松本文明のヤジに見る米軍ヘリの不時着「それで何人死んだんだ」の精神性に日米共に侵されてはいないか

2018-01-30 11:23:11 | 政治

 1月23日(2018年)に草津白根山の本白根山が噴火、スキー訓練中の49歳自衛隊員が部下を守ろうと覆いかぶさり、背中に噴石の直撃を受けて死亡した。

 1月25日の衆院本会議での代表質問で共産党委員長志位和夫が米軍ヘリの不時着等を質した際、内閣府副大臣の松本文明(68歳・比例東京ブロック)が「それで何人死んだんだ」とヤジを飛ばしたという。

 要するにヘリからの窓枠の落下だろうと不時着だろうと、誰も死んでいないのだから、大した問題ではない、大騒ぎするなという意味を込めたヤジなのだろう。死者を出すか出さないかの結果を事故の重大性・些末性のバロメーターにしていることになる。

 1月29日(同2018年)衆院予算委員会で最初の質問に立った自民党議員福井照が庇う気持ちがあったのか、松本文明の名前を出さずに「同僚議員」という呼び方で沖縄県民の心に添わない発言だと批判、沖縄の基地移設の問題は最優先の課題であり、「沖縄の心に更に更に寄り添わなければならない、このことを全員の誓いにしたい」といった発言をしたあと、「先日の草津白根山で痛ましい事故でお亡くなりになりました方への心からの哀悼の意を表します。そして怪我をされた方々に御見舞を申し上げたいと思います」と述べた。

 1月29日午後に質問に立った立憲民主党の長妻昭も同じ内容の発言をしている。

 長妻昭「先ず、草津白根山で噴火によって亡くなられた自衛官に心からの哀悼の意を表します。被害に遭われた皆様に心から御見舞を申し上げます」

 白根山噴火翌日の衆院代表質問でも立憲民主党代表の枝野幸男も希望の党代表の玉木雄一郎も同様の発言をしている。

 枝野幸男「草津白根山の噴火によって、訓練中の自衛官の方が亡くなられました。心から哀悼の意を表します。また、被害にあわれた皆さんにお見舞い申し上げます。二次被害に十分注意しながら、万全の対応を政府にもお願いします」

 玉木雄一郎「先ず冒頭、昨日発生した草津元白根山の噴火で被害に遭われた方々にお見舞い申し上げるとともに、今なお、深刻な状態にある方々の回復を祈ります。そして、訓練中、殉職された陸上自衛隊員に心からお悔やみを申し上げます」

 安倍晋三は枝野幸男の代表質問に対する答弁では噴火について何も触れていなかったが、誰かに注意されたのか、玉木雄一郎に対する答弁では触れている。

 安倍晋三「冒頭、本白根山の噴火により亡くなられた自衛官の方に心から哀悼の心を捧げると共に怪我をされた方々にお見舞いを申し上げます」

 自然災害や人為的事故に遭遇して予期せずに死を結果とする限りに於いてこれだけの命惜しまれる手厚い扱いを受ける。そして自然災害そのものはその限りではないが、死を結果とした人為的事故の場合は与えた側は激しい批判を受けることになる。

 国会で自衛官の事故死に哀悼の意を表したこれらの面々は松本文明と同様に死者を出すか出さないかの結果を事故の重大性・些末性のバロメーターとする類いなのだろうか。結果的に死者を出さなくても、事故の重大性を読み取らなければならない死者を出さなかった結果というものが存在することに鑑みて、何事もなかった結果の先にある可能性としてその存在を否定できない死を見つめることのできる心の持ち方で哀悼の意を表していたのだろうか。

 昨年2017年12月13日、普天間所属の大型輸送ヘリコプターCH53が飛び立ったばかりの距離にある 沖縄県宜野湾市の普天間第二小学校の校庭に約90センチ四方のアルミ製の窓枠を落下させ、校庭で体育の授業を受けていた男児1人が落下時に撥ねた石が飛んできて手に軽い怪我をした。

 日本政府は小学校上空の飛行を控えるよう、米軍側に求め、防衛省と在日アメリカ軍は普天間基地を発着する航空機について周辺にある学校上空の飛行を「最大限、可能な限り避ける」ことで合意した。

 ところが、約1カ月後の2018年1月18日午後、米軍ヘリ3機が普天間第二小学校上空を飛行した。日本政府は直ちに抗議、防衛相の小野寺五典が「監視カメラの記録や監視員の目視で上空の飛行を確認している」としているのに対して米軍側は「小学校上空を飛行した事実はない。レーダーの航跡記録や操縦士への聞き取りから、学校上空は回避した」と回答。

 沖縄防衛局が普天間第二小学校校舎の屋上と隣接の幼稚園に設置した監視カメラには小学校のほぼ真上を旋回しながら飛行する様子が撮っていたという。

 米軍側はその後、面会した沖縄県議に航跡記録を提示したが、航跡記録の持ち帰りは拒否した。

 日本側の監視カメラと監視員の目視が確認している上空飛行が事実で、アメリカ側のレーダーの航跡記録や操縦士への聞き取りによる上空回避が虚偽だとしたら、上記バロメーターに基づいて何事もなかった結果の先にある可能性としてその存在を否定できない死を見つめることのできない精神性を宿した小学校上空の飛行ということになる。

 アメリカ側の上空回避の証言が事実だとしても、上空近辺を飛行した事実に変わりはなく、上空を一定の距離を持って回避しなかった飛行事実はやはり上記バロメーターに根ざした同じ精神性の飛行と見ない訳にはいかない。

 この精神性をアメリカ海兵隊のロバート・ネラー総司令官も宿していることを2018年1月26日「琉球新報電子版」を読むと、十分に理解できる。   

 1月25日、ワシントンにある米シンクタンク戦略国際問題研究所(CSIS)で講演。昨年度、機体の全損や死者が出るなどの事故の規模が最も重大な「クラスA」の航空機事故が12件発生、これらの大半が「機体の物理的な問題ではなかった」と述べ、訓練・整備不足や人為的ミスを示唆したという。

 ロバート・ネラー「(昨年は)ひどい1年だった。海外(沖縄)で予防着陸があったが、率直に言って、予防着陸で良かったと思っている。負傷者もなく、機体を失うこともなかった」

 米軍はエンジントラブル等で予定していない場所に緊急に着陸する不時着を予防着陸と呼称しているらしいが、「予防着陸で良かったと思っている」と言っていることは、死者を出さなかった結果だけを見て良しとしていることになる。

 そのような思いが「負傷者もなく、機体を失うこともなかった」という発言に繋がっている。

 この手の判断は「予防着陸」は死者を出さないことを確定的な前提としていることになる。していなかったなら、「予防着陸で良かったと思っている」といった発言は成り立たせ不可能となる。

 当然、ロバート・ネラーにしても、上記バロメーターで事故を判断、何事もなかった結果の先にある可能性としてその存在を否定できない死を懸念することのできない精神性を宿した人物ということになる。

 多くの人間がちょっとした事故で人1人を簡単に殺してしまう、それ程にも重大な凶器となり得るという認識で車を運転する。そして万が一事故を起こした場合、それが大した事故ではなくても、その先に人1人を死に至らしめる事故の可能性を否でも予想せざるを得なくなる。何事もなかった結果の先にある可能性としてその存在を否定できない死を見てしまうからである。

 松本文明とロバート・ネラーは事故に対して持っている死者を出すか出さないかを判断基準とした精神性を奇しくも響き合わせた。

 沖縄で米軍のヘリが不時着したり、ヘリから部品を落下させる事故が起き、対して日本政府が厳しく抗議したとしても、簡単に飛行再開を許可してしまう、米軍側も簡単に飛行を再開する日米それぞれの対応を見ていると、死者を出すか出さないかの結果のみを事故の重大性・些末性のバロメーターとする精神性に日米共に侵されていて、そのために死者を出さなくても、その先にある可能性としてその存在を否定できない死を恐れる慎重な姿勢を窺いたくても、些かも窺うことができない。

 上記1月29日の衆院予算委午後の質疑で立憲民主党の川内博史が松本文明の発言について安倍晋三を質した。

 川内博史「沖縄県、沖縄県民に対して大変な暴言・冒涜ではないかと思います。勿論、任命責任はご自覚になってるでしょうし、任命権者として辞表をお受け取りになられたんだと思いますが、私は松本内閣府副大臣のみならず、任命権者として沖縄県民に対して『大変申し訳ない発言であった』という謝罪を先ずすべきではないかというふうに考えますが、如何ですか」

 安倍晋三「沖縄の方々の気持に寄り添いながら、基地負担の軽減に全力を尽くす。これが政府としての一貫した方針であります。そうした中で松本副大臣から先週金曜日、自らの発言によって沖縄県民並びに国民にご迷惑をかけたんで辞任したいという申し出がありましたので、辞表を受理することとしたわけであります。

 政治家は発言に責任を持ち、有権者から信頼を得られるよう自ら襟を正すことは当然でございます。そして任命責任でございますが、任命責任は当然、内閣掃除大臣たる私にあるわけでございまして、今回の発言は国会議員としても、各党における国会議員としての活動における発言ではありますが、内閣の一員であり、沖縄の皆さん、国民の皆様に対して深くお詫びを申し上げたいと思います。

 速やかに後任の大臣を任命し、内閣府の業務に遅滞を生じさせることがないよう、国政への責任を果たしていきたいと、このように思います。改めて深くお詫びを申し上げたいと思います」

 川内博史は安倍晋三に対して松本を任命するとき、その人間性に気づかなかったのかとなぜ問い質さなかったのだろうか。「それで何人死んだんだ」は太々しい人間性の持ち主でなければ飛ばすことのできないヤジである。

 安倍晋三が「沖縄の方々の気持に寄り添いながら」といくら言おうが、「沖縄の皆さん、国民の皆様に対して深くお詫びを申し上げたい」と言おうが、死者を出すか出さないかの結果のみを事故の重大性・些末性のバロメーターとする精神性に侵されているようなら、飛んでもないしっぺ返しを食うことになるだろう。

 政府側や沖縄米軍にとってはしっぺ返しであっても、可能性としての命の犠牲は沖縄県民が負うことになる。 
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安倍晋三の1/26参院代表質問答弁:GDPベースのプラス統計はアベノミクス=格差ミクスの間接証明

2018-01-29 11:42:36 | 政治

 1月26日(2018年)、参院本会議で安倍晋三の施政方針に対する代表質問が行われて、民進党議員藤田幸久がアベノミクスは失敗しているのではないかと問い質した。対して安倍晋三はGDPベースの消費動向がプラスに推移していることを根拠にアベノミクスの経済の好循環は着実に回り始めていると答弁。

 果たしてどちらがアベノミクス経済の実態を言い当てているのだろうか。アベノミクス経済運営の当事者たる安倍晋三が実態に反することを言うはずはないと思うが、都合の良い統計だけを持ち出して自己宣伝に努める虚偽答弁をオハコ(十八番)としている安倍晋三のことだから、オハコに右へ倣えの虚偽答弁という可能性は否定できない。藤田幸久のアベノミクスに関する質問のみを民進党サイトから引用した。読みやすいように段落を適宜変えた。

 「参院代表質問 民進党・藤田幸久議員 1月26日」   

 藤田幸久(アベノミクスの失敗)「最近の読売新聞の世論調査では、景気回復を実感していない人は73%です。これは、実感がないというより実体がないからです。第二次安倍政権誕生以来膨大な金融緩和と財政出勤を行ったにもかかわらず、消費も収入も減りました。

