1.2021衆議院選挙立憲民主党の敗因:「批判ばかりの政党」というマイナス評価と共産党アレルギー
2.「立憲は批判ばかりの政党」のマイナス評価に対する立候補者それぞれの見解
3.小川淳也の「立憲は批判ばかり」の受け止め方
4.立憲民主党という党自体の「批判ばかり」のマイナス評価に対する認識
5.なぜ政権交代は必要なのか、その定義づけを行わなければならない
6.立憲代表泉健太の具体像が何も見えてこない野党第1党としての役割と責任
1.2021衆議院選挙立憲民主党の敗因:「批判ばかりの政党」というマイナス評価と共産党アレルギー
2021年10月31日投開票の第49回衆議院議員選挙は自民党は15議席減らしたものの全議席465の過半数を28議席超える261議席を獲得、連立与党公明党の32議席と合わせて293議席を獲得した。参院で法案否決の場合、自公で衆院再可決可能定数465の3分の2の310議席には届かなかったものの、憲法改正に前向きな自民・公明・維新の3党で発議に必要な衆院の3分の1議席を確保。
対する野党第1党の立憲民主党は日本維新を除いた他野党と289小選挙区のうちの220近い選挙区で候補の一本化を行い、そのうち共産党とは70程度の小選挙区に対して25選挙区で一本化を図ったものの、結果的には相乗効果を発揮することなく選挙前109議席から13議席減らして96議席にとどまることとなった。枝野幸男は選挙敗北の責任を取って代表を辞任、大きな代償を支払うことになった。
立憲民主党の敗因理由はマスコミの報道を見る限り、批判ばかりしている政党で政権担当能力がないと見られたことと共産党との間に合意した候補者の一本化と “限定的な閣外からの協力”の取決めに共産党アレルギーのある有権者を刺激し、アレルギーがなくても、有権者の理解上の拒絶反応を招くことになったことだと判断できる。
2021年9月30日に枝野幸男代表と共産党委員長志位和夫が国会内で会談し、会談後の記者会見で枝野幸男は「消費税減税」や「安全保障法制の違憲部分の廃止」等、民間団体「市民連合」と合意した政策の実現に限定した閣外からの協力を提案し、志位和夫が受け入れたことを明らかにしたという。
「消費税減税」の政策主張は国民民主党も行っており、この点での閣外協力は合理的な認識性から言っても何ら騒ぎ立てる問題でもないし、「安全保障法制の違憲部分の廃止」とは安倍自民党の憲法の拡大解釈による集団的自衛権行使容認等を立憲も共産党も、さらに加えて多くの憲法学者も、平和志向の市民団体も憲法違反と見ている政策視点であって、何の問題もなく、こういったことの延長線上の政策の実現に限定した閣外からの協力ということなら、これまた何の問題もないはずだが、自民党は内実は有権者への語りかけを念頭に置いて「選挙協力しながら、政権を取った場合は閣外協力と言うのは理解が難しい」といった趣旨で同協力への疑義申し立てを行い、麻生太郎に至っては2021年10月23日の川崎市新百合ヶ丘駅前の応援演説でかつての中国国民党と中国共産党との協力体制「国共合作」を引き合いに出して共産党の、いわば危険性をデマゴーグよろしく有権者へ直接の語りかけている。2021年10月25日付「J-CASTニュース」から見てみる。
麻生太郎「どこの国でも共産党と組んだら共産党がリーダーシップを取っている。みんな同じです。立憲ナントカ党が連立を組みました。どこと?共産党。立憲共産党になったんだな。じゃあ聞こう。共産党は日米安保条約反対、自衛隊は違憲、天皇制反対。じゃあ、そういう政党と一緒になったら、内閣はどうするんです?『いや、内閣には入れないんです』(と立憲は主張している)。選挙だけ世話になって、(与党に)なった途端に『あんたら入れない』って、できると思う?選挙で散々世話になっといて、そして、いざなったら『あんたら入れない』。そういうようなことができると思ってるのが、先ず間違いなんですよ!」
麻生太郎は「共産党がリーダーシップを取っている」との物言いを使っているが、「乗っ取り」を意味させていることは明らかである。共産党が仮に立憲民主党内閣に入ることになったとしても、武器を持って戦うわけではなく、最終的には多数決の原理で物事を決めていく民主主義の時代に数で上回る立憲民主党に数で下回る共産党がどうリーダーシップを取る(乗っ取る)ことができると言うのか、ほんのちょっと頭を働かせれば理解できることを頭に置かずにこの手の情報を垂れ流すのは有権者をバカにしていることになる。麻生のこの応援演説を直接聞いた有権者やマスコミ記事を通してこの情報に触れた有権者が例え熱烈な自民党支持者であっても、言っていることに無理があると気づくはずである。気づかないとなったら、麻生と同じ程度の頭、認識力しか持っていない大人の部類に入る。
もし選挙で共産党の議席数が立憲の議席数を上回ることになったなら、その連立内閣は共産党がリーダーシップを取ることになる。しかし決して乗っ取りの類いではない。民意に基づいた民主主義に於ける多数決の原理が自ずと働いた結末に過ぎない。
麻生の応援演説は表向きは危険体質の共産党実体論と見せかけているが、他と違って少々手の込んだ同工異曲の共産党アレルギーの有権者に対する植え付けに過ぎない。要するに過度に敏感な拒絶反応として現れるアレルギーと言うものの性質が頭からの思い込みであることが多く、実際のところはどうなっているのかを勉強する手間を省きがちな性質を利用して、少なくない日本国民が共産党アレルギーに冒されていることを幸いに思い込みを増幅させると同時に共産党アレルギーに無縁な有権者をもアレルギー疾患に誘い込むことを狙ったデマゴーグといったところなのだろう。
だが、現実には少なくない有権者が共産党アレルギーの症状を心のうちに抱くことになって、立憲民主党に対する投票行動にブレーキを掛けた可能性は十分に考えられる。
立憲民主党代表枝野幸男は選挙協力と限定的閣外協力を共産党と取り決める意思を持った時点で敵対政党の共産党アレルギーを増幅させるか、そのアレルギーに誘い込む意図を持ったデマゴーグに備えて、理論武装していなければならなかった。どのように理論武装していたのか、選挙敗北の責任を取って辞任した際の記者会見発言から見てみることにする。
