枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

自然現象への遭遇

2018年04月26日 | Weblog

 勤務を終え、図書館に寄っての我が家に数分という距離で、太陽が沈みかけている。雲の多い天気だと、黄昏る空を観てびっくりした。西に傾く太陽光線を受けて、雲の間に虹が出ている。不思議なこともあると、撮影しておく。ひょっとして地震かな?津波もと不安が湧き上がる。気温も不安定だし・・・

 今朝は早出で、くたくたに疲れてしまう。何がしんどいって、見守りが難儀なこと。人間であれば、何かの欲求を満たそうと動く。生理的現象か、外に行きたいかだが、風邪が落ち着いてこなければ、フロアを移動できない。マスクは職員だけだが、認知症状でも見えるので厄介だ。通じない職員に苛立って。

 大型連休と云うが、施設は休めない。家族が引き取ってくれればいいが、そんな殊勝な者には遇えない。預けていれば、家は綺麗だし、手間も取らない。来訪しても数分で帰る。自分の親であろう。普段の様子を尋ね、時には連れ出し、心の籠った態度を、数時間することも出来ないのか。職員だけの笑顔は。

 介護の仕事をしているのだから、当然ではあるかも知れぬが、他人に接するような姿を見るにつけ、侘しいというか哀しい。認知症状ではあるが、人減ではないか。況してや自分を産んでくれた親である。何も分からなくなって、娘や息子の顔さえ忘れているが、だからこそ慈しみの心で接してほしいものだ。

 ヴィクトル・ユーゴーの、レ・ミゼラブルが、日本版で放映されているが、これは復讐だけではない。自分を信じてくれた者へのジャンバルジャンの証だ。人間の心が無ければ、到底できなかったことだ。ジャベール刑事が追い詰めていく過程、最後に苦悩の末に身投げをして詫びるシーンは、鷲掴みにされた。

 主役もさることながら、ラッセル・クロウの役に填まった。ノア、スーパーマンの父親役にも、眼を瞠り、DVDを持っている。原作は、文庫で6巻ある。フランス革命の時期をして、貧乏のどん底にあった人々の、一途にひたむきに生きた証でもある。戦争の痛みは心の奥深くに残る。命は一つしか存在しない。

 非現実的な世界に、どんなに憬れても、現実とは違う。そういった不可思議なことは、万が一か、稀でもある。人間は、言葉を使えるのだから、武器や武力でなく、話しあいでの解決が出来るのだ。況してや双方大人ではないか?地球という、たった一つの青い惑星を、誰もが壊すことはできない。自然を侮らず。

 月と金星が西天に懸かる。光度はマイナスなので、人目を惹く明るさだ。自然はありがたい。

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