安倍政権の愚かしい態度が韓国を中国に追いやっている姿を「日韓通貨交換(スワップ)協定」対応から見る

2013-06-30 07:51:13 | 政治

 130億ドルの内、7月3日期限の30億ドル規模分の「日韓通貨交換(スワップ)協定」の延長が見送られることとなった。

 「通貨交換(スワップ)協定」とは協定国間でいずれかの国が外貨不足や通貨危機等に陥った際に予め定めたレートで相手国の通貨と自国の通貨もしくは国際通貨などを協定国中央銀行間で締結して融通し合う双方向の補助制度で、日本と韓国が金融市場の混乱などに備えて円とウォンを融通し合うことを目的とした「日韓通貨交換(スワップ)協定」の場合、日本がそういった状況に陥る可能性は低いことから、主としてそうなった場合の韓国救済を目的とした制度ではあるが、韓国が経済的危機に陥った場合の日本への悪影響を考えた相互利益確保(=ギブアンドテイク)の側面を持つという。

 問題は日本が後者の相互補完の対等な心理で臨むことができていたか、それとも前者の経済的により優越的な立場にある日本政府(=安倍内閣)が韓国を救済してやるという上下関係の心理で「日韓通貨交換(スワップ)協定」を把握していたかである。

 だが、今回の韓国側の見送りとなった経緯を見て取ると、明らかに後者であって、頭を下げてお願いするのは韓国であり、日本ではないという優越的な心理を日本側が刷り込んでいたことが露わとなった日本側の対応となっている。

 但し日本側がその心理を露わにしたのには伏線がある。

 先ず第一番の伏線は2012年8月10日の当時の李明博(イ・ミョンバク)韓国大統領の、日本が領有権を主張している竹島訪問である。

 日本の反発に対して李明博大統領は韓国が日本の植民地支配から独立した8月15日の記念日の前日に忠清北道(チュンチョンブクト)の大学で、「(天皇が)韓国を訪問したいならば、独立運動をして亡くなられた方々のもとを訪ね、心から謝罪すればいい。何カ月も悩んで『痛惜の念』などという言葉一つを見つけて来るくらいなら、来る必要はない」と発言したことが日本の神経を逆撫でした。

 私自身は言っていることは真っ当ではあっても、「天皇のお言葉」は内閣がスピーチライターとなって作成するお言葉であるから、天皇の心からの「謝罪」を求めようとしてもないものねだりに過ぎないと思っているが、日本は竹島訪問の反発の上に反発を積み重ねた。

 勿論、日本側の李明博竹島訪問に対する反発は竹島を自国領土と主張する韓国側の反発を誘発した。

 この反発対反発によって日韓関係は冷却することになった。

 日本側は韓国との関係修復を2013年2月25日就任の朴槿恵(パク・クネ)韓国新大統領に期待した。

 だが、韓国側は2012年12月26日に新首相となった安倍晋三が3カ月遡る2012年9月16日の自民党総裁選挙討論会で河野談話が認めている従軍慰安婦の官憲による強制連行の事実は日本が背負った孫の代までの不名誉であり、しかも河野談話は閣議決定されたものではなく、第1次安倍内閣時に辻元清美議員の質問主意書に対して河野談話の強制連行の事実を否定した2007年3月16日の答弁書が閣議決定されたものであるという事実を持ち出して強制連行は存在しなかったこととして決定したことだとした安倍晋三の歴史認識、その他の元々からの歴史認識(一例を上げると、「A級戦犯は国内法的には犯罪人ではない」といった歴史認識)に韓国側が危惧し、関係修復がなかなか進まなかった。

 こういった韓国側の危惧が3月6日(2013年)の安倍晋三と朴槿恵(パク・クネ)大統領との電話会談での朴槿恵大統領の発言へと繋がったはずだ。

 安倍晋三は自身の歴史認識には触れずに「21世紀にふさわしい未来志向の関係構築」を求めた。

 対して朴槿恵大統領は「未来志向の協力関係構築には歴史認識が重要だ」と釘を差した。

 朴槿恵大統領は2月25日(2013年)の大統領就任式に出席した麻生太郎との会談でも、歴史の直視を訴えている。

 だが、安倍晋三・朴槿恵電話会談から約1カ月半後の4月20日、新藤総務相が靖国神社を参拝、古屋国家公安委員長が春の例大祭初日の4月21日に参拝、麻生副総理兼財務相が21日夜、高市自民党政務調査会長が例大祭最終日にそれぞれ参拝している。

 安倍晋三自身は総理大臣の肩書きで真榊を奉納。
 
 中国外務省「どんな方式、どんな身分であれ、靖国神社を参拝したことは、本質的に軍国主義や侵略の歴史を否定しようとするものだ」(MSN産経

 韓国「安倍内閣の歴史認識は疑わしく、深く遺憾に思う。日本の政治指導者の時代錯誤的な認識は残念でならない」(同MSN産経

 韓国は4月末頃に検討していたユン・ビョンセ外相の日本訪問を取りやめたことを明らかにした。対する菅官房長官の発言。

 菅官房長官「それぞれの国にはそれぞれの立場があり、そうしたことの影響を外交に及ぼすべきではない」(NHK NEWS WEB

 〈だとしたら、北朝鮮の核実験も、北朝鮮側からしたら、「それぞれの国にはそれぞれの立場があり、そうしたことの影響を外交に及ぼすべきではない」と発言することも許されることになる。〉とブログに書いた。

 安倍内閣閣僚や党役員の靖国参拝、安倍晋三の真榊奉納に引き続いて電話会談から約1カ月半後の4月23日(2013年)の参院予算委で安倍晋三は、「侵略という定義は国際的にも定まっていない」と日本の戦争の侵略性を否定する歴史認識を披露。

 この発言に当然のことながら、韓国側が反発することとなった。

 5月7日、8日、アメリカを訪問した朴槿恵大統領は7日の米韓首脳会談で、「日本が正しい歴史認識を持たなければならない」とオバマ大統領に発言したとされる。

 そして5月8日の米議会の上下両院合同会議で演説。

 朴槿恵大統領「北東アジアでは国家間の経済依存が高まる一方で、歴史問題に端を発した対立が一層深刻になっている。歴史に正しい認識を持てなければ明日はない」(MSN産経

 朴韓国大統領の米国への直訴とも言うべき日本の歴史認識批判発言に日本政府は不快感を示した。

 日本側は5月13日午前の橋下徹の慰安婦発言。この発言にも韓国側は反発。

 こういった日韓双方からの反発に対する反発という相互的な悪循環の伏線があった。

 《日韓スワップ協定「延長要請あれば大局的観点で検討」菅長官》MSN産経/2013.6.10 13:31)

 6月10日午前の記者会見で7月に期限を迎える「日韓通貨交換(スワップ)協定」に関して。

 菅義偉官房長官(韓国政府から延長要請があった場合の対応について)「隣国であり、大局的観点に立って検討していきたい。今後、韓国との間で検討していく。

 (韓国側からの延長打診は)現時点に於いてあったとは聞いていない」――

 協定を結んでいる以上、協定に添って韓国政府の要請があれば、いつでも応じるという事務的態度で済ませるべきところを済ませずに、必要でもない「大局的観点」まで持ち出して、それを要件とすること自体が既に日本側の優越性を滲ませている。

 制度の相互補完性から言ったなら、「隣国」云々は関係しないはずだが、「隣国であり」と言っているところにも日本を上に立たせて恩を着せる意識が現れていて、韓国には色々な問題があるが、それはさて措いて、大所高所に立って要請があればという条件付きで対処しようと、韓国を下に置き、日本を上に置いた優越性を持たせた発言となっている。

 要するに制度が持つ相互補完性の観点のみに立って、日韓双方が対等な関係で事務的に取り扱うのではなく、他の事柄も含めて日韓全体の問題から総合的に判断するという高みに自らを置いている。

 このことは断るまでもなく、救済する側に日本を置き、救済される側に韓国を置いていることから起きる。日本を上に置き、韓国を下に置いて、上下関係で見ている。

 この上下関係性は韓国側からの延長打診を待っている姿勢に如実に現れている。頭を下げてくるのは韓国であって、日本ではないと。

 韓国側に頭を下げさせることによって、日本をより上に立たせることができる。その上下関係性を利用して、韓国側の歴史認識に関わる発言を抑えようとする意識を働かせていたはずで、それが「大局的観点に立って」ということであるはずだ。
 
 だが、上記菅官房長官の記者会見から10日経っても、韓国側からの延長打診はなかった。《日韓「通貨スワップ」 打ち切りも》NHK NEWS WEB/2013年6月21日 21時0分)

 6月21日午後の記者会見。

 菅官房長官「期限を迎えるまでの間に、必要があれば延長するが、韓国側であまり必要がないということであれば、日本として判断する」

 記者「日本側から積極的に延長する必要はないということか」

 菅官房長官「日本側はそう思っている」

 韓国側から延長要請があったなら、「大局的観点に立って検討していきたい」と日本を高みに置いて言っていたのが、「韓国側であまり必要がないということであれば、日本として判断する」と、日本をやはり高みに置いてはいるものの、韓国側の要請という期待していた切り札に期待不可能性を置かざるを得なくなってきた分、発言が全体的にトーンダウンしている。

