立憲民主の採るべき道 その1:「批判ばかり」の起因理由解明 その2:国会追及のスキル向上 その3:政権交代はなぜ必要なのかの定義づけ(1)

2021-12-27 09:39:34 | 政治

 1.2021衆議院選挙立憲民主党の敗因:「批判ばかりの政党」というマイナス評価と共産党アレルギー
 2.「立憲は批判ばかりの政党」のマイナス評価に対する立候補者それぞれの見解 
 3.小川淳也の「立憲は批判ばかり」の受け止め方
 4.立憲民主党という党自体の「批判ばかり」のマイナス評価に対する認識
 5.なぜ政権交代は必要なのか、その定義づけを行わなければならない
 6.立憲代表泉健太の具体像が何も見えてこない野党第1党としての役割と責任 
  1.2021衆議院選挙立憲民主党の敗因:「批判ばかりの政党」というマイナス評価と共産党アレルギー

 2021年10月31日投開票の第49回衆議院議員選挙は自民党は15議席減らしたものの全議席465の過半数を28議席超える261議席を獲得、連立与党公明党の32議席と合わせて293議席を獲得した。参院で法案否決の場合、自公で衆院再可決可能定数465の3分の2の310議席には届かなかったものの、憲法改正に前向きな自民・公明・維新の3党で発議に必要な衆院の3分の1議席を確保。

 対する野党第1党の立憲民主党は日本維新を除いた他野党と289小選挙区のうちの220近い選挙区で候補の一本化を行い、そのうち共産党とは70程度の小選挙区に対して25選挙区で一本化を図ったものの、結果的には相乗効果を発揮することなく選挙前109議席から13議席減らして96議席にとどまることとなった。枝野幸男は選挙敗北の責任を取って代表を辞任、大きな代償を支払うことになった。

 立憲民主党の敗因理由はマスコミの報道を見る限り、批判ばかりしている政党で政権担当能力がないと見られたことと共産党との間に合意した候補者の一本化と “限定的な閣外からの協力”の取決めに共産党アレルギーのある有権者を刺激し、アレルギーがなくても、有権者の理解上の拒絶反応を招くことになったことだと判断できる。

 2021年9月30日に枝野幸男代表と共産党委員長志位和夫が国会内で会談し、会談後の記者会見で枝野幸男は「消費税減税」や「安全保障法制の違憲部分の廃止」等、民間団体「市民連合」と合意した政策の実現に限定した閣外からの協力を提案し、志位和夫が受け入れたことを明らかにしたという。

 「消費税減税」の政策主張は国民民主党も行っており、この点での閣外協力は合理的な認識性から言っても何ら騒ぎ立てる問題でもないし、「安全保障法制の違憲部分の廃止」とは安倍自民党の憲法の拡大解釈による集団的自衛権行使容認等を立憲も共産党も、さらに加えて多くの憲法学者も、平和志向の市民団体も憲法違反と見ている政策視点であって、何の問題もなく、こういったことの延長線上の政策の実現に限定した閣外からの協力ということなら、これまた何の問題もないはずだが、自民党は内実は有権者への語りかけを念頭に置いて「選挙協力しながら、政権を取った場合は閣外協力と言うのは理解が難しい」といった趣旨で同協力への疑義申し立てを行い、麻生太郎に至っては2021年10月23日の川崎市新百合ヶ丘駅前の応援演説でかつての中国国民党と中国共産党との協力体制「国共合作」を引き合いに出して共産党の、いわば危険性をデマゴーグよろしく有権者へ直接の語りかけている。2021年10月25日付「J-CASTニュース」から見てみる。

 麻生太郎「どこの国でも共産党と組んだら共産党がリーダーシップを取っている。みんな同じです。立憲ナントカ党が連立を組みました。どこと?共産党。立憲共産党になったんだな。じゃあ聞こう。共産党は日米安保条約反対、自衛隊は違憲、天皇制反対。じゃあ、そういう政党と一緒になったら、内閣はどうするんです?『いや、内閣には入れないんです』(と立憲は主張している)。選挙だけ世話になって、(与党に)なった途端に『あんたら入れない』って、できると思う?選挙で散々世話になっといて、そして、いざなったら『あんたら入れない』。そういうようなことができると思ってるのが、先ず間違いなんですよ!」

 麻生太郎は「共産党がリーダーシップを取っている」との物言いを使っているが、「乗っ取り」を意味させていることは明らかである。共産党が仮に立憲民主党内閣に入ることになったとしても、武器を持って戦うわけではなく、最終的には多数決の原理で物事を決めていく民主主義の時代に数で上回る立憲民主党に数で下回る共産党がどうリーダーシップを取る(乗っ取る)ことができると言うのか、ほんのちょっと頭を働かせれば理解できることを頭に置かずにこの手の情報を垂れ流すのは有権者をバカにしていることになる。麻生のこの応援演説を直接聞いた有権者やマスコミ記事を通してこの情報に触れた有権者が例え熱烈な自民党支持者であっても、言っていることに無理があると気づくはずである。気づかないとなったら、麻生と同じ程度の頭、認識力しか持っていない大人の部類に入る。

 もし選挙で共産党の議席数が立憲の議席数を上回ることになったなら、その連立内閣は共産党がリーダーシップを取ることになる。しかし決して乗っ取りの類いではない。民意に基づいた民主主義に於ける多数決の原理が自ずと働いた結末に過ぎない。

 麻生の応援演説は表向きは危険体質の共産党実体論と見せかけているが、他と違って少々手の込んだ同工異曲の共産党アレルギーの有権者に対する植え付けに過ぎない。要するに過度に敏感な拒絶反応として現れるアレルギーと言うものの性質が頭からの思い込みであることが多く、実際のところはどうなっているのかを勉強する手間を省きがちな性質を利用して、少なくない日本国民が共産党アレルギーに冒されていることを幸いに思い込みを増幅させると同時に共産党アレルギーに無縁な有権者をもアレルギー疾患に誘い込むことを狙ったデマゴーグといったところなのだろう。

 だが、現実には少なくない有権者が共産党アレルギーの症状を心のうちに抱くことになって、立憲民主党に対する投票行動にブレーキを掛けた可能性は十分に考えられる。

 立憲民主党代表枝野幸男は選挙協力と限定的閣外協力を共産党と取り決める意思を持った時点で敵対政党の共産党アレルギーを増幅させるか、そのアレルギーに誘い込む意図を持ったデマゴーグに備えて、理論武装していなければならなかった。どのように理論武装していたのか、選挙敗北の責任を取って辞任した際の記者会見発言から見てみることにする。

 「枝野幸男辞任記者会見」(BLOGOS編集部/2021年11月12日 18:44)(一部抜粋)

 記者「フリーランスのミヤザキです。4年1か月間お疲れさまでした。『野党共闘』という言葉についてお伺いしたいんですけれども。マスコミでも、大学教授とかでもみんな『野党共闘』という言い方をしています。ただ2015年の平和安全法制ができて、その後市民連合といったものもできて、共産党からの呼びかけもあって、2016年の参院選は32ある1人区すべて野党で一本化しましたけれども、その当時から野党の枝野幹事長や岡田代表は『野党共闘』という言い方はしないようにしようと。そして政権を共にしないということはここ5、6年のうち5年くらいはその体制がメインストリームだったんですけれども、枝野代表はこの4年間『野党共闘』という言い方は恐らく1度もされていないかと思います。

 執行部でそういう言葉は使わないようにしていたのに、マスコミで使われている。それから何と言っても志位委員長が使っていますので、なかなかこの4年間志位さんに対して『野党共闘』という言葉はやめてもらえませんか、野党一本化とか統一候補とか言ってもらえませんか』っていうことはなかなか言えなかったんじゃないかと思うんですけど、『野党共闘』という言葉に関しての、マスコミの使い方に関しての思いと、今後この言葉はどういうふうに扱われるべきとお考えか」

 枝野幸男「ご承知の通り私は一貫して『野党連携』という言葉を使ってまいりました。この言葉の使い方だけに留まらず他の野党との関係についてはかなり緻密に言葉を使い、進めてきたにもかかわらず、それが有権者のみなさんにきちっと伝わらなかったという客観的な事実はあると思っています。それは私自身の力不足だと思っておりまして、きちっと実態通り報道していただき、実態通り有権者に伝わるような努力はさらに必要だと思っています」

 記者「『野党共闘』という言葉は、志位委員長に対して使わないでとは言う機会はなかったでしょうか」

 枝野幸男「他の政党について、私が今ここで具体的に何を言ったのか、何を言わなかったを含めて、結論として私たちは候補者の一本化と限定的な閣外からの協力ということは結論であったということであって、そこでは『野党共闘』という言葉も『野党連携』ということもありません」

 記者「同じことをもう1回聞かせてください。数は力じゃないけど、ある程度最大野党の方が議席が多いわけですから、そっちの方の言葉に報道なんかは合わせた方がいいんじゃないかと思うんですが、その辺は何度かサジェスチョンされていたと思いますけど改めてどうでしょう」

 枝野幸男「報道がどうお伝えになるかということについて、私の立場から申し上げるべきではない。報道が正確に伝えていただけるように努力するのが私たちの立場だと思っています」

 記者「日経新聞のヨダです。先ほどありました共産党との『限定的な閣外からの協力』という言葉なんですけど。9月の初めに政策協定を市民連合さんを介して結んだ後、9月末に直接共産党と合意したわけなんですけども。『限定的な閣外からの協力』という言葉は与党から言葉尻を捉えて批判の材料になったかと思うんですけれども、今振り返って『限定的な閣外からの協力』っていう合意というのは必要不可欠なものであったというふうにお考えでしょうか」

 枝野幸男「申し上げている通り、閣外協力とは全く違うということを言葉の上でも明確にしたんですが、残念ながらそれを十分に伝えきれなかったということを残念に思っています」

 枝野幸男は「ご承知の通り私は一貫して『野党連携』という言葉を使ってまいりました」と言いながら、共産党との「候補者の一本化と限定的な閣外からの協力」の取り決めに関しては「そこでは『野党共闘』という言葉も『野党連携』ということもありません」と、両文言は入れてはいないといった趣旨の発言をしている。

 要するに共産党とは「野党共闘」でも、「野党連携」でもなく、「候補者の一本化と限定的な閣外からの協力」のみを取り決めたに過ぎないと、まるで簡単には説明がつかない言葉遊びのようなことを言っている。説明がつかない状況を自ら作り出しているから、「(全面的な)閣外協力とは全く違うということを言葉の上でも明確にしたんですが、残念ながらそれを十分に伝えきれなかったということを残念に思っています」と、実際には"言葉で明確"にできなかった実態を浮かび上がらせることになったのだろう。

 では、立憲と共産党との「候補者の一本化と限定的な閣外からの協力」を簡略化した言葉一言で言うと、何と表現ししたらいいのだろうか。枝野幸男は誤解のない、的確な理解を求めるために自らが造語すべきだったはずだ。本人は「私は一貫して『野党連携』という言葉を使ってまいりました」と発言しているが、野党は立憲と共産党以外にも存在する。立憲と共産党に限った部分連携だということなら、「野党」という言葉を冠せずにより直接的に「立共部分連携」といった造語を行ってから、その内容を言葉の説明で補って、造語が意味するところの理解を求めたなら、逆に造語によって立憲民主党の共産党に対する立場の明瞭化に役立ち、共産党アレルギーが立憲民主党に対する投票の妨げとなる危険性の除去に少しは役立った可能性は捨てきれないし、共産党アレルギー自体への縮小に役立った可能性も捨てきれない。

 あるいは分かりやすいところで連立内閣を組むが、政府の安全保障関連の会議には発言権はあるが議決権のないオブザーバーの参加資格のみを与える取り決めが可能ならば、選挙協力もできるし、共産党アレルギーの立憲民主党への転嫁防止に役立つ可能性は否定できない。

 記者が野党時代の「枝野幹事長や岡田代表は『野党共闘』という言い方はしないようにしようと。そして政権を共にしないということはここ5、6年のうち5年くらいはその体制がメインストリームだったんですけれども」と質問しているが、ではなぜ候補者一本化の選挙協力だけにとどめないで、僅かなりとも"政権を共にする"ことになる限定的な閣外協力に足を踏み入れることになったのだろう。

 物事の取り引きには何事も「ギブ・アンド・テークの原則」が常に働く。そして取引間の力関係に応じて、「ギブ」と「テーク」の比重が前者が後者よりもウエイトを占めたり、逆に後者が前者よりもウエイトを占めたりする。「ギブ」=「テーク」という関係はなかなか求めにくい。であったとしても、「ギブ」が最初に来て、「テーク」はあとに従う。だから、「ギブ・アンド・テーク」という語順になっていて、「テーク・アンド・ギブ」の語順にはなっていない。「テーク」が先に来て、お返しとしての「ギブ」が「テーク」に満たない価値で終わらせてしまうことが無条件に許されたのは権威主義がおおっぴらにのさばっていた封建主義時代か国家主義の時代であるが、平等主義の今日であっても、取引間の力関係がどうしようもなく干渉することになるものの、あくまでも「ギブ・アンド・テーク」、与えて取るという関係を取る。

 枝野幸男は立憲民主党を一気に政権選択可能な議席数の確保に持っていくために共産党の候補者を取り下げさせて立憲の候補者へと差し替える候補者一本化の「テーク」と引き換えに先ずは「消費税減税」や「安全保障法制の違憲部分の廃止」等の政策に限った限定的な閣外協力を「ギブ」とする取り引きを結ばざるを得なくなったのではないだろうか。そして共産党としては立憲民主党からのこの「ギブ」が立憲民主党の共産党からの「テーク」以上に価値を持っていたということなのだろう。立憲民主党が政権を取ることができたなら、部分的な閣外協力であったとしても、日本の政治の表舞台に足を一歩踏み入れることができるからだ。

 枝野幸男は「消費税減税」や「安全保障法制の違憲部分の廃止」等の政策に限った共産党との限定的な閣外協力であるならば、政策の違いを無視した協力だとか、野合だといった批判は撥ねつけることができるのだから、胸を張ってこのことの説明責任を有権者に対して丁寧に尽くすべきだった。

 要するにどこにも後ろめたいところはない以上、どこの国でも主義主張の異なる政党が連立政権を組む場合は違いのある政策はどう扱うかの協定を全面的に結ぶことになるが、そのことと違って、候補者1本化の見返りにほぼ違いのない政策に限った協定なのだと説明すれば済むことだったが、満足に説明責任は果たさないばっかりに麻生太郎やその他の自民党の面々に有権者の共産党アレルギーを利用したデマに等しい批判を受けることになり、「批判ばかりの政党」だと思わせていたことと抱き合わせになって、立憲民主党への引力を日本維新の会に向かわせる結果を招いたように思える。

 結果、代表という舞台から降りることになった枝野幸男に代わる新しい代表を決める選挙でご承知のように泉健太、小川淳也、逢坂誠二、西村智奈美の4人が立候補、一回目で決まらずに二回目の決選投票で泉健太が新代表に選出されることになった。

 2.「立憲は批判ばかりの政党」のマイナス評価に対する立候補者それぞれの見解

 立憲民主党代表選に立候補した泉健太、逢坂誠二、小川淳也、西村智奈美が衆院選敗北理由となった共産党との連携に関して来年の参院選ではどう考えているのか、「批判ばかりの政党」というマイナス評価をどう捉え、どのように解消に向けて取り組もうとしているのかを見ていくことにする。なぜ4氏かと言うと、西村智奈美は幹事長、逢坂誠二は代表代行、小川淳也は政調会長として執行部に参加、それぞれの発言・主張が立憲民主党の今後の政策に影響していくことになるだろうからである。
 
 4人の立候補が出揃ったところで揃い踏みの記者会見を開いたり、一緒にテレビに出たり、遊説を行ったりして発言しているが、全部の発言を追いかけるわけにはいかないだけではなく、どうせ似たり寄ったりの発言に終止しているだろうから、2021年11月21日放送のNHK日曜討論「どうする立憲民主党 代表選4候補に問う」から主に共産党との来年の参院選での選挙協力と立憲は「批判ばかりの政党」というマイナス評価が何に起因し、対処方策をどのように思い描き、乗り越え可能な障害とするのかを見ていくことにする。

 最初に記事のテーマと離れるが、この手の番組の恒例となっている、各候補者のパネルへの書き込みを取り上げてみる。質問趣旨は「立憲民主党代表としてどのような社会を目指すのか」

 要するにそれぞれの目指す社会のキャッチフレーズということになる。

 逢坂誠二「人への投資で希望と安心のある社会」
 小川淳也「対話型の新しい政治が創る持続可能な社会」
 泉健太「普通の安心が得られる社会 公正な政治行政」
 西村智奈美「多様性を力に理不尽を許さない政治」
  
 実際には目指す社会を実現させることができていない現実の政治を反面教師としたそれぞれの目指す社会の体裁を取ることになるから、そのことを各候補者が認識しているかどうかは分からないが、代表になれば、政権獲得というもう一手間を踏まなければならないものの、さも実現を保証できるかのような発言となっているところを見ると、殆どが厳しくは認識していないようにも見えるが、現実の政治の反面教師という関係にある以上、お題目で終わりかねない前途多難な目指す社会の側面を否応もなしに抱えることになる。

 パネルを掲げ、それぞれがキャッチフレーズとした自らの目指す社会について説明したあと、最初のコーナーの「野党第1党責任と役割は」では若手論客として招待された「日本若者協議会」代表理事の室橋祐貴と慶應義塾大学総合政策学部教授で経済学者の白井さゆりが立憲が衆院選挙で掲げた政策や選挙戦の長所・短所、敗因の理由等について発言しているが、この記事のテーマに即している室橋祐貴の発言のみを取り上げることにする。

 キャスター井上あさひ「野党第1党の代表選に何が求められるとお考えですか」

 室橋祐貴「そうですね、やっぱり先の衆院選では基本的には与党の支持率、投票が多くて、基本的には立憲民主党、野党が負けたという結果になっていると思うのですけども、先程の4方の主張(代表選立候補4者それぞれがパネルに書いた「目指す社会」について述べたこと)と基本的にこれまでの立憲民主党の掲げていた主張とあんまり変わらない印象で果たして今後はどう変わっていくのかっていうのはあんまりイメージがつかない。

 やっぱり若者からの投票っていうのは、実は立憲民主党というのは低くて、それはこの4年間、基本的に低かった。で、その中でやっぱり若者から今回、団体(日本若者協議会)内でも、選挙のあとにですね、どういう理由で各党に投票したのかっていう話だったりとか、あと、なぜ逆に立憲民主党に投票しなかったと言うの聞いているのですが、大きく3つあって、それは1つはやっぱり批判ばかりっていう話。政策担当能力がない、任せられないというところ。

 2点目が外交・安保、経済政策中心に政策の評価が低い。3つ目がやっぱり共産党との距離感が違いすぎるっていうところがやっぱり基本的にはここ3つに纏まっていて、それに対しての明確な回答が得ない限り、なかなかやっぱり若者からの支持が得られないと思って、そこはもう少し明確に主張して頂けると、やっぱりどう変わっていくのかというのが分かるのかなあと思います」

 「日本若者協議会」の代表理事室橋祐貴は組織内の若者からの聞き取りによる立憲民主党の敗因理由を3つ挙げた。

 1、批判ばかり。政策担当能力がない、任せられない。
 2、外交・安保、経済政策中心に政策の評価が低い。
 3、共産党との距離感が違いすぎる。

 3番目の「共産党との距離感が違いすぎる」は「日本若者協議会」の会員たちの若者の視点から見た場合、若者たちが立憲民主党に対して感じている距離感と共産党に対して感じている距離感が違いすぎて、「限定的な閣外からの協力」というものに素直にはついていけなかったといったところなのだろう。

 この室橋祐貴の立憲敗因の理由に泉健太以下がどう答えているか見ていくことにする。先ずは共産党との関係。

 キャスター伊藤雅之「この(次の)参議院選挙でもですね、4人のお話を伺っていると、定員1人の選挙区では選挙協力を基本的に目指していこうと、地域の実情にも配慮しようと言うことなんですが、政権構想を考える上で共産党をどう位置づけていくのかということなんですが、小川さんにお伺いしますが、次の参議院選挙の前にですね、この政権構想と共産党の位置づけ、今は、思えば総選挙でないという状態ということで(政権選択選挙ではないということで)、改めて検討し直すということなのか、如何でしょうか」
 
 小川淳也「これはですね、野党共闘という言葉がまさに安保法制のときから始まったんです。この随分、この言葉が大義化していまして、片や連合政権、連立政権という概念もあれば、閣外共闘、国会内共闘、今回であれば部分的共闘、そしてまあ、選挙区調整。

 選挙区調整は私は一般的に必要だと思いますし、進めるべきだと思いますが、そこから先になりますと、やっぱりある程度政策合意前提にしなければ、一般的にはできない話だろうなと。そんなに簡単な話ではない。難しい話だなという認識で現状おります」

 キャスター伊藤雅之「泉さん、泉さんは政権構想と共産党との関係、これどういうふうにお考えですか」

 泉健太「あのー、次、参議院選挙ですね。取り敢えず先ずは参議院選挙という話、よくあるんですが、その前に先ず立憲民主党がしっかりと再生するということだと思います。そういう意味では先程室橋さんの指摘は非常に厳しいですけど、受け止めなければいけないことであって、我が党は反省をして、党の政策に自信があるからこそ、見直していかなければならないですね。批判ばかりというイメージがあったのはのは事実なんです。

 ま、ちゃんとそれを受け止めて、やはり政策発信型であるということ、これまで様々、是々非々な政策で対応してきましたし、そして議員立法も数多く出してきたけれども、イメージがそうであるとすれば、これはやっぱりちゃんと変える努力をしなければならない。そして魅力を高めることによって、国民民主党やれいわや社民や共産、そういう方々と話し合いにいくんであって、先ず先にその話し合いにいく前に先ずやっぱり党が先に改革をしていくこと。これが最重要だというふうに思います」

 キャスター伊藤雅之「西村さんはどう考えますか」

 西村智奈美「私はまずは党の自力を高めていくということ。これは勿論のことだと思っています。立憲民主党が目指してきた社会像は私は全否定されていないと考えるんですね。今、現に起きている、例えば非正規の方々に対する差別、それを解消せずしてどうやって日本全体の経済をよくしていこうというふうに考えられるのか。

 私は先ず格差の是正が優先されてきたというふうに考えています。そういった中で今回の衆議院選挙では野党のみなさんが直前に候補者調整に協力してくださって、候補者を下げてくださったり、あるいは他党であっても、立憲民主党の候補者に投票をしてくださったりということがありました。感謝しています。この協力関係、参議院選挙では1人区、32ありますので、ここではしっかりと協力していきたいと考えています」

 キャスター伊藤雅之「逢坂さんはどう考えますか」

 逢坂誠二「今、これまでの3人が述べてたこと、私は全く同感でありまして、先ずは我が党の自力をつけるということが何より大事なことです。ただ、そうは言うものの、我々は少しでも勢力を拡大していくということをしなければなりませんので、そのためにはやはり1人区、小選挙区では与党1、野党1、1対1の構造をつくっていくということにやっぱり全力を挙げていく必要があると思っておりす。

 ただそのこととですね、政権構想をどうするかということは少し切り離して考えなければいけない。これは先程小川さんが言ったとおり、よく共闘という言葉を安易に色んな場面で使いがちですけれども、様々なパターンがあるわけですね。だから、そこは丁寧に、やっぱり考えていく必要があるいうふうに思っています。

 ただ私は今、この間、安倍内閣からですね、公文書改ざんしたり、廃棄したり、国会でウソの答弁を、もう繰り返し行って、こういうデタラメな状況が続いていますので、これを何としてもストップしなければいけないという強い思いがあります」―― 

 番組冒頭で「日本若者協議会」代表理事の室橋祐貴は立憲敗因理由の一つに共産党との関係では、「共産党との距離感が違いすぎる」ことを挙げた。そしてキャスターの伊藤雅之は最初の質問として「次回参議院選挙での共産党との関係はどうするのか」を尋ねた。当然、泉健太以下はこの課題に答えなければならない。対して小川淳也は野党との協力関係には「野党共闘もあれば、連合政権、連立政権、閣外共闘、国会内共闘、部分的共闘、選挙区調整もある」と突きつけられた課題とは関係しないことを頭の回転よろしく立て板に水を流すようにペラペラと喋っているが、必要もない知識のひけらかしに過ぎない余分な発言だろう。必要な発言は選挙区調整は必要だが、政策合意が前提となるだけでいい。
 
 但し「選挙区調整は必要」も、「政策合意が前提」も自分の側からの要望のみとなっていて、「ギブ・アンド・テークの原則」に照らすと、意識の上では「テーク・アンド・テーク」となっている。「必要」という関係を求める以上、「相手もあることだから」という考えのもと、どこかに何らかの「ギブ」を用意しなければならないことは頭に入れていない。勿論、選挙区調整だけを行うことができるが、既に触れたようにその場合は可能な限り「ギブ=テーク」でいかなければならない。毎度、毎度、立憲民主党の都合ばかりではいかないということである。

 では、共産党を除いた国民民主党やれいわや社民党等の野党のみとの選挙区調整だけで次の参議院選で自公の議席減を狙い、立憲の議席を伸ばして、与党の政権運営を少しでも困難にさせる方策をどうするのか(こういった状況を目指し、先の長い話となるかもしれないが、次の衆院選挙で衆議院の自公の議席減を狙い、政権交代に一歩でも近づけるようにすることを目標としていなければならないはずである)、立憲の次期代表を狙っている以上、少なくとも頭に置いているはずだが、発言の前段の知識のひけらかしにしかならない「連合政権、連立政権・・・・」等々の言葉の達者さの印象が強くて、次期代表にふさわしいのかどうかの重みは伝わってこない。

 但しこの言葉の達者さが国会での追及を彷彿とさせたが、殆ど言葉の達者さを披露するだけで、追及を成功させることはできていない。

 泉健太は党の再生を先に置いて、野党連携はそのあとの課題だとしている。そして実際には議員立法を数多く提出してきた政策発信型なのだが、「批判ばかりというイメージがあったのはのは事実」だから、「ちゃんと変える努力をしなければならない」と答えている。

 自分たちは政策発信型だと思っていながら、ではなぜ「批判ばかりというイメージ」が流布することになったのか、その原因追求への姿勢は見当たらない。批判ばかりというイメージが何に起因しているのかを明らかにできなければ、一旦固定化したイメージはなかなか変えようがない。立憲民主党だけではなく、他の野党をも含めて与党による「野党は批判ばかり」というレッテルをいつ頃から貼られたのか承知していないが、2016年10月、農林水産大臣の山本有二が佐藤勉衆議院議院運営委員長の政治資金パーティーで、「(TPP法案)を強行採決するかどうかは、(その権限がある)この佐藤勉さんが決める」と発言、野党が国会で問題視し、辞任要求を突きつけたが、辞任させることができないままに一件落着後、11月に入ったばかりの1日に自民党議員パーティーの挨拶で「こないだ冗談を言ったら(農相を)首になりそうになった」と発言、再び問題となった際、当時民進党代表の蓮舫が大津市で開かれた2016年11月6日の党の会合で、「暴言をした山本農林水産大臣の責任を明らかにすることなく、前に進めることは絶対にありえない。国会はもめていて、私たちは『審議拒否」ではないか、批判ばかりではないか』と必ず言われる。しかし、大臣の放言や暴言に対して、対案や提案があるだろうか」(「Wikipedia」と「NHK NEWS WEB」記事から)と言っていることは気の利いた発言に見えるが(本人も気の利いた発言だと思っているだろうが)、「大臣の放言や暴言」を「対案や提案」で対処できる事柄ではないのは分かりきったことで、それをわざわざ問いかけること自体が考えが浅い。なぜなら、「大臣の放言や暴言」に対処すべき手段はそれが不適切であることを追及して相手に認めさせ、不適切であることの責任を取らせる以外になく、それができないから、負け惜しみか、犬の遠吠えにしならないことを口にせざるを得なかった小賢しさから出た、一見したところ気の利いた発言ふうになったといったところなのだろう。

 強行採決は与党にとってルール違反ではないが、野党にとっては常にルール違反となる。この法則が間違いだと言うなら、野党は与党になったとしても、永遠に強行採決はできないことになる。ところが民主党政権時代も強行採決を行っている。山本有二の問題点は審議のある時点で強行採決を用いて法案の国会突破を念頭に置いていたとしても、あくまでも国会審議の場に限定した政治行為であり、内々の秘密としておかなければならない案件であるはずなのに自身の政治資金パーティーの会場であっても口外していい資格も場でもないのに、ましてや同僚とは言え、国会の場とは関係しない他人の政治資金パーティーの会場で口外するのは法案を担当する大臣であろうと、軽はずみな行為であり、不適切の誹りは免れ得ず、その口の軽さは大臣としての適格性に欠けるのは事実として批判・追及し、責任を認めさせる以外に手はなく、相手が認めなければ、自分たちの批判・追及の力が甘いと臍を噛むしかないだろう。

 同じ2016年の参議院選挙が公示された6月22日、安倍晋三は第一声を熊本市で上げている。
 
 安倍晋三「私はどうしても第一声を熊本から発しようと考えました。あの震災を一生懸命復旧に向けて頑張っておられる熊本の皆様を少しでも励ますことができれば。そして熊本の復興に対する私たちの強い意思を全国に発信しようと、そう考えたところであります。今回の選挙戦の最大のテーマは経済政策であります。野党は口を開けば批判ばかりをしている。『アベノミクスは失敗した』、そればかりであります」

 2016年以前から「野党は批判ばかり」と言われていた。そのイメージがついて回っていた。そして現在、立憲民主党が「野党は批判ばかり」の野党の代表とされていて、「立憲は批判ばかり」の有り難くないマイナス評価を戴くことになっている。このような状況を鑑みるなら、代表に選出された泉健太ではなくても、誰かが「批判ばかりというイメージ」が何に起因しているのか、なぜついて回ることになっているのか、突き止めない限り、この先何年も「批判ばかり」に付き合っていかなければならなくなる。だが、誰も突き止めようとする意思すら見せていない。

 西村智奈美はキャスターである伊藤雅之の問いかけに「立憲は批判ばかり」というイメージは脇に置いて、「立憲民主党が目指してきた社会像は全否定されていない」としている点と、共産党も含めなければならない参議院選挙1人区32の候補者調整に活路を見い出す腹づもりでいる。だが、立憲民主党が掲げる社会像が全否定されることはないと見ていたとしても、今回の衆院選敗北の原因の一つが「立憲は批判ばかり」と見られている以上、このマイナス評価が来年夏の参院選にまでついて回って、今回の衆院選と同様に全体的結果として「立憲民主党が目指してきた社会像」までが無視されることになる立憲に対する票の引き剥がしに役立たないことはないと考えることはできないのだろうか。衆院選の二の舞にならないためには参院選までに「立憲は批判ばかり」を払拭しなければならないが、西村智奈美はこの社会像にかなりの自負を置いているのか、「立憲は批判ばかり」のレッテルにはさしたる注意を払っていない。

 共産党を含めた候補者調整に関しては共産党は原則、全選挙区への立候補を目指している関係から衆院選と同様に自党の候補者の取り下げを行って立憲の候補者に差し替える事例が多くなることが予想される以上、共産党側から「ギブ・アンド・テーク」の原則を持ち出されて、単なる候補者調整では終わらない確率は高い。当然、候補者調整が望ましいと言うだけでは済まないが、西村智奈美の候補者調整は立憲民主党側からの「テーク」の思惑のみで、他の野党側からの、特に共産党側に対する「ギブ」の思惑、他の野党、共産党にとっての「テーク」に対する配慮は小川淳也同様に、そして次に発言した逢坂誠二同様に何ら意識に置いていない.

 逢坂誠二は立憲民主党の勢力拡大には西村智奈美と同様に1人区の候補者調整は必要だが、政権構想とは別の話だといった趣旨の発言をしている。この発想は
断るまでもなく、小川淳也や西村智奈美と同様に「ギブ・アンド・テーク」ではなく、立憲民主党側からの「テーク・アンド・テーク」の考え方で、共産党が果たして納得するだろうかどうかの考えを入れていない。もし共産党を政権に近づけたくないという考えなら、候補者調整は共産党抜きにするか、入れたとしても、後腐れなく同人数の差し替えとし、「ギブ」=「テーク」の等価交換の関係に持っていくべきだろう。但し立憲が望むだけの議席増は計算に入れることはできなくなる可能性は生じる。

 逢坂誠二は候補者調整とは別に今後の国会対応について安倍内閣で噴出した疑惑隠しのための公文書改ざん・廃棄、虚偽答弁等々が今後とも起こりうると見てのことだろう、再発を「ストップしなければいけない」と強い決意を示して、何かあった場合には追及の継続に怯まない姿勢を見せている。但しこの姿勢は「立憲は批判ばかり」のマイナス評価を誘発し、さらに拡大しかねない危険性を背中合わせとすることになる。

 こういったことを逢坂誠二が認識しているかどうかは分からないが、認識していたとしたら、「立憲は批判ばかり」のマイナス評価の誘発・拡大を前以って予測する危機意識が当然のこと働くだろうから、やはりそれが何に起因しているのかを突き詰めて、誘発・拡大させない追及なり、批判なりを行わなければならないが、そこまで考えていなければならないのにその手の危機意識は持っていないらしく、発言からは窺うことはできない。

 3.小川淳也の「立憲は批判ばかり」の受け止め方

 番組が少し進んでから、キャスターの伊藤雅之が衆院選の敗戦を踏まえた参院選の取り組みを西村智奈美、逢坂誠二、泉健太と続いて問い(全て省略)、最後の小川淳也には「代表になったときに問われる政策の中でどう参院選に取り組むのか」といったことを尋ねた。

 小川淳也「私は兎も角、野党第1党は政権の受け皿たるべきだと。今回も衆議院選挙の厳しい結果がそこが認知されなかった思っています。ただ、批判ばかりというお話にも答えなければいけなくて、やっぱり権力に対して批判的立場からきちんと検証していくことなんですね。

 但し批判するときはされる側も問われますが、する側も問われるんです。それは何のための批判なのか、何を目指しての批判なのか。ですから、まあ、ちょっと言葉を選ばずに言うと、批判するときは国民が惚れ惚れするような批判してこその野党だと。それを含めたイメージを改革していかないと。それはつまり、体質改善だと言うことだと思います」――

 小川淳也は若くて力強い言葉の発信を得意とするから、なる程なと勘違いさせやすいが、実際には中身のないことしか言っていない。「野党第1党は政権の受け皿たるべきだ」ではなく、これはごくごく当たり前のことであって、答えるべきは「立憲は政権の受け皿としての資格・存在意義をどこに置くべきか」、その説明だろう。説明せずに、「衆議院選挙の厳しい結果がそこが認知されなかった思っています」の発言はただ単に事実関係を表面的になぞっているに過ぎない。但し以上の短い発言を見ただけでも、バイタリティ溢れる才気煥発な言葉の達者さだけは十分に窺わせる。

 そして室橋祐貴が口にした、代表理事を務めている「日本若者協議会」の若者たちの「立憲は批判ばかり」のマイナス評価に対して「批判ばかりというお話にも答えなければいけなくて、やっぱり権力に対して批判的立場からきちんと検証していくことなんですね」と答えてから次の発言に移る。記憶すべき立派な発言だから、改めてここに取り上げる。

 「但し批判するときはされる側も問われますが、する側も問われるんです。それは何のための批判なのか、何を目指しての批判なのか。ですから、まあ、ちょっと言葉を選ばずに言うと、批判するときは国民が惚れ惚れするような批判してこその野党だと。それを含めたイメージを改革していかないと。それはつまり、体質改善だと言うことだと思います」

 この発言は「立憲は批判ばかり」のマイナス評価を払拭するために今後の課題として好ましい批判の方法論を提示したものである。決して既に行ってきたことではない。

 但し今後「国民が惚れ惚れするような批判」を展開するにはそれなりの素地がなければならない。素地がないのにいきなり「国民が惚れ惚れするような批判」はできない。果たして野党の政府の持つ国家権力に対する様々な追及で「国民が惚れ惚れするような批判」の片鱗を見せたことがあるだろうか。見せたことがあるなら、国民は僅かなりとも「惚れ惚れ」するところまでいかなくても、それなりに感心して、「批判ばかり」のマイナス評価にまでは至らなかったろう。 

 「国民が惚れ惚れするような批判」とは小川淳也は勿論、立憲民主党議員が政府内で国家権力を利用した不正関連の何らかの疑惑が発生し、国会で追及することになったとき、政府側に逃げ道を作らせずに疑惑を暴き出し、役職の辞任なり、議員辞職なりの責任を取らせるところまで追い詰めることができたとき始めて、その評価を受けることになるはずである。あるいは国会に提出された与党法案に与党の支持層には十分な恩恵を与えることになっても、野党の支持層に対する恩恵は必ずし十分ではない欠陥や不備、偏りが認められたときに、その不公平を追及・批判するとき、欠陥や不備、偏りを認めさせて謝罪させ、法案の手直しに応じさせたり、時間切れ等の理由からではなく、あるいは国民世論反対の助けを借りることもなく廃案に追い込むことができた追及・批判は「国民が惚れ惚れするような批判」に相当することになるだろう。特に安倍政権下の安全保障関連法案に向けた野党側の反対・廃案に対する政権側の抵抗には結果的に手も足も出ずに終えた。

 繰り返しになるが、小川淳也を始めとして立憲民主党の枝野幸男も蓮舫も、辻元清美も、逢坂誠二も、勿論、頻繁に国会質問に立つ面々として知られている今井雅人、大西健介、後藤祐一、その他その他、あるいは他野党の著名どころも一度も「国民が惚れ惚れするような批判」を展開したことはない。展開していたなら、モリカケ問題でも、桜を見る会でも、黒川東京高検検事長の定年延長問題でも、安倍晋三を追い詰め、辞任に追い込むことができていたはずであるし、日本学術会議会員6名任命拒否問題で首相菅義偉に学問の自由の侵害に当たると認めさせて、6名任命拒否を撤回できていたはずである。

 女性蔑視や人権否定の失言、国民蔑視の失言を犯したその他多くの閣僚のうち何人かは辞任させることはできたが、幕引きを図らなければならない何らかの政局上の理由などがあったことからの任命権者による更迭が実態で、それ以外の多くは「しっかりと説明責任を果たすことで職責を全うしたい」とか、「職務を全うすることで責任は果たしたい」などと言わせて延命を許すのが常態となっていて、「国民が惚れ惚れするような批判」の不在を証明して余りある。国会という場で同じ逃げの答弁を引き出すだけの似たり寄ったりの批判・追及で臨んで堂々巡りを招く場面がお馴染の光景となっているのみで、結果的にその程度の甘い、延々と続けるだけといった批判・追及が安倍晋三たちの延命に手を貸すことになった。その挙げ句の果てが「野党は批判ばかり」であり、「立憲は批判ばかり」なのである。課題に取り組むだけで、答を出さなければ、その能力が疑われるのは当然と見なければならない。

 ここに「立憲は批判ばかり」といったマイナス評価の起因理由がある。要するに「野党は批判ばかり」、「立憲は批判ばかり」は「国民が惚れ惚れするような批判」ができていないことの逆説として成り立っているマイナス評価ということであろう。小川淳也はこれまでにその片鱗を見せたことがない自分たちの国会追及の程度・批判の程度も弁えずに「国民が惚れ惚れするような批判してこその野党だ」と一気に目標を富士山の高みに持っていった。但しこれまでの中途半端で終わっている追及・批判を見る限り、目標を富士山の高みでなくても、実現可能性もあやふやな未知数に見えてくる。小川淳也はそのような批判方法を獲得するにはどうすべきか、方法論を先ずは述べるか、以後の国会追及・批判で見せなければならない。とは言え、小川淳也自身が威勢のよい追及だけで、単なる批判で終わる国会追及に終止していたのだから、どのような方法論も提示できるかは疑わしい。実現可能性も考えずに言葉の達者さだけを見せたと受け取られても仕方があるまい。

 小川淳也はこの発言によって少なくとも本人自身は以後、「国民が惚れ惚れするような批判」を展開する責任を負ったことに気づいているのだろうか。2021年12月13日の衆議院予算委員会午後質疑。

 小川淳也「総理、先ずはご就任、遅ればせながらお目出度うございます。様々な重要閣僚、そして党の要職を務められた方ですが、やはり総理・総裁の重責、これまたひとしおではないかと想像に余りあることながら、それに対処しております。本題に入る前に先週末、石原内閣官房参与が辞任されたということの報告を受けました。

 これ、かなり世間の評価厳しいんですね。落選者の失業対策じゃないかと。そして官邸が民意を軽視してるんじゃないかと。さらにお友達人事、上級国民なんていう言葉が飛び交っています。そこでお尋ねしますが、そもそも何のための任命だったんですか。そして一連の辞任に至る経緯の中で総理大臣自身の任命責任をどのようにお考えになっているのか、先ずはその点からお聞きします」

 岸田文雄「先ず石原伸晃氏、参与就任につきましては私自身、石原伸晃氏のこれまでの政治経験、政府に於いては国土交通大臣、環境大臣、経済再生担当大臣、要職を務めてこられた。こうした取り組みをつう・・・・、こうした役職を通じて政策に於ける能力、さらには自民党に於いても幹事長、政調会長、要職を務めてこられた。

 この政治に於ける様々な力、まあ、こうしたものを勘案した中で是非、今新しい内閣がスタートした。そして今、具体的に重要な課題が山積している。その中で特に環境の分野、これ自民党の中でも国土交通大臣経験者、もう数少なくなってきました。こうした経験を評価して私として是非、助けて貰いたいということで参与をお願いしました。

 それ責任ということについてご質問がありました。こうしたことで参与をお願いしましたが、結果としてこの様々な点が指摘をされ、本人として混乱を生じることは本意ではないということで自ら辞職を申し出られた。私がそれを認めたということです。そしてその経緯を振り返りますときに混乱と言うことについては否めないと思っております。この点については私は申し訳ないと言うことを申し上げているところであります」

 小川淳也「色んなご経験があった方であることは事実ですが、それは受け止めたいと思いますが、ただ今私が申し上げた世論の批判、これもしっかりと受け止めて頂きたいと思います。その上で発端となった政党支部による今般の雇用調整金の受給について総理はこれをどう評価なされるか、ちょっとその点をお聞きしたいと思います」

 岸田文雄「先ず制度ということで申し上げるならば、政党支部は雇用保険の適用事業所であり、雇用保険も納めていると言うんであるならば、これは被保険者たる従業員の方が要件を満たしたときに失業手当等の雇用保険給付を受けること、これは法律的には適法であると認識をしております。

 しかしながら今回のケースについては政党助成金等を主たる収入の原資とする政党支部がこの制度を使うことがよいのかどうなのか。さらに言うと、コロナによって政治活動の制約を受けた、そして収入が減少した、こうしたことと一般の事業者の方がコロナによって収入減となったこと、これを同じように扱うということについて国民のみなさんがこの疑問を感じられた。このことについては疑問を感じると言うことについては理解をできます。こうした制度については私自身、今申し上げたように考えているところでございます」
 
 岸田文雄のこの答弁に対して小川淳也は、「これ、法律上は明確に除外はされていないんですよ。我々の政治家活動は基本的に安定的な財源によって賄われております」と言い、「安定的な公費で支えられている政治活動が安易にこのコロナ禍で苦しむ方々と同様に、同等に受け止めるという判断は不適切だ」と強い調子で批判、次に「今日は敢えて大岡副大臣にお越し頂きました。私はね、この場をお借りして申し上げますが、大岡さんとは厚労委員会でも一緒でね、個人的には党派を超えて友情を感じていました、だから厳しくお尋ね致しますが」と容赦しない姿勢を見せ、同じ雇用調整助成金の約30万円を受給していた環境副大臣の大岡敏孝に標的を変えて追及、最後に「引責したらどうですか」と迫ったものの、「全て私が雇用主、事業主として判断した。国民感情に照らして理解を得られるものではないと自省をしている」と反省を示したのみで、引責を否定、言葉の勇ましさに反して大山鳴動ネズミ一匹も出すことができないどうってことのない結末となった。

 小川淳也がいくら言葉勇ましく攻め立てたとしても、攻め立てただけの結果を得ることができなければ、言葉の勇ましさも、攻め立てた意味も失う。「批判するときは国民が惚れ惚れするような批判してこその野党だ」と小川淳也自身がそこに目標を置いているはずだが、「惚れ惚れするような批判」どころか、言葉の勇ましさだけが目立つ、中身のない追及で終えている。

 小川淳也は「批判するときはされる側も問われますが、する側も問われる」と立派な指摘もした。批判・追及が批判しただけ、追及しただけで終えて、結果を何も生まなければ、不毛な批判・追及となって、その程度の批判・追及であることが問われることになる。小川淳也はこういったことを自覚して国会の場に臨んでいるはずだが、言葉を勇ましく仕立てることだけにエネルギーを費やして、それだけで何かを成し遂げたような満足感に浸っているように見える。

 小川淳也は質問の最初で岸田文雄による石原伸晃の内閣官房参与起用を批判・追及した際、世間の評価を持ち出して、間接的に批判・追及したのみである。「落選者の失業対策」、「民意の軽視」、「お友達人事」、「上級国民」等々。但し小川淳也自身が世間の評価に共鳴するところがあり、国会の場に持ち出したはずである。そしてこの中で簡単に「ノー」の一言で片付けられないフレーズは「民意の軽視」であろう。選挙で落選した者を内閣の一員に迎える。これが民意の軽視に当たるのか、当たらないのかに絞って、批判・追及する頭はなかったのだろうか。だが、自身共鳴するものがありながら、世間の評価を並べるだけで終えた。

 国政選挙立候補者は衆議院選挙では1選挙区のみで最高得票を獲得した1人(参議院2人区では上位2人)か比例で復活した当選者が、そのことのみで主権者である国民の信託を受けたとされ、全国民を代表することになる。直接的に全国民に選ばれて、そのことによって全国民の信託を受けたと看做されるわけではない。逆に言うと、1選挙区の民意を日本全国の民意に匹敵させて全国民の代表とさせ、全国民の信託を負わせることになるのだから、1選挙区の民意は非常に重いことになる。石原伸晃は過去の実績まで含めて1選挙区のその重い民意に拒絶され、全国民の代表とされることにふさわしくないと評価され、全国民の信託を受けるに至らなかった。

 そのような民意を突きつけられた石原伸晃の国土交通大臣、環境大臣、経済再生担当大臣等々の内閣の要職にしても、幹事長、政調会長等の党要職にしても、民意を回復するまでは過去の実績として切り離さなければならず、それを貴重な政治経験として扱うこと自体、民意に背き、民意の軽視そのものであって、その上内閣官房参与として内閣の一員として迎えたことは二重の民意違反であり、二重の民意軽視を犯したことになるはずで、この点から岸田文雄による石原伸晃の内閣官房参与への起用とその責任を問い質すべきではなかったろうか。民意が絡んでいる首相人事である以上、総理大臣自身の任命責任とは無関係とすることはできなかったはずである。
 
 要するに国民が信任を拒否したことになる石原伸晃を内閣に迎え入れ、内閣官房参与に据え付けた。国民の信託を受けないで済む民間人や官僚を参与に迎え入れることとは訳が違う。

 立憲民主の採るべき道 その1:「批判ばかり」の起因理由解明 その2:国会追及のスキル向上 その3:政権交代はなぜ必要なのかの定義づけ(2)に続く

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立憲民主の採るべき道 その1:「批判ばかり」の起因理由解明 その2:国会追及のスキル向上 その3:政権交代はなぜ必要なのかの定義づけ(2)

2021-12-27 09:37:46 | 政治
 4.立憲民主党という党自体の「批判ばかり」のマイナス評価に対する認識

 泉健太はこのNHK日曜討論2021年11月21日2日前の2021年11月19日の「立憲民主党代表選4立候補者共同記者会見」(BLOGOS編集部/2021年11月19日 17:08)で「立憲は批判ばかり」のマイナス評価について触れている。文飾を当方。

 泉健太「立憲民主党は(衆院選敗戦について)自らを反省し、再生していかなくてはいけない。私は思っています。例えば今回、我々の政権政策の冊子には一番最後のページに『批判ばかりとは言わせない』という異例のページを設けさせていただきました。

 これはどういう意味を持つか。それぐらいに実は、私たち立憲民主党はこれまでも、議員立法を提案し、政府には対案を提案し、建設的な議論を数多くしてきたけれども、やはりどこかで国民のみなさまからは『批判ばかりの政党ではないか』『追及ばかりや反対ばかりをしている政党ではないか』と、そういうイメージを背負ってしまっていた。仲間たちの努力の一方で、私たちはそういうイメージを背負ってしまっていたということを、やはり受け止めなくてはいけないと思います。
 この我々の頑張っているという意識と、しかし国民のみなさまの持つイメージのズレというものを立憲民主党は今一度、自己反省した上で再生していく必要がある。このように感じております」(以上)――

 では、泉健太が言う「政権政策の冊子」から、党としてどのように「批判ばかりの政党ではない、追及ばかりや反対ばかりをしている政党ではない」と解釈していたのか、問題箇所を見てみることにする。発行日は2021年10月21日となっていて、今回の衆院選の公示日は10月19日だから、公示日よりも3日遅れとなっているが、公示日と同時に街頭に飛び出た立憲候補者は「批判ばかりの政党ではない」ことを、その理由・根拠と共に訴えたはずである。

 「立憲民主党政権政策2021_政策パンフレット」

 「批判ばかり」とは言わせません

 提出議員立法
 議員立法は政策提案そのものです。立憲民主党は、批判や反対ばかりの政党ではありません。203回国会(昨年秋の臨時国会)では政府よりも多くの法案を提出しました。加えて、立憲民主党は、国会で日々多くの質問・提案をしています。
 「昨年秋の臨時国会」(10/26~12/5/約1ヶ月半)10法案(うち5法案成立)
 「今年の通常国会」(1/18~6/16/約5ヶ月)46法案(うち18法案成立)
 「法案審議・政策論議」
 国会での審議は予算審議ばかりが取り上げられますが、実際には衆議院、参議院合わせて50を超える常任・特別委員会などがあります。そこでは日々法案の審議や政策論議を行っています(国会会議検索システム参照)。そして、政府提出法案の7割以上に、「反対」ではなく「賛成」しています。
 「新型コロナウイルス対策も立憲民主党が主導」
 新型コロナウイルス感染症への主な対策は、いずれも立憲民主党が政府・与党に先んじて提案してきました。政府・与党は、私達の提案を遅れて採用するなど後手に回っています。

 根本的に認識を間違えている。「立憲民主党は批判ばかり」のマイナス評価に対する自己正当化理論を、「議員立法は政策提案そのものです。立憲民主党は、批判や反対ばかりの政党ではありません。203回国会(昨秋秋の臨時国会)では政府よりも多くの法案を提出しました。加えて、立憲民主党は、国会で日々多くの質問・提案をしています」に置いている。

 「議員立法は政策提案」であるものの、批判によって成り立つ。逆説するなら、批判なくして、どのような対案も、独自案も成り立たない。対案の場合、政府法案に何らかの欠陥がある、あるいは不足や漏れや偏りあると見ているからこそ(どの党の法案にしても、全ての階層の利益を満足させる完全なものなど存在しない)欠陥、不足、漏れ、偏りを直すための対案を用意するのであって、政府法案の欠陥や不足や漏れ、偏りに対するそんなことでは法案の体をなしていないと見る批判が対案作成、あるいは対案提出の動機となるからである。

 政府法案の対案ではない独自案の場合にしても、ときどきの社会情勢に応じて社会生活や経済活動の利便性向上の貢献に全ての方面に亘って網羅すべき政府法案が何らかの方面に抜け落ちや不足があるからこそ、その方面の抜け落ちや不足を埋める独自案を提出するのであって、根底には抜け落ちに対する批判が動機となって、独自案の作成・提出に至る。
 
 要するに野党の政府が握る国家権力の監視はその不正や不始末のみに対してではなく、政府行政の欠陥・不備を加えた全般に亘るものであり、権力の監視は批判をエネルギー源とし、批判なくして成り立たない。戦前の新聞は批判を麻痺させたからこそ、国家権力に屈することとなり、御用新聞に成り下って、軍部や政府の言い分のみを一方的に流すことになった。対案提出も、独自案の提出も、不正・不始末の追及も権力の監視から始まり、全てが批判を動機とする。

 与党が衆院選に破れて、野党となり、野党が政権を取って、与党として国家権力を握ると、国家権力の監視は攻守を変え、元与党が野党の立場から元野党の国家権力を握った政府に対して批判の目を全開にして政権の運営全般に亘って追及を行うことになる。ゆえに野党の立場からの政府与党に対する批判は野党の属性として存在し、存在意義となる。自民党政権から民主党政権に変わったとき、経験しているはずだ。その時の野党自民党は民主党政権に対して批判ばかりしていた。当然、「議員立法は政策提案そのものです。立憲民主党は、批判や反対ばかりの政党ではありません」云々はお門違いの自己批判となる。もっと胸を張って、「批判のどこが悪い」と開き直るべきだろう。「批判なくして国家権力の不正や不始末を正すことはできず、政府立法の欠陥・不備を正す対案提出も独自法案も提出することはできない」と。これこれのことをしましたと具体例を挙げるのはそれからである。

 但し開き直って、その開き直りを有権者に当然だと思わせるためには政府の不正追及や疑惑追及の際に定番となっている似たような追及でほぼ同じ答弁を引き出して時間だけを費やす堂々巡りの質疑応答で疑惑を疑惑のまま残してしまう不毛な国会対応から抜け出さなければならない。抜け出せないでいたり、小川淳也のように「批判するときは国民が惚れ惚れするような批判してこその野党だ」と勇ましい目標を掲げながら、実行できないていたりしたら、「国会での審議は予算審議ばかりが取り上げられ」ることに限定された印象を全体的な印象と勘違いされて有権者に与えることになり、いつまで経っても「批判や反対ばかり」と映ることになる。

 あるいは不正追及や疑惑追及が追及しきれずに尻切れトンボに終わるから、政府側から逆襲を食らうことになる。2018年10月30日の参議院本会議での代表質問に対する安倍晋三の答弁。

 安倍晋三「政治家が激しい言葉で互いの批判に終始したり、行政を担う公務員を萎縮させても、これも民主主義の発展に資するとは考えません。それぞれが国民の皆さんの前にしっかりと政策の選択肢を示すこと、そして建設的な議論を通じて政治を前に進めていくことこそが民主主義の王道であると考えます」

 2015年1月22日安倍晋三施政方針演説。

 安倍晋三「批判だけに明け暮れ、対案を示さず、後はどうにかなる、そういう態度は国民に対してまことに無責任であります。是非とも、具体的な政策をぶつけ合い、建設的な議論を行おうではありませんか」――

 疑惑追及、不正追及が不完全燃焼で終わらせしまっているから、「批判ばかり」と世間が見ることになり、それを逆手に取り(世間がそう見ていなければ、逆手に取ることはできない)、「建設的な議論」と対比させて、自民党議員がヨイショ議論ではなく、「建設的な議論」に終始しているかのような印象を作り出し、自身が言っていることを正論中の正論に見せることで「野党は批判ばかり」の印象を有権者へのなおのことの刷り込みに利用する。

 だが、このような発言を延々と許してきた。政府の不正や疑惑追及をしても、堂々巡りの質疑応答か尻切れトンボで終わらせてばかりいるから、対案も出しています、独自案も出しています、政府法案に賛成もしていますと説明しても、「批判ばかり」の印象をこびりつかせたまま、今以って引き剥がすことができないでいる。

 追及・批判のスキルをもっと磨いて、堂々巡りや尻切れトンボで終わらせない国会場面を演出する以外に「批判ばかり」のマイナス評価を引き剥がすことはできないだろう。

 新代表泉健太は立憲の今回の衆院選の敗因の一つに「立憲は批判ばかり」というマイナス評価を払拭するためにだろう、上記NHK「日曜討論」でも、そのマイナス評価を事実と受け止めて、政策発信型であることを訴えていきたいといった趣旨の発言をしているが、2021年12月2日の党役員人事指名・了承の両院議員総会終了後の記者会見でも、今後の党のカラーについて「国民の皆さまと向き合い、国民の皆さまのために働く。政策立案型ということかもしれませんが、我々はこれを一つのカラーとしていきたい」(立憲サイト)と述べ、政策立案型を党のメインカラーとすることを表明、その後も政策立案型ということを発信している。

 泉健太のこのような発信も一つの理由となっているのだろう、2021年12月13日付「NHK NEWS WEB」記事世論調査は、批判ばかりしているという党のイメージを政策立案型の政党に変えていくとしている立憲民主党代表泉健太の姿勢を例に挙げて、野党の役割を有権者に質問している。各質問と各回答率は画像のとおり。
 「政策の提案」33%+「どちらかといえば政策の提案」28%=61%
 「政権の監視」11%+「どちらかといえば政権の監視」16%=27%

 有権者の圧倒的多数が野党は「政策の提案」を自らの役割とすべしと見ている。この結果を見る限り、泉健太の政策立案型の路線は正解ということになる。但しこの世論調査にしても、泉健太が「立憲は批判ばかり」というマイナス評価が衆院選敗因の主たる一つとなったことを受けて、その反作用として政策立案型の政党を前面に押し出すことになったことと同様に衆院選の結果に一定程度の影響を受けた有権者の結果値と見えないこともない。

 岸田内閣が発足したのは2021年10月4日。10月31日の衆議院選挙で国民の信任を受けて政権を維持することができたこの約3カ月間、疑惑や不正に関してはほぼ無風状態にある。モリカケ疑惑、桜を見る会、黒川検事長定年延長問題、アベノマスクに関わる不明瞭な発注等々数々の政権の私物化疑惑が噴出した安倍内閣期間中や日本学術会議会員6名任命拒否に於ける学問の自由への侵害疑惑、当時の首相菅義偉の長男菅正剛が関係していた総務省高級官僚接待に於ける特定企業への利益供与疑惑が表沙汰となった菅内閣の期間中に同じ世論調査を行ったなら、政権の監視は低い評価しか与えられなかったではないだろうか。これらの疑惑に関わる当時の世論調査は「政府は十分に説明を尽くしていない」と見る向きが圧倒的に多かった。

 要するに安倍内閣に対しても、菅内閣に対しても国民世論は十分な説明を求めていた。安倍晋三にしても菅義偉にしても自分から十分な説明をするはずはないのだから、疑惑解明には野党側の追及に期待する以外になかった。追及は政権の監視によって維持される。そして追及は批判の形を取る。だが、その期待は裏切られた。

 野党である以上、国家権力を私的に利用した不正行為を横行させないためにも政権の監視は必要だし、政策の提案も必要だということである。どちらがより重要とは比較はできない。そのときどきに応じなければならないからだ。当然、野党としては政権の監視と政策の提案の二本立てで対峙することを自らの役目と責任としなければならない。あるいは野党第1党としての存在意義としなければならない。そして政権の監視も、政策の提案も、両者共に政府の政権運営に対する批判を骨組みとして成り立たせているアクションだということを広く知らしめなければならない。

 と言うことなら、立憲新代表の泉健太が衆院選敗因理由の「立憲は批判ばかり」のマイナス評価解消を願って党のメインのカラーを政策立案型に据えて発進し始めたということは羹に懲りて膾を吹く類いと受け取れないことはない。もっと積極的に安倍政権や菅政権の数々の疑惑を例に挙げて、「国家権力を私的に利用した行政を歪める不正行為や省庁側の政治を歪めることになることもある事務上の違反行為や政治全般に影響する重大な落ち度、これらに対する責任逃れから往々にして逃げ込むことになる隠蔽工作、政府の政策自体に関して言うと、政策や法案の欠陥・欠落等がなくならない現状では批判や追及を用いた政権の監視を怠るわけにはいかないし、政府法案を上回る政策の立案も推し進めていく」と二本立てを党の姿勢として明確に打ち出すべきではなかったのではないか。

 5.なぜ政権交代は必要なのか、その定義づけを行わなければならない

 なぜ政権交代は必要なのか。

 政党はどの階層、どの団体の利害を代弁するかで成り立っている。一つの政党が全ての階層、全ての団体の利害を代弁できる程に広範な、且つオールマイティな能力を有してはいない。自民党の最大支持母体は日本の代表的な1500社近くの大企業を企業会員とし、日本自動車工業会や日本鉄鋼連盟等々の150以上の業界団体、宇宙システム開発利用推進機構、九州経済連合会、国際開発センター、国際経済連携推進センター、国際人材協力機構等々30以上の特別会員を抱えている経団連である。企業会員の入会資格は純資産額(単体または連結)(資産から負債を控除した正味財産)が1億円以上あること、または経団連団体会員の会員企業であることとなっている。借金抜きで1億円以上の資産があるというのは大企業が大勢を占めていて、中小企業は少数派に所属する存在であろう。つまりおカネ持ち中のおカネ持ちが会員として鎮座している。このことは経団連が大企業中心の組織であることが証明している。

 立憲民主党の最大支持母体は連合(日本労働組合総連合会)であり、加盟労働組合数は55、組合員数約681万人となっている。勿論、お金持ち企業トヨタ自動車と関連企業が加わる全トヨタ労働組合連合会も連合の会員労働組合だが、トヨタ関連の会社イコールトヨタ労組ではない。ある意味、反対のベクトルに位置する日本教職員組合(日教組)も傘下組合となっている。

 そのほかに中小企業の労働組合団体、全国中小企業団体中央会は2万8千団体以上を抱えているが、なぜか昭和24年の「中小企業等協同組合法」の第5条3項で〈組合は、特定の政党のために利用してはならない。〉、昭和32年の「中小企業団体の組織に関する法律」の第7条3項で、〈組合は、特定の政党のために利用してはならない。〉と規定されている。実効性が担保されているのかどうかは窺うことはできないが、圧力団体となりうる規模は備えている。

 いずれにしても自民党は最大支持母体の経団連の利害を代弁し、立憲民主党は最大支持母体の連合の利害を代弁する。代弁しなければ、たちまち最大支持母体から与えられている様々な保護を失うことになる。保護を失えば、大半の政治資金や選挙のときの大半の票を失うことになる。利害とは損得である。利害を代弁するとは損を排除し、得を増やすことを意味する。

 と言うことは自民党は「国民のための政治」と言いながら、経団連のためにとは言わないが、経団連の方向に顔を向けた政治を行うことになる。経団連傘下企業の損を排除し、得を増やす政治を長年に亘って行ってきた結果、政治の恩恵に偏りが生じ、それが格差という形を取り、社会全般に亘る格差社会の構造を取るに至った。

 この格差を是正するためにはかつての民主党が自身の最大支持母体連合に顔を向けた政権3年では焼け石に水で、たった3年で終わった民主党政権に変わる自民党安倍政権7年8ヶ月で格差に拍車がかかり、大企業に顔を向けた政治を歴代自民党が続けてきた成果としてある格差をさらに積み上げることになった。

 特に安倍政権下では経団連傘下の多くの企業が年々戦後最高益とか、過去最高益を手に入れ、ほぼ安倍政権と重なる2012年度末から2020年度末までの内部留保は9年連続で過去最高を更新した。具体的には2012年度末は304兆5千億円、2020年度末は484兆3千億円。8年間で59%、半分以上も膨らましている。一方で安倍政権7年8カ月のアベノミクス経済政策では実質賃金はほぼ横ばい。GDPの6割を占める消費は低迷し、一般サラリーマンや一般労働者の生活は向上せず、上に厚く、下に薄い偏りのある、いびつな利益構造を取ることになった。譬えるなら、土台の床面積は1平方メートしかないのに階が上に行く程に床面積を広げていき、100階の床面積は100平方メートルもある高層ビルに似た社会・経済的な利益空間が構築されるに至った。

 自民党政権は自分たちが積み上げてきた格差を埋めるためにこのコロナ禍の経済縮小状況下で10万円給付だとか、教育支援だとか、学生支援だと名前をつけては支援を続けているが、このような支援を持ち出さなければならないこと自体が格差の証明だが、ないよりはマシ、焼け石に水で、格差は有権者が最大の支持母体である経団連傘下の大企業や富裕層に顔を向けた政治を基本のところでは取り続けている自民党に政権を任せている間は目に見える程に縮小することはない。

 政権交代可能な二大政党制とは単に二つの異なる政党が政策を競い合う形で交互に政権を担うことを意味しているわけではない。二大政党のうちの政権を担っている側の政党が利害を代弁する団体・階層に顔を向けた政治を行う結果、その団体・階層に利益が偏ることになり、他の団体・階層にとって不公平が生じることになって、それが顕著になった場合、後者の団体・階層の利害を代弁するもう一方の政党に政権を取らせて、不公平を被っていた団体・階層に顔を向けた政治を行わせることで利害を代弁して貰い、政治の恩恵の平均化を図って、利益の偏りを是正する役目を主とする制度である。

 立憲民主党が「1億総中流社会の復活」を政策として掲げているのは自民党政治によって、特に安倍政治によって川の水の流れとは逆に上流の大企業や高所得層により多く流れる政治の恩恵を、その流れを是正して、中流から下流により多く流れるように是正するためであろう。当然、立憲民主党が利害を代弁する最大支持母体の連合傘下の組合や組合員の側から、あるいは連合傘下の組合に所属していない中低所得層に分類される一般サラリーマンを含む一般労働者の側から政治の恩恵の偏りを是正する政権交代の声がもうそろそろどころか、かなり以前から上がっていてもよさそうだったが、例え一部で上がっていたとしても、大きな塊となることはなかった。

 上がらなかった理由は民主党政権に対するイメージの悪さも影響していただろうが、その後継政党たる立憲民主党に対して「批判ばかり」と見られていたことにあるはずである。「批判ばかり」とは批判しか能がない、あるいは批判以外に能はないという意味を取り、ない能のうちには物事の全体としての政権担当能力が入っていたことになる。いわば「批判ばかり」の究極の意味は政権担当能力なしの意味に行き着く。「日本若者協議会」の代表理事室橋祐貴が組織内の若者からの聞き取った立憲民主党に対する「批判ばかり。政策担当能力がない、任せられない」のマイナス評価は前者後者、別々の評価ではなく、イコールで繋がった意味を取ると受け止めなければならない。

 そして有権者が持っていたこのような評価に対して立憲民主党は衆議院選挙期間中、「政権選択選挙」を叫び、「1億総中流社会の復活」を訴え続けたのだが、政権交代が可能となる位置にまで攻め込むことができなかったばかりか、逆に議席を減らす結果となったのはある意味必然であった。獲らぬ狸の皮算用で増やすつもりでいた議席数から減らした13議席数を差し引きすると、20議席を超える議席数を失った計算となる可能性が出てくる。

 「政権選択選挙」を叫び、「1億総中流社会の復活」を訴えるだけではなく、「政権交代がなぜ必要なのか」、自民党が最大の支持母体としている経団連傘下の大企業の利害を代弁していることによって生じている格差を立憲民主党が最大の支持母体としている連合の組合員と組合に入っていなくても、組合員と似た生活階層の一般サラリーマンを含めた一般労働者の利害を代弁する政治を行う政権交代によってこそ、政治の恩恵の流れを変えて、格差を是正させることができるのだと政治の恩恵の観点から政権交代の意義と必要性を認識させるところから手を付けるべきだったのではないだろうか。

 例え格差是正の政権交代の必要性を薄々感じている有権者がそれなりに存在していたとしても、現在の政治体制である与党側からの野党は「批判ばかり」で、「政策担当能力がない、任せられない」の宣伝に過去の民主党政権に対する苦い思い出が合わさって有権者の多くが乗せられていたとしたら、政治の恩恵の偏りや格差に向ける目を忘れて、あるいは向けていたことも忘れて、政権交代という冒険を冒すよりも一応の生活が成り立っている現状を維持する安心感を選択したということもありうる。

 政権交代の意義と必要性を説いた上で、「今一度政権交代を冒険してみませんか。失敗はスキルを高めるものです。民主党政権と同じ失敗を繰り返す程に我々はおバカ政党ではありません」と誘いかけ、安心感を持って貰うようにするのも一つの手だろう。  

 6.立憲代表泉健太の具体像が何も見えてこない野党第1党としての役割と責任

 2021年11月30日に立憲民主党の新代表に選出された泉健太がそれから最初の日曜日2021年12月5日のNHK「日曜討論」に中継出演し、その中で行った立憲民主党の役割と責任についての発言から彼自身が考えている立憲政治の基本方針を見てみることにする。

 キャスター井上あさひ「野党第1党としての役割や責任はをどう果たしていきますか」

 泉健太「やはり野党第1党というのは今の政権とは違う社会像、ビジョン、こういうものを打ち出すことが大事だと思います。私は早速、新しい執行部の中でですね、経済・外交・安全保障・社会保障・教育、また環境・エネルギーなどの分野で調査会を発足させて、党内外の知見を集めて、中長期ビジョンを作るべきだということで指示を致しました。

 まさにそういうですね、私はまだ岸田政権というのは口で言っている優しい資本主義よりもですね、新自由主義が抜けきれていない、そういう政権だと思っていますので、そこは我々は新自由主義ではない、人に優しい持続可能な資本主義というものはどういうものか、これを打ち出していきたいと、そう思っています」――

 野党第1党としての役割や責任を問われた。「今の政権とは違う社会像、ビジョン」、「我々は新自由主義ではない、人に優しい持続可能な資本主義というもを打ち出していきたい」云々・・・・・

 具体像が何も見えてこないだけではなく、有権者に政権の選択肢となる何らかのキーワードすら示し得ていない。「新自由主義」とは断るまでもなく、政府の介入を最小限に抑えて、市場の競争原理を重視する経済思想で、競争原理任せがときには弱肉強食の風潮を生む。弱肉強食の風潮が手段を問題にしない、勝ちさえすればいい、勝ったもん勝ちの領域にまで足を踏み込むことがしばしば起きた。自民党はこういった傾向の経済政策を続けてきた。その答が現在の格差社会である。これとは反対の政治の原理が泉健太が目指す「新自由主義ではない、人に優しい持続可能な資本主義」なるものということかもしれないが、簡単にピントを合わせた状態で目に見える言葉にはなっていない。

 では、岸田文雄が口にしている「資本主義」は2021年10月8日の自らの所信表明演説で取り上げているが、ここではより新しい情報として2021年12月6日の「所信表明演説」の中から拾ってみる。

 岸田文雄「人類が生み出した資本主義は、効率性や、起業家精神、活力を生み、長きにわたり、世界経済の繁栄をもたらしてきました。

 しかし、1980代以降、世界の主流となった、市場や競争に任せれば、全てがうまくいく、という新自由主義的な考えは、世界経済の成長の原動力となった反面、多くの弊害も生みました。

 市場に依存し過ぎたことで、格差や貧困が拡大し、また、自然に負荷をかけ過ぎたことで、気候変動問題が深刻化しました。

 これ以上問題を放置することはできない。米国の『ビルド・バック・ベター』、欧州の『次世代EU』など、世界では、弊害を是正しながら、更に力強く成長するための、新たな資本主義モデルの模索が始まっています。

 我が国としても、成長も、分配も実現する『新しい資本主義』を具体化します。世界、そして時代が直面する挑戦を先導していきます。

 日本ならできる、いや、日本だからできる」(以上)

 そしてこの「新しい資本主義」を「人がしっかりと評価され、報われる、人に温かい資本主義」だと言い換え説明をしているが、欧米の後追いの発想だということも分かる。

 経団連会長の十倉雅和は2021年10月8日の所信表明演説での岸田発言を受けてのことだが、岸田文雄表明の「成長と分配の好循環を目指す『新しい資本主義』」に賛同を示したものの、「具体的なビジョンの策定が急務である」ことを要求しているところを見ると、また欧米の後追いの発想であることから考えても、経団連の中から出てきた「新しい資本主義」ではないことを証明する発言となる。いわば経団連傘下の大企業群の総体的意思として「今の格差は行き過ぎている。我々の利益を削って、分配に回さなければならない」と決めることになった新しい気運ではないことが分かる。

 となると、岸田文雄の考える「人に温かい資本主義」と経団連側が考える「資本主義」と、本質のところで利害が衝突する可能性も生じることになる。利害の衝突が予想される時点で、あるいは実際に衝突が起きて、経団連側の利害が削られる事態(得を増やし、損を減らす機能が損なわれる事態)が生じた場合、経団連は最大の支持母体として自らの利害を最大限に守るために「人に温かい資本主義」にブレーキを掛ける可能性が生じる。いわば経団連側の利害を決定的に損なうことができない制約下にこれまでの自民党政治と同様に岸田政治は置かれていると言っても過言ではない。

 このことの最適な証明例がある。岸田文雄は自民党総裁選(2021年9月17日~2021年9月29日)の際に預金、株式、投資信託等の金融商品の売買や配当等で得た所得に対して課税する金融所得課税の見直しに触れた。見直しとは現在一律20%(所得税15%+住民税5%)の課税率の引き上げを示す。

 例えば日本の所得税の最高税率は4千万円を超える金額(超過累進税率方式)に対する45%だそうだが、現状は金融所得課税率が20%で一定だから、金融所得と合わせた一般所得が1億円を超えると、税負担が下降し始めるという。これを「1億円の壁」と言うそうだ。当然、金融所得が大きければ大きい程、税率が一定だから、一般所得と合わせた税負担は小さくなって、ネットには50億円を超えると、16%台まで税率が低くなると出ている。当然、この金融所得税制は金持ち優遇税制の異名を持つに至っていた。これを改めることによって金持ちの利益を削り、削った利益を中間層への分配へと回して、中間層をベースに成長を促し、目的としては「成長と分配の好循環を実現する」ことに置いている。まるで「1億総中流社会の復活」を掲げる立憲民主党のお株を奪った政策に見える。

 立憲民主党自身も衆院選に向けた「政策集2021」で、〈金融所得課税については、所得再分配機能回復の観点から、国際標準まで強化するとともに、中長期的には総合課税化を目指します。〉と謳っている。

 2021年10月11日「枝野幸男代表質問」

 枝野幸男「金融所得についても、国際標準である30%を視野に、まずは遅くとも令和5年度までに原則25%まで引き上げ、将来的には総合課税化します」

 金融所得税率の国際標準は30%(日本の金持ち優遇は国際的に突出していたことになるが、これも偏に経団連が自民党の最大の支持母体となっていることから受けることになっている一大恩恵なのだろう)、2023年度までに25%にまで引き上げて、一般所得と金融所得と合算した総合課税化を目指して、累進課税の網にかける。

 とは言っても、岸田自民党政権の金融所得課税の見直しは自民党最大の支持母体である経団連傘下の金融商品を大量に抱えているおカネ持ち企業やおカネ持ちたちの利害とは真っ向から対立することになる。このことの影響が総裁選当選当日(2021年9月29日)を含めた前後数日の間の株価下落という事態を招き、2021年10月10日にフジテレビ番組「日曜報道ザ・プライム」に出演した際にはさらに一歩踏み込んで、「当面は金融所得課税に触ることは考えていない」と発言、そして衆院選期間中(2021年10月19日~2021年10月31日)は金融所得課税の見直し発言は封印することになったとマスコミは伝えている。いわば自民党最大の支持母体である経団連の利害に応えた。

 かくかように岸田政権は経団連の利害の制約下にあるという法則性を取ることになり、そしてこのような法則性の影響は岸田政権のみが受けるわけではなく、経団連を歴史的に最大の支持母体としている以上、自民党政権全体に波及することになり、当然、この法則性は格差形成の法則性をも担っていることになる。

 泉健太はこのようなことを指して岸田文雄の「人に温かい資本主義」を「新自由主義が抜けきれていない」と説明しているのだろうが、「自民党政権は岸田政権であろうと経団連の利害の制約下にあるから、新自由主義から抜けきることはできない」と説明すれば、有権者に分かりやすく説明ができ、自民党政治と立憲民主党政治の違いを際立たせることができるが、抽象的で中途半端な説明で終えている。

 自民党政治が最大の支持母体である経団連の利害の制約下にあることから、新自由主義から完全に抜けきることが不可能である以上、岸田文雄が「成長と分配の好循環」をいくら言おうと、成長も分配も上に偏った、下の満足に行き届かない仕組みの実現ということになり、結果的に「人それぞれが評価され、報われる温かい資本主義」は中流階層以下の国民には欠陥を抱えることは道理として簡単に予想がつくことであるし、こういったことの道理を順々に説いていけば、岸田文雄の「人に温かい資本主義」に対して泉健太自身の「新自由主義ではない、人に優しい持続可能な資本主義」との違いを明らかにすることができるはずだが、違いを不明なままにした説明で終わらせている。

 岸田文雄は以後も「人に温かい資本主義」を発信し続けるだろうし、自民党幹事長茂木敏充にしても、2021年12月8日の「代表質問」(自民党サイト)で次のように岸田政権下での新自由主義経済を否定している。

 茂木敏充「我々は、成長戦略によって、デジタル、グリーンなど成長分野への投資を加速し、そこで生み出された利益が国民、すなわち消費者にまわり、それがマーケットの拡大、そして更なる投資へとつながる好循環を作っていきます。これこそ、まさに資本主義なのですが、ただ、我々は『新自由主義』と言われるような競争一辺倒で、もうこれ以上消費できない『勝ち組』と意欲を失ってしまう『負け組』をつくるような市場原理主義には組みしません。

 一方、『分配』と言うと、資本家、大企業からお金を吸い上げて労働者に回すというような、社会主義的なゼロサムゲームを思い浮かべるかもしれませんが、我々の目指すものは全く違います。ウィンストン・チャーチルも資本主義と社会主義の違いについて、『資本主義に内在する悪徳は、幸運を不平等に分配することだ。社会主義に内在する美徳は、不幸を平等に分配することだ』と語っています。

 資本主義をより適正に機能させる。『神の見えざる手』が及ばない、マーケットに任せておくだけではうまく行かない、例えば、正規・非正規の壁や看護・介護の公定価格など、マーケットが機能しにくいところを官が補完することで、より多くの受益者、アクティブ・プレーヤーを生み出す。そういう分配政策が必要です」

 確かに発言自体は新自由主義経済・市場原理主義を否定しているが、1947年5月施行の日本国憲法が全ての国民の法の下の平等を保障してから三四半世紀の75年もの間、新自由主義経済で格差を作っておきながら、「もうこれ以上消費できない『勝ち組』と意欲を失ってしまう『負け組』をつくるような市場原理主義には組みしません」は今更何を言うのかの感がするだけではなく、社会の矛盾や不足を「官が補完すること」自体が格差の存在を前提としなければできないことなのだから、例えば「正規・非正規の壁」を前以って作っておかなければ、どのような補完も必要としないのだから、格差を止むを得ない必然と見ていて、あとからそれを埋めようという考え方となっているから、本質的には新自由主義経済・市場原理主義に足を置いていることになる。

