金栗四三さんの故郷 と 新しい元号
熊本の県北に
玉名という地域がある
平野は広がり
自然豊かで
長閑な温泉もある
今 NHK TV 「いだてん」で
放送中だが
主人公の一人金栗四三さんは
その玉名の生まれだ
実は 私も
その玉名で生まれ
中学校まで地元で生活し
高校から大学までは
熊本市まで 長く
鉄道やバスで通学をした
金栗四三さんは
明治(24)に生まれ
昭和(58)に92歳で逝去された
明治、大正、昭和を
日本のスポーツ普及のために
人生をかけて取り組まれた
私はというと
本来なら 玉名高校に進学し
そこで走りたかったのだが
経済的なことや
就活上の事情などで
玉名高校に合格しながら
自分なりに考えた末
熊本市の高校で
学ぶことに決めたのだった
だから 運動は
朝夕の通学の他は
目ぼしいことはしなかった
(家と駅の間の自転車通学など)
大学進学後
体力検査で
1500m を走った時は
昔取った杵柄?とやらで
意気込んで走ったものの
数年以上のブランクと
不摂生な生活のせいで
散々なタイムであった
その反省を元に
泳ぐことや歩くこと
時々走ることなどを
心がけるようにした
ある夏は
1週間に3、4回位
熊本城内プールで
自主練習を続けた
職についてからも
いろんな運動を
少しずつ続けた
四十代までは
5キロマラソン(中距離走)や
職場駅伝などにも参加した
ただ 五十代になって
緊急入院をしてから
激しい運動は控えるようになり
その後は 専ら ウオーキングや
自転車乗りなどをしている
金栗四三さんが提唱されていた
頑張りすぎない走り
楽しむ走り 継続する走りなどを
心がけたら 故障もなく
楽しい走りができたかもしれない
明日から 元号が 令和に変わる
金栗四三さんは
明治→大正→昭和 の時代を
精一杯に生き抜かれた
私は 私の歩みで
昭和→平成→令和 の時代を
時にはフラつきながらも
未来を背負う子どもたちや
未来に生きる孫たちのために
精一杯に生きていこうと思う
ps2019.4.24 草稿 4.30 追記
熊本の県北に
玉名という地域がある
平野は広がり
自然豊かで
長閑な温泉もある
今 NHK TV 「いだてん」で
放送中だが
主人公の一人金栗四三さんは
その玉名の生まれだ
実は 私も
その玉名で生まれ
中学校まで地元で生活し
高校から大学までは
熊本市まで 長く
鉄道やバスで通学をした
金栗四三さんは
明治(24)に生まれ
昭和(58)に92歳で逝去された
明治、大正、昭和を
日本のスポーツ普及のために
人生をかけて取り組まれた
私はというと
本来なら 玉名高校に進学し
そこで走りたかったのだが
経済的なことや
就活上の事情などで
玉名高校に合格しながら
自分なりに考えた末
熊本市の高校で
学ぶことに決めたのだった
だから 運動は
朝夕の通学の他は
目ぼしいことはしなかった
(家と駅の間の自転車通学など)
大学進学後
体力検査で
1500m を走った時は
昔取った杵柄?とやらで
意気込んで走ったものの
数年以上のブランクと
不摂生な生活のせいで
散々なタイムであった
その反省を元に
泳ぐことや歩くこと
時々走ることなどを
心がけるようにした
ある夏は
1週間に3、4回位
熊本城内プールで
自主練習を続けた
職についてからも
いろんな運動を
少しずつ続けた
四十代までは
5キロマラソン(中距離走)や
職場駅伝などにも参加した
ただ 五十代になって
緊急入院をしてから
激しい運動は控えるようになり
その後は 専ら ウオーキングや
自転車乗りなどをしている
金栗四三さんが提唱されていた
頑張りすぎない走り
楽しむ走り 継続する走りなどを
心がけたら 故障もなく
楽しい走りができたかもしれない
明日から 元号が 令和に変わる
金栗四三さんは
明治→大正→昭和 の時代を
精一杯に生き抜かれた
私は 私の歩みで
昭和→平成→令和 の時代を
時にはフラつきながらも
未来を背負う子どもたちや
未来に生きる孫たちのために
精一杯に生きていこうと思う
ps2019.4.24 草稿 4.30 追記
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