 第二次安倍内閣発足の2012年と2016年を比較した数字では、総世帯の消費支出が一世帯当たり一か月平均で24万7651円から24万2425円に、総世帯の年間収入は515万円から512万円に、一人当たりGDPは世界第15位から20位に下落。

 他方非正規雇用労働者は1816万人から2023万人に、年収200万円以下の雇用者は1090万人から1132万人へと増加しました。総理、これらの事実をどう受け止めるか答弁を求めます。

 株価の上昇の主因は、日銀によるETF購入や、GPIF(年金運用基金)など、80兆円以上ともいわれる官製相場によるものです。この実態に関する認識を伺います。

 逆に公的資金投入をやめると暴落の危険があるのではないですか、答弁を求めます。

 このようにデフし脱却に失敗し、実体成果のないアベノミクスの失敗を認めるときではないですか。総理の真摯なな答弁を求めます。

 安倍晋三「経済認識等についてお尋ねがありました。5年間のアベノミクスにより経済は足元で28年ぶりとなる7四半期プラス成長となり、4年連続の賃上げにより経済の好循環は着に回り始めており、民需主導の力強い経済成長が実現し、デフレ脱却への道筋うを確実に進んでおります。

 消費支出については世帯当たりの消費を捉える家計消費では世帯人員の減少などが長期的に減少傾向となっているいますが、国全体の消費を捉えるGDPベースでは実質で2016年以降、全四半期プラス傾向で推移するなど持ち直しております。

 家庭の世帯当たり年間収入については高齢化の進む中、2012年以降、横這い圏内で推移していますが、一国全体で見たGDPベースの家庭の可処分所得は3年連続で増加しています。

 また1人当りの名目GDPは円ベースで、円ベースで見れば、過去最高の水準です。

 非正規や年収200万円以下の方々が増加しているとのご指摘がありますが、正規雇用創出は2015年に8年ぶりにプラスに転じ、2016年合わせた2年間で79万人増加。この増加幅は非正規を上回っています。

 年収200万円以下の給与所得者の数はご指摘の通り増加していますが、これは景気が緩やかに回復する中でパートで働く方が増加したことによるものと考えられます。

 また給与所得者数は全ての所属階層で増加しており、200万円以下では23.9%から23.3%に減少していることも申し上げたいと思います。

 今後のあらゆる政策を動員して、デフレ脱却、力強い経済政策を目指してまいります」

 藤田幸久が挙げた景気悪化状況、あるいは統計値。

 世論調査で景気回復を実感していない73%。
 総世帯の消費支出2012年1世帯当たり1カ月平均で24万7651円から2016年24万2425円に減少。
 総世帯年間収入2012年1世帯当たり515万円から2016年512万円に減少。
 1人当たりGDP2012年世界第15位から2016年20位に下落。
 非正規雇用労働者は2012年1816万人から2016年2023万人に増加。
 年収200万円以下の雇用者は2012年1090万人から2016年1132万人へと増加。
 株価の上昇の主因は日銀80兆円投入のETF購入・GPIF(年金運用基金)によるもので、アベノミクス効果作用ではない。

 安倍晋三が挙げたアベノミクスによる経済回復状況、あるいは統計値。

 GDPは28年ぶりとなる7四半期プラス成長。
 家計消費では世帯人員の減少等で長期的に減少傾向だが、GDPベースでは実質で2016年以降、全四半期プラス傾向で推移。
 1人当りの名目GDPは円ベースで過去最高の水準。
 正規雇用創出は2015年に8年ぶりにプラス。2016年合わせた2年間で非正規を上回る79万人の増加。
 年収200万円以下給与所得者数の増加は景気回復局面で特徴的なパート従業者増加が原因。
 給与所得者数は全所属階層で増加、200万円以下では23.9%から23.3%に減少。

 以上となる。

 1月25日(2018年)の当「ブログ」で野村総研記事2015年の全階層の純金融資産総額1402兆円が、マスコミ記事2017年6月末時点で過去最高更新の1832兆円と一般生活者の給与の僅かな改善と比較して富裕層の純金融資産独占の状況を浮かび上がらせて、アベノミクスによって格差が大きく拡大していることを書いた。         

 この格差拡大の主因は円安と株高に基づいていることは断るまでもない。一般生活者は株の儲けに縁がなく、円安を受けた輸入生活物資の値上がりによって逆に生活が苦しくなっていて、それが世論調査の「景気回復を実感していない73%」と言うことなのだろう。

 安倍晋三は「GDPは28年ぶりとなる7四半期プラス成長」とアベノミクスを誇っているが、約70%を占めるとされているGDP構成の民需は「家計消費」と「企業投資」で成り立っている。そしてGDPに占める家計が支出する消費額(「家計消費」)の総額は約6割とされている。

 そしてこの6割の大部分を富裕層・準富裕層が大きく貢献していると見なければならない。

 株の儲けに縁のある上に高額給与を受けている富裕層・準富裕層の消費と特に大企業の投資が「プラス成長」のうちの大きな部分を担っていることを考慮すると、「景気回復を実感している50%以上」の世論調査にならなければ、「GDPは28年ぶりとなる7四半期プラス成長」は格差の証明としかならない発言となる。

 安倍晋三はまた、「家計消費では世帯人員の減少等で長期的に減少傾向だが、GDPベースでは実質で2016年以降、全四半期プラス傾向で推移」と発言している。確かに世帯当たりの人員減少に対応して家計消費も減少するが、人員減少に関わらず家計消費が増加する程の力強い景気回復・賃金上昇をアベノミクスが生み出すことができていない力不足という見方もできる。

 世帯の収入・支出に基づく「家計調査」は持家の帰属家賃とインバウンド消費を含まないが、GDPベースではこの両方を含む統計となっている。

 住宅や土地の購入は以後残る財産としての取得であり、消費支出ではないと見て家計調査等には含まないが、持家を借家だと見立ててそれ相応の家賃を計算、それを帰属家賃と看做して、その家賃を支払っていると見て、GDPベースで計算する場合は家計調査等に入れている。

 インバウンド消費とは日本を訪れる外国人観光客の国内での消費活動を言う。

 要するに消費支出としてのその帰属家賃は富裕層・準富裕層等、高額所得者になる程GDPに貢献していて、GDPに占めるその数値は土地・住宅を持たない生活者、あるいは持っていても30年ローンで高齢になるまで支払い続けなければならない生活者には実感なく映ることになるばかりか、逆に格差を反映させたGDPベースということになる。

 さらに円安効果で増加している訪日外国人のインバウンド消費まで計算に入れて、家計消費は「GDPベースでは実質で2016年以降、全四半期プラス傾向で推移するなど持ち直しております」と日々切り詰めた生活を強いられている一般生活者の消費の実態には関係しない統計まで持ち出してアベノミクス効果を証明しようとする。

 裏返すと、これもアベノミクスの力不足の証明としかならない。

 「1人当りの名目GDPは円ベースで過去最高の水準」――

 名目GDPは物価の変動を反映した統計である。円安で外需産業程、為替差益を上げているのに対して一般生活者は輸入物価の高騰で苦しい生活を強いられる特大の格差が生じている。しかもインバウンド消費額や帰属家賃まで含んだプラスとなると、これまた格差の証明としかならない。

 以上の格差拡大の実態を考慮すると、「正規雇用創出は2015年に8年ぶりにプラス。2016年合わせた2年間で非正規を上回る79万人の増加」と言っていることも、「年収200万円以下給与所得者数の増加は景気回復局面で特徴的なパート従業者増加が原因」と言っていることも、格差拡大の前に意味を失うことになるだけではなく、円安で生活物価が高騰している以上、「年収200万円以下給与所得者数の増加」の状態自体を格差拡大阻止にアベノミクスが何ら役に立たず、逆に格差拡大の一方向のみに機能している、力を発揮していると見なければならないはずだ。

 だが、そのように見る目を持っていない。

 格差が急激に拡大している状況下で、「給与所得者数は全所属階層で増加、200万円以下では23.9%から23.3%に減少」がアベノミクスの効果をどのくらい示すオマジナイになると言うのだろうか。


 安倍晋三自身が気づいていないだけのことで、民進党議員藤田幸久の代表質問に対する以上挙げた答弁はアベノミクスは格差ミクスの間接証明としかならない内容で練り上げられていたに過ぎない。

 当然、安倍晋三と藤田幸久のどちらがアベノミクス経済の実態を言い当てていたか軍配を上げるとしたら、藤田幸久に上げて、安倍晋三の発言に対しては虚偽答弁の判決を下さざるざるを得ない。

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安倍晋三は自衛隊の憲法明文化は砂川最高裁判決自衛隊違憲判断を覆してからではないと、違憲騒動は続く

2018-01-26 10:21:13 | 政治

 日本国憲法「第2章戦争の放棄 第9条」は次のように規定している。

 「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」

 要するに第9条第1項で戦争放棄、第2項で戦力の不保持と交戦権の否認を定めている。

 安倍晋三は2017年2017年5月3日、都内開催の「公開憲法フォーラム」にビデオメッセージを送って、「憲法改正は自由民主党の立党以来の党是」であり、「多くの憲法学者や政党の中には自衛隊を違憲とする議論が今なお存在している。『自衛隊は違憲かもしれないけれども、何かあれば、命を張って守ってくれ』と言うのは、あまりにも無責任」であるゆえに「自衛隊の存在を憲法上にしっかりと位置づけ、『自衛隊が違憲かもしれない』との議論が生まれる余地をなくすべきである」と提案、「9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込みたい」と憲法改正の意思を示した。

 戦争放棄と戦力の不保持、さらに交戦権の否認を残したまま戦力である自衛隊を9条3項を設けて明文化する。安倍晋三はこの矛盾を承知していて、9条1項、2項を残すことで国民の拒絶反応を和らげ、兎に角自衛隊を憲法に明記して違憲の影を払拭、自由に活動させようという安倍晋三特有の陰謀を発揮したといったところなのだろう。

 1月24日(2018年)の衆院本会議代表質問でも、「自衛隊は違憲だと主張する有力な政党も存在する。自衛隊員に『君たちは憲法違反かもしれないが、命を張ってくれ』と言うのは無責任だ」(産経ニュース)との感情論を持ち出して憲法への自衛隊明記に意欲を示している。   

 「多くの憲法学者や政党の中には自衛隊を違憲とする議論が今なお存在している」、「自衛隊は違憲だと主張する有力な政党も存在する」と言い、「『自衛隊は違憲かもしれないけれども、何かあれば、命を張って守ってくれ』と言うのは、あまりにも無責任」、あるいは「自衛隊員に『君たちは憲法違反かもしれないが、命を張ってくれ』と言うのは無責任だ」と自衛隊違憲派を批判するなら、果たして事実、自衛隊は合憲なのか、違憲なのか、先ずは決着をつけるべきだろう。

 合憲と決着が着いた場合は正々堂々とその存在を憲法に明記できるし、違憲と決着が着いた場合は、憲法に明記はできなくなる。決着を付けないままに憲法に明記した場合、憲法違反の訴訟は引き続いて発生することになる。

 もし最高裁で違憲判断が出た場合、憲法から自衛隊の文言を削除して、元に戻さなければならなくなる。この可能性は砂川最高裁が自衛隊を違憲とする判断を示している以上、否定できない。

