山口組が餅つき大会で子どもにお年玉――日本の未来は明るい

2009-12-31 09:12:45 | Weblog

 最初にお断り

 正月3ガ日はブログを休みます。3ガ日をのんびりと過ごすためではなく、痩せ馬の無茶走りからくるスタミナ切れで、多分疲労回復に3日間は必要と思われるからです。悪しからず。

 次にイギリス人女性歌手スーザン・ボイルについて。今年4月放送の歌唱力を競うイギリスのオーディション番組で優勝は逃し、2位に終わったものの、48歳という年齢、洗練されているとはとても言えない、そのオバチャンふうの冴えない外見とは裏腹の張りのある堂々とした美しい声でミュージカル「レ・ミゼラブル」の劇中歌、「夢破れて」(I Dreamed A Dream)を歌い上げて会場を騒然とさせ、一躍有名となって、その動画が「YouTube」に投稿されると、全世界から3億回以上のアクセスがあったという女性。

 私も「YouTube」にアクセス、その動画から歌を聴いて、鳥肌立つ思いにさせるそのうまさに驚いた一人だが、動画をダウンロード、暫く聞いていたが、そのうち忘れていたら、何日か前にプロの歌手になっていたということ、NHKの紅白歌合戦に招待されてゲストとして歌うということ、11月下旬発売のデビューアルバム「夢やぶれて」が一カ月経つか経たないうちに世界で800万枚も売り上げているということを知った。

 12月28日が私の69歳の誕生日、誕生日プレゼントをしてくれる者は誰一人いないから、自分で自分の誕生日プレゼントにと思い立ち、12月26日に近くに「ツタヤ」があるものだから、早速CDを購入。貧乏人の身からしたら清水の舞台から飛び降りる覚悟がいる2800円の出費。

 昼間もかけていたが、26日から27日にかけての夜の間、27日から28日にかけての夜の間、誕生日プレゼントだから寝ている間中もラジカセでかけっ放しで聴いた。その音に邪魔されて時折夜中に目が覚めたが、肥満気味で二重顎、オバチャンと言っていい感じで歳を取っている外見イメージとは裏腹の43歳とはとても思えない、二十代半ばの女性のものかと聴き間違える若々しい張りのある艶やかで澄んだ声とのギャップにうとうとしながらもふと違和感を覚え、戸惑うことがしばしばあった。

 この歌手は教会で歌っていたというから、ゴスペルは勿論、ジャズでもシャンソンでもカンツォーネでも、ブルースでも、どんな歌もオールマイティに歌いこなすことができる才能の持ち主ではないのだろうかと感じさせたばかりか、女プレスリーといった感じさえ抱かせた。

 「007 ジェームズ・ボンド」の新作の主題歌の歌手のオファーがきているというニュースもあったが、サスペンス映画の大作にふさわしい迫力ある力強さで朗々と歌いこなすのではないだろうか。きっとNHKの紅白の会場を沸かせて、新しいファンを獲得するように思える。

 紅白歌合戦は何十年と観ていないが、9時のニュース後に歌うようだから、そのときだけチャンネルを回そうかと思っている。ビデオに撮らなくても、誰かが「YouTube」に投稿するのを期待して、NHKが著作権違反で削除を申し込む以前にアクセス、ダウンロードするつもりでいる。

 この1年、私自身に関してはたいしたニュース(出来事)がなかったが、1年の終わりに来てスーザン・ボイルのCDを自前の誕生日プレゼントとし、その歌を堪能できるニュース(出来事)に出会うことができた。
 



 《山口組、餅つき大会の子に「お年玉」 警察「懐柔策だ」》asahi.com/2009年12月29日21:32)

 指定暴力団山口組が28日に開いた神戸市灘区の総本部餅つき大会で、訪れた子供たちに「お年玉」として現金1万~3万円を配ったという。

 「神戸新聞」WEB記事――《山口組が市民数百人に「年玉」 組長ら名義3万円》(2009年12月29日(火)11:09)は参加者は組員だけではなく、一般市民も混じっていたと書いている。

 お年玉袋には篠田建市(通称・司忍)6代目組長(67)=銃刀法違反罪で服役中=とナンバー2の高山清司若頭(62)の名前が、お年玉を受け取る子どもに読めるようにだろう、日本の役人にはない細やかな気配りでひらがなで書いてあったという。

 「asahi.com」記事は県警の話として、餅つきは05年に6代目組長が就任して以降の恒例行事で、餅つきを見物に来た約千人のうち、数百人いた子供の一部に菓子と一緒に配られたと伝え、捜査関係者のコメントを次のように紹介している。

  「不況の中で子供に現金を配布することで、山口組の存在を住民に認知させようと狙う懐柔策だ」

 「神戸新聞」の捜査員のコメントは次のようになっている。

 「全国の構成員から集めたお金をばらまき、市民社会への浸透を図っている。近隣住民の不安をかき消すための“偽装工作”だ」

 子どもがカネを貰えば、その子どもだけではなく、大人も批判できなくなる。お年玉の額が少なければ、ケチ臭いと悪口も言えるが、「1万~3万円」となれば、文句を言わせない十分な額と言える。

 逆に貰った側に有難いという気持を持たせることができたら、カネの出所を問わずに感謝の気持を持つ、そのことに何ら抵抗を感じない姿勢を植えつけることができたことになる。そのことに慣れると、抵抗を感じないどころか、当たり前とする姿勢になっていく。

 子どもならいざ知らず、一般市民の大人でありながら、餅つき大会だからといって主催者が暴力団であるか否かを問わずに参加したこと自体が既に通常の倫理観を麻痺させた行為と言わざるを得ない。もし子供連れということなら、大人の金銭感覚の麻痺、倫理観の麻痺を見習わせる同伴となったとしても不思議はない。

 中にはお年玉を貰ったことを後々まで記念として記憶する子どもも出てくるかもしれない。「スゲエーだろう、山口組から貰ったんだぜ」と後生大事に取っておいたお年玉袋を友達に見せびらかすまでになれば、貰ったことを単なる記念から自らの勲章とする、あるいはステータスとする出来事へと格上げしたことを物語る。

 こういった経緯は子どもの中で山口組を凄い存在、立派な存在と価値づけさせることによって可能となる自慢行為となっていることを証明している。

 このことは単に「山口組の存在を住民に認知させ」るというよりも、子どもたちに山口組を有難い存在と「認知させ」、併せてカネの出所を問わない金銭感覚の麻痺、倫理観の麻痺を誘う道とになるに違いない。

 「神戸新聞」が書いてるように「近隣住民の不安をかき消すための“偽装工作”だ」どころか、本人たちは意識していなくても、新たな組員の無限増殖に向けたクローンづくりが目的の“偽装工作”ともなり得る。

 カネにモノを言わせ、カネで言うことを聞く人間、カネで動く人間を育成していく端緒を成し、行く行くは組員へと仕込んでいく。

 餅つき大会を通してこのことが結果的に成功したなら、神戸市灘区は企業城下町と同じ構造の山口組城下町とならないとも限らない。あるいは多少なりとも既になっているのだろうか。

 「神戸新聞」は、〈中には「お年玉がもらえると聞いて来た」と話す中学生グループもいた。〉と書いているから、来年もお年玉を狙って来ることになれば、カネの出所を問わない金銭感覚の麻痺、倫理観の麻痺を相互作用的に確実にインプットさせていくことになるに違いない。

 大体が大人からして、そのカネが税金だろうと国家予算だろうと、会社の資金だろうと、その出所を問わずに私的に流用したり、私腹の原資にしたり、カネのためには何でもする生きものとして存在しているのだから、子どもが山口組を通してカネの出所を問わない金銭感覚を学んで大人の跡を追い、同じ大人になっていったとしても、決して間違った道を歩んでいるとは言えない。

 逆に大人に従い、大人を見習う子供と言うことで日本の未来は明るいと言える。

 去年の暮れと同様に今年も暮れが近づいてからニュースにたびたび取り上げられるようになった年越し派遣村のやるせない印象からしたら、餅つき大会の大盤振舞いのお年玉は、少なくとも子どもから見たら何と明るい話題だろうか。

 山口組は子どもにだけではなく、住む家もない、仕事もない、路上でしか年を越せないホームレスにも「1万~3万円」と言わず、「5万~10万」と配ったなら、義賊だ、正義の味方の暴力団だと評判が上がって社会に明るい話題を提供するだろうし、ホームレスの中には感激して就職するなら山口組だと心に決めて組に入る若者が続出するのではないだろうか。

 こういった場面を想像するだけで、日本の未来は益々明るく見えてくる。 

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普天間移設年内決着先送り、5月決着は社民党外しの策略?

2009-12-30 09:55:21 | Weblog

 社民党の福島瑞穂党首は沖縄の米軍普天間基地の移設先にグアムか硫黄島を挙げて譲らない。民主党の鳩山首相も当初は「沖縄県民の気持を考えると」の理由で県外か国外移設を主張していたが、具体的地名を挙げることなく、一度は決めていた年内決着を先送り、越年決着へと持ち越した。

 そしてここへきて鳩山首相は、「グアムにはもう8000人の海兵隊が移ることが決まっている。家族を含めるともっと多くなる。それ以上は難しいのではないか。特に抑止力の観点からグアムに普天間をすべて移設させるということは無理があるんじゃないか」と言い出して、社民党が国外移転の最有力候補地として掲げているグアム移転に否定的な考えを示した。

 勿論、このグアム否定発言に社民党は反撥した。例え衆院7人、参院5人の弱小政党とはいえ、民主党にとって参議院で法案成立に必要な過半数の議席を擁するためには虎の子の参院5議席であることを承知していることを十分に弁えた反撥なのは言うまでもない。民主党が虎の子の5議席としているということは裏を返すと民主党にとっての弱点であり、社民党にとっては強みの5議席となる。

 先ず社民党の重野安正幹事長が「首相は本当に沖縄県民の思いを受け止めているのか。こういう発言をするとは、感覚を疑う」(毎日jp)と、衆参併せて417議席の大政党の首相を向こうに回して「感覚を疑う」とまで言って、マスコミ風に言うと、不快感を示した。

 あからさまに不快感を示すことができるのは民主党の衆参両院合わせた417議席に対して同じく社民党12議席が堂々と渡り合うことができる状況にあることを自覚しているからに他ならない。民主党にとっては虎の子の参院社民5議席だと。

 弱い者が桁違いに強い者に対等に渡り合うには強い者の弱点――ウイークポイントを握れが絶対条件となる。今の社民党はしっかりと握っている。亭主の稼ぎをしっかりと握っている女房のように。

 社民党幹事長が強気なら、社民党党首の福島瑞穂はなおさらに強気である。12月初めに鳩山内閣が2006年の日米合意通りに名護市辺野古に移設することを決めれば、社民党として連立政権からの離脱も辞さないという意向を突きつけ、鳩山首相も唱えていた県外、もしくは国外移設へと、その流れを制約づける強気を既に示している。

 勿論社民党に連立離脱されたら困るのは民主党だと足許も見透かした威しなのは断るまでもない。

 鳩山由首相が米領グアムは困難との認識を示したことについて――

 「社民党はグアムが極めて有力だと考えているので、可能性を最大限追求する」(asahi.com

 一歩も引かないぞと、鳩山発言を真っ向から否定する強気を示したのである。そして首相が5月までに移設先を決めるとしている姿勢に対して――

 「大事なのは期限でなく解決策だ」(同asahi.com

 例え期限が来ても、グアムという解決策以外は妥協しないという強気。

 また鳩山首相が、「ベストな国のあり方のための憲法をつくりたい。必ずしも9条ということではなく、地方と国との関係を大逆転させたいなという気持ちがある。・・・・憲法順守規定がある首相が声高に主張すると、なかなかうまくいかない。安倍(晋三・元)首相が大上段から憲法改正を唱えた瞬間に、議論がストップした。党のなかでしっかり議論を頂きたい。しっかりとした指導力を発揮して、そこでまとめる」(asahi.com)と、「必ずしも9条ということではなく」という言葉遣いで改正の対象は「9条」だけではない、その他「地方と国との関係」も含めて改正したいと「9条」を含めた改正意思を示したことに対して、福島瑞穂は「連立3党合意は改正ではなく、憲法の理念の実現を目指すということだ」(asahi.com)と「9条」改正に反対、逆に憲法が〈第9条 戦争放棄、軍備及び交戦権否認

 (1)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇叉は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 (2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。〉としている理念のどこまで含めているのか、その実現の達成を堂々と求める強気の姿勢を示している。

