冬の遊び・今昔
*南国と北国の冬のスポーツ
( 咲き出した庭の梅の花 2/7 )
子どもの頃
冬の生活は寒くて
私らの遊びも単調で
退屈な日が多かった
時々雪が降ったり
水が凍ったりすると
子どもたちは喜び
家庭でも話題になることが多かった
(あくまでこれは 南国の昔の話)
それから月日は経ち
高卒後上京して
東京都の多摩地方(日野市)で
働くようになって(一年間だけど)
東日本の冬の過ごし方が
幾分違っているのがわかった
真冬のからっ風は
想像以上に冷たかったなあ
工場の寮で 四階の屋上に
洗濯物を干すときは
吹きっさらしで 手も身も
凍えたものだ
また 当時の新聞やテレビで
スキーやスケートのことが話題になり
見聞きするだけで
何だか面白そうだなぁと思ったものだ
当時頃から 冬のスポーツが
脚光を浴び出したのではと思う
それから故郷にUターン後
地元熊本でも スケート場が
あちこちに作られたし
阿蘇ではスキー場まで設置された
活動的な人は
私の住む県北から
熊本市や阿蘇まで
スケートをしに出かけていた
また 真冬限定のスキーにも
挑戦する人が現れた
私は ある仕事の事情で
30歳頃の三年間
阿蘇谷にあるスケート場で
滑ることになった
トータルで数十回は滑っただろうか
また スキーの方も
数回位は滑ったと思う
四季を通してのスポーツができて
スポーツの間口が広くなったので
冬の暮らしに対する気持ちが
変わったのを覚えている
私は スケートもスキーも
初心者の域を出なかったが
それなりに楽しんでいたし
屋外のスケート場とスキー場は
眺めも良くて 良き想い出として
いつまでも胸に刻まれている
(その後 南国で氷を維持するのが
採算面などで負担が大きいと 全て
廃止されたのがとても残念だ)
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スポーツとは本来
その競技や人生を楽しむためだし
健康維持や気分転換のために
各自が それぞれの実態に応じて
取り組むものであって
自分の力量を伸びを実感し喜び
チームワークの面白さなどを
知り楽しむものでもある
一時期アスリートが課されたという
国家や組織の名誉のためではない
ここを取り違えると
勝つことだけや
記録が伸びることだけに
関心や要求が集中して
アスリートや関係者本人は
それらのスポーツを楽しみ
人生に生かそうとすることから
ひどく遠ざかってしまうことになる
参加することに意義がある のだし
公平に公正に競い合うことが前提だし
結果的に勝利を収め
いろんな条件が揃い頂点に立ったことを
互いに喜び讃えあう競技であって欲しい
(結果至上主義・成果主義に囚われると
ルールを破ったり 過重なプレッシャーを
かけてしまったり 偏った応援などにも
なりがちだったりで 碌なことはない)
ps 2022.2.7 草稿
今日の散歩で
私くらいの年齢の人が
河川敷の原っぱを
全速力で走っているのを見た
見ていてカッコいいなあ、
凄いなあと思った
シニアの頃まで 私は
よく短距離や中距離走、
それに 水泳をしていたが
その後 膝痛や腰痛、そして
不整脈などのため
全力走や水泳は やめた
若いときは 私なりに
もういいという位に走り、
泳いできたし 今は今で
自転車と早足中心の散歩を
毎日していて習慣にもなってきたから
これからも身体が許す限り
続けたいと思う
生涯スポーツは
それぞれの興味関心や
向き不向き、チャンスなどに
よって選んでいくものだろうと思う
そして 人生のステージに応じて
種目や内容などを
変えていってもいいのだと思う
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