菅仮免の6月29日夜の3軒の飲食店はしごは避難所の被災者に対する無節操

2011-06-30 11:49:28 | Weblog



 一紙は6月29日深夜付で、残る4紙は6月30日早朝付で、菅仮免が一晩で3軒の料理店、もしくは飲食店を次々と飲み、食べ歩いたことを「はしご」と形容して伝えている。そのうち一紙はご丁寧にも昼間の外食まで付け加えて、4軒だとしている。

 《すし→焼き肉→イタリアン 首相、一夜で3軒はしご》asahi.com/2011年6月30日2時7分)

 記事は、〈この日の昼食は中華料理店。〉と伝えているが、合計して4軒とはしていない。

 最初に秘書官らと東京・赤坂のすし屋。次に国家戦略室スタッフらと六本木の焼き肉店。3軒目がイタリアンレストランで伸子夫人らと合流。

 これだけ書いたのでは記事の体裁が不足すると考えたのか、〈震災後、「外食」は5月3日まで自粛していたが、6月2日の辞任表明後は目立って増えている。〉として、国会の会期延長が決まった6月22日夜の2軒のはしご、6月28日の細野豪志原発担当相らとの会食まで伝えている。

 《首相、ホッと一息? 3軒「はしご酒」》MSN産経/2011.6.30 00:59)

 記事は、〈民主党両院議員総会を乗り切った安堵感もあり、飲食店3軒を「はしご酒」した。〉と、安堵感も手伝った「はしご酒」だとしている。

 そして「asahi.com」記事同様に会食先を伝えている。但し、2番目の焼き肉店では、〈焼き肉に舌鼓を打った。〉と、さも見てきたような講釈師並みの想像力をまわしたのか、会食相手の国家戦略室スタッフの誰かに直接インタビューして確かめたのか分からないが、うまそうに焼肉を頬張り、堪能したかのように描写している。

 尤も菅仮免が満面を崩して得意笑いしていただろうことは誰もが想像つく。

 《菅首相:飲食店3軒はしご》毎日jp/2011年6月30日 0時3分)

 上記2記事が最後のイタリアンレストランの会食相手を「伸子夫人ら」としていたが、この記事では意外な人物が会食に加わっていたことが分かる。桜井勝延・福島県南相馬市長。

 記事は単に名前だけ挙げているのみで、何の論評も付け加えていないが、政府が行った福島原発事故放射能からの避難方法の手際の悪さを散々批判し、米タイム誌の2011年「世界で最も影響力のある100人」に選ばれのちの東京・日本外国特派員協会での講演で、「まったくメッセージ力がなく、世界に何も発信できていない」(日刊スポーツ)と菅仮免を、その存在意義を徹底的に打ちのめさんばかりに批判していた桜井勝延福島県南相馬市長だったとは驚きも驚きである。

 イタリア料理とワインか何かのアルコールと調子のいいヨイショの二つや三つで、「ファイト、一発!!」篭絡されたのだろうか。

 普通の常識なら、こうまで批判した相手に食事を誘われても、結構毛だらけネコ灰だらけで断るものだが、政治家の常識は普通の常識から外れているのかもしれない。

 何か要望があるなら、首相官邸に直接乗り込んで伝えれば済むことである。首相官邸には各マスコミの総理番記者が朝早くから張り込んでいて、今日の訪問客は誰かと待ち構え、見つけ次第どんな用事で来たのか取っ捕まえにかかって、帰るときもどんなことを話したのかタダでは帰さないそうだから、自分から進んで総理番の網に引っかかって、どんな用事で来た、何を要望した、首相はよく分かりましたと言っていたから、早急に対応して貰えると思うと喋って記事にでもなれば、それが担保となっていやでも相手は対応せざるを得なくなる。

 もし不満足な対応なら、また記者の前で批判すればいい。

 記事は最後に解説している。〈首相は28日夜も側近の荒井聡前国家戦略担当相らと会食しており、冷ややかな空気に包まれた28日の民主党両院議員総会を乗り切った解放感を、会食で共有したかったようだ。〉――

