暦には、その日にするべき家事の記載がある。例えば、裁断に特に佳し。とあれば、衣類を裁ったり、縫う準備をしておくのだ。記憶を辿ってみれば、祖母が暦と睨めっこして、明日の段取りをしていたものだ。手斧初めの日に薪割をする。金神さまの居る方角は避ける。
まあ、迷信であるのかもしれないが、家を建てたり壊したりする時には、念入りに方角を調べ、障りのないように充分な注意をしていた。それでも事故が起きることもあるし、運の悪さも重なることがある。科学的な根拠は不明だ。数字の上に現れない不可思議さだ。
あちこちで雪が降り、思わぬ弊害が起きている。本来なら、12月や1月は積雪があり、寒さにじっと耐えていた。昨今の暖房器具の普及で、暖かで快適な暮らしに転じてきた。その反面に、焚き火を知らない子が多い。焼き芋もその火にくべて焼いていたのだが・・・。
童謡の歌詞にもあるが、垣根の垣根の曲がり角、焚き火だ焚き火だ落葉焚き、あたろうかあたろうよ、相談しながら歩いてく。当時には、芋は焚き火でするか、風呂の焚口で出来た火に入れて焼くかで、買って食べるなどありはしなかった。焼き芋とも言えない価格。
そう言えば、と買っていた芋を思い出し、焼き芋にする。明日のお八つにしよう。昭和の時代も遠くなったもの。はったい粉が麦でできていることも、熱い湯をかけ、練って食べることも知らない。高齢者なら感嘆する。ご馳走の意味合いが、全く違う。贅沢になったもの。
埴生の宿を聴いて、記憶が甦る人も居れば、仰げば尊しに、学び舎や教師も思う者は少ない。昨今の卒業式に、歌っているのを聞いたことがない。この歌を聴けば、季節の中で雪が降ることがあるのに気づくのだ。情緒豊かな歌詞が、情景を鮮明に浮かび上がらす。
宮部みゆき ペテロの葬列を半分読破。毎晩なので捗々しくないが、少しづつ読むしかない。孫等にも興味を持ってほしいが、ゲーム感覚だったり、ときめく内容に変わっている。本が読みたいのは、自分の知識を補い、更に省みて思考することだ。古典落語も愉しい。
盛夏を繁れる枇杷葉。ゆりかごのうた、にあるように、木陰が涼しい。暑さを遮り、やさしい光に換えてくれる。