6月4日は天安門事件から25年となる。1989年6月4日、北京の天安門で民主化を求める学生たちの抗議活動に対して中国当局は戦車まで出動させ、銃を用いた武力によって鎮圧、大勢の死傷者を出した。
25年を記念して中国民衆の間に天安門の場でかつての民主化への記憶が蘇るのを恐れてなのか、天安門周辺は厳重な警戒態勢を敷くと同時に人権派弁護士らの民主化活動が中国民衆の記憶を刺激することを阻止しようとしてのことなのだろう、彼らの身柄を相次いで拘束しているという。
こういった状況から、中国の人権環境は一向に改善に向かわないばかりか、最近では逆の悪化の方向に向かっていると受け止められている。
どのような著名人が拘束されているか、各マスコミ報道から拾ってみる。
国際的に著名な人権活動家でインターネット等を通じて共産党の一党支配を批判してきた北京在住の胡佳氏(40)が今年2月下旬から当局によって自宅に軟禁されたままとなっている。
政府批判知識人等を司法手続きなしに当局の裁量で長期間拘束し、強制的に労働させる「労働教養制度」の違法性を追及し、その存在を広く知らしめた人権派弁護士の浦志強氏が、今年5月3日、改革派知識人と共に1989年の天安門事件を振り返る内輪の集会に参加した後、騒動挑発罪の容疑で当局に拘束された。
労働教養制度は、その存在が広く知られることになったからなのか、2013年11月に開催された第18期中央委員会第3回総会で廃止が決まったが、表立った他の活動をも拘束材料としているのだろうが、政府に対しての直接的な抗議活動ではなく、内輪の集会への参加を拘束のキッカケとしていることからすると、労働教養制度廃止にも関わらず、中国政府の基本的人権に対する姿勢に変わりはないことになる。
5月8日には中国国営・新華社が共産党政権を一貫して批判し、民主化や言論の自由を訴えていた女性ジャーナリストの高瑜(70歳)氏を拘束していることを報じている。
氏が寄稿していたドイッチェ・ヴェレが4月末に姿を消したと報じて以来、各国のメディアが消息を追っていたという。
国営の新華社通信は彼女が共産党の機密文書のコピーを不法入手し、海外のウェブサイトに提供した国家機密漏洩の容疑で拘束したと発表している。
天安門事件で17歳の息子を亡くした後、 「天安門の母」という会を立ち上げ、他の遺族と共に政府に対して事件の真相究明と関係者の責任追及などを訴えてきた北京在住の元大学教師丁子霖女史(77)が中国当局により江蘇省無錫市で軟禁下に置かれ、海外メディアとの接触の制限と天安門事件25年を迎える6月4日を過ぎるまでの北京の自宅への帰宅禁止を通告したことが5月8日、明らかとなった。
5月14日、北京にある日本経済新聞中国総局勤務の中国人女性スタッフの拘束を中国当局関係者が明らかにした。
中国人女性スタッフは天安門事件の真相究明を求める集会に参加して拘束された人権派弁護士浦志強氏へのインタビューに同席したことがあるという。
香港紙サウスチャイナ・モーニング・ポストの元記者呉薇氏が5月9日頃から連絡が取れなくなった。
米国を拠点とする大手中国語サイト博訊網の記者向南夫氏が5月上旬に北京市公安局に「騒ぎを煽った」容疑で拘束。
5月上旬、学者の徐友漁氏を北京市の公安当局が拘束。
その他、その他、この1カ月余りで少なくとも70人以上が拘束されているという。
こう見てくると、中国当局が多くの主だった政府批判人物を特定・監視し、身柄拘束の手を広範囲に伸ばしている様子を窺うことができる。
日経中国人女性スッタフの拘束に5月30日、アメリカは抗議の声明を発表している。
アメリカ国務省声明「今回の拘束は、中国で続くジャーナリストらを狙った表現の自由に対する弾圧の一環だ」――
5月上旬に拘束された学者の徐友漁は6月5日、釈放された。その理由を天安門事件25年の6月4日を過ぎたからだとしている。
安倍政権閣僚もアメリカに負けじと中国政府の身柄拘束や自宅軟禁、帰宅禁止等を手段とした権姿勢を批判している。5月9日午前の記者会見。