 自衛隊を違憲とする政党も憲法学者も砂川最高裁判断を根拠としているはずだ。

 米軍の日本駐留は合憲か違憲かを争った裁判の砂川最高裁判決が「我が国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである」と言い、あるいは「わが国が、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない」と言っていることは自国軍隊に基づいた「自衛権」、あるいは「自衛のための措置」を「国家固有の権能の行使」として日本国憲法は認めていると判断したわけではない。

 このことは次の判断が証明する。

 「憲法9条の趣旨に即して同条2項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持 し、自らその主体となってこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条1項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。

 従って同条2項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留する としても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである」――

 言っている意味は憲法9条2項の法意は、「戦力を保持し、自らその主体となってこれに指揮権、管理権を行使」して侵略戦争等引き起こさないように「戦力の不保持を規定した」と解するべきで、9条2項が「保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力」を言うと、前段の文意と後段の文意を対応させた上で、「結局わが国自体の戦力を指」すと自衛隊を憲法9条2項が保持を禁止している戦力と位置づけている。

 そして、「外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留する としても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである」として、日本駐留の米軍は憲法9条2項が禁止している戦力に当たらないから、駐留は憲法違反ではないとの判断を示したのである。

 砂川最高裁がこのように判断しなければ、最初に述べた9条2項の法意は正当性を失ことになる。

 要するに日本駐留の同盟国米国の軍隊に基づいた「自衛権」、あるいは「自衛のための措置」は憲法違反には当たらないと、その正当性を認めた。

 「わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力」イコール自衛隊を9条2項が禁止する「戦力」に当たり、米国が「指揮権、管理権を行使し得る戦力」イコール日本駐留の米軍を9条2項が禁止する「戦力」に当たらないという論理を取ると、論理的整合性を保つために結果的に後段の最初に延べているように「同条2項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として」と直接的な判断を避けざるを得なくなる。

 安倍晋三も自民党の側から集団的自衛権行使容認に深く関わった高村正彦も「憲法の番人は最高裁判決」であるとして、事実そのとおりであるが、集団的自衛権行使容認の根拠を砂川判決に置いた。だが、砂川最高裁判決は「国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認している」と述べているのみで、日本国憲法が個別的自衛権及び集団的自衛権を認めていると述べている箇所はどこにもない。

 砂川判決は日本国憲法が個別的自衛権を認めていないことは既に述べた。認めていないゆえに、日本駐留の米軍による「自衛権」、あるいは「自衛のための措置」は許されるとの判断を示した。自衛隊を9条2項が禁止している「戦力」に当たると判断していながら、その自衛隊を集団的自衛の一方の「戦力」に位置づけることは論理的整合性を失う。失うことによって判決の全てを自ら出任せにすることになる。

 このように砂川最高裁判決は自衛隊を違憲の「戦力」と規定、当然、「わが国がその主体となって自衛隊に指揮権、管理権を行使」する
「個別的および集団的自衛の固有の権利」をも日本国憲法は禁止していると解釈しなければ、判決に対する整合性を失うことになる。

 憲法の番人である砂川最高裁判決が自衛隊を違憲としている以上、安倍晋三は自衛隊は違憲ではないとするいずれかの最高裁の判決を求めなければならない。そうしなければ、憲法にその存在を明文化することはできないし、国民を騙し騙し明文化したとしても、「多くの憲法学者や政党の中には自衛隊を違憲とする議論」は永遠に無くなることなないし、違憲判断を求める訴訟はいつまでも続くことになる。
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安倍晋三の18/1/24代表質問答弁:アベノミクス格差縮小説を信じる頭、拡大説を信じる頭、各々の程度

2018-01-25 12:12:52 | 政治

 昨日、2018年1月24日、安倍晋三の施政方針演説に対する各党代表質問が行われた。希望の党代表玉木雄一郎が安倍晋三のアベノミクスによって格差が生じていると指摘、対して安倍第2次政権によって格差は縮小している、幾つかの経済指標を取り上げて答弁した。

 確かに安倍晋三が答弁に使った各指標からは、格差が僅かずつではあるが、縮小に向かっているようには聞こえる。玉木雄一郎の格差に関する
質問箇所を「希望の党」サイトから引用することにする。安倍晋三の答弁は要所要所を取り上げる。文飾は当方。

 「質問」希望の党/2018.01.24)      

■格差是正は二の次の安倍政権

 「勝てば官軍」という思想は、勝った者が正義との考えであり、「明治レジーム」の考え方とも言えます。新自由主義的発想で、強い者はより強く、そして負けた者への配慮など一切ない──小泉政権以降の自民党政権、とりわけ、安倍政権では、こうした姿勢が色濃くなっています。事実、OECDの調査によると、日本では、所得再分配政策を講じた後の方が、格差が拡大するという逆転現象が起き、再分配機能が正しく働いていません。来年度予算案を見ても、生活保護の母子加算や児童養育加算を削減する一方、海外には多額のお金を配ったり、最新のミサイル導入に何千億もの莫大なお金を使おうとしています。多くの国民が、素朴におかしいと感じています。スローガンばかりの政策で、格差是正、とりわけ子どもの貧困対策への予算があまりにも少ないのではありませんか。総理は施政方針演説の冒頭で、「すべての日本人がその可能性を存分に開花できる」時代を切り拓くと明言しましたが、母子家庭の命綱を削るような予算は、これと矛盾します。改めて、総理自身が国民に訴えた言葉の本気度を伺います。

■庶民の懐を豊かにしないアベノミクス バブルへの警戒も必要

 アベノミクスも丸5年が経ちました。物価上昇率2%の目標達成時期はなんと6回も先送りされています。物価上昇目標は一体いつ実現するのか、総理の所見を伺います。

 華々しい目標を掲げて、できないから先送りし、「道半ば」だからまだやらせてほしいというのは、まるでゴールの無い「永遠の道半ば」政策です。これは安倍総理が繰り返す「政治は結果責任」と真っ向から矛盾するのではありませんか。確かに株価は好調です。しかし、多くの国民に実感はありません。昨年12月の日銀調査では「暮らしにゆとり」と答えた人は6.5%で、前回9月から1%近く減少しています。完全雇用状態なのに賃金がなぜ上がらないのか、総理の所見を伺います。

 活況を呈する株式市場もいびつな状態が続いています。昨年は、日銀が6兆円も上場投資信託、ETFを買っている一方で、個人はほぼ同額の6兆円を売り越しています。明らかに「官製相場」の様相が強まっており、日銀の資産残高も500兆円を超えています。もしマーケットが暴落すれば、日銀が破たんし「最後の貸し手」としての機能を発揮できない懸念もあります。万が一の危機に備え、日銀はETFの買い入れをやめるべきと考えますが、総理の所見を伺います。

■安易なサラリーマン増税は消費にマイナス

 税制改正も問題だらけです。なぜ、所得税が増税となるサラリーマンが年収800万円以上から850万円以上に急に変わったのでしょうか。官邸の鶴の一声で決まるような税制は極めて不透明ではないですか。総理の所見を伺います。

 そもそも、消費への悪影響を心配して消費税増税を2度にわたって延期しておきながら、個人消費を支えるサラリーマン層の所得税増税を毎年行うのは政策的にちぐはぐです。しかも、衆院選の公約には一言も書いてありませんでした。取りやすいところから取ろうとする安易なサラリーマン増税に、我が党は反対です。むしろ格差是正のためにも、総所得が1億円を超えると税負担が軽くなる逆累進課税の矛盾を解消するため、株式の譲渡益など金融所得への課税を強化すべきではありませんか。総理の所見を伺います。

 玉木雄一郎は「OECDの調査によると、日本では、所得再分配政策を講じた後の方が、格差が拡大するという逆転現象が起き、再分配機能が正しく働いていません」との文言で、アベノミクスが格差拡大の働きをしていると批判している。

 安倍晋三は先ず、「格差を固定化しない、格差を生じない世界を構築化していくことが重要な課題」と答えて、相対貧困率が政権交代後、経済が好転する中で低下に転じていると答弁している。

 特に上昇傾向にあった子どもの相対的貧困率は総務省の平成26年調査で集計開始以来初めて低下したと、間接的にアベノミクスの効用を謳っている。

 次に全世代の生活保護受給世帯の改善指標を挙げて、格差縮小の証明としている。

 「全世代の生活保護受給世帯は政権交代直後である平成25年のピーク時の約88万世帯より前年同月比で4年6カ月連続で減少し、現在では約77万世帯となっている」

 さらに「貧困の連鎖を断ち切るために来年度予算で5万を超える一人親家庭に対する児童給付手当を支給を増やした」こと。但し生活保護を受ける一人親世帯に支給する母子加算を見直すが、児童養育加算の支給対象者を高校生にまで拡大、「一人親世帯の6割強基準額が増額となる」こと、「生活保護世帯の大学進学等への進学資金のために進学準備金の支給金として自宅から通学に対して10万円、自宅外からの通学に対して30万円を支給の創設を行う」と貧困家庭の生活の底上げによる格差是正策を講じていると力説している。

 安倍晋三「引き続きアベノミクスを更に加速させながら、成長と分配の好循環をつくり上げることが格差が固定化するのを、全ての子ども夢に向かって頑張ることができる社会をつくってまいります」

 上記答弁は一語程度だが、言葉を飛ばしている。丁寧に答弁するという気持よりも、答弁の義務だけを考え、早口に読んで短い時間で終えようという気持が優っているいることからの読み飛ばしなのだろう。

 但しアベノミクスこそが成長と分配の好循環の原動力たり得ているとアベノミクスに太鼓判を押していることに変わりはない。

 玉木雄一郎が「格差是正のためにも、総所得が1億円を超えると税負担が軽くなる逆累進課税の矛盾を解消するため、株式の譲渡益など金融所得への課税を強化すべきではありませんか」と指摘したことに対する答弁。

 安倍晋三「平成30年度与党税制改正大綱により家庭の安定的な負担形成を支援すると共に税負担の垂直的な公平性を確保する観点から関連する各種税制のあり方を含め、諸外国の制度や市場への影響を踏まえつつ、総合的に検討するとされているところであり、丁寧に検討する必要があると考えております」

 要するに金融所得への課税強化は自公与党の議論を待つと言っているのみで、金融所得への課税は格差是正に資する制度にすべきという点にまで踏み込んでいない。安倍晋三が挙げた経済指標から見ると、格差は縮小しているように見えるし、同じく挙げている今後の貧困家庭等に対する政策を見ると、格差縮小が進展するかのように思わせるが、そうであるなら、格差是正にまで踏み込んだ金融所得課税にまで踏み込むべきだが、そうしないのは格差の存在を強調しかねないことになるからだろう。

 「完全雇用状態なのに賃金がなぜ上がらないのか」についての答弁。

 安倍晋三「実質賃金は2016年に前年比プラスとなったのち、2017年に入ってから概ね横這いで推移しています。一方名目賃金については、賃上げは中小企業を含め、今世紀に入って最も高い水準の賃上げが5年連続で実現し、多くの企業で5年連続のベースアップを実施、パートで働く方々の時給は統計開始以来、最高の水準となっております。

 正規の方、非正規の方、それぞれ所得環境が改善が見られ、2015年(?)春以降、増加傾向にあります。もう一つの増加を加味した総雇用所得を見ると、名目で見ても、実質で見ても、2015年7月以降、前年比プラスが続いております」

