はるな愛のサンフランシスコ・ジャイアンツ球場での「君が代」独唱の「君」は誰を指していたのか、興味あり

2015-06-30 08:06:59 | 政治

 2015年6月23日放送のフジテレビ「世界行ってみたらホントはこんなトコだった!?」のアメリカメジャーリーグ、サンフランシスコ・ジャイアンツの本拠地でタレントはるな愛が「君が代」を独唱する企画を設けていた。

 独唱は2015年5月19日。その日はジャパンデイを設けていて、阿波踊りなども披露された。

 サンフランシスコ・ジャイアンツが2015年5月19日のジャパンデイイベントで君が代の独唱者を募集していて、はるな愛が歌ったオーディション応募の録音をジャイアンツ側に送ったところ、2カ月後に合格通知が届いたが、条件がついていた。

 球団側の条件

 本番の日までの28日間で歌唱力を上げる。
 できなければ、国歌独唱は白紙に戻す。

 番組が付けた条件かもしれない。はるな愛と決めていたのだし、うまく歌うまでに上達していないからと国歌独唱そのものを白紙に戻したら、ジャパンデイのメインの催しがなくなってしまう。誰か本職の歌手を代打に立てるにしても、はるな愛がダメなら代打という条件に適う、それなりに名の通った歌手、あるいはその条件に甘んじることができるそれなりに名の通った歌手はそれ程存在しないだろう。

 それにオーディション応募の録音を送ってから2カ月後に返事があって、本番まで28日という設定は逆のような気がする。歌唱力の判断に2カ月も必要としたのは常識的に考えられないし、録音を送ってから28日後に合格通知が届き、歌唱力向上に万全を期すために2カ月の練習期間を設けるというのが本来の順序であろう。

 後者の設定なら、番組としてカネも時間も持たないから、常識的には逆となる前者の設定としたのではないだろうか。

 はるな愛は平井堅やMISIA、久保田利伸など国内の大物アーティストを始め、3000人以上を指導してきた日本のボイストレーナー界の第一人者、ボイストレーナー歴40年、ゴスペル歌手でもある亀渕友香先生の指導を受けることになった。

 試しに歌って、亀渕友香先生の採点を受ける。現在の歌唱力は100点満点中45点。

 次のトレーニングを受ける。

●赤ちゃん体操――赤ん坊になって赤ん坊が手や足をばたつかせて全身を使って泣き声を上げる仕草。全身の筋肉が柔らかくなる。特に喉の筋肉を柔らかくする運動。
●「サンキュー」という英語の一言を大袈裟にイントネーションを付け、最大限に伸ばしながら繰返し発音する練習。喉の筋肉を柔らかくする。
●オエー体操――気持ち悪くなって舌を出しながら吐くときの口の仕草。これも喉の訓練。

 トレーニングも終盤になってはるな愛は亀渕友香先生に「君が代」を歌って欲しいと頼んだ。先生の圧倒的な歌唱力にはるな愛はレッスンを一時中断、スタジオから離れる。

 はるな愛「私じゃあ、役不足だと思います」

 挫折がなければ、物語は盛り上がらない。スタジオに戻る

 はるな愛「私先生にお願いして『君が代』聴いたんですけど、聴けば、余計に凄い大役なんだなと思って、今、怖くなった」

 亀渕友香「これは一つのあなたにとっての大きなステップ。サンフランシスコで歌うということはどういうことかと言うことですよ。

 サンフランシスコって、ゲイの文化なんですよ。まだまだ人種差別があるような世の中で、『私たちは私たちの文化があるのよ』って言ってくれたような所ではるな愛が歌うということが大事なのよ」

 番組が「同性愛者の権利擁護に積極的。そこではるな愛が歌う意味」と解説。

 性的少数者の権利擁護に先進的なサンフランシスコでの「君が代」の独唱ということで、その役にピッタリだからと番組がはるな愛に白羽の矢を立てたのか、サンフランシスコ・ジャイアンツ側が、性同一障害者の誰かという要望を出して、番組側がその要望に応えてはるな愛に白羽の矢を立てたのかは分からないが、どちらであっても、はるな愛が歌う意味が設定されていたことになる。

 問題ははるな愛が性同一性障害者としてどう応えるかである。

 本番当日がやってきた。振り袖姿で球場に行き、控室で番組スタッフから一通の手紙を渡される。亀渕友香先生が本番前に読むようにとはるな愛に直接手渡した手紙だが、それをスタッフが持っていて、本番直前の控室でスタッフからはるな愛に手渡すのは番組を尤もらしく盛り立てる儀式として必要としたからだろう。

 「人生はエンターティメント!

 いつでも他人(ひと)に倖せを与える!」

 私自身は「人生はエンターティメント!」の境地にはとてもとても至ることのできない平々凡々人だが、はるな愛には通じるものがあったのだろう。
 
 マイクの前に立ち、両手を広げて左右の振り袖の袖を鳳の羽様に見せたはるな愛の「君が代」は堂々としていて、なかなか見事な歌唱となっていた。

 但しほぼ完全に男性の声となっていた。

 「君が代」の「君」の日本国政府の公式見解をみてみる。

 国旗国歌法が提出された際の1999年(平成11年)6月11日の段階。

 「『君』とは、『大日本帝国憲法下では主権者である天皇を指していたと言われているが、日本国憲法下では、日本国及び日本国民統合の象徴である天皇と解釈するのが適当である」

 「君が代」の歌詞についての同時期の公式見解。

 「日本国憲法下では、天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと理解することが適当である」

 2週間後の1999年(平成11年)6月29日に政府公式見解を次のように改める。

 「君が代」の「君」について

 「日本国憲法下では、日本国及び日本国民統合の象徴であり、その地位が主権の存する国民の総意に基づく天皇のことを指す」

 「君が代」の「代」について

 「『代』は本来、時間的概念だが、転じて『国』を表す意味もある」

 「君が代」について。

 「日本国民の総意に基づき天皇を日本国及び日本国民統合の象徴する我が国のこととなる」

 「君が代」の歌詞について。

 「我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと解するのが適当」(以上「Wikipedia」

 はるな愛が歌った「君が代」が日本国歌であったとしても、性的少数者の権利擁護に先進的なアメリカのサンフランシスコで歌うことに意味を持たせた以上、日本という国や日本人という枠を超えて、性同一性障害者等の性的少数者や異なる様々な人種を含めた全世界の全ての人間を指す「君」でなければ、さして記念すべきことではなくなる。

 歌に全ての人間の命に向けた永遠の祈りを込めていたとしたら、人類の記憶に残すべき貴重な瞬間とすることもできたろう。

 果たしてはるな愛は日本国・日本人限定の「君が代」を歌っただけでことで、性同一性障害者の自身がアメリカのサンフランシスコで「君が代」を歌うことにのみ意味を持たせたということなのだろうか。

 実際はどうだったかのか、大いに興味がある。

 6月26日、アメリカの連邦最高裁判所は同性婚をすべての州で認める判断を下した。

 一方で人種差別が未だ横行している。

 6月17日、アメリカ南部サウスカロライナ州黒人教会で21歳の狂信的な白人優越主義者の白人の若者が銃を乱射、9人の黒人を無残にも殺している。

 それぞれを人種を超えた「君」とすることができない。

 
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百田尚樹の報道の自由否定発言に対する自身の弁明と谷垣貞一の釈明と松井大阪府知事の擁護発言の軽薄性

2015-06-29 08:56:11 | 政治


 6月27日、百田尚樹は福岡市中央区のホテルニューオータニ博多で開かれた福岡大学の同窓会で講演して、その中で再び世間を騒がせることになった2日前6月25日の「文化芸術懇話会」での「沖縄の二つの新聞は潰さないといけない」と発言した報道の自由否定を弁明している。

 百田尚樹「テレビとかラジオで不特定多数の人に向けて言うたら、軽口であろうと、冗談であろうと言い訳が通用しないところがある。ところが、内輪の会、私的な会合です。なおかつ、取材はシャットアウトでしゃべってる。飲み屋の席でしゃべっているようなもんです」(産経ニュース)   

 6月25日の「文化芸術懇話会」は開催場所は自民党党本部であるが、自民党主催ではなく、自民党若手国会議員約40人が出席した憲法改正を推進する勉強会主催の私的な会合だという。講演のテーマは集団的自衛権についてだそうだが、百田尚樹自身の集団的自衛権についての考え方を話したのだろう。

 問題発言は講演後の質疑応答の際だったと言うが、ときには軽口や冗談を言い交わすこともあるだろうし、講演そのものの中でも軽口や冗談を口にすることはあるはずだ。

 だが、百田尚樹はいくら若手と言っても多くの有権者からそれぞれに国政に関わる負託を受けた40人前後の国会議員の先生方を前に集団的自衛権について話す講師として立ちながら、“言い訳が通用する”「内輪の会、私的な会合」だと、会合自体の意味づけを軽くして、例えそれが講演中の発言ではなく、質疑応答中の発言であったとしても、“言い訳が通用する”ことを前提に喋ったことになる。

 つまり自分の講演を最初から軽い内容だとしていて、どうせ言い訳が通用するからと無責任に講師役を務めた。

 だから、講演の内容であろうと、質疑応答での自身の発言であろうと、「飲み屋の席でしゃべっているような」軽いものと自ら自己評価を下すことになった。

 こういった軽い無責任な話だから、「沖縄の二つの新聞は潰さないといけない」と言った発言は何も報道の自由を否定する発言でも何でもなく、福岡大学同窓会の講演後に報道陣に話しているように「野党が僕の発言をうまく利用している。汚い」と言うことになる。

 もし百田尚樹の弁明が全て事実とすると、自民党の錚々たる若手約40人の「文化芸術懇話会」は“言い訳が通用する”、「飲み屋の席でしゃべっている」ような講演内容でも罷り通る、その程度の懇話会ということになって、メンバーの質自体が低いということになる。

 つまり講師もメンバーも質が低い中で飛び出した「沖縄の二つの新聞は潰さないといけない」等々の発言ということになるが、それでもなお報道の自由否定発言であることに変わりはないし、自民党若手国会議員の質が低いということは新たな問題となる。

 百田尚樹は自身の発言に対する自己弁明がどういうことを意味することになるか、何を物語ることになるか、軽薄にも気づきもせず、考えもしなかった。

 だからと言って、自民党若手国会議員の質が低いという評価が百田尚樹の軽薄な弁明が生み出した評価に過ぎないというわけではない。

 昨日6月28日のNHK「日曜討論」での発言。

 谷垣自民党幹事長「大変軽率な議論でご迷惑も掛けた。自民党の姿勢に誤解も与えた誠にけしからん事件だ。言論・報道の自由は最大限尊重されるべきで、圧力をかけられると考えているなら、政治家としての認識が間違っている」(時事ドットコム

 谷垣が言うように単に「大変軽率な議論」で片付けることができるだろうか。民主主義が成熟していなければならない時代・世の中にあって出席議員の中から、「マスコミを懲らしめるには広告料収入をなくせばいい。文化人が経団連に働きかけてほしい」とか、「沖縄は戦後、予算漬けだ。地元紙の牙城で歪んだ世論をどう正すか」といった、自由であるべき言論を自分たちの都合のいい方向にコントロールし、統制したい意志を働かす。