 だとしても、日本側には延長の必要性はないとする前提に自らを立たしめて、延長要請はあくまでも韓国側だとする、両国を上下関係に置いた姿勢に変りはない。

 日本側に延長の必要性はなくても、ギブアンドテイクの相互補完性からしたら、「7月3日で期限が切れますが、どうですか」と一言声をかけてもよさそうだが、そうすることが、例え歴史認識で両国間に軋轢が生じていたとしても、国家と国家の関係に於いては日本と韓国を心理的には相互に対等な関係に置くことになるのだが、韓国をそういった関係性で把えるという認識すらない。

 韓国政府から何も言ってこないままに打ち切られることになった。《日韓通貨スワップの一部延長見送り、期限きたため=麻生財務相》ロイター/2013年 06月 25日 11:49)

 記事は、〈日本の財務省と韓国銀行(中央銀行)は24日、7月3日に期限を迎える30億ドル規模の通貨スワップ協定を延長しないことで合意したと発表。見送り後の枠組みは総額100億ドルへ減額された。〉と解説している。

 6月25日午前の閣議後記者会見。

 麻生財務相「(延長見送り決定に関して)期限がきたから。向こうから要請もなかった。

 韓国から何回か、これまでスワップの要請があり、要請に応じて応えてきた。今回は要請がなかったから。それだけ」

 韓国政府に要請の必要性がなかったとしても、そのことの一言の連絡があって然るべきだが、連絡すらしなかった。韓国側からしたら、日本との間の歴史認識の違いは連絡そのものには関係しないはずだから、「日韓通貨交換(スワップ)協定」に関した日本政府(=安倍内閣)の韓国を下に置き、日本を上に置いた優越的態度と、韓国側の要請を利用して、協定とは関係しない事柄への何らかの制約を意図した態度に対する反発が直接的に影響した、韓国政府の日本政府そのものへの反応と見るべきだろう。

 韓国の歴代大統領は就任後最初にアメリカを訪問し、次に日本訪問を慣例としているそうだが、朴槿恵大統領は就任後、5月7日に訪米、オバマ米大統領と首脳会談を行なっているが、6月27日、二度目の訪問国として中国を選んで習近平国家主席と首脳会談を持ち、米国の次に日本訪問の慣例を初めて破ったそうだが、このことも歴史認識の問題のみならず、「日韓通貨交換(スワップ)協定」の延長問題に見せた日本政府の高みに立った何様な態度も影響している韓国の中国への傾斜でもあるはずだ。

 韓国は現在、中国と580億ドル相当のウォン・人民元スワップを締結しているという。今回見送る前の約130億ドル相当の「日韓通貨交換(スワップ)協定」はあればあったで安心感を与えるだろうが、韓国を日本の下に立たせてまで、いわば国家としてのプライドを失わせてまで延長を要請する程の重要性は、中国との協定が担保となって、相対化していたことになる。

 このことを認識せずに日本は「日韓通貨交換(スワップ)協定」を利用して韓国に対して優越的態度を取っていた。

 安倍政権の愚かしい態度が韓国を中国に追いやっている。

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安倍内閣は拉致問題で拉致現場視察といったゴマ化しはもうそろそろやめた方がいい

2013-06-29 08:07:08 | 政治

 ――古屋拉致担当相は拉致解決に打つ手がないから、30年前の何が見つかるわけでもない現場を視察する。古屋拉致担当相が打つ手がないということは安倍晋三の打つ手がないことの反映でしかない。

 結論から言うと、打つべき手とは北朝鮮を拉致議論のテーブルに如何に着かせるかということであって、現場視察などではない。現場視察を100万遍繰返せば、北朝鮮を拉致議論のテーブルに着かせるおマジナイになると言うなら、200満遍も300万遍も繰返せばいい。30年も前の拉致現場を視察しているようでは、安倍晋三その他が言っている「拉致は安倍内閣で解決する」は心もとない限りの決意にしか見えてこない――


 《担当相、拉致事件現場を視察 「実行犯引き渡し求める」》47NEWS/2013/06/23 11:59 【共同通信】)

 古屋圭司拉致問題担当相が6月23日(2013年)、1977年に東京都三鷹市役所の警備員久米裕さん=失踪当時(52)=が北朝鮮の工作員により拉致されたとみられる石川県能登町宇出津の海岸を視察し、桐原弘毅石川県警本部長から当時からある橋がオレンジ色のまま変わっていないことなどの説明を受けたという。

 そう、当時からある橋の変わらぬ色のままのオレンジ色を見ることはできるが、拉致実行者が拉致被害者を拉致していく影でも見えたとでも言うのだろうか。

 例え見えとしても、北朝鮮当局を拉致議論のテーブルに引きずり出す有力な物証となり得ると言うのだろうか。

 古屋「(拉致現場には)必ず目印や特徴的な地形がある。現場を見ることが大切だと実感した。

 政治を安定させて強い政府をつくることが拉致問題の解決につながる。この件に限らず、(北朝鮮に)実行犯の引き渡しを引き続き求めていく」――

 それぞれの拉致被害者のそれぞれの拉致現場に共通する目印や共通する特徴的な地形を発見しようと、それが拉致解決進展のどのような有力な契機手となり得ると言うのだろうか。

 「実行犯の引き渡しを引き続き求めていく」にしても、安倍晋三が言っていることのごくごく素直ではあるが、バカの一つ覚えのオウム返しに過ぎない。

 と言うのも、安倍晋三同様、古屋拉致相も実行犯の引き渡しを求めるようでは拉致は解決しないことに今以て気づいていないからだ。

 安倍晋三も古谷も実行犯の親玉が金正日であることを情報としているはずだ。であるにも関わらず、実行犯の引き渡しを求める。父子権力継承者の金正恩が権力継承の正統性を置いている金正日の正義を崩すわけにはいかないことには気づかない。

 引き渡した場合の実行犯から拉致命令者の金正日に繋がる情報が洩れない保証がない以上、引き渡すわけにはいかないことに気づかない。

 因果を含めてニセモノを引き渡した場合にしても、ニセモノがニセモノであることを暴露して、北朝鮮に戻ると殺されるから、韓国への亡命を求める可能性の出来も否定できない以上、北朝鮮はニセモノを引き渡すわけにも行かない。

 古屋拉致問題担当相は3月30日(2013年)にも上記久米裕さんと同じ1977年に拉致された松本京子さん=失踪当時(29)=の現場とみられる米子市立和田小学校周辺を視察している。

 古屋拉致問題担当相「必ず祖国に戻すという気持を鼓舞するため現場に来た」――

 このことは2013年4月5日アップロードの当ブログ記事――《安倍晋三の「拉致はこの内閣で解決」は拉致解決の実態に反映しない踊る言葉と化している - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》にも書いているが、「必ず祖国に戻すという気持」は北朝鮮当局を拉致議論のテーブルに如何に着かせるかの創造性の発揮にこそ使うべきだろう。

 拉致現場視察によって「祖国に戻すという気持を鼓舞」できたとしても、北朝鮮当局を拉致議論のテーブルに着かせることにどれ程に役に立ったと言うのだろうか。

 今以て拉致議論のテーブルに正式な形で着かせることができていない。結果的に打つ手がないからこそ、拉致解決に取り組んでいるという姿勢を見せるためのアリバイ作りとなっている。

 あるいは最初から意図的にそういった姿勢を見せるたに行なっているアリバイ作りに思えないわけではない。

 安倍晋三にしても古谷拉致担当相にしても、もうそろそろゴマ化しはやめた方がいい。

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安倍晋三の設備投資減税がアベノミクスつまずきの予兆となり得る可能性

2013-06-28 06:35:56 | Weblog

 〈安倍晋三は2013年6月5日昼、東京都内のホテル開催の内外情勢調査会全国懇談会で「成長戦略第3弾」を発表したものの、成長戦略の柱とした各政策の公表が「新鮮味に欠ける」とか、「想定の範囲内」、「踏み込みが欠ける」とかの理由で株の失望売りにつながり、6月5日の東京株式市場での日経平均株価が大きく値下がりした。

 そして安倍晋三はたった4日後の6月9日日曜日の「日曜討論」で、「成長戦略第3弾」では一言も触れていない「思い切った投資減税」を打ち出した。〉――

 以上は2013年6月12日の当ブログ記事――《新たに打ち出した設備投資減税は参院選に勝てばいいのなり振り構わないバラマキ政策 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に書いた冒頭部分である。

 安倍晋三が設備投資減税を言い出すと、茂木経産相も言い出し、麻生太郎も言い出し、甘利経済再生担当も言い出し、設備投資減税の一大合唱となった。

 麻生太郎と甘利は6月21日の閣議後記者会見でも言っている。《麻生副総理 法人税より投資減税を》NHK NEWS WEB/2013年6月21日 11時36分)

 自民党は6月20日に発表した参院選公約に韓国等と比較して高い水準の法人税について「大胆な引き下げを実行する」としたことに対してである。

 麻生太郎「法人税による税収のうち、国際競争を強いられている製造業が占める割合は25%程度に過ぎない。むしろ、国内で設備投資を行った企業に対し、即時償却などの税の優遇を考える方が企業にとってはありがたい」

