テレビの役者であり、何代も続いていた番組だが、実際の水戸光圀公・徳川家光は、家臣に近辺を視回らせて、報告を聞いていたようだ。自領の民の暮らしが、どんなものかの把握を行っていたのか。現代では、比べるべくもない情が伺える。
勤務が激務だと、身体のあちこちへの支障が生じる。自然療法で遣っているから、このくらいで済んでいるのだろう。枇杷葉温圧療法を、再開しなければ、左側の腎臓の調子が良くない。左半身の痺れが消えないのも、じっとしていれば治る。
然し、札束が宇宙から降ってきたり、郵便ポストに入っているのでもない。疲労を抱えても、働かなければ収入は無い。屁理屈や文句を言う気力も無いが、働こうとしない理由が理解できない。生活保護を受ければいいと言う安易な思考は疑問。
節分の、巻き寿しが好評で、声を掛けなかった者から、来年の注文をせがまれる。何の為の休みでしょう?気儘に作っているのでなければ、負担が大きい。お金をもらうとなると、材料も手間も、吟味しなければならない。色々とめんどくさいのよ。
二十四節気や雑紀を、日本の各地の風土として行う分には、支障はないだろう。然し、コンビニ合戦に、大量生産が加わると、残った食べ物は、廃棄になってしまう。注文数しか作らないのが鉄則だが、儲けを先走る。コンビニでは買わないけど。
そうまでして、福が入ってほしいとも、鬼を退治しようとも想わない。あるがままでの健康には、祈りと感謝がついている。自然を受け入れることで、禍転じて福と為す。地球は人類だけの棲む星ではないのを、肝に銘じておきたい。辺野古工事中止。
沖縄の人々の、戦後は終わっておらず、本土復帰も怪しい。阪神大震災も22年経ち、福島第一原発事故も既に、5年を経過する。然し尚、人々の心は癒されず、被害の内面化は加速するばかり。肝心要の文部省の不正には、苛めはなくならずだ。
菅原道真公も、きっと嘆いておることだろう。立春の声に、白梅の蕾が綻んで来た。気忙しさに気づく者は少ないが、自然からの便りは忘れずに訪れるもの。藤壺に、元服したら二度と逢えなくなる光源氏。白梅の枝を別れに贈る。楚々とした馨。
リエさん枇杷葉と、長崎茂木との中間に、数本植えている枇杷葉。年数は9年にならないのに、初めて苞が見えた。