 そして小沢民主党幹事長が「あの青い、美しい海を埋め立ててよいのか」(asahi.com)と辺野古移設現行案に否定的態度を示すと、福島瑞穂は我が意を得たとばかりに、「小沢氏が『あの青い海を埋め立てるのはいかがか』と言ったことに私は非常に勇気づけられたし、意を強くした。地元の人が納得しない結論は、実現が不可能であり、アメリカ側を説得していくことが必要だ。・・・・小沢氏のほかにも、民主党の議員の中には、名護に海上基地をつくるべきではないという声は多い」(NHK)とここでもグアム移転以外に一歩も譲らない強気の姿勢を見せている。

 衆参社民党12議席の前に衆参民主党417議席が形無しといった勢力図となっている。

 そして鳩山首相は28日訪問先のインドで、「5月というタイミングをあえて設けた。設けなければ当然、米国などにも理解して頂ける話ではない。・・・・与党合意をするときには、当然、日米で議論していかなければならない。私は米国の意向を無視した与党の合意などはあり得ないと理解している」(asahi.com)と、いわば「米国の意向」は無視できないという文脈で米国の意向を優先順位とした与党合意だと、その範囲内に制約を設ける発言を行っている。

 この制約は同時に社民党のグアム、もしくは硫黄島への移転という主張に対する制約でもあろう。米国は現行案を最良だという姿勢を取っているのだから。

 この鳩山発言に対して調べた範囲では社民党は何ら反論していない。「与党合意」という言葉に目を奪われて、「米国の意向」以上に無視できない12議席の上に成り立つ「与党合意」と見てかかっているのかもしれない。

 ここへきて昨29日夜、東京都内で開催した与党3党の幹事長・国対委員長の忘年会で小沢民主党幹事長が移設先に「下地島に使っていない空港がある」と、沖縄県宮古島市下地島を候補地に挙げたと「毎日jp」記事――《普天間移設:小沢幹事長「下地島」提起》(2009年12月30日 2時30分)が伝えている。

 出席者は民主党から小沢幹事長、山岡賢次国対委員長、社民党から重野氏と辻元清美副国土交通相、国民新党から自見庄三郎幹事長と下地幹郎政調会長。

 小沢幹事長が〈「あなたのところ(社民党)は、沖縄県だったら全部駄目なのか」と質問。重野氏が米グアム移設案を重ねて主張したところ、小沢氏が下地島案に言及したという。〉――

 〈下地島は沖縄本島と台湾のほぼ中間にある。3000メートルの滑走路を持つ下地島空港(79年7月開港)があるが、現在定期便はなく、航空会社がパイロットの離着陸訓練などに利用してきた。普天間飛行場の移設先として浮上したこともあり、北沢俊美防衛相は10月、井上源三地方協力局長を派遣し、沖縄県の伊江島などとともに視察させていた。〉――

 小沢幹事長は〈席上、来夏の参院選後も3党連立体制を続ける意向を示したという。〉が、民主党が過半数を取れば、社民党や国民新党の連立からの離脱カードは現在のように有効ではなくなる。

 鳩山首相の社民党のグアム、もしくは硫黄島への移転という主張に制約を課す「米国の意向」を優先順位としたその範囲内の「与党合意」にしても参院選での過半数獲得が絶対条件となる。

 いわば、民主党にとって誰の目にも明らかであるようにすべてが参院選挙の結果にかかっている。普天埋設問題だけではなく、「必ずしも9条ということ」に限定しない憲法改正問題でも、民主党の政策を推し進めるに社民党は障害物であり、それを取り除く唯一の絶対条件が参院選での単独過半数獲得ということになる。

 参院選挙は来年の7月に行われる。7月が社民党という障害物を取り除くことができるかどうかの最終決着期限だということであろう。

 この障害物除去の最終決着期限の7月から遡って、普天間年内決着先送り、年を越して7月の参院選まで2カ月を残した5月に移設先決着期限を持ってきたことは、社民党の国外移転に反して「米国の意向」を優先順位としたその範囲内の「与党合意」によって、例え社民党が連立を離脱しても、参議院で鳩山内閣提出の法案が否決されても許容できる2カ月ということではないだろうか。

 参院選で過半数を獲得できさえすれば、否決された法案は再提出することで参議院可決へと持っていける。

 こういった見方をすると普天間移設年内決着先送り、5月決着は社民党外しの策略から始まったスケジュールに思えてくる。どうだろうか。

 勿論、参議院選挙が近づいた時点での政治情勢や世論の動向次第で、「米国の意向」優先も変更を余儀なくされない保証はない。


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亀井静香の天皇「お住まい」発言のトンチンカン

2009-12-29 08:59:42 | Weblog

  《亀井金融・郵政担当相:お住まい、京都か広島に 内容暴露「天皇陛下に申し上げた」》毎日jp/2009年12月28日)

 国民新党代表の亀井静香金融・郵政担当相が12月27日放送のテレビ朝日の番組で天皇との会食の際の発言を披露。

 「権力の象徴だった江戸城に今もお住まいになるのは、お立場上ふさわしくないのではないか。京都か、(亀井氏の地元の)広島に(お住まいになれば)」

 記事はこの発言は12月24日、皇居で天皇と鳩山首相及び閣僚らによる宮中昼食会が行われた場で行われたと見られるとしている。12月24日はクリスマス・イブ。だからと言って、七面鳥の丸焼きが食卓に上ったということはあるまい。いくら亀井静香が七面鳥の丸焼きにかぶりつく姿が絵になるからと言って。

 亀井静香はテレビ出演後に記者団に対して陛下が直接の返答を避け、「京都が好きです」と答えられたことも明かしたという。また自身の発言の意図を次のように説明したという。

 「明治期に幕府の権力の象徴の跡に入られたことが、その後の歴史で、政治利用みたいな形になってしまった」――

 つまり現在も「政治利用みたいな形になってしまっ」ているから、その原因をつくった「幕府の権力の象徴の跡」である現在の皇居から移られた方がいい、移るとしたら、京都か広島がふさわしいのではないのかと進言したことになる。

 政治利用から一切合財無縁の場所に天皇が存在していると把えていながらの亀井の発言だとしたら、無用の進言となる。

 天皇の政治利用という問題は最近では鳩山内閣の方から天皇の会見“一カ月ルール”を無視させて習近平国家副主席と天皇を会見させたことによって持ち上がったことだから、そのことに関連付けてその延長線上で把えた「政治利用みたいな形になってしまった」とする懸念でなければ矛盾が生じる。

 いわば、テレビ番組では天皇と習近平国家副主席との会見は天皇の政治利用には当たらないと断言していながら、実際には少なくとも「政治利用みたいな形になってしまった」と把えていたことになる。

 24日の会食では天皇の政治利用の懸念を抱えながら、27日の朝日テレビ「サンデープロジェクト」では政治利用ではないと断言する。

 と言うことは、古い政治家・亀井静香の天皇と習近平国家副主席との会見は天皇の政治利用には当たらないのテレビ発言は鳩山内閣の一員であることからの身贔屓から出た擁護発言で、野党の立場にいたなら、「天皇の政治利用に決まっている」と徹底攻撃に変じた可能性が生じる。

 立場に応じて態度を変える。亀井静香も利害の生きもの、人間であることの証明でもあるが、政治家の中でも利害に敏(さと)い点でランクの最上位につけることができる政治家ではないだろうか。

 尤もそのことが亀井静香の勲章ともなっている。

 上記「毎日jp」記事は〈閣僚が天皇陛下との会話の内容を明らかにするのは極めて異例。〉だと伝えた上で、〈内奏の場合、内容が外に漏れることは天皇の政治利用につながるとの指摘があり口外しないことが原則になっている。1973年に増原恵吉防衛庁長官(当時)が昭和天皇のお言葉を引き合いに、政府の防衛力増強を合理化するような発言をし、閣僚辞任に追い込まれた例がある。〉と紹介し、ノンフィクション作家の保阪正康氏の意見を伝えている。

 保阪正康「(閣僚が所管事項を天皇陛下に報告する)内奏ではないが、現職閣僚が陛下との会話を明らかにすることに軽率さがある。陛下には反論権がなく、我々も判断する根拠がない。・・・・現政権は皇室問題についての基本的な考え方を説明すべきだ」――

 例え天皇に「反論権」がなくても、内奏であるなしに関わらず、閣僚の天皇に対する発言で国民の知らないことが存在するのは情報公開の民主主義に反する事柄ではないだろうか。政治利用に触れる危険性があるということなら、内奏だけではなく、閣僚との接触自体もやめればいい。

 天皇からしたら、政治問題に関して国民と同様に新聞・テレビで知れば片付く問題であろう。

 「毎日jp」記事が伝えている1973年の増原恵吉防衛庁長官問題を「Wikipedia」で見てみた。

 〈増原内奏問題

 1973年5月26日、増原惠吉防衛庁長官は昭和天皇に「当面の防衛問題」について内奏した時、昭和天皇は「近隣諸国に比べ自衛力がそんなに大きいとは思えない。国会でなぜ問題になっているのか」と述べた。

 増原は「おおせの通りです。わが国は専守防衛で野党に批判されるようなものではありません」と述べると昭和天皇は「防衛問題は難しいだろうが、国の守りは大事なので、旧軍の悪いことは真似せず、良いところは取り入れてしっかりやってほしい」と述べた。

 増原はこの内奏を新聞記者に昭和天皇の言葉を紹介した上で「防衛関連法案の審議を前に勇気づけられた」と話した。しかし、現役閣僚が天皇の政治的言葉を紹介したことが5月28日に新聞記事に載り、「天皇の政治利用である」との批判を受けて政治問題化した。

 問題が皇室に及ぶことを回避するため、5月29日に増原は防衛庁長官を辞任した。〉――

 増原防衛庁長官の「政治利用」云々を言う前に天皇の「防衛問題は難しいだろうが、国の守りは大事なので、旧軍の悪いことは真似せず、良いところは取り入れてしっかりやってほしい」という日本の防衛問題そのものに関わった発言自体が「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と規定している日本国憲法に違反する、天皇自らが政治利用を侵す発言行為となっている。

 もし政治利用が政治家側から天皇に働きかける事柄で終わらずに、天皇の側から政治家に働きかける相互性を備えているとしたら、亀井静香が言っていた「明治期に幕府の権力の象徴の跡に入られたことが、その後の歴史で、政治利用みたいな形になってしまった」は客観性を欠いた滑稽な発言と化す。

 明治天皇は明治元年(1986年9月8日)の前年の1867年1月30日に即位している。15歳である。父親の孝明天皇は36歳で突然死を迎えている。公武合体派の攘夷論者で明治の時代を担った薩長土肥と一部公家の王政復古派及び開国派には邪魔となる煙たい存在であったことから、若過ぎるその突然の死を暗殺だとする噂が流れたという。

 少なくとも明治天皇15歳即位は孝明天皇の公武合体・攘夷の政治を王政復古・開国の政治へと方向転換させるに役立った転換点と言える。
 
 さらに言うなら、即位15歳の明治天皇が徳川幕府崩壊、王政復古、鎖国に幕を降して端緒についた開国から本格的な開国へと向かった激動の時代を薩長土肥・一部公家の上に立ってよりよくリードし得ただろうか。単に幕府打倒の大義名分、王政復古正当化の象徴として祭り上げられ、利用されたことは想像に難くない。維新政府が政治体制の根幹とした15歳の天皇が行う天皇親政は自分たちが望む政治を何ら障害なく遂行するにこの上なく好都合な存在であったに違い。

 この、言ってみれば天皇の名の元に政治を行う天皇の政治利用体制が敗戦まで続いた。決して「明治期に幕府の権力の象徴の跡に入られたことが、その後の歴史で、政治利用みたいな形になってしまった」わけではない。

 「明治期に幕府の権力の象徴の跡に入」る前の15歳明治天皇即位のそもそもの出発点からして、政治利用そのものの存在形式を取っていたのである。

 このことは天皇が住いとする場所が政治利用の媒体となるのではなく、天皇を取り巻く人間たちの天皇の操作が政治利用が生むことを示している。

 にも関わらず、亀井静香は住いとする場所が問題だとするトンチンカンを示している。さすが日本の頭の古い政治家だけのことはあるが、新しい住いを京都と推薦するのは理解できないことはないが、なぜ自分の選挙区である広島を推薦したのか、自身の政治人生の勲章としたい意図以外に理解できない。