 この情報統制意志は権力の独裁的志向から発する。独裁的志向なくして作動することは決してない情報統制意志であって、例え一人二人の発言であったとしても、民主主義の時代に民主主義に敵対するようなこのような発言が飛び出すこと自体、「軽率」という評価では済ますことのできない非常に危険な兆候であって、その資質に危機感を持たなければならないはずだ。

 だが、谷垣は「大変軽率な議論」で片付けている。しかも後段の「言論・報道の自由は最大限尊重されるべきで、圧力をかけられると考えているなら、政治家としての認識が間違っている」としている、政治家としての本質的な資質を問う危機感とも矛盾する片付け方である。

 もし後段の危機感がホンモノであったなら、単に軽率の類いで片付けることはできないはずだから、そのような処理の仕方が身内庇いから出たものかどうか分からないが、身内庇いから出たものだとしたら尚更に口先だけの危機感ということになって、谷垣からは軽薄性しか窺うことができないことになる。

 橋下徹の分身とも言うべき大阪府知事(維新の党顧問)の松井一郎が6月26日、百田尚樹の報道の自由否定発言について大阪府庁で記者団に発言してる。

 松井一郎「「(メディアに)『圧力をかけよ』と言ったのは自民党。自民党を叩くのはいいが、講師として行った百田さんにも表現と言論の自由はある。

 ここぞとばかりに復讐だな。朝日(新聞)と毎日(新聞)は、百田さんの表現と言論の自由を奪っているのではないか。圧力をかけて」(asahi.com
 
 「沖縄の二つの新聞は潰さないといけない」と報道機関の圧殺を意思表示したのは百田尚樹である。断るまでもなく報道機関の圧殺は自身の気に入らない報道の圧殺を意味し、そのように圧殺することで自身の気に入る情報で統制したい願望を裏付けとして意思表示されることになる。

 既に触れたように情報統制意志は権力の独裁的志向から発する。百田尚樹は安倍政権側に身を置くことで、その国家権力を纏うことができる立場に立つことができる。

 戦前、町内会の住民相手に「お国のためだ、天皇陛下のためだ」と国家権力者に成り代わってその権力を立場相応に身に纏って自身を独裁的地位に置き、好き勝手に権力遂行の快楽を味わった町内会の世話役が決して少なくない数で存在したことを忘れてはならない。

 だが、松井一郎は「百田尚樹にも表現と言論の自由はある」と、そのことが問題となった発言を無視することができる。百田尚樹が報道の自由否定発言をした「文化芸術懇話会」後、機会を把えて、“言い訳が通用する”「内輪の会、私的な会合」での「飲み屋の席でしゃべっているような」発言に過ぎないと軽薄そのものの自身の「表現と言論の自由」を十二分に発揮しているにも関わらず、「朝日(新聞)と毎日(新聞)は、百田さんの表現と言論の自由を奪っているのではないか。圧力をかけて」と平気で事実誤認なことを言うことができる。

 百田尚樹の軽薄性と対応した松井一郎の軽薄性という相互性を取っているからこその百田尚樹擁護発言であり、事実誤認であろう。

 戦前という時代に国家権力によって報道の自由、言論・表現の自由を奪われて、国家の言葉しか言葉として通用しなかった苦い経験を経て民主主義の時代を迎えて70年という民主主義を育てていく時間を歩みながら、国会議員の集まりで名のある文化人が報道の自由を否定する発言を口にし、事もあろうか、国会議員そのものが自由であるべき言論を自分たちの都合のいい方向にコントロールし、統制したい独裁意志を露わにしたことは戦後70年の歩みに真っ向から逆行することとしてそれ相応の危機感を持たなければならないはずだが、持たない文化人、政治家が存在する。

 今後共、存在するに違いない。その筆頭に就ける名誉は勿論、安倍晋三に与えなければならない。

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安倍晋三にしろ百田尚樹にしろ、その他同類は新聞・テレビを洗脳の道具と把え、国民を愚か者扱いしている

2015-06-28 06:49:22 | 政治


 安倍シンパ自民党若手国会議員約40人出席の自民党本部で開催、憲法改正を推進する勉強会「文化芸術懇話会」であった報道圧力に関する発言を6月26日付け「asahi.com」から拾ってみる。  

 大西英男衆院議員「マスコミを懲らしめるには、広告料収入がなくなるのが一番。政治家には言えないことで、安倍晋三首相も言えないことだが、不買運動じゃないが、日本を過つ企業に広告料を支払うなんてとんでもないと、経団連などに働きかけしてほしい」

 井上貴博衆院議員 「福岡の青年会議所理事長の時、マスコミをたたいたことがある。日本全体でやらなきゃいけないことだが、スポンサーにならないことが一番(マスコミは)こたえることが分かった」 

 長尾敬衆院議員「沖縄の特殊なメディア構造をつくったのは戦後保守の堕落だ。先生なら沖縄のゆがんだ世論を正しい方向に持っていくために、どのようなアクションを起こすか。左翼勢力に完全に乗っ取られている」

 百田尚樹「本当に沖縄の二つの新聞社は絶対つぶさなあかん。沖縄県人がどう目を覚ますか。あってはいけないことだが、沖縄のどっかの島でも中国にとられてしまえば目を覚ますはずだ」――

 要するにどれもがマスコミは自民党が進める政治に反対する記事を書いて国民を洗脳して、自民党政治に反対の立場を取らせているという趣旨の発言となっている。

 だから、そのことを正したいという強い思いが「マスコミを懲らしめる」という権力志向的な願望を持つことになり、「日本全体でマスコミを叩かなければならない」という同じく権力志向的な発想となり、「沖縄のゆがんだ世論を正しい方向に持っていく」という、これも権力志向的な使命感を持たせることになり、「沖縄の二つの新聞社は絶対つぶさなあかん」、あるいは「沖縄県人の目を覚まさなければならない」という、これまた権力志向的な危機感となって現れることになる。

 報道と国民の間に洗脳というプロセスを見ていなければ、このような権力志向的な発言とはならない。あるいは洗脳される国民が存在しているということを頭に置いていなければ、このような権力志向的な発想に向かうことはないはずだ。

 これらの発言からすると、彼らが自民党政治に反対する国民は皆マスコミに洗脳されていると考えていたとしても、不思議はない。言論の自由・表現の自由に些かも軸足を置いていない国家権力側に立った者の強い報道圧力志向は国民が洗脳されているという思いなくして作動させることはないはずだからだ。

 自民党政治に反対する新聞・テレビは国民を日々洗脳し、そのような新聞・テレビに国民が日々洗脳されているとする認識の裏を返すと、国民を正しく理解する能力に欠ける生きもの扱いをしていることになる。

 いわば愚か者扱いをしている。この愚民視は当然、自民党政治に反対するマスコミは全部潰して、自民党政治に賛成するマスコミだけにすれば、そのようなマスコミに洗脳されて国民を自民党政治に賛成させることができるという思いに裏打ちされていることになる。

 少なくとも無意識下にはそういった思いがあると見なければ、自民党政治に反対するマスコミ叩きの発想は考えにくい。

 百田尚樹が6月27日に自身のツイッターに「本当につぶれてほしいと思っているのは、朝日新聞と毎日新聞と東京新聞」と投稿したとマスコミが伝えていたが、この3紙の言論そのもの・表現そのものに国民が単に影響を受けているだけとしているなら、潰れて欲しい=この世に存在しないで欲しいという存在抹殺の欲求まで起こすはずはないから、国民を洗脳しているコントロール体と見ているからこその存在抹殺欲求であるはずだ。

 もし新聞が主張するそれぞれの言論・表現を選択するのは国民であり、国民が誰に指図されることなく自らの選択に任せることも国民に保障された言論の自由であり、表現の自由であるとする基本的人権に則した考えに立っていたなら、潰れて欲しいとか、潰したいといった存在抹殺意志は芽生えさせようがないし、国民が日々洗脳されていると見る愚か者扱い、愚民視することもない。

 2014年12月の総選挙前の11月20日に安倍晋三の指示を受けてのことだろう、安倍晋三最側近の自民党筆頭副幹事長の萩生田光一と報道局長の福井照連名で在京テレビ各局に番組報道の公平・公正・中立を求める文書を送ったことがマスコミの安倍政権批判が国民を洗脳する道具となっていると見ていることが動機となっていたからではないとしても、マスコミのどの言論・どの表現をどう選択するかは国民自身に任せることができないことを動機としていたことは明らかで、この任せることができないということの国民それぞれに対する主体性軽視は国民を愚か者と見ているからこその反応であろう。

 国家権力が国民を愚か者扱いし、愚民視すること程危険なことはない。国民との関係に於いて国家権力を絶対正しい、絶対正義だと置いていることになるからだ。

 絶対正しい、絶対正義だとしていなければ、報道はテレビ各局の言論の自由・表現の自由に任せて、在京テレビ各局に番組報道の公平・公正・中立を求める文書など送ることなどできなかっただろう。

 少しでも自己を絶対正しい、絶対正義だとするような国家権力は気をつけなければならない。戦前の国家権力と国民の関係を見れば明らかなことであり、安倍政権にその体質があることは様々な報道介入が証明している。

 「文化芸術懇話会」の面々にしても、全員がそうではなかったろうが、百田尚樹を含めて自己を正しい、絶対正義だとし、国民を愚か者扱い、愚民視していた。

 彼らの中から将来、国家の指導者として頭角を現す者が出る可能性を考えるべきだろう。

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安倍晋三の百田尚樹の「沖縄の二つの新聞は」云々を民主主義に敵対する発言と見ることができない言論感覚

2015-06-27 09:52:30 | Weblog

 
 人格と品位と知識豊富な点で安倍晋三と並んで日本人最高位につけ、その豊かな人間性を買われて安倍晋三の推薦を受けてNHK経営員を2013年11月11日に就任、今年の2末まで務めて日本中から惜しまれて退任した作家の百田尚樹が6月25日(2015年)安倍晋三首相に近い、いわば安倍シンパの自民党若手国会議員約40人出席・自民党本部開催の憲法改正を推進する勉強会「文化芸術懇話会」に講師として招かれて、日本人すべての参考となる、歴史に残る心に響く発言をしたと6月26日のマスコミ各紙が伝えた。

 「沖縄タイムス」から見てみる。市街地に囲まれ世界一危険とされる米軍普天間飛行場の成り立ちについて。

 百田尚樹「元々田んぼの中にあり、周りは何もなかった。基地の周りに行けば商売になると、みんな何十年もかかって基地の周りに住みだした」

 記事解説。〈基地の近隣住民がカネ目当てで移り住んできたとの認識を示した。〉

 〈実際には現在の普天間飛行場内に戦前、役場や小学校のほか、五つの集落が存在していた。沖縄戦で住民は土地を強制的に接収され、人口増加に伴い、基地の周辺に住まざるを得なくなった経緯がある。〉―― 

