よねの備忘録

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グアムの戦い その1。

2007-03-20 21:22:46 | 仮想作戦案
【1943年6月4日 硫黄島上空】

硫黄島に米軍・攻撃隊の第1波が迫っていた。
日本側は200機。

日本軍・指揮機
「米軍の推定機数は300。戦闘機は200、降爆が100。
 戦闘機の機種はワイルドキャット(F4F)と思われる。
 150機で敵制空隊を牽制し、残り50で降爆にあたる。
 目的は敵機を落とすことではない。基地を守ることだ。
 敵は第2波、第3波とくるぞ。
 とにかく、基地を爆弾から守るのだ。
 もう一度言う。敵機の撃墜が目的ではない。
 全機、攻撃開始せよ。」
(内心)
 なぜ、ヘルキャット(F6F)ではない?
 なぜ、旧式のワイルドキャットなのだ??

日本機と米軍の空中戦がはじまった。

日本機は「飛燕」をベースに「紫電改」の「自動空戦フラップ」を
つけた「42式戦」である。
「飛燕」の速度と、「紫電改」の旋回性能をもつ同機は、
F4Fを圧倒するのみならず、F6Fをも上回るはずである。

しかし。



日本軍パイロットは驚いた。
何と敵機は「42式戦」の内側を旋回してくるのだ!!
よく見ると、ワイルドキャットに似ているが、新型機だ!

そう、ワイルドキャットではなかった。
小型の機体に、2250馬力の強力なエンジンを搭載した、
「米国型ゼロ戦」。F8F ベアキャットだったのだ。

最高時速700km/h、旋回性能で「ゼロ」と互角、
両翼に20mm機関銃 x4、防弾性も良好。

この「究極のレシプロ戦闘機」は、試作段階であったが、
この決戦のために500機を用意し、投入してきたのであった。


第2波以降は、F6Fが主体となった。
しかし、日没までに100機ごとに、間断なく、
あたかもボクシングのジャブが如く、波状攻撃をしかけてきた。

第1波を生き延びた機体も、反撃のために地上にあった攻撃機も
地上から飛び立てず、少しづつ、破壊されていった。

さらに、夕刻には、米軍の高速戦艦が出現し、艦砲射撃を
浴びせてきた。
3隻の戦艦から合計1000発の砲弾が打ち込まれた。
戦艦の砲弾は、1発1トン。つまり、爆撃機1000機と同じ打撃。

米軍指揮官は言った。
「数日経てば、滑走路は回復するかもしれない。
 だが、爆弾や魚雷を持ち込んで、さらに攻撃隊を
 整備するまでには、日数がかかる。
 それまでに、日本・機動部隊を撃滅すればよい。
 我々の任務は達成された。グアム沖の本隊と合流する。」

硫黄島の基地機能は失われた。

同日、同様の事態がグアム島で起きた。

補給を済ませた米軍は、1943年6月6日、
グアム上陸を開始した。

同じ日、ノルマンディーにも、連合軍が上陸した。
枢軸国にたいする連合国の総反撃が始まったのだ。









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