GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「メンターを探せ!」(7)「職業の選択」編(下)

2012年05月14日 | Weblog
<先生>、<消防士>への夢は大学中に消滅した。何故なのか? 

<先生>とは聖なる職務だと知ったからだ。映画「奇跡の人」のアニー・サリバン先生(●メンター)の話を用いると一番良く理解して貰えるだろう。小学6年生のとき、母と家の近くにあった映画館「ピカデリー」で見た記憶が残っている。母は「三重苦を克服し偉大な人となったヘレン・ケラーこそ、奇跡の人だよ」と見終わって私に説明した。しかし、私は「違うよ! 奇跡の人は、アニー・サリバン先生だよ!」と言い返したことを良く覚えている。あの時から母の溺愛に気づき始めたのかもしれない。高校生の頃、英語がわかるようになって、改めてこの映画を見たとき、原題を見て私が正しかったと初めて知った。映画「奇跡の人」は大学生になり職業の選択を迫られる4年生になっても私の心にしっかりと残っていた。そして、こう思った。ほとんど人生経験もない自己中心の愚かな若者が先生になどなれるはずがない。なってはいけないのだ。先生とは生徒の能力を見いだし伸ばしてあげなければならない職務だ。まさに聖なる職務だ。今の私、いや数年先でさえ、とてもできそうにないと思った。私の愚かな指導が他人の運命に大きく影響してしまうのだ。命を預かる「医者」と同じような重大な職務を全うするなど、絶対にできないと考えてしまった。 

 
(原題:「the MIRACLE WORKER」)  

<消防士>
 この目標は、実は今まで母にも長く連れ添った妻にも告げたことはない。先日ケビン・コスナー主演の米国沿岸救助隊の救難士を描いた映画「守護神」を見た。3回目だ。<救難士>のような職業など知るはずのなかった私は、その時初めて<消防士>と<救難士>を重ね合わせることができた。
 映画「守護神」で、指導官だったK・コスナーが、自ら鍛え上げてきた若き救難士に質問される会話シーンが私の心を捉えた。

若き救難士「もし現場に到着して、すべての人が助けられないと思えたとき、
        あなたはどのように行動しますか?」

K・コスナー「一番近くの人から助ける。…… または最も弱い人から助ける」

               
 その時、ふとマザー・テレサ(●メンター)の言葉を思い出した。1981年4月、初来日の際、おっしゃった言葉だ。「日本人はインドのことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります」

 私はこの言葉の中の「手近なところ」とK・コスナーの「一番近くの人から助ける」とうセリフが重なり反応したのだ。それは家族を指すのではないか。慈善活動に従事している人たちの家族も温かい恩恵を本当に受けているのだろうか、もしそうでなければ、偽善者以外の何者でもない、という気持ちになってしまった。
もっと端的に言えば、マザー・テレサの言葉は、
「世界平和は、まず自分の足下の家族、部下、生徒からだろう」(●メンター)と進化し、私の哲学へと昇華した。

 突然、昔の記憶が蘇った。大学生の頃<消防士>についても<先生>と同様に考えたことを。火災が発生し、消防車が着いた先は自分の家族がいる集合住宅だった。我が家にも炎が届こうとしていることを知る。しかし、隣の家はもっと燃えさかっている。そんな時、自分は家族よりも、隣の家族を助けに行くことができるだろうか、そんな自問自答した記憶だ。「できない! そんな状態で、家族よりも他の家族を優先して助けることなど、俺にはできない」それが突き詰めたあとの答えだった。そんな考えの持ち主が<消防士>になる資格などないと判断するしかなかった。

                  

 そして、私は苦肉の策として、日本で最も伸びるであろう業界を分析し、外食産業に身を投じることにした。そして、最も早く一部上場できるであろう会社で選び履歴書を送ったのだ。

 まさか、ファミリ-レストランの現場で自ら部下の前で先生を演じ、また指導官を演じ、ヤクザの前では「NO!」と言い続けることになるとは。そして、怪我した部下や、急病のお客様に対して救難士的な職務を果たし、何度も、部下やお客様と救急車に同乗してきたことか。部下を守るために役員や上司と戦う<弁護士>役もやれば、部下を育てる<先生>役もやってきた。店長時代は<防火管理者>となって施設を守ってきた。その後、防火管理者資格のことも阪神へ提出した履歴書には書いたが、一度も要求されたことはなかったので、選任されることはなかった。



 そんな私ですが、連れ添いが自宅マンションの「防火管理者」に勝手に手を挙げていたことに非常に驚きました。連れ添いも真の私の驚きには気づいていないに違いありません。でもこのブログをアップすれば私の驚きをきっと理解してくれるだろうと思っています。
 こうして、予想もしませんでしたが、部下を守る<弁護士>、部下を育てる<先生>、近隣住民を守る<防火管理士>を見事に全うできることになりました。(ただし、防火管理者選任期間中に大きな火災がないことを祈るが…) 
 5月20日、マンションの理事会が開催されます。その日から私はマンションの防火管理者に選任されることになります。実はワクワクしている自分を感じています。この職務も見事に果たしたいからです。50歳を過ぎて、今まで苦渋の選択だったと思い込んでいた外食産業が幸運を運んできてくれたと一人感動を味わいました。だから自らを<グッドラック>と命名したのです。最後に連れ添いにこの場を借りて、「防火管理者」志願してくれたことに対して感謝したいと思っています。