 天安門事件から3年後の1992年の平成天皇の訪中を中国の天皇の政治利用だとする説があるが、その訪中は欧米の対中経済制裁のさ中の極めて政治的な状況下にあった中での宮沢内閣の助言と承認の元行われ、欧米の対中経済制裁を解除するキッカケとなったということなら、中国側の天皇の政治利用に応じた宮沢内閣による天皇の政治利用に当たると言えないだろうか。

 ブログ《貼る・ノート2》が中国の天皇政治利用をテーマとした「SAPIO」( 2007/6/13号)《史上最大の対日工作「天皇訪中」に秘められた中国の野望》を紹介している。参考までに。

 

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日本海軍 400時間の証言/ 第二回 特攻 やましき沈黙(1)

2009-12-28 10:13:13 | Weblog

 以前書いてそのまま放置し、忘れていた記事です。参考までにブログ記事に加えることにしました。

 途中途中で( )付き青文字で気づいたことを記した。

●印は殆んど解説の言葉を簡略化したものとインポーズの文字を書き写したものとの混交です。

 最初に総合的な感想を記しておくと、元海軍将校たちは“やましき沈黙”は海軍という組織に特有な行動慣習であるが如くに扱っているが、これは日本人が権威主義を行動様式としていることから起きている日本人全体の問題だということ。

 確かに戦後アメリカから民主主義の思想と個人の権利の思想が移入されて日本人の権威主義性は弱まっているが、それでも組織の中で力を得た者や地位の上の者を、あるいは組織そのものを比較絶対者として下の者をして“やましき沈黙”を自らに課す悪しき権威主義性は依然として残っている。

 例えば妻が出産した。夫が育児休業を取って妻と共に育児を体験したいと思っても、社員の権利として認められていながら、本来の仕事から離れて育児などしていていいのだろうか、長期休暇で会社の評価が下がりはしないだろうかなどと恐れて声を上げることができず我慢してしまうのも自己を下に置く、いわば会社や上司に対して自己を対等に置くことができない権威主義性が強いる“やましき沈黙”であろう。

 個人の権利は相互の関係を対等に置くことによってよりよく発揮可能となる。上下の力関係で人間関係を律する権威主義は個人の権利主張の阻害要因として立ちはだかる。

 08年度の雇用均等基本調査によると、育児休業の取得率は女性が前年度より0.9ポイント上昇して90.6%と初めて9割を超えた一方で、男性は前年度より0.33ポイント低下して1.23%と低い水準にとどまっていると「asahi.com」記事)2009年8月18日23時5分)が伝えている。
 
 〈育休取得率は、前年度の出産者(男性は妻が出産した人)のうち調査時までに育休を始めた人の割合。男性は05年度の0.50%よりは上昇したものの、政府が目標とする10%には遠く及ばない。取得期間も女性は10カ月以上が52%を占めるのに対し、男性は54%が1カ月未満と短い。〉――

 当然の権利を発揮できないこの状況は権利主張の阻害要因として立ちはだかっている権威主義性にとらわれているからに他ならない。 


 日本海軍 400時間の証言/ 第二回 特攻 やましき沈黙(総合テレビ/2009年8月10日(月) 午後10時00分~10時59分)

●特攻隊員死亡者――陸海会わせて千人以上。

●特攻作戦推進部署――軍令部、海軍のすべての作戦構想が練られていた部署。

大本営――陸海軍合同の戦争指揮機関、その中核が軍令部。
        特攻にどう関与したのか、その全容を示す資料は殆ど残されていない。

●「海軍反省会」の録音テープ。
 戦後、元海軍将校が400時間に亘って議論していた。

軍令部は神風特攻隊よりも前から組織的に特攻兵器の装備を始めていた。

●軍令部はどのような特攻作戦を進めていたのか。戦後沈黙を続けてきた日本海軍幹部たち当事者の告発。

●フィリッピン・マニラの北の街スバラカット、日本から遠く離れたこの地から最初の特攻神風特別攻撃隊が出撃。
 特攻は生きたまま体当たり攻撃していく作戦。その死が想像を絶するものであるがゆえに隊員たちの姿は広く伝えられてきた。特攻隊の慰霊碑の碑文にはb>隊員たちが自ら志願したことを示す「Volunteer」(ボランティア)の文字が刻まれ、当時の姿を今に伝えている。

●しかし隊員たちに比べて特攻を命じた側のことはあまり知られていない。特攻は死ぬことでしか目的を達成できない作戦。誰が、なぜ、何のためにこの作戦を行ったのか。

●昭和56年(1981)2月13日。東京原宿。水交会(海軍OB)――海軍元将 
 校たちが集まり、海軍反省会を開催。メンバーの年齢は70代~80代。
戦争の真実を語り、残しておくことが目的。

●反省会が始まって21年。この日初めて特攻に関する議論が行われた。口火を切ったのは特攻を現場で担当した鳥巣健之助元中佐。中央の軍令部は特攻を早くから計画していたが、関与を認めてこなかったと批判。

 鳥巣「中澤さん(軍令部一部長)が中央で特攻を指令したことはないと言うんですよ。私はね、冗談じゃないよと。それは間違いだと。中澤さんはですね、まことにその点はけしからんと私は思いますよ」

 三代一就(みよ・かずなり)元大佐(元航空作戦担当者――昭和14年~17年軍令部)「僕の知っている範囲に於いてはね、特攻隊のオー・・・」

 「大西さん」

 三代「ね、大西さんがね、赴任する前に軍令部に来たんですよ。軍令部の方には総長と次長と部長、これらがおられたわけです。そして、その場で以って、『もう日本海軍の航空兵力の連中の実力が到底、それは敵を攻撃するなんてできないから、じゃあ体当たりでも手がないんでしょう』と。みんな黙っちゃったと」

●最初の特攻は大西中将が発案し、軍令部は認めただけだと、三代元大佐は語った。

 (提案を認めたとは提案にある計画の成算を検討した上で成功の見込みありと承認した場合であっても、上の言うことだからと無条件な従属性で単に黙認しただけであっても、最終責任は承認側にもある。)

 鳥巣健之助「いや、それはね、あくまでもね、あの飛行機(神風特攻機)だけの話だけであってねですね、もうその前にですね、神風特攻よりもずっと前にですね、回天(水中特攻機)をね、採用しているわけです。実際の――」

 「中央で」
 
 鳥巣「実際の計画はもう中澤さん(軍令一部長)おられるときにやってるわけですから、それを俺は中央では指令をした覚えはないなんてことをね、言われること自体おかしいとことですよ」

  (否定自体が特攻を間違っていたと中澤が認識しているからであって、正しい作戦だったと信じていたなら、隠すどころか胸を張るだろう。)

 「時期が違うんじゃないかと――」

 鳥巣「違いませんよ」
 
 「今のね、今の問題、ね。あの、みなさん、一寸待ってください」

●     
     |―軍令部(作戦立案)――第一部・第二部・第三部・第四部
     |
 天皇― |
     |             
     |―政 府――海軍省(予算・人事)

 軍令部は予算・人事を掌る海軍省に対して作戦を立案、天皇が持つ軍隊を指揮する権利・統帥権を補佐する機関。

●鳥巣元中佐が名前を挙げた中沢佑(たすく)元中将は軍令部一部の部長をしていた。この反省会の3年前に死亡。軍令部が作戦命令を伝えるが、連合艦隊、その指揮下にあった第三艦隊で鳥巣元大佐は特攻作戦を実行していた。鳥巣元大佐が担当していたのは人間魚雷・回天作戦。

●回天基地のあった瀬戸内海大津島。ここで鳥巣元中佐は軍令部の指示に従って隊員を送り出していた。亡くなった隊員について次のように記していた。

 鳥巣元中佐・記「戦後神風特別攻撃隊のことは知らない人は殆んどいないようであったが、同じ特攻隊でも回天特別攻撃隊のことを知っている人は極めて少なかった。戦死した1万人以上の潜水艦乗員や回天搭乗員に対しても、またその遺族の方々に対しても、相済まぬことだと思っていた」――

 鳥巣「確かに特攻に準じた若者たちの行為は如何なる賛美も惜しむものではない。だからと言ってですね、特攻作戦を賛美することはできない。そこには深刻な反省と懺悔がなければならない」

●鳥巣元中佐の発言を受けて、重要証言があった。特攻作戦が始まったとき、軍令部にいた土肥一夫元中佐(昭和19年~20年軍令部)

 土肥「この今のお話の、大西さんとの話じゃなくて、その遥か前にですね、回天も桜花も、マル四艇もみんな、海軍省で建造はじめているんですよ。そうするとね、その特攻をね、(軍令部)一部長ともあろう者がね、知らないというのはおかしいとこう言うちょるとです、鳥巣さん」

 鳥巣「そうなんですよ」

●土肥元中佐が語った特攻兵器、魚雷を改造した回天、小型戦闘機の先端に爆弾を取り付けた桜花、ボートに爆薬を積んで体当たりする震洋(マル四艇)、なぜ軍令部は特攻兵器の開発に踏み切ったのか。

●昭和18年、日本は太平洋の拠点を次々と失い、9月には絶対国防圏と名づけて死守すべき前線と定める。

 以下「Wikipedia」参照 
 絶対国防圏とは、第二次世界大戦において、守勢に立たされた大日本帝国が本土防衛上確保及び戦争継続のために必要不可欠である領土・地点を定め、防衛を命じた地点・地域である。

 概要
1943年(昭和18年)9月30日の御前会議で決定された「今後採ルヘキ戦争指導ノ大綱」に「帝国戦争遂行上太平洋及印度洋方面ニ於テ絶対確保スヘキ要域ヲ千島、小笠原、内南洋(中西部)及西部「ニューギニア」「スンダ」「ビルマ」ヲ含ム圏域トス」と定められたものがこれで、東部(マーシャル群島)を除く内南洋すなわちマリアナ諸島、カロリン諸島、ゲールビング湾(現在のチェンドラワシ湾)以西のニューギニア以西を範囲とする。

第二次世界大戦時の日本において、太平洋を主戦場とする海軍と中国大陸と東南アジアを主戦場とする陸軍ではその攻撃・防御は分かれていたが、絶対国防圏と設定した地域は陸軍が設定したものに近いものであった。シーレーン防衛能力からして、すでに広範囲な地域を戦場とすることは事実上不可能となっていた。

しかしながら、絶対国防圏設定後も、海軍はその外側に位置する地点の確保にこだわったため、国防圏内で防衛体制の構築が後回しになる拠点があった。重要拠点であるサイパン島についても、防衛体制が整う前にアメリカの侵攻を受けることになる。

倍の兵力をもって侵攻するアメリカ軍に対し日本兵はよく戦ったが、既に制空権、制海権を失っておりマリアナ沖海戦、サイパンの戦いなどで大敗を喫し、サイパン諸島を失ったことによって、攻勢のための布石は無意味となり、日本は防戦一方となる。

絶対国防圏が破られたことで東條英機はその責任を取り内閣総理大臣を辞職した。以後B-29による本土空襲が開始される事となる。〉―― 
 しかし翌19年2月、トラック諸島にある南方最大の海軍根拠地も壊滅的な打撃を受け、軍令部は悪化する戦局の打開策を求められていた。当時作戦を統括する立場だった軍令部一部長中澤佑元中将の軍務日誌昭和18年8月記述の軍令部の別の幹部の提案――。

 「必死必殺の戦法」
 「戦闘機による衝突撃」


●神風特攻隊の1年以上前に出された意見、「体当たり、戦闘機」など、緊急に開発すべき特攻兵器が提示された。回天試作機も完成し、実験の完了。戦局が悪化する中、軍令部の中で特攻兵器の開発が一気に進んでいく。特攻兵器を進言したと記されていた人物は兵器の研究を担当していた軍令部二部の二部長黒島亀人元少将。軍令部はどのようにして特攻兵器の開発を進めていったのか。

●昭和56年8月26日、第20回「反省会」

 鳥巣元中佐が黒島二部長に直接会ったときのことを話す。

 鳥巣「エー、震海(潜水艇の先端に機雷を搭載した試作の兵器)という兵器であります。呉の工廠で審検(審査)があったあときに、黒島少将が立ち会って、私も、この兵器はとても使い物にならんと、元艦隊としてお断りしますとやったわけであります。黒島さん、烈火の如く怒ってですね、この非常時に何を抜かすかと、国賊がっ、て言うわけですね。国賊扱いされたわけですが――」

