歳は取りたくない。然し、年齢と共に様々なことに支障が起きる。用事をしに行くのが、はて?何しに来たのかということになったり、今何処に向かっているのか?と思うことも間々あるのに慌てる。まあ、それでも事無きを得て来たが、仕事を辞めたら、時間さえも忘れそうで怖い。かと言って、体力も無くなれば続けられず。
燃料を容れておこうと出掛けたスタンドが、何故か締っている。開店しているのに、誰も居ないので、暫く待ったが他で済ます。年寄りと息子の経営では、何かがあれば困窮するのだ。こちらも急いでいたこともあり、用事を済ませての帰宅となった。独り暮らしだと、実際何が起きるかが不明で、用心に越したことはないが…。
なにもかも、子ども等への負担を強いれない。元気でいたくとも、予期せぬことにも遭う。そういった時に、直ぐ駆けつけて来てくれる者が居れば、頼らざるを得ない。信用は出来ないかもしれないものの、便利重宝には頼めない。困った時にはお互い様と言うが、言葉とは裏腹に、礼儀は心得ていたいもの。人間として生きる。
足湯に行ってもいいかと連絡が来る。予定がないのと、明日が早出でないので受ける。やはり訪問者は、都合を尋ね、了解を取ってからおいで願いたい。常識として、日曜日の午前中は邪魔に行かないこと。クリスチャンなら、礼拝があるし、普通の者でも、のんびりとして過ごしたいものでしょう?強引に押し掛ける等、論外。
日曜日は安息日で、働いたりしてはならず、神に感謝して明日への祈りを捧げる。カトリックでも、プロテスタントでも、何れでもないが、天地創造・十戒、砂漠の女王。最近は最後の誘惑も買う。神は、森羅万象そのもので、大天使もエンジェルも視える。祈るという純粋な行為には、万人の幸せを願う。そこまではなれない。
自分を犠牲にもできないし、勝手な願いを言うばかりで、偽善者には違いない。枇杷葉に祈れば、それだけの結果が現れる。手品でも魔法でもない。自分のしたことだけが還ってくる。多くを願わず、小さくとも幸せを感謝する心にこそ、神は宿るのだろう。日常の行いにも等しく顕れる。貧乏でも、倹しく暮らせば愉しめるもの。
宇宙には、不可思議なことがたくさんあって、人間の知らないことが多くある。幸せも同じだ。
燃料を容れておこうと出掛けたスタンドが、何故か締っている。開店しているのに、誰も居ないので、暫く待ったが他で済ます。年寄りと息子の経営では、何かがあれば困窮するのだ。こちらも急いでいたこともあり、用事を済ませての帰宅となった。独り暮らしだと、実際何が起きるかが不明で、用心に越したことはないが…。
なにもかも、子ども等への負担を強いれない。元気でいたくとも、予期せぬことにも遭う。そういった時に、直ぐ駆けつけて来てくれる者が居れば、頼らざるを得ない。信用は出来ないかもしれないものの、便利重宝には頼めない。困った時にはお互い様と言うが、言葉とは裏腹に、礼儀は心得ていたいもの。人間として生きる。
足湯に行ってもいいかと連絡が来る。予定がないのと、明日が早出でないので受ける。やはり訪問者は、都合を尋ね、了解を取ってからおいで願いたい。常識として、日曜日の午前中は邪魔に行かないこと。クリスチャンなら、礼拝があるし、普通の者でも、のんびりとして過ごしたいものでしょう?強引に押し掛ける等、論外。
日曜日は安息日で、働いたりしてはならず、神に感謝して明日への祈りを捧げる。カトリックでも、プロテスタントでも、何れでもないが、天地創造・十戒、砂漠の女王。最近は最後の誘惑も買う。神は、森羅万象そのもので、大天使もエンジェルも視える。祈るという純粋な行為には、万人の幸せを願う。そこまではなれない。
自分を犠牲にもできないし、勝手な願いを言うばかりで、偽善者には違いない。枇杷葉に祈れば、それだけの結果が現れる。手品でも魔法でもない。自分のしたことだけが還ってくる。多くを願わず、小さくとも幸せを感謝する心にこそ、神は宿るのだろう。日常の行いにも等しく顕れる。貧乏でも、倹しく暮らせば愉しめるもの。
宇宙には、不可思議なことがたくさんあって、人間の知らないことが多くある。幸せも同じだ。