 百田尚樹「基地の地主さんは年収何千万円なんですよ、みんな。ですからその基地の地主さんが、六本木ヒルズとかに住んでいる。大金持ちなんですよ」――

 言っていることが事実かどうか分からないが、どこにでも特権階級は存在する。極く少数の特権階級の存在性を余りにも米軍基地が沖縄に集中し過ぎている歴史的な現実を理不尽と感じている大多数の一般住民の存在性であるかのように批判して一般住民まで貶める詐術は百田尚樹みたいな人間性豊かな人間でなければできない。

 普天間飛行場の周辺住民約2千人が米軍機の騒音で精神的苦痛を受けたと訴え、那覇地裁沖縄支部が約7億5400万円の支払いを命じた判決に触れた発言。

 百田尚樹「うるさいのは分かるが、そこを選んで住んだのは誰だと言いたい。基地の地主は大金持ち。基地が出て行くとお金がなくなるから困る。沖縄は本当に被害者なのか」

 普天間基地には小学校、中学校、高校、大学までが隣接、もしくは近接している。好んでそこを選んだのではなく、選ばざるを得ない事情があったからだろう。

 基地の地主が被害者でないと想定して、一般住民まがで被害者でないと同類扱いする粗雑な理解力はさすが安倍晋三と考えが通じ合うだけある。

 安倍シンパの出席議員から沖縄の地元紙が政府に批判的だとの意見が出たのに対する発言。

 百田尚樹「沖縄の二つの新聞は潰さないといけない。あってはいけないことだが、沖縄のどこかの島が中国に取られれば目を覚ますはずだ」

 新聞、その言論・表現を選択するのは国民である。国民が自らの選択に任せることも国民に保障された言論の自由であり、表現の自由である。何人もこの言論・表現を選択せよと指図することはできない。戦争中、アメリカのレコードを聞いていると、国民の自由な選択を忌避、国家権力がスパイだ、国賊だと、弾圧したことを忘れてはならない。

 だが、国民の選択に任せるべき言論の自由・表現の自由を無視して、政府に批判的な「新聞は潰さないといけない」と、その権利もないの新聞・国民共々の基本的人権をコントロールする意志を覗かせる。

 ここに気に入らない言論の自由・表現の自由に対してその自由を奪おうとする、民主主義に敵対する悪意ある抑圧意志・弾圧意志を見ないわけにいかない。いわば百田尚樹は言論の自由・表現の自由に対して抑圧意志・弾圧意志を衝動として抱えている人物だということである。

 こういった基本的人権に関わる危険人物を政党の会合に呼んで講師とする。百田尚樹と「文化芸術懇話会」のメンバーである自由民主党の国会議員が思想・言論に於いて極めて親近性が高いからであろう。

 このことは記事が取り上げている出席議員の安保法案を批判する報道についての発言が証明する。

 出席議員「マスコミを懲らしめるには広告料収入をなくせばいい。文化人が経団連に働きかけてほしい」

 出席議員「沖縄は戦後、予算漬けだ。地元紙の牙城で歪んだ世論をどう正すか」――

 百田尚樹同様に新聞・国民共々の言論の自由・表現の自由をコントロールしようとする、民主主義に敵対することになる悪意ある抑圧意志・弾圧意志を見せている。百田尚樹の抑圧意志・弾圧意志を受けて見せることになった自分たちの抑圧意志・弾圧意志ということであって、相呼応した姿を見せ合ったということであろう。

 両者共にそれが気に入らない場合は言論の自由・表現の自由を制限したい、あるいは弾圧したい欲求を人間的な本質性として抱えているということを意味しているはずだ。

 勉強会は自民党の木原稔青年局長が代表で、首相側近の加藤勝信官房副長官や萩生田光一・党総裁特別補佐が参加しと記事は書いている。

 翌日6月26日、マスコミが伝えた百田尚樹と出席議員の発言を衆院平和安全法制特別委員会で民主党の寺田学と辻元清美が取り上げて、安倍晋三を追及した。

 発言は《【安保審議詳報】百田氏「沖縄2紙潰せ」発言で紛糾 民主・寺田氏「由々しき発言だ。党総裁として処分すべき」》産経ニュース/2015.6.26 15:49)と続きの記事を参考にした。 

 官房副長官の加藤勝信が寺田学に出席していたのかと問われて答弁した内容が素晴らしい。

 加藤勝信「寺田委員にお答えしたいと思います。文化芸術懇話会、これは政治家に求められる教養と想像力を得るため、芸術家と共通する創作手法と成果の普遍性を追及し、世界の中で輝ける日本を創造し、デザインする上で必要不可欠であり、心打つ政策技術を立案し、実行する知恵と力を習得することを目的として開催されたものでありまして、そもそも自民党の正式な組織ではなく、いわゆる有志による内々の勉強会でございます。私自身も今、官房副長官とおっしゃいましたが、官房副長官としてではなく、一自民党の国会議員として出席したところでございます」

 講師として呼ばれた百田尚樹の発言やマスコミが伝えている出席議員の発言を見ると、「文化芸術懇話会」はその高邁な芸術的設立趣旨に適う目的を十分に果たしていると確実に言うことができる。ご立派!!

 「自民党の正式な組織ではなく、いわゆる有志による内々の勉強会」で、「官房副長官としてではなく、一自民党の国会議員として出席した」と自民党や内閣の責任とは無関係だと早手回しに逃げの手を打つところもご立派!!

 自民党の正式な組織ではなくても自民党所属議員が参加している会合であり、加藤勝信が一国会議員として出席したとしても、それぞれが拠って立つ人間性――つまり人物まで変わるわけではない。「作家としての立場でのお話をされていた。我々としても、そうした視点からのご意見、大変、拝聴に値するなと思いました」と有意義な講演であったとすることで、百田尚樹の言論の自由・表現の自由に対して民主主義に敵対することになる抑圧意志・弾圧意志をあからさまに覗かせた主義主張に違和感すら自覚していない以上、その人間性、人物は官房副長官の肩書を持たせた場合、その資格、適格性は尚更に問題となる。

 だが、本人は一国会議員の出席だからとあくまでも逃げようとする。 

 寺田学は順番として考えていたのだろう、矛先を安倍晋三に変えた。

 寺田学「私は本当にこれ(出席自民党議員の発言)が事実だとしたら、私はしっかりと処分し、議員でいる身分ですらないと思うのですが、首相、このような発言があった、報道になった。そういうことはご認識されていますか」

 安倍晋三「私は報道を承知していません。また委員は伝聞を事実として、ここで述べているわけでありまして、報道自体を知らない訳でございます。また党において、さまざまな議論が行われるわけでありますが、私は基本的には自民党というのは自由と民主主義を大切にする政党でありますから、当然、報道の自由は民主主義の根幹であるという中においての議論であるとこのように思います」

 寺田学「首相お願いです、この後ろに座っている議員の中でご出席されている方いらっしゃいます。お昼1時間あります、午後、私が一番の質問者です。そのような発言があったかどうか確認をしてください。よろしいですか」と発言が事実かどうかの確認を安倍晋三に迫り、

 安倍晋三「私は政府の立場であり、ここに立っているのは、この法案の審査でございまして、党においてもさまざまな会合が開催されるわけでありまして、そのいちいち会合について出席者は誰か、どういう発言をしたかということを、この委員会において、私が政府の立場としてここでお示しする立場ではない。もちろん委員会として、それを調査するということではあれば、別の話でありますが、これは委員会にお任せしたい」

 ところが寺田学は尚も安倍晋三自身による発言の確認を求め、安倍晋三が断り、この繰返しで午前中は時間切れとなった。

 安倍晋三は「私は基本的には自民党というのは自由と民主主義を大切にする政党でありますから、当然、報道の自由は民主主義の根幹であるという中においての議論であるとこのように思います」と言っているのである。「新聞が伝えている発言が事実だとしたら、これらの発言が『報道の自由は民主主義の根幹であるという中においての議論』に当てはまると考えるのか」となぜ追及しなかったのだろう。

 発言の事実確認を尚も求める寺田学に対して事実と仮定した場合の安倍晋三の答弁は次のようになっている。

 安倍晋三「そういう報道があるということは、存じ上げませんが、今、寺田委員が指摘されたような報道があって、それが事実であるとすれば、大変、遺憾ではありますが、だから党の正式な会合ではないわけでありまして、有志が集まった会合でありますし、その中の発言がどのような経緯で発言されたものか確認してみる必要があるんだろう、このように思います」――

 党の正式な会合であろうとなかろうと関係はない。どのような経緯で発言されたものか確認してみる必要もない。発言自体が問題であって、党の正式な会合では言論の自由・表現の自由に対する抑圧意志・弾圧意志を覗かせた発言――民主主義に敵対する発言は許されないが、正式な会合でなければ許されるとすることはできない。

 既に触れたように拠って立つ人間性――つまり人物は会合の性格によって変わるわけではないから、正式な会合かそうでないかで責任の有無を色分けすることはできない。

 例えば国会議員がSMバーや乱交パーティーに出かけて普段の人間性を豹変させた別の人格を見せようとも、その人格は普段の人間性に隠されているその一部であって、人間性そのもの、人物そのものに変わりがあるわけではないから、SMや乱交の趣味があると判明したとしても、国会議事等の国会議員としての活動の場では乱交をしているわけではない、女性にムチ打たれているわけではないとして国会議員としての責任はない、許すとすることができないのと同じである。

 衆院平和安全法制特別委員会の浜田靖一委員長が昼休みの間、「文化芸術懇話会」の会合に出席していて、委員会にも出席している議員に発言の事実を確かめたところ、議員たちは発言を事実と認めたという。

 寺田学はこのことに元気づいたのか、午後の質疑に入っても安倍晋三の事実確認に拘り、報道と沖縄県民に対する謝罪を求めたが、安倍晋三に体よくあしらわれることになった。

 安倍晋三「最初に、寺田委員は私が調べたのかと、この休みの間になぜ調べないんだ、それはけしからんと。けしからんじゃないといわれたから、最初に(色々と用事があって忙しいからと)そのように申し上げた。私は最初に申し上げたように委員長が委員長の職権として調べた、この発言を承知した上において、安倍内閣として自民党としての立場を言えということだったから、言論の自由こそが民主主義の根幹であり、当然、尊重されるべきものであると申し上げた。今後ともその方針は変わらないわけであり、その考え方は今後とも党内において徹底していく考えだ」

 安倍晋三「自民党にはさまざまな講師の方が来て、さまざまな考えを述べる。わが党の考え方とだいぶ離れた考え方を述べる方も往々にしている。そういう方々の、この百田さんだけではなくて、さまざま方々がいろんな発言をされるわけでありまして、その方々が発言された、その場にいないのにもかかわらず、その方に成り代わって、勝手におわびすることは私はできない。そういうわびるかどうかは、そういう発言した人物のみが責任を負うことができるのだろうと思う。その後のやりとりは、私も詳細には知らない。おそらく寺田議員もその後のやり取り全てを知っているということではないんだろう、とこのように思うわけであります」

