よねの備忘録

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ポスト・ジュットランド型戦艦 「陸奥」級の登場。

2007-09-03 15:53:12 | 仮想作戦案
1916年5月末。 
第一次世界大戦最大の海戦「ジュットランド海戦」が生起しました。

英・独両方とも、「巡洋戦艦」を中心とした前衛と、
「戦艦」を中心とした本隊からなっていました。

【ドイツ側の企み】
前衛が囮となって、イギリスの前衛を、本隊の前に引き込み、
イギリスの本隊が来る前に、これを撃破する。

【イギリス側の企み】
前衛が囮となり、ドイツの本隊を引き込み、主力決戦に持ち込む。

【結果】
中立国の商船に、両軍の前衛が接近し、前衛対前衛の戦いに
なった。ドイツが優勢だが、イギリスの増援が近づいたため、逃走。
ドイツ本隊も、逃走に入り、結局、大規模な交戦には
ならずに終了した。
しかし、イギリスの新鋭巡洋戦艦「クイン・メリー」の轟沈は、
イギリスのみならず、世界に衝撃を与えた。

【戦訓】
1.装甲の薄い艦は、砲弾に貫かれて、大損害を受ける。
2.速力の遅い艦は、敵が逃走すると、追いつけず、役に立たない。

「巡洋戦艦」とは、戦艦の積む大砲と、巡洋艦の持つ快速を得る
当時の「花形」です。しかし、装甲を薄くした事が仇となりました。
日本では「金剛」級が「巡洋戦艦」です。
この海戦を境に「巡洋戦艦」は建造されなくなりました。
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ポスト・ジュットランド級は、
厚い装甲、16インチ(40cm)をもった戦艦のことです。

アメリカ 「コロラド」「メリーランド」「ウェスト・バージニア」
イギリス 「ネルソン」「ロドネー」
日本   「長門」「陸奥」

これを世界の「ビック7」と称します。
なぜ7隻だけか、というと、アメリカと日本の軍艦建造競争が
始まりそうになり、「ワシントン軍縮条約」が結ばれたせいです。

日本では、「加賀」「土佐」「天城」「赤城」「高雄」「愛宕」の6隻が
廃棄、空母への転換、建造途中で中止になりました。
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第一次世界大戦中に建造された「山城」「扶桑」「伊勢」「日向」は、
ジュットランド海戦には耐えられない戦艦でした。
装甲が薄く、速力も中途半端。
「改装」を繰り返しても、あまり良い艦にはなりませんでした。

よねの仮想世界では、
「三笠」級-「金剛」級-「長門」級のみを建造します。

「長門」級は、史実と少し異なり、3連装x3基の主砲配置です。
「長門」「陸奥」「加賀」「土佐」の4隻が建造予定でした。

しかし、この世界でも「軍縮会議」が行なわれます。
日本が40cm戦艦を4隻も持つことに懸念が示されました。

・40cm戦艦は1隻とすること。
・戦艦の比率を
 英・米・日・仏・伊=10:8:4:3.5:3.5(日米は史実より2割少ない)

以上の軍縮会議により、
「土佐」は実弾訓練の標的として廃棄、
「陸奥」と「加賀」は40cm砲のかわりに38cm砲となりました。

ところが、「砲身長」につき規定がないので、
通常の45口径でなく、55口径の主砲を搭載します。
この55口径38cm砲の方が、45口径40cm砲より、
威力が大きいのです。
そこで、「長門」も55口径38cm砲を搭載しました。

「金剛」級ですが、「金剛」がクイン・メリーの替わりに轟沈しました。
「金剛」の命中率が、イギリス戦艦より高かったので
ドイツ艦隊の損害が著しく、一斉射撃の的になってしまったのです。

残った艦は、4基の主砲塔を2基に減らし、装甲を厚くしました。
主砲として、55口径38cm砲、6門を搭載しました。

軍縮会議-日本の戦艦の許容排水量=20万トン(史実は31.5万)
 「陸奥」「加賀」「長門」 3隻で10.5万
 「榛名」「比叡」「霧島」 3隻で9.5万

戦艦は55口径38cm砲に統一されました。
速力は第二次世界大戦までの改装で30ktまでupします。
史実より、数は少ないですが、使い勝手がよいです。
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我ながら、しょうもないことを考え付くものです。





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