岸田文雄外相「報道の内容が事実であれば、事態を憂慮せざるを得 ない。自由や基本的人権の尊重、法の支配などは国際社会全体における普遍的な価値だ」(MSN産経)――
「報道の内容が事実であれば」と言っていることには二つの意味がある。一つは言葉通り、事実かどうか確認していないという意味になる。事実確認している情報であるなら、「事実であれば」という言葉は使わない。
もう一つは記者に聞かれたから、答えた発言であるということ。聞かれなければ、事実かどうか確認していないことを自分から口にすることはない。
中国当局の民主化活動家に対する身柄拘束やその他の方法による基本的人権の制限や弾圧の情報を事実確認していないということである。
首相官邸HPにアクセスして確認してみた。《岸田外務大臣会見記録》(2014年5月9日 (金曜日)8時25分~)
山崎フジテレビ記者「その中国ですけれ ども,国内的には天安門事件から間もなく25年となるのを前に、人権活動家等の身柄の拘束が今年もまた相次いでいるというような事態がありますけれども,これについての受け止めをまず伺いたい」
岸田外相「まず、中国・6月4日天安門事件を記念する日を巡って様々な動きがあるということは報道等で承知をしております。そして自由とか基本的人権の尊重とか、それから法の支配、こうしたものは国際社会全体における普遍的な価値であると考えています。
ですから、報道の内容が事実であるとすれば、事態を憂慮せざるを得ないこのように考えます」――
「様々な動きがあるということは報道等で承知」しているだけだとしている。当然、事実確認していないために、「自由とか基本的人権の尊重とか、それから法の支配、こうしたものは国際社会全体における普遍的な価値であると考えています」と一般論を述べることしかできないことになる。
アメリカは中国の人権抑圧政策が事実であることを前提としているから、次に批判を持ってくることになる。
岸田外相の場合は事実であることを前提としていないから、「事実であるとすれば」と仮定の上に立って憂慮という懸念しか持ってくることができない。
何よりも問題なのは、安倍内閣は2013年12月4日に国家安全保障会議(日本版NSC)を発足させ、その事務局の「国家安全保障局」まで設けて、外交・安全保障に関する迅速な情報収集・情報分析の盤石な体制を築いているはずだが、中国国内の人権状況、中国政府の人権姿勢の各情報を把握、分析し、どこまでが事実か、どこまでが事実でないか、中国政府の人権姿勢がどの程度か、中国政府に対する日本政府の人権問題に関わる態度はどうあるべきか、日本の安全保障にどのような影響があるのか、纏めた情報として把握していないことになることである。
アメリカや欧州各国は中国の人権問題に関して常時声を上げている。もし中国が民主化したとき、日本が声を上げることをしなかった場合、1990年8月イラクがクウェートに侵攻した湾岸戦争時、日本政府は総計135億ドルのカネを拠出したが、カネだけ出した姿勢が影響してクウェートが戦後に出した感謝決議には日本の名前は載らなかったように信用することのできない国扱いされる懸念が生じる。
安倍晋三の「積極的平和主義」とは人権問題には口を出さないことを基本姿勢としているのかもしれない。
岸田外相の「事実であるとすれば」の仮定を菅官房長官も同じ姿勢としている。6月4日午前の記者会見。
《天安門事件25年 周辺は厳戒態勢》(NHK NEWS WEB/2014年6月4日 12時18分)
菅官房長官「自由、基本的人権の尊重、法の支配は、国際社会において普遍的価値であり、中国においても保障されていくことは極めて重要なことだ。そうしたわが国の考え方は、これまでも様々な機会のなかで中国側に伝えてきており、中国の前向きな動きを期待したい。
(中国の習近平指導部が民主化を求める人々の言論活動に対する弾圧を強めていると指摘されていることについて)事実であれば、自由や基本的人権といった、わが国が求めている、また世界の国々が認めている普遍的価値との関係で憂慮せざるをえない。政府としても引き続き状況をしっかり注視していきたい」――