「枝野幸男辞任記者会見」(BLOGOS編集部/2021年11月12日 18:44)(一部抜粋) 記者「フリーランスのミヤザキです。4年1か月間お疲れさまでした。『野党共闘』という言葉についてお伺いしたいんですけれども。マスコミでも、大学教授とかでもみんな『野党共闘』という言い方をしています。ただ2015年の平和安全法制ができて、その後市民連合といったものもできて、共産党からの呼びかけもあって、2016年の参院選は32ある1人区すべて野党で一本化しましたけれども、その当時から野党の枝野幹事長や岡田代表は『野党共闘』という言い方はしないようにしようと。そして政権を共にしないということはここ5、6年のうち5年くらいはその体制がメインストリームだったんですけれども、枝野代表はこの4年間『野党共闘』という言い方は恐らく1度もされていないかと思います。 執行部でそういう言葉は使わないようにしていたのに、マスコミで使われている。それから何と言っても志位委員長が使っていますので、なかなかこの4年間志位さんに対して『野党共闘』という言葉はやめてもらえませんか、野党一本化とか統一候補とか言ってもらえませんか』っていうことはなかなか言えなかったんじゃないかと思うんですけど、『野党共闘』という言葉に関しての、マスコミの使い方に関しての思いと、今後この言葉はどういうふうに扱われるべきとお考えか」 枝野幸男「ご承知の通り私は一貫して『野党連携』という言葉を使ってまいりました。この言葉の使い方だけに留まらず他の野党との関係についてはかなり緻密に言葉を使い、進めてきたにもかかわらず、それが有権者のみなさんにきちっと伝わらなかったという客観的な事実はあると思っています。それは私自身の力不足だと思っておりまして、きちっと実態通り報道していただき、実態通り有権者に伝わるような努力はさらに必要だと思っています」 記者「『野党共闘』という言葉は、志位委員長に対して使わないでとは言う機会はなかったでしょうか」 枝野幸男「他の政党について、私が今ここで具体的に何を言ったのか、何を言わなかったを含めて、結論として私たちは候補者の一本化と限定的な閣外からの協力ということは結論であったということであって、そこでは『野党共闘』という言葉も『野党連携』ということもありません」 記者「同じことをもう1回聞かせてください。数は力じゃないけど、ある程度最大野党の方が議席が多いわけですから、そっちの方の言葉に報道なんかは合わせた方がいいんじゃないかと思うんですが、その辺は何度かサジェスチョンされていたと思いますけど改めてどうでしょう」 枝野幸男「報道がどうお伝えになるかということについて、私の立場から申し上げるべきではない。報道が正確に伝えていただけるように努力するのが私たちの立場だと思っています」 記者「日経新聞のヨダです。先ほどありました共産党との『限定的な閣外からの協力』という言葉なんですけど。9月の初めに政策協定を市民連合さんを介して結んだ後、9月末に直接共産党と合意したわけなんですけども。『限定的な閣外からの協力』という言葉は与党から言葉尻を捉えて批判の材料になったかと思うんですけれども、今振り返って『限定的な閣外からの協力』っていう合意というのは必要不可欠なものであったというふうにお考えでしょうか」 枝野幸男「申し上げている通り、閣外協力とは全く違うということを言葉の上でも明確にしたんですが、残念ながらそれを十分に伝えきれなかったということを残念に思っています」 |
枝野幸男は「ご承知の通り私は一貫して『野党連携』という言葉を使ってまいりました」と言いながら、共産党との「候補者の一本化と限定的な閣外からの協力」の取り決めに関しては「そこでは『野党共闘』という言葉も『野党連携』ということもありません」と、両文言は入れてはいないといった趣旨の発言をしている。
要するに共産党とは「野党共闘」でも、「野党連携」でもなく、「候補者の一本化と限定的な閣外からの協力」のみを取り決めたに過ぎないと、まるで簡単には説明がつかない言葉遊びのようなことを言っている。説明がつかない状況を自ら作り出しているから、「(全面的な)閣外協力とは全く違うということを言葉の上でも明確にしたんですが、残念ながらそれを十分に伝えきれなかったということを残念に思っています」と、実際には"言葉で明確"にできなかった実態を浮かび上がらせることになったのだろう。
では、立憲と共産党との「候補者の一本化と限定的な閣外からの協力」を簡略化した言葉一言で言うと、何と表現ししたらいいのだろうか。枝野幸男は誤解のない、的確な理解を求めるために自らが造語すべきだったはずだ。本人は「私は一貫して『野党連携』という言葉を使ってまいりました」と発言しているが、野党は立憲と共産党以外にも存在する。立憲と共産党に限った部分連携だということなら、「野党」という言葉を冠せずにより直接的に「立共部分連携」といった造語を行ってから、その内容を言葉の説明で補って、造語が意味するところの理解を求めたなら、逆に造語によって立憲民主党の共産党に対する立場の明瞭化に役立ち、共産党アレルギーが立憲民主党に対する投票の妨げとなる危険性の除去に少しは役立った可能性は捨てきれないし、共産党アレルギー自体への縮小に役立った可能性も捨てきれない。
あるいは分かりやすいところで連立内閣を組むが、政府の安全保障関連の会議には発言権はあるが議決権のないオブザーバーの参加資格のみを与える取り決めが可能ならば、選挙協力もできるし、共産党アレルギーの立憲民主党への転嫁防止に役立つ可能性は否定できない。
記者が野党時代の「枝野幹事長や岡田代表は『野党共闘』という言い方はしないようにしようと。そして政権を共にしないということはここ5、6年のうち5年くらいはその体制がメインストリームだったんですけれども」と質問しているが、ではなぜ候補者一本化の選挙協力だけにとどめないで、僅かなりとも"政権を共にする"ことになる限定的な閣外協力に足を踏み入れることになったのだろう。
