「正月3日間は休みます。読者数が少ないから、断る程のこともないのですが」
2017年12月22日放送の「NHKクローズアップ現代」をながら見した。「北朝鮮ミサイル開発 急進展の謎」、「銀行が高齢者に金融商品“押し売り!?」、「どうする 行き場のない遺骨」 の3テーマを取り上げていた。
「北朝鮮ミサイル開発 急進展の謎」は北朝鮮ミサイルのエンジンが冷戦時代製造のウクライナ製高性能エンジンRD250に酷似していることが判明、番組はウクライナ国営ロケット製造企業、その他の関係者にインタビュー、北朝鮮人スパイが浮上、ウクライナの技術が盗まれ、北朝鮮に渡ったのではないのかといった筋だてとなっている。
尤もウクライナ側はエンジンそのものはロシア人の設計だから、ロシアから流出したのではないかと推測を立てている。
「銀行が高齢者に金融商品“押し売り!?」は低金利時代で銀行の収益が圧迫されていることから、最大で14%の金利がつく銀行カードローン業務や金融商品知識に疎い高齢者相手に銀行という名の信用を元手に複雑な仕組みの外貨建て保険や投資信託勧誘の業務に力を入れ始めていて、銀行はその手数料を利益とするのだが、前者は返済能力を超えて貸し付ける“過剰融資”や多重債務、自己破産が続出していて、後者は為替レートなどによっては元本割れするリスクを知らないまま何百万円という金融商品を買い入れていると説明している。
「どうする 行き場のない遺骨」は家族の中で死者が出た場合、葬式をして、その遺骨を建てた墓に収める従来の方法から海への散骨、墓代わりに樹木を植えて、その根本に遺骨を葬るといった弔いの変化、あるいは遺族が葬式費用の高止まり、墓地費用の高止まりで墓を建てたり葬式を出す費用がなくて自宅の部屋に骨箱のまま遺骨を保存している家庭や無縁墓地に葬る家庭が増えている状況、遺骨を預かる方もその数が多くなって場所がなくなっていく状況や遺骨だけを一定程度の金額で預かる施設などを紹介していた。
その一方で台湾の台北市では土地が狭く、現在以上に墓地をつくる余地が無いということで合同という形で無料の葬儀と台北市自前の墓地に1年程度で土に還る無料の自然葬を行っていることを紹介している。
ゲストとして芸能人や軍事アナリストが出演していたが、番組の最後で芸能人ゲストに一言ずつコメントを求めた。その中でタレントの壇蜜が「当たり前の世界が変化して、新しい価値観が生まれる過渡期なんだと思う」といった発言に奇異を感じた。
但し奇異の正体は分からなかった。2、3日して「NHKクローズアップ現代」のサイトにアクセス、記事をダウンロートして正確な発言を確かめ、奇異の正体を突き止めることにした。
壇蜜「平和で当たり前、銀行が信用できて当たり前、お墓があって当たり前っていう世界がどんどん変わってきていて、新しい価値観が生まれる今、過渡期なんだと思うんですね。来年、再来年、毎日日々変わっていくことを、ちゃんと遅れないようにキャッチしていけたらいいなと思います」――
現在変化している前の世界が「平和」、「銀行の信用」、「墓があること」を「当たり前」の状況とする価値観を前提とした発言となっている。
「平和」も「銀行の信用」も「墓があること」も、以前から「当たり前の世界」だったろうか。国内的にも世界的にも大多数の人間にとっては「当たり前」という価値観に守られた世界で生活しているのだろうが、守られることのない世界に住む羽目に立たされた人間も多くいるはずで、「当たり前」は全ての人間にとっての価値観ではないはずだ。
「平和」については、それを戦争や紛争のない状態を言う場合、日本は現在のところ「平和で当たり前」の世界と言うことになるが、人間関係を含めた生活上の心配事や揉め事がない意味を指す場合は生活苦や夫からの暴力を逃れて夫に見つからないように息を潜めて生活する女性、その他は「平和」は「当たり前」の世界であることから縁遠い。
戦争や紛争のある国の住人から見た場合は「平和」は「当たり前」の世界とは逆の価値観を持つことになる。戦争や国内紛争で普通の一般的な生活を送っていた市民が難民生活を強いられることになったとき、当たり前の世界から当たり前でない世界へと放り出されて、その変化を受け入れざるを得なくなる。