 《菅首相、すし→焼き肉→イタ飯と3軒はしご》YOMIURI ONLINE/2011年6月30日01時11分)

 この記事はいきなり解説から入っている。〈一晩に3軒も訪れたのは昨年12月以来で、閣僚人事や民主党両院議員総会といった難しい局面を乗り切った安堵感を漂わせた。〉

 最初のすし店での会食相手に寺田学民主党衆院議員の名前が出てくる。2番目の“はしご”先の六本木の焼き肉店は阿久津幸彦内閣府政務官の会合で、そこに出席したとなっている。

 そして3軒目の“はしご”先のイタリア料理店は「毎日jp」同様に伸子夫人と桜井勝延南相馬市長。〈1時間余り過ごした。〉と書いてある。

 記事は最後に、〈帰りがけに、記者団から質問された首相は「昔からの知り合いだ」と上機嫌で語った。〉と締め括っているが、勿論この「昔からの知り合い」は桜井南相馬市長のことだろう。

 「昔からの知り合い」に「メッセージ力がない」だ、「世界に何も発信できていない」だと、事実も事実の事実をぐっさっと胸に突き刺されて、尤も本人は鈍感だから事実ではないと思っているのだろうが、桜井市長がそう発信した事実は事実として既に記録に刻まれていることに対してカエルの面にショウベンの如くに何とも思わないのだろうか。
 
 それともすっかり和解して、その理由の一つが「昔からの知り合い」だったということなのだろうか。

 仲違いはその気になれば修復して和解は可能だが、「メッセージ力がない」は1980年の衆院選初当選以来30年も政治家していてのことなのだから、その気になったとしても、修復不可能に近いはずだ。

 いわば何杯か飲んで「昔からの知り合いだ」と仲直りできたとしても、上機嫌になどなっていられない。それでよしとするのは、その程度と言ってしまえばそれまでだが、一国の首相でありながら、狭い世界に満足することになる。

 《首相、深夜まで3軒はしご 昼とあわせ4軒》日経新聞電子版/2011/6/29 23:45)

 昼間の中国料理店の会食相手に枝野幸男官房長官と蓮舫首相補佐官の名前を挙げている。

 そして締め括り。〈1日で4軒の外食は首相就任後初めて。自らの発言や人事を引き金に国会が空転するなか、周辺も「完全にふっきれている」と半ばあきれている。〉――

 国会が空転状況下にあるというのに完全に吹っ切れるというのはどういうことなのだろう。自身の無能・無力を心底から悟って、政治を投げ出したという心境にならなければ、吹っ切れることはできない。

 首相周辺がそう把え、事実そのとおりなら、とっとと辞めるべきだろう。

 このような“はしご”はただ飲み歩いている、ただ食べ歩いているのではなく、仕事を兼ねている、政治家が好きな口実で言うと、情報交換しているということになるのだろうが、しかし被災地では菅内閣の対応遅れから、未だ多くの被災者が避難所で不自由で困難な生活を強いられているのである。

 中には冷房も効かず、窓を開けるとハエや蚊が入ってくるからと、早急に網戸の取り付けを準備中だとか、窓を閉め切った状態で扇風機で暑さを凌いでいるとかのニュースが未だ跡を絶たない。

 体育館等は一般家庭の窓の大きさと違って、既製品では間に合わないのだろう。特注品で新たに拵えなければならない上に何箇所もある避難所の窓をすべて網戸を設置することを考えるから、時間がかかる。網戸の網そのものを窓の外に貼り付けて応急処置とすれば、短時間で処理することができる。

 網だけなら、いくらでも好きなサイズに切り分けることができるし、窓が大き過ぎて規定のサイズでは足りない場合は、2枚合わせにして、張り合わせ部分を糊付けすれば、ほぼ完璧な1枚とすることができる。