真珠湾攻撃を行った連合艦隊の山本五十六司令長官の参謀を務めていた黒島少将は真珠湾の成功がその発言力を高めていたと寺崎隆治元大佐が発言。


 (一つの成功を以って、すべての能力に亘って絶対と権威づける権威主義性がここにある。民主党が衆議院選挙で大勝した成功を以って選挙担当の小沢幹事長のすべての能力に亘って絶対と位置づけるのと同じ権威主義性が。)

 寺崎「一番悪いって言うか、あの、思い上がりですね。山本元帥辺りは神格化されておったわけですよ。山本元帥とか黒崎参謀とか、それらの言うことは絶対であるというような、その、恐る恐るやるっていうか。意見の真珠湾作戦が成功、そのためだと思いますけども。非常に神格化されて、寄せつけないと――」

●海軍の頭脳といわれた軍令部の特攻兵器の開発が次々と進んでいったが、特四式内火魚雷を載せた水陸両用の兵器などは使い物にならなかった。潜水服を着た兵士が海底に潜み、爆薬で船を攻撃する「伏龍」は訓練で死亡事故が相次ぐ。

 鳥巣健之助「大本営(軍令部)のお偉方の着想ではありましたけれども、その苛烈な戦局に直面している実施部隊の人々を納得させるような要件は何一つ、具備しておりませんでした。これらの思いつき兵器が如何に大きな無駄を強い、戦争遂行の足を引っ張ったか、想像に余るものがあります」

●昭和19年8月、人間魚雷回天を正式に採用。同じ月に公布された「海軍特修兵令」(表紙に筆文字で「裕仁」と書いてある。)。天皇の裁可を経て、特攻兵器で戦う特攻術が法令でさ定められた。その前日、海軍は特攻隊員の募集に向けて動き始めていたが、全国に送った兵士募集の文書(昭和十九年―昭和二十年 航空軍備)には「○兵器(まるへいき)要員」と書いてあるのみで、特攻兵器であることは伏せられていた。

●募集に応じた坂本雅俊さん(83)。戦局打開の新兵器と聞かされ、志願した。

 坂本「(船で)大津島(人間魚雷基地)へ近づいてきて、初めて、あの、人間魚雷をクレーンで吊り上げて、あって、それを見て、ま、ギョッとしたわ」

●戦局打開の新兵器が人間魚雷回天であった。自分の体を兵器に代える訓練が始まる。

 坂本「もうハッチ、ピシャンと閉められたら、全く鉄の棺桶の中に入れられたみたいの、ああ、もう、緊張、最高の緊張ですね。不安と緊張、恐怖。やっぱり人間ですから。まして、若者なんですから。生きたいいう、これは本能、が出てしまうのは当然ですよ」

●軍令部からの指示で現場で実行されていった出撃直前に撮られた写真。送り出す参謀と鳥巣元中佐が映っている。隊員89人が戦死した。

●回天顕彰会長高松工氏が目撃した戦後の回天搭乗員慰霊祭で鳥巣元中佐が生き残った隊員から責められる場面の証言。

 高松(生き残った隊員が座っていたようにだろう、縦長の机の手前端下座に座って)「ここから高橋が立ち上がって(机反対端の上座に指差して)怒鳴り始めたんですよ。鳥巣さんよ、あんたがその上(かみ)の場にあんたが座るもんじゃないよ、ってね。あんたは兎に角あれだけのことをやりやがって、一番下(しも)に座るのがお前の役だ、って」

 (絶対服従の権威主義が支配していた日本軍のかつての上官を「お前」呼ばわりをする。戦時中に囚われていた権威主義性が強かったことに比例した、その解き放ちの反動の強さが「お前」呼ばわりとなって現れたものであろう。言うべきときに言えずに、言っても甲斐なきときに言う。)

 高松「軍令部の参謀なんていうと、本当にクソ喰らえと私は言うんですが、ああいうやつらは兎に角ひどいことをやりやがって、自分は戦後関係ないって、実線におった隊長とか参謀とかは、ヒジョーニ苦しみながら、、兎に角戦争終わって、戦後もそれをずうーっと死ぬまで担いでたと思いますね、私は」

●反省会で軍令部を追及した鳥巣元大佐。これに対して軍令部に在籍したメンバーは多くを語らなかった。反省会で幹部を務めていた平塚清一元少佐(94)は鳥巣元大佐の発言に対する他のメンバーの反応を今も克明に覚えている。

 平塚「黙っていました。沈黙です。誰も反論がない。反応がありませんでしたね。人の命を結局無駄にするわけですね。あのー、軍隊というものは決死で行くけれども、生きて帰れる道が必ずあるわけですよね。特攻隊はそれがないわけですね。あって然るべきじゃなくて、あの、あってはならないことをやったという、気持はみなさん、あるんじゃないですかねぇ」

●日本海軍では兵士の死を前提とした生きて戻ることのできない作戦、特攻は決して命じてはならないとされてきた。しかし、軍令部は戦局が刻一刻と悪化する中で絶対に越えてはならない一線を越え、特攻作戦に踏み切った。

 そして現場には兵士の身体を兵器に代える過酷な作戦を求めていった。最初の特攻隊はここフィリッピンから出撃していった。その前から軍令部は組織的に特攻を準備していたにも関わらず、戦後、このことは私たち(国民)に伝わってこなかった。ここにも軍令部の知られざる動きがあった。 

 日本海軍 400時間の証言/ 第二回 特攻 やましき沈黙(2)に続く
  

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日本海軍 400時間の証言/ 第二回 特攻 やましき沈黙(2)

2009-12-28 10:10:37 | Weblog

 
第42回反省会(昭和58年6月9日)

 軍令部が最初の神風特攻隊を利用してある作戦を考えていたことがこの日明らかにされる。明らかにしたのはこのときも鳥巣健之助元大佐。
 極めて重要なことを示しているとして一通の電報を読み上げる。

 鳥巣「神風隊突撃の発表は、全軍の士気高揚並びに国民戦意の振作(しんさく)に至大の影響関係あるという、各隊攻撃の実施の都度、純忠至誠に報い――」

 (全軍・国民を奮い立たせる目的をも持たせていたために、たいした効果を上げなくても、戦意高揚を果たすために効果あったと宣伝することになったのだろう。結果、本来なすべき作戦を改めるということをせず、効果のない作戦を続けることとなったのだろう。)
 
●その電報には国民の戦意や全軍の士気高揚のために攻撃の都度、発表される方針が示されている。

●昭和19年10月、神風特別攻撃隊が初めて体当たり攻撃を始めた。

  海軍撮影の映画。「神風特別攻撃隊」と大書した字幕。

  整列して出撃する隊員たちに対する上官の訓示「一機以って敵艦命中、生還を期せず――」

  そして相歌う『海ゆかば』

●司令長官の大西中将や隊員たちの姿が映像と共に広く伝えられていった。前出電報は初めての出撃の15日前に作られていた。起案者軍令部一部で航空作戦を担当していた源田実大佐。

 鳥巣「軍令部の方では作戦課の航空参謀である源田実中佐が10月13日、電報を起草して、第一部長中澤佑少将の承認を得て発信しております。従って大本営が特攻は地方の実施部隊がやったんで、大本営(軍令部)は知らなかったというようなことを言うこと自体が極めておかしいのであります」
 
●神風特攻隊の戦果が宣伝されていく。新聞では神風特攻隊員の動きが一面で伝えられ、国民の戦意を駆り立てる記事が掲載されていく。

  新聞見出し「一機命中 一隻轟沈」
       「只一言、俺に続け」


●大きく伝えられた戦果の裏で、海軍は危機的な戦局に直面していた。神風特攻隊を投入したフィリッピン・レイテ島海戦は主力艦隊の殆んど率いて臨んだ一大決戦だったが、特攻作戦も空しく、海軍は主力艦隊4隻を含む艦艇20隻以上を一挙に失う。

●戦う手立てを失う中、軍令部は特攻作戦に比重を移していく。国民に常に伝えられていたのは特攻の戦果。

第94回反省会(昭和62年10月30日)

 この日軍令部の元将校と特攻の現場を見てきた隊員との間で議論が行われる。軍令部で昭和17年まで航空作戦の参謀を務めていた三代一就(みよ・かずなり)元大佐(昭和14~17年 軍令部)。特攻は現場の熱意から始まったと言う。

 三代「特攻作戦を欠くとしましても、色々な資料とか図書があって、特攻作戦を欠くのは容易ではないと、いうことは航空部隊の間には特別攻撃を必要とする機運が高まり――」

 現場の航空隊にいた小池猪一(いいち)元注意が質問する。

 小池「大所高所から、先輩諸君のご意見を承りたいと思っております。航空特攻の場合はですね、志願という形は取っているが、これは命令で、編成という形で命令されているんで、戦闘機に爆装して、攻撃隊を編成したというのは、どういう根拠から、いわゆる上層部がそれを命じたのか」

 小池元中尉は18年12月、学徒出陣で航空隊に配属され、そのときの上司が特攻で数多く戦死している。

 小池飛行時間80時間から120時間ぐらいの搭乗員をバラバラ、バラバラ、いわゆる纏まって出さないで、小出しにどんどん出して、どんどん消耗していった。全予備学生、予科練学生が大きな疑問を持って、今、この問題でみんなして取り組んでおります」

 現場からの問いに三代元大佐は明確には答えない。

 三代「これはやっぱり、その人の性格によると思いますから。性格と、それから時の情勢ですな――」

 「人の性格」「時の情勢」が決定した特攻作戦だったとは、何という責任転嫁なのか。必要としたのは戦争を続ける能力が残っているかどうかを含めた「時の情勢」を分析する的確な判断能力だったはずだが、それを欠いていた。)

●昭和20年1月15日、最高戦争指導会議(総理大臣や陸海軍トップが出席)

 ここで国家総動員によって戦争を継続し、特攻を主な戦力とすることが確認された。

 この同じ1月、軍令部一部が作成したと見られる資料が今回初めて見つかる。日本列島を覆っている印はすべて特攻兵器を配備する基地。軍令部は一億総特攻の掛け声そのままに特攻で日本列島を守る計画を立てる。

●反省会には、その時期軍令部に在籍していた土肥一夫元中佐が発言。

 土肥「終戦の前後、私は軍令部におりまして、軍令部の中に私のクラスでありますが、『一億総特攻』って言って、はしゃぎまわる男がいたんですが、私は喧嘩しましてね、人間をね、今の言葉で言いますと、コンピューター代わりにして飛行機を向こうにぶっつけようなんていう、そんなことはね、考えるなと。お前ら、一億総特攻なんか、言うなってね、喧嘩したことがあります」

 (果して事実かどうか。自身が「一億総特攻」と言ってはしゃぎまわっていたかもしれない。確実に言えることは、その効果を隠していたために「一億総特攻」にオールマイティ(全能)を期待した軍人・国民が多くいたに違いない。その効果を知っていた軍人の間でも、ほかに打つ手を考えつくことも情勢分析をすることもできなかったことから、縋りつくように「一億総特攻」に最後の望みを果敢なくも託していたといったところではないのか。)

●特攻が行われている時期に連合艦隊参謀だった中島親孝元中佐。

 中島「飛行機の搭乗員のですね、補充をということを考えないで、行き当たりばったり行っていく言って、仕方がないから、特攻へ逃げたんです。もう人間を自動操縦機の代わりをするんだと、こういう思想がある。それがですね、日本海軍を毒した最大のもんだと私は見ています」

 (海軍のみならず、大日本帝国軍隊全体に人命軽視の思想が蔓延っていた。上官を絶対として、兵士を対極の人間として扱わない、将棋のコマ並みに扱う権威主義が支配していた。)

 平塚清郎「日本の海軍の上層の方も、それに頼り過ぎていたんじゃないか。万止むを得なかったというなら、それは私は一億総玉砕の思想そのものじゃないか」

●(出撃シーン)太平洋の海の中に若者たちが散っていった。

 (字幕)当初米軍に襲撃を与えた特攻。米軍は特攻への対策を徹底した。特攻機の殆んどは目的を遂げることができなくなる。水中特攻「回天」の命中率は2%(防衛研究所)。

●昭和20年8月15日、終戦。天皇の玉音放送。米軍の進駐。街中を走る米軍ジープ。

 未使用の特攻兵器は米軍によって回収され、分析が進められることになる。

 連合軍司令部(GHQ)――戦争犯罪を追及する動きが始まる。これに対して軍令部は終戦直後から戦犯裁判に向けた準備を進めていた。その対策を纏めた文書。

 特攻が戦争犯罪とされることを恐れ、想定問答を用意していた。

 (戦争犯罪対象となり得る作戦だと認識していたことになる。)

