<先生>、<消防士>への夢は大学中に消滅した。何故なのか?
<先生>とは聖なる職務だと知ったからだ。映画「奇跡の人」のアニー・サリバン先生(●メンター)の話を用いると一番良く理解して貰えるだろう。小学6年生のとき、母と家の近くにあった映画館「ピカデリー」で見た記憶が残っている。母は「三重苦を克服し偉大な人となったヘレン・ケラーこそ、奇跡の人だよ」と見終わって私に説明した。しかし、私は「違うよ! 奇跡の人は、アニー・サリバン先生だよ!」と言い返したことを良く覚えている。あの時から母の溺愛に気づき始めたのかもしれない。高校生の頃、英語がわかるようになって、改めてこの映画を見たとき、原題を見て私が正しかったと初めて知った。映画「奇跡の人」は大学生になり職業の選択を迫られる4年生になっても私の心にしっかりと残っていた。そして、こう思った。ほとんど人生経験もない自己中心の愚かな若者が先生になどなれるはずがない。なってはいけないのだ。先生とは生徒の能力を見いだし伸ばしてあげなければならない職務だ。まさに聖なる職務だ。今の私、いや数年先でさえ、とてもできそうにないと思った。私の愚かな指導が他人の運命に大きく影響してしまうのだ。命を預かる「医者」と同じような重大な職務を全うするなど、絶対にできないと考えてしまった。
(原題:「the MIRACLE WORKER」)
<消防士>
この目標は、実は今まで母にも長く連れ添った妻にも告げたことはない。先日ケビン・コスナー主演の米国沿岸救助隊の救難士を描いた映画「守護神」を見た。3回目だ。<救難士>のような職業など知るはずのなかった私は、その時初めて<消防士>と<救難士>を重ね合わせることができた。
映画「守護神」で、指導官だったK・コスナーが、自ら鍛え上げてきた若き救難士に質問される会話シーンが私の心を捉えた。
若き救難士「もし現場に到着して、すべての人が助けられないと思えたとき、
あなたはどのように行動しますか?」
K・コスナー「一番近くの人から助ける。…… または最も弱い人から助ける」
その時、ふとマザー・テレサ(●メンター)の言葉を思い出した。1981年4月、初来日の際、おっしゃった言葉だ。「日本人はインドのことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります」
私はこの言葉の中の「手近なところ」とK・コスナーの「一番近くの人から助ける」とうセリフが重なり反応したのだ。それは家族を指すのではないか。慈善活動に従事している人たちの家族も温かい恩恵を本当に受けているのだろうか、もしそうでなければ、偽善者以外の何者でもない、という気持ちになってしまった。
もっと端的に言えば、マザー・テレサの言葉は、
「世界平和は、まず自分の足下の家族、部下、生徒からだろう」(●メンター)と進化し、私の哲学へと昇華した。
突然、昔の記憶が蘇った。大学生の頃<消防士>についても<先生>と同様に考えたことを。火災が発生し、消防車が着いた先は自分の家族がいる集合住宅だった。我が家にも炎が届こうとしていることを知る。しかし、隣の家はもっと燃えさかっている。そんな時、自分は家族よりも、隣の家族を助けに行くことができるだろうか、そんな自問自答した記憶だ。「できない! そんな状態で、家族よりも他の家族を優先して助けることなど、俺にはできない」それが突き詰めたあとの答えだった。そんな考えの持ち主が<消防士>になる資格などないと判断するしかなかった。
そして、私は苦肉の策として、日本で最も伸びるであろう業界を分析し、外食産業に身を投じることにした。そして、最も早く一部上場できるであろう会社で選び履歴書を送ったのだ。
まさか、ファミリ-レストランの現場で自ら部下の前で先生を演じ、また指導官を演じ、ヤクザの前では「NO!」と言い続けることになるとは。そして、怪我した部下や、急病のお客様に対して救難士的な職務を果たし、何度も、部下やお客様と救急車に同乗してきたことか。部下を守るために役員や上司と戦う<弁護士>役もやれば、部下を育てる<先生>役もやってきた。店長時代は<防火管理者>となって施設を守ってきた。その後、防火管理者資格のことも阪神へ提出した履歴書には書いたが、一度も要求されたことはなかったので、選任されることはなかった。
そんな私ですが、連れ添いが自宅マンションの「防火管理者」に勝手に手を挙げていたことに非常に驚きました。連れ添いも真の私の驚きには気づいていないに違いありません。でもこのブログをアップすれば私の驚きをきっと理解してくれるだろうと思っています。
こうして、予想もしませんでしたが、部下を守る<弁護士>、部下を育てる<先生>、近隣住民を守る<防火管理士>を見事に全うできることになりました。(ただし、防火管理者選任期間中に大きな火災がないことを祈るが…)
5月20日、マンションの理事会が開催されます。その日から私はマンションの防火管理者に選任されることになります。実はワクワクしている自分を感じています。この職務も見事に果たしたいからです。50歳を過ぎて、今まで苦渋の選択だったと思い込んでいた外食産業が幸運を運んできてくれたと一人感動を味わいました。だから自らを<グッドラック>と命名したのです。最後に連れ添いにこの場を借りて、「防火管理者」志願してくれたことに対して感謝したいと思っています。