 また、扇風機では猛暑を満足のいく状態で凌ぐことは不可能に近い。特に高齢者にとって辛い夏になることは間違いないだろう。不自由の上に不自由を強いていることになっている。

 このような不自由な生活の多くが菅政治が加害した被害としてある不自由として強いられているはずだ。

 財源は国持ちで、仮設住宅建設と避難所の生活保護は自治体の責任ではあっても、大枠のところで国民の生命・財産を守るのは国の政治の務めである。多くの被災自治体が人手不足に陥っていることも考慮して国が進んで乗り込んで、被災者が可能な限り快適に過ごせるように生活保護に務めるべきを、現状は不自由を超えて苦しめている。

 また仮設住宅建設の遅れそのものも国の責任が大分関わっているはずである。

 昨29日のNHKニュースで、東北大学病院が震災直後の1か月間に受け入れた心不全患者は30人近くに上り、震災直前の1か月の3倍以上に上っていること、震災後の3日月間では合計で40人近くになるとか伝えていた。

 東北大学病院だけでこれだけの人数である。他の病院を含めたならら、相当な人数に上るに違いない。

 まさに菅政治が加害者となった被害があちこちに及んでいる。すべてが政治の責任を満足に果たしていないことから起きている加害であり、被害のはずである。

 一時期、社会現象となった買い控え、愉しみ控えの“自粛”は多くの国民が被災者の生半可ではない生活上の困窮や精神的な心痛を思い遣って、その苦労を少しでも我が身に振り替えて理解するために愉しみ事を慎む感情共有行為であったはずだが、過度の自粛は経済に影響して却って被災県の復興の足を引っ張ることになるとする首相の呼びかけもあって、そのような自粛は徐々に控えるようになってきている。

 だとしても、菅首相はいくら仕事を兼ねた飲み食いではあっても、満足に政治の責任を果たしていないことが原因となって被災者に不自由の被害を強いている加害者として、政治の最大の責任者でもあるのだから、少なくとも被災者が一人残らず仮設住宅に移って人並みの生活ができるようになるまで、外で飲んだり食ったりの堪能は自粛する思い遣りを被災者に示し、少しでも被災者と同じ立場に立とうとすべきではないだろうか。

 首相公邸でもデリバリーで料理を注文、仕事を兼ねた飲み食いはできだろうし、それなりの堪能を得ることはできる。

 責任意識を十二分に備えた一国のリーダーなら、自身の責任遂行能力の至らなさを考えてそうするに違いない。

 だが、実行動はそうはなっていない。避難所の被災者に対する無節操としか言いようがない飲み食いの“はしご”にしか見えない。
 
 参考までに――

 《菅内閣が言う自粛云々よりも肝心なこと、仮設住宅の充足 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》




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菅仮免の自分からは辞めるつもりはない3法案成立が退陣条件は多数決の原理を歪める行為

2011-06-29 09:43:54 | Weblog



 菅仮免は一昨日(6月27日)の首相官邸記者会見の冒頭発言で退陣条件に3法案の成立を挙げた。

 菅仮免「6月2日の民主党の代議士会において、私が震災と原子力事故対応に一定のめどが立った段階で、若い人に責任を引き継ぎたい、それまで責任を果たしたいと申し上げたところです。私としては第2次補正予算の成立、そして再生可能エネルギー促進法の成立、そして公債特例法の成立。これが一つのめどになると、このように考えております」

 民自公党執行部が合意した通常国会50日間会期延長案を菅仮免が70日にひっくり返した、プラス20日の必要理由として挙げた第2次補正予算案と公債特例法案の成立に加えた再生可能エネルギー促進法案の成立を改めて自身から口にして述べたに過ぎない。