 甘利明「ことし秋には企業の設備投資を後押しするような対応を行うが、法人税全体の引き下げは将来の課題として捉えるべきだ」――

 二人とも、経済再生には法人税減税よりも設備投資減税が最善策だと太鼓判を押している。

 自民党幹事長の石破茂も葛飾区での街頭演説で設備投資減税の花火を打ち上げている。多分、例の如くに尤もらしげなゆっくりとした口調だったのだろう。

 石破茂「企業がお互いに足を引っ張り、安売り合戦、値引き合戦。下請けをいじめて、労働者の賃金を下げて、何かいいことがあるのか。企業が金を使わなければ経済は強くならない。設備を新しく、工場を新しくしていく設備投資がもっとできる税制に改める。あれをやってはいかんこれはやってはいかん。そんな規制ばかりやって日本が元気になるはずがない」(asahi.com

 「企業がお互いに足を引っ張り、安売り合戦、値引き合戦。下請けをいじめて、労働者の賃金を下げて」といった状況は前の自民党政権時代につくり出し、それ以後続いてきた伝統である。

 麻生太郎はこの設備投資減税として6月18日の閣議後記者会見で、「一括償却とか即時償却とか、いろいろ表現はあるが、1つの手段として考えられる」(NHK NEWS WEB別記事)と発言している。

 「一括償却」とは、他の記事を参考にすると、通常は5年以上かけて税務上の費用(損金)として算入する減価償却費を投資した年度に一括計上できる仕組みだそうだ。いわば1年以内に工場の建設を含めた設備に投資したカネが戻ってくる形の減税を行うことによって設備投資の拡大を図るということだろうと思う。

 素人考えかもしれないが、設備投資は実体経済についてまわるものだと思っているから、実体経済が動かなければ、設備投資に飛びつく企業が出てくるのだろうかと疑いたくなるが、別の理由で設備投資の拡大に疑義を呈する識者が存在する。

 《コラム:設備投資拡大にこだわるアベノミクスの勘違い=村田雅志氏》ロイター/2013年 06月 13日 14:53)
  
 簡単に説明すると、日銀短観の「設備過剰判断DI」(DI=diffusion index=景気動向指標)を例に取って、企業は現在設備過剰の状態にあるから、政府がいくら尻を叩いても設備投資には走らない、〈仮に設備投資ニーズがあれば、企業は政府による減税などなくても自主的に設備投資を拡大しているはずだ。〉と解説している。

 企業が設備過剰判断をするのは実体経済が冷え込んでいるからであり、モノが売れるという実体経済が動く状況となれば、企業自身が必要に迫られて設備投資の方向に向くということなのだろう。

 パン屋を始める場合は自身が考えるパン製造の最小限の初期的な設備投資は欠かすことはできないが、それ以上の設備投資はパンが売れて初めて可能となる。パンが売れなければ初期的な設備投資もムダとなりかねない。

 そこで日銀短観の「設備過剰判断DI」をインターネットで調べてみた。

 《日銀短観(要旨)》日本銀行調査統計局/2013年4月1日) 

[生産・営業用設備判断DI(製造業)](「過剰」-「不足」・ポイント)

    2012/12月 2013/3月   12→3月  2013/6月まで  3→6月
                    変化幅     (予測)     変化幅
  
大企業     14       13       - 1       11      - 2

中堅企業  15       15        0       14       - 1

中小企業  15      15       0       11     - 4

全規模合計 14      14        0        12     - 2

 大企業は2013年3月時点で設備の過剰感が13ポイント、2013年6月予測でなお11ポイントの過剰感があり、3月から6月までの変化幅は2ポイント減のみである。

 2013年6月予測で中堅企業が最悪の14ポイントの過剰感、中小企業が大企業と等しい11ポイントの過剰感となっている。

 「業況判断DI」は大企業製造業の場合、2013年3月時点で - 8ポイントで、2012年の-12ポイントから4ポイント改善しているものの、2013年6月予測でなお-1ポイントとなっている状況下での大企業製造業の11ポイントの設備過剰感である。

 実体経済が激しく上向きに動いて設備に不足感が出て来なければ、設備投資に走るとは思えない。いわばあくまでも順序は実体経済が先で、設備投資はその後だということではないだろうか。

 だが、安倍晋三を筆頭に設備投資減税に一大合唱となっている。これまでに3回に分けて発表してきた「成長戦略」の評判が芳しくなく、アベノミクスの評判が参院選まで萎んでしまうことを避けるためになりふり構わずに打ち出した設備投資減税の一大合唱としかどうしても思えない

 参考までに7月1日の日銀短観発表前に民間の経済研究所10社が行った「製造業景気判断」を伝えている記事がある。《日銀短観 大企業製造業は大幅改善か》NHK NEWS WEB/2013年6月25日 9時33分)

 「景気が良いと答えた企業の割合」-「景気が悪いと答えた企業の割合」

 「大企業・製造業」
 最も低い予測―― -4ポイント(4社の予測)
 最も高い予測―― +5ポイント(6社の予測)

 日銀の3月発表の3月の「業況判断DI」は-8ポイントだから、「最も低い予測」で+4ポイントの改善、と言っても、マイナスであることに変りはない。

 「最も高い予測」で+13ポイントの大幅改善を示すことになって、改善に向かってはいるが、たったの5ポイントの上昇という見方をすることもできる。

 改善の理由を記事は、〈円安やアメリカを中心とした海外経済の回復で、「自動車」や「電気機械」など幅広い業種で業績が上向いているためです。〉と書いている。

 要するに外需型企業を中心とした改善ということになる。

 何よりも円安が力になっているのだろうが、全体的に改善に向かっているものの、設備投資に関して言うと、企業全体で見た場合、日銀短観の製造業の「過剰」から「不足」を引いた「生産・営業用設備判断DI」の6月予測、大企業の11ポイントの過剰感、中小企業の14ポイントの過剰感を補って、安倍内閣の設備投資減税に乗って設備投資に走る状況にはないように思える。

 上記ロイター記事の村田雅志氏は過剰状態にある設備への投資減税よりも企業の内部留保を家計部門に移転、いわば給与として吐き出して家計部門の可処分所得を増やし、消費に向かわせることを提案しているが、既に承知しているように安倍晋三等の給与引き上げ要請に対して企業は用心してボーナス等の一時金でゴマ化している。

 やはり上記ブログに書いたように、安倍晋三は「成長戦略第3弾」発表の評価が良くなかったから、参院選用にその場の思いつきで打ち出した投資減税にしか思えない。モノが売れる実体経済が先で、設備投資はその後だという順序の点から言っても、適正とは言えない気がする。

 各企業の設備投資競争はまだまだ先に思えて仕方がない。

 もし設備投資減税が方向オンチな政策と言うことなら、財政健全化の失敗や長期金利の上昇が後に控えていて、そのときになって投資減税がアベノミクスのつまずきの予兆だったと気づくこともあり得る。

 いわば一つのつまずきがその後の全体の成り行きを占う場合がある。

 そもそもからして妥当性を欠いた政策を打ち出すこと自体が客観的判断能力を欠いていることの証明としかならないからだ。それも大事な場面で必要とする大事な政策に反してということになると、その能力欠如は他にも影響しないでは置かないはずだ。

 要するにアベノミクスは安倍晋三という政治家の資質・能力に応じた結果しか生まないのではないだろうかという予測である。

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石原慎太郎の「大阪の本家は寝ぼけたこと言ってる」とのたまわっている改憲思想に見る国家観・日本人観

2013-06-27 11:16:34 | Weblog

 石原慎太郎日本維新の会共同代表が6月18日の共同通信のインタビューで、相棒であるはずの橋下徹同共同代表の党支持率低迷を招いた従軍慰安婦発言を「大迷惑だ」と批判、参院選の結果次第では橋下徹の進退判断もあり得るとの認識を示した。

 橋下徹の反応。6月19日夜の記者会見。

 橋下徹「僕自身は今回の発言を間違っているとは思っていないので、東京都議会議員選挙でだめでも、参議院選挙で審判を受けたいという気持ちがあるが、党のメンバーから辞めろと言われれば共同代表に居られない」(NHK NEWS WEB
 
 石原慎太郎の「大迷惑だ」発言に対する橋下徹の「発言を間違っているとは思っていない」の意思表明によって、周囲は両者の信頼関係に亀裂が入ったと受け止めた。

 だが、両者は6月20に電話会談。参議院選挙に向けて党が結束すべきだという認識で一致、6月22日の都議選の応援で揃い踏みし、関係修復を印象づけた。

 ところが、石原慎太郎は6月26日の日本維新の会の代議士会で6月20日の党結束確認の儀式から1週間も経たないうちに維新の会の大阪陣営を批判、関係修復を怪しくした。

 党の結束を確認したものの、6月23日投開票の都議選の結果、日本維新の会が34人の候補を擁立したものの、選挙前の3議席まで下回って2議席しか獲得できなかった大惨敗の原因を橋下徹の慰安婦発言と見て、腹に据えかねたのかもしれない。

 言葉の遣い方自体が、そう思わせる。《石原氏「大阪は寝ぼけたこと言ってる」》NHK NEWS WEB/2013年6月26日 18時12分)

 記事は、憲法の基本理念として当然のことだが、橋下徹は「憲法は国家権力の乱用を防ぐことが基本だ」という憲法観を持ち、憲法改正の方向性を地方分権推進等の一部改正に置いているとしている。このことも石原慎太郎の全面改正の改憲観と比較して抑えていた不満が都議選惨敗の憤懣に誘導されて噴き出たのかもしれない。