 想定案「特攻は上級指揮官の要請で人道に違反するのではないのか。」

 回答案「特攻は切羽詰った戦況の中実施した。軍人は上下こぞって総員玉砕を期していたが、青年下級者のみに必死の戦法を強いたのではない」


●特攻は上級指揮官の強制ではなく、人道に違反しないと答えている。軍令部の指示で造られた特攻兵器。現場の幹部たちは戦後もその責任を感じ続けている。桜花の製造に携わった長束麗元少佐。製造に反対したが、命令に従わざるを得なかった。GHQの追及はなかったが、兵器を造った事実は重く受け止めていた。

 長束巌元少佐(97)「アメリカの戦犯狩りの情報がクラスメートから刻々入ってくるわけです。誰が捕まって、誰が喋らされた、何級上の誰々が何々の名目で捕まれたと。で、色々聞いてますと、何か、どういう罪の者が戦犯でね、扱われているっていうことを聞いてみたら、第一は人道に関する罪。人道に関する罪ということになると、ちょっと俺は危ないぞと思ったわけです。こういう全く人道に麻痺した飛行機を造ることを命じられて造ったわけですから」

●現場に特攻を支持した軍令部が組織として責任を認めた資料を見つけることはできなかった。
 死ぬことで初めて目的が達せられる特攻。なぜこれ程多くの若者たちが命を落とさなければならなかったのか。反省会で特攻の議論が行われているとき、一人の元将校が発言。扇一登元大佐(昭和11~13年 軍令部)。武官としてヨーロッパで終戦を迎える。組織全体が新兵器に頼る気持に流されたのではないかと語る。

 「新兵器が生まれてくると、使ってみたくなる。そこで私自身が、それにやっぱりよりかかる。気持の上ではおったと。太平洋戦争はそれらの日本の強みとする新兵器に引きずられたんだと言うことは敢えて言うことができませんが、しかし、頼んでおった」

●扇元大佐が指摘した組織の空気。その空気を生んだ海軍の体質を扇元大佐は考え続けていた。

 扇「海軍は自分の意志、判断を持っておりながら、それはこちらに置いて、そうして流れて、海軍のこれは体質だと思うんですよ。だからこそね、思わぬ、好まぬ、自分の本位ではない方向へ流されているなと。誰彼と言わずに、みんなそうですもん」

 (誰だって「意志、判断を持って」いる。それが合理性を備えた意志・判断であるかどうかが問題。合理性を備えていなければ、意味のない「意志、判断」となる。

 「思わぬ、好まぬ、自分の本位ではない方向へ流され」る、それが「誰彼と言わずに、みんなそう」であるとは付和雷同の状態を言い、他の意見を絶対としてそれに無条件に従う権威主義性からきている。)


●自分の意志ではない方向へ流されていく海軍の体質とは何か。扇元大佐の息子暢威(のぶたけ・77)は父親から特攻の話を聞いたことはない。強く印象に残っているのは反省会から帰ってきた父親が時折洩らしていた言葉。

 「何回かね、『それなんだよ、そうなんだよ。やましき沈黙だったんだよ、うん、海軍は』そういうね、発言は私は聞いてますねえ。要するに良心に照らしてみて、これはいかんと思ったときに言えていないと。海軍全体もそうだったと、いうそういう言い方がありましたね」

 (最初触れたように日本人が行動様式としている権威主義から来ている上に対して言いたいことを言えない“沈黙”であって、特に日本の軍隊に於いて上官を絶対としていることからその権威主義性が色濃く現れた組織となっていたということなのだろう。自由に意見を言うについては自由に意見を言う機会を上から与えられた場合という条件付となる。)

●やましき沈黙。間違っていると思っても、口には出せず、組織の空気に飲み込まれていく。特攻が始まったとき作戦を担当していた軍令部一部長中澤佑元中将が亡くなる直前に講演を行ったときのテープが残されている。最初の特攻、神風特攻隊への関与を否定した。

 中澤私は軍令部の作戦部長をしておったのですが、特攻というのは、これは作戦ではないと。作戦よりもっと崇高なる精神の発露であってね、作戦にあらずと。

 そのときに私はその体当たりということは考えておりませんし、ええー、勿論、命令などは出したことはありませんので――」

 (体当たりなくして特攻は成り立たない。特攻と体当たりは一体となって、その存在価値を決定付けられていた。体当たりは特攻の行動性として定められたもの。偵察機が偵察を行動性とするように。「そのときに私はその体当たりということは考えておりません」は薄汚い責任逃れ。「崇高なる精神」を装わせることで納得させ、若者の積極性を引き出したにすぎないだろう。

 この男は戦後源田実のようになぜ政治家に転進しなかったのだろうか。源田以上の政治家となって、総理大臣も夢ではなかったはずだが。)


 息子忠久、父親が軍令部一部長だったとき語った言葉を覚えている。

 「特攻はよくないってことは何回か、それはもう、1%でも帰る方向があるのならいいけど、100%死ぬような遣り方、それは戦術でないと。時々は空気には勝てないんですよねー。もう全体がそういう流れになって。個人がね、いくら心の中で反対だって言っても、大勢に反対ってことは、もう海軍をやめなけりゃあいけないことですよね」

●中澤元中将が大切にしていたアルバム。戦争末期、軍令部から台湾の航空船隊の司令官に移動し、特攻の指揮を任務とした。隊員たちの写真。その横に自ら書いた説明。「笑わんとして死地に向かわんとする特攻隊勇士」

●軍令部二部長として特攻兵器の開発を進めた黒島亀人元少将、戦後哲学や宗教の研究に没頭した。亡くなる直前までつづっていたノート。

 ノートの題名「人間」、中に「霊魂」、「人生の目的」といった文字。
 
 特攻については一言も書き残していない。

●神風特攻隊の電報を起案した軍令部源田実元大佐は戦後航空自衛隊のトップ航空幕僚長に就く。特攻については家族にも多くを語っていない。神風特攻隊の慰霊碑に源田実元大佐は自ら書き記している。

 「青年が自らの意志に基づいて赴いた」

 今も保管されている特攻隊員と戦死した部下の名簿。仏壇に納めて、毎日祈り続けていた。

 (「青年が自らの意志に基づいて赴いた」とすることによって、自己正当化を果たすことができる。日本の軍隊の正しさが証明可能となる。)

●反省会で軍令部を批判し続けた鳥巣健之助元中佐、戦時中を振返り、家族に一言だけ言い残している。

 「海軍の中で思っていても、言いたいことがあっても、口には出せないことがあった」

 (権威主義に囚われた姿を言っているに過ぎない。)

 神風特攻隊の隊員だった角田和夫(90)、特攻で戦死した仲間の慰霊を今でも行い、靖国神社に参拝している。特攻隊の戦果を空から確認することが任務。

 角田「突っ込むのは自分だけでいいから、もう戦争はやめてくれないかというのは、誰だって、考えじゃなかったかと思います。ねえ、死ぬのは自分だけ、ここで終わりにしてしてくれっていうのがみんなの本心だったと思います」

●角田さんは反省会が開かれていたことを知らなかった。その事実を知らせた上で了解の元、反省会のテープを聞いてもらう。

 ――土肥一夫元中佐「この今のお話の、大西さんとの話じゃなくて、その遥か前にですね、回天も桜花も、マル四艇もみんな、海軍省で建造始めているんですよ。そうするとね、その特攻をね、(軍令部)一部長ともあろう者がね、知らないというのはおかしいとこう言うちょるとです、鳥巣さん」――
 
 角田「いや、そんなに早くから特攻を考えていたなんていうことは、ちょっと信用できないですねえ。じゃあ、その人たちが19年の初めから、その以前から特攻兵器を造らせて、その特攻兵器を造ってどうしようと思っていたんです?、それを聞きたいですねえ。それで勝つと思っていただろうか」

●いくら墓参りしても、亡くなった人間は生きて還らぬという。角田さんは最後に見届けた広田幸宣(ゆきのぶ)(20)さん。

 (広田幸宣の遺言)「ご両親さまの心尽くしの品々、嬉しく拝見して、マフラーを喜んで首に巻いて飛びます。白いマフラーで出発するのを想像してください。国のため、征(ゆ)く身なるとは知りながら、故郷(くに)にて祈る父母恋しき」

 角田さんが最後を見届けたもう一人の谷本逸司(享年22歳)

 (谷本逸司の遺言)「お母さん、元気ですか。長々の御恩、本当にありがとうございました。いよいよ本当に男としての生き甲斐を痛切に感じるときが参りました。くれぐれも体に気をつけて、長々と生き抜いてください。お願いします。遥かお母さんの健康をお祈り致します」

●日本海軍が始めた特攻。始まると、誰も止められずに終戦まで続けられる。

 取材デスク・小貫武「反省会に参加していた一人ひとりは決して命じてはいけない作戦だと心の中では分かっていた。しかしその声が表に出ることはなかった。間違っていると思っても、口には出せず、組織の空気に飲み込まれていく。そうした海軍の体質を反省会の一人は『やましき沈黙』という言葉で表現した。しかし私はこの疚しき沈黙を他人のこととして済ますわけにはいかない気持になる。今の社会を生きる中で、私自身疚しき沈黙に陥らないとは断言できないから。特攻で亡くなった若者たちは陸海軍併せて5千人以上。その一人ひとりがどのような気持ちで出撃して行ったのか。決められた死にどう向かっていったのか。

 その気持を考えると、私は反省会の証言から学び取るべきものは唯一つのことではないかと思う。それは一人ひとりの命に関わることについては、例えどんなに止むを得ない事情があろうと、疚しき沈黙に陥らないことです。

 それこそが特攻で亡くなった若者が死を以って今に伝えていることではないかと私は思います」(終了)

 (では、「一人ひとりの命に関わ」らないことについては「疚しき沈黙に陥」ってもいいのか。日常普段から慣習としている“やましき沈黙”――内心は反対でも上の命令・指示に無条件に従属する権威主義性を「一人ひとりの命に関わることについて」も機械的・自動的に適合させていくことによって生じせしめた上下の関係性としてある“やましき沈黙”なのだから、省察すべき対象は日本人が現在も引きずっている上下で人間関係を把える権威主義の行動様式そのものであろう。

 いわばどんなにささやかな問題・事柄であっても賛成できないこと、訂正が必要なことは“やましき沈黙”に陥らず、恐れずに自分の意見を述べる、そして相手の反論を受ける議論の習慣を普段から持つことから始めなければならない。

 
「組織の空気に飲み込まれる」と言うが、反応するのは個人個人であって、それらが積み重なってその全体的な反応である「組織の空気」を形成するのだから、一人ひとりの反応――それぞれの権威主義性を先ず問題としなければならない。)


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旧輸銀の共済会、旅行会社からのキックバックは何とも卑しいコジキ行為

2009-12-27 07:17:04 | Weblog

 《裏金:旧輸銀、9年間で8000万円 出張旅費を不正返金》毎日jp/2009年12月26日)

 政府系金融機関である日本政策金融公庫の一部門、国際協力銀行前身の日本輸出入銀行(輸銀)という大層・立派な公共組織に関する話。

 その職員の出張航空運賃のうち3~6%分を旅行代理店から職員の互助組織である共済会に「返金」させ、職員家族の介護費用の補助などに充てていたことが今年5月に匿名の情報が寄せられ、内部調査で発覚したと発表した。

 共済会が旅行代理店に出張情報を提供するなどの名目で代理店から「手数料」を納めさせることが慣例化していて、その総額が9年間で8000万円というから、1年間に888万円キックバックさせていたことになる。

 一口に888万円というとたいしたカネではないように見えるが、1千万円近い額である。そのカネを職員家族の介護費用の補助などに充てていた。

 金融公庫の発表――本来は出張旅費の削減を通じて、公庫に投入される税金を軽減すべきだったため、「不適切」と判断、共済会に全額を返納させる。但し、「調査の結果、職員の私的流用はなかった」(広報部)として、関係職員らの処分は行わない。

 「返金」の形になる前の90年以前は旅行代理店が大口顧客の出張者に対する自宅送迎などのサービスを行っていたが、サービス相当分を共済会に返金させ、職員全員が恩恵を受ける形に切り替えた模様だと記事は解説しているが、出張費用はすべて金融公庫投入の税金から出ていて、職員個人のカネ、自分の懐から出したカネではない上に実質的経費(送迎等のサービス)ではなくなったカネを、「職員全員が恩恵を受ける形に切り替えた」「返金」とすること自体がおかしいということにならないだろうか。