 安倍晋三「自民党がいわば企業に圧力をかけて、スポンサーを下りろとか、そんなことは考えられない。当然、それはそれぞれの企業が判断されるわけです。当然、その考え方については共有されていると思います」――

 寺田学は百田尚樹や出席議員の発言に対して安倍晋三がどう認識するか、そのこと自体を問い詰めもせずに時間切れとなった。問題の本質が発言が露わにすることになった民主主義に敵対することになる言論の自由・表現の自由に対する抑圧意志・弾圧意志だと的確に把えていなかったから、その方向へ向かうべき追及が向かわないままに時間を費やすことになったのだろう。

 但し安倍晋三も、「党の正式な会合ではないわけでありまして」などと言っているのだから、問題の本質を認識していたわけではない。午後の安倍晋三の発言として挙げた個所から主なところを再度記載してみる。

 「安倍内閣として自民党としての立場を言えということだったから、言論の自由こそが民主主義の根幹であり、当然、尊重されるべきものであると申し上げた。今後ともその方針は変わらないわけであり、その考え方は今後とも党内において徹底していく考えだ」

 「そういうわびるかどうかは、そういう発言した人物のみが責任を負うことができるのだろうと思う」

 「自民党がいわば企業に圧力をかけて、スポンサーを下りろとか、そんなことは考えられない。当然、それはそれぞれの企業が判断されるわけです」

 安倍晋三は民主主義の根幹だからと、言論の自由に関わる原則論を述べているに過ぎない。教科書に書いてあったとしても、あるいは日本国憲法に書いてあったとしても、それが守られているかどうかにこそ留意しなければならない。教科書や憲法に書いてあったとしても、100%守られる保証はどこにもないからなのは断るまでもない。

 安倍晋三は内閣及び自民党の責任者として自民党議員、あるいは閣僚が基本的人権に則らない、言論の自由・表現の自由に対する抑圧意志・弾圧意志を滲ませた発言を一言でも漏らして民主主義に敵対する姿勢を見せたなら、民主主義国家の民主政党を成す一員としての資格はないとして排除しなければならない。

 それ程の厳しさがなければ、普段口にしている「自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった普遍的価値」を原則とし、その共有を求める価値観外交を唱える適格性を失うことになるからだ。

 当然、浜田委員長が発言の事実を確認した以上、発言した百田直樹や出席議員のみならず、発言に異を唱えずにそのまま許した勉強会の代表や首相側近の加藤勝信官房副長官や萩生田光一・党総裁特別補佐の責任をも問わなければならない。

 だが、安倍晋三は民主主義に敵対することになる言論の自由・表現の自由に対する抑圧意志・弾圧意志を滲ませた発言だとは認識もせずに、「そういうわびるかどうかは、そういう発言した人物のみが責任を負うことができるのだろうと思う」と党所属ではない百田尚樹一人に謝罪するかどうかを任せて、安倍シンパである出席議員に関しては責任逃れに走った。

 可能性としては「自民党がいわば企業に圧力をかけて、スポンサーを下りろとか、そんなことは考えられない」かもしれない。だが、そのようにしたいと欲する意志を見せた事実は発言が事実だと確認された以上、否定できないのだから、問題とすべきことを問題としない誤魔化しを働かせたに過ぎない。

 要するに安倍晋三は発言から民主主義に敵対することになる言論の自由・表現の自由に対する抑圧意志・弾圧意志を嗅ぎ取ることができないか、あるいは嗅ぎ取ることを拒否して、言論の自由に関わる原則論を振り回して責任逃れを図ったに過ぎない。

 それが「党の正式な会合ではないわけでありまして」、「わが党の考え方とだいぶ離れた考え方を述べる方も往々にしている」、「そういうわびるかどうかは、そういう発言した人物のみが責任を負うことができるのだろうと思う」等々の発言となって現れた。

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安倍晋三は米政府と同様にテロ組織の邦人人質・身代金要求の場合の政府としての対応を国民に説明せよ

2015-06-26 10:36:53 | 政治

 


      「生活の党と山本太郎となかまた ち」

      《6月23日 小沢代表・山本代表記者会見要旨党HP掲載ご案内》

     こんばんは、生活の党と山本太郎となかまたちです。
     6月23日に行われた小沢一郎代表、山本太郎代表の定例記者会見要旨が日本最大級の提言型ニュース
     サイト『BLOGOS』と党ホームページに掲載されています。延長国会決定を受けて小沢代表は
     野党のあり方について、「結束して戦うべきところは戦う」、山本代表は「政権交代に向けて本当
     に大きな意味を持つというか大きな戦いができる会期延長になる」と述べました。ぜひご一読くだ
     さい。  

     【質疑要旨】
     ○安保法案への対応について
     ○維新の党の安保対案いついて
     ○参院統一会派について
     ○参院岩手補選について
     ○次期総選挙への準備について
     ○原発再稼働について
     ○シビリアン・コントロールについて

 アメリカ人は今なお30人以上がテロリストに拘束されているという。米政府は今まで自国民を拘束・人質としたテロリスト集団が例え釈放の交換条件に身代金を要求しても、そのカネが組織の資金源・活動資金、あるいは戦闘資金となることと、支払に応じた場合、テロ集団側のそのことのルール化への期待から新たな拘束を招きかねない悪循環を恐れて、要求に応じない姿勢を公にしてきた。

 ところが昨年2014年8月に「イスラム国」に殺害されたアメリカ人ジャーナリストのジェームズ・フォーリー氏の母親が2015年2月に「『イスラム国』から身代金を要求するメールが届いた際、政府は動いてくれなかった。以後も政府は情報を共有してくれず、私たちには何も知らされなかった」と明らかにした米政府のテロリスト集団とは身代金要求の交渉には応じないという姿勢から両親が独自に資金集めを開始したところ、米国家安全保障会議(NSC)の高官から、「もしフォーリー氏の100万ドルの身代金を支払えば、テロリストに資金提供をしたテロ幇助の罪に問う」と3回も警告を受けたという。

 この母親の暴露がキッカケとなって政府に対する批判が起き、オバマ大統領は対応策の見直しを指示していた。

 6月24日(2015年)、この見直しを発表した。その内容は政府の立場では従来どおりテロ集団に譲歩せず、身代金の支払いや人質の交換に応じない方針を堅持、但し人質の解放に向けた交渉は行い、家族が身代金を支払っても罪には問わず容認するというものだとマスコミは伝えている。

 この見直しに対して菅官房長官が6月25日午前の記者会見で日本を含む各国の人質事件への対応原則には影響しないとの認識を示したとマスコミは伝えている。

 つまり日本政府従来どおりの対応に変わりはないとした。

 菅義偉「米国テロ組織に対し、いかなる譲歩もしないという政策を改めて確認している」(時事ドットコム

 「米国」と類似や同類を意味する助詞の「」を使っているのだから、日本もテロリストには譲歩しないことを意味する。

 ここで問題となっているのはテロ集団による人質解放の条件としての身代金支払い要求にどう対応するかであるから、身代金要求に従来どおり応じないという意味になる。

 つまり湯川遥菜さんと後藤謙次さん拘束に対する「イスラム国」の2億ドル身代金要求に安倍政権は応じない姿勢で対応し、その姿勢を貫いたことになる。

 但しマスコミが実際に「米国」と発言したのかどうかが問題となるから、「内閣官房」のサイトにアクセスして、6月25日午前の官房長官の記者会見の動画を確かめてみた。いつものことだが、非常に聞き取りにくく、特に記者の質問の声が殆ど聞こえない。官房長官の声も聞き辛く、しかも画面が時折り停止したりする、不親切極まりない国民向けの情報発信となっている。

 何度聞き直しても、最初から最後まで明確にに聞き通すことができない。理解できたところだけを記載してみる。

 最初の記者の質問は全然聞き取れない。

 菅義偉「先ずですね、あのー、今回の米政府発表にありますけれども、人質を安全に取り戻すために米政府が自らが人質の救済・・・・・

 連絡を取ってもよい・・・・

 今回の発表に於いてですね、米国は如何なるテロ組織に対して譲歩しないというですね。政策を改めて確認されているように思っています」――

 「米国」という言葉を使っていない。

 誰かこの記者会見の発言を文字起こしていないかと色々とネット上の情報まで掻き集めて遣り取りを理解しようとしたところ、2月2日午後(2015年)の会見で菅義偉が犯人側と身代金交渉するつもりはなかったと発言したと伝えている「ロイター」記事に出会った。

 ネット上で紹介している記事はより多く目を通しているつもりでいたが、迂闊と言うべきか、この発言を知ったのは初めてであった。

 記事は次のように伝えている。〈イスラム国は1月20日にインターネット上に投稿した映像の中で、拘束していた湯川遥菜さんと後藤健二さん解放の条件として、身代金2億ドルを要求していた。菅官房長官は会見で、身代金を用意していたかについて記者から問われ、「それは全くない。100%ない」と明確に否定した。さらに、イスラム国と交渉する気は「全くなかった」と述べた。 〉――

 つまり安倍政権は身代金支払いを通した人質解放交渉は一切予定はしていなかったことになる。

 その発言を詳しく知りたいと思って、内閣官房のサイトから2月2日午後(2015年)の記者会見の動画にアクセスしてみた。最初の記者の質問が殆ど聞き取れないから、紹介している記事がないかと探したところ、取り上げている記事に出会った。
 
 2月2日(2015年)、TBSテレビ「Nスタ」がヨルダン下院外交委員長バッサム・マナシール氏の証言として、「日本政府はイラクのスンニ派指導者たちや政治エリートら第三者を介して交渉し、解放に向けて身代金を払う用意もあった」(Yahoo!ニュース/2015年2月2日 23時15分)と伝えたことの事実かどうかの確認を記者は尋ねた。  

 菅義偉「全くありません。100%ありません。明快に否定します」

 記者そんなことに関係なく、日本政府としては交渉する気はなかったということですか」

 菅義偉「全くありません。完全に事実と違います」

 下線を引いた個所は動画では聞き取りづらく、何度か聞き直して、「そんなことに関係なく」と言ったとした。

 二度目の「全くありません」がテロ集団と交渉する予定はなかった事実の提示であるなら、後段の「完全に事実と違います」は前段と整合性の取れない発言となる。

 二度目の「全くありません」がヨルダン下院外交委員長バッサム・マナシール氏の証言の再度の否定であり、後段の「完全に事実と違います」は前段の再度の否定を完璧に伝える言葉とすることによって前段と後段の発言に整合性を取ることができる。

 いわばテレビ番組が取り上げたような事実は存在しないことを否定しただけだと逃げることができる。

 但し安倍政権は一貫して人命第一の立場に立って2邦人の保護に取り組んできた、2邦人と関係があったと見られる人物や現地の事情に通じた人物、部族長や宗教関係者を含め、あらゆるチャンネルを活用して、情報収集及び働きかけを行ったとしていた以上、身代金交渉に応じなければ、「人命第一」とはならない。

 身代金目当てで子どもを誘拐した犯人に対して、「身代金は払いません。子どもは解放して貰います」と要求して、これを以て「人命第一」だとしたとしても、その要求が100%通ると保証できるだろうか。