 石原慎太郎「私があえてこの年で国会に出てきたのも、できれば憲法を丸ごと変えて、この国を立て直す必要があると思ったからだ。大阪の本家は憲法について寝ぼけたことを言っているが、こんなものは話にならない」――

 「寝ぼけたことを言っている」という物言い自体に籠っている嫌味・悪意、あるいは非難の程度が橋下徹の慰安婦発言に腹を据えかねていた証明となる。

 3月30日(2013年)発表の《日本維新の会 綱領》は憲法改正について次のように述べている。

 〈日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる。 〉――

 日本維新の会では石原慎太郎と橋下徹という二大意思が党の主張をリードしている。上記憲法改正観が石原慎太郎、橋下徹いずれの意思を反映させた主張なのか、あるいは両者の統一的主張なのか、松井日本維新の会幹事長が明らかにしている。

 《押しつけ「問題でない」 改憲表現、維新の松井幹事長》MSN産経/2013.4.3 18:34)

 日本維新の会が綱領を発表した3月30日から3日後の4月3日の大阪府庁での記者会見。

 松井幹事長「変えるか変えないかが大事。押しつけられたか押しつけられてないかは大した問題じゃない。石原慎太郎共同代表の強い思いで(綱領が)ああいう表現になった。

 時代の流れと共に変えるシステムにするという部分は、石原代表と全く一致している」――

 「押しつけられたか押しつけられてないかは大した問題じゃない」と言っているが、日本国憲法を否定している石原慎太郎の観点からすると、大した問題となる。

 逆に民主憲法だと肯定している立場からすると、内容を重要視していることになり、押し付け云々の制定上の形式は無意味化する。

 いずれにしても松井幹事長は石原慎太郎の強い思いを入れた憲法に関わる綱領は「時代の流れと共に変えるシステムにする」という考えに添った改憲観であって、その点、「石原代表と全く一致している」からと、二人三脚で推進していくことを表明したことになる。

 橋下徹も同じ4月3日に民放番組に出演して憲法に関わる綱領について発言している。

 《維新の会:橋下氏、石原氏と憲法観でずれ》毎日jp/2013年04月03日 20時11分)

 橋下徹「修飾語だ。(選挙の際には)惑わされなくてもいい。一番重要なのは、(石原氏の持論の『憲法破棄』でなく)『改正』としたところだ」

 「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法」としている大仰な表現は「修飾語」に過ぎないと言っている。

 そうであったとしても、「改正」の方向性が問題として残る。松井幹事長が表明したように二人三脚で進めることができる方向性を橋下徹自身も担っているかどうかである。

 それが今回の石原発言で明らかとなった。石原慎太郎と橋下徹の憲法改正の方向性は決定的な違いがあり、その違いが「大阪の本家は憲法について寝ぼけたことを言っているが、こんなものは話にならない」という発言となって現れることとなった。

 石原慎太郎の強い思いが入っているという日本維新の会の綱領からその日本国憲法観を見てみる。

 綱領は、〈日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる。 〉と謳っている。

 いわば石原慎太郎は、日本国憲法は「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶」であり、そのような日本国憲法によって日本国家も日本国民も自立心を失ったと日本国憲法を見ていることになる。

 だからこそ、憲法を全面改正して、「国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる」としているのだろう。

 具体的には戦争放棄と戦力の不保持を謳った憲法9条が日本の国際的地位を「孤立と軽蔑の対象」とし、そのことが国家と国民の非自立性を招いたということを言っているはずだ。

 だとすると、占領時代以前、いわば戦前は日本国家も日本国民も自立していたと解釈していることになる。

 以上の自立云々を砕けた言葉で言い直すと、占領時代の民主化政策と日本国憲法が日本国家と日本人をヤワにし、国際的な疎外を受けることになった、その割には経済的に大いなる発展を見たことになるが、戦前の日本国家と日本人はヤワとは正反対の質実剛健を体現していたと考えていて、戦前の日本国家を理想の国家像、戦前の日本人を理想の国民像としていることになる。

 この考えは安倍晋三にそっくりである。精神性に於いて二人は双子の関係にあると言うことができる。

 占領政策が日本国家と日本国民を一変させた。

 果たして戦前の日本国家と日本国民は自立していたのだろうか。戦前の日本国家は日本国民を思想・言論・信教・集会等々の活動に関して統制下に置き、その活動を制限していた。

 1890年(明治23年)11月9日発効の大日本帝国憲法は条件つきながら言論・出版・集会・結社・信教の自由といった個人の権利を認めていたが、それ以前の1869年(明治2年)の出版物の取締まりを定めた出版条例は検閲を取締まりの一つの方法として言論の自由・出版の自由に制限を加えていて、大日本帝国憲法の条件付きの自由に反した制限は日本帝国憲法の条件付き各自由がタテマエでしかないことを物語っている。

 このことは取り締まる法律が名前を変えて公布されていき、内容が厳しくなっていっていることが証明している。出版条例を引き継いで1893年(明治26年)に出版法を公布し、一部を除いて取締まりが厳しくなっているという。

 1880(明治23)年制定の集会に各種制限を設けた集会条例を公布しているが、これも大日本帝国憲法発布前の法律だが、集会の制限は言論や信教の制限をも兼ね併せているのだから、出版物の取り締まり等と併せて日本国民の基本的人権を様々な方面から抑圧していったのである。

 集会条例を引き継いで1890(明治23)に集会及政社法を制定、この集会及政社法に替わって1901年(明治33年)3月施行の治安警察法によって政治結社・集会の届出義務、現役軍人・警官・僧侶・神官・教員・女子・未成年者の政治結社加入禁止、警官の集会解散権付与等、引き続いて集会(=言論)を制限、そしてさらに制限を強固にする治安維持法の1925年(大正14)公布へと進んでいく。

 断るまでもなく、集会や言論の制限、その他信教や出版の制限は国家権力による国民統治装置であって、そのような統治装置は国家権力に都合のいい集会や言論、その他信教や出版を強制する機能を併せ持つ。

 1868年(明治元年)の神道と仏教を分離して神道国教化・祭政一致を策し、神道を国民に強制しようとした明治維新政府の神仏分離令などは好例である。

 これらの各制限の強制と制限の強制の反作用としての国家権力が用意した活動の強制によって天皇のより絶対化と天皇への絶対的従順を日本国家に対する日本国民の行動様式として刷り込んでいった。

 だから、「天皇陛下のために、お国のために命を捧げる」という戦争行動が可能となった。

 このように基本的人権を抑圧された国民が国家に対して自立した存在足り得ていたと言えるだろうか。

 戦前の日本国家は日本国民の自立を保障せずに支配と統制の檻に閉じ込めていた。

 自立しない国民を抱えた国家が果たして自立した国家と言えようか。国民の自立があってこそ、国家は自立し得る。国民が自立せずに国家のみが自立しているということは自己撞着以外の何ものでもない。

 国家が自立していないからこそ、国民を信用できずに国民に対して活動に制限を加えることになる。

 確かに戦前の日本国民は質実剛健であったばかりか、勇猛果敢でもあった。国家の命令に進んで戦争に参加し、勇んで戦場に赴いて一命を賭して果敢に戦い、玉砕を命じられれば、死をも恐れずに一丸となって死ぬと分かる戦闘に飛び込んでいった。

 だが、自立した存在としてそういった行動を取ったわけではなかった。国家にそのように行動するように洗脳され、操作されて取った行動に過ぎない。

 だが、石原慎太郎は戦後の日本国家と日本国民をヤワだとしてその歩みを否定し、戦前の日本国家と日本国民をヤワであることとは正反対に質実剛健だったと、自立していたと評価している。

 だからこそ、占領軍がつくった占領憲法を「憲法を丸ごと変え」て、「国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる」と主張している。石原慎太郎自身が「寝ぼけたことを言っている」と言わざるを得ない。

 この「寝ぼけている」としか言いようのない事実誤認の認識についていくことのできる日本国民はどれ程存在するだろうか。ついていくことができるかどうかでそれぞれの自立性(自律性)を推し量ることができる。

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安倍晋三の田中均元外務審議官日朝交渉一部無記録批判は誹謗中傷なのか、事実なのか、明らかにする責任

2013-06-26 08:08:07 | Weblog

 田中均元外務審議官が毎日新聞のインタビューで、安倍内閣は日本の戦争の侵略性や村山談話、河野談話に関する発言で右傾化していると思われ出している、飯島訪朝はスタンドプレーと見られる危険があると批判したのに対して安倍晋三が6月12日の自身のフェエイスブックで2002年当時一時帰国した5人の拉致被害者を安倍晋三が北朝鮮に帰さない判断をしたのに対して田中均元外務審議官が北朝鮮に帰すことを主張したことを批判、さらに田中均元外務審議官が当時の日朝交渉記録の一部を残していなかったとして、全てをひっくるめて「彼に外交を語る資格はありません」と批判し、外交失格者の烙印を押した。

 私自身は田中均元外務審議官の日朝交渉に於ける一部無記録批判は安倍晋三が当時官房副長官として小泉・金正日日朝首脳会談に直接携わった人間が言っていることとして素直に(あるいは単細胞にも?)事実だと受け止めた。