 言ってみれば、税金を旅行会社を経由させて職員個人が受け取ったことになる。このような経緯を経た時点で既に「私的流用」に当たるはずだが、どう検証したのか、あるいはどう解釈したのか、「調査の結果、職員の私的流用はなかった」としている。

 税金から出た出張旅行費を職員家族の介護費用の補助などへ用途を変えたこと自体が既に「私的流用」以外の何ものでもあるまい。

 記事は、〈共済会の業務は職員の慶弔見舞金などの管理で、職員の出張との関連は薄い。〉と疑問を呈しているが、「3~6%分」の返金とは旅行会社が「3~6%」余分に出張旅行費用を受け取っていたことを意味する。余分に受け取って、その余分分を「返金」する。いわばその余分分は一時的に預けさせた「預け」に相当する。記事題名が「裏金」とする所以であろう。

 一般的な「預け」は品物のみならず、パーティを行った、ホテルに宿泊した、タクシーを利用した等々見せかけたカラ発注を行ってその費用を相手方に一時的に預けて裏金とし、現金、あるいは商品券、ビール券等の形で返却させる形式を取る。その際相手方にそれ相応に手間をかけさせる“経費”とそこに口止め料も加えた少なくない金額分を差引きさせて相手方の利益として供与する。

 いわば税金を自分たちに還流するだけではなく、取引業者にも還流する。兎に角税金還流の必要不可欠な協力者なのだから、それ相応に旨味をお裾分けしなければならない。

 相手方にとっては商品・サービスに手をつけないままに他人のカネのみを動かして手に入れることができる利益だから、丸儲けとなる。「預け」を行う側も自分のカネではない予算等の税金を私的用途に変えて自分のカネとするのだから、丸儲けとなる。双方にとって万々歳、メデタシ、メデタシのこれ以上ないうまい話となる。勿論、悪いことをしているという意識はない。良心を麻痺させているからこそできる公金の誤魔化しであろう。

 但しいくら良心を麻痺させていたとしても、誤魔化したカネを職員家族の介護費用の補助などに充てていたとする発表どおりには俄かに信じ難い。介護は全職員が抱えている職員全体の問題ではなく、一部の職員の問題であろうから、「返金」が全職員に平等に行き渡るのではなく、一部の職員のみに偏った利益として還元される矛盾が生じるからだが、このことだけではなく、不正に得たカネの性質に反する用途となっているからだ。

 いずれにしても自分のカネと厳格に区別しなければならない税金を区別せずに個人のカネとする。何とも卑しいコジキ行為ではないだろうか。

 参考引用―― 
 《裏金:旧輸銀、9年間で8000万円 出張旅費を不正返金》毎日jp/2009年12月26日)

 政府系金融機関の日本政策金融公庫は25日、公庫の一部門である国際協力銀行の前身の日本輸出入銀行(輸銀)で、90~98年に出張旅費に絡む不正行為があったと発表した。旧輸銀職員が出張する際、旅行代理店から航空運賃の3~6%分を、職員の互助組織である共済会に「返金」させ、職員家族の介護費用の補助などに充てていたという。

 公庫によると、返金額は9年間で合計約8000万円。共済会が旅行代理店に出張情報を提供するなどの名目で、代理店から「手数料」を納めさせることが慣例化していた。しかし、共済会の業務は職員の慶弔見舞金などの管理で、職員の出張との関連は薄い。

 本来は出張旅費の削減を通じて、公庫に投入される税金を軽減すべきだったため、政策公庫は「不適切」と判断、共済会に全額を返納させる。ただ、「調査の結果、職員の私的流用はなかった」(広報部)として、関係職員らの処分は行わないという。

 公庫によると、今年5月に匿名の情報が寄せられ、内部調査で発覚した。90年以前は、旅行代理店が大口顧客の出張者に対する自宅送迎などのサービスを行っていたが、サービス相当分を共済会に返金させ、職員全員が恩恵を受ける形に切り替えた模様だ。【清水憲司】

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舛添が必要とする「独裁者」とは自身のこと

2009-12-26 09:33:10 | Weblog

 独裁者の辞書には自身に対する「誠意」という言葉は存在しても、国民に対して、あるいは国民の生命に対して持つべき「誠意」なる言葉は存在しない

 国民のための政治ではなく、自身のための政治としているからなのは断るまでもない

 ゆえに「誠意」の有無は独裁者を規定するキーワードとなり得る


 国民的人気の高い政治家、自民党政権下で麻生を継ぐ総理大臣として最も支持を集めた前厚労相の舛添要一参院議員(61)が12月22日、都内で新刊「舛添メモ 厚労官僚との闘い752日」(小学館1260円)の出版記念講演を約150人の前で行ったとスポーツ報知記事――《舛添氏、閣僚の7割は民主党から選ぶ》(2009年12月23日06時02分)が伝えている。

 「仮に私が首相になったら閣僚の7割は民主党から選ぶ。自民党から欲しいのは3割だ」

 自身を首相になぞらえた発言だから、首相に意欲を示したということなのだろう。記事は、〈政界再編を視野に入れていることを示唆した。〉と解説している。さらに、〈鳩山内閣の支持率が急落しているにもかかわらず、自民党の支持率も一向に上がらぬ現状を嘆き、〉次のように発言したとしている。

 「誤解を恐れずに言うなら、今の自民党には小沢(一郎)さんよりももっとラジカルな(過激な)独裁者が必要。(総選挙で)負けたという危機感がなさ過ぎる」

 政界再編を視野に小沢一郎にエールを送ったのか、あるいは自民党を批判し、評価を下げることで自身の評価を高める“受け”を狙ったのか。「Jcastニュース」によると、舛添の発言は次のようになっている。

 「自民党支持率は上がりません……いっぺん捨てた男のところへは戻りませんよ。今、自分が総理大臣になって、こいつなら優秀という内閣を作る。まあ7割は民主党から選びますよ」

そしてこの発言に対する自民党組織運動本部長石原伸晃議員の反応を伝えている。

 「そりゃ目立とうとしているだけだろう」

 いわば“受け”を狙ったのだろうと言っている。

 しかし、「小沢(一郎)さんよりももっとラジカルな(過激な)独裁者が必要」とは穏やかではない。

 勿論、どう逆立ちしようが、どう逆立ちさせようが、独裁者と民主主義は相容れない対立概念だからだ。

 金融危機を受けた不況下の2008年末と2009年初に住いと食の機会を失った失業者救済を目的に東京・日比谷公園で「年越し派遣村」が開村、6月末に解散したが、当時厚労相だった舛添要一が「年越し派遣村」に集まった失業者を怠け者扱いした選挙演説を行って問題となった。

 「4000人分の求人を持っていったが誰も応募しない。自民党が他の無責任な野党と違うのは、大事な税金を働く能力があるのに怠けている連中に払う気はないところだ」

 この発言に対して「年越し派遣村」元実行委員会有志が8月24日に舛添に対して抗議、翌25日の閣議後の記者会見で舛添は次のように釈明している。

 「(求人を始めた)初日はなしでその後、139人申し込みがあった。・・・・言い方が悪いとしたら気を付ける」

「(2カ所のうち)1カ所では初日はゼロと言っている。日本が豊かになった中で機会も能力も生かしていない人を怠け者と言った」――

 大体が「4000人分の求人」の中身自体が怪しい。2008年の年末に向けて派遣切りが拡大し、それが正社員のリストラにまで波及、2009年4月からの新卒新規採用者の内定取り消しにまで発展にしていた歪んだ雇用状況下で「4000人分の求人」が果して「4000人分」の就職につながる保証を備えた「4000人分の求人」だったろうか、極めて疑わしい。

 一度ブログにも書いたことだが、このことは12月4日の「レイバーネット」《派遣村 : 事実をねじ曲げた舛添発言の撤回と謝罪を求める》に載っている抗議文が証明している。

 〈応募をした村民は、ほとんど断られてしまっています。応募した会社から返ってきた返事は、「もう決まっちゃいました」「実は募集していないんです」「ハローワークから求人を出すよう言われて、ホントは募集してないんだけどお付き合いで求人を出しているだけなんです」といったものでした。〉――

 つまり派遣切り、正社員のリストラ、新卒者の内定取り消し等々の雇用状況に反する「4000人分の求人」だったわけである。

 「求人」の中身を問わずに申し込みがゼロだ、「初日はなしでその後、139人申し込みがあった」と求職者側を批判することも日本の政治家らしく合理的判断能力を欠いていて問題だが、この舛添発言を扱った「asahi.com」記事では舛添の釈明は――

 「怠け者発言は(民主党が復活を強く主張する)生活保護の母子家庭(への加算)の中で言ったつもりだ」

 このことに関しても以前当ブログで次のように書いた。

 〈例えこれがゴマカシの釈明でなかったとしても、中にはいるかもしれない怠け者の生活保護母子家庭を以ってすべての生活保護母子家庭を怠け者だとする“一部の疑わしきを以ってすべてを罰する”非合理性から全体を悪者視するもので、この少数の悪例を以って全体の例とする舛添のこの考え方は国家都合から個人それぞれであること、違いがあることを認めず、個人を常に全体として扱う一種の全体主義の思想傾向からきた糾弾であろう。

 “疑わしきは罰せず”は裁判に於いて裁判官や検察側が被告人に対して守るべき鉄則であるが、これを国家対国民の関係に置き換えた場合、国家の側が国民に対して守るべき鉄則となる。この鉄則に反して、国民に対して“一部の疑わしきを以ってすべてを罰する”非合理性を犯す合理的判断能力を欠いた政治家は信用できないと見た方が無難である。

 いつの日か舛添総理大臣が実現するかもしれない。自分の政策が思うようにいかなくなった場合、国民が「怠け者だから」とその責任を国民になすりつける可能性を大いに疑うことができる。“一部の疑わしきを以ってすべてを罰する”非合理性を体質としている上に新型インフルエンザの急激な感染拡大に、「真夏にここまで感染者が拡大することは予想できなかった。病原性が低いこともあり、国民に慢心が出てきたことも感染拡大につながった可能性がある」と国民に感染拡大の責任を既になすりつけているし、こういったことができる性格から容易に想像できる結末であろう。〉――

 以上見てきたように舛添の辞書には“誠意”なる言葉は存在しないように見えること、“一部の疑わしきを以ってすべてを罰する”全体主義的操作・処理からして既に独裁的意志を性格としていたことが分かる。

 最初に書いたように国民のための政治としていないからこそできる国民への責任転嫁であって、自身のための政治としていることからの“誠意”なる要素の不在であろう。

 舛添は年金記録問題でも彼特有の“誠意”を発揮している。

 2007年12月になって年金記録漏れ5000万件のうち1975万件の特定がコンピューター照合が困難、そのうちの945万件が紙台帳との照合でも特定困難の可能性があり、さらのそのうちの240万件が紙台帳からコンピューター入力の過程で名前のカナ変換の間違いによって別人化している可能性が明らかになった問題が生じたが、安倍改造内閣の厚労相就任の2007年8月28日の記者会見で桝添は、

 「公約の最後の1人、最後の1円まで確実にやるぞ、ということで取り組んでいきたい」

 と特大の“誠意”を見せたが、12月11日の記者会見ではその特大の“誠意”をさらに特大化させている。

 桝添「ここまでひどいというのは想定しておりませんでした。・・・・最初うまくいくかなあっと思って5合目ぐらいまでかなり順調でありました。そっから先、こうなったときに、こんなひどい岩山と言い、その、アイスバーンがあったのかっていう・・・・」

 桝添「無いものは無いってことを分かる作業を3月までやるってことですから、それを着実にやってます」(日テレ)

 桝添「3月末までにすべての問題を片付けると言った覚えはないんです」

 女性記者「じゃあ、それはいつまでですか?」

 桝添「エンドレスです。それでできないこともありますよ。恐らく他の方が大臣になってやられたって、あの、結果は同じだと思います。無いものは無い」――

 「公約の最後の1人、最後の1円まで確実にやるぞ」という照合作業が「無いものは無いってことを分かる作業」だったとは、これが国民に見せた特大・最大限の“誠意”だったわけである。

 もしも舛添が政治は国民のためにあるという姿勢を基本的に確固としていたなら、このような“誠意”を見せることはできなかったろう。権力欲や名誉欲などから自分のための政治としていて、国民のための政治としていないからこそ見せることができた“誠意”と言わざるを得ない。