 退陣時期を明確にしたわけではない、この3法案の「成立」を条件としたことに対して、成立しない場合はなお居座るのかとの疑念を周囲に与えた。

 その疑念に則った記者会見での質問。

 山口NHK記者「NHKの山口です。総理は先ほど退陣の3条件を示されましたけれども、そうすると逆に言うと再生エネルギーですとか、公債特例法案が成立しなければ9月1日以降も総理を続投するという理解でよろしいでしょうか」

 菅仮免「先ほど申し上げましたように、6月2日の代議士会で私は震災や原子力事故に対する一定のめどがついた段階で、若い世代に責任を引き継ぎたい、それまではしっかり責任を果たしていきたいと申し上げました。その一定のめどということについて、先ほど申し上げましたように、一つは2次補正の成立、一つは公債特例法の成立、一つは再生可能な自然エネルギー促進法案の成立、この三つをもってこの一定のめどと、そのように考えるということを申し上げさせていただきました。まさにそのように考えているということです」

 これは冒頭発言の単なる繰返しに過ぎない。成立しなかった場合の対処について何も答えていない。質問したNHK記者は、居座りの言葉を頭に思い浮かべたに違いない。

 もう一人の記者も居座りの疑念に添った質問をしている。

 相本西日本新聞記者「西日本新聞の相本です。総理は今3つ挙げられましたその内の一つ、エネルギー政策の見直しについて、強い意欲を示されておりますが、もし延命という批判が当たらないということであれば、総理の覚悟をお聞きしたいと思うんですが、今国会に提出されている法案の成立に野党の協力が得られず成立が出来ない場合は、そのエネルギー政策について国民に信を問うというふうなお考えはおありなんでしょうか」

 菅仮免「今回の東電、福島原発の事故を経験して、我が国のエネルギー政策をどのようにしていくべきか、これから本格的な議論を始めなければならないと思っております。私はすでに、従来のエネルギーの基本計画は現実に合わなくなっているということで、白紙からの見直しということを申し上げ、そして従来の化石燃料、原子力燃料に大きく依存してきたエネルギー政策を、再生可能エネルギーと省エネルギーという2つの柱を加えて、そちらの方向に進むべきだということを言って参りました。そういう方向性と、すでに法案を提出している自然エネルギーの促進法は、全く軌を一にするものでありますから、何としても私の内閣の責任で成立をさせたい、そのように考えております」
 
 「何としても私の内閣の責任で成立をさせたい」――

 成立を「私の内閣の責任」とするということは成立するまで、「私の内閣」を維持するとも受け取れる、なかなか巧妙な言葉となっている。当たり前の指導力、政治力には見るべき才能はないが、延命に関する才能は天才的である。

 そして昨6月28日の民主党両院議員総会での発言。WEB記事から全文参考引用させてもらう。 

 《菅首相の発言要旨》時事ドットコム/2011/06/28-20:32)

 28日の民主党両院議員総会での菅直人首相の発言要旨は次の通り。

 昨日、記者会見を行い、2011年度第2次補正予算案と特例公債法案、再生可能エネルギー促進法案が成立すれば一定のメドが付いたと考えると明言した。(いずれも)この国会で何としても成立させなければならない。今回の(福島第1原発)事故を受け、エネルギー基本計画を白紙から見直すことを決めた。エネルギー政策をどのような方向に持っていくかは次期国政選挙でも最大の争点になるのではないか。後世に禍根を残すことがないよう原子力行政の改革についても早急に一定の方向を出したい。残された時間、完全燃焼する覚悟でこの三つの課題(に取り組み)、原子力行政に禍根を残さない方向性を示すことができればと思う。(原子力行政の改革には)もちろん長い時間がかかるので、時間の許される中で方向性を打ち出すところまでやらせていただきたい。

 なぜそこまで頑張るのかという見方もあるかもしれないが、私のことだけで言っているのではなく、次に安定的に引き継ぐ(ためだ)。私個人が何かを得たいということではない。民主党は少なくともこの2年間、必ずしも国民に十分な信頼なり理解をいただけていない状況にあるが、残された2年間で必ずや国民に理解していただき、信頼を回復できる道筋がある。そこにつなげていきたいという思いで行動しているとぜひご理解いただきたい。