 そして玉木雄一郎の「昨年12月の日銀調査では『暮らしにゆとり』と答えた人は6.5%で、前回9月から1%近く減少しています」の指摘に対して「昨年9月は7.3%で、12月の6.5%は9月に継ぐ高い数値」だと訳の分からない答弁をしている。

 そして「因みに御党の政権である民主党政権の末期2012年12月を見ると、(『暮らしにゆとり』と答えた人は)3.3%だ」と、数値の比較を以ってしてアベノミクスの効能を間接的に押し出している。

 そして2017年の内閣府の調査を取り上げる。

 「現在の暮らしに満足している」73.9%の過去最高。
 「所得収入面で満足」――平成8年以来、21年ぶりに不満を上回った。

 そして最後に「今春闘で3%以上の賃上げを期待している」と結んでいる。

 安倍晋三の以上の答弁を以ってして、現在のところ、「道半ば」ではあるが、アベノミクスを格差縮小に貢献すると信じる頭の状況になることができるのか、いや、格差拡大にしか貢献しないと信じる頭の状況にならざるを得ないのか、前者・後者によって頭の程度に違いが出る。

 先ず実質賃金が2016年に前年比プラスとなったといっても、1以下のコンマの世界であり、当然、平均の数値である以上、所得上位者が所得下位者のマイナスを補った平均1以下のコンマの世界を構図としていると見なければならない。

 例え1以下のコンマの世界であったとしても、所得最下位層にまで実質賃金がプラスとなったなら、それ以上のプラスを手に入れる所得上位者の賃金がコンマを取り払う力を発揮することになるはずだ。

 だが、そのような状況にはなっていない。このことは物価が上がると上がった分、貨幣価値が下がる名目賃金が中小企業を含め、今世紀に入って最も高い水準の賃上げが5年連続で実現したとしても、物価を反映させることになる実質賃金が1以下のコンマの世界で横這いで推移することになっているところに現れている。

 実質賃金がプラスになったと言っても、所得上位者が所得下位者のマイナスを補った1以下のコンマを構図としていることを証明してみる。

 このことがなぜ格差拡大を示しているのか、証明することになる一つの記事を見てみる。2016年11月28日付の「野村総合研究所」PDF記事に、2015年の〈日本の富裕層は122万世帯、純金融資産総額は272兆円〉なる記述と、全階層の純金融資産総額は、「1402兆円」とする記述がある。   
 2015年の日本の世帯総数は約5300万世帯。5300万世帯-日本の富裕層122万世帯=非富裕層5178万世帯
 全階層の純金融資産総額1402兆円-富裕層純金融資産総額272兆円=1130兆円÷非富裕層5178万世帯≒2183万円(非富裕層1世帯当たりの平均金融資産)
 富裕層1人当りの平均金融資産272兆円÷122万世帯≒2億2300万円

 富裕層1人当りの平均金融資産が2億2300万円に対して非富裕層の1人当りの平均金融資産が2183万円。この格差は大きいが、非富裕層の金融資産がゼロの物が多いことを計算すると、格差は更に大きくなる。

 しかもアベノミクスの上に厚い政策によって年々家計の金融資産残高は増加している。2017年9月20日付「日経電子版」には、〈日銀が20日発表した(2017年)4~6月の資金循環統計(速報)によると、家計の金融資産残高は6月末時点で、前年同期比4.4%多い1832兆円と過去最高を更新した。〉との記述がある。

 上記「野村総研」の1402兆円よりも400兆円以上も増加している。でありながら、実質賃金のプラスが平均1以下のコンマの世界に留まっている。

 要するに安倍晋三がどのような経済指標を示そうと、あるいは下層世帯の生活が少しは良くなっていても、さらに実質賃金がプラスになっていると口を酸っぱくしても、それとも、「パートで働く方々の時給は統計開始以来、最高の水準となっております」と言おうと、所得上位層の所得が上位するに連れて累進的にそれ以上に増加しているから、格差は相対的に確実に拡大していることになる。

 弟が今まで500円貰っていた小遣いが500円増えて1千円に増えたとしても、1万円貰っていた兄が1万5千円の小遣いとなったなら、格差は拡大以外の何ものでもない。

 いわば安倍晋三の「成長と分配の好循環」の訴えに反してアベノミクスが上に厚く、下に薄い所得の再配分機能を構造としていることに何ら変わりはない。所得下位者に対する少しばかりの底上げでアベノミクスが格差縮小に貢献していると解釈するような頭の状況にならないことである。

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安倍晋三が同性婚、夫婦別姓、女系天皇反対なら、「女性の活躍」を言う資格はなく、言うのは滑稽な恥知らず

2018-01-23 11:24:37 | 政治

 安倍晋三が1月19日(2018年)、都内開催の第2回「女性リーダーのための経営戦略講座」レセプションに出席し、立派な感動ものの「スピーチ」(首相官邸/2018年1月19日)をしている。    

 感動部分のスピーチのみを取り上げてみるが、その前に安倍晋三が「女性の活躍」を成長戦略の柱に掲げた2013年6月5日のアベノミクス第3の矢「成長戦略」の発表を見てみる。
 
 それまではアベノミクス第1の矢として「大胆な金融政策」、第2の矢として「機動的な財政政策」を掲げ、「隅々までこびりついてしまった『デフレ』という怪物を退治し、日本の自信を取り戻すための取組み」を公言していた。

 勿論、「『デフレ』という怪物」は今以って退治できていない。

 安倍晋三はこのアベノミクス第3の矢「成長戦略」で「女性の活躍」、「世界で勝つ」、「民間活力の爆発」の3本を柱に据え付けている。勿論、第3の矢「成長戦略」発表後、4年半経過しているが、この3本の柱も全然実現できていない。

 安倍晋三は「女性の活躍」を掲げて以降、国会答弁や記者会見で「女性の活躍」、「女性の活躍」と言い続けたが、発言は空回りしていたことになる。日本の大企業が軒並み戦後最高益を上げているのは日銀による異次元の金融緩和を受けた円安の恩恵と、同じく日銀による日本を代表する大手企業225社対象の上場株式平均株価連動ETF(上場投資信託)大量購入を受けた株高の恩恵からで、「民間活力の爆発」といった自律性の“爆発”とは無縁のものである。

 元々経営が安定していて高い株価を維持している大手企業225社の平均株価連動のETFを日銀が集中的に大量購入する。頭を抑えても、株価は跳ね上がる。官製株高と言われる所以である。

 要するに日銀はアベノミクスは格差ミクスの要因の一つをつくる元凶となっている。

 こういった状況を前提として安倍晋三の「女性リーダー」云々での発言を見なければならない。

 安倍晋三「この講座は昨年に続きまして2回目であります。女性のリーダーが日本で増えるように、ハーバード・ビジネス・スクールの協力を得てスタートしました。正に女性の活躍を日本は必要としているわけでありますが、バダラッコ、モス両教授には、再び東京までお越しいただき本当にありがとうございます。そして竹内教授には、日本と米国の懸け橋となって、今回の講座にも大変な御尽力をいただいたことを御礼申し上げたいと思います」――

 「正に女性の活躍を日本は必要としている」

 安倍晋三がアベノミクス第3の矢「成長戦略」の3つの柱の1つとして「女性の活躍」を掲げた以上、自らの政策によって実現させなければならない「女性の活躍」だが、実現できないままにハーバード・ビジネス・スクールの2人の教授を東京にわざわざ招いて女性が活躍するための講座を開催しなければならない。安倍晋三の「女性の活躍」の連呼が空回りしていることの何よりの証明でしかない。

 安倍晋三「私は、政権発足以来、女性の活躍を政策の中心に据えました。そして結果、働く女性は150万人増えたわけであります。ただ、企業の女性役員の数では、この5年間で2倍以上に増えているものの、欧米の先進国に比べるとまだまだという水準だと思います」

 「働く女性150万人増」を以って「女性の活躍」だとする。これ程の滑稽で恥知らずなハッタリはない。「150万人」に関わらず、働く女性全てに対してそれぞれの就業形態や就業形態に応じることになるそれぞれの賃金の違い等の労働環境が果たして「女性の活躍」という達成感、あるいは自己実現欲求を充たしているのかどうかは一切無視している。

 「女性の活躍」とは何ぞやを真に考えずに、単に少子高齢化を受けた労働力人口減少を女性の就業で満たす意味で使っているから、こういったハッタリをかまさなければならない。

 安倍晋三「先ほど教授からは、女性がなかなか日本で頑張りにくい2つの理由として、長時間労働と夜のお付き合いと、こういう話がありました。長時間労働については、昨年連合とも我々合意しまして、時間外労働の長時間の規制を、初めて罰則付きで入れる法律をこの国会に出すわけでありますから、これは大きく変わっていく。

 長時間働くことを自慢するこの文化を変えていく必要があると思いますし、あとまた、先生に申し上げたんですが、夜の一杯飲む付き合いというのも、随分もう殆どなくなったんじゃないですかね。私が会社に入った頃から徐々になくなり始めていて、上司から誘われたら忙しいと言って、同僚や男女で飲みに行く場合は参加するということはありますけれども、だんだん会社の延長での、というのはなくなり始めてきているのかなと。ですからそういう文化も更に変えていく必要があるのかもしれないなと思います。男性だけなら、仕事もそこそこに酒の席にそのまま延長、なんてことになりかねませんが、女性の皆さんと一緒に仕事をしていれば、なかなかそういうことにはなりにくいのではないのかなと思います」

 アメリカ人の教授から、「長時間労働と夜のお付き合い」を日本の女性が「頑張りにくい2つの理由」として指摘されたからと言って、そのことだけを考える。単細胞が災いして、従属的思考性しか成り立たせることができない。

 「長時間労働と夜のお付き合い」は男女同条件とすると、仕事に於いて男性は「活躍」できて、女性は「活躍」できないとする理由は見い出すことができなくなる。

 確かに幼い子持ちの女性の場合は「長時間労働と夜のお付き合い」は不可となって、そのことが仕事にマイナスに影響して「活躍」の阻害要件となり得るとしても、子どもが幼い間だけのことであって、一定期間が過ぎて、子どもを保育施設に預けることができさえすれば、その阻害要件から解放されることになるはずである、

 但しここで問題となるのは仕事上の「長時間労働」の問題だけではないということである。仕事上は「長時間労働と夜のお付き合い」が男女同条件だったとしても、家事に於ける「長時間労働」は女性が殆ど担っていて、そのことに向けるエネルギーが仕事に向けるエネルギーを削いで「女性の活躍」を抑える女性一般にとっての特殊な事情となっていることであろう。

 2016年3月1日付の「Newsweek」記事、《日本は世界一「夫が家事をしない」国》なる記事は「国際社会調査プログラム(ISSP)」が2012年に実施した「家族と性役割に関する意識調査」で、「子持ち有配偶男性家事・家族ケア分担率」(男性の平均時間÷男性の平均時間+女性の平均時間)を調べたところ、日本は33カ国中最下位の18.3%と出ている。スウェーデンが42.7%の第1位。アメリカが37.1%の第11位。

 日本は第30位、25.8%の韓国よりも下回っている。

 日本の男女の家事労働の分担時間の格差はブログに何度も書いてきたが、日本の男尊女卑の風習の名残として今以って男性の、あるいは少なくない女性の精神に巣食わせている男性上位・女性下位の権威主義から来ていることは論を俟たない。

 要するに女性を仕事上の「長時間労働と夜のお付き合い」から解放したとしても、仕事上も家庭内に於いても男性上位・女性下位の権威主義から解放せずに、その遺習を現在あるままに残したのでは「女性の活躍」の芽を摘む役目しか果たさない。