物事の取り引きには何事も「ギブ・アンド・テークの原則」が常に働く。そして取引間の力関係に応じて、「ギブ」と「テーク」の比重が前者が後者よりもウエイトを占めたり、逆に後者が前者よりもウエイトを占めたりする。「ギブ」=「テーク」という関係はなかなか求めにくい。であったとしても、「ギブ」が最初に来て、「テーク」はあとに従う。だから、「ギブ・アンド・テーク」という語順になっていて、「テーク・アンド・ギブ」の語順にはなっていない。「テーク」が先に来て、お返しとしての「ギブ」が「テーク」に満たない価値で終わらせてしまうことが無条件に許されたのは権威主義がおおっぴらにのさばっていた封建主義時代か国家主義の時代であるが、平等主義の今日であっても、取引間の力関係がどうしようもなく干渉することになるものの、あくまでも「ギブ・アンド・テーク」、与えて取るという関係を取る。
枝野幸男は立憲民主党を一気に政権選択可能な議席数の確保に持っていくために共産党の候補者を取り下げさせて立憲の候補者へと差し替える候補者一本化の「テーク」と引き換えに先ずは「消費税減税」や「安全保障法制の違憲部分の廃止」等の政策に限った限定的な閣外協力を「ギブ」とする取り引きを結ばざるを得なくなったのではないだろうか。そして共産党としては立憲民主党からのこの「ギブ」が立憲民主党の共産党からの「テーク」以上に価値を持っていたということなのだろう。立憲民主党が政権を取ることができたなら、部分的な閣外協力であったとしても、日本の政治の表舞台に足を一歩踏み入れることができるからだ。
枝野幸男は「消費税減税」や「安全保障法制の違憲部分の廃止」等の政策に限った共産党との限定的な閣外協力であるならば、政策の違いを無視した協力だとか、野合だといった批判は撥ねつけることができるのだから、胸を張ってこのことの説明責任を有権者に対して丁寧に尽くすべきだった。
要するにどこにも後ろめたいところはない以上、どこの国でも主義主張の異なる政党が連立政権を組む場合は違いのある政策はどう扱うかの協定を全面的に結ぶことになるが、そのことと違って、候補者1本化の見返りにほぼ違いのない政策に限った協定なのだと説明すれば済むことだったが、満足に説明責任は果たさないばっかりに麻生太郎やその他の自民党の面々に有権者の共産党アレルギーを利用したデマに等しい批判を受けることになり、「批判ばかりの政党」だと思わせていたことと抱き合わせになって、立憲民主党への引力を日本維新の会に向かわせる結果を招いたように思える。
結果、代表という舞台から降りることになった枝野幸男に代わる新しい代表を決める選挙でご承知のように泉健太、小川淳也、逢坂誠二、西村智奈美の4人が立候補、一回目で決まらずに二回目の決選投票で泉健太が新代表に選出されることになった。
2.「立憲は批判ばかりの政党」のマイナス評価に対する立候補者それぞれの見解
立憲民主党代表選に立候補した泉健太、逢坂誠二、小川淳也、西村智奈美が衆院選敗北理由となった共産党との連携に関して来年の参院選ではどう考えているのか、「批判ばかりの政党」というマイナス評価をどう捉え、どのように解消に向けて取り組もうとしているのかを見ていくことにする。なぜ4氏かと言うと、西村智奈美は幹事長、逢坂誠二は代表代行、小川淳也は政調会長として執行部に参加、それぞれの発言・主張が立憲民主党の今後の政策に影響していくことになるだろうからである。
4人の立候補が出揃ったところで揃い踏みの記者会見を開いたり、一緒にテレビに出たり、遊説を行ったりして発言しているが、全部の発言を追いかけるわけにはいかないだけではなく、どうせ似たり寄ったりの発言に終止しているだろうから、2021年11月21日放送のNHK日曜討論「どうする立憲民主党 代表選4候補に問う」から主に共産党との来年の参院選での選挙協力と立憲は「批判ばかりの政党」というマイナス評価が何に起因し、対処方策をどのように思い描き、乗り越え可能な障害とするのかを見ていくことにする。
最初に記事のテーマと離れるが、この手の番組の恒例となっている、各候補者のパネルへの書き込みを取り上げてみる。質問趣旨は「立憲民主党代表としてどのような社会を目指すのか」
要するにそれぞれの目指す社会のキャッチフレーズということになる。
逢坂誠二「人への投資で希望と安心のある社会」
小川淳也「対話型の新しい政治が創る持続可能な社会」
泉健太「普通の安心が得られる社会 公正な政治行政」
西村智奈美「多様性を力に理不尽を許さない政治」
実際には目指す社会を実現させることができていない現実の政治を反面教師としたそれぞれの目指す社会の体裁を取ることになるから、そのことを各候補者が認識しているかどうかは分からないが、代表になれば、政権獲得というもう一手間を踏まなければならないものの、さも実現を保証できるかのような発言となっているところを見ると、殆どが厳しくは認識していないようにも見えるが、現実の政治の反面教師という関係にある以上、お題目で終わりかねない前途多難な目指す社会の側面を否応もなしに抱えることになる。
パネルを掲げ、それぞれがキャッチフレーズとした自らの目指す社会について説明したあと、最初のコーナーの「野党第1党責任と役割は」では若手論客として招待された「日本若者協議会」代表理事の室橋祐貴と慶應義塾大学総合政策学部教授で経済学者の白井さゆりが立憲が衆院選挙で掲げた政策や選挙戦の長所・短所、敗因の理由等について発言しているが、この記事のテーマに即している室橋祐貴の発言のみを取り上げることにする。