 「人命第一」を言う以上、如何なる手段を使ってでもという意味を含むことになり、身代金支払い拒否、あるいは支払い無視を「第一」としてはならないし、した場合、「人命第一」(=如何なる手段を使ってでも)と矛盾が生じる。

 少なくとも安倍晋三はテロリスト集団が邦人を拘束・人質とし、身柄解放の条件として身代金を要求した場合の政府の対応を自身の口から国民に説明していない。

 アメリカ政府と同様に自身の口から国民に説明すべきだろう。

 「イスラム国」が2邦人の拘束を伝え、解放条件に2億ドルの身代金を要求して以後、安倍政権は「人命第一」を振り撒いてきた。

 身代金要求に交渉する姿勢も、支払いに応ずる姿勢もなく、さもそういう姿勢で事件に対応しているかのように「人命第一」を振り撒かれたのでは適わないし、大体が国民をバカにしていることになる。

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安倍晋三には特に安全保障関連法案審議・成立に関して「議会制民主主義の王道」を言う資格はない

2015-06-25 08:27:41 | 政治


 安倍晋三が今国会の会期を通常国会としては過去最長となる異例とも言える95日間も延長したが、このことは安倍晋三がどう奇麗事を並べて言い繕おうとも目的は唯一つ、安保法制を通して自衛隊の後方支援と集団的自衛権行使を実現させるためであろう。
 
 この会期延長について安倍晋三は6月22日、国会内で記者たちに発言している。

 安倍晋三「この国会は、農業や医療、雇用、エネルギー、『平和安全法制』といった、戦後以来の大改革を断行する改革断行国会だ。当然、そう簡単な課題ではない。われわれの使命はしっかりと議論を重ねながら議会の中において議論を深めていくことだ。

 (安全保障関連法案の審議について)今回は95日という最大の延長幅を取って、そして十分な審議時間を取って徹底的に議論をしていきたい。そして最終的には『決める時には決める』、この議会制民主主義の王道を進んでいくべきだと判断した」(NHK NEWS WEB

 「農業や医療、雇用、エネルギー」問題を先に持ってきて、外交・軍事の面で日本の今後の方向を新たに決定づけることになるから何よりも問題となっているゆえに第一番に持ってくるべき安保法制を最後に持ってくるところはなかなか巧妙だ。

 「議会制民主主義の王道」を進んでいくために95日という最大の延長幅を取った。一見尤もらしく聞こえるが、安保法制に関してこれまで王道を歩んできたわけではない。

 昨年2014年12月14日の総選挙で自民党は絶対安定多数の国会議席を獲得した。開票翌日の2014年12月15日に自民党本部で記者会見して、冒頭でいきなり次のように述べている。

 安倍晋三「今回の総選挙は、アベノミクスを成功させるため、来年の消費税2%さらなる引き上げを1年半延期するという税制上の大きな変更について国民に信を問う解散でありました。いわば『アベノミクス解散』であったと思います」(首相官邸HP)   

 アベノミクスを成功させるために消費税の1年半延期の是非を問う「アベノミクス解散」であった。

 つまりアベノミクスの成功自体を問うたことになり、国民はその問いに応えた。景気回復への願いが強かったからなのは断るまでもない。

 特に株高の恩恵から取り残され、円安による物価高に苦しめられている中低所得層はその願いは強かったはずである。そしてそういったことの結果が自民党291議席獲得ということであろう。

 総選挙がアベノミクスを成功させるべきか否かを問う選挙だとしていたからこそだろう、安倍晋三は冒頭発言の中で「経済最優先で取り組み、景気回復の暖かい風を全国津々浦々にお届けしていく決意です」と述べはしたが、安保法制については一言も触れていない。

 だが、冒頭発言後の記者との質疑で安保法制について問われたために触れている。 

 記者「今回の選挙ではアベノミクスのほか、集団的自衛権の行使容認や憲法改正、原発再稼働も争点になりました。選挙結果を受け、来年の通常国会に提出する安全保障法制整備の関連法案はどのように審議を進める考えですか。憲法改正にどう取り組むか、原発再稼働についてのお考えは」

 安倍晋三「先ず安全保障法制についてですが、今回の選挙はアベノミクス解散でもありましたが、7月1日の閣議決定を踏まえた選挙でもありました。そのことも我々、しっかりと公約に明記しています。

 また街頭演説においても、あるいは数多くのテレビの討論会でもその必要性、日本の国土、そして領空、領海を守っていく、国民の命と安全な国民の幸せな暮らしを守っていくための法整備の必要性、閣議決定をもとにした法整備の必要性ですね、集団的自衛権の一部容認を含めた閣議決定に基づく法整備、これを来年の通常国会で行っていく、これを訴えて来たわけです。

 このことにおいてもご支持を頂いた。当然、約束したことを実行していく。これは当然、政党、政権としての使命だと思う。来年の通常国会のしかるべき時に法案を提出していきたい。そして成立を果たしていきたいと考えています」(産経ニュース)――

 冒頭発言ではアベノミクスを成功させるべきか否かを問う「アベノミクス解散」だと言って、安保法制には一言も触れていなかったにも関わらず、質疑では安全保障法制についてもその信を同時に問う選挙であり、自民党291議席獲得を以って「ご支持を頂いた」――国民の信任を得たとしている。

 支持を得た以上、来年の通常国会で法案を提出、成立を図りたいと言っている。

 言っていることが正しく、国民の多くもそのように受け止めているなら、通常国会で安保法制法案を提出、今国会の会期を通常国会としては過去最長となる95日間も延長して法案の成立を図ることも国民の期待に応える目的からであって、まさに議会制民主主義の王道を歩んでいることになる。

 つまり2014年12月14日総選挙はアベノミクスの是非ばかりか、安保法制の是非をも争点とした選挙であり、国民はその両方にイエスのサインを提示した。安倍晋三の側から言うと、両方共に「ご支持を頂いた」

 もし安倍晋三の言っていることが事実であるなら、国民のイエスの判断はマスコミ各社の安保法制に関わる世論調査にもそのままに反映されて然るべきだし、反映されなければならないが、どの世論調査を見ても、安倍晋三の「ご支持を頂いた」という言葉に反する傾向を見せている。

 朝日新聞社の6月20、21日実施の最新の世論調査を一例として挙げておく。

 「今の国会に提出された安全保障関連法案についてうかがいます。集団的自衛権を使えるようにしたり、自衛隊の海外活動を広げたりする安全保障関連法案に、賛成ですか。反対ですか」

 賛成29%
 反対53%

 「安全保障関連法案について、国会に呼ばれた3人の憲法学者が『憲法に違反している』と主張しました。これに対して安倍政権は『憲法に違反していない』と反論しています。3人の憲法学者と安倍政権の、どちらの主張を支持しますか」

 3人の憲法学者50%
 安倍政権17%

 「安全保障関連法案で自衛隊の活動範囲が広がると、自衛隊が戦闘に巻き込まれるリスクが高まると思いますか。高まらないと思いますか」

 高まる81%
 高まらない9%

 「安全保障関連法案が成立すると、外国が日本を攻撃しにくくする抑止力が高まると思いますか。高まらないと思いますか」

 高まる33%
 高まらない40%

 「安倍首相の安全保障関連法案についての国民への説明は、丁寧だと思いますか。丁寧ではないと思いますか」

 丁寧だ12%
 丁寧ではない69

 「安倍政権は安全保障関連法案を、今開かれている国会で成立させる方針です。この法案を、今の国会で成立させる必要があると思いますか。今の国会で成立させる必要はないと思いますか」

 今の国会で成立させる必要がある17%

 今の国会で成立させる必要はない65%(以上)

 少なくとも安保法制に関して「ご支持を頂いた」という国民世論の状況とはなっていない。

 このことは国会での安保法制の質疑の進行に連れて安倍内閣が支持率を下げている点にも現れている。

 国民は2014年12月14日総選挙をアベノミクスを問う総選挙だと見ていても、安保法制の是非を問う総選挙だとは見ていなかったということである。

 少なくとも総選挙でアベノミクスに支持を与えたが、安保法制には支持を与えなかった。

 にも関わらず、安保法制に関しても総選挙で「ご支持を頂いた」と事実に反する言いくるめを行って、国会会期を延長してまでして国民世論が反対する安保法制の成立を図る。

 これを以て果して「議会制民主主義の王道を進んでいく」と言うことができるだろうか。

 安倍晋三が「王道」という言葉を使うこと自体、図々しいばかりの言いくるめに過ぎない。使う資格などない。

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安倍晋三の『慰霊の日』の沖縄戦没者追悼式挨拶で「美しい自然に恵まれ」と言うことのできるカラッポの頭

2015-06-24 11:50:39 | 政治


 


      「生活の党と山本太郎となかまた ち」

      《6月23日 小沢代表・山本代表記者会見動画党HP掲載ご案内》  

     こんばんは、生活の党と山本太郎となかまたちです。
     小沢一郎代表と山本太郎代表は6月23日、国会内で定例の記者会見を行い、国会会期延長、安保法案
     対応、維新の党安保対案、参院統一会派、参院岩手補選、原発再稼働などに関する質問に答えまし
     た。
  
     記者会見動画を党ホームページに掲載しました。ぜひご覧ください。

 1945年6月23日に沖縄戦の組織的戦闘が終結したことに因んだ今年6月23日の『慰霊の日』、安倍晋三が糸満市で開かれた戦没者追悼式で挨拶した。  

 安倍晋三「戦後70年、沖縄全戦没者追悼式に臨み、沖縄戦において、戦場に斃れた御霊、戦禍に遭われ亡くなられた御霊に向かい、謹んで哀悼の誠を捧げます。

 先の大戦において、ここ沖縄の地は、国内最大の地上戦の場となりました。県民の平穏な暮らしは、にわかに修羅の巷と変じ、豊かな海と緑は破壊され、20万人もの尊い命が失われました。戦火の只中で、多くの夢や希望を抱きながら倒れた若者たち、子どもの無事を願いつつ命を落とした父や母たち。平和の礎に刻まれた多くの戦没者の方々が、家族の行く末を案じつつ、無念にも犠牲となられたことを思うとき、胸塞がる気持ちを禁じ得ません。

 私たちは、この不幸な歴史を深く心に刻み、常に思いを致す。そうあり続けなければなりません。筆舌に尽くしがたい苦難の歴史を経て、今を生きる私たちが、平和と、安全と、自由と、繁栄を、享受していることを、改めて、噛みしめたいと思います。

 私はいま、沖縄戦から七十年を迎えた本日、全国民とともに、瞼を閉じて、沖縄が忍んだ、あまりにも夥しい犠牲、この地に斃れた人々の流した血や、涙に思いを致し、胸に迫り来る悲痛の念とともに、静かに頭を垂れたいと思います。

 その上で、この七十年間、戦争を憎み、ひたすらに平和の道を歩んできた私たちの道のりに誇りを持ち、これからも、国際平和の確立に向け、不断の努力を行っていかなくてはならないのだと思います。