 「この国会で何としても成立させなければならない」とは、6月15日開催の再生可能エネルギー促進法の早期制定を求める集会に飛び入り参加して菅仮免が発言した言葉に擬(なぞら)えるなら、「菅の顔を見たくないなら、この法案を通した方がいい」ということになるのだろう。

 だが、成立を退陣のハードルとしていることに変わりはない。3法案の成立が「一定のメド」だと。

 但し言っていることに色々と矛盾がある。「次に安定的に引き継」ぎたいとしているが、成立が必ずしも保証されていない状況下での「次に」としている時期は成立の保証不明に連動して時期不明となるにも関わらず、「次に引き継ぎたい」としている矛盾である。

 成立が保証されていない以上、退陣時期も不明確となり、「次に」もいつ頃になるのか不明確となるにも関わらず、「次に」を持ち出している。

 この矛盾は3法案の成立を退陣の条件としていることによって起きている矛盾であろう。

 法案成立も退陣も「次に」も不明確な状況に置いて、「今回の(福島第1原発)事故を受け、エネルギー基本計画を白紙から見直すことを決めた。エネルギー政策をどのような方向に持っていくかは次期国政選挙でも最大の争点になるのではないか」と、「最大の争点」という強調語までおまけにして発言したものだから、今朝のNHKニュースでやっていたが、衆議院の解散を示唆し、退陣を牽制しているのではないかとか、解散も視野に入れて、いわば起死回生の逆転を狙って、さらに延命も企んでいるのかといった疑心暗鬼を生むことになっている。

 果たして、法案成立を退陣の条件とすることが許されるのだろうか。

 法案成立は首相自身が自ら手立てし、自らの才覚で実現させる極めて個人的な能力事項であろう。勿論、現在参議院が与野党逆転状況下にあり、数の劣勢が成立の阻害要件とはなっている。

 いわば菅仮免の手立て、才覚を縛っている。個人的な能力の発揮に制限を加えている状況にある。

 だが、元々民主主義が多数決を原理としていることは自覚していたはずだ。いや、常に自覚して行動していなければならない。民主主義は数取り合戦だと言い直すこともできる。数を獲得し、その数に頼らなければ、法案成立も思うようにはいかない。昨年の参院選で数の力を失ったのは菅仮免自身の能力の成果であった。その程度の才覚しかなかった結果の数の喪失であろう。

 とは言っても、数取り合戦は選挙による数の獲得だけではなく、連立によって法案成立に必要とする数を補強する方法もある。あるいは政策ごとに野党と手を組んで数の獲得を方法もある。

 その努力はしただろうが、連立に関してはそれを実現させるだけの才覚を現在のところ、菅仮免は発揮することができなかった。「民主党は少なくともこの2年間、必ずしも国民に十分な信頼なり理解をいただけていない状況にある」とは言っているが、「国民に十分な信頼なり理解をいただけていない状況」をつくり出した主体は「民主党」ではなく、菅仮免自身である。

 「民主党」とするところに責任回避意識・責任逃れがある。詭弁を用いてまでして、責任を回避する。ここに既に指導者としての資質を欠いていることが分かる。

 2010年7月の参院選で菅仮免は数を失った。だが、その劣勢を跳ね返すだけの能力・才覚を発揮し得ていたなら、今年4月の統一地方選を党勢を回復し、尚且つ拡大する機会とすることができないわけではなかった。もしその機会を生かしていたなら、また違った局面を迎え、退陣要求など起きなかったろう。

 統一地方選の勝敗は国政選挙と同様に内閣支持率と党支持率に対応するから、例え参議院の与野党逆転の状況に変化はなくても、統一地方選で勝利できるだけの内閣支持率と党支持率を獲得できていたなら、そのような国民の支持は参議院の数の劣勢をある程度補い、菅仮免に対する風当たりをある程度和らげることができたはずだ。

