乗りをつづけたかった」と題しての歌詞、五線紙が残っている。
2008年の秋、クラスメートのY君の発案で、彼の故郷山口県周防大島に出来上がった星野哲郎記念館を、全国に呼びかけ20名集まって周防大島温泉一泊で見学に行ったことがある。湯舟でも記念館はもちろん彼の歌がたれながしであった。(詳細はこのHPの2008年10月参照、写真上は見学時星野君の盾を囲んで)
最後に我々が好きな星野哲郎君の演歌「三百六十五歩のマーチ」「風雪流れ旅」「兄弟船」「雪椿」「みだれ髪」などを口ずさんで亡き彼を偲ぶことといたしたい。