goo blog サービス終了のお知らせ 

枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

戦後から七十六年が

2021年08月15日 | Weblog
 戦争の終結を誓った筈なのに、国内で世界中での諍いに加担するのだろう。加えてアメリカは沖縄を基地にしてやりたい放題して、年間の武器買い上げも基地の維持費投入にさえ金を注ぎ込む。日本は戦争に負けはしたが、アメリカに屈したのではない。白洲次郎の有名な科白だ。それなのに76年が経てど依然変わらず。

 原爆症で苦しむ人々は、見捨てられ今尚傷は癒えない。政府の施策でするなら、余りにも遅い判断であり酷く無情を堪らなく感じる。何が正しくて間違いであるかを問いたい、言葉や書物で幾ら説いても、現実に困窮してなのに知らぬ顔だ。そこにこの2年余りのコロナ騒ぎである。自分の命を守ることさえも難しくて。

 国の防衛費に破格の扱いをするなら、コロナ禍は既に終息していよう。国会議員は自分達への有利な案件ばかり新設して、庶民の窮状等を歯牙にもかけない。弱者への切り捨ては平気の平左で、庶民の安寧を願う振りさえしない。それに付け入り胡麻を擂って、諸手に粟と擦り寄る輩。命への尊厳など何処にも存在なく。

 働けない者は荷物なのか?身体への不具合があるのは邪魔なのか?健常者だけが住み易く、便利で快適優先であれば好いのか?高齢者への労わりは、機械化さえすれば何もかも明るく過せられるのだろうか。皆が人間の心を置き去りにして、綺麗で素晴らしい生活を望んだばかりに崩壊が始まった。青い地球という星の。

 今朝の明け方まで降り続いた雨も、今は止んで青空が見えている。それでも不安定な天気は変わらずで、次第に雲は広がってしまった。身体が冷えるので腰に枇杷葉の生葉を当てているが、数時間で真っ黒になる。左足の調子が何となくで、日曜日は自宅での自粛に徹して庭に出るのも極力控えて過ごす。治療に専念で。

 DVDでクラウド・アトラスを購入して届き、観ていたら更新が今になった。スケールが巨大なのだが要は、何度も繰り返し生きて死ぬこと。神の与えた使命は個々に異なるが、それを行う時に感情が左右しては場面が変わる。わたくしも決して聖人君子ではないから、或いは誰かを殺めたこともあるのかもしれません。

 人が殺し合うのは、生きていくためなのでしょうか?戦を止めさせる手立てには何が必要なのでしょう?勇気もやさしさも、絶望や決断の力にも因るのでしょうか?その時の状況で守る者も変り、使命も違ってくるのでしょうか。話してみて差し伸べる手を放さないで、遠くへと離れないで見守ってはいけないのかな。

 わたくしは哀れみも要らねば、蔑みも同情も必要ではありません。持てる物は何もありませんが、信じることはできます。そうして命は何物であろうとも等しいのです。この青い星を壊さないでください。命への賛歌は凡てのもののものです。人間だけが素晴らしいのではなく、それらの命に因って援けられています。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする