安倍晋三の「最高責任者は私だ」の独裁意志は小松法制局長官「安倍晋三の方針に従う」が誘引・誘導

2014-02-28 08:15:26 | Weblog


 
 籾井勝人NHK会長の発言にしても、安倍晋三の独裁意志を誘引・誘導しかねない危険性を孕んでいる。

 籾井勝人「尖閣や竹島といった領土問題は日本の明確な領土ですから、これを国民にきちっと理解してもらう必要がある。今までの放送で十分かどうかは検証したい。国際放送は、国内放送とは違う。領土問題については、明確に日本の立 場を主張するのは当然のこと。政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」――

 例え領土問題であろうと、「政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」は、 無条件の従属性を意思表示するもので、ジャーナリズムに於ける報道の自由――思想・信条・表現の自由を自ら投げ捨てる行為に等しい。

 あるいはジャーナリズムとしての報道の自由のもとの権力監視の役目を自ら投げ捨てるに等しい。

 例えば、政府の領土交渉に批判的な思いを抱いたなら、固有の領土であることとは別に例え相手国に心理的な利益を与える可能性があったとしても、批判すべき点は批判すべきだろう。政府というものが領土問題で、固有の領土だ、固有の領土だとのみ言うわけではない。

 公共放送NHKの会長の領土問題に関しての「政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」という態度に於ける無条件の従属性の意思表示が他の報道に反映されない保証はないし、反映された場合、あそこは何を言っても大丈夫だ、あるいはこちらの言うとおりになるからと、報道の自由等の民主主義のルールは麻痺し、逆に政府、そのトップである安倍晋三の独裁意志を誘引・誘導し、成り立たせる危険性を招くことになる。

 いわば国家権力の側からではなく、報道機関の側からの権力の独裁意志の誘引・誘導である。

 籾井NHK会長の「政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」が言い表している無条件の従属性と同列性の発言を小松法制局長官が行っている。

 病気入院から退院して職務復帰した2月24日午後の記者会見である。

 小松法制局長官「内閣法制局は内閣の一部局だ。安倍晋三首相の方針に従ってやるべきことをやる」 (MSN産経)  

 この発言は2月12日の衆院予算委員会で、安倍晋三が目指している集団的自衛権の憲法解釈変更による行使容認に関して従来の政府見解との整合性を問わたときの安倍晋三の答弁に対応しものである。

 安倍晋三「(政府の)最高の責任者は私だ。政府の答弁に私が責任をもって、そのうえで選挙で審判を受ける」(しんぶん赤旗

 「安倍晋三首相の方針に従ってやるべきことをやる」と安倍晋三に対して無条件の従属性の意思表示を行っている。

 小松法制局長官の2月24日午後記者会見から翌2月25日の産経新聞のインタビュー。

 小松法制局長官「憲法規範を行政に反映させるには、第一義的に内閣が責任を持って解釈をしなければいけない。その最高責任者は法制局長官ではなく首相なのは当たり前だ」(MSN産経)――

 確かにそのとおりだろう。だが、「第一義的に内閣が責任を持って解釈」する憲法規範の行政への反映だとしても、その妥当性・正当性 を審議・チェックするのが内閣法制局の役目であり、その責任者は小松法制局長官であって、憲法規範の行政への反映が政府に無条件の可能性として与えられているわけではないはずだ。

 無条件の可能性として与えられているなら、内閣法制局は不要な行政機関となり、当然、その責任者も不要な存在となる。

 にも関わらず、憲法規範の行政への反映が無条件の可能性として安倍晋三に与えられているかのように発言しているところに安倍晋三に対する無条件の従属性の提示がある。

 いや、小松法制局長官は安倍晋三と同じ穴のムジナであって、 元々集団的自衛権憲法解釈行使容認派であり、安倍晋三は行使容認派の小松一郎を法制局長官に任命することで、憲法解釈行使容認を容易たらしめようとしたに過ぎないから、無条件の従属性と言うよりも、無条件の同調性と言った方がより正確な表現となるかもしれない。

 だが、小松法制局長官がいずれの姿勢を取っていたとしても、集団的自衛権の憲法解釈に関わる内閣法制局、並びに法制局長官としての役目を外した場合、安倍晋三は元々 国家主義的独裁意志を血肉としているからこそ、安倍晋三の独裁意志を強める形で誘引・誘導しない保証はない。

 いや、小松法制局長官が安倍晋三に対して議論・チェックを無効にしていること自体が安倍晋三の側の独裁意志の存在を証拠立てる。

 元内閣参事官・嘉悦大教授の高橋洋一氏が《首相発言は「立憲主義否定」か 内閣法制局に「憲法解釈権」なし》ZAKZAK/2014.02.19)という記事で、内閣法制局の所掌事務を書いている。 

 (1)閣議に附される法律案、政令案及び条約案を審査し、これに意見を附し、及び所要の修正を加えて、内閣に上申すること
 (2)法律案及び政令案を立案し、内閣に上申すること
 (3)法律問題に関し内閣並びに内閣総理大臣及び各省大臣に対し意見を述べること
 (4)内外及び国際法制並びにその運用に関する調査研究を行うこと

 記事題名は、〈内閣法制局に「憲法解釈権」なし〉となっているが、憲法も法律の一つである以上、無条件の従属性や無条件の同調性を示していい役目とはなっていない。

 安倍晋三が集団的自衛権憲法解釈行使容認派の小松一郎を法制局長官に任命したこと自体が既に自身の独裁意志を可能とする行使容認に向けたヤラセ人事と言うことさえできる。

 問題は議論・チェックする場に於いて民主主義のルールが十二分に機能してメンバーそれぞれの意見一致か、賛成意思からの同調であって、それが多数を占めたということなら問題はないが、強い立場の上の地位ある者に対する恐れからの同調であった場合、最も避けなければならないことだが、小松法制局長官の安倍晋三に対する無条件の従属性、あるいは無条件の同調性のメンバー全体に対する波及、支配を意味することになる。

 このような構図は籾井NHK会長がNHK理事10人全員に日付空欄で署名捺印させた辞表の提出を求めて、10人が10人共、 堤出に無条件に応じた民主主義のルールに反する従属性・同調性の理事全体に対する波及と支配と同列の構図を示すことになる。

この構図がNHKの報道全体に、あるいはNHK報道の部分部分に波及し、支配しない保証はない。
 
 小松法制局長官が2月26日の衆院予算委員会分科会で発言している。《集団的自衛権行使 憲法解釈変更で容認可能か検討》NHK NEWS WEB/2014年2月27日 4時32分) 

 小松法制局長官「(集団的自衛権の憲法解釈行使容認は)まず閣議決定を行い、政府としての考え方を確定したうえで、具体的に立法措置を国会に求めるのに先立って、国会でご議論いただくという安倍総理大臣の考えは、なるべく丁寧なやり方で物事を進めたいという考え方に基づくものと理解している。

 従来の憲法9条に関する政府の立場は1つの体系をなしており、解釈の変更に限界があるなかで、変更することができるのか、できないのか検討する必要がある。現在、(内閣法制局で)内々に検討、議論している。

 憲法解釈の変更は、『真に変更することが至当 である』という結論にならなければできない。あらゆる角度から検討しているところであり、結果を予断するわけにはいかない」

 辻元清美(らしい)「総理大臣が変わるたびに憲法解釈を変えることはできるのか」

 小松法制局長官「厳しい制約の中でそれはあり得る。法制局は組織として動いていて、局内で議論を積み重ねているが、最終的には私の責任において判断するということだ」

 如何にも民主主義のルールのもと、いわば無条件の従属性、あるいは無条件の同調性を排して厳正な議論・チェックを粛々と進めているかのような発言となっているが、法制局長官として負っている役割に対する国会答弁上の型通りの公式見解に過ぎないことは、この国会発言と2月24日午後の記者会見や翌2月25日の産経新聞のインタビューでの発言が一致していないことが証明している。  

 一致して初めて型通りの公式見解であることから免れることができて、議論・チェックの意志を確認できる。

 逆に一致していないということは前者の発言に現れている安倍晋三に対する無条件の従属性・同調性をこそホンネの意志としているということであって、安倍晋三はツーカーの関係でそのことを前以て承知していて、その反映として「(政府の)最高の責任者は私だ。政府の答弁に私が責任をもって、そのうえで選挙で審判を受ける」という強気の発言を口から飛び出させることになったはずだ。

 改めて言う。小松法制局長官の長官就任前からの集団的自衛権憲法解釈行使容認に関わる安倍晋三に対する無条件の従属性・無条件の同調性が誘引・誘導することとなった安倍晋三の「最高責任者は私だ」の独裁意志と言うことができる。

 当然、立憲主義も何もあったものではないことになる。

 勿論、この独裁意志が集団的自衛権憲法解釈行使容認以外に波及、他の政策をも支配しない保証も、これまたない。何しろ国家主義者である。

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安倍晋三の「国民の生命・財産を守る」が口先だけと分かる今回の大雪被害対応遅れ

2014-02-27 10:26:00 | Weblog




      《生活の党PR》


      《2月24日(月) 鈴木克昌代表代行・幹事長記者会見要旨

      【質疑要旨】
      ・徳田毅衆議院議員辞職に伴う補欠選挙について
      ・みんなの党、党大会での保守政党宣言について
      ・大阪市長選挙について
      ・東日本大震災からの復興に関する議論について
      ・結いの党との合流報道について    

 2月14日から降り始めて2月16日にかけて観測史上最大の積雪量、あるいは記録的降雪量を各地にもたらした大雪は交通遮断や孤立集落をつくり出し、農業被害額が2月24日までの推計で栃木、群馬、埼玉、東京、山梨、長野の1都5県で計約621億円に達したとマスコミが伝えていた。

 その他にも和歌山とか静岡とか、周辺自治体でも被害を出している。

 政府が豪雪非常災害対策本部を設置したのは2月18日午前10時半で、フジテレビの「新報道2001」が伝えていた、山梨県で2月14日に降り始めた雪が2月15日午前9時には143㎝の積雪量に達した3日後の迅速さである。

 この一点を見ただけでも、「国民の生命・財産を守る」の約束が怪しくなる。

 首相官邸は各地の積雪量をリアルタイムで刻々と把握するだけの危機管理能力を持ち合わせていなかったのだろうか。特に国交省管轄の中央自動車道は多くの車両が雪で立往生、車内に閉じ込められ、2月25日のNHK「クローズアップ現代」が、閉じ込められた一人の話を、「2月14日夜から25時間閉じ込められ、死の恐怖を感じた」と伝えていた。

 別の男性は72時間以上立往生したと証言している。

 午後8時に大雪のために大月インターチェンジ下り線が通行止め。車両が国道20号線に流れたが、雪は中央自動車道のみに降るわけではない。ほぼ同じ量で国道20号線にも降る。大月インターチェンジより西側が雪で通行不能となれば、それ以上に早く国道20号線は通行できなくなるはずだ。

 除雪体制が高速道よりも一般国道の方が劣るからでもある。にも関わらず、中央自動車道の入口の八王子インターチェンジを交通止めにしたのは大月インターチェンジ下り線交通止めの8時よりも2時間半遅い午後10時半だと上記NHK「クローズアップ現代」が伝えていた。

 要するに大月ンターチェンジと八王子インターチェンジはリアルタイムの情報交換を行っていなかった。当然、大月インターチェンジ付近の交通状態の情報を共有していなかった。

 車両立ち往生の長時間化は中央自動車道の場合は積雪量と比較して過剰な台数を流入させ、除雪作業をより困難にさせたことに原因がある。立ち往生の車両が少ない程、除雪が早く済み、より短時間に交通を再開できるからなのは断るまでもない。

 だが、中央自動車道の交通止めによって一般国道や一般道に流れて雪に閉じ込められた車両の立ち往生長時間化は除雪体制の不備にあったはずだ。今回普段は大雪が降らない地域が大雪に見舞われることになったために満足に除雪車両を装備していなくて、大雪が降る他県から除雪車両の支援を受けた自治体が多く存在する。

 但し、NHK「クローズアップ現代」での中央自動車道のホイールローダーを使った除雪作業を見ていると、作業のまずさに気づいた。停車した先頭の車両まで除雪していくと、ホイールローダーが車両の進行を妨げるために取り除いた雪が積み上げあてある道路左右のうち、車両進行方向の左側個所にホイールローダーが雪を取り除いて車両の一時退避スペースを拵え、そこに車2台を退避させてから、ホイールローダーが次の先頭車両まで進んで、その間に退避していた2台が退避スペースを出て走行していくという方法を取っていた。

 例え乗用車であっても、2台が並んで駐車する幅よりも、ホイールローダーの幅の方が狭い。ホイールローダーは大型で幅3メートル以内。普通乗用車は1台1.8メートル以内、2台駐車させるとなると、4メートルは雪を取り除かなければならない。

 ホイールローダーの雪掻きによって2台の車両が動くことができるなら、なぜホイールローダーが退避スペースに退避して、2台を直ちにその場から走行させる方法を取らなかったのだろうか。退避スペースを作る時間も短縮でき、車両の走行もより早くできる。

 また、先頭の車が動くことができれば、後続の車との間にはそれ程雪は積もっていないはずだ。自力で走行できない程に雪が邪魔していたとしても、ホイールローダーが牽引すれば、動かすことができる。

 除雪作業で牽引ロープ、もしくは牽引ワイヤを用意していないはずはない。ホイールローダーが車を傷つけないように慎重に車両前面ギリギリにまで馬鹿正直に除雪する時間よりも、牽引ロープや牽引ワイヤは両端にフックがついていて、簡単に操作ができ、簡単に牽引ができる。結果として時間節約ができ、道路再開がより早くなるはずだ。

 「新報道2001」で、「重機が来るのが遅い」という声を伝えていた。自衛隊のヘリコプターが孤立地域に物資を輸送したニュースは目にしたが、重機を運搬したニュースは目にしていない。なぜ緊急的に重機を必要とする地域に自衛隊のヘリコプターを使って運搬しなかったのだろうか。

 以下は以前ブログに書いたことを再度ここに記すが、2008年5月12日に発生した四川大地震ではロシア製大型ヘリコプターM-26型(最大吊り下げ重量20トン・世界最大)とM-17型(最大吊り下げ重量3t)が重機の運搬に用いられた。

 1カ月後の2008年6月14日岩手・宮城内陸地震による土石流の直撃で温泉宿「駒の湯温泉」の倒壊建物内に生き埋めとなった7人の宿泊客等に対する自衛隊員・レスキュー隊員の救出は「道路の寸断等が理由で重機を入れることができないために手作業で作業を行わざるを得ず、救出が捗っていない」と新聞が伝えていた。

 いわば中国当局がしている大型ヘリによる重機運搬を日本ではできないとしていたのである。少なくとも、「道路寸断」をクリアできる唯一の方法、重機の空輸を1週間以上、できないとして手をこまねいていた。

 6月14日地震発生から12日後の6月26日になってやっと「駒の湯温泉」現場に自衛隊ヘリによって重機搬入が行われたことを言う。

 福田内閣時代のことである。それまで自衛隊員がスコップを使って手作業で土石流を取り除いていた。結果として、生き埋めとなった7人が死亡している。「国民の生命・財産を守る」の一つの結果でもある。

 日本の自衛隊はアメリカ軍が使っている大型ヘリコプターCH-47チヌークを所有している。最大12.7tの貨物を吊り下げることができるそうだ。標準バケット容量2.0立方米、運転質量(運転している状態での車体重量)10.29トンのホイールローダーなら、十分に吊り下げることができる。

 ホイールローダーは掘削用のユンボよりも小回りが効き、一般的な大型ユンボのバッケト容量0.7立米よりも中型で2.0立米と、バッケト容量も遥かに大きい。

 上記「新報道2001」に古屋圭司防災担当相が出演していて、次のような大雪危機管理を得意気に話していた。

 古屋圭司「つい先日、ある豪雪地帯の知事がこういう提案をしました。あまり雪が降らないところはマンパワーも普段から用意していたら、これは費用がかかりますよね。国土強靭化の考え方の一つに、平時に活用できて、有事の際にはその機能を発揮するというのがありますが、そうしたら、そうした豪雪地帯の人だけは予めですね、もしそういうあまり雪の降らない所で起きたら、そういうものをチームを組んで、予め派遣できるシステムを(つくっておいて)、そしたら、派遣した方にもちゃんと(財政)支援するというシステムを作っておけば、地方公共団体も、安心して、そういうルール作りができる」――

 今さら豪雪地帯の知事の提案を受けなければ対策システムを考えることができない危機管理能力となっている。防災担当大臣である古屋圭司がこんな考え方をしているということは安倍内閣全体がこの程度の危機管理能力しか備えていないということであろう。

 この程度で、「国民の生命・財産を守る」と機会あるごとに吹聴する。

 自治体同士の連携はNHK「クローズアップ現代」でも紹介していた。

 だが、見逃していることが一つある。大雪が降ると、土木工事は一般的には中止となるということである。いわば土木会社の重機と人員も重機レンタル会社の重機も遊休状態となる。わざわざ離れた自治体から重機と人員を派遣して貰わなくても、土木会社の重機と人間、重機レンタル会社の重機を災害が発生した場合の出動契約を結んでおけば、出動費用は割高になっても、年間通して必要となる維持費よりも少なくて済むし、短時間で作業にかかることができる。

 但しホイールローダーを自前で所有している土木会社は殆ど無く、レンタル会社に頼ることになるが、各地にレンタル会社はいくつもある。不足した場合のみ他の自治体の応援を頼めばいい。

 ヘリコプターで重機を運搬する件だが、これもかなり前にブログに書いたことだが、2006年2月22日に当時の「災害時緊急支援体制検討委員会」が『大震災・大事故に当たり、迅速な人命救助・被災地復興支援のため、全国主要地に予め基地を設け、救援する具体策を提案する』とした提案書を同じく当時の安倍晋三内閣官房長官に提出している。

 内容は、災害発生時に「瓦礫に埋もれている人を出来る限り短時間に救出するため、自衛隊所有の大型ヘリコプターで(組立てなしの)12トン前後のハサミ重機を、被災現場に空輸する。」ためとしている。

 2006年2月22日の提案でありながら、2008年6月14日岩手・宮城内陸地震では、自衛隊ヘリコプターによる重機運搬と搬入は12日後となり、東大日本大震災では、今回の大雪被害では自衛隊ヘリが物資運搬に利用されたが、吊り降ろす方法での物資運搬にも利用されず、道路が交通可能になってからの陸路運搬・搬入となっている。

 この証拠に河野太郎のブログを紹介する。 

 《自衛隊のヘリから物資を投下する?》(河野太郎公式サイト/2011年3月22日 00:21)
 
自民党の対策本部によく来る問い合わせの一つが「日本には空中から物を投下してはいけないという法律があるので、自衛隊のヘリから物資の投下ができない。なんとかしてくれ」というもの。

対策本部にいたヒゲの隊長こと佐藤正久参議院議員(元一等陸佐)に、なんとかなりませんかと尋ねると、隊長、首をひねる。

「河野さん、なんで自衛隊のヘリから物を落とすの。ヘリが降りればいいじゃない。」

「でもよくニュースなんかで、ヘリから物を落としているシーンありますよね。」

「それは固定翼、飛行機からでしょ。ミサイルで狙われるようなところは飛行機で行って上空からパラシュートで投下するけど、今回は違うでしょ。」

ことら大尉こと、宇都隆史参議院議員(元一等空尉)が詳しく説明してくれる。

「日本の航空法89条は空中からの物件の投下を禁止しているけれど、自衛隊は適用除外。今回の支援でヘリから物資を投下しているかといえば、していない。なぜならヘリを降ろして積み卸しをしているから。

自衛隊のヘリが物資を投下する方法は二つあって、ひとつは低速前進しながら後部ハッチを開け、機首を上げると物がハッチから連続して滑り落ちていく。これは滑走路のような場所でやるが、今回はなかなかそんな場所がない。

二つめは、大きな網の中に物資を入れて機体の下に吊す。低空でホバリングしながら降ろすことはできるが、これも今回、着陸して積み卸しができるので、あまり意味がない。

物資の投下は固定翼(飛行機)でよく行うが、気象の安定と落下ポイントにかなり大きなエリアが必要になり、その場の安全の確保も必要になる。投下した物をどうやって回収するのかも問題。物が壊れないように特殊な梱包なので普通の人では開封できない。もちろん地上の誘導員も必要になる。」

航空法があるから自衛隊が物資の投下ができず、被災地に物が届かないというのは、どうやら都市伝説のようです。

ちなみに、3月18日までに、国交省は、警察や消防などによる救援活動に従事する航空機を対象に航空法89条の適用除外にしています。民間の小型ヘリならば、物資を投下する場面が出るでしょうか。

 当時のブログに、〈ヘリは「着陸して積み卸し」するものという固定観念があるようだ。〉と書いた。

 ヘリをホバーリング状態にして空中停止させて、ロープで吊り降ろしすれば可能だという発想がない。兵士をロープで吊り降ろし、釣り上げる訓練があるはずだ。

 だが、今回の大雪災害では自衛隊ヘリコプターが物資輸送に利用されたものの、重機運搬を伝える記事に出会っていない。

 東南海地震等が言われている。自衛隊の大型ヘリコプターを使った大型重機や救援物資の運搬・搬入を、「国民の生命・財産を守る」の言葉を少しでも実行可能とするためにも自然災害発生時の日常的行動としなければならないはずだ。

 このことの裏を返すと、2006年2月22日に自衛隊大型ヘリによる大型重機運搬の提案を受けながら、日常的に実行可能とする体制づくりを放置していたことも考え併せると、安倍晋三がいつも掲げている「国民の生命・財産を守る」は依然として口先で終わっているということになる。

 提案にあるように〈全国主要地に予め基地を設け全国主要地に予め基地を設け〉る必要はない。既に書いたように土木会社所有や重機レンタル会社の重機を借り受ければいいことである。

 今回の安倍内閣の大雪被害に対する対応の遅れは危機管理意識の希薄性に対応した即応体制の不備である以上、この不備は安全保障でいくら偉そうなことを言っても、軍事的安全保障面にも反映される即応体制の不備となって現れるはずだ。

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籾井会長の全理事に対する日付欄空白辞表提出強制の権威主義性も問題だが、理事全員提出の無条件従属も問題

2014-02-26 11:15:09 | Weblog

 

 籾井NHK会長が会長就任当日の1月25日に臨時役員会を開いて、NHK理事10人全員に日付空欄署名捺印させた辞表を提出させていたと各マスコミが2月25日付で伝えている。

 イキサツを詳しく知りたいと思って、衆議院インターネット審議中継から動画をダウンロードして文字に起こしてみた。2月25日衆議院総務委員会での福田昭夫民主党議員と籾井会長の遣り取りである。 

 福田昭夫「NHK会長としての今回の人事権行使の狙いについてお聞きします。1月25日の(会長)就任初日、臨時役員会を開いて、理事全員に辞表を求めたと報道がありますが、これはほんとうですか、会長」

 籾井勝人NHK会長「本件はまさしく人事のことでございますので、私としてはコメントを差し控えさせて頂きたいと思います」

 福田昭夫 「籾井会長、そう簡単に人事のことだからと言って、あなたが否定することはできないんですよ。多くのマスコミが籾井会長が就任初日に理事らに辞表を預けるように求めて、会長の人事権を強調していたいたことが、2月22日に複数のNHK関係者への取材で分かった、と。

 現在まで任期途中で辞任した理事はおらず、辞表は籾井会長が預かっていると見られる、関係者によると、当日、あなた方は前の会長が選んだ、今後の人事は私の遣り方でやると、いう趣旨の発言をして、辞表を預けるよう出席者に求めた。

 そうですね。多くのマスコミが報道しております。是非お答え下さい」

 籾井勝人NHK会長「多くの新聞とおっしゃいましたが、そういう新聞がどこから、どういうふうな ニュースを察知されたか知りませんけれども、私としてはやはり、人事は非常に重要なポイントでございまして、それをこの場でですね、新聞をベースにコメントするわけにはいかないと思います」

 福田昭夫「それでは最後に聞きますね。国会でウソをついて辞職に追い込まれた会長をご存じですか」

 籾井勝人NHK会長「お答え致します。私としては確認をしておりません」

 福田昭夫「逆にですね、国会軽視の虚偽答弁をして引責辞任に追い込まれた実力会長がおりました。籾井会長、マスコミ各社の報道にありますように、内部情報が洩れてくるということは、既に籾井会長がNHK内部で信頼されていないという証拠ですよ。これ、どう思いますか」

 籾井勝人NHK会長「お答え致します。まあ、色んな組織に於いては色んな意見があると思います。しかし我々は、今からNHK職員、経営者、一丸となってですね、よりよいNHKのために最大限の努力をして参りたいと思っております。どうぞよろしくご理解ください」

 福田昭夫「どうも答えないようでありますが、最後にまた聞かせて貰いますが、理事の任期は省略して、理事の任期満了前に辞表の提出を求めた会長はあなたが初めてだそうであります。

 歴代の会長で辞表を提出しろと求めた会長はいなかったそうじょありませんか。どう思いますか」

 籾井勝人NHK会長「お答え致します。そういうことは確認しておりません」

 福田昭夫「籾井会長、聞いておりますか。あなたが初めてなんですよ。こんな強引なことをやるのは初めてだと、聞いてないんですか。

 それではね、経営委員長、浜田経営委員長、予告はしておりませんが、お伺い致します。放送法第27条、第3項で、副会長及び理事は経営委員会の同意を得て、会長が任命するとあります。浜田委員長はこの辞表を預かったことを承知しておりますか」

 浜田NHK経営委員会委員長「そのような報道があるということは承知をしております。会長に委任している業務執行に関することなので、経営委員長としてはコメントを差し控えさせて頂きたいと思います」

 福田昭夫「浜田委員長、じゃあ、籾井会長から相談されていないんですか、相談されているんですか。どうですか」

 浜田経営委員長「先程申し上げましたように会長の業務執行に関わる判断ですので、相談は受けておりません」

 福田昭夫「浜田委員長、おかしいじゃありませんか。放送法第27条、第3項で 副会長及び理事は経営委員会の同意を得て会長が任命するんですよ。浜田委員長が同意しなければ、任命できないのですよ。

 そしたら、しっかり人事権に同意をする人が知らないでやってるんですよ。それを許すんですか、あなたは」

 浜田経営委員長「えー、理事の任命に当たりましては、経営委員会の同意を、(福田昭夫)委員のご指摘のように得る必要がありますので、経営委員会としては個別の人事が提案された時点で適切に判断してまいりたいと思っております」 

 福田昭夫「では、相談を受けていないということですね。初めてなんですよ。こんなことをやった会長は。

 次は(高木総務委員会)委員長、それではですね、副会長、専務理事、理事、お一人お一人に辞表を既に提出したのかどうかですね、お伺い致します。みなさんもですね、会長とおんなじで、ウソの答弁すると、引責辞任するようになりますから、正直に答えてください。

 しかもですね、いずれ時期が来ればですね、全てが分かってしまうんですよ。ですから、ここはしっかりと正直に答えて頂きたいと思います。じゃあ、副会長から順にですね、お一人お一人簡潔答えて下さい。イエス・ノーで結構です」

 堂本副会長「お答え致します。私は今月の12日に副会長に就任致しました。えー、現時点で辞表は提出しておりません」

 塚田専務理事「私は辞表届は辞任の日付は空欄のまま、記入せずに署名捺印し、提出致しました」

 吉田理事「私も日付を入れない形で辞任届を提出しております」

  以下全ての理事が同じ趣旨の答弁。

 福田昭夫「副会長、専務理事、理事の皆さん、ご苦労さまでした。これ、籾井会長のウソがはっきりとしましたね。辞表はきちっと提出されると (「ウソがはっきりとした」という言葉にヤジが飛ぶ。)

 (ほんの暫く間を置いて言い直す。)それでは、要するに正直じゃないということですね。それでは次の質問に入りますけれども、2月に任期切れの二人の理事は再任されたと聞きますけどもどうして認めたのですか。籾井会長、その理由を答えて下さい」 

 籾井勝人NHK会長「お答え致します。ちょうど会長の交代時期が1月25日でご ざいます。この日は3月末というNHKにとりまして非常に大事な日にちを控えております。そいう中でですね、やはりこの二人の専務理事の力というものは必要だと、いうふうに感じてですね、2月9日に、あ、ごめんなさい。2月ですね、任期が切れる二人の専務理事には、えー、尽力してほしいと、いうふうに思いました」

 福田昭夫「籾井会長、次の質問に入りますけどもね、今年の4月24日、または来年の4月24日には専務理事、理事の多くが任期満了となるわけでありますけれども、全理事に任期満了前にですね、辞表を提出させた理由は何ですか」

 籾井勝人NHK会長「お答え致します。これまた人事上の問題でございますので、私としてはコメント差し控えたいと思います」

 福田昭夫「籾井会長、会長はですね、自分の考え(就任記者会見での慰安婦発言など)は先程発言は取り消したと、自分の考えは変えていないんですが、もう一度答えてください」

 籾井勝人NHK会長「お答え致します。何度も同じ答で申し訳ありませんが、私は1月25日の不適見解・不適発言について取り消しを致しました。発言したことを取り消しました」

 福田昭夫「籾井会長、自分が発言したことは取り消したと。考え方は変えていないわけですね。そうするとですね、いいですか、辞表を提出させて、人事権を行使すると言うことはですね、俺の考えに従った放送をしろ、ね。俺の言うことに従え、俺の考えに添った放送をしろと、同じ意味になるんですよ。

 ですから、自分の考えは放送に反映されることはないと、いくら籾井会長が言っても、人事権を持っている人がいつでもお前をクビにできるんだぞと、こういうですね、権力を行使したら、籾井会長に誰も逆らう人はいなくなるんですよ、籾井会長。

 ね、ですから、籾井会長がいくら自分の考えを放送に反映させることはないと、言っても、それは通用しないんですよ。如何ですか」

 籾井勝人NHK会長「何度も申し上げておりますが、個人的な発言は既に取り消させて頂いております。また、これは何度も申し上げておりますが、個人的な見解を番組に反映させることはないと。

 あー、放送放任基づきまして、私どもはNHKをやっていくつもりでございます。えー、公平公正・不偏不党・表現の自由を確保しまして、適切に放送を行っていく所存でございます」

 福田昭夫「いくら籾井会長がそう言っても、私は組織を動かした経験がある。市長・知事、首長として。人事権のある人に逆らう人は左遷されるか、どうかなる。

 籾井会長が人事を振りかざせば、NHKの内部でまさに民主主義がなくなるんですよ。放送法が籾井会長がまさに守ると言っている、公共放送がですね、不偏不党・公平公正、編集権の独立、これが脅かされることになるんです。

 籾井会長、それを自覚しておりますか」

 相変わらずののらりくらりの暖簾に腕押し、糠に釘の籾井会長の答弁で、キリがないから、この辺で切り上げることにした。 

 「NHKの経営委員会によって任命される会長は、理事を罷免する権限を持っているが、それは職務義務違反などがあった場合に限られる」と「FNN」が解説している。

 ということは、籾井会長が理事全員に対して日付欄空白の辞表提出を強制したことは「職務義務違反」等の理事自身の不適格性を基準としない、慣例にはない提出の強制となる。

 もし「職務義務違反」等の理事自身の今後現れるかもしれない不適格性を考えて堤出を強制したとしたら、確かに不祥事を起こしそうでない人間が不祥事を起こして考えられない不適格性を示すこともあるが、前以て不適格性が現れそうだと理事に採用しているわけではないから、今後現れ得る不適格性を考えての辞表堤出は人格・人柄を理由もなく、あるいは根拠もなく疑ったことになって、人権問題に発展する。

 当然、不祥事等の不適格性を基準としない堤出の強制だったことになる。

 では、何を基準に辞表を提出させたのだろうか。辞表堤出を強制するとき、「あなた方は前の会長が選んだ、今後の人事は私の遣り方でやる」と言っている以上、自身の基準を頭に置いていたはずだ。

 福田議員はそれを答えさせるべきではなかったろうか。

 職務義務違反等の放送法の基準やNHK内部規定の基準に違反することは、それらの基準をNHK会長は体現していなければならないから、NHK会長の基準に対する違反ともなる。

 だが、そのような不適格性を基準としていない辞表届の強制は別の基準違反を全理事に想定していたことになる。その基準に反した場合、空欄となっていた日付欄に日付を書かせて辞任して貰うぞとしたのである。

 考え得る基準は、歴史認識に関わる発言は取り消したが、考え自体(=歴史認識自体)は変えていなとしているところからしても、1月25日の就任記者会見で発言した歴史認識を措いて他には考えられない。 

 籾井会長が2月任期切れの二人の理事は再任させた問題だが、1月25日就任当日に日付空欄の辞任届を提出させながら、2月に入って、2月任期切れの二人の専務理事の再任を決定した。

 再任の適格性を経営委員長その他に尋ねたのだろうか。例え二人と面識があっても、NHKでの能力評価に関してはNHK経営委員会委員長や理事会副会長、専務理事その他に聞いてみないことには分からないはずだ。

 相談したかどうかも問題となる。もし相談しないまま客観的な適格性判断の手続きを踏まずに自分一人の判断で決めたとなると、どのような適格性を基準として再任を決め、理事会に承認を求めたのかも追及すべきだったろう。

 なかなか正直に証言しないだろうが、情況証拠は歴史認識を適格性の基準としている。

 籾井会長の日付欄空白の署名捺印させた辞表届の、自身の強い立場を利用して相手を無条件に従わせた権威主義的な強制も問題だが、強制されて異議申立てもせずに言いなりに無条件に従って提出した全理事の下の地位に位置する者の権威主義的な従属性も恐ろしい。

 いわば思想・信条の点で対等な地位を築く術を持たなかった。

 このような術を持ち合わせていなかったために、戦前の日本の報道機関全てが日本軍大本営の国賊・非国民の威嚇性を持たせた権威主義に屈して御用報道機関に成り下がった。思想・信条の点で対等な地位を築くことのできない血を、少なくともNHKの理事たちは民主主義の今の時代にも引き継いでいる。

 これがNHK全体を覆わない保証はない。敵は安倍晋三を頭目としているのである。


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いよいよ機が熟したと見たのか、国家主義者安倍晋三の戦前日本を取り戻すための河野談話見直し、大大賛成

2014-02-25 08:53:51 | Weblog




      《生活の党PR》

      《2月23日(日)『生活の党豪雪対策本部鈴木本部長代理、小宮山幹事被災現地視察報告』》

      昨日2月23日(日)、生活の党豪雪対策本部の鈴木克昌本部長代理と小宮山泰子幹事が、2月14日
      からの大雪災害により被害の出た、埼玉県内の現地視察を行い、地方自治体の担当者や被害のあ
      った農家の方から、今回の雪害について直接お話しを伺いました。

 右翼の塊・旧太陽の党系の一人日本維新の会の山田宏が2月20日(2014年)の衆院予算委で1993年の従軍慰安婦の日本軍の関与と連行に関わる強制性を認めた「河野談話」作成に関わった石原信雄元官房副長官に参考人出席を求めて、その作成経緯について質問した。

 「MSN産経」を参考にすると、次の3点を証言したという。

(1)日本軍や 官憲が強制的に女性を募集したという客観的資料はない
(2)談話は韓国での元慰安婦16人への聞き取り調査に基づく が、裏付け調査はしていない
(3)談話は軍や官憲の直接的指示での募集(強制 連行)を認めたわけではない

 このことは石原信雄氏が前々から言っていたことでもある。山田宏が国会の場で石原参考人から改めて裏付け調査なしの証言を引き出して、「河野談話」の信憑性を限りなく黒塗りにして政府に再調査を求めるための儀式に位置づけていたはずだ。

 勿論、山田宏の最終目的は「河野談話」描出の慰安婦の事実の否定、日本軍の関与と連行に関わる強制性の事実の抹消である。

 そして山田宏の否定はまた、安倍晋三の否定でもある。

 安倍晋三の「河野談話」否定は以前当ブログにも書いた2013年2月7日衆院予算委の前原誠司民主党議員が取り上げた安倍発言に最も象徴的に現れている。

 前原誠司「去年の5月12日、産経新聞の『単刀直言』というインタビュー。『かつて自民党は歴代政府の政府答弁や法解釈などをずっと引きずってきたが、政権復帰したらそんなしがらみを捨てて再スタートできる。もう村山談話や河野談話に縛られることもない。これは大きいですよ』

 これは総理がおっしゃっているんです。去年の5月ですよ。

 これは一議員であったということを酌量したとしても、次以降は自民党の総裁選挙のときにおっしゃっている。申し上げましょうか。

 去年の9月12日、自民党総裁選挙立候補表明。『強制性があったという誤解を解くべく、新たな談話を出す必要がある』と御自身がおっしゃっている。菅さんが おっしゃっているんじゃない、御自身が総裁選挙でおっしゃっている。総裁になれば政権交代で総理になる、そういう心構えで総裁選挙に出た総理がおっしゃっ ている、御自身が。

 そして、討論会、9月16日。『河野洋平官房長官談話によって、強制的に軍が家に入り込 み女性を人さらいのように連れていって慰安婦にしたという不名誉を日本は背負っている、安倍政権のときに強制性はなかったという閣議決定をしたが、多くの人たちは知らない、河野談話を修正したことをもう一度確定する必要がある、孫の代までこの不名誉を背負わせるわけにはいかない』

 総裁選挙の討論会でおっしゃっている。これは御自身の発言ですよね」

 安倍晋三「ただいま前原議員が紹介された発言は全て私の発言であります。そして、今の立場として、私は日本国の総理大臣であります。私 の発言そのものが、事実とは別の観点から政治問題化、外交問題化をしていくということも当然配慮していくべきだろうと思います。それが国家を担う者の責任 なんだろうと私は思います」――

 山田宏の「河野談話」否定は安倍晋三の否定でもあるから、安倍晋三は2月24日、国会内で山田宏が質問したことに感謝の言葉をかけた。

 2月22、23両日実施の産経・FNN合同世論調査での「河野談話」を見直すべきか否かの問に58.6%が「見直すべきだ」と答え、「見直すべきだと思わない」は23.8%となっている。この世論調査と山田の質問を取り上げた安倍晋三の感謝の言葉である。

 安倍晋三「世論調査で河野談話(見直し)賛成が約6割だった。山田さんのおかげだ」(時事ドットコム)――

 国会での参考人石原信雄元官房副長官の、NHKテレビも全国放送した国会証言と新聞世論調査で行動に移すのはいよいよ機が熟したと思ったのだろう、菅官房長官が石原証言を受けて、元慰安婦聞き取り調査の再検証の検討を明らかにしたと、上記「MSN産経」が書き記している。

 昨2013年5月7日の閣議後の記者会見で次のように発言していたにも関わらずである。

 菅官房長官「河野談話は、その見直しを含めて検討という内容を述べたことはない。安倍政権は、この問題を、政治、外交問題にさせるべきではないというのが基本的な考え方だ」(NHK NEWS WEB)――

 石原信雄は「日本軍や 官憲が強制的に女性を募集したという客観的資料はない」と証言しているが、戦前の日本軍占領下のインドネシアでは民間人収容所に収容したオランダ人女性を未成年者も含めて威嚇と強制を用いて軍トラックに乗せて連行し慰安婦に仕立てている。

 またインドネシア人や日本人の聞き取り調査によって旧日本軍が現地インドネシア人の未成年女子を略取・誘拐の形で強制連行し、慰安婦に仕立ていている事実が判明している。

 例え「客観的資料」がないからと言って、インドネシアで公然とやらかしていた旧日本軍の犯罪行為を朝鮮でやらかしていなかったことの証拠とはならない。一般的に犯罪行為は証拠を残さない・隠すを徹底的な常識とする。特に巨大な軍組織となれば、その常識の徹底ぶりはハンパではなかったはずだ。

 それが1945年8月14日の「重要文書類の焼却」の閣議決定であろう。国内外の軍組織に重要書類の焼却の証拠隠滅を個人の日誌まで含めて命令する、ハンパではない徹底ぶりであった。

 未成年女子を含めた誘拐・略取の犯罪の証拠を天皇の軍隊と呼び習わされていた大日本帝国軍隊が焼却せずに残すという常識はないはずである。残す常識を選択したなら、天皇陛下に顔向けできないとまで戦前の日本人は天皇崇拝をこれまた常識としていたはずだ。

 当然、1945年8月14日「重要文書類の焼却」閣議決定の事実を提示しない「客観的資料」の不在は著しく公平性を欠くことになる。

 朝鮮では労務者供出に関して日本の植民地朝鮮統治機関である朝鮮総督府がは「警察官憲」まで動員して強制的に狩り出している。その結果が、朝鮮半島内の食料や労務の供出状況について調査を命じられた内務省嘱託小暮泰用が描き出した1944年7月31日付内務省管理局報告の「復命書」の朝鮮半島に於ける悲惨な世界であるはずだ。

 《植民地朝鮮の戦時労務動員―政策と実態―》 

 復命書「…徴用は別として其の他如何なる方式に依るも出動は全く拉致同様な状態である其れは若し事前に於て之を知らせば皆逃亡するからである。

 そこで夜襲、誘出、其の他各種の方策を講じて人質的略奪拉致の事例が多くなるのである、何故に事前に知らせれば彼等は逃亡するか。要するにそこには彼等を精神的に惹付ける何物もなかったことから生ずるものと思はれる。内鮮を通じて労務管理の拙悪極まることは往々にして彼等の身心を破壊することのみならず残留家族の生活困難乃至破壊が屡々あったからである」――

 この手の強制連行が朝鮮人男性の労務供出のみならず、慰安婦狩りに応用されなかったと、誰が断言できるだろうか。

 国家主義者安倍晋三の「河野談話」否定の最終目的はその否定によって従軍慰安婦の旧日本軍関与と強制連行の事実を抹消することによって旧日本軍の不名誉・劣等性を払拭し、その名誉回復を通して日本人および日本軍の無誤謬性を世界に示すことで日本人の優秀性を証明することにある。

 いわば天皇制を頭に戴いた戦前日本を取り戻すためである。

 だからこそ、安倍晋三は「河野談話」を「孫の代までの不名誉」とまで断言したのだろう。「河野談話」を見直して、安倍晋三自身が日本人は優秀である、間違ったことはしないとする新たな談話を発表する。

 大いに結構、大々賛成である。機は熟した。

 だが、事実はいつかは現れる。止むことのない期待ではあるが、国家主義者安倍晋三が「河野談話」を見直した後に軍関与と強制性を認める資料の出現を期待している。

 意を強くさせる期待が一つある。《慰安婦を対日カード化か 中国、新資料発見と報道》MSN産経/2014.1.9 20:26)2014.1.9 20:26)

 記事冒頭、〈中国吉林省の档案館(資料館)は、旧日本軍が残した資料から、中国の慰安婦に関する新たな記録が見 つかったと明らかにした。国営新華社通信が9日伝えた。尖閣諸島(沖縄県石垣市)をめぐる対立や歴史問題で、中国は対日批判を強めており、これまで外交 カードとしてこなかった慰安婦問題も今後、圧力の材料として取り上げていく可能性がある。〉――

 記録発見が事実とすると、安倍晋三の事実否定に対して外交カードとして使われたとしても仕方はないはずだ。

 この資料は、旧日本軍が東北地方を統治していた1931~45年の間の、敗戦後、軍が焼却処分できなかった資料を埋めたとみられる10万点以上で、1950年に建設工事の際に発見されたものだという。

 慰安婦に関する具体的な資料内容。

 (1)旧日本軍による 慰安婦徴用費用に関する銀行記録
 (2)江蘇省南京市周辺に設置された慰安所の状況――

 具体的な記述の紹介。

 「多い時で1人の慰安婦が10 日間に267人の兵士の相手をした」
 「朝鮮人慰安婦が36人いた」等々。

 1950年の建設工事で発見された物が中国吉林省档案館(資料館)に眠っていた。今回その所在が明らかになったということでなければ、1950年から今日まで、時間が開き過ぎている。

 「河野談話」の見直しは従軍慰安婦否定発言を黙らせるための牽制球――トランプゲームで言うところのブラフ(=ハッタリ)でないことを願う。

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ソチ五輪日本メダル獲得数 目標は高く持つべきだが、結果に対するゴマカシの総括はいけない

2014-02-24 08:11:05 | Weblog



 ソチオリンピックが終わった。テレビが日本人選手のメダル獲得のシーンを繰返し流しているのを見せつけられると、日本チームがさも特別に活躍したような錯覚に陥るのではないだろうか。

 洗脳の基本的な構造がここにある。

 日本チームは今回のソチオリンピックのメダル獲得数の目標を1998年長野五輪の金5個、合計で長野合計メダル10個以上に置いていたという。結果は長野の金5個・銀1個・銅4個の合計10個に対して金1個・銀4個・銅3個の合計8個で終わった。
 
 日本選手団の橋本聖子団長(日本スケート連盟会長)は閉会式を前にした2月23日に記者会見して、結果を総括している。

 橋下聖子「目標だった金メダル5個には到達出来なかったが、選手一人一人が金に向かっ た結果、全体として8個(金1銀4銅3)に伸ばせた。

 ここ2大会メダルを取れていなかった雪の競技が素晴らしい成績を収めてくれたことは、4年後の平昌五輪に挑むうえで最大の力になり得る」(asahi.com)――

 記事解説。〈自国開催だった1998年長野五輪(金5銀1銅4)に次ぐ成績を残せたことを評価した。入賞(8位以内)28も、国外開催の冬季五輪史上最多だった。〉

 どうもよく理解できない。獲得目標は1998年長野五輪の金5個、合計でメダル10個以上だったはずだある。にも関わらず、「全体として8個(金1銀4銅3)に伸ばせた」と言っている。

 記事解説も、獲得目標に到達しないにも関わらず、〈入賞(8位以内)28も、国外開催の冬季五輪史上最多だった。〉と高く評価している。

 長野の場合は金5個である。だが、ソチは金が1個しか取れていない。長野の銀1個に対してソチ銀4個で3個増えているが、長野の金5個のうちソチで金1個だけ残り、4個が順位を下げてソチで銀4個となったいう見方もできる。

 ちょっと無理があるかもしれないが、長野の銀1個と銅4個の合計5個のうちソチでは2個が順位を下げて入賞を逃し、長野銀1個が銅へと順位を下げる形でソチ銅3個となったという見方もできる。

 この見方が間違っていないとすると、記事解説の〈入賞(8位以内)28も、国外開催の冬季五輪史上最多だった。〉という評価も本質から外れた過大評価となる。

 いずれにしても、金メダルに関しては長野の金5個に目標設定しながら、ソチ金1個では明らかに技術の点だけをとっても、強化不足を露呈することになって、目標違反となるはずだ。政治で言うと、公約違反になる。

 ゴマカシの総括は今後の選手強化に役立たない。選手強化に取り組むとき、メダル獲得数に拘り、獲得数のみに突出することになるからだ。

 一般的に目標は常に高く置くべきだと言い慣わされている。この言い慣わしから言うと、目標を高く置いたことは間違っていないことになる。だが、高く置くについては、各競技に於ける各選手の外国選手と比較した実力を見抜く目を持ち合わせていなければならない。

 但し、単に記録を比較しただけでは実力は計算できない。オリンピックという独特な雰囲気の中での一発勝負に自身の力を可能な限り出し切る精神のコントロール――精神の強さとか精神力ではない、私自身は全く以って偉そうなことは言えないが、あくまでも精神のコントロールに対しての忍耐強い対処能力(この能力の訓練はオリンピックが始まるずっと前から必要であろう。)を記録に加えて、その総合力を実力としなければならない。

 当然、監督やコーチしても、各選手の記録向上に力を貸すだけではなく、冬季オリンピックに関しては日本人選手が金メダルを取り慣れていない精神面を加味した各選手の精神のコントロールに気を配ることのできる人材でなければならないことになる。

 金メダルを取り慣れているかいないかは今後、金メダルを取るについて大きく影響するはずである。

 選手の精神のコントロールの点から言うと、単純に以前に最も多く取ったメダルを目標とした場合、計算したとおりに最初から順調にメダルを獲得していくならいいが、逆の場合、途中で目標に届かないのではないかと計算する恐れが出てきて、却って選手の精神のコントロールに悪影響を及ぼすことになる。

 精神面をも含めた実力を冷徹に計算して、計算したメダル数よりも低く目標を設定した方が、大方の予想や期待を裏切ることになって、却って選手の発奮を促すことになり、選手の精神のコントロールに好影響を及ぼす可能性も期待できる。

 いわばメダル獲得の目標数も選手自身の自らに対する精神のコントロールを左右することになるということである。この点からも、ゴマカシの総括は排除しなければならない。

 驚いたことに昨夜(2月23日)の夜7時のNHKニュースが、ソチで獲得した計8個のメダルは海外で行われた冬季オリンピックでは過去最多だと言っていたことである。朝になって、NHKのサイトにアクセス、記事を採取してみると、〈海外で行われた大会では、1992年のアルベールビル大会の7個を上回り、これまでで最も多くなりました。〉と解説してあった。

 「時事ドットコム」記事も、〈目標としていた1998年長野五輪の10個 (金5、銀1、銅4)には及ばなかったが、国外大会では過去最高成績を収めた。〉と解説している。

 確かにホームである長野となると、高揚感が違う。海外とは違って、ホームであることの安心感が緊張感を過度に高めることもなく、和らげる働きをしてくれるということもあるだろう。ホームであることの高揚感と緊張を和らげる安心感が戦うモチベーションをより高めてくれるに違いない。その結果の長野金5個、銀1個、銅4個の計10個のメダルということなのだろうか。

 だとしても、ホームであろうとアウエイであろうと、技術的な実力は左程変わらないだろうから、アウエイに於ける精神のコントロールを不得意としていたということになる。昔の言葉で言うと、日本人選手の多くが内弁慶の傾向にあるということであろう。

 精神のコントロールを巧みに操ることができなくて、折角の技術的な実力を殺してしまったのか、あるいは 精神のコントロールを巧みに操ることができないことに加えて、技術的な実力自体にしても、過大評価していた結果のソチのメダル獲得数ということなのか、いずれかということになる。

 これらのことを前提とするなら、国内大会の長野を除いて、「国外大会では過去最高成績」だとメダル獲得数を正当化するなら、最初から長野を上回る目標を立てたこと自体が間違いであり、ゴマカシだったことになる。

 常に常に国外大会のメダル獲得数を基準とすることがゴマカシのない正直な目標設定ということになる。

 要するに目標設定も総括もゴマカシに満ちていた。

 日本人が戦争を総括できなかった本質的理由を見る思いがした。

 以上当ブログで書いてきたことと、明治天皇の玄孫だとか言う竹田恒彦がツイッターで、ソチでの日本人選手はメダルを取っても「メダルは噛むな」、「負けてヘラヘラするな」と言っていることと、どちらがまともなことを言っているか、評価してほしい。

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安倍晋三の集団的自衛権憲法解釈行使容認正当化の環境づくりのための中国との関係悪化構築

2014-02-23 10:00:44 | Weblog

 

 安倍晋三は尖閣諸島を巡る日中関係の険悪化を集団的自衛権の憲法解釈によりる行使容認正当化の環境づくりに利用しているようにみえる。

 先ず野田政権が尖閣国有化を行ったことに抗議して中国が公船を尖閣諸島近辺の接続水域に出没させたり、ときには領海を侵害して航行するようになったあと、安倍政権に変わると、安倍晋三は「力による現状変更の試み」だと批判、中国のそのような行動をさも軍事的な脅威が差し迫っているかのような、一種の中国脅威論の印象づけに成功した。

 このことは安倍晋三自身による中国に対する直接的な外交の不在が証明している。中国の軍事的脅威――中国脅威論が差し迫った現実であるなら、あらゆる手段を尽くして中国首脳との直接的対話を試みるべきだが、「対話のドアは常にオープンにしている」と言うだけで、自身は中国に直接働きかけることはせずに優先させるべき中国外交を他処にして諸外国を訪問、首脳会談を繰返して、中国の脅威を訴えては、中国とは共有していない民主主義や基本的人権、法等の価値観外交の共有を求めて心理的な一種の中国包囲網を構築する外交に重点を置いている。

 このような安倍外交術は自己を正義と位置づけて、その正義と対立させた中国の無法――中国の軍事的な脅威――中国脅威論を浮き立たせる構図づくりに役立ったはずだ。

 結果、常々強調していた「力による現状変更の試み」――中国脅威論に真実味を与える効果をもたらしたことだろう。

 中国を除いた各国訪問外交を「国際協調主義に基づく積極的平和主義」と名づけていたことも、中国外交をこの概念に対立する平和主義に悖(もと)概念だとするレッテル貼りを行ったに等しい。

 中国が2013年11月23日に防空識別圏を設定して、一方的に様々なルールを定めて、違反した場合、「防御的な緊急措置」を取るとしたことも、安倍晋三の中国脅威論に力を与えたはずだ。

 この安倍式中国脅威論の構築は2014年1月22日のスイス・ダボス会議基調演説後の質疑に於ける、何度か当ブログに取り上げた発言に象徴的に現れている。

 安倍晋三「今の日中の緊張関係を第1次世界大戦に至る数年間の英独のライバル関係と比較すると、同じような状況だ。

 今の中国と日本と同じように当時のイギリスとドイツの間にも、強力な貿易関係があった。だからこそ、この比較が成り立つのだ。最大の貿易相手国であっても戦略的な緊張が紛争勃発に至るのを、1914年の場合は防げなかった」(フィナンシャル・タイムズ /2014年1月22日)(一部解説体を会話体に直す)

 第1次世界大戦、第2次世界大戦共にドイツは悪者の位置に置かれた。安倍晋三は現在の日中関係を第1次世界大戦前の英独関係に擬えることで、中国を悪者に位置づけたのである。

 私自身、中国を善人だとは夢々思わないが、対中外交不在のまま、中国だけを悪者に位置づけ、国内でばかりではなく、各国を回って中国脅威論を振りかざして一方的に言い触らした場合の中国の安倍政権に対する反発は対中外交を心がけた場合に比較して危険な方向に振れない保証はない。

 中国脅威論の現実化である。

 内閣府の2012年11月21日発表の「外交に関する世論調査」による「中国に対する親近感」は、「親しみを感じない」とする者の割合が80.6%(「どちらかというと親しみを感じない」31.2%+「親しみを感じない」49.5%)となっていて、前回の2011年10月調査と比較して「親しみを感じる」(26.3%→18.0%)とする者の割合が低下し、「親しみを感じない」(71.4%→80.6%)とする者の割合が上昇している。

 このことは中国公船の尖閣海域出没や防空識別圏設定だけに対する印象ではなく、安倍晋三の中国脅威論の印象づけも役立っている感触でもあるはずだ。

 そして安倍晋三は北朝鮮の脅威を加えてのことだが、自身もせっせとつくり上げてきた中国の軍事的脅威――中国脅威論の印象づけのもと、印象づけによって植え付けることに成功した日本を取り巻く安全保障環境の険悪化を正当化理由に集団的自衛権の憲法解釈による行使容認に積極姿勢を示すことになった。

 決して否定できない、安倍晋三の集団的自衛権の憲法解釈による行使容認の環境づくりのための中国の悪者印象づけであるはずだ。


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安倍晋三の国会答弁に見る危機管理意識なき立憲主義観・憲法観と国民の生命・財産の保障との関係

2014-02-22 10:36:45 | Weblog



 【立憲主義】「政治権力の恣意的支配に対抗し、権力を制限しようとする原理をさす」(コトバンク

 政治権力は自分たちの政治を思うがままに進めたい欲求のもと、権力の思うがままの恣意的行使の衝動を常に抱えている。但しそのような権力の行使が国民全体の利益を約束できるならいいが、国民全体の利益代弁者となり得る政治権力は存在しない。

 なぜなら、断るまでもなく、国民各階層ごとに利害が異なるからだ。消費税率が上がっても、痛くも痒くもない富裕層とたちまち生活の不安に駆られ、窮屈な生活を送らざるを得なくなる低所得層とでは利害が全く異なるようにである。

 そしてそこに消費税増税によって税収を増やすことができる政府の利害が絡む。より強い立場にある政府と政府を常に味方につけたい富裕層の利害が優先されて、低所得層の利害は程々の一時金の供与ぐらいで、無視される。例え軽減税率が採用されたとしても、軽減税率対象の支出が変わらないだけのことで、生活の苦しさに変わりはない。

 政治権力それぞれがそれぞれに特定の国民の利益代弁者として存在することも、国民全体の利益を代弁する政治権力が存在しないことの証明となる。
 
 2014年2月20日衆院予算委の午前最後の質問者は原口一博で、安倍晋三に対して立憲主義に対する態度を尋ねた。 

 原口一博「この間総理の答弁で、立憲主義って言うのは中世のマグナカルタ時代の権力を縛るものだ。私たちはこれから、理想を書き込むんだと。

 理想を書き込むというその憲法観というのは正しい。しかし立憲主義が予定している憲法というのは国民が憲法を縛るもんだ。いくら民主的に選ばれた政権であろうと、間違えることがある。だから、憲法が一定の国民主権のもとに歯止めをかけるものだ。この立憲主義は否定されてはならない。私はそう思います。

 現実に今の政党の前身となった立憲改進党や立憲政友会にしても、上に立憲という言葉がついているのですね。総理のおじい様の安倍寛さん、この方も立憲政党に属されておりました。

 この立憲主義は総理は否定するものではないんだということはご明言頂けるでしょうか」

 安倍晋三「これまで私が一度も立憲主義を否定したことは勿論ないわけでありまして(笑う)、立憲主義のもとに於いて、行政とか、主権者たる国民に対する責任を持って、責任を持って、政治・行政を行っていくわけであります。

 立憲主義とはですね、(顔を俯かせて、原稿を読む。)主権者たる国民がその意思に基づき、憲法に於いて国家権力の行使のあり方について定め、これによ り、国民の基本的人権を保障するという近代憲法の基本となる考え方であり、日本国憲法も同様の考え方に立って制定されたものと考えているわけでありまし て、(原稿から離れる。)この立憲主義に基づいて、先ほど申し上げたように行政を行っていくことは当然のことであります。

 そして、憲法について、議論の中で出てきたことでありますが、その中に於いてですね,憲法というのは、えー、行政の権力を縛るものだということであります。

 勿論、その一面を否定したことは一度もないわけでありますが、それだけではなくてですね、つまり、かつて王政時代に、その王権を縛るという、元々のですね、元々の淵源はあるわけであります。自由と民主主義、そして基本的人権が定着してきた今日に於いてではですね、それのみならずですね、えー、いわば国のあり方、理想についても、それは憲法に於いて新しい憲法を作っていく上に於いては込めていくものであろうと。

 えー、事実ですね、日本国憲法に於いても前文があるわけでありまして、例えば、『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼をして、我が国の生存と安定を保持しようと決意する』と書いてあるわけでございまして、別にこれは権力を縛るためのものではないわけであります。

 また、『われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う』とこう書いてあるわけでございます。

 これはまさに国のあり方をですね、これについては議論があるところでありますよ。しかしこれは国はどうあるべきだということを、ここに書き込んでいるわけでありまして、ずらずらずらっとですね、ずらずらずらっとひたすら、えー、国家、あるいは政府の権限を、行使について縛りをかけるものだけではないことは申し上げておきたいと思いますし、まさに戦後70年経って、自由・民主主義・基本的人権、これはしっかりと定着した中に於いてですね、21世紀、日本はどうあるべきかという考え方の元に於いて、え、憲法を変えていくという考え方もあってもいいのではないかと。

 しかし、それは立憲主義を否定するものではない、中に於いて、それも加味されるものではないかということを申し上げてきたわけでございます」 

 原口が言っている「マグナカルタ」とは、私は知らなかったので、インターネットで調べた。

 〈1215年、イギリスの封建諸侯が国王ジョンに迫り、王権の制限と諸侯の権利を確認させた文書。のちに国王の専制から国民の権利・自由を守るための典拠として取り上げられ、権利請願・権利章典とともにイギリス立憲制の支柱とされる。大憲章。〉(Weblio辞書

 安倍晋三が先に読み上げた日本国憲法の前文は、実際は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」となっていて、字句が少し違う。趣旨は変わらないが、字句はそのままに参考にしないように。

 原口は「理想を書き込むというその憲法観というのは正しい」と言っているが、この男、いつまで経っても単細胞で、それぞれの政治権力がそれぞれの特定階層の利益代弁者である以上、政治権力が描く国家の「理想」は特定階層の利益を代弁する「理想」を、少なくとも優先させる傾向を持つ。

 つまり、「理想」はいく種類もあるということである。国家主義者の安倍晋三は国家主義優先の「理想」を憲法に書き込みたい衝動を抱えていないはずはない。この「理想」は、当然、一般国民の「理想」足り得ない。

 このことは安倍晋三の答弁が証明することになる。

 国家主義者安倍晋三は「これまで私が一度も立憲主義を否定したことは勿論ないわけでありまして」と、立憲主義に立っていることを言明しているが、国家主義者が立憲主義に立つということは矛盾そのもので、国家主義を自ら否定することになる。

 二日前程の当ブログに安倍晋三の国家主義について次のように書いた。

 〈現代の国家主義者とは、国の形を優先させ、国民を国の形に従属させる考え方を言う。GDPやGNP等の経済成長率の規模、輸出入の量と金額の規模、外貨準備高の金額規模、貿易黒字額の規模等々、このような国の形を優先させて、中身の国民はこれら国の形を表現する各項目の規模拡大に貢献する素材に過ぎない。〉と。

 国家主義者安倍晋三の「理想」はこのような国の形優先の国家主義にあるはずである。

 安倍晋三は現在の日本国憲法を改正して、「国のあり方、理想」を書き込みたいと言っているが、当然、国の形優先の「国のあり方、理想」ということになる。

 このことは厳密には国民の側に立って「政治権力の恣意的支配に対抗し、権力を制限しようとする原理」たる立憲主義に反することになって、「これまで私が一度も立憲主義を否定したことは勿論ないわけでありまして」の発言をウソにすることになる。

 但し、安倍晋三は今の時代の憲法は国家権力を縛るという側面のみを有しているわけではないと言い、その理由として、現在「自由と民主主義、そして基本的人権が定着してきた」ことを挙げている。

 だが、この前提そのものが間違えていることに気づかない頭の悪さを提示している。

 確かに現在の日本では自由と民主主義、そして基本的人権が定着してきている。だが、安倍晋三みたいな復古主義に彩られた国家優先・国民従属の国家主義者が現在政治権力を強力に握っているのである。その国家主義のもと、日本が戦前返りの危険な方向に進まない保証はない。

 安倍晋三はまた熱烈な天皇主義者でもある。戦前のように天皇の権威を背景として支配権力が独断で思いのままに事を決する専制政治(=独裁政治)が戦後の日本に亡霊の如くに蘇らない保証もない。

 このような保証がないことへの危機意識を持つことが、あるいは危機意識を忘れないことが自由と民主主義、そして基本的人権を守っていく上での常なる危機管理であるはずである。

 専制政治(=独裁政治)とまで極端な方向にブレなくても、権力の恣(ほしいまま)は国民の権利を制限することによって手に入れることが可能となる逆説性から言って、基本的人権がどこでどう制限を受けることになるかは予断を許さない。

 このことは自民党「日本国憲法改正草案」が証明してくれる。

 現「日本国憲法」の「第3章 国民の権利及び義務 第12条」

 「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」

 単に自由と権利の濫用の戒めと、公共の福祉のための利用を訴えているのみで、「自由及び権利」そのものに何ら制限を加えていない。

 自民党「日本国憲法改正草案 第3章 国民の権利及び義務 第12条」

 「国民の責務 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。」

 「自由及び権利」は「常に公益及び公の秩序に反してはならない」「国民の責務」だとしている。

 「公益及び公の秩序」は時代によっても性格や内容が異なり、当然、時の国家権力の考え方一つで、「公益及び公の秩序」は異なる姿を取る。当然、何を以て公益とするか、何を以て公の秩序とするかは、時代時代の社会的風潮や時代時代の権力の性格・考え方によって異なり、その絶対的決まりはないことになる。

 いわば「公益及び公の秩序」はその時代の国家権力が決めことができることになって、「公益及び公の秩序」を優先させた場合、そのことへの縛りは国民の権利を制限することによって完成するのだから、自民党「日本国憲法改正草案」が国民の基本的人権を制限する条文を含んでいないと確証を与えることはできない。

 この点からも、安倍晋三が頭悪く言っている「自由と民主主義、そして基本的人権が定着してきた」云々は専制政治、あるいは専制的な性格を持った政治の出現は、いわば国家権力の間違いは決してあり得ないとすることができない危険性に対する危機管理意識を欠いた立憲主義観・憲法観と言うことになる。

 安倍晋三は現日本国憲法にしても、国家権力を縛るという側面のみで成り立っているわけではないと、その前文を例にして説明している。
 
 安倍晋三「『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼をして、我が国の生存と安定を保持しようと決意する』と書いてあるわけでございまして、別にこれは権力を縛るためのものではないわけであります」云々。

 どういう頭で解釈したのか分からないが、国家権力に対して、世界に向けてこのような国家経営に努めなさい、このような国の姿を取りなさいと、権力に対して縛りをかけている条文であるはずである。

 そしてこの条文は誰の目にも明らかなように戦前日本国家の侵略戦争を反省材料として成り立たせた戦後日本国家に対する縛りであろう。

 さらに安倍晋三は日本国憲法の前文の一節、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」を取り上げて、色々と議論があるがとしながらも、自身の解釈として、「国はどうあるべき」の「国のあり方」を書いた一節であって、間接的に憲法というものが国家権力を縛るだけのものではないことを訴えている。

 大体が「国のあり方」自体に国家権力の恣意的行使に対する縛り・制約が含まれていることに気づかない。

 「国のあり方」はどのようなあり方でもいいとする言葉として利用されているわけではない。日本国憲法前文は「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占め」る「国のあり方」を求めているのである。

 この要求が国家権力に対する縛りでなくて、何だと言うのだろうか。

 いわば、「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会」に倣えと言っているのであって、国家権力に対する縛りであると同時に、国家権力がそのような国の姿を選択すること自体が平和の維持、専制と隷従、圧迫と偏狭の除去の保障となり、その保障こそが国民の基本的人権と自由、民主主義の保障になるとの意味を含ませているはずだ。

 安倍晋三は最後に、「自由・民主主義・基本的人権、これはしっかりと定着した中に於いてですね、21世紀、日本はどうあるべきかという考え方の元に於いて、え、憲法を変えていくという考え方もあってもいいのではないか」と宣(のたまわ)って、理想の国のあり方も憲法に書き込む意思を覗かせているが、既に触れたように「国のあり方」がどのようなあり方でもいいとする言葉として利用されているわけではない以上、時の政治権力者の政治思想・歴史認識を問題としない、自身のみが理想だとする 「国のあり方」は必然的に危険な方向性を取らない保証はない。

 安倍晋三は好んで「国民の生命・財産を守る」という言葉を使う。2月半ばに各地が豪雪に見舞われて、住民が地域ごとに雪の中に閉じ込められたとき、「今後とも関係する地方公共団体と連携を密にして、関係省庁一体となって国民の生命、財産を守るために、対応に万全を期していきたい」(NHK NEWS WEB)と国会答弁している。

 「国民の生命・財産を守る」という言葉が大上段に構えた大袈裟な言い方に思えたのは、野党から対応遅れを批判されていて、それを打ち消すために大袈裟な言い方になったのかもしれない。

 「国民の生命・財産を守る」とは、単に生きている状態や生活できる財産状態を保障することを言っているわけではあるまい。自由・民主主義・基本的人権を保障した国民の生命・財産でなければ、守っていることにはならない生命・財産となるし、価値ある生命・財産とはならないことは北朝鮮の国家権力と北朝鮮人民を見れば簡単に理解できる。

 いわば国民の生命・財産の保障とは自由・民主主義・基本的人権の保障をも含んでいなければならないのであって、この保障は憲法によって保障される。

 言葉を替えて言うなら、憲法が保障する国民の生命・財産の保障と自由・民主主義・基本的人権の保障であって、国家権力は憲法に基づいて国民の生命・財産の保障と自由・民主主義・基本的人権の保障に務める責務を負っているのであり、国家権力そのものが両者を保障しているわけではない。

 国家権力次第の保障は非常に危険であるために、立憲主義に基づいた憲法に委ねることになったはずだ。

 この保障の関係にしても、国家権力に対する縛り・制約を基本的力学としている。

 当然、安倍晋三が単細胞に「自由・民主主義・基本的人権、これはしっかりと定着した」からと言って、憲法に与えられている立憲主義の原理は変わることはないし、変えることはできない。

 にも関わらず、安倍晋三が憲法は「国家、あるいは政府の権限を、行使について縛りをかけるものだけではない」と言っていることと定着発言から、好んで言っている「国民の生命・財産を守る」の言葉にしても、単に一国のリーダーの務めとしてのみ見ていて、憲法が国家権力に対する縛り・制約として定めている自由・民主主義・基本的人権の保障に基づいた国民の生命・財産の保障であるとする認識を欠落させているらしい。

 繰返しになるが、例え国家権力が理想とする「国のあり方」を憲法に書き込むとしても、どのような「国のあり方」であろうと、国家権力の恣意的行使の縛り・制約を埋め込んだ「国のあり方」から外れてはならない。

 安倍晋三自身が復古主義の国家主義者だから、専制政治、あるいは専制的な性格を持った国家権力の決して否定はできない危険な出現に対する危機管理意識を持つことができないでいるのだろう。

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安倍晋三の「女性の社会進出」がホンモノか占うサウジ皇太子との会談、サウジ女性の人権改善を取り上げたか

2014-02-21 08:31:43 | Weblog

 

 サウジアラビアのサルマン皇太子が訪日、国家主義者安倍晋三と首相官邸で会談した。「毎日jp」記事が次のように解説している。

 〈中東からの原油輸送路となるシーレーン(海上交通路)の安全確保や原子力、再生可能エネルギー分野での協力を柱とする両国の「安定と繁栄に向けた包括的パートナーシップ共同声明」を踏まえ、首相は「関係を一層強化したい」と表明。皇太子は「両国の利益に資する形で関係を強化していきたい」と応じた。〉と。

 安倍晋三は昨2013年、サウジアラビアとアラブ首長国連邦、トルコを訪問、4月30日、5月1日と訪問のサウジアラビアでは今回と同じサルマン皇太子と会談している。

 そのときの中東訪問の狙いと特徴を外務省HPは次のように伝えている。

〈今回の中東訪問のねらいは,石油の売買といった従来の資源・エネルギーを中心とする関係を超えて,幅広い分野での経済面での協力,更には政治・安全保障,文化・人的交流といった多層的な関係にしていくこと。こうしたねらいの下,サウジアラビアで行った我が国総理として初めての中東政策演説において, 我が国と中東地域の関係を「安定と繁栄に向けた包括的パートナーシップ」に向けて抜本的に強化していくことを宣言。安倍政権の中東重視を対外的にアピールするとともに,中東諸国との間の包括的・重層的な関係を築く転機となった。〉――

 そしてサウジアラビア訪問の成果に関しては、「協働」と銘打って、〈二国間協力を政治・安全保障分野にも拡大し,ハイレベル政策対話の促進,安全保障対話の新設や防衛交流の進展,国際テロ情勢に関する 対話と交流の促進で一致。〉、「共生と共栄」と銘打って、〈安倍総理より,石油の安定供給を要請し,我が国としても省エネ・再生可能エネ・原子力等の分野で貢献が可能である旨言及し,双方向のエネルギー協力を行うことで一致したほか,原子力協力に関する事務レベル協議を進めることで一致。また,双方は,日サウジ産業タスク フォースの進展を歓迎しつつ,エネルギーのみならず,インフラ開発,医療協力等で協力することで一致。安倍総理より,JICAによる コストシェア技術協力の新スキーム立ち上げを紹介し,双方は,産業・人材育成を強化することで一致。日サウジアラビア投資協定に署名。〉、さらに「寛容と和」と銘打って、〈我が国へのサウジ人留学生の増加を歓迎しつつ,若い世代の人材育成の重要性,教育協力,人的交流,知的対話の強化で一致。〉と成果を並べ立てている。

 但し、「若い世代の人材育成の重要性,教育協力,人的交流,知的対話の強化」は性別的限定条件下の強化であることは誰の目にも明らかであるはずだ。

 今回の安倍晋三・サルマン皇太子会談の内容を外務省はHPで次のように伝えている。

 冒頭、〈安倍総理から,昨年のサウジ訪問時に温かい歓迎を受けたことに謝意を表しつつ,サルマン皇太子をお迎えし会談できることを喜ばしく思う旨述べ,幅広い分野で「包括的パートナーシップ」を一層強化したい旨発言した。これに対しサルマン皇太子よ り,日本という友好国を訪問することができ嬉しく思う,様々な分野で日本との協力を深化させていきたい旨述べた。〉――

 政治・安全保障、〈安倍総理から,国際協調主義に基づく積極的平和主義の下,日本は中東地域を含む国際社会の平和と安定にこれまで以上に積極的に寄与していくとの考えを述べ,中東の大国であり地域の平和と安定の要であるサウジとの連携を深めるため,安全保障分野での対話や防衛交流の促進,両国NSC間での対話開始,若手外交官交流及び外交分野での有識者対話促進等を行っていく旨を発言した。これに対しサルマン皇太子より,総理の発言へ賛意を示しつつ,両国間の若手外交官, 有識者,ビジネス関係者の交流,相互訪問が欠かせない旨述べ,日本が国際社会で積極的な役割を果たすことへの期待が表明された。〉――

 経済、〈安倍総理から,石油の安定供給への謝意や,石油市場の安定に向けた役割への期待を表明したほか,省エネ専門家派遣等のエネルギー協力進展を歓迎したのに対 し,サルマン皇太子より,石油の安定供給を約束する旨述べた。また,双方は,原子力の平和利用の分野で協力していくことで一致した。

 日本産食品に対する輸入規制に関しては,安倍総理から,緩和・撤廃に向けた進展を期待する旨述べたのに対し,サルマン皇太子より,専門家による議論を行っていきたい旨述べた。

 以上に加え,安倍総理から,インフラ,産業多角化,人材育成及び投資促進分野でも協力を強化したい旨述べた他,日本国民に対するサウジ入国査証の円滑な発給を働きかけた。〉――

 地域情勢及び国際場裡における協力、〈双方は,中東地域情勢,アジア情勢,更には国際社会の諸問題について意見交換を行った。〉

 以上である。

 そして会談後、両首脳は3案件の署名に立ち会っている。

 1.サウジアラビ総合投資院(SAGIA)と中東協力センターJCCME)間での投資促進協力に関する覚書
 2.東レ株式会社とサウジア ラビAbunayyan Holding Company 社(AHC) 間での合弁会社設立契約

 3.日本・サウジアラビネスカウンシル(評議会)の共同声明へ署名

 その後、晩餐会。日本がその発祥を誇るカップラーメンを出したということはあり得ない。

 安倍晋三の挨拶。

 安倍晋三「昨年のサウジ訪問に続き、今晩、殿下をお迎えでき、両国の強固なパートナーシップを実感しております。昨年の訪問時に、殿下に温かい歓待をいただいたことをあらためて感謝申し上げます。

 戦後の外交関係の樹立、日本企業の進出を経て育まれたこの長い友情の絆を我々の手で次世代へと繋いでいきたいと思います。次の100年に向けて両国国民の真の意味での幸福と繁栄を分かち合う新時代を築いていきたいと思います」

 前回訪問で、「幅広い分野での経済面での協力,更には政治・安全保障,文化・人的交流といった多層的な関係」の構築、「若い世代の人材育成の重要性,教育協力,人的交流,知的対話の強化」等を謳い、今回の会談でも、「国際協調主義に基づく積極的平和主義」を基盤とした中東地域を含む国際社会の平和と安定への積極的関与等やその他の協力の呼びかけを謳ってはいるが、協力の内容や署名案件リストを見ると、実質的には経済中心で、「政治・安全保障,文化・人的交流」は従の位置に置かれていることが分かる。

 特に前年サウジ訪問時に掲げた「若い世代の人材育成の重要性,教育協力,人的交流,知的対話の強化」はサウジアラビアが男女同席を厳しく制限している関係から、男性対男性限定、女性対女性限定の偏った取り組みとなって、対人関係の限定性から言って、トータル的には公平な満足のいく内容の知の経験は期待できないことになる。

 サウジアラビアに於いて女性の人権が厳しく制限されている状況を安倍晋三にしても日本の外務省にしても自らの知識・情報としていたはずである。当然、サウジアラビアに対して「若い世代の人材育成の重要性,教育協力,人的交流,知的対話の強化」を謳うなら、サウジアラビア政府に対して先ずは女性の人権制限の緩和の要請から入らなければ、「若い世代の人材育成の重要性,教育協力,人的交流,知的対話の強化」は不完全燃焼の形で終わるお題目の提供となる。

 安倍晋三がサウジアラビア政府に対して女性の人権制限緩和の要請から入らなければならない理由はもう一つ、国内外で「女性の社会参加」を盛んに宣伝していることにある。

 真正な「女性の社会参加」は男女平等を始めとした女性の人権が厳格に保障された社会に於いてこそ実現可能な社会的一般性となり得る。

 日本社会に於いて欧米先進国に比較して女性の社会参加が遅れているのは、日本の歴史的に伝統としてあった、女性を男性の下に置く男尊女卑の風潮を現在も引き継いでいて、真の男女平等が実現できていないことの一つの現われでもあろう。

 安倍晋三が「女性の社会参加」を盛んに掲げる以上、日本の社会がこのように厳密な意味で男女平等が実現できていない状況にあることを前提とした訴えである必要性を欠かすわけにはいかず、その訴えが自身の血となり肉となっている思想であるなら、なおさら、「女性の社会参加」は日本の社会にとどまらずに、男女不平等のサウジアラビアにも求めてもいい男女平等と男女平等を背景とした「女性の社会参加」であり、求めて初めて公平性ある血肉化した自身の思想と言うことができる。