<先生>とは聖なる職務だと知ったからだ。映画「奇跡の人」のアニー・サリバン先生(●メンター)の話を用いると一番良く理解して貰えるだろう。小学6年生のとき、母と家の近くにあった映画館「ピカデリー」で見た記憶が残っている。母は「三重苦を克服し偉大な人となったヘレン・ケラーこそ、奇跡の人だよ」と見終わって私に説明した。しかし、私は「違うよ! 奇跡の人は、アニー・サリバン先生だよ!」と言い返したことを良く覚えている。あの時から母の溺愛に気づき始めたのかもしれない。高校生の頃、英語がわかるようになって、改めてこの映画を見たとき、原題を見て私が正しかったと初めて知った。映画「奇跡の人」は大学生になり職業の選択を迫られる4年生になっても私の心にしっかりと残っていた。そして、こう思った。ほとんど人生経験もない自己中心の愚かな若者が先生になどなれるはずがない。なってはいけないのだ。先生とは生徒の能力を見いだし伸ばしてあげなければならない職務だ。まさに聖なる職務だ。今の私、いや数年先でさえ、とてもできそうにないと思った。私の愚かな指導が他人の運命に大きく影響してしまうのだ。命を預かる「医者」と同じような重大な職務を全うするなど、絶対にできないと考えてしまった。
(原題:「the MIRACLE WORKER」)
<消防士>
この目標は、実は今まで母にも長く連れ添った妻にも告げたことはない。先日ケビン・コスナー主演の米国沿岸救助隊の救難士を描いた映画「守護神」を見た。3回目だ。<救難士>のような職業など知るはずのなかった私は、その時初めて<消防士>と<救難士>を重ね合わせることができた。
映画「守護神」で、指導官だったK・コスナーが、自ら鍛え上げてきた若き救難士に質問される会話シーンが私の心を捉えた。
若き救難士「もし現場に到着して、すべての人が助けられないと思えたとき、
あなたはどのように行動しますか?」
K・コスナー「一番近くの人から助ける。…… または最も弱い人から助ける」
その時、ふとマザー・テレサ(●メンター)の言葉を思い出した。1981年4月、初来日の際、おっしゃった言葉だ。「日本人はインドのことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります」
私はこの言葉の中の「手近なところ」とK・コスナーの「一番近くの人から助ける」とうセリフが重なり反応したのだ。それは家族を指すのではないか。慈善活動に従事している人たちの家族も温かい恩恵を本当に受けているのだろうか、もしそうでなければ、偽善者以外の何者でもない、という気持ちになってしまった。
もっと端的に言えば、マザー・テレサの言葉は、
「世界平和は、まず自分の足下の家族、部下、生徒からだろう」(●メンター)と進化し、私の哲学へと昇華した。
突然、昔の記憶が蘇った。大学生の頃<消防士>についても<先生>と同様に考えたことを。火災が発生し、消防車が着いた先は自分の家族がいる集合住宅だった。我が家にも炎が届こうとしていることを知る。しかし、隣の家はもっと燃えさかっている。そんな時、自分は家族よりも、隣の家族を助けに行くことができるだろうか、そんな自問自答した記憶だ。「できない! そんな状態で、家族よりも他の家族を優先して助けることなど、俺にはできない」それが突き詰めたあとの答えだった。そんな考えの持ち主が<消防士>になる資格などないと判断するしかなかった。
そして、私は苦肉の策として、日本で最も伸びるであろう業界を分析し、外食産業に身を投じることにした。そして、最も早く一部上場できるであろう会社で選び履歴書を送ったのだ。
まさか、ファミリ-レストランの現場で自ら部下の前で先生を演じ、また指導官を演じ、ヤクザの前では「NO!」と言い続けることになるとは。そして、怪我した部下や、急病のお客様に対して救難士的な職務を果たし、何度も、部下やお客様と救急車に同乗してきたことか。部下を守るために役員や上司と戦う<弁護士>役もやれば、部下を育てる<先生>役もやってきた。店長時代は<防火管理者>となって施設を守ってきた。その後、防火管理者資格のことも阪神へ提出した履歴書には書いたが、一度も要求されたことはなかったので、選任されることはなかった。
そんな私ですが、連れ添いが自宅マンションの「防火管理者」に勝手に手を挙げていたことに非常に驚きました。連れ添いも真の私の驚きには気づいていないに違いありません。でもこのブログをアップすれば私の驚きをきっと理解してくれるだろうと思っています。
こうして、予想もしませんでしたが、部下を守る<弁護士>、部下を育てる<先生>、近隣住民を守る<防火管理士>を見事に全うできることになりました。(ただし、防火管理者選任期間中に大きな火災がないことを祈るが…)
5月20日、マンションの理事会が開催されます。その日から私はマンションの防火管理者に選任されることになります。実はワクワクしている自分を感じています。この職務も見事に果たしたいからです。50歳を過ぎて、今まで苦渋の選択だったと思い込んでいた外食産業が幸運を運んできてくれたと一人感動を味わいました。だから自らを<グッドラック>と命名したのです。最後に連れ添いにこの場を借りて、「防火管理者」志願してくれたことに対して感謝したいと思っています。