 国民のための政治としていないということは個人は全体のためにあるとする全体主義を否応もなしに志向することになる。

 全体主義に則った自分のための政治となっているから、国民に対する責任をいとも簡単に回避ができる。

 自分のための政治となっているから、それを成功させるために独裁政治も厭わなくなる。独裁政治への衝動を常に抱えることになる。

 〈週刊文春(1989年10月)の連載「デーブ・スペクターのTOKYO裁判」で、中国天安門事件に関し舛添は「いや共産主義じゃなくとも、100万人ぐらい殺せる大政治家じゃないとどこの国でもダメだってこと」〉と発言したと「Wikipedia」に出ているが、ここにあるのは強権政治家に対する視点のみで、殺される100万人の国民への視点がない、あるいは国家権力によって100万人も一度に殺されるということがどういうことなのかの視点が一切ない。これは国民のための政治としていないことの表れとしてある“視点”であろう。

 だからこそ、「どこの国でもダメだってこと」の条件として「100万人ぐらい殺せる大政治家じゃないと」と、国民の側から見た成功の条件ではなく、国家の側から見た成功の条件とすることができる。

 独裁者肯定・国民否定の思想そのものであり、元からある独裁者肯定・国民否定の思想が言わせ、その思想とつながった「今の自民党には小沢(一郎)さんよりももっとラジカルな(過激な)独裁者が必要」の必然的発言であろう。

 当然、舛添自身のことを言った形容でなければならない。「今の自民党には小沢(一郎)さんよりももっとラジカルな(過激な)、この舛添みたいな独裁者が必要」と暗黙の内に示唆したのである。

 

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拝啓小沢一郎様、天皇のこどもの国訪問は内閣の助言と承認によるものなのですか

2009-12-25 06:58:49 | Weblog

 


 日本国憲法

 第1章 天皇

 第3条 天皇の国事行為に対する責任

 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。

 第4条 天皇の機能

 (1)天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。

 第7条 国事行為

 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。 

  1 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
  2 国会を召集すること。 
  3 衆議院を解散すること。
  4 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
  5 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任
    状を認証すること。
  6 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。 
  7 栄典を授与すること。 
  8 批准書及び法律の定めるところその他の外交文書を認証すること。
  9 外国の大使及び公使を接受すること。 
  10 儀式を行ふこと。
 
 外国要人との会見は「国事行為」の中には入っていない。

 ところが小沢民主党幹事長は天皇と習近平中国国家副主席との会見は天皇の政治利用には当たらないとした12月14日の記者会見で次のように発言している。

 「天皇陛下の行為は国民が選んだ、内閣の助言と承認ですべて行われるんだ、すべて。

 それが日本憲法の理念であり、えー、主旨なんだ、ね。

   ・・・・・・

 内閣の何も助言も承認も求めないで、天皇陛下、個人で勝手にやんの?そうじゃないでしょ」――

 このことに関しては先のブログで、〈小沢は「天皇陛下の行為は国民が選んだ、内閣の助言と承認ですべて行われるんだ、すべて」、だから政治利用ではないと、国事行為も国政行為もごちゃ混ぜにして詭弁を弄しているに過ぎない。〉と書いた。
 
 小沢一郎も天皇と習近平中国国家副主席との会見が「国事行為」に相当しないことに誰かに教えられたのか、自分で気づいたのか、12月21日の党本部での定例記者会見でこの問題について再び記者に問われて「国事行為」に関してのみ取り消し、天皇の政治利用か否かの点については当初どおりに強弁を働かせている。

 《「どうして自民党には甘いんだ」21日の小沢幹事長》(asahi.com/2009年12月21日20時11分)から見てみる。

 記事題名の「どうして自民党には甘いんだ」は西松事件に関してで、自分は報告書も何も公開しているが、自民党の何とかという人には公開しろとも何とも言わない、どうして自民党にはマスコミは甘いんだと検察にではなく、マスコミを責める発言をしたところから取り上げた言葉となっている。

 〈【天皇陛下会見問題】

 ――先週の記者会見で天皇陛下の会見は国事行為であると言った。しかし、公的行為との指摘もある。

 「憲法で規定している国事行為には、そのものはありません。しかし、その憲法の理念と考え方は、天皇陛下の行動は内閣の助言と承認によって行われなければならないという基本的考え方は、天皇陛下には、全くのプライベートっちゅうのはないに等しいわけですから、日本国の象徴、日本国民統合の象徴というお立場にあるわけだから、その意味では、ご自身に自由にあっち行ったりこっち行ったりっちゅうことはできないわけで、その天皇陛下の行動の責任を負うのは内閣なんです。国民の代表、国民が選んだ政府、内閣が責任を負うということなんですから、内閣が判断したことについて、天皇陛下がその意を受けて行動なさるということは、私は当然のことだと思いますし、天皇陛下にお伺いすれば、喜んで、私はやってくださるものと、そのように思っております」(以上) ――

 この記者会見でも小沢幹事長は国事行為と国政行為をごちゃ混ぜに扱っているばかりか、天皇のプライベートな行為までをごちゃ混ぜに含めている。
 
 この発言を三文節に分けてみる。

 1.憲法で規定している国事行為には、そのものはありません。

 2.しかし、その憲法の理念と考え方は、天皇陛下の行動は内閣の助言と承認によって行われなければならないという基本的考え方は、天皇陛下には、全くのプライベートっちゅうのはないに等しいわけですから、日本国の象徴、日本国民統合の象徴というお立場にあるわけだから、その意味では、ご自身に自由にあっち行ったりこっち行ったりっちゅうことはできないわけで、その天皇陛下の行動の責任を負うのは内閣なんです。

 3.国民の代表、国民が選んだ政府、内閣が責任を負うということなんですから、内閣が判断したことについて、天皇陛下がその意を受けて行動なさるということは、私は当然のことだと思いますし、天皇陛下にお伺いすれば、喜んで、私はやってくださるものと、そのように思っております

 1.で、天皇と習近平中国国家副主席との会見を国事行為に相当するとしていた自身の主張を改めている。

 2.で、「天皇陛下には、全くのプライベートっちゅうのはないに等しい」「ご自身に自由にあっち行ったりこっち行ったりっちゅうことはできない」、天皇の行動の責任を負うのは内閣なのだから、すべて内閣の助言と承認の元に天皇の行動は行われるものだとしている。それが天皇の機能に関する憲法の理念だと主張している。

 3.は単なる2.の補強に過ぎない。強弁+強弁となっている。

 「内閣が判断したことについて、天皇陛下がその意を受けて行動なさる」「喜んで、やってくださる」という表現で、内閣の判断によって天皇の行動があると2.で言っていることの正当性を改めて強弁している。

 纏めると、天皇陛下には全くプライベートっちゅうのはないに等しい、自由にあっち行ったりこっち行ったりっちゅうことはできない。内閣の判断で天皇のすべての行動は存在する。当然、その行動は内閣の判断に従っているのだから、その是非の責任は内閣に生じるとなる。

 小沢幹事長が言っていることは天皇の行動は内閣が支配していると言っていることと同じにならないだろうか。国事行為も憲法で禁じられている国政行為もプライベート行為も区別しないで、天皇のすべての行動に亘って内閣が責任を負っているとしていること自体が既に天皇に対する支配を意味する。天皇の行為はすべて内閣の責任の範囲内と規定していることになるからだ。

 しかも悪いことに天皇はその行動を内閣の支配を受けていながら、内閣の意を受けて喜んで行動するとまでしている。被支配者たる天皇が支配者たる内閣の指示に喜んで従うとしているのである。

 勿論、この過ちは日本国憲法の第1章 天皇 3条「天皇の国事行為に対する責任」について、「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。」と国事行為に関してのみの取扱い・規定となっているにも関わらず、国事行為を超えてその権能を有しないと憲法に定められている国政行為、さらにプライベートな行為にまで対象をごちゃ混ぜに広げて「内閣の助言と承認」とその「責任」を義務事項としていることから起きているのは言うまでもない。

 だが、過ちだからこそ、内閣による天皇に対する独裁意志をいつどこでも働かせることが可能となり、小沢一郎の天皇観は極めて危険である。

 天皇には全くのプライベートいうものが無いに等しく、自由にあっち行ったりこっち行ったりっちゅうことはできないなら、12月19日に天皇・皇后の結婚50年とかで健康に優れない皇太子妃雅子を除いた天皇一家が横浜市青葉区の「こどもの国」を訪問したそうだが、その訪問もそうだが、11人全員でミニSL「太陽号」に乗車したのも内閣の助言と承認に従ったミニSL乗車だったのだろうか、是非小沢一郎様にお聞きたい。

 プライベート中のプライベート行為に当たるトイレに行くのも、内閣の助言と承認に従ったのだろうか。

 12月23日の天皇誕生日の一般参賀は「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。」の「10. 儀式を行ふこと。」に入るから、国事行為だろうが、その挨拶の言葉まで、内閣の助言と承認を受けた挨拶だったのだろうか。

 そうだとしたら、内閣の監視を受けた天皇の発言となる。勿論、そこに支配と従属の関係が成り立っているからこそ可能となる監視であろう。

 このことも小沢一郎様に是非お聞きしたい。

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麻生太郎、鳩山支持率低下で元気づいた軽口連発の講演?

2009-12-24 06:14:41 | Weblog

 日付は昨23日となっている「asahi.com」記事――《軽口連発、久々の麻生節 「ルービン?」言い間違いも》

 首相経験者や党幹部など知名度の高い政治家を全国各地に送り込む「ふるさと対話集会」の一環として麻生太郎前首相が23日、奈良県十津川村で首相辞任後初めて講演したそうだ。

 麻生太郎第二のふるさと秋葉原と比較したら、物足りない聴衆の集まりだったに違いない。

 出だしは「総選挙の敗北で、政権交代を余儀なくされた。力不足を恥じている」と神妙だったということだが、次第に軽口を連発、久しぶりの「麻生節」を披露したと出ている。

 多分、聴衆の男性の一人に「あんた、子供何人いるの?」とでも声をかけたのだろう。「カネがねえなら、結婚しない方がいい」と若者向けに発言したくらいだから、どうも結婚と出産の話にかけてはお得意中のお得意十八番の関心事に思える。

 「4人いる」と答えたのに対して、麻生太郎、間髪を入れずといったところだったに違いない、「最近は5人いると、お好きねと言われる」――

 聴衆は大いに笑ったことだろう。麻生太郎、面目躍如といったところで、麻生太郎も素晴らしい受け答えだったろうとばかりに例の顔でに得意げにこやかに笑ったはずである。

 記事には出ていなかったが、そのあとで「少子化対策のためにお好きねと言われようがなんだろうが、5人目、6人目、頑張ってよ」と言ったのだろうか。

 記事の題名にもあるように麻生太郎にはつき物となっている言い間違いも紹介している。サブプライムローン問題については「リーマン・ブラザーズ」を「ルービン・ブラザーズ」と言い間違えたそうだが、記事は〈お得意の言い間違いも健在だった。〉と解説している。

 「言い間違い」もお得意中のお得意、十八番だから、例に洩れず外さなかったわけである。

 衆議院選挙自民党大敗北を受けたときは、「もっと早く選挙をしていれば、こんなには負けなかったかもしれない」と似つかわしくなく意気消沈し、反省しきりの麻生太郎と大違いの生き返った麻生太郎を見せていた様子が記事から窺うことができる。

 自民党総裁選に打って出たときの麻生太郎、総裁となって日本国総理大臣となったときの麻生太郎はそれはそれは元気そのものだった。いつもにこやかな笑顔を振りまき、100年に一度の金融危機に見舞われてどん底の不況に陥ったときも日本中を明るくしてくれた。

 尤も悪く言うと、人の苦労や痛みを感じない鈍感さからきた底抜けの明るさだったとも言える。

 2008年10月26日秋葉原、総理大臣になってから麻生人気の発信源、「麻生太郎、秋葉原じゃあ、えらく受けた」秋葉原に「総裁になってから初めてやる街頭遊説は、まず秋葉原から始めなければいかん」とお礼演説に訪れた。

 「(国民のみなさんの?)生活が、生活が、会社の未来が、日本の将来が、何となく見えない。従って、何となく気持、開かれるよりは閉ざされる。そういった感じになっているんだと思います。

 そこで私は是非、今回の自由民主党としては、景気対策というのを、先ず一番に考えに掲げるべきだと、そう思って先ずは景気対策。そして、その中でも、中小零細企業というものを、考えなければならないんだ、そう思って私は、色々景気対策、中小零細対策と、いうのをやらせていただいております。・・・・」
 