 現代に於いて男女共に労働はそれぞれの人生の多くの時間を占める。それゆえに多くの場合、労働に於ける自己実現が生きる上に於いての自己実現に対応する。自己実現は何らかの活躍が導き出してくれることになる。

 安倍晋三は「一人ひとりの日本人、誰もが、家庭で、職場で、地域で、もっと活躍できる」「1億総活躍社会」の実現を掲げている。あるいは「1億総活躍社会」とは、「若者も年寄りも、女性も男性も、障害のある方も、また難病を持っている方も、あらゆる方々、例えば一度大きな失敗をした人もそうですが、みんなが活躍できる」社会だと力強く定義づけている。

 当然、安倍晋三は単に「みんなが活躍できる」という視点からだけではなく、国民それぞれの生きる上に於いての自己実現という視点からも自らの政策を俯瞰しなければならないことになる。

 俯瞰できなければ、「女性の活躍」を言おうと、誰の活躍を言おうと、雇用の観点からのみの「活躍」を言い続けることになるだろう。
 
 安倍晋三は2015年2月18日の参議院本会議代表質問で次のように答弁している。

 安倍晋三「同性カップルの保護と憲法24条との関係についてのお尋ねがありました。

 憲法24条は、婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立すると定めており、現行憲法の下では、同性カップルに婚姻の成立を認めることは想定されておりません。同性婚を認めるために憲法改正を検討すべきか否かは、我が国の家族の在り方の根幹に関わる問題であり、極めて慎重な検討を要するものと考えております」――

 安倍晋三は同性婚を「我が国の家族の在り方の根幹に関わる問題」と発言することで異性婚を「我が国の家族の在り方の根幹」としている。いわば同性婚を「我が国の家族の在り方」から排除している。

 だが、同性愛者にとって同性婚は最終的には生きる上での一つの重大且つ重要な自己実現であって、安倍晋三の排除は「1億総活躍社会」で「誰もが」を対象とした、あるいは「あらゆる方々」を対象とした生きる上に於いての自己実現をウソにすることになる。

 安倍晋三は2010年7月発売の雑誌「WiLL」で、「夫婦別姓は家族の解体を意味します、家族の解体が最終目標であって、家族から解放されなければ人間として自由になれないという、左翼的かつ共産主義のドグマです」と述べているという。

 夫婦別姓を望む男女にとって、その達成はやはり最終的には生きる上での一つの重大且つ重要な自己実現の手段であって、「1億総活躍社会」を掲げる以上、そのことに向ける目を持たなければならないはずだが、向ける目を持たないままに「1億総活躍社会」を掲げるのは滑稽な恥知らずそのものである。

 異性婚や夫婦同姓を「日本の家族の在り方の根幹」とする考え方は男性上位・女性下位を伝統とする権威主義からきている。異性婚・夫婦同姓の成り立ちそのものが男性上位・女性下位の世界を端緒としていたからだ。

 安倍晋三が女系天皇に否定的で、男系の継承のみを日本の天皇制に於ける伝統としている歴史認識も、天皇を日本人の大本としている関係から、男性上位・女性下位の権威主義に立っている。

 安倍晋三は男性上位・女性下位の権威主義を精神性としながら、「女性の活躍」を言い、誰もが分け隔てなくという意味で「1億総活躍社会」を掲げる。

 自身の矛盾に気づかずないのは滑稽なまでに恥知らずだからだろう。所詮、女性の雇用が何人増えただけで終わる「女性の活躍」であり、「1億総活躍社会」を宿命とすることになる。

 それぞれの自己実現にまで考えが及ばないから、このような限界を抱えることになる。
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トランプ・アメリカの「国防戦略」は北方四島返還と拉致解決の可能性をゼロを確定値とすることになる

2018-01-22 11:37:07 | 政治

 アメリカのマティス国防長官がトランプ政権下初の「国防戦略」を取り纏め、1月19日に公表したと2018年1月20日付「NHK NEWS WEB」記事が伝えている。 

 中国とロシアを既存の国際秩序への脅威となる「修正主義勢力」だと位置づけた上で中国やロシアとの軍事的な競合への対応を最優先課題とし、両国に対する競合対応策として核を含む軍事力増強を手段としたアメリカの軍事的優位維持の早期実現化を謀ると同時に日本等に対する同盟関係強化、その役割重視を掲げた内容となっているという。

 対中国戦略「経済力を使って周辺国を脅し、軍事力も梃子にインド太平洋の秩序を自国に優位な形でつくりかえようとしている」ことへの阻止。

 対ロシア戦略「ヨーロッパと中東の経済・安全保障の構図を都合よく変えようとしている」ことへの阻止。

 マティス国防長官「今やテロではなく、大国間の競争こそが最も重要な焦点だ」

 記事は、〈北朝鮮については核ミサイルや生物化学兵器を追求しており、イランとともに「ならず者政権」だとし、地域や国際社会を不安定化させていると指摘〉と解説している。
 
 北朝鮮に対しては今始まったことではないが、トランプ政権のアメリカはこの「国防戦略」によって中国とロシアを明確に軍事的仮想敵国に位置づけたことを意味する。

 2016年12月15日、安倍晋三は北方四島の帰属問題解決とロシアとの平和条約締結進展に向けてロシア大統領のプーチンを安倍晋三の地元に招待、第1回日露首脳会談を開き、更に翌日の2016年12月16日に首相官邸で第2回目の日露首脳会談開催、その後「共同記者会見」を開いている。 

 プーチン「例えばウラジオストクに、その少し北部に2つの大きな海軍基地があり、我々の艦船が太平洋に出て行きますが、我々はこの分野で何が起こるかを理解せねばなりません。しかしこの関連では、日本と米国との間の関係の特別な性格及び米国と日本との間の安全保障条約の枠内における条約上の義務が念頭にありますが、この関係がどのように構築されることになるか、我々は知りません」

 ウラジオストクには海軍の太平洋艦隊の基地があり、「少し北部」の「大きな海軍基地」とはカムチャツカ半島先端部太平洋岸の同じく太平洋艦隊所属の原子力潜水艦基地となっているヴィリュチンスクのことを言っているのだろう。

 プーチンはこの2つの太平洋に出るロシア太平洋艦隊基地を「日本と米国との間の関係の特別な性格及び米国と日本との間の安全保障条約の枠内における条約上の義務」を念頭に置いた役割を担わせているとの意味を持たせることで、米国に対してだけではなく、米国と軍事的にも経済的にも文化的にも特別な関係にある日本に対する軍事的備えでもあるとの趣旨の発言としていることになる。

 当然、カムチャツカ半島の先端から北海道まで南下しているロシア実効支配の北方四島を含む千島列島(ロシア名クリル諸島)はロシア領海へのアメリカ海軍侵入の防衛線と位置づけていることになる。

 プーチン・ロシアは2016年12月15日・16日の安倍・プーチン首脳会談前から、北方四島でミサイル配備等の軍事力増強を図り、軍事演習まで行っているだけではなく、ロシア国民に土地を条件付きで無償提供して北方四島の住民を増やしているのは対米・対日防衛の軍事拠点化の意味合いを持たせているからだろう。

 安倍・プーチン共同記者会見から約3カ月後の2017年3月20日、日露はロシアのクリミア併合を受けて2013年11月以来中断していたショイグ・稲田朋美防衛相会談を都内で3年4カ月ぶりに開催したと「ロイター」(2017年3月20日)記事が伝えている。       

 ロシア国防相ショイグは日本配備の弾道ミサイル防衛(BMD)システムがアジア太平洋地域の戦力バランスを崩すと指摘し、特に在日米軍のシステムに懸念を示すと同時に日本が導入を検討中の新型BMDに、牽制の意味を込めてのことなのだろう、言及したと記事は解説している。

 稲田朋美が弾道ミサイル防衛(BMD)システムは北朝鮮の相次ぐ弾道ミサイル発射等を挙げながら、自衛のために必要と説明する一方でロシアによる北方領土(南クリル諸島)の軍備増強に改めて抗議したのに対してショイグ国防相は地域の安全保障を取り巻く環境が変化するなかで必要な防衛措置だなどと説明したと言う。

 いわばロシアは自国防衛を目的に北方四島にまで軍備増強を謀り、日本に対してはアジア太平洋地域の戦力バランスを崩すとの理由でその軍事力強化を牽制していることになる。答として軍事的一体性にあると捉えている日米に対して少しでも軍事的に優位な立場を確保する思惑があると見なければならない。

 当然、当ブログに散々書いてきたことだが、プーチンは北方四島を返還する意思はない。そこへ持ってきて、トランプ・アメリカは中国とロシアを既存の国際秩序破壊の「修正主義勢力」だと定義づけた「国防戦略」を発表した。

 果たしてプーチンは本心から、軍事的な対米・対日防衛線の一部無力化に繋がる北方四島の帰属を含む平和条約締結の交渉を進めましょうと言うだろうか。勿論、日本から経済的果実を手に入れるために今までのように交渉に向けた姿勢を装うことはする。

 ロシア側は日露が平和条約を結んだとしても、その平和条約よりも米露間に、あるいは日露間に何らかの有事が発生した場合は日米の政治的・軍事的・文化的一体性が優先されると考えているに違いない。

 そのための北方四島の軍備増強であり、そういった諸々がプーチンの共同記者会見での発言となって現れた。

 プーチン・ロシアはトランプ・アメリカの「国防戦略」を受けて、北方四島のなお一層の軍備増強に努めざるを得なくなるだろう。元々ゼロに等しい返還の芽をゼロを確定値と印象づける「国防戦略」となるに違いない。

 「国防戦略」はまた、北朝鮮を「ならず者政権」と断定。アメリカが北朝鮮の存在を地域や国際社会を不安定化させている要因としている以上、トランプ・アメリカは北朝鮮の政権――金正恩独裁政権の一掃を謀っていることになり、それが軍事的で方法であろうと、経済・金融の圧力政策であろうと、北朝鮮にとっては認めがたいことで、国家体制防衛のために益々ミサイル開発・核開発邁進の動機とせざるを得なくなるだろう。

 元々、安倍晋三は北朝鮮の脅威を「国難」と位置づけ、北朝鮮のミサイル開発・核開発政策を変更させるためと称して対北圧力一辺倒政策を掲げたが、圧力政策と拉致解決は相互矛盾の関係にあるにも関わらず、「毅然とした強い外交力によって北朝鮮の核・ミサイルの問題、そして拉致問題を解決する」とか、同じように拉致解決と矛盾することになる対北圧力政策を掲げるトランプが2017年11月5日、6日に来日の際は拉致被害者家族をトランプに面会させたりするマヤカシを演じたが、今回のトランプ・アメリカの「国防戦略」が北朝鮮に対しても新たな軍事的圧力となってミサイル開発・核開発への邁進ばかりか、拉致解決の芽をすっかり根こそぎしてゼロを確定値とすることになるに違いない。

 アメリカと日本が軍事的方法、あるいは軍的方法によらずに金正恩独裁体制を崩壊させることができたとしても、最後の報復として拉致被害者を果たして生かしておくだろうか。
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アホな河野太郎の行革相時代の大使館定員削減「失敗だった」は安倍晋三の人づくり革命・生産性革命と逆行

2018-01-19 10:13:44 | 政治

 アホな外相河野太郎の2018年正月1月9日の外務省職員向け新年の挨拶。「朝日デジタル」2018年1月10日01時19分)    

