本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

『絆通信135号』から(6)。

2007-12-23 15:09:10 | 社会
今や崖っぷちの福田首相が薬害肝炎患者の一律救済を決断したそうである。内容にも拠るが元々金がないことを理由に人の命に線引きする事に無理があるのだから何はともあれ結構な「ご決断」であるが、これを『議員立法でやれ』と言ったところが味噌だ。「高裁の顔を立てる余裕などない。霞ヶ関に任せていたらなんたらかんたら長引かせるだけだから、早急に国会で決めてしまえ。さもないと政権がもたない」という『高度に政治的な判断』が働いたのである。一方今頃になって田原総一朗は何を思ったか『大連立小沢辞任劇の真相』などという時節外れの小論で「いずれ時期が来たら全部書く」とほざいているナベツネのお先棒を見事に担いで何かを言ったつもりになっているが、人間落ち目になると万事ピンボケになってしまうようで、これは最早老醜老害の一歩手前と私は見た。大連立でも小連立でもいいがそれはあくまで「戦いの結果」生じることであって、闘いもしないうちから、まして新聞屋や「とっぽい」ジャーナリストどもがああだこうだ言う筋合いではないのである。私は思うのだが、最初から何が何でも自公寄り自公支持の産経・読売はまだいいとして(はあ?!)問題は朝日と毎日である。彼らには基本的スタンスというものが全く欠如しているから、彼らはこの間自公政権を持ち上げてみたかと思えば一転くさしてみたりの連続なのである。基準は何かと言えば一に『世論』だというのだがこれは眉唾ものだ。どっちがどっちの動向を窺い、さてどうしようかと思案投げ首しているかわかったもんじゃない。宮崎哲也その他にしても全く同様で、奴らは周囲の様子を窺うことにますます長けて来ている。『自分の意見を持つことが重要だ』などと、我々は中学・高校の頃から仕込まれて来ているわけだが、いったいそんな奇特な人がこの国に何人いるだろうかと思わず疑ってしまいたくなる今日この頃ですが、皆さん如何お暮らしですかって、またきっこっぽくなってしまいました。ぁそ。 . . . 本文を読む