 そして最低賃金を上げることと非正規社員を正規社員に変える政策を打ち出すことを果たしはしなかったものの約束してから、

 「非正規社員を正規社員にすると、どんなことが起こるか。一つの例を挙げます。九州トヨタって会社がある。世界のレクサスを75%はこの九州トヨタが造っています。この九州トヨタは過去4年間で2100人、非正規社員を正規社員にした。毎年500人ずつ増やして、4年間で2100人まで、昨年まで増やしています。

 結果何が起きたかと、言えば、この地域の於いて、結婚ラッシュが起きたんだ。分かりますか、この意味?非正規社員が正規社員になって、給料が安定した、いうことが分かったら、結婚するんです。

 結婚すると、子どもが平均2.2人産まれる。これは少子化にも、対策にも結果的につながる。

 やっぱり、女性側も、結婚する相手が何となく、食いっぱぐれそうな顔してると、こりゃあ、ちょっと、結婚したら、あたしが一人で働かないかんと(しょうがない笑いをする)、そら、なかなか結婚したくないよ、そら、女性のほうも選ぶ権利がある。当然のこととして、稼ぎが悪そうなのよりは、稼ぎがいい方がいいに決まっている。そう思って結婚しないんだと思いますが、それが、これできちんと証明されていると思います・・・」

 そして中小零細企業にとっては暮れはボーナスを給料以外に払わなければならなくなって資金繰りが苦しくなるから、その対策をしなければならないという話に移っていく。

 出産と結婚に関して何かトラウマを抱えているのかどうか分からないが、政策実行能力はともかく、結婚話で聴衆を笑わすことにかけてはあの頃の麻生太郎はまさしく元気があった。

 「高齢者は働くことしか才能がない。80歳を過ぎて遊びを覚えても遅い」と高齢者にハッパをかけることも忘れなかった。

 「岡崎の豪雨は1時間に140ミリだった。安城や岡崎だったからいいけど、名古屋で同じことが起きたらこの辺、全部洪水よ」

 豪雨に見舞われた、あるいはこれから見舞われるかもしれない住人の不幸を吹き飛ばす元気のよさを見せつけたもした。

 だが、今年8月の総選挙で歴史的大敗北を受けて以来、人の痛みに無感覚な鈍感さからきているその底抜けの明るさは影を潜めさせざるを得なかった。暫くの沈黙。

 そしてここへきて、「軽口連発」

 まさか、もう時効になったからということではあるまい。自民党が野党である間、選挙敗北の責任は負わなければならないからだ。

 だが、その責任を忘れて、底抜けの明るさ復活のスタートラインに立った。麻生政権に取って代わってその座についた鳩山政権が支持率を急激に下げてきているのを見て、来年の参院選の勝利も夢ではないとほのかに期待を抱いたことからの元気復活ではないだろうか。

 指導力のなさ、ブレる点ではでは兄弟のように似ていて、支持率降下の軌跡もそっくり同じだが、その支持率低下が麻生太郎から鳩山由紀夫に番が回ってきたと見たことから元気づいた麻生節復活に違いない・・・・と見たが、どうだろうか。

 他人の不幸は蜜の味。麻生太郎のにんまり顔が目に見える。


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新規国債発行44兆円以内抑制決定時に既定路線とした暫定税率維持と子ども手当所得制限なし?

2009-12-23 01:12:08 | Weblog

 この記事は憶測の範囲を出ない記事かもしれない。あるいは勘繰りのデッチ上げかもしれない。事実そうであっても、疑ったことを疑ったままに書いてみた。
 
 政府は12月15日午前の閣議で2010年度予算編成の基本方針を正式決定した中で、新規国債発行額は鳩山首相が拘った44兆円を超えないとする上限設定を断念、「約44兆円以内に抑えるものとする」と努力目標に格下げ決定している。あくまで努力目標だから、44兆円以内が不可能となった場合は今回のマニフェストに反する暫定税率分維持決定と同じくあれこれと正当化の口実を設けて44兆円を超えることもあるに違いない。

 しかし大幅に超えることはできない。大幅に超えた場合、“努力目標”さえも逸脱することになるからだ。

 いわば44兆円に拘らないと上限を設けることはせずに「約44兆円以内に抑えるものとする」と努力目標としたことで、逆に大幅に超えることはできない制約を自らに課すことになった。

 内閣はなぜ予算編成の足を自分から縛るようなことをしたのだろうか。暫定税率の廃止を撤回、暫定税率分維持を既定路線としていたからだと見ると、理解しやすい。暫定税率を廃止したときの税収減を補い、プラスとなって財源に振り向けることができる分、回りまわって国債発行に余裕が生じるからだ。

 その余裕を前以て読んでいたからこその「約44兆円以内に抑えるものとする」努力目標
ではなかったのではないだろうか。

 暫定税率を現在の租税水準を維持して別の税に振り替えるとする代案は暫定税率をそのまま維持する遣り方でははあまりにもストレートなマニフェスト違反となるから、それを和らげる緩衝策として現在の租税水準維持による別の税への振り替えといったところではないのか。鳩山首相が「私は廃止すべきだと申し上げてきた」と言ってきた手前もある。

 この国債発行額「44兆円」の根拠は〈選挙期間中の鳩山氏が当時の麻生政権批判を意識しつつ「国債をどんどん増発するようなことはしない」と言った発言が、結局、補正予算を含めて麻生内閣が発行した新発国債44兆円を超えないことを意味するものと解されるにいたり、鳩山氏がこれに拘った。小泉内閣の時に問題になった額が30兆円だから、まさか44兆円は超えまいと思ったのかも知れないが、民主党のマニフェスト実行に伴う支出の拡大と不況による歳入の大幅減少で、44兆円が予算の制約として意味を持つようになった。〉と経済評論家の山崎元氏が《「44兆円」をめぐる鳩山政権の迷走》Diamond Online/2009年12月17日)と題した記事に書いている。

 そして12月16日の民主党による鳩山内閣に対する小沢重点要望。暫定税率廃止の撤回、現在の租税水準を維持した新税の設置と子ども手当の所得制限。

 この小沢重点要望の暫定税率分の維持に対して翌17日に鳩山首相は「私は廃止すべきだと申し上げてきた。国民に対する誓いだと思っている。最終的には私の方で結論を出す」と記者団に語り、維持に否定的な考えを示している。いわば小沢重点要望に従わない姿勢を示した。

 このことに不快感を持った小沢幹事長は一旦はキャンセルしようとしたが出席した同じ17日の首相と3与党幹事長の会談では腹の虫が収まらない小沢氏はほとんど無言だったと「asahi.com」が伝えている。

 さらに「FNN」記事――《民主・小沢幹事長、鳩山首相に対し電話で暫定税率について直談判》によると、鳩山首相が21日に暫定税率の現行水準維持の方針を発表したその午前中まで暫定税率の税率を引き下げるよう藤井財務相らに指示していたことが小沢幹事長に知れて、周囲に怒鳴りつけるなど不快感を示し、直接、鳩山首相に電話して直談判に及んだが、結局は小沢幹事長に押し切られる形で鳩山首相は「暫定税率の実質的な維持」に舵を切ったため、午後2時の役員会の時点では小沢氏もすっかり上機嫌になっていたと伝えている。

 そして22日朝、鳩山首相は記者団に「民主党の声を聞き、国民の思いがその背後にあると理解する必要があると判断した」と話すに至ったと書いている。

 いわば二つの記事が提示している鳩山首相と小沢幹事長のちょっとした“確執”は鳩山首相に対して首相としての指導力や主体性に疑問符が付くことになるが、暫定税率分の維持も子ども手当の所得制限も鳩山首相の意に反したことだと際立たせる場面設定となっている。

 この状況は国債発行額を「約44兆円以内」抑制の努力目標に据えた時点で暫定税率維持を既定路線としたのではないのかとする見方に反することになる。

 だが、暫定税率分の維持も子ども手当の所得制限も鳩山首相の意に反し政策転換だとすることによって、マニフェスト違反という批判を和らげるメリットを生じせしめるし、暫定税率の廃止に関しては「私は廃止すべきだと申し上げてきた国民に対する誓いだと思っている」(日経ネット)、子ども手当に関しては「子供を社会全体が育てる発想。子供に関して裕福だとか、必ずしも裕福でないという発想ではない。所得制限は、まず考えないのが基本線だ」と言ってきた約束にウソをついたことになる批判をかわすメリットが生じる。

 このことは小沢幹事長自身が「誰かが言わねばならないことで、自分が憎まれ役を買って出た」(毎日jp)と言っている狙いに合致する。鳩山首相が悪いのではない、全部俺が悪いのだ、と。

 そして12月21日夕方、鳩山首相は小沢幹事長と会談。鳩山首相は「最終的には私の方で結論を出す」と言っていた結論を伝える。暫定税率分の維持に関しては小沢重点要望に添う決定であったが、子ども手当所得制限に関してはマニフェスト通り、鳩山首相が言ってきた通りの所得制限なし、恰も指導力を発揮した決定に見えるが、もしこれが国債発行額「約44兆円以内」の努力目標決定時の既定路線とした“決定”だとすると、マニフェスト違反の批判や鳩山首相がこれまで公言してきた約束にウソをついたことになる批判を和らげる効力のみならず、「最終的には私の方で結論を出す」とした指導力を僅かながらでも演じることができたと見せかける効力を演出できる。

 尤もマスコミは素直に取らなかった。殆んどが小沢主導と解釈している。平野官房長官が「相談しにいくのではありません。決まったことを伝えにいくのです」といったことを記者団に話しているのをテレビが流していたが、「相談しにいくのではありません」とわざわざ断って立場が逆ではないことを殊更に伝えなければならないのは実際はそういうふうになっていないからだろう。

 民主党は暫定税率を廃止して2・5兆円の減税を実施するとしていたから、国債発行額を「約44兆円以内」抑制の努力目標に据えた時点で暫定税率維持を既定路線としていたなら、2・5兆円は「約44兆円」の中に入れた計算ではないことになって、その分の余裕を織込み済みだったことになる。

 逆に既定路線としていなかった場合、景気の先行きが怪しい中で、その怪しさに反して予算編成の足を縛りかねない「約44兆円以内」の努力目標は設定できただろうか。

 「44兆円を上限としない」と思い切ってフリーハンドにしておいた方が、景気対策によりよく対処可能となるはずである。

 一方子ども手当の財源は「asahi.com」記事――《子ども手当財源、地方・企業も負担首相が方針》によると、鳩山首相は22日、子ども手当の財源問題について「今まで地方が払ってこられた分はそのままご理解いただこうということになりました」と、小学生までの子ども1人当たり月額5千円(3歳未満と第3子以降は1万円)を支給していた現行の児童手当の地方負担分と企業負担分を維持、子ども手当の財源に振り向ける考えにしたことを記者団に表明と伝えている。

 児童手当今年度支給総額1兆160億円のうち、地方が5680億円、企業が1790億円を負担しているということだから、来年度も維持することになった場合、子ども手当半額支給(月額1万3千円)の来年度約2兆3千億円の財源必要分のうち、地方と企業を合わせた7470億円は政府の負担軽減となって、1兆5530億円に抑えることができる。

 これに所得制限をかけたとしても、〈現行の児童手当と同様、860万円の所得制限をかければ、1割の子どもが支給対象外になり、2000億円以上の財源が確保できる。だが、支給対象外となる世帯は、控除廃止の影響で「手当はもらえないのに増税」となってしまう。所得制限を年収2000万円とする案もあったが、その場合の予算削減額は約20億円にとどまる。財源を確保しようとすれば、一部世帯の増税は避けられず、増税のみの世帯を減らそうとすれば、財源捻出効果が期待できないことから、所得制限は見送られた。暫定税率存続に対する「マニフェスト違反」との批判をかわしたいとの思惑もありそうだ。〉(《クローズアップ2009:公約破り、小沢氏圧力(その2止) 背景に財源不足》毎日jp/2009年12月22日)ということなら、所得制限をかけた場合のマニフェスト違反の批判の声、あるいは支持率への影響はかけない場合よりも遥かに悪い方向に向かうことが予想される。

 こういったことは前以て予測できなかったことではないはずである。暫定税率分の維持と子ども手当の所得制限とどちらが国債発行により負担をかけないで済むか、予算編成にどちらがより余裕を与えてくれるか、そして政権にどう影響するかを天秤にかけて二者択一したとき、暫定税率分の維持の方に軍配が上がり、国債発行額「44兆円」の制約も「努力目標」とすることで保証可能となって既定路線としたということではないだろうか。


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