6月28日「新報道2001」出演の金美齢発言から社会・政治問題の提言者としていることの正当性を問う

2014-06-30 11:26:42 | Weblog



 2014年6月28日日曜日のテレビ各社も都議会女性蔑視ヤジを取り上げていた。マスコミ的には犯人探しの趣向もあって、格好のネタとなっているのだろう。テレビや識者が批判している「セクハラヤジ」にしても、あるいは「女性差別発言」にしても、双方共に女性よりも男性を上に置く構造の権威主義の力学が為さしめる行為であって、要は日本の男たちがかつて色濃く持っていた、権力的に男女を上下の関係に置く男尊女卑の風習の、今以て引きずっている名残りが言わしめたヤジであって、男の側の女性側に対するパワハラとしての側面も持っているはずだ。

 男女平等の意識が根付いていたなら、この手のヤジは出てこないし、ヤジに同調した笑い声も起こらない。

 フジテレビ「新報道2001」でもこの問題を取り上げていた。金美齢が出演していて発言していたが、言っていることの判断能力がどうも気になった。今更気づいたことではなく、前々から気づいていたことではあるが、番組が金美齢を、〈80歳、台北出身。育児から政治まで幅広く提言。〉と紹介していたことに対して果たして社会・政治問題の提言者としての合理的判断能力を備えた発言資格ある人間と看做すことができるのだろうかと疑問に思えた。

 あるいは私自身のみが疑問に思えただけのことで、社会的に正当性ある発言と看做す意見もあるかも知れない。俎上に載せて、判断を仰ぎたいと思う。

 舛添東京都知事も出演していて、〈セクハラやじ “揺らぐ信用” 女性活用政治の本気度〉と番組コーナーは銘打っていた。

 金美齢「世の中の動きとしてはね、なるべくならね、若い人たちに結婚してくださいよと。結婚して下さいよって、これ一般論じゃないですか。みんなそう願ってるわけ。少子高齢化なんて言ったら、唯一解決策。

 高齢化はね、止めようがないですよ。私だって、もう少し長生きしたいし。でも、少子化はね、何とかなるんですよ。みんなが意識を変えていけば。

 だったらね、あの場所、あのヤジは、勿論、問題外ですけどもね、早く結婚した方がいいんじゃないですかっていう言葉はね、タブーにしちゃあいけないと私は思う」――

 確かに生活の保証の元となる賃金の保証を受けて若い男女の多くが安心して結婚出来る経済的環境を提供して、二人、三人と安心して子どもを産んで安心して育てることのできる家庭状況及び社会的状況を与えることができれば、少子化の解決策となる。但し、唯一ではない。外国人の移入による人口増加を手段として出生数を高める方法もある。その両方を関連させることで、少子化のより有効な解消策となるはずだ。

 だが、「高齢化はね、止めようがないですよ。私だって、もう少し長生きしたいし」と言っていることは、高齢化を歳を取ることと判断していることを意味する。高齢化とは総人口に占める年配者の割合が大きくなることを言うのであって、金美齢の合理性を欠いた判断能力は社会・政治問題の提言者としての発言資格が疑われることになる。

 1人の女性が生涯に産む子供の数を示す合計特殊出生率を飛躍的に改善できれば、高齢化も改善可能となるし、若い外国人労働者を移民として迎え入れれば、「高齢化はね、止めようがない」ことはない。

 金美齢はまた、「早く結婚した方がいいんじゃないですかっていう言葉はね、タブーにしちゃあいけないと私は思う」と言っているが、あくまでもケースバイケースであって、父・母と息子・娘といった相互に相手側の人間性や置かれている状況を理解し、信頼し合っている極々親しい私的関係に於いては許されるケースであっても、そうではない他者的関係に於いては許されるはずもなく、その区別もない合理性を欠いた判断となっている。

 父・母と息子・娘の近親者関係であっても、他者的人間関係というものは存在する。常に相互理解に立った親しい私的関係にあるとは限らない。もし息子が性同一性障害者で、父・母がそのことに気づいていない場合、父・母の立場から、なかなか結婚しない息子に対して結婚しろよと不用意に言おうものなら、簡単に他者的関係を築くことになるだろう。

 あるいは息子・娘が夫ある女性と、妻ある男性と恋愛関係にあった場合、父・母が相手として想定している「結婚しろよ」は息子・娘を追いつめるだけで、タブーとなる場合も生じるだろう。

 また、「早く結婚した方がいいんじゃない」という言葉かけが許されるのは人間関係の濃密が基準になるだけではなく、時と場所も条件となる。人間関係の距離だけではなく、時と場所を考えない都議会のあのヤジ自体は問題外だと言う以上、そこから「早く結婚した方がいいんじゃないですかっていう言葉はね、タブーにしちゃあいけないと私は思う」とする主張を導き出すこと自体が合理的とは言えない。あくまでも別問題である。

 タブーにしてはいけないと言うことによって、ヤジ自体を擁護するニュアンスを含むことになる。

 同じ日曜日の「たかじんのそこまで言って委員会」の「許せないニュースに吠えまくりスペシャル」で、やはり都議会の「早く結婚した方がいいんじゃないか」と言い放ったヤジを取り上げていて、出演していた橋下徹が珍しくまともな発言をしていた。