キャスター井上あさひ「野党第1党の代表選に何が求められるとお考えですか」 室橋祐貴「そうですね、やっぱり先の衆院選では基本的には与党の支持率、投票が多くて、基本的には立憲民主党、野党が負けたという結果になっていると思うのですけども、先程の4方の主張(代表選立候補4者それぞれがパネルに書いた「目指す社会」について述べたこと)と基本的にこれまでの立憲民主党の掲げていた主張とあんまり変わらない印象で果たして今後はどう変わっていくのかっていうのはあんまりイメージがつかない。 やっぱり若者からの投票っていうのは、実は立憲民主党というのは低くて、それはこの4年間、基本的に低かった。で、その中でやっぱり若者から今回、団体(日本若者協議会)内でも、選挙のあとにですね、どういう理由で各党に投票したのかっていう話だったりとか、あと、なぜ逆に立憲民主党に投票しなかったと言うの聞いているのですが、大きく3つあって、それは1つはやっぱり批判ばかりっていう話。政策担当能力がない、任せられないというところ。 2点目が外交・安保、経済政策中心に政策の評価が低い。3つ目がやっぱり共産党との距離感が違いすぎるっていうところがやっぱり基本的にはここ3つに纏まっていて、それに対しての明確な回答が得ない限り、なかなかやっぱり若者からの支持が得られないと思って、そこはもう少し明確に主張して頂けると、やっぱりどう変わっていくのかというのが分かるのかなあと思います」 |
「日本若者協議会」の代表理事室橋祐貴は組織内の若者からの聞き取りによる立憲民主党の敗因理由を3つ挙げた。
1、批判ばかり。政策担当能力がない、任せられない。
2、外交・安保、経済政策中心に政策の評価が低い。
3、共産党との距離感が違いすぎる。
3番目の「共産党との距離感が違いすぎる」は「日本若者協議会」の会員たちの若者の視点から見た場合、若者たちが立憲民主党に対して感じている距離感と共産党に対して感じている距離感が違いすぎて、「限定的な閣外からの協力」というものに素直にはついていけなかったといったところなのだろう。
この室橋祐貴の立憲敗因の理由に泉健太以下がどう答えているか見ていくことにする。先ずは共産党との関係。
キャスター伊藤雅之「この(次の)参議院選挙でもですね、4人のお話を伺っていると、定員1人の選挙区では選挙協力を基本的に目指していこうと、地域の実情にも配慮しようと言うことなんですが、政権構想を考える上で共産党をどう位置づけていくのかということなんですが、小川さんにお伺いしますが、次の参議院選挙の前にですね、この政権構想と共産党の位置づけ、今は、思えば総選挙でないという状態ということで(政権選択選挙ではないということで)、改めて検討し直すということなのか、如何でしょうか」 小川淳也「これはですね、野党共闘という言葉がまさに安保法制のときから始まったんです。この随分、この言葉が大義化していまして、片や連合政権、連立政権という概念もあれば、閣外共闘、国会内共闘、今回であれば部分的共闘、そしてまあ、選挙区調整。 選挙区調整は私は一般的に必要だと思いますし、進めるべきだと思いますが、そこから先になりますと、やっぱりある程度政策合意前提にしなければ、一般的にはできない話だろうなと。そんなに簡単な話ではない。難しい話だなという認識で現状おります」 キャスター伊藤雅之「泉さん、泉さんは政権構想と共産党との関係、これどういうふうにお考えですか」 泉健太「あのー、次、参議院選挙ですね。取り敢えず先ずは参議院選挙という話、よくあるんですが、その前に先ず立憲民主党がしっかりと再生するということだと思います。そういう意味では先程室橋さんの指摘は非常に厳しいですけど、受け止めなければいけないことであって、我が党は反省をして、党の政策に自信があるからこそ、見直していかなければならないですね。批判ばかりというイメージがあったのはのは事実なんです。 ま、ちゃんとそれを受け止めて、やはり政策発信型であるということ、これまで様々、是々非々な政策で対応してきましたし、そして議員立法も数多く出してきたけれども、イメージがそうであるとすれば、これはやっぱりちゃんと変える努力をしなければならない。そして魅力を高めることによって、国民民主党やれいわや社民や共産、そういう方々と話し合いにいくんであって、先ず先にその話し合いにいく前に先ずやっぱり党が先に改革をしていくこと。これが最重要だというふうに思います」 キャスター伊藤雅之「西村さんはどう考えますか」 西村智奈美「私はまずは党の自力を高めていくということ。これは勿論のことだと思っています。立憲民主党が目指してきた社会像は私は全否定されていないと考えるんですね。今、現に起きている、例えば非正規の方々に対する差別、それを解消せずしてどうやって日本全体の経済をよくしていこうというふうに考えられるのか。 私は先ず格差の是正が優先されてきたというふうに考えています。そういった中で今回の衆議院選挙では野党のみなさんが直前に候補者調整に協力してくださって、候補者を下げてくださったり、あるいは他党であっても、立憲民主党の候補者に投票をしてくださったりということがありました。感謝しています。この協力関係、参議院選挙では1人区、32ありますので、ここではしっかりと協力していきたいと考えています」 キャスター伊藤雅之「逢坂さんはどう考えますか」 逢坂誠二「今、これまでの3人が述べてたこと、私は全く同感でありまして、先ずは我が党の自力をつけるということが何より大事なことです。ただ、そうは言うものの、我々は少しでも勢力を拡大していくということをしなければなりませんので、そのためにはやはり1人区、小選挙区では与党1、野党1、1対1の構造をつくっていくということにやっぱり全力を挙げていく必要があると思っておりす。 ただそのこととですね、政権構想をどうするかということは少し切り離して考えなければいけない。これは先程小川さんが言ったとおり、よく共闘という言葉を安易に色んな場面で使いがちですけれども、様々なパターンがあるわけですね。だから、そこは丁寧に、やっぱり考えていく必要があるいうふうに思っています。 ただ私は今、この間、安倍内閣からですね、公文書改ざんしたり、廃棄したり、国会でウソの答弁を、もう繰り返し行って、こういうデタラメな状況が続いていますので、これを何としてもストップしなければいけないという強い思いがあります」―― |