 国民の支持を背景に強気の姿勢を取ることもできる。国民の高い支持を得る程に自らの能力・才覚を発揮し得ている政治状況を導き出しているということなのだから、各支持率は能力・才覚発揮のバロメーターとなる。

 だが、4月の統一地方選までに内閣支持率も党支持率も上げるだけの能力も才覚も発揮できなかった。特に3月11に大震災発生以後の震災対応と原発事故対応の遅滞・混乱が却って支持率の悪化につながり、統一地方選はご覧のように散々の結果に終わった。

 すべてが菅仮免が演出した各支持率であり支持率に連動した選挙結果であった。中部電力停止要請で僅かに内閣支持率を上げはしたが、一時的得現象で終わり、元の木阿弥状態に戻った。

 自らの能力・才覚がないばっかりに法案を成立させる手立てを殆んど失ったのである。残る手立ては野党案の丸呑みあろう。但し与党としての主体性喪失という代償を支払わなければならない。与党としての意味を失うということである。

 法案成立が首相自身が自ら手立てし、自らの才覚で実現させる極めて個人的な能力事項でありながら、連立の形成や内閣支持率の上昇、地方選の勝利等に向けた手立てを講じて法案成立の基盤を整備することができなかった。整備するだけの能力を発揮できなかった。

 既に菅仮免の無能に問題がある以上、自らは政権の背景に退いて、新しい主役と脇役を登場させるべきだろう。菅仮免が無能であったために法案成立の手立て・才覚を講じることができなかったのだから、新しい主役に解散・総選挙なり、連立なりの法案成立の手立て・才覚を講じる機会を譲るべきである。

 潔くそうすることはせずに退陣を条件に成立を半ば強制することは本来的な意味での民主主義の多数決の原理を歪める行為であり、許されはしないはずだ。

 勿論、「菅の顔を見たくないなら、この法案を通した方がいい」にしても多数決の原理と堂々と渡り合おうとする意志表明とは言えず、それを否定する邪道も邪道と言える。

 一旦退陣を表明しておきながら、成立できなかったなら、退陣することはできませんと次の国会にまで職にとどまり、成立を図ろうとすることも、多数決の原理の壁に阻止されたことを無視する行為であり、やはり退陣を条件とすることとなって許されはしない。

 では、多数決の原理に堂々と立ち向かうために解散・総選挙して数を獲得しますとすることが許されるかというと、解散・総選挙は退陣の条件に入っていなかったことで、自分勝手に条件を曲げる違反行為となって、これも許されるはずはない。

 両院議員総会で衆院比例東北の菊池長右エ門議員が「被災地は(政府の震災対応の遅れで)最大不幸社会になっている。首相は(辞任し)一日も早く四国巡礼の旅に立つように意志を固めてほしい」(時事ドットコム)と発言したそうだが、数は力の数をどう手立ても才覚もできなかったのだから、素直に従って旅立つべきだろう。

 これ以上無能な首相は要らない。

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菅仮免の浜田人事に見る復讐心の強さから人の厭がることをしてザマー見ろと溜飲を下げる愉快犯的性格

2011-06-28 11:47:57 | Weblog


 
 復興基本法が6月24日(2011年)成立、6月24日施行。菅無能仮免は復興担当大臣に松本龍防災担当大臣を任命、副大臣に平野達男内閣府副大臣。

 そして復興担当相新設に伴う政務三役人事で自民党の浜田和幸参院議員(鳥取選挙区)を政務官に起用。浜田議員は引受け、自民党席のままでいいと思うのだが、自民党に離党届を出した。

 どのような経緯が展開された結果の一本釣りだったのだろうか。一人二人味方につけたからといって、参院与野党逆転の数字そのものはたいして変わるものではないが、出す法案によっては自公が反対で纏まっても少数野党の態度が割れて、賛成多数を形成する可能性無きにしも非ずとなる。