 問題は中身である。記録として絶対的に残しておかなければならない重要な事柄を記録しなかったのか、さして重要でない事柄を記録しておかなかったのか。そのことによって、過ぎたこととは言え、田中均元外務審議官の外交官としての資質は、例えその職を離れているとしても、問われることになる。

 ところが、中身以前に安倍晋三が「そもそも彼は交渉記録を一部残していません」と指摘した事実が事実なのかどうかの問題が浮上した。

 《記録の有無、言及避ける=岸田外相》(時事ドットコム/2013/06/25-11:18)

 6月25日午前の記者会見。

 岸田外相(安倍晋三のフェエイスブックの記載を)官房副長官として当時の経緯を知っている立場で、責任を持って書かれたものだ。

 (事実関係について)公の場でうんぬんすることは国益の観点から適当ではない」――

 「官房副長官として当時の経緯を知っている立場で、責任を持って書かれたものだ」からという理由で以って田中均元外務審議官が交渉記録の一部を残していなかったことは間違いのない事実だとしている。

 彼がそう言うから、事実に決まっていると言うようなものである。

 当然、記録の一部を残していない何らかの事実関係を示して貰わないことには、いくら「責任を持って書かれたもの」だとしても、頭から事実と認めるわけにはない。

 だが、その事実は国益上、公の場では明らかにできないと言っている。

 要するに「官房副長官として当時の経緯を知っている立場で、責任を持って書かれたものだ」とする一事で以って事実と認めよと迫ったことになる。

 相手が安倍晋三でなければ、事実と認めてもいいという気持も働くが、相手が安倍晋三となると、そうは軽々に認めてもいいという気持は働かない。

 外務省のHPにその記者会見が記載されているかどうかアクセスしてみた。載っていたから、関係する箇所だけ引用してみる。

 《岸田外務大臣会見記録》(外務省HP/2013年6月25日(火曜日)10時13分~ 於:本省会見室)    

 山岸朝日新聞記者「安倍総理のフェイスブックに関してお尋ねをいたします。暫く前になりますけれども、安倍総理がフェイスブックの中で、外務省の田中元外務審議官が担当された日朝交渉に関して批判をされまして、その中で田中氏には外交を語る資格ということで厳しく批判をされました。それに関連して、安倍総理は同じフェイスブックの中で、田中氏が当時の外交記録を残していなかったという形で批判をされました。この点に関して、外務省として事実関係をどう把握していらっしゃるのか、田中氏が外交記録を残していなかった事実があるのかないのか、この点をまずお伺いいたします」

 岸田外相「御指摘の田中氏の発言につきましては、報道等を通じて承知しておりますが、安倍総理は当時官房副長官として、当時の経緯を知っている立場であり、総理のフェイスブックのコメントはそうした総理の当時の立場に基づいて、責任を持って書かれたものと考えます。

 ただ、拉致問題につきましては、我が国の主権と国民の生命に関わる重大な問題であり、現在も未解決の案件であります。そして、従来から述べておりますように、総理は自らの内閣でこの問題を解決したいという強い決意を持って取り組んでおります。この拉致問題はまだ未解決の懸案であり、政府として、今、取り組んでいる最中の懸案でありますので、これ以上公の場で本件について云々することは国益の観点から適当ではないと考えます」

 山岸朝日新聞記者「まず、私の聞き方があれだったのかもしれませんけれども、田中さんが外交記録を残していなかったという事実関係はあるのかないのか、その点はいかがなのでしょうか」

 岸田外相「その点も含めて、この問題につきまして、今の時点で公の場で云々することは適当ではないと考えます」――

 拉致問題が現在も未解決の案件であり、現在も取り組んでいる懸案であることと、記録の一部を残しておかなかったと指摘していることの事実関係を明らかにすることとどう関係があるのだろうか。

 また、事実関係を明らかにすることが拉致解決の国益にどう絡んで、その解決をどう困難にしていくと言うのだろうか。

 記録の一部を残しておかなかったことが事実であったとしても、関係者の記憶を総合すれば、残して置かなかった箇所の交渉の概要は後付けの記録で残すことができる。

 残して置かなかったことを事実と前提して言うなら、記録の一部を残して置かなかったと指摘できること自体が、安倍晋三を含めた関係者の記憶があってこその指摘であろう。

 だとするなら、記録の一部を残しておかなかったことが拉致問題の取り組みに取り立てた支障があるとは思えない。残る問題は記録に残して置かなかったと指摘していることが真正な事実かどうかである。

 その事実関係を明らかにすることが国益上、どのような問題があるというのだろうか。

 どうも言っていることに無理がある。

 岸田外相は「これ以上公の場で本件について云々することは国益の観点から適当ではないと考えます」と、「公の場で」という言葉を使っているが、一国の総理大臣が特定多数の第三者に向かってであるなら勿論のことだが、不特定多数の第三者に向かってであっても政治問題・外交問題で発言すれば、そのすべては公の発言となり、発言場所がどこであろうと、「公の場」での発言となる。

 安倍晋三は一国の総理大臣としてフェイスブックという万人が監視可能な「公の場」で外交問題を取り上げて、「記録の一部を残していない」と田中均元外務審議官を批判したのである。

 その発言をまたマスメディアが伝えて、「公の場」での一国の総理大臣の個人批判の発言をより多くの第三者に知らしめることになった。

 あるいは現在安倍晋三のフエイスブックの読者数は350万人以上だそうだが、中には自らのツイッターで安倍発言を拡散する者もいるだろうから、フェイスブックが持つ「公の場」としての役割は決して侮ることはできない。

 当然、批判が不特定大多数の第三者を対象とした総理大臣の「公の場」での公の発言である以上、その正当性は総理大臣としての資質にも関係することになり、拉致問題に支障があるなしに関係なしに問われることになる。

 そしてその正当性は発言したことが事実であるか、事実でないかによってのみ証明される。

 「交渉記録の一部を残していない」が事実であるなら、「公の場」での発言として許される。事実でないなら、謂れのない、事実無根の誹謗中傷となる。

 一国の総理大臣が「公の場」で元外務審議官とは言え、一個人を謂れもなく誹謗中傷することは許されるはずはない。総理大臣としての資質、その人間性に直接関係することになる。

 安倍晋三自身が事実関係を明らかにする責任を負ったことになる。ウソつきでないことを証明するためにも、自ら進んで明らかにすべきだろう。

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安倍晋三はアベノミクスと自民党総裁としての高市早苗任命責任の国民に対する説明責任から敵前逃亡した

2013-06-25 06:53:07 | 政治

 安倍晋三が「日本の雰囲気は、大胆な金融政策と、機動的な財政政策という、私の打った1本目、2本目の矢で、ガラッと大きく変わりました」等々、自らの経済政策であるアベノミクスに100点満点、あるいはそれ以上の自己採点をつけておきながら、参議院野党が予算委員会で安倍晋三出席のもと、アベノミクスについて国会で議論する必要があるとして集中審議を求めたのに対して与党が反対、そのことを以って6月21日(2013年)の当ブログ記事――《安倍晋三のアベノミクスにつけた自己採点100満点に対する国会追及回避は卑怯な敵前逃亡 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に自己採点のみを以って国民に対する説明責任とするのも極めて無責任な話である、他者の採点を受けて立って、自己採点の妥当性を問うのが、国民に対する説明責任を公平に果たすことができる正々堂々の遣り方であって、それをしないのは敵前逃亡だと書いた。

 結局与野党が集中審議開催で折り合うことができず、6月21日に参議院予算委員会委員長の民主党石井一が職権で6月24日の集中審議開催を決定した。

 安倍晋三の自己採点100点満点が果たして妥当な採点なのか、それとも宣伝混じりの過大評価なのか、少なくとも100点満点ということはあり得ない話だから、どれくらい割り引かれるのか、あるいは意外なウイークポイントがあって、それが明らかにされるのか、相互採点を通じた国民に対する一定の説明責任を期待した。

 また、高市早苗自民党政調会長が原発事故がなければ存在することはなかった原発事故関連死者が多く存在する事実を無視して、「原発事故によって死亡者が出ている状況ではない」ことを原発活用の条件とした発言の適切性と、高市早苗を自民党政調会長に用いた安倍自民党総裁としての任命責任も集中審議の中で追及を受けることになるだろうから、それらの説明責任にも期待した。

 ところが、6月24日の参議院予算委員会に出席を求められた安倍晋三や麻生太郎ら関係閣僚と自公議員が欠席、当日の参議院予算員会は石井委員長が議長職権で開催に至った経緯等の説明のみで10分で閉会となった。

 安倍内閣は欠席理由を書面で委員会に伝えたという。

 欠席理由「与野党で合意したものではなく、平田健二参院議長の不信任決議案が処理されていない」(MSN産経

 与野党で合意していなくても、委員長の職権による各決定は国会法等で認められていて、石井委員長も法律に基づいた職権で集中審議開催を決定したのだろうから、いわば法律で認められていない越権行為というわけではないのだから、合意したものではないというのは理由とならない。

 また、例え「平田健二参院議長の不信任決議案が処理されていない」としても、アベノミクスを国会の場で野党の追及を受けながら国民に説明する責任、高市早苗を政調会長に用いた安倍晋三の自民党総裁としての任命責任に関わる国会の場での国民に対する説明責任は避けることのできない義務として受けて立たなければならない問題であって、別問題とすべきを、別問題とせずに集中審議を受けて立つことなく欠席した。