番組冒頭で「日本若者協議会」代表理事の室橋祐貴は立憲敗因理由の一つに共産党との関係では、「共産党との距離感が違いすぎる」ことを挙げた。そしてキャスターの伊藤雅之は最初の質問として「次回参議院選挙での共産党との関係はどうするのか」を尋ねた。当然、泉健太以下はこの課題に答えなければならない。対して小川淳也は野党との協力関係には「野党共闘もあれば、連合政権、連立政権、閣外共闘、国会内共闘、部分的共闘、選挙区調整もある」と突きつけられた課題とは関係しないことを頭の回転よろしく立て板に水を流すようにペラペラと喋っているが、必要もない知識のひけらかしに過ぎない余分な発言だろう。必要な発言は選挙区調整は必要だが、政策合意が前提となるだけでいい。
但し「選挙区調整は必要」も、「政策合意が前提」も自分の側からの要望のみとなっていて、「ギブ・アンド・テークの原則」に照らすと、意識の上では「テーク・アンド・テーク」となっている。「必要」という関係を求める以上、「相手もあることだから」という考えのもと、どこかに何らかの「ギブ」を用意しなければならないことは頭に入れていない。勿論、選挙区調整だけを行うことができるが、既に触れたようにその場合は可能な限り「ギブ=テーク」でいかなければならない。毎度、毎度、立憲民主党の都合ばかりではいかないということである。
では、共産党を除いた国民民主党やれいわや社民党等の野党のみとの選挙区調整だけで次の参議院選で自公の議席減を狙い、立憲の議席を伸ばして、与党の政権運営を少しでも困難にさせる方策をどうするのか(こういった状況を目指し、先の長い話となるかもしれないが、次の衆院選挙で衆議院の自公の議席減を狙い、政権交代に一歩でも近づけるようにすることを目標としていなければならないはずである)、立憲の次期代表を狙っている以上、少なくとも頭に置いているはずだが、発言の前段の知識のひけらかしにしかならない「連合政権、連立政権・・・・」等々の言葉の達者さの印象が強くて、次期代表にふさわしいのかどうかの重みは伝わってこない。
但しこの言葉の達者さが国会での追及を彷彿とさせたが、殆ど言葉の達者さを披露するだけで、追及を成功させることはできていない。
泉健太は党の再生を先に置いて、野党連携はそのあとの課題だとしている。そして実際には議員立法を数多く提出してきた政策発信型なのだが、「批判ばかりというイメージがあったのはのは事実」だから、「ちゃんと変える努力をしなければならない」と答えている。
自分たちは政策発信型だと思っていながら、ではなぜ「批判ばかりというイメージ」が流布することになったのか、その原因追求への姿勢は見当たらない。批判ばかりというイメージが何に起因しているのかを明らかにできなければ、一旦固定化したイメージはなかなか変えようがない。立憲民主党だけではなく、他の野党をも含めて与党による「野党は批判ばかり」というレッテルをいつ頃から貼られたのか承知していないが、2016年10月、農林水産大臣の山本有二が佐藤勉衆議院議院運営委員長の政治資金パーティーで、「(TPP法案)を強行採決するかどうかは、(その権限がある)この佐藤勉さんが決める」と発言、野党が国会で問題視し、辞任要求を突きつけたが、辞任させることができないままに一件落着後、11月に入ったばかりの1日に自民党議員パーティーの挨拶で「こないだ冗談を言ったら(農相を)首になりそうになった」と発言、再び問題となった際、当時民進党代表の蓮舫が大津市で開かれた2016年11月6日の党の会合で、「暴言をした山本農林水産大臣の責任を明らかにすることなく、前に進めることは絶対にありえない。国会はもめていて、私たちは『審議拒否」ではないか、批判ばかりではないか』と必ず言われる。しかし、大臣の放言や暴言に対して、対案や提案があるだろうか」(「Wikipedia」と「NHK NEWS WEB」記事から)と言っていることは気の利いた発言に見えるが(本人も気の利いた発言だと思っているだろうが)、「大臣の放言や暴言」を「対案や提案」で対処できる事柄ではないのは分かりきったことで、それをわざわざ問いかけること自体が考えが浅い。なぜなら、「大臣の放言や暴言」に対処すべき手段はそれが不適切であることを追及して相手に認めさせ、不適切であることの責任を取らせる以外になく、それができないから、負け惜しみか、犬の遠吠えにしならないことを口にせざるを得なかった小賢しさから出た、一見したところ気の利いた発言ふうになったといったところなのだろう。
強行採決は与党にとってルール違反ではないが、野党にとっては常にルール違反となる。この法則が間違いだと言うなら、野党は与党になったとしても、永遠に強行採決はできないことになる。ところが民主党政権時代も強行採決を行っている。山本有二の問題点は審議のある時点で強行採決を用いて法案の国会突破を念頭に置いていたとしても、あくまでも国会審議の場に限定した政治行為であり、内々の秘密としておかなければならない案件であるはずなのに自身の政治資金パーティーの会場であっても口外していい資格も場でもないのに、ましてや同僚とは言え、国会の場とは関係しない他人の政治資金パーティーの会場で口外するのは法案を担当する大臣であろうと、軽はずみな行為であり、不適切の誹りは免れ得ず、その口の軽さは大臣としての適格性に欠けるのは事実として批判・追及し、責任を認めさせる以外に手はなく、相手が認めなければ、自分たちの批判・追及の力が甘いと臍を噛むしかないだろう。
同じ2016年の参議院選挙が公示された6月22日、安倍晋三は第一声を熊本市で上げている。
安倍晋三「私はどうしても第一声を熊本から発しようと考えました。あの震災を一生懸命復旧に向けて頑張っておられる熊本の皆様を少しでも励ますことができれば。そして熊本の復興に対する私たちの強い意思を全国に発信しようと、そう考えたところであります。今回の選挙戦の最大のテーマは経済政策であります。野党は口を開けば批判ばかりをしている。『アベノミクスは失敗した』、そればかりであります」