 ヤジを許せるかどうかパネラーに問いかけた。

 パネラーの一人津川雅彦が、「許せる」とし、「あれをセクハラにされたら、かなわん」とパネルに書き込んでいた。

 津川雅彦「結婚しろっていうことぐらいでセクハラ扱いされたら、娘に俺は何て言えばいいんですか」

 山本司会者「家で言うことと、都議会で言うことと・・・・」

 津川雅彦「都議会も、家も一緒です」

 津川雅彦は公私の関係で違いが生じる場合があることを理解するだけの頭を持っていない。

 橋下徹「津川さんが言っていることも、ある意味、理があって、これはセクハラ問題で誤解されることは、これは人間関係があるかどうかなんですね。人間関係がある中で、それは早く結婚しろよと。
 
 僕も親だから、言いますよ。子どもに対して。で、例えば、それからもうちょっと広がって、友人・知人関係になるか、しっかり人間関係がある中で、そういう発言というのがある程度許される場合もあるかもしれませんが、やっぱり議員同士っていうのは、そういう人間関係にある者同士じゃありませんからね。

 ただ、僕はこの発言というのは、やっぱり今の日本社会、セクハラ発言になると思いますし、私は基本的にはヤジはやるべきではないと思っています」――
 
 橋下徹が最後に言っている「私は基本的にはヤジはやるべきではないと思っています」は、議員の経験がなく、首長の経験しかない立場が言わせているご都合主義に過ぎないことに本人は気づいていない。

 首長がヤジることは絶対にないとは言い切れないかもしれないが、議員が首長の答弁に我慢できなくなってヤジることはあっても、首長が議員の質問に不用意にヤジることは目立ち過ぎて、品性に関わってくる。
 
 ヤジはゴミ捨てと同じで、近くに居る者は誰がヤジったと分かったとしても、全体的には匿名性を利用する。だから、ヤジが問題となると、誰か特定する手続きが必要となる。

 もう一つ、金美齢の合理的判断能力を欠いた発言を取り上げて、社会・政治の提言者としての発言資格があるか、問い質してみる。

 舛添知事「基本的なことを申し上げますと、このレベルの都議会かって言うんですが、都議会を選んだのは都民なんですよ。ですから、例えばこういうことがあったから、都議会の(ママ)――。

 何度でもあのビデオが流されていますけども、じゃあ、都議会に来ていますか?都議会、ちゃんとしているか。

 で、要するに次の選挙で審判下せばいいわけです。私も都民のみなさんに選ばれたから、公約を掲げて、公約を超スピードで実行していく。そして成果が上がらなければ、都民の審判を受ける。こういうことなんで――」

 大体が党より人と言うが、政党の公約で一票の行方を決めることが多い選挙の構造となっている。ホンネの人間性は隠して、政党の公約を右へ倣えで並べ立てるだけだから、ヤジが問題となるといった突発事態が起きない限り、人間性は知りようがないことになる。

 金美齢「じゃ、それはね、私自身の反省でも実はあるんですよ。今日考えながら来たのは。じゃあ、私は区会議員に一票を投じるときに、都議会議員に一票を投じるときに、その人、本当に知って投票したのかと。

 知らないんですよ、ね。私たち知らされていないし、本当に勉強もしていないし、関心を持ってね、実は、じゃあ、有権者が本当に大切な一票というふうに投じたかって言うと、私自身がいい加減だったなっていうふうに思います。

 仰るとおり、有権者の責任でもあるんですよ。

 ただ、桝添さん覚えているかどうか、大分前に(TV )タックルでこういうことを申し上げたことがあったんですよ。つまり、女性が女性の立場に立って発言するときには、大多数の女性が体験していることを体験してから、そうじゃないと説得力がないって言ったことがあるの。

 舛添さん、すぐに理解してくれてね、なる程ねって仰ってくれたけど、相手の人はね、全然理解できなかった。

 だから、自分が発言するための説得力を持つために大多数の人が体験したことを自分も体験してからっていうふうに私は思うわけですよね。

 だからね、本当に、さっき言ったようにね、あの立場で、あの原稿をね、ただ、ただ棒読みにしているという状態自体がね、誰も批判しないってこともね、今後の選挙の、さらにいい、その選良をね、生み出すことができない。

 だから、メディアの報道の責任でもあるわけ」――

 選挙の構造がどうなっているのか何も理解できずに都民に責任転嫁し、社会・政治問題の提言者で御座いますの発言を垂れ流している。

 「女性が女性の立場に立って発言するときには、大多数の女性が体験していることを体験し」た発言でないと説得力を持たないが真正な事実なら、結婚も妊娠も出産も経験していない塩村文夏都議は妊娠や出産等に関する子育て支援策に関わる都の取り組みについての質問は説得力を持たないから、質問の資格はないということになる。

 人間は想像力というものも備えている。物事を判断し、考えを構築する力を持っている。女性が女性の立場に立って発言する場合であっても、大多数の女性が体験していることを体験せずとも、今の日本社会に欠けている生活上の制度・ルールは何か、どのような新たな制度・ルールを必要としているのか、考え、その考えを纏める力を有していないわけではない。

 金美齢は、その多くが公共の電波を使った社会・政治問題の提言者として発言していながら、人間が優れた能力として持つ想像力を否定している。いくら他者の体験を自らが体験しようとも、想像力なければ、表面的な理解で終わって、説得力を持つには至らないないだろう。

 金美齢の人間の想像力否定の、体験こそが言葉に説得力を生み出すとする体験絶対論に舛添要一がすぐ理解して、「なる程ね」と仰ったとしたら、金美齢と同じくその合理的判断能力は問わなければならなくなる。

 果して金美齢を社会・政治問題の提言者としての発言資格があると、その正当性を認めることができるのだろうか。

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