 美しい自然に恵まれ、豊かな文化を有し、アジアと日本をつなぐゲートウェイとしての沖縄。イノベーションをはじめとする新たな拠点としての沖縄。沖縄は、その大いなる優位性と、限りない潜在力を存分に活かし、飛躍的な発展を遂げつつあります。沖縄の発展は、日本の発展を牽引するものであり、私が、先頭に立って、沖縄の振興を、さらに前に進めてまいります。

 沖縄の人々には、米軍基地の集中など、永きにわたり、安全保障上の大きな負担を担っていただいています。この3月末に西普天間住宅地区の返還が実現しましたが、今後も引き続き、沖縄の基地負担軽減に全力を尽くしてまいります。」――

 先の大戦で沖縄は国内最大の地上戦の場となり、県民の平穏な暮らしは修羅の巷と化し、豊かな海と緑は破壊され、20万人もの尊い命が失われた。

 しかし今や美しい自然に恵まれている。

 だが、沖縄戦で犠牲となった、主として沖縄県民の慰霊の日である。その数20万人と安倍晋三自身が言っている。当然、この日に多くの沖縄県民の頭の中にある記憶は戦争の理不尽さであり、戦争を知らない世代であっても、親や祖父母などから聞かされているその理不尽さの言い伝えを記憶に蘇らせているであろうし、現在もなお、日常的に肌で感じていなければならない軍隊という存在自体が連想させる戦争の恐怖や日常的に目にする殺傷能力の高い近代兵器が想像させる威圧性が持つ理不尽さに関わる記憶であるはずである。

 このような理不尽さを突きつける原因が日本全国土の0.6%しかない沖縄県に在日米軍基地の75%近くが集中しているという現実であろう。

 いわば慰霊の日こそ、戦争の理不尽さの記憶を、多分悔しさや激しい後悔と共に荒々しく蘇らせる日であり、戦争の理不尽さに繋がる可能性からの関連で米軍の巨大な存在を不吉な思いで見なければならない日であるはずである。

 特に戦争を経験した沖縄県人は目にした累々とした無残な死体や死の恐怖と共に襲いかかる激しい砲撃の記憶が蘇って、その日に限って沖縄が古来から持つ美しい自然は頭のどこにもその居場所を与えることはできなかったろう。

 だが、安倍晋三は『慰霊の日』であろうと、沖縄が「美しい自然に恵まれ、豊かな文化を有し」などと言うことができる。沖縄県人が経験した戦争の理不尽さ、戦後生まれであっても、戦前生まれと同様に持つことになる米軍基地が沖縄を占領状態で占めている状況の理不尽さなど一顧だにしていないからこそ、その頭のカラッポさがそのように言わしめることができる。

 アメリカ軍は沖縄本島への上陸作戦を開始した1945年4月1日から組織的戦闘が終結した1945年6月23日までに沖縄の住民が経験させられた沖縄戦の理不尽さは2015年6月14日放送のNHKスペシャル『沖縄戦全記録』が証明して余りある。

 放送の内容は個人情報が多く非公開となっていた、沖縄県が戦後唯一全世帯を対象に行った戦没者の調査記録をNHKが入手、死亡日や場所が特定されていない住民と徴兵された軍人を除いて死亡日と死亡場所が特定されている住民の内、個人名を除いたデータをコンピューターで解析、戦闘の推移と共に住民の死がどのように積み上がっていったのかを明らかにするというものである。

 住民の死が如何に理不尽なものかを同時に浮かび上がらせていく。

 番組が伝える日米双方の兵力、犠牲者を挙げておく。

 日本側全戦没者20万人
 沖縄県民約12万人(住民の犠牲は地上戦で国内最大な規模)

 兵力

 アメリカ軍総勢54万人
 日本軍兵力10万人

 天皇直属の最高統帥機関大本営が連合軍の本土侵攻を遅延させて本土の作戦準備態勢を確立するために『帝国陸海軍作戦大綱』を1945年1月20日に策定。その作戦計画には、「皇土防衛のための前縁は沖縄本島。極力敵の出血消耗を図る」とあり、沖縄を本土防衛の最前線と位置付け現地の第32軍に1日でも時間を稼ぐ持久戦を求めたという。

 日本軍は米軍との兵力の不足を補うために「防衛召集」という制度で沖縄住民を軍に動員、最終的には14歳以上の男子中学生も対象とされたと解説しているが、沖縄のみで2万2千人の住民が動員されたという。

  1945年2月19日から1945年3月26日迄の硫黄島の戦いと同じ構図である。日本軍2万2千余に対して米軍11万人。日本軍のその2万2千にしてもその多くは急遽召集された3、40代の年配者や16、7歳の少年兵。中には銃の持ち方を知らない者もいたという。

 かくこのように既に日本軍は戦争を継続する能力を失っていた。にも関わらず、戦争継続能力を失った状態で戦闘経験のない、戦闘訓練経験もない住民を一億総玉砕の名のもと、あるいは「軍官民共生共死の一体化」の美名のもと軍に組み入れて、兵力・兵器共に格段の差のある米軍との沖縄戦に臨んだ。

 しかも軍は防衛召集した住民以外の一般住民の疎開を計画したものの実施しなかったという。結果、一般住民は軍と共に行動することになった。つまり日本軍は住民の生命の安全を怠った。

 これ程の理不尽さはないはずである。

 なぜ疎開を計画通りに実施しなかったのだろうか。番組が紹介している沖縄守備隊第32軍のナンバー2長勇参謀長の沖縄戦前の言葉が住民を兵士として利用しようとしていたことを証明している。

 長勇参謀長「全県民が兵隊になることだ。即ち一人十殺の闘魂を持って敵を撃砕するのだ」

 全県民の兵隊化の命令である。

 理不尽さはとどまることを知らない。
 
 そして「一人十殺」の手段として“斬り込み”と称する、手製の爆弾などを抱えて敵部隊に突っ込む捨て身の攻撃である玉砕まで住民に求めた。この理不尽さ。

 番組は住民の肉声を戦後記録した千本にのぼる証言テープを入手、“斬り込み”についての証言も紹介している。

 「私は指揮班の人なんかと“斬り込み”に出たかったわけ。20日の夜、みんな呑んでね、恩賜の酒と言って。一人でもアメリカ殺しながら死のうと」

 斬り込みでアメリカ兵を多くてせいぜい10人近く殺して、100メートル先まで焼き尽くすことができるという最新の火炎放射器搭載の装甲車を投入されて、それで何十人と一度に殺されていくのを目の当たりにしてもなお、日本軍は本土防衛のことしか頭になかったのだろう。

 日本軍の残留部隊が最後の攻撃をかけた4月20日、島の女性たちも斬り込みを行った。

 女性当時17歳「もう最後の斬り込みで、みんな子どもをおんぶして、弾当たって子どもに。オッパイ上げようとして下に降ろしたら、背中で亡くなって。

 みんな戦死、最後の切り込みで。靖国神社にみんな兵隊と一緒に祀られるからと言って。もう全部死なないといかんと思うから何でもないですよ。あの時はうれしいんじゃなかったかね」

 女性当時16歳「天皇のために死になさい、国のために命を捧げるのは当然だと、捕虜になることは一番恥ずべき行為だと、小さい時から言い聞かされ、そういう教えしか分からなかった」

 国家の教育が最も成功した時代だった。安倍晋三はこのような教育を望んでいる。

 国家の教育が理不尽さを理不尽だと思わせない麻酔剤の役目を果たし、戦争が徐々にその麻酔剤の効き目を剥いでいって、理不尽さの思いを芽生えさせていくことになった。

 沖縄の集団自決も、国家教育の成功例の一つなのだろう。「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ」

 男性当時29歳「もう日が暮れてから、斬り込みに出されて、大体沖縄の人。鉄砲もない、竹槍と手榴弾くらい。爆破するときは抱いていって、戦車の下に入ってから爆発させる。もう死にに行くわけさ」

 男性当時33歳「日本の兵隊が来まして『おばさん連中はみんな出ていけ』と。あんた方今来て出ろと言ってもね、外は弾が降ってるじゃないかと。出ろと言うのはその場ですぐ死ぬじゃないかと言ったら、『何、貴様』と言う。『何、言っているんだ』とすぐに拳銃出して撃とうとしたんですよ」

 おばさんたちの命よりも自分たちの命を少しでも生き延びさせようとする。あるいは自分たちの命を守るための隠れ場所にするためにおばさんたちの命はどうでもいいとする。

 番組は追い詰められて次第に人間性を失っていくと解説しているが、証言テープを聞く限り、人間性を失っていたのは日本軍兵士のみである。最初から理不尽さを物としない態度をしていた。

 だから、戦闘訓練経験も戦闘経験もない一般住民を防衛召集と称して狩り出すことができ、全県民兵士化を命ずることができ、“斬り込み”と称して爆弾を抱えさせて玉砕させることができた。

 番組はアメリカ軍の攻撃が住民をも殺傷対象として無差別化していった様子を伝えている。

 だが、日本側の防衛召集と全県民兵隊化によって軍民一体となっていた理不尽さを前にどこに一線を置いて、日本軍兵士だけを攻撃対象とする冷静さを発揮できたというのだろう。

 しかも、沖縄戦の最中、アメリカ軍が日本軍の戦術を分析した英訳『日本軍第44旅団の戦闘実施要項』が、日本兵が着物を纏い、住民に偽装している写真が掲載していて、日本軍が「住民の服を着用するように」という命令が下していると記しているという。

 いわば住民の風体をしていても、兵士であることを疑わなければならない。少なくとも住民と思える個人、もしくは集団に対して疑心暗鬼で対峙しなければならない。

 非常に過敏にならざるを得ず、ちょっとした動きでも不審な動きと把えて、発砲する危険性は否定できない。

 番組は自宅を訪ねて伊東孝一第32連隊大隊長(階級大尉)の証言を取っている。

 「自分自身は命令を下していないが、部下の中に住民に偽装する者がいた。沖縄人の服を着て行った。だけど、その時私は咎めなかったですよ。折角ここまでしてやろうと思った気持ちを削ぐわけにもいかないから。どっちにしたって死ぬんだから思うようにやらしてやろうと、こういうような気持ちね」

 兵士が住民を偽装することがアメリカ兵をして住民を兵士と疑わせることになるということにまで思い至っていなかった。

 首里攻防戦の1ヶ月で命を落とした住民は2万1600人。これが防衛召集と全県民兵隊化と兵士の住民偽装とそのことによる米軍の疑心暗鬼からの無差別攻撃化の成果だった。

 既に戦争継続能力を失いながら、その自覚もなく、ただただ天皇を頭に戴いた日本国家の体制を守るための本土防衛に固執し、それが可能だと頭から信じ、口でも強がりでしかない勇ましいことを言って、多くの沖縄県民を犠牲にしていった。

 かくこのように日本国家と日本軍の理不尽さが暴力性を帯びて跳梁跋扈した沖縄戦であり、その記憶が否応もなしに最も色濃く蘇させられる『慰霊の日』である。

 この理不尽さが普天間基地の辺野古移設を理不尽だと思わせる到達点の一つともなっているはずだ。

 『慰霊の日』でのあれもこれも理不尽という思いの中で、沖縄の美しい自然など、頭に入り込む余地はないだろう。だが、安倍晋三の頭はカラッポに出来上がっているから、入り込む余地が十分にあった。