 要するに安倍晋三はアベノミクスの妥当性と高市早苗任命責任に関わる両方の国会の場で行うべき国民に対する説明責任から敵前逃亡したに過ぎない。

 アベノミクスの妥当性に関して言うと、安倍晋三は国会の場ではない、いわば場外での100点満点の自己採点のみを国民に対する説明責任とする一方的な自己都合の押し付けで終わらせていることになる。
 
 安倍晋三らしいと言えばらしいのだが、卑怯な遣り方だとは気づかないでいる。

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橋下徹の沖縄全戦没者追悼式出席でも見せた沖縄県民に対する相変わらずの感度

2013-06-24 09:57:20 | Weblog

 橋下徹日本維新の会共同代表が6月23日(2013年)沖縄県糸満市で開催の沖縄全戦没者追悼式に自主参加したそうだ。従軍慰安婦発言や在沖米軍司令官に対する風俗活用のススメで沖縄県民の反発を受けていながらの全戦没者追悼式への敢えての乗り込みだから、そのような沖縄の反発に対する自分では「発言は正しいと思っている」としていることを突きつける一つの挑戦――示威行動なのかもしれない。

 沖縄の米兵が風俗を活用しようがしまいが米兵個人の問題であって、また沖縄の風俗産業が米兵個人の問題をどのように受け入れるかは各風俗店、あるいは風俗に携わる女性個人が決める問題であって、両問題は対等な個別的相互性で成り立っているが、戦前の大日本帝国軍隊のように軍が上からの指令で全体的に決め、兵士及び女性に従わせる非対等な全体的上下関係性(この関係は兵士と女性との間にも当然のこととして生じていた)で成り立たせる問題ではないにも関わらず、戦前の構造が頭から抜けないのか、あるいは橋下徹の個人的資質として戦前と同様の全体主義の血に染まっていたからなのか、風俗利用を米軍としての正式な全体的行動とすべく働かけて、その働きかけが実現した場合、結果としてその全体性に沖縄の風俗に携わる女性を従わせることになる両者間の非対等な全体的上下関係性を認識もせずにつくり出そうとした。

 兵士は軍が決めたこととして行動することになるから、個人性を離れて、軍の全体性を負うことになり、否応もなしに女性を下に置く意識を働かせることになる。

 このようなことを以って各方面から、沖縄の女性の人権のみならず、広い意味で女性の人権を無視する発言だと批判を受けたはずだ。

 ところが記事――《橋下氏、風俗業活用発言は「女性の人権守るため、米軍は命がけでやってほしかったから」》MSN産経/2013.6.23 21:31)によると、本人は沖縄全戦没者追悼式に出席後、大阪維新の会が政策協定を結ぶ沖縄地域政党「そうぞう」主催のシンポジウムに参加し、在沖米軍司令官に風俗利用を勧めたことを「女性の人権を守るために(米軍に取り組みを)命がけでやってほしいという思いがあった」と、自身がしようとしたこととは正反対のことを言って、平然としている。

 この理解の感度は相変わらずのものがある。

 沖縄地域政党「そうぞう」主催のシンポジウムで基地問題については次のように発言している。

 橋下徹「日本の平和が沖縄の負担でつくられているという実感が、沖縄以外の日本人にはない。

 基地をすぐに県外に移すのは不可能。第一歩としてオスプレイの訓練の一部を本州に移転させる。1つずつ現実的なことを積み重ねていく」――

 言っていることに様々な矛盾がある。沖縄が「日本の平和」を負担することを本土の日本人が当たり前の意識としていたということは、政治が沖縄の負担を当たり前としてきたことの反映としてある本土日本人の意識であるはずで、そういった意識を持たせてきたのは政治の怠慢であり、その責任でもあるはずである。

 それを最近になって訓練の一部を本土に移転させて、それを以て基地負担軽減だとする。このような微々たる基地負担軽減策で本土日本人の沖縄負担を当たり前としている意識を変えることができるのだろうか。

 政治は微々たる基地負担軽減策で基地の沖縄負担が当たり前となっている構造――日本の安全保障負担の構造を決定的に是正できると思っているのだろうか。

 政治が決定的に是正できなければ、政治がつくり出したその相互反映としてある本土日本人の沖縄負担を当たり前とする意識にしても決定的な是正は期待できないはずだ。

 仲井真沖縄県知事は沖縄全戦没者追悼式の平和宣言で次のように訴えている。

 仲井真沖縄県知事「私たちは68年前の戦争で多くの尊い命を失い、生涯癒やすことのできない深い痛みを負いました。しかし沖縄は今もなお、アメリカ軍基地の過重な負担を強いられており、日米両政府に対して一日も早い普天間基地の県外移設、そして日米地位協定の抜本的な見直しを強く求めます」(NHK NEWS WEB

 沖縄の総体的意思は普天間基地の県外移設にある。沖縄県民は普天間基地の県外移設で戦っている。当然、普天間の県外移設を負担軽減獲得の象徴としているはずだ。

 訓練の一部本土移転などで終わらないということである。あるいはそれだけで終わらせないということである。

 だが、橋下徹は普天間「基地をすぐに県外に移すのは不可能」だと言っている。だから、訓練の一部本土移転だと。「1つずつ現実的なことを積み重ねていく」ことだと。

 自分の言っていることの現実性に気づいているのだろうか。

 訓練の一部の本土移転に成功したとしても、普天間基地が辺野古に移設されたなら、基地は辺野古に固定化されることになり、沖縄が「日本の平和」を負担することに本質的な変化はないことになって、沖縄県民は納得するわけはない。

 沖縄の負担に本質的な変化がないことは次の記事が証明してくれる。《基地面積軽減0.7% 首長ら批判》沖縄タイムス/2013年4月7日 10時17分)

 小野寺五典防衛相が4月6日、那覇市内のホテルで開いた米軍嘉手納基地より南の6施設・区域(計約1048ヘクタール)の返還計画に関係する11市町村の首長らへの説明会で翁長雄志那覇市長の質問に政府側が答えた内容だという。
 
 全国土の0・6%の沖縄県に在日米軍基地の73・8%が集中している現実に対して上記返還計画がすべて実行された場合、沖縄の在日米軍基地面積割合は現在の73・8%から73・1%へと0・7%減るのみだという。

 訓練の一部本土移転が実現したとしても、在日米軍基地面積割合そのものは変化はないし、負担意識や危険性も本質的には大きな変化はないことになる。

 さらに小野寺防衛相は米軍普天間飛行場(481ヘクタール)のみの返還の場合は0・3%減の73・5%になると説明したという。

 記事には書いてないが、政府の計画では普天間基地を辺野古へ移設する予定だから、辺野古へ移設した場合の面積を含めていると思うが、政府提出の辺野古移設のための公有水面埋め立て承認申請書には埋め立て面積が160ヘクタールと明記されているそうである。

 これが二次の埋め立て申請、三次の埋め立て申請へと続くのかどうか分からないが、これだけで終わるとしても、辺野古移設の場合は基地面積は3分の1に減るものの、沖縄県民が米軍普天間飛行場の県外移設を負担軽減獲得の象徴としているだろうことを考えると、やはり辺野古移設ではなく、県外移設でなければ、目に見える負担軽減とは見做さないはずだ。

 見做さないからこそ、仲井真沖縄県知事は沖縄全戦没者追悼式の平和宣言で普天間基地の県外移設を訴えた。

 結果として沖縄を含めた女性の人権を無視することになることも気づかずに在沖米軍司令官に米軍として風俗を利用するよう勧めた感度と言い、沖縄の総体的意思が普天間の県外移設にあること、普天間の県外移設が沖縄の負担軽減獲得の象徴となっていることにも気づかずに米軍訓練の一部本土移転を以って沖縄の負担軽減が適うと考えている感度と言い、あるいは負担軽減が適うとする以上、本土がその負担を肩代わりすることを意味することになるのだから、当然、本土日本人の「日本の平和」の沖縄負担を当たり前としている意識の是正に役立つとしていることになり、そういった意識の回路を持つことのできる感度と言い、そのような感度でどのツラ下げてなのか招待されているわけでもないのに沖縄全戦没者追悼式にノコノコと自主参加できる感度と言い、その心性を疑いたくなる。

 普段から言っていることだが、自分を常に正しい何様だと思っているからこそできる、これらの数々の発言であり、行動に違いない。

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海難事故で救助された辛坊治郎の「ああ、この素晴らしい国に生まれた」の自身の幸福に対する祝福

2013-06-23 07:00:56 | Weblog

 著名なジャーナリストの辛坊治郎と全盲のセーラーの岩本光弘氏がヨットで太平洋横断に挑戦した。その挑戦は遭難、海上自衛隊の無事救助で終わった。

 各マスメディアの報道から一連の経緯を見てみる。

 6月8日、両名は大阪市の北港(ヨットハーバーがあるそうだ。)を出港し、日本出発地点の福島県いわき市へ向かい、6月16日に福島県いわき市の小名浜港を約8160キロ離れた米サンディエゴに向けて無事出港した。

