本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

『絆通信135号』から(3)。

2007-12-14 08:26:32 | 社会
福田も額賀も枡添も(むろん茶坊主・冬柴もだ!)みんな問責に値する。戦術はいろいろ選択出来るだろうが、原則『行け行けどんどん』で構わないのだ。前原ちゃんら民主党内不満分子(?)たちも流石に賢い。今は民主党を割って出るより自民党を空中分解させてしまった方が話は早いと考えている筈だ。大阪府知事選にしたところで、未だ橋下支持には踏み込めない自民党・公明党では事実上の自主投票への転落は目に見えている。大阪を制するには詭弁は要らないし嘘をつく必要もない。テレビタレントたちがどう言ったかなどと内幕を披露するスタンドプレーも不要だ。普通の人の普通の暮らしを正面に据え、経済弱者にも光を当てて地道に着実に大阪を立て直して行くしかないじゃないか。大阪を制する者は国政を制する。今や雪崩を打って敗走を重ねている清和会=自民党を更に更に追撃せよ。積極攻勢に出よ。民主党を筆頭とする野党各党は何も怖れることはない。負けて元々、失うものなどない。一般に勝負ごとというものは相手あってのものだから、何か「自分だけが思う存分に立ち回って一方的に優位に立てる」などという虫の良いことを夢想するのは愚の骨頂である。自分の体勢が不充分で問題山積ならそれは相手だって同じことなのだ。まして現・自公政権は「来年秋の限度一杯まで解散出来ない!」などと臆病風に吹かれっぱなしの腑抜けたちではないか。解散に伴う「政治空白」等で傷つくのは我々一般国民であって民主党他の野党ではない。まして諸悪の根源たる現・自公政権など、こてんぱんに叩きのめされて当然の腐敗分子の集合体である。「自公も問題だが野党も問題だ」などという蒙昧主義 的言辞を弄する者らは全て自公をバックアップする鼻持ちならない補完勢力・アンシャンレジュ-ムの徒である。経団連の誰それも、ナベツネも宮崎哲也も橋下某もそのまんま東も、堺屋太一も内舘もNHKのアホどもも、みんなみんな自民党が好きで好きでたまらない国賊・奸臣どもである。この国のこの窮状を惹起したのは奴らであり自民党である。民主党では不安で頼りないって?!はあ? 不安上等、「初めてのお使い」で何もかもうまく行くなんて誰も思ってねえよ!このまま国政を自民党に任せていたんでは国が滅びると言ってるんだ。政権交代のない民主主義なんか民主主義じゃないと言ってるんだ! . . . 本文を読む

『絆通信135号』から(2)。

2007-12-14 00:03:48 | 社会
橋下は駄目だろうという気が私はする。身から出た錆、闘う前から彼は自ら率先してハンデを背負い込んだ感がある。第一彼は大変な嘘吐きである。今日も勝谷大先生がいみじくも指摘していたが「政治家は嘘をついてはいけない」のだ。しかもテレビを通して嘘をついた相手が不特定多数の一般有権者なのである。「出馬は5,000%ない」と断言したその「5,000%」という言葉も意味不明ながら、言ってることが支離滅裂で軽薄そのものであり、自民党大阪府連の副幹事長からして彼を推薦することにはかなり強硬に抵抗している。これまでの経緯が悪過ぎるのである。「五年前から政界進出願望があった」と本人は言うのだが、だったら今更テレビ出演の調整がどうのこうの言えた義理ではないだろう。「準備はした、勉強もした、石原都政からパクリもした・・」というのなら、テレビ出演の自粛くらい事前にしておけってんだ!私は彼は億単位の収入を蹴ってまで政治的野心に身を焦がす人間ではないと思っていた。政治家志望も結構だがなぜ今や「落ち目の三度笠」たる自民推薦でなければいけないのか?既に推薦候補を決めている共産党を除く各党に推薦依頼したというが、自公の紐付きの橋下を民主党他が推薦する筈もなく、これも彼が崇拝して已まない小泉ポチ譲りの術策に過ぎない。作家・堺屋太一が密室談合まで用意して彼を担ぎ出した張本人だそうだが、彼にあるのはテレビのレギュラー出演が10本近いというダントツの知名度だけであって、彼自身が人気者であるわけではないのだ。「核武装しろ」だとか「大阪中ノ島をヌーディストビーチにしろ」だとか「日弁連は解体しろ」だとかいった、彼の言いたい放題の放言ぶりが面白おかしいから(?!)視聴率稼ぎに絶好ということでTV各局が競って過度に重用したに過ぎない。大阪府庁で記者会見までして、本人もう府知事になったつもりかも知れないが、あまり有権者・選挙民を舐めない方がいい。評論家・宮崎某は「俺は橋下を愛していたんだな」(!)などと今夕方のテレビで述懐した。宮崎もそうだが彼はテレポリティックスが生み出した奇形な怪獣に過ぎない。メディアはここでも無責任極まる大罪を犯している。彼らは視聴率という数字のためなら悪魔に魂を抜かれても構わないという極悪非道な連中である。つまりは「何が悲しくて我々があんなものを府知事に据えなければならないのか」ということなのである。 . . . 本文を読む