 住民の犠牲は沖縄県民ばかりではない。沖縄戦後、広島・長崎の原爆投下で多くの住民を犠牲にした。

 本土防衛という幻想に取り憑かれた理不尽さが招いた余りにも理不尽な結果であろう。

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日本政府の漂流ロヒンギャ族4億円支援の対ミャンマー政府民主化働きかけ欠落と難民認定程度から見た奇麗事

2015-06-23 09:57:14 | 政治


 ミャンマーの少数民族ロヒンギャ族が多数乗った船が5月中半ば(2015年)インドネシアには約600人、マレーシアには3隻の船で約1000人が相次いで漂着したという。

 以前にも似たようなことが起きていた。2009年、小舟に乗ってタイ沖に漂流してきたロヒンギャ族を微笑みの国・仏教国のタイ国軍が拘束、暴行を加えたりして小舟を沖に曳航、僅かな食料と水を与えて公海上に放置した。その数400人近く。

 放置された小舟は3週間漂流してインドネシア沖に近づき、インドネシア海軍によって保護された。途中で飢えや疲労で20人近くが死亡している。

 但しインドネシア政府は「政治的迫害が理由の難民ではなく、経済的事情による移住目的」として送還を表明した。

 似たようなことが起きている大本の理由を「Wikipedia」から見てみる。

 ロヒンギャ難民問題

歴史的経緯

 ビルマ人の歴史学者によれば、アラカン王国を形成していた人々が代々継承してきた農地が、英領時代に植民地政策のひとつである「ザミーンダール(またはザミーンダーリー)制度」によって奪われ、チッタゴンからのベンガル系イスラーム教徒の労働移民にあてがわれたという。この頃より、「アラカン仏教徒」対「移民イスラーム教徒」という対立構造が、この国境地帯で熟成していったと説明している。

 日本軍の進軍によって英領行政が破綻すると、失地回復したアラカン人はミャンマー軍に協力し、ロヒンギャの迫害と追放を開始した。1982年の市民権法でロヒンギャは正式に非国民であるとし、国籍が剥奪された。1988年、ロヒンギャがアウンサンスーチーらの民主化運動を支持したため、軍事政権はアラカン州(現ラカイン州)のマユ国境地帯に軍隊を派遣し、財産は差し押さえられ、インフラ建設の強制労働に従事させるなど、ロヒンギャに対して強烈な弾圧を行った。

 ネウィン政権下では「ナーガミン作戦」(なる弾圧)が決行され、約30万人のロヒンギャが難民としてバングラデシュ領に亡命したが、国際的な救援活動が届かず1万人ものロヒンギャが死亡したとされる。

 結果、1991年~1992年と1996年~1997年の二度、大規模な数のロヒンギャが再び国境を超えてバングラデシュへ流出して難民化したが、同国政府はこれを歓迎せず、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の仲介事業によってミャンマーに再帰還させられている。2015年現在、膨大なロヒンギャの国外流出と難民化は留まるところを知らない。〉――

 1992年の海上漂流はバングラデシュに向かわずに海上に逃れた一部なのかもしれない。

 今回のロヒンギャ族の海上漂流・海外漂着問題について(マスコミは密航問題としている)タイ政府の呼びかけでタイの首都バンコクで関係17カ国の代表が対策を話し合う高官級会合が5月29日、日米とスイスの3カ国がオブザーバー参加し、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)も参加して開催されたと「産経ニュース」が伝えている。

 国連難民高等弁務官事務所の担当者が「根本的な問題解決には、ミャンマーが責任を完全に負うことが求められる」とロヒンギャへの市民権付与を求めたのに対してミャンマー代表は「名指し批判は何の役にも立たない」と反論、物別れに終わったという。

 記事は、〈タイが国内人身売買組織の摘発を本格化した5月に入ってから、マレーシアやインドネシアには、ロヒンギャやバングラデシュからの密航者3千人以上が漂着している。救援機関によると、海上ではなお約2600人が漂流中とみられる。〉と解説している。

 5月29日に高官級会合ガタイで開催される前の5月15日、アメリカ国務省が周辺国の政府にロヒンギャ族の受け入れを呼びかけると共にミャンマー政府に少数民族の人権状況を改善するよう求めたと、「NHK NEWS WEB」が伝えている。

 ラスキ米国務省報道部長「海で漂流しているロヒンギャの命を救うために迅速に行動するよう、周辺国に強く求める。

 (ミャンマー政府に対して)人々の生活状況を改善するとした約束を守り、ロヒンギャの密航問題を解決する必要がある」――

 発言からすると、ミャンマー政府は約束を怠っていることになる。

 記事は、〈ミャンマー政府から抑圧されているイスラム教徒の少数民族ロヒンギャの人たちは、周辺国を目指して船で脱出したあと、インドネシアやマレーシアに相次いで漂着していますが、一部のケースでは周辺国が受け入れを拒否したと伝えられ、国連は数千人が船で漂流しているおそれがあるとしています。〉と解説している。

 6月19日、日本政府はインド洋における漂流・漂着問題に対して国際移住機関(IOM)と国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)を通してシェルター、保健・栄養等に関わる人道支援及び漂流者の海上移動に関わる情報分析・共有強化等の支援を目的に350万ドル(日本円約4億円)の緊急無償資金協支援を行うことを決定、その決定を東京・青山の国連大学で6月20日開催の「アジアの平和構築と国民和解,民主化に関するハイレベルセミナー」の岸田外相の基調演説で発表した。

 基調演説中、「今後の日本の取組」として、少数民族との和平合意達成に向けたミャンマー政府の努力を後押しするために5年間で最大100億円の支援の実施を表明したが、ミャンマー政府は1982年(当時はビルマ政府)の市民権法でロヒンギャ族の国籍を剥奪、迫害を続けて、5月29日のタイで開催された高官級会合で国連難民高等弁務官事務所の根本的な問題解決の要請に対してミャンマー政府が「名指し批判は何の役にも立たない」と反論したのは要請そのものに対する強い拒絶反応を示したものであろう。

 歴史がどうであれ、根本的な問題解決はミャンマー政府が国内に居住しているロヒンギャ族に国籍を回復させて共存する以外にないはずだから、日本政府の5年間で最大100億円がロヒンギャ族から剥奪した国籍の回復に役立たなければならないはずだが、ミャンマー国会は上下院共に国軍最高司令官が指名した軍人議員が4分の1を占め、民政移管時の総選挙では軍事政権翼賛政党が圧勝し、軍推薦枠を含めれば両院とも8割以上を軍に近い議員が占める非民主制を敷いていて、自国民そのものに政治的・経済的差別を設け、さらにその下にロヒンギャ族を差別する社会的構造を取っていることになる。

 この軍人独占はミャンマー軍が独自に経済活動を行なっていることと無関係ではない。軍は企業や工場、商店を経営し、退役軍人団体など関連団体を通じて国内でのビジネスへの投資も行なっているという。

 つまりカネの独占が国会での独占を許した。そしてこういった構造を軍政時代に育てた。 

 2014年のミャンマーの貧困率はミャンマー政府発表では26%だが、世界銀行調査では37%以上となっている。特に地方へ行く程高くなり、70%を超える州もあるという。

 いわば軍人という特権階級を頂点に差別の差別という階級構造を取っている。もしロヒンギャ族に国籍を与えて自国民として扱い、その差別を取り払ったなら、差別状態に置いている自国民の差別を少なくとも和らげるといったことをしないと不満を持たせることになるが、差別の緩和は軍人の特権を逆に削ることにつながっていく。

 特権階級である軍人がそのことを嫌ったなら、軍人をトップとし、軍人により多くの利益が集まる、つまり国の富が軍人に集中する階級制度は維持に執着することになる。ロヒンギャ族に国籍を与えるなど、以っての他というわけである。

 となれば、ロヒンギャ族問題の解決のために、例えどのように困難であっても、ミャンマ政府そのものに対して厳正な民主化を求めなければならない。

 求めずにインドネシア、その他の国に漂着したロヒンギャ族のために350万ドル(日本円約4億円)の緊急無償資金協支援を行おうと、少数民族との和平合意達成に向けたミャンマー政府の努力を後押しするために5年間で最大100億円の支援の実施を表明しようと、根本的な解決にはつながらないことになる。

 そのカネの多くが特権階級中の特権階級を占める有力軍人と元軍人たちに流れていかない保証はない。

 ラスキ米国務省報道部長が言っているように米国に約束したことをミャンマー政府が怠っていたとしたら、事実怠っていたことも原因の一つとなって漂流・漂着問題が起きたのだろう、尚更に日本のカネが目的通りに動く保証は薄くなる。

 また群馬県館林市ではロヒンギャ族約200人がひっそりと暮らしていると、「asahi.com」(2015年6月19日)記事が伝えている。日本で難民として認定されない場合は本来なら不法滞在者として収容対象となるが、一定期間ごとに「仮放免」の更新を受けることで身柄拘束から免れることができるものの、難民ではないから、就労や国民健康保険の加入も認められず、仕事や医療面で苦境にある人々も少なくなく、その多くが不安定な立場に置かれていると記事は書いている。

 要するに生殺しの状態に置いている。ホンネは強制送還してスッキリと片付けたいと思っているが、ロヒンギャ族の国外流亡が跡を絶たない国際問題となっているから、下手に強制送還したら国際的な批判を受けることになりかねないために仕方なく「仮放免」の生殺し状態に置いているのではないかと勘繰りたくなる。

 このことの証明として2013年の日本の難民認定数は難民認定申請者3,260人に対してたったの6人であることを挙げることができる。2014年の難民認定者数は申請者数5,000人に対して11人。

 群馬県館林市だけでロヒンギャ族が200人も暮らしているのに対して1人2人はいるかもしれないが、根本的な全体的な解決としての難民認定を行わずにインドネシア、その他の国に漂着したロヒンギャ族のために350万ドル(日本円約4億円)の緊急無償資金協支援を行う。

 ロヒンギャ族漂流の根本的解決としてミャンマー政府に厳正な民主化を働きかけることをしないことと併せて、両方共にカネだけは出す奇麗事としか見えない。

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砂川事件最高裁判決が安倍政権の集団的自衛権憲法解釈行使容認の根拠となるかどうかは国会で集中審議すべき

2015-06-22 10:45:46 | 政治


 自民党副総裁の高村正彦が砂川事件最高裁判決を根拠に集団的自衛権行使の合憲論を主張し出したそうだ。

 2014年3月5日自民党本部で記者団に。

 高村正彦「集団的自衛権について最高裁判所は『我が国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうる』 (1959年砂川事件判決)と、行使は当然だと言っている。

 これまで内閣は抑制的に『必要』を『必要最小限度』と解してきたが、戦争や侵略といった最大の人災で想定外という言い訳は許されない。集団的自衛権の分類に属するものでも、すべての行使が許されないのか。最高裁判決の範囲内で検討するのは、内閣の国民に対する義務と言っていい」(asahi.com

