GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「龍馬伝」と福山雅治

2010年03月28日 | Weblog
龍馬も篤姫も共通しているのは性格が天真爛漫なところです。

「天真爛漫」……… おこないや言葉が、無邪気で憎めないこと
             飾らずに心の中のありのままを言行にあらわすことの形容

天真爛漫な性格を特徴づける要件に、
1.邪気がない。
2.裏表がない。(「色心無二」)
3.リベラル派。(分け隔てがないく平等な人生観を持っている)


 福山雅治がどうして龍馬役に抜擢されてのか、真の理由は私には分かりかねますが、木村拓哉と役をどうとかこうとか、という話は聞いていました。キムタクはどのTVドラマでも映画でもすべて同じ性格を演じます。検事役であろうが総理大臣であろうが同じキムタクでした。こういう俳優を性格俳優といいます。三船敏郎・アル・パチーノ、ジョン・ウェイン、モーガン・フリーマンらがそうですが、当たり役をずっと演じるわけです。

 個性派俳優という言葉があります。役柄の個性によって様々な人物に変身し演じ分ける俳優のことです。仲代達也やロバート・デ・ニーロ、ブラッド・ピット、ジョニー・ディップ、大竹しのぶがすぐに浮かびます。特に大竹しのぶは舞台で「奇跡の人」ヘレン・ケラー役を演じて有名になりましたが、後年、主演のサリバン先生役を演じ大喝采を受けて、名実共にスーパースター(私はそう思う)になりました。

 福山雅治には何処か計り知れない未知数、可能性を感じさせるものがあります。今回の「龍馬伝」では今までにない龍馬を描きたいという目標がありました。最初から英雄ではなく、普通の男が沸騰していく幕末という異常な環境の中で吉田松陰、西郷や大久保や桂、武市や後藤、そして最も影響を受けた佐久間象山の弟子勝海舟と出会います。勝との出会いこそが、最大の出会いであり、行きつつある方向からやってきた人物と云えるでしょう。福山にはキムタクにない未知数や可能性があり、急激な変化をみせる幕末という環境の中で、成長し変貌していく役柄を演じるのは、私が考えてもキムタクより福山がベターだったと思います。

 今回放送分で土佐勤王党が生まれましたが、1862年の土佐が描かれていました。(史実では土佐勤王党は1861年、当時江戸にいた武市半平太によって結成されています) 龍馬が暗殺されたのは1867年11月15日ですから、後5年の命しかありません。これからの5年の出会いと出来事が歴史に名を残し、明治政府樹立に功があった人が祭られる靖国神社入りする要因となったわけです。

小説『親鸞』の中でこんな文章があります。

 『信じるというのは、はっきりした証拠を見せられて納得することではない。
  信じるのは物事ではなく、人です。
  その人を信じるがゆえに、その言葉を信じるのです。』

 勝海舟との出会いは、龍馬にとって心から信じる人との出会いになりました。信じられる人との出会いになるためには、それまでの多くの試行錯誤した出会いを必要とします。今まで想像もしなかった巨大な黒船を実際にみたことは、彼にとって晴天の霹靂だったに違いありません。一振りの刀ではどうにもならないことを肌で感じ、剣術修行がなんの役に立つのだろうという疑問から自分の生き方を真摯に模索していきます。(こんな時期が誰の人生にも必要な気がします。アドレナリンが沢山分泌する時期と被っているかもしれません)

 吉田松陰や桂、吉田東洋との出会いは自分のスタンスを構築するための石塁となっていきました。ようやく龍馬は自分が立っている位置、世界の流れの中での日本の位置を明確にしてくれた勝海舟と出会います。そして彼を信じ、彼の言葉を信じます。自分の生き方を模索していなかったら、武市との葛藤や東洋との軋轢もなかったでしょうし、勝を信じる気持ちも生まれなかったでしょう。真摯に生きてきたことで構築できた石塁があって初めて、信じる強い気持ちが生じたのだと想います。(親鸞の場合は、法然上人でした)

 何度も紹介したインドの父、タゴールの言葉です。ともて感じるものがあります。

    人生を達成していく途上では、常に反対に出会う。
    しかし、それは、前進するために、必要なことである。

    川の流れは、絶え間ない土や、石の妨害があるからこそ、
    その土や石の間をぬって流れ続けることができる。
    川岸を作っているのは、まさにこの土や石だからだ。

    起こってくることを受け入れ、 それをよいものにしていく精神こそ、
    人生の達人のものである。