 親潮と黒潮がぶつかる福島県沖は太平洋横断の出発地点に適しているのだそうだ。

 出港式には所属テレビ局の女子アナ、男子アナ、ファン、その他100名程集まったそうだから、かなり盛大で華やかで賑やかな出港式だったのだろう。

 初め良ければ、終わりヨシである。意気揚々と太平洋に向けて風を全身に受けた出発だったに違いない。

 6月16日の小名浜港出港から5日目の6月21日朝、宮城県沖約1200キロ時点で下から突き上げるような音が3回したあと、岩本光弘氏はそのとき、クジラか何かがぶっつかったかなと思ったとあとで説明しているが、浸水が始まったため、ポンプで排水を試みたが、排水が追いつかず、救命ボートに移って、ヨットを捨てた。

 大阪市にある太平洋横断を企画した「プロジェクトD2製作委員会」の事務所に辛坊治郎から連絡が入って、事務所が海の緊急通報118番。海上保安庁航空機が宮城県沖合1200キロの太平洋上で救命ボートに乗った2人の無事を確認。海上自衛隊の救難機「US2」が出動したが、波が高くて着水できず、2度目の出動で着水、2人を無事救助することができた。

 救助後、二人は記者会見を開いている。《【辛坊さん遭難会見詳報】声を詰まらせ感謝繰り返す》MSN産経/2013.6.22 12:53)
  
 部分抜粋。

 辛坊治郎「海上自衛隊の第1便の水上艇が来てくれるという連絡をもらったが、私の基本的な知識では3メートルを超えると、水上艇は着水できないというのがあった。窓を開けてみたら確実に3メートルを超えていたので、これはもしかして無理かもしれないと思った。

 夕方になってもう少し波が穏やかになると予測し、その後、もう一度救助に来てくれたと思うが、結果的に波は相変わらず高かった。普通のパイロットだったら降りないと思う、あの海には。

 救助してくれた方々は『こんな海でレスキュー活動したことがない。訓練でもしたことがない』とおっしゃった。本当にたった2人の命を救うため、11人の海自の皆さんが犠牲になるかもしれないというのに着陸(水)してくれた。

 僕は本当にね、ああ、この素晴らしい国に生まれた。これ程までにうれしかったことはない」――

 命が助かるか助からないかという危機一髪の瀬戸際に立たされて救助されて助かったと実感することができた嬉しさ・歓びからだろう、海上自衛隊の救命行為に感謝し、「ああ、この素晴らしい国に生まれた」と自分の幸福を祝福した。

 辛坊治郎は経験豊かなジャーナリストである。当然、広い視野を備えている。広い視野とは世の中を公平に見て、公平に判断できる能力のことなのは断るまでもない。

 自分の命が助かったことのみの自己利害で以って国家の仕組みに最大限の評価を与えて、「ああ、この素晴らしい国に生まれた」と自身の幸福を祝福してしまうのは人間の自然な人情であろう。当然、誰からも非難を受ける事柄ではない。

 だが、他者の目の届かないごく個人的な場所なら許されもするが、記者会見という公の場で自己利害のみに立ったとき、その代償として公の才能としてある経験豊かなジャーナリストとしての世の中を公平に見る視野を損なうことになる。

 子どもを診察して身体にアザや打撲痕があるのを見つけた医師が児童虐待を疑って市や児童相談所に通報しても、対応がお座なり、その場限りで、救える命も救えずに死なせてしまうといった事例は決してなくなったとは言えない。

 イジメを目撃した生徒が教師に通報しても、教師は満足に対応することができず、救える命を救うことができないままにイジメられた生徒がイジメを苦に自殺しても、イジメが原因ではないと責任回避に走り、責任回避のための情報隠蔽や情報操作に汲々とする事例は跡を絶たない。

 今回の東日本大震災でも、大人たちが緊急避難の指示を満足に出すことができずに多くの子どもの命を救えずに死なせてしまった例もある。

 あるいは原発事故からの避難や津波避難の心労で関連死していく被災者も跡を絶たない。生活が成り立たなくなって前途を悲観し、失望して自ら命を絶つ者もいる。

 彼ら亡くなった者たちの遺族の自己利害から見たとき、「ああ、この素晴らしい国に生まれた」と亡くなった者たちを幸福だったと見做して祝福することができるだろうか。

 かく左様に人間は自己の利害を異にする。異なる自己利害に応じて、国に対する評価、国の制度に対する評価も異なり、自己が置かれた立場に対する評価・幸福感も異なってくる。

 辛坊治郎の「ああ、この素晴らしい国に生まれた」の評価は辛坊治郎という経験豊かなジャーナリスト個人が海難事故から一命を取り留めた際の助かったことの自己利害がジャーナリストとしての世の中を公平に見る視野を失わせことからの、それが極めて自然な人情の発露であったとしても、自己利害と対応した個人としての思い入れに過ぎない。

 多分、自己利害としてある一命を取り留めたことの直接的な幸福感が薄れていくに連れて、他者の利害にも思いを馳せる、世の中を公平に見る視野を取り戻していくはずだ。何て言ったって経験豊かなジャーナリストだから。

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高市早苗の「原発事故で死亡者が出ている状況ではない」の意思が入った原発再稼働参院選公約

2013-06-22 10:58:18 | Weblog

 ――安倍晋三が高市早苗の責任を問わないのは自らの任命責任に対して免罪したことになる――

 自民党が今夏の参院選に向けて公約を謳った《自民党参院選公約2013》には原子力の再稼働について次のように公約している。

 〈原子力発電所の安全性については、原子力規制委員会の専門的判断に委ねます。その上で、国が責任を持って、安全と判断された原発の再稼働については、地元自治体の理解が得られるよう最大限の努力をいたします。〉――

 「原子力発電所の安全性については、原子力規制委員会の専門的判断に委ねます」は自民党・公明党も協力して民主党政権下の2012年6月15日衆議院可決、同年6月20日参議院可決、同年6月27日公布の原子力規制委員会設置法によって発足させた原子力規制委員会なのだから、当然のことである。

 「原子力規制委員会設置法」の目的もこれまでの経産省が「原子力利用の推進及び規制の両方の機能を担うことにより生ずる」弊害の除去を目的に規制の機能を独立させ、原子力の安全利用確保の施策と事務を一元的に司って、「以って国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的とする」と謳っている以上、安倍内閣が原子力発電所の安全性について原子力規制委員会の専門的判断に委ねないとしたら、「原子力規制委員会設置法」を設けた理由を失うし、原子力規制委員会そのもの存在理由も失う。

 問題は、「国が責任を持って、安全と判断された原発の再稼働については、地元自治体の理解が得られるよう最大限の努力をいたします」と言っている「原発の再稼働」についての参議院選挙公約である。

 自民党の参議院選挙公約取り纏めの責任者は、あの国家主義者高市早苗政調会長である。政調会長(政務調査会長)とは自民党に於いては政策や立法の立案をする政務調査会の長だから、当然の役目だが、高市早苗は6月18日の衆院本会議場に公約、総合政策集の原案が入った分厚いファイルを持ち込み、議事進行中も赤ペンを握りしめて添削を行っていたと、《自民公約、高市カラー前面 本会議場でも赤ペン ぎりぎりまで修正》MSN産経/2013.6.20 21:08)が伝えている。

 但し記事は公約取り纏めで「高市カラー」が色濃く出た例として、政府の成長戦略に盛り込まれた女性の就業率(25~44歳)を現状の68%から平成32年に73%とする数値目標の記載が参院選公約に盛り込まれていなかって点に置いている。

 参院選公約には、「社会のあらゆる分野で2020年までに指導的地位に女性が占める割合を30%以上とする目標を、確実に達成します」は謳っているが、女性の就業率の目標達成率は記事が伝えているように書き入れてはいない。

 記事は、〈高市氏は20日の公約発表記者会見で「『就業継続に向けた環境整備』という記述に盛り込んだつもりだ」と説明したが、女性の社会進出をめぐる数値目標に慎重な「高市カラー」がにじみ出たといえそうだ。〉と解説している。

 だとしても、自民党参議院選挙公約取り纏めの責任者は高市早苗であることに変りはない。

 高市早苗が参院選公約を赤ペンで添削を行なっていたのは 6月18日の衆院本会議場である。だが、その4日前の6月14日に高市早苗は首相官邸で安倍晋三と面会、参院選公約の最終案の了承を得ている。

 《自民公約最終案を首相が了承 96条改正の意義強調》MSN産経/2013.6.14 21:13)

 〈安倍晋三首相は14日、自民党の高市早苗政調会長と官邸で面会し、自民党の参院選公約の最終案を了承した。〉云々。

 ここでは憲法改正の問題は脇に置く。

 高市早苗は6月14日に最終案の了承を得ながら、発表に当って、なお、赤ペンを入れていたのだろう。

 それ程にも公約取り纏めに強い思い入れを持って主体的に深く関わっていた。

 また、そうできるのも、安倍晋三と相互に信頼し合う近い関係にあるからだろう。そうでなければ、政策、あるいは党幹部や閣僚に用いられずに人事の点で相反する利害関係にある党内実力者等から反発や口出しを受けて、主体的に取り組む妨げとなりかねない。近い関係にあることが反発や口出しに対する防壁足り得る。

