安倍晋三の国民を騙す憲法解釈変更を方法論とした集団的自衛権行使容認による「国民の生命・平和を守る」

2014-06-12 07:59:34 | 政治

 


       生活の党PR

       《6月9日(月)小沢一郎生活の党代表定例記者会見要旨》

       『政府の集団的自衛権15事例、国民がノーと言えない形に作文している』

       【質疑要旨】
       ・野党再編の動きと民主党について
       ・原子力規制委員会人事について
       ・日本維新の会分党と集団的自衛権について
       ・政府の法人税率引き下げ方針について
       ・民主党の在り方に関する小沢代表の考えについて          

 6月11日(2014年)午後3時から衆議院国家基本政策委員会合同審査会で党首討論が行われた。安倍晋三は大いなる勘違いをしている。この勘違いは結果として国民を騙す議論となっている。

 昨日のブログで、安倍晋三は憲法が規定する国家と国民との関係を無視して国民の意思を問わずに憲法解釈変更のみを以って集団的自衛権行使を謀るのは立憲主義に反した国家の恣意的権力行使に当たるゆえに、どのような手続き経た集団的自衛権行使とするかは国民自身の意思表示に基づいた国家との契約とすべきだと書いた。

 このような国民の意思無視も頭の程度に則した大いなる勘違いの一つと言えるが、別の側面から、海江田民主党代表との党首討論で感じた、結果的に国民を騙している勘違いを取り上げてみたいと思う。

 海江田代表は安倍晋三の憲法解釈変更を手続きとした集団的自衛権行使容認には反対の姿勢で議論を挑んだ。

 だとしたら、手続きの是非に的を絞って端的に追及すべきを、反対している憲法解釈変更に基づいた集団的自衛権行使事例を取り上げて批判を加えるといった矛盾と議論のムダを曝け出していた。政府・与党内で出ている行使事例15項目はまだ国会にお示しになっていないとか、民主党で取り寄せて検証している、個別自衛権や警察権の行使によって対応可能な事例もある、現実に起こる可能性が低い事例もある、それぞれ精査している、あるいは小泉元首相は憲法改正をしなければいけなんだとおっしゃっていたんじゃないですか等々、散々遠回りをしてから、「憲法改正の発議をすべきではないのか」と、絞るべき的に戻ったものの、遠回りのせいで、いずれが是非なのかの追及は逆に的を絞ることができない曖昧な内容で終わった。

 海江田代表「なぜ総理が憲法改正の手続きを取る必要がない、憲法改正は必要はない、閣議だけの変更でいいとお考えななのか、その点のお考えを先ずお聞かせください」――

 しかし安倍晋三は海江田代表の最後の問いかけにまともに答弁しなかった。

 海江田代表「やっぱり、安倍総理は私が危惧していました、私からの質問に真正面から答えずに、必要のないことを時間を使って、ダラダラとお答えになった」――

 安倍晋三のいつもの手である。常套手段と言ってもいい。海江田代表自身が気づいていながら、それを許したのは手続きの是非の追及が余分な遠回りに言葉を費やして、自分から曖昧にしてしまったからだろう。

 安倍晋三は「国民の生命と財産を守る」、あるいは「国民の生命と平和を守る」を楯に憲法解釈変更を手続きとした集団的自衛権行使容認を正当化している。今回の党首討論でも、このフレーズを使うことになったのはごく当然なことであろう。

 安倍晋三「私達は国民の命と、そして国民の平和を守っていく、大きな責任を担っています。

 その上で例示として挙げました近隣諸国で、もし紛争が起こって、そこから逃れようとする邦人を輸送する米国の船が襲われたときに、その船を守れなくていいのか。自衛隊はその能力を持っているのに、守れなくていいのか。

 そしてこのことについては、既に法制局長官が答弁をしておりますが、現在の憲法解釈上ではできない、こう答弁をされているわけであります。果たしてこの事態にどう対応すべきka、海江田さんはどう思っておられるのか、後程お伺いしたいと思うわけであります。

 私達は常にその責任を持っている。そして近年、アジア太平洋の状況は極めて、安全保障上の状況は厳しさを増しています」――

 国家権力が「国民の命と、そして国民の平和を守っていく、大きな責任を担って」いることと、集団的自衛権行使容認の方法論と関連があるわけではない。集団的自衛権行使が認められていない現在に於いても、 国家権力は「国民の命と、そして国民の平和を守っていく、大きな責任を担って」いるし、認められていなかったからといって、その点についての過失が生じたわけでもない。

 だが、安倍晋三は頭がいいから、国民の生命・財産に対する、あるいは国民の生命・平和に対する責任と集団的自衛権行使容認の方法論としたい憲法解釈変更と密接に関連しているかのように偽っている。

 いわば、憲法解釈変更を手続きとした集団的自衛権行使容認でなければ、国民の生命・財産や国民の生命・平和を守る責任を果たせないかのような手前勝手な議論を平気で展開している。

 頭の程度に即した大いなる勘違いでしかない。
 
 どのような手続き・方法論とすべきかは国民自身が決める問題であるはずだ。

 憲法解釈変更を方法論とした集団的自衛権行使容認を安全保障の手段として、「国民の生命・財産」、あるいは「国民の生命・平和」を守って欲しいと願っているのか、あるいは憲法改正を手続きとして願っているのか、あるいは現憲法を守って、個別的自衛権で対応すれがいいと願っているのか、国民の意思を問うことが先決であるはずである。

 最後に改めて言うが、国民の生命・財産に対する、あるいは国民の生命・平和に対する国家の責任は集団的自衛権行使容認に向けた方法論・手続きを憲法解釈変更としなければ守れないかのように双方を関連付ける安倍晋三の議論は国民を騙す頭の程度の低い、愚かしい勘違いに過ぎない。

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