2016年以前から「野党は批判ばかり」と言われていた。そのイメージがついて回っていた。そして現在、立憲民主党が「野党は批判ばかり」の野党の代表とされていて、「立憲は批判ばかり」の有り難くないマイナス評価を戴くことになっている。このような状況を鑑みるなら、代表に選出された泉健太ではなくても、誰かが「批判ばかりというイメージ」が何に起因しているのか、なぜついて回ることになっているのか、突き止めない限り、この先何年も「批判ばかり」に付き合っていかなければならなくなる。だが、誰も突き止めようとする意思すら見せていない。
西村智奈美はキャスターである伊藤雅之の問いかけに「立憲は批判ばかり」というイメージは脇に置いて、「立憲民主党が目指してきた社会像は全否定されていない」としている点と、共産党も含めなければならない参議院選挙1人区32の候補者調整に活路を見い出す腹づもりでいる。だが、立憲民主党が掲げる社会像が全否定されることはないと見ていたとしても、今回の衆院選敗北の原因の一つが「立憲は批判ばかり」と見られている以上、このマイナス評価が来年夏の参院選にまでついて回って、今回の衆院選と同様に全体的結果として「立憲民主党が目指してきた社会像」までが無視されることになる立憲に対する票の引き剥がしに役立たないことはないと考えることはできないのだろうか。衆院選の二の舞にならないためには参院選までに「立憲は批判ばかり」を払拭しなければならないが、西村智奈美はこの社会像にかなりの自負を置いているのか、「立憲は批判ばかり」のレッテルにはさしたる注意を払っていない。
共産党を含めた候補者調整に関しては共産党は原則、全選挙区への立候補を目指している関係から衆院選と同様に自党の候補者の取り下げを行って立憲の候補者に差し替える事例が多くなることが予想される以上、共産党側から「ギブ・アンド・テーク」の原則を持ち出されて、単なる候補者調整では終わらない確率は高い。当然、候補者調整が望ましいと言うだけでは済まないが、西村智奈美の候補者調整は立憲民主党側からの「テーク」の思惑のみで、他の野党側からの、特に共産党側に対する「ギブ」の思惑、他の野党、共産党にとっての「テーク」に対する配慮は小川淳也同様に、そして次に発言した逢坂誠二同様に何ら意識に置いていない.
逢坂誠二は立憲民主党の勢力拡大には西村智奈美と同様に1人区の候補者調整は必要だが、政権構想とは別の話だといった趣旨の発言をしている。この発想は
断るまでもなく、小川淳也や西村智奈美と同様に「ギブ・アンド・テーク」ではなく、立憲民主党側からの「テーク・アンド・テーク」の考え方で、共産党が果たして納得するだろうかどうかの考えを入れていない。もし共産党を政権に近づけたくないという考えなら、候補者調整は共産党抜きにするか、入れたとしても、後腐れなく同人数の差し替えとし、「ギブ」=「テーク」の等価交換の関係に持っていくべきだろう。但し立憲が望むだけの議席増は計算に入れることはできなくなる可能性は生じる。
逢坂誠二は候補者調整とは別に今後の国会対応について安倍内閣で噴出した疑惑隠しのための公文書改ざん・廃棄、虚偽答弁等々が今後とも起こりうると見てのことだろう、再発を「ストップしなければいけない」と強い決意を示して、何かあった場合には追及の継続に怯まない姿勢を見せている。但しこの姿勢は「立憲は批判ばかり」のマイナス評価を誘発し、さらに拡大しかねない危険性を背中合わせとすることになる。
こういったことを逢坂誠二が認識しているかどうかは分からないが、認識していたとしたら、「立憲は批判ばかり」のマイナス評価の誘発・拡大を前以って予測する危機意識が当然のこと働くだろうから、やはりそれが何に起因しているのかを突き詰めて、誘発・拡大させない追及なり、批判なりを行わなければならないが、そこまで考えていなければならないのにその手の危機意識は持っていないらしく、発言からは窺うことはできない。
3.小川淳也の「立憲は批判ばかり」の受け止め方
番組が少し進んでから、キャスターの伊藤雅之が衆院選の敗戦を踏まえた参院選の取り組みを西村智奈美、逢坂誠二、泉健太と続いて問い(全て省略)、最後の小川淳也には「代表になったときに問われる政策の中でどう参院選に取り組むのか」といったことを尋ねた。
小川淳也「私は兎も角、野党第1党は政権の受け皿たるべきだと。今回も衆議院選挙の厳しい結果がそこが認知されなかった思っています。ただ、批判ばかりというお話にも答えなければいけなくて、やっぱり権力に対して批判的立場からきちんと検証していくことなんですね。
但し批判するときはされる側も問われますが、する側も問われるんです。それは何のための批判なのか、何を目指しての批判なのか。ですから、まあ、ちょっと言葉を選ばずに言うと、批判するときは国民が惚れ惚れするような批判してこその野党だと。それを含めたイメージを改革していかないと。それはつまり、体質改善だと言うことだと思います」――
小川淳也は若くて力強い言葉の発信を得意とするから、なる程なと勘違いさせやすいが、実際には中身のないことしか言っていない。「野党第1党は政権の受け皿たるべきだ」ではなく、これはごくごく当たり前のことであって、答えるべきは「立憲は政権の受け皿としての資格・存在意義をどこに置くべきか」、その説明だろう。説明せずに、「衆議院選挙の厳しい結果がそこが認知されなかった思っています」の発言はただ単に事実関係を表面的になぞっているに過ぎない。但し以上の短い発言を見ただけでも、バイタリティ溢れる才気煥発な言葉の達者さだけは十分に窺わせる。
そして室橋祐貴が口にした、代表理事を務めている「日本若者協議会」の若者たちの「立憲は批判ばかり」のマイナス評価に対して「批判ばかりというお話にも答えなければいけなくて、やっぱり権力に対して批判的立場からきちんと検証していくことなんですね」と答えてから次の発言に移る。記憶すべき立派な発言だから、改めてここに取り上げる。
「但し批判するときはされる側も問われますが、する側も問われるんです。それは何のための批判なのか、何を目指しての批判なのか。ですから、まあ、ちょっと言葉を選ばずに言うと、批判するときは国民が惚れ惚れするような批判してこその野党だと。それを含めたイメージを改革していかないと。それはつまり、体質改善だと言うことだと思います」