 でなければ、「次の100年に向けて両国国民の真の意味での幸福と繁栄を分かち合う新時代を築いていきたいと思います」にしてもニセモノとなる。

 サウジアラビアに於ける男女不平等な女性の人権制限は親族の同席を除いた男女同席の禁止を始めとして、自動車の運転の禁止、公園や娯楽施設に限定し、なおかつ男性親族らの同伴と全身を覆うアバヤの着用を条件とした自転車運転の最近解禁に見る、依然として残る男女差別、男女共学の禁止、女子生徒の教育に於ける男性教師の禁止・女性教師限定の差別、省庁等の国の行政機関に於ける男性雇用限定や女性雇用でも、女性専用の建物内雇用限定の差別等が存在するという。

 このような差別の状況下で、日本政府はサウジアラビアに対してどのような人材育成、どのような教育協力と人的交流、どのような知的対話の強化ができると言うのだろうか。

 以前、女性下着の販売スペースでは全て男性店員と限定されていて、女性が店に入りにくかったが、最近やっと女性店員が解禁となり、買い求めやすくなったという記事を読んだことがある。

 このこと以上に滑稽なのは、今年2月、大学当局は妨害を否定しているが、女子学生が心臓発作で倒れた際に駆けつけた救急車の隊員が男性であったために、女子生徒との接触を忌避して救急を妨害、女子学生が死亡してしまったという記事である。

 サウジアラビアで男性限定だった諮問評議会議員(=国会議員に相当)が女性にも開放されたのは昨2013年1月のことで、だとしても国民の選挙による選択ではなく、30人が国王によって任命を受けたお仕着せである。

 これは一つの進歩であり、女性の人権制限の開放に向けた一歩ではあるが、西欧民主国家の普遍的価値観からすると、女性の人権の後進性は如何ともし難く残っていることになる。

 だが、昨年のサウジ訪問にしても、今回の訪日サウジ皇太子との会談に於いても、サウジ女性の人権制限の緩和すら求めた節がないことは、国家主義者安倍晋三の「国際協調主義に基づく積極的平和主義」に則ったサウジとの関係強化の謳いは国家主義者らしく、国家の中身たる国民の一方の女性の人権を置き去りにした関係強化の謳いであり、このことは普段口にしている「女性の社会参加」の思想を自身の血肉としていない二重基準のマヤカシ物とする類いの外交となる。

 このことは、所詮、GDP押し上げ、経済回復の道具とするための「女性の社会参加」であり、男尊女卑の痕跡の払拭に立った人権意識からの「女性の社会参加」ではなく、そのことを度外視している以上、「積極的平和主義」にしても、外交上の体裁でしかないことを暴露することになる。

 ニセモノ政治家安倍晋三のニセモノの政治主張の数々といったところか。

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処分場安倍地元山口設置案は海江田地元東京設置の対抗案によって民主党起死回生のアイディア足り得た可能性

2014-02-20 06:09:47 | Weblog


 
 民主党が2月8日から9日まで福島県で党大会を開催、福島復興に関する特別分科会で次のような提言を纏めたという。

 提言「原発輸出や原発再稼働にまい進している安倍総理自らが国家の最高責任者としての姿勢を示し、前面に出る意味においても、安倍総理のお膝元に最終処分場を設置することを求める」(日テレ24News

 ところが、たった数日してその方針を撤回した。2月13日に党内から「稚拙だ」との異論が相次いだために中間提言の見直しを決定したのだそうだ。

 同月13日記者会見。

 大畠章宏幹事長「『福島県外に』という県民の意見は大事だが、『次の内閣』で最終処分場を決める」(MSN産経

 国家主義者の安倍晋三がいくら「原発輸出や原発再稼働にまい進している」からと言って、その理由だけで福島県から除染等で発生した核汚染物質の最終処分場設置を安倍晋三の地元山口県に求めるのは「稚拙」の誹りを受けかねない。

 但し安倍晋三が地元山口県設置に向けて奔走して失敗したなら、民主党代表の海江田万里が東京都は東京電力福島原発が発電する電力の最大消費地であることを理由に地元東京1区(新宿・港・千代田)を超えて東京都内への引き受けを東京都の成人人口約1千万人(=有権者数)に引き受けるよう説得し、設置を実現させるとする対抗案を提示したなら、「稚拙」でも何でもなくなって、真剣勝負の色合いを帯びることになる。

 東京都は最大消費地であったがために引き受ける責任をも有しているはずだ。

 安倍地元山口県設置要請案とそれに対する対抗案を示した時点で、海江田代表は安倍晋三が失敗したならという条件付きで東京都民への引受け説得を開始しなければならない。

 この二段階案で安倍晋三が地元山口県への設置に成功したとしても、海江田万里が対抗案を示していた関係から、さしてダメージを受けることはないだろう。

 もしも国家主義者安倍晋三を以てしても山口県民を納得させることができずに地域エゴの噴出に屈して説得に失敗した場合、その失敗に反して海江田代表が東京都への設置に成功したなら、民主党起死回生の最大チャンスとなるはずだ。

 但し海江田代表も失敗したなら、安倍晋三と相打ち、もしくは共倒れの結果を招くことになる。

 少なくとも安倍晋三の内閣支持率を下げることはできるだろうから、それを花道に海江田万里は都民を説得できなかった責任を取るとして民主党代表を辞任すればいい。

 何よりも一勝負かけることが大事だ。ジリ貧を手をこまねいて眺めているだけでは無策に過ぎるし、ジリ貧以外の成果を生むことはできない。

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安倍晋三が現代の国家主義者である以上、「派遣労働者は増やすべきだと全く考えていない」はマヤカシの証明

2014-02-19 08:16:26 | Weblog



 2月17日午前の衆院予算委で山井和則民主党議員が安倍政権陰謀の労働者派遣法改正について問い質している。

 賃金推移が下降を示しているボードを見せて、アベノミクスで例え賃金が上昇しても、それ以上に物価が上昇していて実質賃金は下がることになることと、非正規雇用が増えていることが全体の賃金を押し下げている状況にあると発言してから、派遣労働者の希望労働形態の割合を示すボードを掲げた。

 正社員として働きたい――60.7%
 今のままの働き方がよい――19.3%
 派遣会社で無期雇用される派遣労働者として働きたい――19.2%

 山井和則「一生派遣のまま働かざるを得ない労働者が増えるのではないのか」

 安倍晋三「現在検討中の労働者派遣法の改正は、労働者派遣事業を全て許可制として、質の向上を図ると共に派遣期間の設定については労使双方にわかりやすい仕組みにして、派遣労働者のキャリアアップを促進することを目指すのもである。

 こうした見直しの中に於いて有期雇用の派遣労働者について同じ職場への派遣は3年を上限として節目節目でキャリアを見つめ直して頂くと共に派遣労働者本人の希望を踏まえて、キャリアコンサルティングや計画的な教育訓練の実施を義務付けることにしている。

 3年の期間が満了した場合、正社員になったり、あるいは別の会社で派遣が続けることができるように派遣会社が雇用の安定化措置を講じることを新たに義務付けている」――

 「キャリアを見つめ直して」、「キャリアコンサルティングや計画的な教育訓練の実施を義務付ける」と言っているが、別の職場に移して、その職場の仕事を学習させるための「キャリアコンサルティングや計画的な教育訓練の実施」といったことで義務を解消可能とすることができる。

 ここで企業にとってのメリットは、仕事の新規巻き直しによってキャリアの新たなスタートと同時に賃金をも新たなスタートとさせることができることであり、派遣労働者側にとってはデメリットとなる措置となる。

 当然、企業は全体としての人件費抑制のために派遣雇用から正社員雇用への切り替えを限りなく抑えることになる。

 山井議員は最後の方で次のような質問をしている。多くのマスコミがその質問に対する安倍答弁を取り上げている個所である。
 
 山井和則「今回の労働者派遣法改正で、派遣労働者を増やすべきだと考えているのか。このバカヤロー(とは、当たり前のことで言わなかった)」  

 安倍晋三「私は増やすべきだと全く考えていない。働く人にとってそれぞれ働き方のニーズがあるわけで、派遣という形態を希望される人もいる。キャリアアップを図っていきたい人にキャリアアップを図ることのできる仕組みを我々は作っていきたいと考えている」

 山井議員は、企業側からしたら派遣を増やす方向に制度を利用するはずで、そうなった場合、「今のままの働き方がよい」の19.3%はいいが、「正社員として働きたい」不本意派遣雇用の60.7%にとっては不利益になって、なおかつ賃金の下降傾向は続くことになるといったことを追及するが、時間切れとなる。

 安倍晋三は国家主義者である。このことを前提として考えると、正規雇用を増やしたいのか非正規雇用を増やしたいのか、たちまち答を見つけることができる。

 現代の国家主義者とは、国の形を優先させ、国民を国の形に従属させる考え方を言う。GDPやGNP等の経済成長率の規模、輸出入の量と金額の規模、外貨準備高の金額規模、貿易黒字額の規模等々、このような国の形を優先させて、中身の国民はこれら国の形を表現する各項目の規模拡大に貢献する素材に過ぎない。

 但し前者の企業の利益拡大を受けた規模拡大は後者の利益となる賃金の規模と否応もなしに反比例する関係にある。だからこその非正規雇用の年々の拡大なのだが、安倍晋三がこの手の現代の国家主義者である以上、アベノミクスによる景気拡大に応じた企業利益の拡大に反して非正規雇用の拡大と、その拡大に応じた賃金の下降傾向は今後共続くことになる。

 2012年12が26日からの安倍政権1年間の国民の側からの成果を見てみる。

 山井議員も先の質疑で取り上げていたが、世論調査のアベノミクスによる景気に対する国民の実感。

 「実感している」21%
 「実感していない」75%

 これも成果としてある一つの実態であろう。

 総務省2月18日発表「労働力調査 結果の要約」

○2013年平均の役員を除く雇用者5201万人のうち、正規の職員・従業員は3294万人と、前年に比べ46万人減少。非正規の職員・従業員は1906万人と、93万人増加

○非正規の職員・従業員について、現職の雇用形態についた主な理由を男女別にみると、男性では「正規の職員・従業員の仕事がないから」の占める割合が最も高く、女性では「家計の補助・学費等を得たいから」の占める割合が最も高い。

○2013年平均の完全失業者265万人のうち、失業期間が1年以上の完全失業者は104万人と、前年に比べ3万人減少

○2013年平均の非労働力人口4500万人のうち、就業希望者は428万人と、前年に比べ11万人増加。就業非希望者は3985万人と、前年に比べ44万人減少。このうち「65歳以上」は59万人増加(以上)

 非正規労働者が増加すればする程、また、非正規労働者の賃金が抑制されればされる程、この傾向と逆比例して、企業活動は活発化して、国の形を構成する各項目は量的規模も金額的規模も拡大傾向を取ることになり、世界の大国と比較して日本という国の形に優秀な見栄えを与え、大国の誉れを受けることができる。

 そして安倍晋三はこのことを自身の政治家としての一大成果とすることを目論んでいる。

 これが安倍晋三が現代の国家主義者として目指す国の形優先・国民従属の一つの実態である。労働派遣法改正で色々と立派な理由づけを行っているが、安倍晋三が国家主義者である以上、「派遣労働者は増やすべきだと全く考えていない」はマヤカシそのもので、非正規雇用の増加傾向と賃金下落傾向はなお一層悪化していく状況で今後共続くことになるはずだ。

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