 自身が行政改革担当相時代の2015年に2016年1月開館のモルディブ大使館の定員を上限の4人とする「ミニマムマイナス公館」とするよう求めたことを反省したという。

 河野太郎は今年1月6日、モルディブを訪問。そして気づいたようだ。

 河野太郎「現地を見て明らかに私の間違い、失敗だったと実感した。この人数ではとても(業務が)回らない。館員もなかなか休暇が取れない。

 自分のやった失敗は取り戻さなければいけないと痛切に感じた。今まで在外公館の数を増やそうとしてきたが、スピードを緩め、それぞれの公館がもっと力を発揮できるようにしなければいけない」

 この発言を過ちを素直に認める清廉潔白さの現れとのみ取るかできるだろうか。

 「ミニマムマイナス公館」の「ミニマム」は「最小限。最小」という意味。「ミニマムマイナス」とは最小限から更に引いた数のことなのだろうか。その人数が分からないから、ネットで調べてみた。運良く次のサイトに出会った。

 「機構定員審査」(衆議院議員 河野太郎公式サイト/2015.12.25)
 
クリスマスイブの閣議で来年度の税制、予算案、そして私が担当する機構・定員に関して報告され、閣議決定されました。

来年度の機構・定員に関しては、テロ対策やサイバーセキュリティ対策といった重要課題に重点化した他、厳格な審査を行いました。

機構については、12省庁に情報セキュリティ・情報化推進審議官を設置することを認めました。

しかし、この12の審議官級ポストの新設に当たっては審議官級ポスト3、課長級ポスト9及び室長級ポスト10を廃止させ、人件費が増えないようにしました。

また、このポストにはその知識経験を有する者を充てることとし、そのような人事が行われているかどうか、しっかりチェックしていきます。

また、サモア、アルバニア、マケドニア旧ユーゴスラビア、モーリシャスへの大使館設置とインドのベンガルールへの総領事館設置を条件付きで認めました。

外務省の機構定員に関しては、岸田外務大臣との大臣折衝で、在外公館の定員と実員の乖離を3年間で解消すること、外務省職員の語学力を向上させること、英語ならば原則TOEFLで100点以上を求めること、定員の上限を4人とする「ミニマムマイナス」公館を導入するとともに、平成28年度は14の公館の定員規模を小さくすることを求め、外務省の定員を90名純増しました。

在外公館の定員は、自民党の行革推進本部でも問題視してきましたが、これまでのコンパクト公館(大使館9人、総領事館7人)、ミニマム公館(大使館7人、総領事館6人)に加えて、ミニマムマイナス公館(定員4人)を新設していただきました。

各省にご協力をいただいた結果、来年度の定員は917人純減となり、今年度の888人純減を上回ることができました。

 定員上限4人の「ミニマムマイナス」公館まで設けて平成28年度は14の公館の定員規模を小さくする在外公館定員減を図る一方で外務省定員を90名純増する。この結果、2016年度定員は2015年の888人純減を29人上回る917人純減に成功した。

 と言うことは、外務省定員90名を純増したとしても、2015年から2016年にかけて全体で29人も純減が上回るから、在外公館定員を90+29=119人も減らしたことになる。119人純減に外務省にプラスした90名を引くと、全体で29人の純減となる。

 そしてこの定員減を失敗だったと言う。当然、頭数を不必要とする合理的理由からではなく、ただ単に定員を減らす目的で機械的に頭数を削っていったことになる。

 コンパクト公館(大使館9人、総領事館7人)、ミニマム公館(大使館7人、総領事館6人)、ミニマムマイナス公館(定員4人)と言った具合に前以ってランク付けておいたそれぞれの定員をそれぞれの在外公館に当てはめていくこと自体が必要性・不必要性の合理的理由そのものを欠いている人員配置の証明としかならない。

 必要性・不必要性の合理的理由に基づいた人員配置であったなら、定員のランク付けなど行いようがない。

 河野太郎の二つの記事を読んで、アホは話だとしか感想は浮かんでこない。

 この男のアホさはこれだけに限らない。安倍晋三は日本の深刻な少子高齢化を受けた生産年齢人口減少時代を前にしてその克服の方策としてロボット、IoT、人工知能、あるいはビッグデータを活用した生産性革命を掲げた。

 と言っても、生産性の本質的な決め手は必要とされる情報を的確に読み取り、それを的確な判断や行動に結びつけることのできる考える力であって、当然、学校教育の質が問題になってくることになるが、安倍晋三みたいにこのことに気づかずにただ単にロボット、IoT、人工知能、ビッグデータと名前を上げて活用対象とするだけでは外国も真似ができることであって、生産性の向上は覚束ない。

 2016年OECD加盟35カ国中の生産性が前年同20位で、6位のアメリカ(69.6ドル)の3分の2の水準にとどまり、主要7カ国では最下位という結果に終わっているのは学校教育が人の指示・命令で動くのではない、自身の判断(他の助けを借りない自身の手による情報読み取り)で動くことのできる考える力を育む政策を取っていないからだろう。

 人の指示・命令で動く前者とそうでない後者の行動の差は時間の差となって現れ、時間差は行動量の差となり、否応もなしに生産性に結びついていく。

 また、考える力の育みは単なる教育の無償化以上に人づくり革命への優れた培養液となり、それが生産性革命へと姿を変える。

 いずれにしても少子高齢化=生産年齢人口減少が生産性の向上を必要としていることに変わりはなく、河野太郎は在外公館が人数不足の状況に陥っているなら、ただ単に機械的に増員を図るということではなく、先ずは現状の人数で仕事の効率を図る生産性の向上に取り組むべきであろう。

 人数が足りない、では、人数を増やせの機械的な考え方ではいつまで経っても少子高齢化の波を乗り越えることはできないし、当然、生産年齢人口減少とその影響による人手不足に太刀打ちできないことになる。

 それとも河野太郎は国家公務員は地位と収入が安定していて、募集をかければいくらでも集まる、その煽りで民間がなお一層の人手不足に陥ろうと構わないということなのだろうか。

 アホに付けるクスリはないが、河野太郎がいくらアホでも、仕事の効率を図る生産性の向上を第一の要点としない在外公館の1+1=2とするだけの機械的増員の考えは少なくとも安倍晋三の生産性革命のスローガンに逆行しているということだけは気づくべきだし、本人が気づかなければ、周囲の誰かが気づいて、逆行することになると教えるべきだろう。

 本人も気づかない、周囲も気づかないようなら、OECD加盟35カ国中の日本の生産性の下位近辺低迷の伝統は伝統の名に恥じない名誉ある地位を保ち続けることになるはずだ。

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百田尚樹の「朝日新聞も読者も日本の敵」発言に見る自己=日本とする自己絶対の独裁意志の働き

2018-01-18 10:58:31 | Weblog

 作家の百田尚樹が自らのツイッターで朝日新聞を批判、「朝日の読者も日本の敵だ」と朝日新聞ばかりか、その読者までを「日本の敵だ」と同罪に祭り上げた趣旨のマスコミ記事に二日前程に出会った。

 対して朝日新聞広報部のツイッターが反論したと出ていた。

 どういった発言なのか、具体的に知りたいと思って、名誉なことだが、ブロックを受けている百田尚樹のツイッターに念のためにアクセスしてみると、やはりと言うべきか、案の定と言うべきか、〈ブロックされているため、@hyakutanaokiさんのフォローや@hyakutanaokiさんのツイートの表示はできません。〉と丁重な断りを受けて投稿文そのものを覗くことができなかった。

 仕方がないから、マスコミ記事から百田尚樹の投稿文と朝日新聞広報部の投稿文のみを借用、自分なりの受け止めを記してみるが、記事内容の詳しいことは記事にアクセスして確かめて貰うことにする。

 「J-CAST」2018/1/16 20:30)

 2018年1月13日百田尚樹ツイッター。

 「朝日新聞は、慰安婦の日韓合意で、韓国の肩を持ったり、尖閣の中国潜水艦の記事を一面から外したり(他紙はすべて一面)、マジで潰れてもらわないといけない!!。

 これは首を賭けてもいい。もし、中国と日本が軍事衝突をすれば、朝日新聞は100パーセント、中国の肩を持つ。朝日新聞は日本の敵だが、そんな売国新聞を支えている朝日の読者も日本の敵だ」

  2018年1月15日夕、朝日新聞広報部ツイッター。

 「『朝日の読者も日本の敵だ』と作家の百田尚樹さんが発信していますが、特定の新聞の読者を敵視するような差別的な発言に強く抗議します。私たちはこれからも建設的で多様な言論を尊重し、読者とともにつくる新聞をめざします」

 2018年1月15日夜、百田尚樹ツイッター。

 「朝日新聞の広報さん、僕のツイートに対して二日も経ってから気合いを込めてツイートしたのに、非難轟々のリプライばかりじゃないか。
 
 読者はエールを送ってくれないのか。応援リプライがほとんどない現実を受け入れたらどうだろう?」

 2018年1月16日早朝、百田尚樹ツイッター。

 (朝日新聞が13日付のツイートを「差別的な発言」とみなしたことに)「朝日新聞の広報さん、私はたしかに朝日新聞と読者を敵視したようなツイートをしましたが、差別的な発言はしていません。

 なんでもかんでも、すぐに『差別だ!』と、がなりたてるのはやめませんか。精神が弱者ビジネス丸出しですよ」

 記事。〈16日20時時点で、朝日広報ツイッターはこの発言への反応を示していない。〉

 日中軍事衝突は可能性としては全否定できない現実的な有事の一つとしなければならないが、その衝突を「100パーセント」中国が絶対悪で、「100パーセント」日本を絶対善と決めつけることの妥当性は戦前の日米戦争が証明する。

 戦前の日本の国民世論の大勢は決定的に対米戦争を「100パーセント」日本の絶対善とし、戦争反対者を「100パーセント」絶対悪とした。このような善悪二元論で思想統一できたのは、あるいは言論統制することができたのは戦争に反対する日本人を同じ日本人でありながら、「日本の敵」を意味する“国賊”、“売国奴”、あるいは“アメリカのスパイ”と非難し、排斥することに国民大衆が付和雷同したからなのは見てきたとおりである。

 このような思想統一、あるいは言論統制の全体主義的な力を前にしてアメリカの国力をよく知る日本人が日本の国力との差で無謀で危険な戦争だと考えていたとしても、非難・排斥を恐れて口を閉ざすことになった。

 戦争は外交政策の稚拙さ、あるいは失敗をプロセスとする。それが相手側の稚拙さ、あるいは失敗であったとしても、それを阻止できずに自国の土俵に引き込むことができなかったその外交政策はその実現能力と共に問われなければならないし、戦争によって自国に多くの犠牲者や大きな被害を決定的にもたらした場合は、結果論としても外交政策の質を問題としなければならない。

 戦争というものがこういう構図を取る以上、戦争となった場合は否応もなしに功罪相伴うことになる。伴うからこそ、トランプは軍事力の点でアメリカが北朝鮮のそれを圧倒的に上回りながら、簡単には北朝鮮を攻撃できずにいる。計り切ることができない自国及び自国民の被害を恐れているはずだ。

 いわば「100パーセント」正しい戦争と言うものも、「100パーセント」絶対悪である戦争と言うものも存在しない。燎原の火勢でヨーロッパ大陸に跳梁跋扈させたナチス・ヒトラーの侵略にしても欧州各国の外交にも何らかの問題があったはずだ。