 《菅首相:自民議員を政務官に検討…浜田和幸氏、離党の意向》毎日jp/2011年6月27日 2時34分)

 〈浜田氏は58歳。10年参院選鳥取選挙区で、自民党公認として初当選した。国際政治学者で、青山学院大講師や米戦略国際問題研究所主任研究員などを歴任。〉

 与党幹部からの伝達として、浜田議員は自民党の党運営を批判していたという。与謝野肇と似たような経歴かもしれない。

 浜田議員「自民党は大連立もやらないし、新たに設けられる復興対策本部にも参加しない。このまま自民党にいても、震災復興に協力できない」

 記事は解説している。

 〈与党は参院で野党が多数を占める「ねじれ国会」解消をにらみ、自民党参院議員に離党を働きかけてきた。一方で、赤字国債発行に必要な特例公債法案の成立に向け、自民、公明両党と与野党協力を進めてきただけに、今回の自民党参院議員の引き抜きにより、今後の与野党協議に悪影響が出るのは必至だ。

 自民党幹部は26日夜、参院の野党議員取り込みを図る政府・与党側の動きについて「民主党との信義も何もあったものではない。徹底抗戦しかなくなる」と不快感を示した。〉――

 もう一つ、浜田議員の発言を見てみる。《自民・浜田議員 離党の意向伝える》NHK NEWS WEB/2011年/2011年6月27日 12時18分)

 記事は経歴を次のように紹介している。〈浜田氏は58歳。国際政治学者として、テレビのコメンテーターなどを務めたあと、去年の参議院選挙の鳥取選挙区に自民党から立候補して初当選――〉

 枝野官房長官から政務官への就任を要請され、これを受け入れたいとして、自民党を離党する意向を固め、参議院自民党の幹部に伝えたという経緯を辿ったようだ。

 浜田議員「枝野官房長官からは、26日の夕刻、復興対策本部に政務官として入って貰いたいという申し出があった。国際協力などの経験を生かして協力してもらいたいということだった。1人の国会議員として大きな岐路に立っており、決断すべきときだと考えている。国難の中で、菅政権の足を引っ張っているような時間はなく、与野党が協力する道筋をつけたい。27日中に結論を出したい」

 「国難の中で、菅政権の足を引っ張っているような時間はなく、与野党が協力する道筋をつけたい」は一見立派なことを言っているようだが、政治の主たる受益者は国民であるという関係から言うと、有能なリーダーの足を引っ張るのは国民に被害を与えるが、無能なリーダーの足を引っ張るのは国民に降りかかる無能政治の被害を逆に最小限に食い止める国民に対する貢献となるはずだから、浜田議員の発言は正しいとは決して言えない。

 震災の被災者は菅政府の対応遅れによってこれまでも半端ではない被害を蒙ってきた。今後2か月も同じような被害が続くと覚悟しなければならない。

 記事は最後に書いている。〈菅総理大臣が、今回の人事で自民党の参議院議員の取り込みを図る動きに出たことについて、野党側が反発するのは必至で、延長国会の法案審議にも影響を与えることが予想されます。〉

 二つの記事から分かることは要するに浜田人事にはプラスマイナスがあり、今後の展開によっては菅内閣にとってマイナスに働かない保証はないということであろう。本人の意思はともかく、与党幹部の間では8月中の辞任で意見を纏めている。あと2か月、民主党内に人材がいないわけではないはずだから、事を荒立てることはあるまいと思うのだが、決して事を荒立てることにはならない人事なのか、その逆なのか。

 後者の予感を世耕弘成(せこう ひろしげ)自民党参議員のツイッター「SekoHiroshige 」から窺うことができる。27日夜の投稿。

 〈まだ浜田議員から参議院執行部への最終報告は入らない。しかし今日昼、小坂幹事長代理、脇国対委員長、山本政審会長、世耕(幹事長代理)の前で明言した「自民党を離党しない」との言葉の通りに行動してくれるはずだ。ということは政務官ポストなど受けるわけがない。》