 高市早苗は最終的には参院選公約を他の関与を排して強い思い入れを持って取り纏めた。

 だからこそ、上記「MSN産経」記事が伝えているように政府の成長戦略に盛り込んだ女性の就業率の目標達成率を自身の主張に添って参院選公約から排除できた。
 
 となると、高市早苗は6月17日の神戸市での講演で、「原発事故によって死亡者が出ている状況ではない。安全性を最大限確保しながら活用するしかない」と発言、原発事故による直接的な死者が出ていなければ、原発事故関連死者が出ていても無視、と言うことは、直接的な死者さえ出なければ、事故は起きても構わないと許容していることになるのだが(事故なくして出来しない原発関連死者の無視は事故そのものをその程度だと無視したことに当たる)、そのような立派な認識に立って原発の活用を主張していたということは、高市早苗の「原発事故で死亡者が出ている状況ではない」の意思が入った原発再稼働参院選公約ということになる。

 勿論、市早苗は自身の発言を撤回し、陳謝している。多方面から批判され、物議を醸したからからであるが、例え発言を撤回しても、高市早苗の意思が入った参院選公約の原発再稼働であることに変りはない。

 そのような参院選公約とした原発再稼働を許すことができるだろうか。何も問題にせずに済ますことができるだろうか。

 安倍晋三はご立派にも高市早苗の発言を問題視しないことにした。《高市氏、発言撤回し陳謝=安倍首相「職務しっかり務めよ」》時事ドットコム/2013/06/19-19:55)

 6月19日党本部記者会見。

 高市早苗「エネルギー政策に関する全ての発言を撤回する。大変悔しい、腹立たしい思いをされた方々に対して心からおわびを申し上げる」――

 発言を撤回しても、そのような認識で原発問題に関わっていたことが問題であり、簡単には撤回できない認識であるはずである。

 安倍晋三(外遊先から菅官房長官に電話)「今後発言に注意し、政調会長の職務はこれからもしっかり務めてほしいと高市さんに伝えて欲しい」(解説文を一部会話体に直す)

 その後菅官房長官が高市早苗に電話し、安倍晋三の意思を伝える。

 菅官房長官(午後の記者会見)「安倍内閣としては全閣僚が復興大臣であるとの認識の下に、政府一丸となって被災地の皆さんに思いを寄せて全力で復興に当たりたい」――

 この発言には安倍内閣の閣僚と党役員を分けて扱おうとするゴマ化しがある。「全閣僚が復興大臣であるとの認識」に立っているとすることで、閣僚外の高市早苗の発言を問題外とし、沈静化しようとする意思を働かせている。

 だが、高市早苗は政策づくりに深く関与しているのである。党役員も「復興大臣であるとの認識の下に」、「一丸となって被災地の皆さんに思いを寄せて全力で復興に当た」らなければならないはずだ。

 だが、高市早苗は違った「思いを寄せて」いた。

 尤も菅官房長官が「全閣僚が復興大臣であるとの認識の下に」云々とわざわざそう言わなければならないということは、関係閣僚以外はタテマエで終わらせているからであって、だからこそ、いつも使っている紋切り型の事勿れな常套句を繰返さなければならないことになる。

 もしタテマエではなく、言葉が実体を備えていたなら、「全力で復興に当たりたい」と願望体とせずに、全閣僚政府一丸となって「全力で復興に当たっています」と進行形の形で言い切ることができたはずだ。

 但し言質を取られることになり、何かの際に追及を受ける恐れ出てくる。

 いずれにしても高市早苗は「原発事故で死亡者が出ている状況ではない」からと、原発関連死者を無視することで直接的な死者が出ない事故が起きることを許容して原発再稼働の参院選公約をつくった。

 そのような党役員の進退を安倍晋三は何ら問わずに免罪し、免罪することで自身の任命責任をも免罪した。

 いわば安倍晋三にとっては許容範囲の高市早苗の「原発事故で死亡者が出ている状況ではない」の認識であった。

 と言うことは、安倍晋三にしても高市早苗と同じ認識に立つことができるということになる。

 参議院予算委員会の石井一予算委員長が自民党の反対にも関わらず、職権で来週24日に集中審議を行うことを決めた。この問題について当然、野党は追及することになるだろう。安倍晋三の任命責任を問題にしてもいい高市早苗の発言であり、その発言に対する許容態度である。

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安倍晋三のアベノミクスにつけた自己採点100満点に対する国会追及回避は卑怯な敵前逃亡

2013-06-21 09:06:04 | Weblog

 参院野党が6月20日の参議院予算委員会理事懇談会で安倍晋三出席の集中審議を6月21日にも開催するよう要求したのに対して与党自民党が応じられないと主張、引き続き協議することになったという。

 《参院予算委 集中審議巡り平行線》NHK NEWS WEB/2013年6月20日 14時3分)

 野党側の集中審議要求の目的は安倍政権が打ち出した経済の成長戦略等を国会で議論する必要があるというものだそうだ

 至極尤もなことだが、与党自民党の拒否理由が至極尤もではない。

 与党側「参議院の特別委員会で衆議院の小選挙区の区割りを見直す法案の審議を巡って与野党が対立しており、予算委員会で集中審議を行える状況にはない」

 対して石井一参議院予算委員長(民主党)が与野党双方に対して来週24日に集中審議を行う方向で調整するよう求め、引き続き協議することになったという。

 安倍晋三は6月9日のNHK「日曜討論」で衆参同日選挙を否定している。同日選挙を行えば、昨年暮れの総選挙で自民党単独で絶対安定多数(269議席)を超える294議席獲得、公明党の31議席を足して衆議院再可決可能の3分の2を超える325議席獲得が安倍晋三の歴史認識の危険性等の理由から、あるいは政権の横暴を許さないための防御策として有権者の間に議席の取り過ぎ、適正な議席に減らすべきだという認識が働いたとしたら、野党としても衆議院の自民党議席の取り過ぎを狙い打ちして有権者の投票行動を議席の適正化の方向に誘導しようとするだろうし、そのような動きは衆議院の投票ばかりか、参議院の投票行動にも影響を与えて、取れる議席を減らす可能性は決して否定できないのだから、安倍晋三は衆参同日選挙を仕掛ける程バカではないはずだ。

 衆参同日選挙の目がなければ、次の衆院選は参院選後のいつの日かになるのだから、参議院選挙を1カ月後に控えた現在、緊急性という点で衆議院小選挙区の区割りを見直す法案の審議よりも安倍晋三が打ち出しているアベノミクスと銘打った成長戦略の効果と実効性を問う議論が優先されるべきだろう。

 ましてや長期金利の上昇や株価の乱高下、大企業や富裕層に利し、小規模企業や中低所得層に生活上の打撃を与える不公平の矛盾やボロが出ているのである。ただ眺めて、放置していてもいい問題ではない。

 だが、優先性があるとは思えない衆議院小選挙区の区割りを見直す法案の審議を優先させようとする至極尤もではない理由で審議に応じられないという態度を取っている。

 このような態度も不公平の一つに入る。数の力で押し切ろうとする横暴の一つに入るかもしれない。

 至極尤もではない理由がもう一つある。

 アベノミクス自体に様々な矛盾やボロが出ているにも関わらず、安倍晋三自身、日本国内、国外関係なしにアベノミクスに自己評価で100点満点、あるいはそれ以上の得点を与えていることである。 

 「日本の雰囲気は、大胆な金融政策と、機動的な財政政策という、私の打った1本目、2本目の矢で、ガラッと大きく変わりました」
 
 「日本は、再び世界の中心に躍り出ようとしている」

 「私の経済政策について強い期待と高い評価を頂いたと思います」

 「今こそ、日本が、世界経済復活のエンジンとなる時です」

 「3年間で、民間投資70兆円を回復します」

 「2020年に、インフラ輸出を、30兆円に拡大します」

 「2020年に、外国企業の対日直接投資残高を、2倍の35兆円に拡大します」

 「2020年に、農林水産物・食品の輸出額を1兆円にします」

 「10年間で、世界大学ランキングトップ100に10校ランクインします」

 「世界で勝って、家計が潤う」・・・・・

 すべて安倍晋三が自らが打ち出したアベノミクスに対する自己採点である。100点満点を1点でも欠けているとする言葉は存在しない。逆に100点満点を超えた、一点の非の打ち所もない素晴らしい政策として描いている。

 満点、あるいは満点以上の自己採点の妥当性について国会という公の場で他者の採点を許さないのは卑怯であるし、公平とは言えない。

 自己採点のみを以って国民に対する説明責任とするのも極めて無責任な話である。

 安倍晋三が満点、あるいは満点以上の自己採点をつけるなら、他者の採点を受けて立って、自己採点の妥当性を問うのが、国民に対する説明責任をも公平に果たすことができる正々堂々の遣り方と言うものだろう。

 1月28日(2013年)に召集された今国会は6月26日で会期が終了する。石井参院予算委員長の調停によって6月24日に集中審議が実現したとしても、残りの日は2日間しかない。

 集中審議そのものを拒否する、あるいは審議日数を少しでも減らすことが参議院選挙に備えてアベノミクスを矛盾やボロを出さずに瑕疵ない状態で投票日にまで持っていくための策謀だとしたら、野党の追及から逃げていることになる。

 一見、この集中審議を行うか否かの与野党の議論に安倍晋三が関わっていないように見えるが、党総裁として、さらには内閣の長として、その意向は関わっているはずである。

 いわば与党自民党の各野党に対する集中審議拒否、あるいは先延ばしは安倍晋三自らがアベノミクスにつけた100点満点、あるいは満点以上の自己採点に対する野党の国会追及からの卑怯な敵前逃亡以外の何ものでもない。

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