 だが、立憲民主党側が岸田政権側のこのような言葉の発信に対してその言葉を否定できる、分かりやすい、説得力ある言葉の発信を行い言えなかったなら、逆に「市場原理主義には組みしません」云々とか、「マーケットが機能しにくいところを官が補完する」云々といった言葉の数々がより強い説得力を持って有権者の耳に届くことになるだろう。

 岸田文雄は同じ所信表明で「信頼と共感を得ることができる、丁寧で寛容な政治を進める」と請合っているが、やはり最大支持母体の経団連に顔を向けた政治を行わざるを得ない制約から、「信頼と共感」も、「丁寧で寛容な政治」も、エンジョイできる範囲は限られることになるということ、中流以下の人口の方が多いことから、エンジョイできる範囲からこぼれる人数の方が多いことになり、現状とさして変わらない社会生活状況を迎えることになるだろうと予測可能で、こういったことを岸田政治否定の主眼点として立憲民主党は自らの最大支持母体である連合に顔を向けた政治を行うことにより、連合傘下の組合員や、あるいは連合傘下の組合に所属していない中低所得層に分類される一般サラリーマンを含む一般労働者に顔を向けた政治を行うことになって、こちらの構成者の方が圧倒的に多い人口を占めている関係から、成長も分配も広範囲に行き渡ることになって、結果として格差の是正に役立たせることができる自らの政治の効能を主張、その差の違いを強調すれば、立憲政治を目に見える形に持っていくことができるだけではなく、「分配」だとか、「人に優しい」とか、同じような言葉が飛び交っていたとしても、立憲政治と自民党政治との明らかな違いと対立軸を明快に提示することができ、有権者の理解も得やすくなるのだが、そこまでの状況には至っていない。

 次のように説明することもできる。政党ごとの利害を代弁する対象が違えば、政治の結果としてのその恩恵の向かう先も違い、恩恵の多い少ないも違ってくる。恩恵を1票を投じた見返りと価値づけてもいい。どちらの利害を代弁する政治を選択して、自らの見返りとするのか、その価値づけが政党選択の基準になると、それぞれの投票行動を意義づけて、自覚的な選択を促す。

 こういったことの有権者に対する周知は断るまでもなく、代表一人が行うことではなく、党員が一体的に行わなければ意味をなさない。2021年12月14日衆院予算委員会。午後のトップバッター。

 逢坂誠二「総理、今日はお世話になります。特に政調会長時代はお世話になりまして、ありがとうございますが、岸田総理とお話をしていてですね、政治や考え方に私と近いところがあるなあと思いますので、非常に期待をしておりますので、どうぞよろしくお願いいたします――」

 「政治や考え方に私と近いところがある」からと言って、首相としての岸田文雄が自身の利害のみで首相を成り立たせているわけではなく、既に触れてきたように自民党最大の支持母体である経団連の利害の制約下にあるだけではなく、自民党の利害にも左右されるし、閣僚間の利害にも影響を受けないと保証はできない。影響を受ければ、政治や考え方が近くても、その近さは何の意味もなくなる。その上、政治の現実は一つの党が全ての階層、全ての団体の利害を代弁できる程に広範な能力、あるいはオールマイティな能力を有していないことを示している以上、自民党政治と立憲政治の全体的な結果としての政治の恩恵が全階層にそれぞれの収入に関係なしに、あるいは全企業にそれぞれの経営規模に関係なしに等しく分配されるという答を出すことはないのだから、答えを出していたとしたら、格差社会など存在することはなかったろう、政治や考え方が近いというだけのことでは片付かない立場の違いを認識していなければならないずだが、認識すらできずに、「非常に期待をしております」と岸田政治と自身の政治の近さを以って期待さえ見せている。この平和な距離感は何を意味するのだろう。

 逢坂誠二が自民党入りに色気を示しているなら話は別だが、そうでなければ、政治や考え方が近いという観点のみで想定しうる先のことを頭に置かずに岸田文雄個人に期待をかけるというのは常に胸に秘めていなければならない政治の違いを示して対峙していなければならない姿勢の手ぬるさをどうしようもなく与えることになる。

 岸田文雄が例え首相という地位にあっても経団連の利害以外に様々な利害の影響を受けて、個人の思いとは離れた態度を取る例を、実際には挙げるまでもないことだが、挙げざるを得ない。2021年3月25日、自民党の「選択的夫婦別氏制度を早期に実現する議員連盟」が設立総会を開いた。そのとき岸田文雄は閣僚としても、党役員としても無役のときだったが、会の呼びかけ人の一人となった。だが、首相に就任しても、選択的夫婦別氏制度早期実現に何らの指導力も発揮していない。首相として国会で質問を受けても、「国会議員がこの制度を利用するのではなく、広く国民全体がこれを受け入れる制度で、子どもの氏をどうするのかも含めて、もっと議論していくことは重要だ」(2021年12月17日参院予算委員会)と共産党の小池晃に答弁しているが、早期に実現する呼びかけ人の立場から議論継続の立場へと姿勢を後退させている。

 2021年9月29日投開票の自民党総裁選第1回投票は岸田文雄256票、河野太郎255票、高市早苗188票で過半数を超える者がなく、岸田文雄と河野太郎の決選投票となった。第1回投票の国会議員票を見てみると、岸田146票、高市早苗114票、河野太郎86票で2位をツケたのは河野ではなく、高市だった。安倍晋三が高市を支持したことから獲得した国会議員票と見られていた。

 第2回決選投票は岸田文雄257票、河野太郎170票で岸田が制したが、国会議員票のみを見てみると、岸田246票、河野131票。岸田が103票増やしたのに対して河野は45票しかプラスさせていない。第2回投票で安倍晋三が高市から岸田に支持を変えたことの影響で高市の第1回の国会議員票の多くが岸田に流れたと見られていた。しかも安倍晋三は現在は自民党最大派閥のボスに収まっている。

 安倍晋三も高市早苗もコチコチの選択的夫婦別姓制度導入反対派である。いくら岸田文雄が「選択的夫婦別氏制度を早期に実現する議員連盟」の呼びかけ人に名前を連ねていたとしても、無役当時のこのことに関する利害と首相となった現在の同様問題に対する利害は明らかに違いを見せることになる。安倍晋三と高市のご機嫌を損ねたら、岸田内閣は立ち行かなくなる利害下にある。夫婦別姓制度導入に寝たふりをしなければならないことからの後退姿勢なのは明らかである。

 かくこのように首相と言えども、その態度も発言も様々な利害の影響下にある。これで「政治や考え方に私と近いところがある」などと言ってはいられないノー天気なことだと理解できるはずである。大体が明確に反自民・立憲支持の有権者は逢坂誠二の発言に「一体どうなってるんだ」と戸惑うに違いない。

 もう一つ、首相個人の利害のみで純粋に行動できるわけではなく、他の利害を受けざるを得ない例を挙げてみる。この記事を書いていたときにNHKの朝のニュースでやっていたのだが、安倍晋三と麻生太郎と茂木敏充の各派閥のボスが2021年12月22日の夜に会談して、3派閥が結束して岸田政権を支え、来年参院選での勝利を目指すことで一致したと伝えていた。安倍派95人、麻生派53人、茂木派53人の自民党衆参議員373人中の半数を超える計201人となって、この3派閥の結束が無視できない人数を構成する以上、岸田文雄にとって有り難かろうと、有り難迷惑であろうと、首相職を維持する上での利害は3派閥の利害に折に触れて制約を受けることになる。茂木敏充が代表質問で新自由主義の「市場原理主義には組みしません」と約束しても、特に安倍晋三と麻生太郎が新自由主義の市場原理を奉じている以上、経団連だけではなく、身近なところから2人に引っ張られ、望むと望まざるに関わらず新自由主義の市場原理主義への引力が働き、「人に温かい資本主義」のはずが大企業や富裕層に「温かい資本主義」となる、今までと同様の同じ光景を見ることになるだろうということは十分に予想できる。そしてその一つが既に触れた金融所得課税強化の先延ばしに2人が一枚噛んでいたファクターとして鎮座していた可能性は否定できない。

 その一つの証拠。「asahi.com」(2021年12月26日 14時11分)

 2021年12月26日放送のBSテレ東番組発言。

 安倍晋三「(「新しい資本主義」を掲げる岸田文雄首相の経済運営について)根本的な方向をアベノミクスから変えるべきではない。市場もそれを期待している。ただ、味付けを変えていくんだろうと(思う)。『新自由主義は取らない』と岸田さんは言っているが、成長から目を背けると、とられてはいけない。改革も行わなければならない。社会主義的な味付けと受け取られると市場も大変マイナスに反応する」

 安倍晋三は自身と麻生太郎、茂木敏充の3派閥が2021年12月22日の夜に会談してから4日後の早々に自らの利害を以ってして岸田文雄の利害を支配下に置こうと画策している。安倍晋三の利害とは勿論のこと、新自由主義を基本原理としているアベノミクスの呪縛下に岸田文雄の利害――「新しい資本主義」を絡め取って、可能な限り経済政策をアベノミクスの領域から足を踏み出さないように派閥圧力を掛けることである。例え茂木敏充が2021年12月8日の「代表質問」で、「我々は『新自由主義』と言われるような競争一辺倒で、もうこれ以上消費できない『勝ち組』と意欲を失ってしまう『負け組』をつくるような市場原理主義には組みしません」と言った手前、内心は安倍晋三のこの発言にまずいなと思ったとしても、いつかは総理総裁を目指す身、安倍晋三の手を借りなければならない利害が自らに見て見ぬ振りを強いることになるだろう。

 こういった利害の制約に否応もなしに縛られている岸田自民党政治と立憲民主党の政治の違いを有権者に差し出すには、その気があるならの話だが、立憲民主党は連合を最大の支持母体としていて、連合傘下の組合員とその組合に加入していなくても、同じ階層の一般サラリーマンや労働者の利害を代弁していること、その最大の利害は格差の縮小を政治の恩恵とすることなどをもっと正々堂々と訴える以外にないはずだ。
 
 泉健太にしても、逢坂誠二にしても、小川淳也にしても、その他その他が政権交代を狙わなければならない自分たちの立ち位置に対する自覚が甘いということなのだろう。自分たちは自覚を十二分に持っていると思っているのだろうが、有権者にその自覚をストレートに伝えることができる発言や態度となっていない。思いと実際とのズレによって生じている甘さが立憲民主党ばかりか、野党全体に亘って現れている国家権力の監視に向けた追及・批判の時間ばかり費やして徒労に終わらせ、結果的に政権の延命に手を貸す要因となっているのだろう。少なくとも政権交代がなぜ必要なのかの定義づけだけは行って、中流階層とそれ以下の階層に自らの存在意義がどこにあるのかを明確に伝えていかなければならない。

 「野党第1党は政権の受け皿たるべきだ」のみでは理由も目的も、またどの階層に向かっての発信なのかも伝わっていかない。「批判ばかり、政権担当能力なし」と見ている有権者からしたら、その見方を変える気も起こらない、ただの強がりしにしか映らないだろう。

 以上、立憲民主党は政権の受け皿としての資格・存在意義をどこに置くべきかを述べてきた。自民党政治の恩恵から置き去りにされ、生活格差の底辺及びその近辺に置かれた中流階層以下の国民に政治の光を当てて、受けるにふさわしい政治の恩恵を正当な権利として受け取ることができる政治状況に持っていくためには自民党政治と対決して、自らの政権の受け皿としての資格・存在意義を如何に有権者に訴えることができかどうかは偏に立憲民主党の力量――所属議員一人ひとりの力量にかかっている。

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