「メンターを探せ!」(7)「職業の選択」編(上)

2012年05月14日 | Weblog
メンタ-(mentor)
1)ギリシャ神話メントル(オデイッセイの息子の忠実な助言者)
2)(賢明で信頼のおける)助言者、教師、指導者、師、(大学の)指導教官 

 今振り返ると吉川英治の『宮本武蔵』(●至高メンター)を読み出した中学1年生の頃から、必死でメンターを探していたように思えてなりません。

 『宮本武蔵』に登場する<又八>(武蔵の幼なじみ)の人間的弱さが自分自身の中にもあると強く感じたのです。そして、溺愛する又八の母親が、自分の母と重なってならなかったのです。決して又八のような男にはなりたくない。武蔵のように生きる目標(武蔵:剣の道を究める)を持ち、強く生きていきたいと心に誓いました。そのためには温かすぎる親元から離れ、一人で生きていく必要があると考えはじめました。
 吉川英治の作品を殆ど読破し、次は司馬遼太郎作品に自然に手が向いていました。読破後、山本周五郎、松本清張、城山三郎、アーサー・ヘイリー(●メンター)へと趣向は変化していきました。映画にも夢中になり、難波の映画館で朝から晩まで6本も見た記憶が残っています。まるでその姿は又八にはなりたくない、だから本の登場人物、映画の登場人物からも「メンターを探したい」という強迫観念にかられていたように思えてなりません。

                   

*「武蔵と又八」の関係を少し話しておきます。
 関ヶ原の戦いで<武蔵>と<又八>は、西軍側に味方し立身出世を求めて農家から飛び出した。しかし、家康の東軍に負けて敗走することになる。何とか生き延びた二人は戦死者から刀や兜を奪って売り歩く母親と若い娘に出会う。故郷には許嫁の<お通>がいるにも関わらず、又八はその母親の色香に惑われ彼女らと行動を共にし、武蔵と袂をわけてしまう。武蔵は必死で又八を止めるが、甘美な肉体関係に溺れた又八に、武蔵の言葉は届かなかった。武蔵は故郷に戻り、又八がまだ生きていることを知らせようとするが、東軍の落ち武者狩りが故郷の宮本村(美作国:現在の岡山県)にまで迫っていた。捉えられた武蔵は、色香に迷って出奔した又八のことを伝えたお通に助けられ、二人で出奔する。しかし、沢庵和尚(●武蔵のメンター)は「今、武蔵と一緒になっても幸せにはなれない」とお通を説得する。和尚と懇意だった姫路城主は、武蔵を姫路城の天守閣にある開かずの間に幽閉させる。クワと木刀しか持ったことがなかった武蔵は、初めて書物に触れることになる。そして3年間、開かずの間にあった万巻の書を読みふけることになった。
 これらはすべて、武蔵という若者の本質を見抜いていた沢庵和尚の計画だった。3年後、武蔵は自分の人生の目標を明確にしていた。剣の道を志すということだ。だからどうしても武者修行にお通を連れて行くわけにはいかないと考えていた。武蔵は花田橋の茶屋で待つお通と顔を合わすが、旅の支度をしてくるお通を待てるはずがなかった。「許してたもれ、許してたもれ」と桟橋に小刀で書き置きを残してそっと去る武蔵。お通は生涯を懸けて武蔵を追いかけることになる。その後又八は様々な悪事に手を染める。最後には天下随一と謳われた剣豪佐々木小次郎の名を語り、豪遊するような堕落した男になりさがてしまった……。

       

 若者2人の対照的な生き方を通して、私は決して<又八>●反面教師メンター)にはなるまいと自分に固く誓った。吉川英治は『宮本武蔵』で多くの人物を登場させたが、今私自身の今までの出会いを思い返すと、あの人は彼と似ている、彼女はあの人の性格にそっくりだと思い当たる人たちがたくさん存在する。氏の素晴らしい人間観察眼に心底感嘆する。私が逝くときは必ず『宮本武蔵』を棺桶の中に入れて欲しいと、最大の協力者で最大の理解者である我が連れ添いにすでに遺言している。

 私が真剣に考えた目標に<弁護士>と<先生>と<消防士>という職業があった。しかし、映画や小説の中で、幾度となく「悪徳弁護士」に遭遇した。正義の味方である弁護士には、悪事を働いている輩の弁護を頼まれれば刑を軽くしたり、無罪にまでする力があることを知った。そして、こんなことを考えた。
 結婚し妻子を守る夫となり、貧乏な国選弁護士で金銭的に不遇なとき、人を殺めたヤクザに弁護を頼まれた場合、私はどのような選択をするかまで考えた。きっぱりと「NO!」という自信はなかった。そんな人間が弁護士になるべきではないという結論に至った。弁護士になるための学習能力欠如も大きな要因だが、私の<直感>が無理だと叫んでいた。高校を卒業するころには<弁護士>への夢は完全に消滅していた。しかし、両親にそんなことを告げられるはずはない。特に母は弁護士になる私を夢見ていたからだ。大学はすべて法学部だけを受験したが、弁護士になるためではなく、文学部や経営学部よりは就職するにはつぶしがきくと自分なりの苦渋の判断だった。

                                                      (下に続く)