 当然、日中間に軍事衝突があったとしても、朝日新聞が言論機関としての良識を備えていさえすれば、「100パーセント、中国の肩を持つ」ということはあり得ないことで、それぞれの功罪を取り上げることになるはずだ。

 却って恐れなかればならないのは戦争というものの構図を無視して、戦前のように「100パーセント」日本の「肩を持つ」ことである。日本の戦争を「100パーセント」絶対善とする思想統一・言論統制に与することであろう。戦争に批判的、あるいは反対の意見を口にするすべての日本人を“国賊”、“売国奴”、あるいはどこそこの“スパイ”と非難し、排斥することであろう。

 要するに百田尚樹は様々に展開される外交上のプロセスを最初から考慮に入れずに、いわば日本の外交の拙劣さ、あるいは失敗を発端とするケースも可能性として想定しなければならない日中軍事衝突を単眼的視野狭窄に陥って無条件的に常に日本を絶対善とする立場から「朝日新聞は100パーセント、中国の肩を持つ」と絶対悪とする中国と同列に置き、その速断を以ってして「売国新聞」だと冒涜、「そんな売国新聞を支えている朝日の読者も日本の敵だ」と排除することで実質的には日本を「100パーセント」絶対善とし、中国を「100パーセント」絶対悪とする善悪二元論の思想統一・言論統制を謀っている。

 また、百田尚樹が朝日新聞とその読者を「日本の敵だ」と決めつけていることは自身の思想や立場、いわば自身そのものを絶対とし、その絶対を以ってして自己を日本国家にイコールさせていることを意味する。いわばそこに独裁意志を働かせていることになる。

 なぜなら、日本国憲法が保障する日本人それぞれの言論の自由や信教の自由を常に念頭に置いているなら、日本という国を自己の所有物であるかのように扱って「日本の敵」とすることは絶対的不可能事となるからだ。

 朝日新聞とその読者を「敵」と言うことが許されるのは百田尚樹の思想や立場から見て、それらと相容れないために「敵」という意味でなければならない。あるいは百田尚樹と思想や立場に同調する日本人に限っての「敵」でなければならない。日本国憲法が基本的人権として保障する言論の自由や信教の自由に忠実であろうとすれば、このような関係を必ず取らなければならない。

 言論の自由や信教の自由を無視して「日本の敵」とし、それが国民に広く受け入れられて日本人であることを否定する一般的なレッテルとして流布した場合、戦前の日本に戻ることになる。

 百田尚樹のような人間が何かのキッカケで国家権力を手に入れた場合、戦前日本国家同様に自身の思想や立場に反する日本人を「日本の敵」とする思想統一・言論統制を用いて独裁権力を恣(ほしいまま)にする違いない。

 悲しいことに百田尚樹は自身が極めて金正恩に近い人間であることに気づいていない。この男が安倍晋三の親友だというから、恐ろしい。

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安倍晋三の「杉原千畝の勇気ある行動は日本人の誇り」は何ともツラの皮の厚いご都合主義な歴史認識であることか

2018-01-16 11:58:29 | 政治

 安倍晋三がリトアニア訪問中の2018年1月14日午前(日本時間14日午後)、カウナスを訪れて先の大戦中にユダヤ人難民を救った「命の査証(ビザ)」で知られる外交官杉原千畝(ちうね)の記念館を視察し、視察後、記者団に「日本人として誇りに思う」と語ったと言う。

 「安倍晋三の発言詳報」産経ニュース/2018.1.14 22:44)
    
 【カウナス=田村龍彦】リトアニア訪問中の安倍晋三首相は、カウナスを訪れ、先の大戦中にユダヤ人難民を救った「命の査証(ビザ)」で知られる外交官、杉原千畝氏の記念館を視察した。視察後、記者団に「日本人として誇りに思う」と語った。安倍首相の発言の詳報は次の通り。



 「子供たちを含め地元の皆さんに大変温かい歓迎を受けることができました。やはり杉原千畝さんの勇気に対する地域の皆さまの気持ちの表れだろう。日本から遠く離れたこの地で、杉原千畝さんは大変な困難な状況の中、強い信念と意志を持って日本の外交官として、多くのユダヤ人の命を救いました。

 昨日も晩餐会で、私から遠く離れた方がわざわざ私のところに来られました。ユダヤ系の国会議員ということでしたが、彼のお母さんは残念ながら『命のビザ』が間に合わず収容所に入れられてしまったが、それでも杉原さんの勇気と努力に敬意を表したい、感謝を伝えたいと来られました。

 世界中で杉原さんの勇気ある人道的行動は高く評価されています。同じ日本人として本当に誇りに思います。また、地元の皆さまがこの領事館にひるがえっていた日の丸を含め、杉原さんの記憶を大切に保存していただいていることに日本を代表してお礼を申し上げます」

 当時欧州各国で迫害を受け、通過査証発給の条件を満たさないユダヤ人にまで日本通過ビザを発給した杉原千畝の人道支援に則った行動を安倍晋三が「勇気ある人道的行動」だったと讃えると同時に自らを「同じ日本人として本当に誇りに思います」との物言いで自らを同種の日本人として提示している。

 提示する資格は戦前の日本国家をどう見ているのか、その歴史認識によって違いも出てくるし、あるいは安倍晋三の現在の難民政策の内容如何によって違いも出てくるはずだ。

 違いがなければ、杉原千畝と自身を並べ立てる資格が出る。

 果たして安倍晋三が自らを杉原千畝と同種の日本人として提示する資格があるのかどうかを見てみる。

 杉原千畝がビザ発給したのは1940年夏。当時の大日本帝国におけるユダヤ人対策は次のようになっている。

 「猶太人対策要綱」(1938年(昭和13年)12月6日附 五相会議決定)Wikipedia)            

独伊両国ト親善関係ヲ緊密ニ保持スルハ現下ニ於ケル帝国外交ノ枢軸タルヲ以テ盟邦ノ排斥スル猶太人ヲ積極的ニ帝国ニ抱擁スルハ原則トシテ避クヘキモ之ヲ独国ト同様極端ニ排斥スルカ如キ態度ニ出ツルハ唯ニ帝国ノ多年主張シ来レル人種平等ノ精神ニ合致セサルノミナラス現ニ帝国ノ直面セル非常時局ニ於テ戦争ノ遂行特ニ経済建設上外資ヲ導入スル必要ト対米関係ノ悪化スルコトヲ避クヘキ観点ヨリ不利ナル結果ヲ招来スルノ虞大ナルニ鑑ミ左ノ方針ニ基キ之ヲ取扱フモノトス

方針

一、現在日、満、支ニ居住スル猶太人ニ対シテハ他国人ト同様公正ニ取扱ヒ之ヲ特別ニ排斥スルカ如キ処置ニ出ツルコトナシ
二 新ニ日、満、支ニ渡来スル猶太人ニ対シテ一般ニ外国人入国取締規則ノ範囲内ニ於テ公正ニ処置ス
三、猶太人ヲ積極的ニ日、満、支ニ招致スルカ如キハ之ヲ避ク、但シ資本家、技術家ノ如キ特ニ利用価値アルモノハ此ノ限リニ非ス

 要するに日本は独伊との親密な関係維持のためには両国の反ユダ主義と齟齬を来たすユダヤ人政策を採用することはできないが、独と同様の過酷なユダヤ人排斥は日本が中国や東南アジアへの侵略を正当化するためのスローガン「八紘一宇」(世界を一つの家にするの意)を実現させる必要条件としてタテマエ上掲げていた「人種平等」に反することになることと、特に米国からの外資導入と対米関係悪化回避を考えるとできないとして、以下の2点、日本、満州、中国に現在居住のユダヤ人に対しては「公正な取扱い」を行い、「特別な排斥」を禁じること、日本、満州、中国への新たな居住ユダヤ人に対しては「外国人入国取締規則の範囲内で公正に取り扱う」ことと決めている。

 そして3点目として独伊との関係を考えてと言うことなのだろう、日本の方から日本、満州、中国に積極的にユダヤ人を招き入れるようなことは禁ずるが、資本家や技術家は利用価値があるから、この限りではないと決めている。

 日本の利益を中心の支点として独伊との関係とアメリカとの関係を両天秤とした何とも都合の良いユダヤ人対策となっている。「八紘一宇」に於ける人種平等主義も日本を他民族と平等に位置させたそれではなく、他民族を下に置き、その頂点に日本を盟主として位置させた人種平等なのだから、真正な人道主義に基づいたユダヤ民族対策でないことは歴然としている。

 要するに「世界を一つの家にする」と言っても、大家族主義の頂点である家長に日本を据え、家長以外を家長に従属させる権威主義で成り立たせる意図を持った「八紘一宇」に過ぎなかった。

 日本の国益の都合によって変わるユダヤ人対策だから、杉原千畝があくまでも人道主義に立って難民ユダヤ人に日本通過ビザ発給の許可を日本本国の外務省に求めた場合、それが人道主義と無関係に日本の国益で判断されて合致しないとの評価を受ければ、杉原千畝が望んでいない訓令が外務省より発令されることになり、ビザ発給を押し通したことによって訓令違反を犯すことになった。

 杉原千畝の行為は誉むべきことであっても、当時の大日本帝国の在り様は決して誉むべきことではなかった。当時の日独伊三国同盟にしても、日本の天皇独裁、ドイツのヒトラー独裁、イタリアのムッソリーニ独裁が世界制覇に好都合に働き合う国家体制としての親近性を持たせたからだろう。
 
 「猶太人対策要綱」は1938年(昭和13年)12月6日の決定。杉原千畝のユダヤ人に対する人道的ビザ発給は1940年(昭和15年)。三国同盟は1940年(昭和15年)9月27日締結。

 そして「猶太人対策要綱」は1941年12月8日の日本軍の真珠湾攻撃によって日米は開戦し、もはやアメリカとの政治的・経済的関係を考慮する余地はなしとしてなのだろう、翌1942年(昭和17年)に「猶太人対策要綱」は廃止されている。
 
 要するに杉原千畝に基づいたユダヤ人対策と当時の大帝国日本の国益に基づいたユダヤ人対策とは利害相反の関係にあった。その杉原千畝はなぜか1944年(昭和19年)に国から勲五等瑞宝章を叙勲されている。

 この一事を以って杉原千畝のユダヤ人に対する人道行為を本国外務省の訓令違反としていることは根拠はなく、両者が良好な関係にあったことの証拠とする記述がネットに存在する。

 利害相反の関係と看做す記述を「コトバンク」から見てみる。一部抜粋。

 〈1946年に帰国。翌年、外務省を退職した。訓令違反のビザ発給を理由に退職に追い込まれたとの思いから、退職後は外務省関係者との交流を断ち、86年7月31日に死去した。

 「命のビザ」のエピソードが知られるようになったのは、69年にイスラエル政府が杉原に勲章を授けてからだという。85年1月にはイスラエル政府から「諸国民の中の正義の人」として表彰され、91年にはリトアニアの首都にある通りの一つに「スギハラ通り」と名前が付けられた。故郷・八百津町には92年、「人道の丘公園」がオープンし、生誕100年となる2000年には記念館も設立されている。外務省も1990年代に入ってから当時の経緯の検証など「関係修復」に向けて動き、2000年に河野洋平外務大臣が遺族に謝罪した。 (原田英美  ライター / 2010年)〉

