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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

そして、誰も・・・

2010年06月13日 | Weblog
 アガサ・クリスティの作品です。最近のテレビは、これの二番煎じなら未だしも、半数を超える煎じ方で、うんざりというか、辟易してしまう。民放のテレビはCMが嫌いだし、NHKは上質な番組が消えている。地デジに替えよ。と言うが、なんでなのか本質が見えない。エコだのと言う割には、無駄なことばかりさせる。受信料を払わないなら、見せないのが事実であるらしい。

 テレビは勤務先で止む無く観るが、私にとっては書籍があればいいので、特別になくてもいい。今日、停電だったが、静かでいいなぁ。と思っていたら、職員の配慮に欠ける者が、喋らなくてはいけないように大声で騒ぐ。休んでいる人も居るというのに、が鳴りたてるだみ声に、うっかり横にもなれない有様。せめて声のトーンを落として話すか、其処に居る人らが、参加できる話題にしてもらいたい。挙句に人の身体の欠点を論う。常識のある者が聴けば差別用語に値する。

 言葉の持つ意味や、そこから連想する気持ちの行き方等、取り方によっては、様々なことに広がっていくのですよ。若い者ならいざ知らず、年配者なら、それくらいは考えて言いましょう。可愛いという言葉に匹敵する、虐待にもなるのです。相手の心を慮る気持ちは欠片もありません。同じ仕事をする者として、とても恥ずかしい想いでした。お給料を頂くのですから、常に自分は出さないで、協力してやっていかなければ、何も得るものはないです。

 人間の死ぬために生きるという事は、困難を極めるというが、本当にそうですね。この先地球から、人類が消えてしまう日が来るのか?と信じられない思いですが。人々は欲張りすぎた。誰しもが自分のことしか考えなくなった。お金があればいい。綺麗な物が着れればいい。美味しい物が食べられればいい。贅沢も、横着も、しなくていいことばかりをする。人間は、働いて、働いて、働きづくめて、死ぬ生き物に思うよ。

 死ぬことを畏れないで、命をもらって生きていることで、生かされていることに感謝し、誰かのために何かをし、そのできることを更に感謝して幸せと思う。これらは全て、全知全能の神、即ち宇宙です。命の源は、そこから発して、また其処に還るのです。因果報応とも言いますが、神の決めたことに従っていれば、自ずと自然に還れるのだ思えます。

 郵政省が民営化して、一番に思ったことは、不便さを補う仕事を、これからは何処がするのだろう?と。前々からでもあったが、ポストに郵便物を入れるのに、黙って入れて行く。無人ではなく有人でも然り。ほんの数年前の配達人は、誰であろうときちんと挨拶をしていた。『郵便です』これって常識じゃない?挨拶のお手本は、郵便局の人。という常識が壊れていきますね。

 この春に咲いた、クリスマスローズ。現在は、花が枯れて、葉の勢いだけが元気です。枇杷葉の傍に鉢で置いています。夏は木陰で涼しい場所。とありましたので・・・。
コメント
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