だが、難民生活が何年も続くと、難民生活が当たり前の世界となってしまうケースもあれば、何年経っても難民生活を当たり前の世界として受け入れることができずにその苦痛から精神を病んで自殺してしまうといったケースもあるはずである。
「銀行の信用」も常に「当たり前」を保証するわけではない。1980年代以降からバブル崩壊にかけて大企業の銀行融資離れが広がると、各主要銀行は自らが出資して設立した個人向け住宅ローン会社の顧客を銀行から送り込んだ役員を通して手に入れた顧客リストからピックアップするなどの手を使ってより低金利の融資で奪い、自らの利益を獲得する一方、不良債権化する恐れのある客を出資先の住宅ローン会社に紹介したり、銀行自身が住宅ローン会社に対して優越的地位にあることを悪用、暴力団絡みや不良債権化している融資の肩代わり、焦げ付いた融資を引き受けさせるなどしたという。
そしてバブルが崩壊し地価が下がると、ただでさえ不良債権まみれとなっていた各住宅ローン会社は莫大な損失を抱えることとになり、国は金融システムの破綻回避を目的に農林系の出資会社を除く住宅ローン会社7社を倒産・消滅させている。
会社経営が順調なときは銀行の方から会社を大きくすべきだといった口実で融資を申し出、経営がおかしくなると、その立て直しのために融資を頼んでも断るだけではなく、銀行の利益だけを考えてそれまでの融資の回収に走り、会社の経営をなお一層窮地に追い込むといったケースはよくテレビドラマに取り上げられる。
テレビドラマでは何人の経営者が首吊り自殺を図っているだろうか。
2014年以降、全国の企業倒産件数は1万件を割っているが、それ以前は1万件を超えている。手の平を返すように銀行から融資を受けることができずに倒産したケースも数多くあるはずだ。
「墓があること」も、以前から「当たり前の世界」であったわけではない。いつの世にも貧乏人が存在するのに応じて自身の墓を持たない上に引き取り手のない死者もいつの世にも存在し、そのような死者については自治体が簡単な葬式を出して遺骨を自前の共同墓地に収めるといったことはよくあることだった。
「当たり前」という価値観は常に個別性を抱えている。「当たり前」を「当たり前」としない、あるいはしたくてもすることができない、あるいは肯定的な意味の「当たり前」に恵まれない人間はいくらでも存在する。
壇蜜はこの個別性を無視して、誰もが「当たり前」を前提としていたかのような従来の世界の価値観の変化を論じた。現在が「新しい価値観が生まれる過渡期」であったとしても、個別性はなくならない。
壇蜜がどのくらい「来年、再来年、毎日日々変わっていくことを、ちゃんと遅れないようにキャッチ」したとしても、個別性を考慮しないザックリとした価値観しかキャッチできないだろう。
「当たり前」を「当たり前」とすることができない人間、「当たり前」とは逆の負の価値観を「当たり前」とせざるを得ない境遇に閉じ込められて、そこから抜け出すことができない人間、会社や家族や社会といった集団から取り残された、あるいは見捨てられた人間等々が主として負の個別性に囚われの身となる。
壇蜜の後に続いたコメント。
デーブ・スペクター「今の完璧でしたね。この3人いらないですね」
泉ピン子「何言ってるのよ。違う、若いから先のこと語れるの!明日がない、来年のことしかないのよ、私は。何を言っているの。若いから淡々と言えるの。これからは感謝をして生きていきたいと。感謝なんかどうでもいい。自分が元気ならいい」
山里亮太(番組の無いように対する一言ではなく、泉ピン子発言に対して「切実ですね」
壇蜜の個別性の無視は泉ピン子と同じく、番組の紹介に応じて社会全体を見る感想ではなく、自分自身の立場からのみ見た個人主義の視点からの感想ということなのかもしれない。
実は壇蜜のファンである。鼻にほんの少しかかった、間延びしたような声にセクシーさを感じる一人である。