この発言は「立憲は批判ばかり」のマイナス評価を払拭するために今後の課題として好ましい批判の方法論を提示したものである。決して既に行ってきたことではない。
但し今後「国民が惚れ惚れするような批判」を展開するにはそれなりの素地がなければならない。素地がないのにいきなり「国民が惚れ惚れするような批判」はできない。果たして野党の政府の持つ国家権力に対する様々な追及で「国民が惚れ惚れするような批判」の片鱗を見せたことがあるだろうか。見せたことがあるなら、国民は僅かなりとも「惚れ惚れ」するところまでいかなくても、それなりに感心して、「批判ばかり」のマイナス評価にまでは至らなかったろう。
「国民が惚れ惚れするような批判」とは小川淳也は勿論、立憲民主党議員が政府内で国家権力を利用した不正関連の何らかの疑惑が発生し、国会で追及することになったとき、政府側に逃げ道を作らせずに疑惑を暴き出し、役職の辞任なり、議員辞職なりの責任を取らせるところまで追い詰めることができたとき始めて、その評価を受けることになるはずである。あるいは国会に提出された与党法案に与党の支持層には十分な恩恵を与えることになっても、野党の支持層に対する恩恵は必ずし十分ではない欠陥や不備、偏りが認められたときに、その不公平を追及・批判するとき、欠陥や不備、偏りを認めさせて謝罪させ、法案の手直しに応じさせたり、時間切れ等の理由からではなく、あるいは国民世論反対の助けを借りることもなく廃案に追い込むことができた追及・批判は「国民が惚れ惚れするような批判」に相当することになるだろう。特に安倍政権下の安全保障関連法案に向けた野党側の反対・廃案に対する政権側の抵抗には結果的に手も足も出ずに終えた。
繰り返しになるが、小川淳也を始めとして立憲民主党の枝野幸男も蓮舫も、辻元清美も、逢坂誠二も、勿論、頻繁に国会質問に立つ面々として知られている今井雅人、大西健介、後藤祐一、その他その他、あるいは他野党の著名どころも一度も「国民が惚れ惚れするような批判」を展開したことはない。展開していたなら、モリカケ問題でも、桜を見る会でも、黒川東京高検検事長の定年延長問題でも、安倍晋三を追い詰め、辞任に追い込むことができていたはずであるし、日本学術会議会員6名任命拒否問題で首相菅義偉に学問の自由の侵害に当たると認めさせて、6名任命拒否を撤回できていたはずである。
女性蔑視や人権否定の失言、国民蔑視の失言を犯したその他多くの閣僚のうち何人かは辞任させることはできたが、幕引きを図らなければならない何らかの政局上の理由などがあったことからの任命権者による更迭が実態で、それ以外の多くは「しっかりと説明責任を果たすことで職責を全うしたい」とか、「職務を全うすることで責任は果たしたい」などと言わせて延命を許すのが常態となっていて、「国民が惚れ惚れするような批判」の不在を証明して余りある。国会という場で同じ逃げの答弁を引き出すだけの似たり寄ったりの批判・追及で臨んで堂々巡りを招く場面がお馴染の光景となっているのみで、結果的にその程度の甘い、延々と続けるだけといった批判・追及が安倍晋三たちの延命に手を貸すことになった。その挙げ句の果てが「野党は批判ばかり」であり、「立憲は批判ばかり」なのである。課題に取り組むだけで、答を出さなければ、その能力が疑われるのは当然と見なければならない。
ここに「立憲は批判ばかり」といったマイナス評価の起因理由がある。要するに「野党は批判ばかり」、「立憲は批判ばかり」は「国民が惚れ惚れするような批判」ができていないことの逆説として成り立っているマイナス評価ということであろう。小川淳也はこれまでにその片鱗を見せたことがない自分たちの国会追及の程度・批判の程度も弁えずに「国民が惚れ惚れするような批判してこその野党だ」と一気に目標を富士山の高みに持っていった。但しこれまでの中途半端で終わっている追及・批判を見る限り、目標を富士山の高みでなくても、実現可能性もあやふやな未知数に見えてくる。小川淳也はそのような批判方法を獲得するにはどうすべきか、方法論を先ずは述べるか、以後の国会追及・批判で見せなければならない。とは言え、小川淳也自身が威勢のよい追及だけで、単なる批判で終わる国会追及に終止していたのだから、どのような方法論も提示できるかは疑わしい。実現可能性も考えずに言葉の達者さだけを見せたと受け取られても仕方があるまい。
小川淳也はこの発言によって少なくとも本人自身は以後、「国民が惚れ惚れするような批判」を展開する責任を負ったことに気づいているのだろうか。2021年12月13日の衆議院予算委員会午後質疑。
小川淳也「総理、先ずはご就任、遅ればせながらお目出度うございます。様々な重要閣僚、そして党の要職を務められた方ですが、やはり総理・総裁の重責、これまたひとしおではないかと想像に余りあることながら、それに対処しております。本題に入る前に先週末、石原内閣官房参与が辞任されたということの報告を受けました。
これ、かなり世間の評価厳しいんですね。落選者の失業対策じゃないかと。そして官邸が民意を軽視してるんじゃないかと。さらにお友達人事、上級国民なんていう言葉が飛び交っています。そこでお尋ねしますが、そもそも何のための任命だったんですか。そして一連の辞任に至る経緯の中で総理大臣自身の任命責任をどのようにお考えになっているのか、先ずはその点からお聞きします」
岸田文雄「先ず石原伸晃氏、参与就任につきましては私自身、石原伸晃氏のこれまでの政治経験、政府に於いては国土交通大臣、環境大臣、経済再生担当大臣、要職を務めてこられた。こうした取り組みをつう・・・・、こうした役職を通じて政策に於ける能力、さらには自民党に於いても幹事長、政調会長、要職を務めてこられた。
この政治に於ける様々な力、まあ、こうしたものを勘案した中で是非、今新しい内閣がスタートした。そして今、具体的に重要な課題が山積している。その中で特に環境の分野、これ自民党の中でも国土交通大臣経験者、もう数少なくなってきました。こうした経験を評価して私として是非、助けて貰いたいということで参与をお願いしました。