アメリカが中国の人権抑圧政策を事実であることを前提として批判している態度と違って、菅官房長官にしても岸田外相共々に事実であることを前提としていないために、同じく岸田外相共々に一般論を用いて憂慮という懸念しか示すことができない
菅官房長官は「自由、基本的人権の尊重、法の支配」等の普遍的価値の尊重・保障を「様々な機会のなかで中国側に伝えてきて」いると言っているが、中国の権状況を事実としていない限り、できないことであるばかりか、安倍晋三や主要閣僚が中国に向かって直接批判したり、懸念を伝えたりしたことは聞いたことも見たこともない。
例えば中国政府に対する民主化要求活動で何度も投獄され、2010年2月に「国家政権転覆扇動罪」で懲役11年及び政治的権利剥奪2年の判決が下され、2010年10月8日にノーベル平和賞受賞、現在も服役中の劉暁波氏の釈放について安倍晋三はその要求を中国に対して口にしていない。
ノーベル平和賞を受賞したことによって劉暁波氏が中国の人権弾圧の象徴的人物となり、それゆえにその扱いが中国の人権姿勢を占う尺度となるにも関わらずである。
2013年2月1日の参議院本会議での代表質問に対する答弁。
安倍晋三「中国の民主化活動家を巡る人権状況や国際社会に於ける普遍的価値である人権及び基本的自由が中国に於いても保障されることが重要であります。
劉暁波氏についても、そうした人権及び基本的自由は認められるべきであり、釈放されることは望ましいと、考えられます」(NHK NEWS WEB)――
一般論と同時に希望を述べたに過ぎない。
2010年11月11日、ソウル開催の20カ国・地域(G20)首脳会議(サミット)に先立ってソウルで行われた米中首脳会談でオバマ大統領は当時の胡錦涛中国国家主席に対して、「政治的な活動のために投獄された人々の釈放を望む」(時事ドットコム)と発言している。
オバマ大統領が劉暁波氏の名前を出したかどうか分からないとしているが、ノルウェーのオスロ市庁舎でノーベル平和賞受賞式が行われる、ノーベルの命日の12月10日を控えての発言であり、劉暁波氏が中国の人権弾圧の象徴的人物となっていて、中国がその受賞に反対していたことから、名前を出さなくても、劉暁波氏を主として指していたことは間違いない。
2014年3月10日から北京を訪れていたオバマ大統領のミシェル夫人は3月22日に北京大学で講演している。
ミシェル夫人「国家は、市民が自由に声を上げ意見を述べることができるとき、より強力になり繁栄する。表現の自由と信仰の自由、そして情報への自由なアクセスは、すべての人類の権利だ」(NHK NEWS WEB)――
米欧の中国に対する人権問題に関する態度と日本の態度を比較しなくても、中国の権状況を一般論としてしか扱うことができない態度、さらに「事実であれば」と、確認情報としていない態度から見ても、菅官房長官が言っている「様々な機会のなかで中国側に伝えてきて」いるは無関心ではないところを見せる単なる形式的態度に過ぎないだろう。
また、「自由、基本的人権の尊重、法の支配」といった普遍的価値は「中国においても保障されていくことは極めて重要なことだ」と言っていることは、中国に於いて普遍的価値の保障が成されていないと認識していることになる。
だが、そのような認識に反して、「事実であれば」と、具体的に事実確認していない状況に放置している。
外交・安全保障に関する迅速な情報収集・情報分析の目玉機関としている国家安全保障会議にしても、国家安全保障局にしても十分に機能させているのだろうか。
もし中国の人権状況を逐一把握していながら、「事実であれば」としているとしたら、「自由、基本的人権の尊重、法の支配は、国際社会において普遍的価値であり、中国においても保障されていくことは極めて重要なことだ」と立派なことを言いながら、人権問題に対して、中国に対して強い態度を取ることができないことを示していることになる。