枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

歳を得て判ること・・・

2016年12月11日 | Weblog

 世の中の理不尽が、今更のように判ってくる。そういうのって、遅いというのだろうか?いやいや、速いとは言えないが、時間や年月を超えた感覚ではないか。それは基よりも、明らかに定められている、動かし難い時の流れかもしれない。

 抗うことの出来ない、神の存在であることにも繋がる。誰もが、疑問すら持てない根本をいうのかもしれない。この宇宙を産み出し続ける、果てのない時の流れを、永遠に保つ。其処にはあらゆる創造の素があって、止まることを知らず動いて。

 宇宙は、常に拡張し続けているが、或いは縮小さているのかもしれず、時間さえ止まってしまう。漆黒の闇の中を、果ては眩い光の中を進む。時の流砂を見た者は居ず、其処にたどり着いた者もいない。永遠の存在であり、無の繋がりとも。

 理論的なことは皆無だが、あの場所には、そんなものがあったように想う。往こうとしても、決して辿れない反対の世界かもしれない。未だに混沌とした流れを感じ、清明とした光を視た気もする。あれは偶然、意志とは無関係で往ったものか。

 テレビで、UFOがどうとかやっていた。嘘とも真実とも云い難い。信じるに価することとも思えないが、人間の心の状態が、どういった時に、ああいった心理状態になるか、否定はできない。夢とも幻とも・・・。霧笛を思い出す。何ともの哀しいこと。

 自然という存在は、人智に及ぼす影響の大きさを計り知れない。人類は、その不可解な領域に踏み込み、何でもかんでもを追求して行く。知らなくても良いこともあるのに、無理に解明しよと躍起になる。禍を呼び起こしてはならないのに開ける。

 寒気が強い。星の輝きも冴え、美しさも際立つ。宇宙に旅立つ瞬間だ。こういったチャンスを、人工の明かりの中では味わえないのを、大勢の者は気づかない。ガリレオに、ダビィンチに遭えるかも。光の渦が音もなく近づいてくる。銀河旅艇出発。

 金星の眩さもだが、月の光の、何という神々しさであろうか。宇宙に輝く惑星と恒星を眺めつつ帰宅する。駐車場では、枇杷葉の花芽の、馥郁とした香りだ。自然からの、この季節でしか感じられない至福の一時を、感謝し祈る。人工的な灯りには。

 夏の暑さも退いた夜半、宇宙を観上げると、星が瞬く。白鳥座、おうし座、こと座の夏の大三角が広がる。


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