 勲五等瑞宝章叙勲を根拠として杉原千畝と外務省が良好な関係にあったとする主張からすると、コトバンクの記述は根拠がないことになる。

 どちらが正しいのかネットを探してみると、「Wikipedia」の「杉原千畝」の項目から次の記述を見つけた。  

 〈元イスラエル大使の都倉栄二は、「当時、ソ連課の若い課長代理として活躍していた曽野明」が、「今後の日本はアメリカとソ連の両大国との関係が非常に大切になってくる。特にソ連は一筋縄ではいかぬ相手であるだけに、わが国の将来を考えるならば、一人でも多くのソ連関係の人材を確保しておくべきである」と述べたことを証言しており、他ならぬこの都倉は、千畝から3ヶ月も遅れてシベリア抑留から復員したにもかかわらず、外務省勤務が即刻認められ、「ソ連関係の調査局第三課にこないか」と曽野から誘われている。さらに、杉原が乗船した同じ復員船で帰国した部下の新村徳也は、帰国と同時に外務省外局の終戦連絡中央事務局に勤務することができた。〉――

 にも関わらず、1946年に帰国した杉原千畝は引き止められることなく翌年、外務省を退職している。勲五等瑞宝章に反する扱いとなっている。

 杉原千畝が1944年(昭和19年)の何月に勲五等瑞宝章の叙勲を受けたのか調べたが、知ることができなかった。但し1944年2月以降、南方の日本軍は玉砕が続き、6月のマリアナ沖海戦では米軍に制空権を奪われていて、敗色濃厚の苦境に立たされていた。徹底抗戦しか叫ぶことができなかった軍人と違って外務省の役人たちが冷静に戦局を眺め、アメリカが戦争に勝った場合の将来を考えて、ユダヤ人を人道的に扱った杉原千畝を国が正当に処遇している証明に叙勲し、そういったことをすることでその時代の日本の悪行を少しでも隠そうとしたということも考えられる。

 いずれにしても1938年の「猶太人対策要綱」を見ただけでも、杉原千畝と当時の日本は利害相反の関係にあったことが分かる。そして安倍晋三は当時の大日本帝国を理想の国家像としている。2016年5月29日の当「ブログ」に書いたことだが、2012年12月26日の第2次安倍内閣発足約1カ月半後の2013年2月7日の衆議院予算員会で次のように答弁している。    

 安倍首相「私の基本的な考え方として、国のために命を捧げた英霊に対して国のリーダーが尊崇の念を表する、これは当然のことだろうと思いますし、各国のリーダーが行っていることだろう、こう思っています。

 その中で、前回の第1次安倍内閣に於いて参拝できなかったことは、私自身は痛恨の極みだった、このように思っております」――

 安倍晋三は「痛恨の極み」を解き放つために第2次安倍内閣発足満1年を期した2013年12月26日に靖国神社参拝を決行した。そしてこのことの正当化のために「恒久平和への誓い」と題した談話を発表している。 

 要するに平和を誓うための靖国神社参拝であって、批判されているように戦前の日本の戦争を美化するためではないとの含意を含ませたということなのだろう。

 そこには冒頭、次のような言葉が記されている。

 〈「本日、靖国神社に参拝し、国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊に対して、哀悼の誠を捧げるとともに、尊崇の念を表し、御霊安らかなれとご冥福をお祈りしました」〉――

 この言葉は安倍晋三のみならず、高市早苗や稲田朋美、山谷えり子、その他その他、同類の国家主義者が靖国神社参拝を正当づけるときの常套句となっている。

 「国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊」の命を犠牲にする対象は戦前日本国家を措いて他にない。命を犠牲にするとは命を捧げることを意味する。

 このような国家を対象とした国民の命の奉仕は戦前の日本国家という空間で演じられた国家と国民との間の関係性として存在した。いわば戦前日本国家と国民の関係性を肯定し、理想としているからこそ、命を捧げた場合、「哀悼の誠を捧げる」価値が生じ、「尊崇の念を表す」価値を認めることができる。

 当然、靖国神社参拝とは靖国神社を舞台として戦死兵に対する鎮魂の姿を借りた戦前日本国家と国民の関係性を理想とする戦前日本国家称揚の儀式でしかなく、このような儀式を政治の次元で重要としているのは戦前日本国を理想の国家像とし、そのような国家像を戦後日本国家に連続させたいと欲しているからに他ならない。〉――

 このように見てくると、戦前の大日本帝国を理想の国家像としている安倍晋三が、その熱烈な天皇主義からも理解できることだし、大日本帝国憲法を否定した日本国憲法を占領軍憲法と否定して、否定の否定が前者の肯定を成り立たせることになる憲法観からも理解できることだが、杉原千畝の難民ユダヤ人に対する人道上の扱いを「勇気ある人道的行動」だと評価し、「同じ日本人として本当に誇りに思う」と自らを同種の日本人として提示する資格はないことになる。

 現在、難民の日本入国に厳しい制限政策を採用していることからみても、その資格はない。資格がないのにあるが如くに装うのは詭弁とツラの皮の厚いご都合主義な歴史認識でしかない。

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沖縄米軍飛行事故・運行停止・再開・事故の繰返し常態化の根本的解決法は普天間の県外・国外移転とその理由

2018-01-15 09:22:56 | 政治

 2017年12月7日、米軍普天間飛行場所属の大型輸送ヘリコプターCH53がアメリカ軍機の飛行ルートになっている沖縄県宜野湾市保育園屋根に高さ9.5センチ、直径7.5センチ、厚さ8ミリ、重さ213グラムの筒状のプラスチック製、「U・S」名入りの「回転翼の損傷を検知する装置を保護するカバー」を落下させたと思ったら、たった6日後の12月13日、同じく普天間所属の大型輸送ヘリコプターCH53が飛び立ったばかりの距離にある 沖縄県宜野湾市の普天間第二小学校の校庭に約90センチ四方のアルミ製の窓枠を落下させ、校庭で体育の授業を受けていた男児1人が落下時に撥ねた石が飛んできて手に軽い怪我をした。

 窓枠自体が児童の誰かに直撃しなかったことは偶然に過ぎない。直撃するのも偶然、直撃しないのも偶然と言うことは防ぎようがない、いわば前以っての危機管理が無効ということになって、これ程不安なことはない。

 前者の保護カバーの場合は米軍側は離陸前に全て取り外して全数保管しているから、米軍の物ではないと報告、ネット上では保育園側の自作自演のデマではないかと疑う情報が飛び交った。

 後者の窓枠落下事故の場合は、「機体の構造上の問題は確認されず、パイロットが決められた手順を守らなかったことによる人為的なミスが原因。乗員や整備員らに対して教育を行うなど再発防止策が取られた」として落下から6日後の12月19日午後に訓練を再開した。

 ところが窓枠落下事故から1カ月も経たない翌年1月6日、普天間基地所属のUH1ヘリコプターが沖縄県うるま市伊計島の砂浜に不時着した。沖縄防衛局は「テールローター(後部回転翼)のギアボックスで微少な電気的事象をセンサーが検知、警告灯が点灯したために予防着陸を行った」と説明したとマスコミは伝えている。

 要するに人家不在の着陸場所を選ぶだけの時間的余裕はあった。だが、米軍は不時着ヘリを不時着から2日後の1月8日にCH53大型輸送ヘリで吊り上げて現場から撤去している。

 つまり自力飛行できない状態となっていた。と言うことは、人家不在の着陸場所を選ぶだけの時間的余裕にしても、たまたま見つけたといった偶然の可能性は否定できない。人家密集地帯でエンジンや計器等に不調を来たして長時間の飛行不可能の判断のもと、人家不在の着陸場所を探したとしても、そこまで辿り着くことができない偶然も可能性としてはあり得ることになる。

 伊計島では昨年の1月も普天間飛行場所属のAH1攻撃ヘリが農道に不時着するトラブルがあった。農道は人の往来場所である。但しその往来は激しくないから、人的被害を出さない偶然を生み出す確率が高かったと言うことであって、人的被害回避の絶対的保証とはならない。

 いずれにしても特に沖縄では米軍が戦闘機やヘリの飛行事故を起こしては調査のための飛行停止、機体のトラブルではなく人為的ミスだとして程なくして飛行再開、再び事故、飛行停止、短い日数を置いて飛行再開の繰返しが常態化している。

 繰返しの常態化は事故の終わらない状況を示す。政府は普天間基地を辺野古に移設すれば、海上を飛行することになって集落上空は飛行しなくなると辺野古移設の安全性を言っているが、繰返しの常態化解消の絶対的手立てとなるわけではない。単に海上に不時着したり、海上に墜落してもいいとするだけのことになる。

 あるいは海上に機体の付属品を落下させても安全だとするだけのことになる。

 このような考え方は沖縄の陸地上空を飛行せず、陸地周囲の海上のみを飛行することを絶対的ルールとした場合は成り立つが、陸地上空を飛行する場合は繰返しの常態化によって成り立たないことになる。

 なぜこうも沖縄の米軍は飛行事故が多いのだろうか。飛行事故ばかりではない。飲酒運転や自動車事故、性犯罪が終わりのない様相で繰返されている。全てが繰返しの常態化にある。

 面積が日本全体の0.6%に過ぎない沖縄に於ける米軍専用施設は本土は全体の26.1%に対して沖縄は全体の73.9%も占めている。この過密さが事故や犯罪の原因だとしたら、特に普天間基地に集中していることの理由は見い出し不可能となる。

 日本政府は中国や北朝鮮の脅威に対する日本の安全保障に於ける地理的優位性を沖縄に置いている。いわば日本防衛の重要性を沖縄に担わせ、そのために米軍専用施設の70%以上を沖縄に集中させているのだろう。

 当然、日本防衛の主翼を担っているのは沖縄米軍ということになる。そして沖縄米軍の中でも訓練が過酷を極めて常に最前線に投入されてきた最大兵力である海兵隊が日本防衛の矢面に位置しているという誇りを強く持っているはずだ。

 但し沖縄に於ける2大基地、普天間飛行場と嘉手納飛行場の内、海兵隊が所属するのは普天間飛行場のみで、在日米軍基地の中でも岩国飛行場(山口県)と並ぶ有数の海兵隊航空基地と言われている。

 普天間飛行場海兵隊のこのような特殊な地位が彼らの誇りを過剰に自意識させて一種の尊大さに変質させ、そこに隙きが出て事故や犯罪の繰返しの常態化を許すことになっているとしたらどうだろうか。

 このように解釈しなければ、普天間基地所属の飛行機事故や所属兵士の度重なる飲酒事故、性犯罪が集中していることの理由付けは難しい。

 海兵隊が従来は最前線に投入されてきた最も危険で、それゆえに勇猛果敢でなければならない傑出した部隊だとしても、初期の戦術はミサイル攻撃や航空機攻撃に変わっていて、航空母艦群やミサイル艦隊群を敵国近くに如何に短時間で派遣できるかが最重要課題となっていて、海兵隊の最前線への投入はそれらの攻撃後である。

 当然、米海兵隊の沖縄駐留の絶対的理由はもはや見つからない。特に普天間所属の航空機、ヘリの事故や所属海兵隊の犯罪や飲酒事故が多発、繰返しの常態化している実際の原因が彼らの歪んだ自尊心ではなくても、海兵隊の沖縄駐留の理由がもはやないことを考えると、事故や犯罪の芽を摘むためにも普天間基地は辺野古にではなく、県外か国外に移転させるべきだろう。
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