 この発言は断るまでもなく、最高裁判所の憲法に関わる判決が合憲・違憲決定の全てであるとしている考えに立っている。

 日本国憲法第81条は次のように規定している。

 〈最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。〉

 但し砂川事件最高裁が判決で集団的自衛権行使に関して日本国憲法は認めていると判断したのかどうかである。

 野党や憲法学者、その他が主張しているように砂川事件の裁判そのものは日米安全保障条約に基づいて日本に駐留している米軍が憲法9条2項が保持を禁じている「戦力」に当たるかどうかを争ったもので、「同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである」との文言で、米軍が憲法9条2項が保持を禁じている「戦力」に当たらないと結論づけたに過ぎない。

 このような判断の過程で日米安全保障条約が目的とする米軍日本駐留が「国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認しているのに基」いていると、駐留の正当性の根拠として持ち出したもので、日本国憲法が認めているとする文脈で触れた「個別的および集団的自衛の固有の権利」ではない。

 安倍内閣提出の安全保障関連法案が憲法違反かどうか審査する衆議院憲法審査会が6月4日(2015年)開かれた。ところが、与野党推薦を受けて参考人として出席した憲法学者の3人共が安全保障関連法案は「憲法違反に当たる」としている。

 どういう発言をしたか、《安保法案 参考人全員「違憲」 衆院憲法審 与党推薦含む3氏》TOKYO Web/2015年6月4日 14時04分)から集団的自衛権について述べた個所を見てみる。

 長谷部恭男早稲田大教授(自民、公明、次世代それぞれが推薦)「憲法違反だ。従来の政府見解の論理の枠内では説明できず、法的安定性を揺るがす」と指摘。小林氏は「私も違憲だと考える。(日本に)交戦権はないので、軍事活動をする道具と法的資格を与えられていない」

 小林節慶応大名誉教授(民主党推薦)「私も違憲だと考える。(日本に)交戦権はないので、軍事活動をする道具と法的資格を与えられていない」

 笹田栄司早稲田大教授(維新の党推薦)「従来の内閣法制局と自民党政権がつくった安保法制までが限界だ。今の定義では(憲法を)踏み越えた」――

 砂川最高裁判決を合憲の根拠としていないということなのだろう。

 勿論、安倍政権は引き下がらない。憲法学者や野党の違憲論に対して様々に言葉の戦いを挑んでいる。

 6月5日の仙台市内の講演。

 稲田朋美「集団的自衛権の一部の行使を認めるのは、憲法違反という憲法学者の意見が出たが、憲法違反ではない。憲法9条のもとで、できるだけのことをやったのが平和安全法制。9条の解釈のもとで国民の命と平和を守るためにできるだけのことをやる。

 これは政治家として当然の責務だ。憲法解釈の最高権威は最高裁。憲法学者でも内閣法制局でもない。最高裁のみが憲法解釈の最終的な判断ができると憲法に書いている。
 自分の国が日本が直接攻撃されていなくても、日本の存立を脅かして国民の生命や幸福追求権を根底から覆すような場合には、必要最小限度に限って自衛権の行使ができることを認めたのが、平和安全法制だ。何も憲法に違反することではない。憲法学者が何を言おうとも、きちんと説明していかないといけない」(asahi.com

 あくまでも砂川事件最高裁判決を合憲の根拠として頑固なまでに譲らない。

 6月5日午前の自民党役員連絡会。

 高村正彦「憲法学者は、憲法9条2項の字面に拘泥するが、今回、限定的に容認した集団的自衛権は、自国防衛の目的に限っており、自衛権について最高裁判所が示している範囲内であることは間違いない」(NHK NEWS WEB

 但し日本の国防を所管する責任者であり、自衛隊隊務を統括する防衛相の中谷元一人が集団的自衛権砂川判決合憲論からよろけた。6月15日衆院平和安全法制特別委員会。

 中谷元(1959年の最高裁の砂川事件判決が集団的自衛権の行使容認を合憲だと判断する根拠になるかどうかについて)「直接の根拠としているわけではない。あくまでも72年の政府見解の基本的論理だ。砂川判決を直接の根拠としているわけではないが、砂川判決はこの基本的な論理と軌を一にするものだ」(毎日jp

 砂川事件最高裁判決は1959年12月16日であって、1972年政府見解は砂川判決から13年後である。72年政府見解が砂川判決の「基本的な論理と軌を一にする」と言うなら分かるが、先に出したものが後に出したものに「軌を一にする」――考え方を同じくすると言うのは、まだ出てこないものに対して考え方を同じくすることになって、合理的な論理性を見失うことになる。

 例えこのことを無視して砂川判決が72年政府見解の「基本的な論理と軌を一にする」内容であると認めたとしても、72年政府見解は「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない」として、「必要な自衛の措置」を取ることを認めてはいるが、日本国憲法の平和主義を楯に、「他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない」と結論づけていて、当然、砂川事件最高裁判決もこの結論と軌を一にしなければならないから、自ずと自分たちの方から砂川事件最高裁判決集団的自衛権合憲論を崩すことになる。

 この矛盾に気づいたからなのか、中谷元は4日後の6月19日の衆院平和安全法制特別委員会で発言を訂正している。

 中谷元(1959年砂川事件最高裁判決について)「限定容認する集団的自衛権の行使が合憲である根拠たり得る」(毎日jp

 砂川事件最高裁判決集団的自衛権合憲論に回帰したことになるが、1972年政府見解が認めていない集団的自衛権行使を1959年砂川最高裁判決が合憲として認めているという矛盾は残る。尤も安全保障環境の変化を口実に合憲論に漕ぎつける手を使っているが、その変化だけで憲法をクリアするのは無理がある。

 やはり安倍政権が頼るのは砂川事件最高裁判決なのだろう。

 日弁連が6月18日、安倍政権安全保障縫製関連法案に反対する意見書を発表した。

 日弁連意見書「集団的自衛権の行使や海外での武力行使は許されないという、長年積み上げてきた憲法の規範を、憲法改正の手続きもせず、一内閣の憲法解釈の変更や法律の制定で改変し、侵害することは、憲法を守るべき大臣や国会議員ができることではない。安全保障関連法案は、国民の権利や平和を憲法によって守ろうとする立憲主義に真っ正面から違反する。

 安全保障関連法案は、戦争をする国へと国の在り方を根本的に変えてしまう。他国の紛争に自衛隊が出向いて後方支援を行えば日本国内で報復テロが行われる可能性が高まり、海外で武力を行使すれば日本が武力攻撃の対象にされることは避けられない」(NHK NEWS WEB
 
 要は唯一つ、安倍政権が砂川事件最高裁判決を集団的自衛権行使合憲論の根拠としていることが正しい解釈の上に成り立たせた合憲論なのかどうかにかかることになる。

 事は簡単である。「憲法解釈の最高権威は最高裁」と言って、最高裁に置いている以上、正しい解釈を経た合憲論なのかどうか、国会で徹底的に集中審議して、白黒をつけるべきではないだろうか。

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安倍晋三の労働者派遣法改正案同一派遣労働者同一部署勤務3年限定は格差拡大加速の賃金抑制装置として働く

2015-06-21 07:05:35 | 政治


 誰にでも分かりきったことだが、分かりきったことを記事にすることにする。

 2015年4月の春闘で大手企業が回答した月額の賃金の引き上げ額は過去最高水準のベースアップが相次いだことなどから、平均で8235円となり、平成10年以来17年ぶりの高い水準となったと2015年4月17日付「NHK NEWS WEB」記事が伝えていた。

 景気のいい話で、アベノミクスの大いなる恩恵だろう。

 但し大手企業に限っての話で、同記事もこうした賃金上昇の動きが(つまり、景気のいい話がということだが)中小企業にも広がっていくのか注目されると書いていた。

 厚生労働省が6月18日(2015年)発表の4月の毎月勤労統計調査の確報によると、実質賃金指数は前年同月比0.1%減となったという。

 6月2日発表の速報値は0.1%増で、2013年4月以来2年ぶりに賃金が物価を上回って上昇したとされたが、確報値は24カ月連続のマイナスに修正された。

 厚労省は修正について確報は速報段階よりも調査対象に含まれるパート労働者の比率が高く、賃金の平均水準を押し下げたためとしていると「時事ドットコム」が伝えていた。

 つまり速報段階では計算に入れるパート労働者の数が少なかったから実質賃金額が物価を上回る現象が起きたが、確報段階ではパート労働者を多く含む計算となって、賃金の平均水準を押し下げてしまったために全体として実質賃金額が物価を下回ってしまった。

 このような実質賃金指数計算の構造を見ただけで、そこに格差の存在を否応もなしに見なければならない。最初の景気のいい話と総合すると、尚更に格差拡大を痛感させられる。

 大手企業とそれに準ずる企業に所属する社員は物価の高騰をさして気にしないで済む賃金を手に入れ、非正規労働者やパートの中でも特に所得の低い者は物価に追いつかない苦しい生活を強いられ続けるに違いない。

 アベノミクスは確実に格差を加速させている。

 安倍晋三がアベノミクスに於ける成長戦略の柱の一つとして掲げていた労働者派遣法改正案が6月19日、自民・公明両党と次世代の党などの賛成多数で可決され、衆院を通過、参議院に送られた。反対の野党がいくら抵抗しても、参議院でも賛成多数で可決され、成立することだろう。

 周知のように改正案は一部の業務を除いて現在は最長で3年までとなっている派遣期間の制限を撤廃、その代わり1人の派遣労働者が企業の同じ部署で働ける期間を3年に制限する内容となっている。

 つまり同一部署での派遣制限3年は変わらない。これまでは3年を経過して同一の派遣労働者をを雇い入れる場合は労働契約の申込みをしなければならなかったが、3年毎に人間を入れ替えることで、永遠に派遣社員を雇用することができる。一種のマジックである。

 1人の派遣労働者を3年で雇い止めにして、別の派遣労働者を新たに雇用する構造にすれば、3年間の雇用経験を無視した新規採用の賃金(=新人、あるいは未経験者の賃金)に巻き戻すことが可能となる。
 
 当然、同一派遣労働者同一部署勤務期間3年限定は賃金抑制装置として働く。

 《国内上場企業、最高益の「裏側」 四半世紀伸びない売上高》ロイター/2015年 05月 28日 12:18) という記事で、このところの国内上場企業の最高益は、〈国内上場企業の1社あたりの従業員数は、1858人から1437人に減少。平均人件費も131億円から98億円に減り、1人あたりの人件費は705万円から685万円と縮小した。人員削減などコストを低減したうえでの利益上積み〉、つまり人件費の抑制と、それ以外では日銀の異次元の金融緩和による金利の低下、そして法人税などの減税によるものだと書いているが、企業はアベノミクスは格差ミクスの追い風を受けて、益々増益方向にスピードを上げていくに違いない。   

 勿論、その増益は中間層以下の利益を吸い取る形を取る。近いうちに成立するであろう改正労働者派遣法がその役の一つに大いに立つというわけである。

 アベノミクス様々である。大企業の経営者らは安倍晋三が神様に見えるに違いない。

 
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