それ責任ということについてご質問がありました。こうしたことで参与をお願いしましたが、結果としてこの様々な点が指摘をされ、本人として混乱を生じることは本意ではないということで自ら辞職を申し出られた。私がそれを認めたということです。そしてその経緯を振り返りますときに混乱と言うことについては否めないと思っております。この点については私は申し訳ないと言うことを申し上げているところであります」
小川淳也「色んなご経験があった方であることは事実ですが、それは受け止めたいと思いますが、ただ今私が申し上げた世論の批判、これもしっかりと受け止めて頂きたいと思います。その上で発端となった政党支部による今般の雇用調整金の受給について総理はこれをどう評価なされるか、ちょっとその点をお聞きしたいと思います」
岸田文雄「先ず制度ということで申し上げるならば、政党支部は雇用保険の適用事業所であり、雇用保険も納めていると言うんであるならば、これは被保険者たる従業員の方が要件を満たしたときに失業手当等の雇用保険給付を受けること、これは法律的には適法であると認識をしております。
しかしながら今回のケースについては政党助成金等を主たる収入の原資とする政党支部がこの制度を使うことがよいのかどうなのか。さらに言うと、コロナによって政治活動の制約を受けた、そして収入が減少した、こうしたことと一般の事業者の方がコロナによって収入減となったこと、これを同じように扱うということについて国民のみなさんがこの疑問を感じられた。このことについては疑問を感じると言うことについては理解をできます。こうした制度については私自身、今申し上げたように考えているところでございます」
岸田文雄のこの答弁に対して小川淳也は、「これ、法律上は明確に除外はされていないんですよ。我々の政治家活動は基本的に安定的な財源によって賄われております」と言い、「安定的な公費で支えられている政治活動が安易にこのコロナ禍で苦しむ方々と同様に、同等に受け止めるという判断は不適切だ」と強い調子で批判、次に「今日は敢えて大岡副大臣にお越し頂きました。私はね、この場をお借りして申し上げますが、大岡さんとは厚労委員会でも一緒でね、個人的には党派を超えて友情を感じていました、だから厳しくお尋ね致しますが」と容赦しない姿勢を見せ、同じ雇用調整助成金の約30万円を受給していた環境副大臣の大岡敏孝に標的を変えて追及、最後に「引責したらどうですか」と迫ったものの、「全て私が雇用主、事業主として判断した。国民感情に照らして理解を得られるものではないと自省をしている」と反省を示したのみで、引責を否定、言葉の勇ましさに反して大山鳴動ネズミ一匹も出すことができないどうってことのない結末となった。
小川淳也がいくら言葉勇ましく攻め立てたとしても、攻め立てただけの結果を得ることができなければ、言葉の勇ましさも、攻め立てた意味も失う。「批判するときは国民が惚れ惚れするような批判してこその野党だ」と小川淳也自身がそこに目標を置いているはずだが、「惚れ惚れするような批判」どころか、言葉の勇ましさだけが目立つ、中身のない追及で終えている。
小川淳也は「批判するときはされる側も問われますが、する側も問われる」と立派な指摘もした。批判・追及が批判しただけ、追及しただけで終えて、結果を何も生まなければ、不毛な批判・追及となって、その程度の批判・追及であることが問われることになる。小川淳也はこういったことを自覚して国会の場に臨んでいるはずだが、言葉を勇ましく仕立てることだけにエネルギーを費やして、それだけで何かを成し遂げたような満足感に浸っているように見える。
小川淳也は質問の最初で岸田文雄による石原伸晃の内閣官房参与起用を批判・追及した際、世間の評価を持ち出して、間接的に批判・追及したのみである。「落選者の失業対策」、「民意の軽視」、「お友達人事」、「上級国民」等々。但し小川淳也自身が世間の評価に共鳴するところがあり、国会の場に持ち出したはずである。そしてこの中で簡単に「ノー」の一言で片付けられないフレーズは「民意の軽視」であろう。選挙で落選した者を内閣の一員に迎える。これが民意の軽視に当たるのか、当たらないのかに絞って、批判・追及する頭はなかったのだろうか。だが、自身共鳴するものがありながら、世間の評価を並べるだけで終えた。
国政選挙立候補者は衆議院選挙では1選挙区のみで最高得票を獲得した1人(参議院2人区では上位2人)か比例で復活した当選者が、そのことのみで主権者である国民の信託を受けたとされ、全国民を代表することになる。直接的に全国民に選ばれて、そのことによって全国民の信託を受けたと看做されるわけではない。逆に言うと、1選挙区の民意を日本全国の民意に匹敵させて全国民の代表とさせ、全国民の信託を負わせることになるのだから、1選挙区の民意は非常に重いことになる。石原伸晃は過去の実績まで含めて1選挙区のその重い民意に拒絶され、全国民の代表とされることにふさわしくないと評価され、全国民の信託を受けるに至らなかった。
そのような民意を突きつけられた石原伸晃の国土交通大臣、環境大臣、経済再生担当大臣等々の内閣の要職にしても、幹事長、政調会長等の党要職にしても、民意を回復するまでは過去の実績として切り離さなければならず、それを貴重な政治経験として扱うこと自体、民意に背き、民意の軽視そのものであって、その上内閣官房参与として内閣の一員として迎えたことは二重の民意違反であり、二重の民意軽視を犯したことになるはずで、この点から岸田文雄による石原伸晃の内閣官房参与への起用とその責任を問い質すべきではなかったろうか。民意が絡んでいる首相人事である以上、総理大臣自身の任命責任とは無関係とすることはできなかったはずである。
要するに国民が信任を拒否したことになる石原伸晃を内閣に迎え入れ、内閣官房参与に据え付けた。国民の信託を受けないで済む民間人や官僚を参与に迎え入れることとは訳が違う。
立憲民主の採るべき道 その1:「批判ばかり」の起因理由解明 その2:国会追及のスキル向上 その3:政権交代はなぜ必要なのかの定義づけ(2)に続く