 〈我々にウソをついたということです。昼には幹事長の前で『離党する気は毛頭ない』と言ってました RT @gosenneo: @SekoHiroshige 浜田議員、離党しましたよ。自民・浜田氏、離党届を提出 - MSN産経ニュース http://t.co/gdFzzDQ

 〈浜田氏の離党届。秘書が幹事長室職員に届けただけ。サインもなし。説明もなし。こんなもの受理できませんね。〉

 嵐の前の静けさを予感させる文言となっている。

 菅仮免自身は昨夜の首相官邸記者会見で浜田人事について2人の記者から質問を受けている。首相官邸HP「菅内閣総理大臣記者会見」から。

 田中毎日新聞記者「毎日新聞の田中です。総務政務官に浜田さんを起用された人事について伺います。浜田さん、自民党からの起用、離党なさいましたけれども、自民党からの起用ということで、野党、自民党を中心に野党がすでに猛烈な反発をしております。総理が先ほど示された三つの法案を成立させるにあたり、野党との協力関係が不可欠だと思うんですが、その条件を壊すような形になったことについて、民主党内でも冷ややかな空気が流れてる状況になっております。総理として浜田さんをどういうつもりで起用なさったのか、現在野党が反発しているこの状況をどういうふうに打開していこうと考えていらっしゃるか、それをお聞かせください」

 まさに後者の、事を荒立てる気配濃厚の人事扱いとしている。

 菅仮免「私は浜田議員が今のこの大震災を経験する中で、是非とも復旧・復興に自らの力を、是非そういう場面で自分の力を発揮して、そういった復旧や復興に貢献したいという、そういう思いを強く持っておられて、そういう中でそういった役割を担うということの思いの中で判断をされ、そのことが私のところにも伝わってきましたので、そういう趣旨であれば是非一緒に復旧・復興に携わっていただきたいということで、そういった位置付けをさせていただいたところであります」

 民主党には復興担当の政務官を務めるに相応しい人材は皆無だと宣言する無茶苦茶な発言となっている。「自分の力を発揮して、そういった復旧や復興に貢献したいという、そういう思いを強く持って」いる人材は民主党内に存在しない。だから、参議院自民党に相応しい人材として浜田議員に白羽の矢を立てた。民主党内からは復旧・復興の役割を担おうという強い思いが菅のところには伝わってこなかった。

 何という民主党無視の発言だろうか。

 尤も人材不足の墓場民主党の頂点に立つ無能なリーダーという当然の関係がそこに成立していると考えると、何もかも矛盾のない整合性を認めることができる。

 青山日本テレビ記者「日本テレビの青山です。先ほどの浜田参議院議員の件なんですけれども、そういう強い思いを持っていたから加えたというのでは、あまりにも、菅総理が今後、野党側の協力をどのように得ていくのか、法案を成立させていくのかという、その戦略というか考え方が分からないんですけれども、こういった参議院議員を一人ひとり切り崩して、ねじれ国会を解消していくという方向に道筋を付けようとしていらっしゃるのか、それともやはり野党側との法案協力の姿勢を導き出したいと思っていらっしゃるのか。それとも先ほど言った3つの条件の法案を通すために、私を辞めさせたいなら、その法案を通せというような、この前総理がおっしゃったような方法で迫っていくということを考えているのか、今この段階で総理はどのようにこの法案成立の道筋を付けていこうとお考えなんでしょうか」

 菅仮免「先ほどお答えしたのは、浜田議員が自らこの大震災に当たって、国際的にもいろいろなつながりがあると、そういうものを活かしていきたいという、そういうお話の中で行動されたということについて申し上げたところです。この大震災に当たっては、従来から党派と言いましょうか、そういうものを超えて協力をしていただきたい、あるいは協力をして欲しいということを、いろいろな機会に申し上げて参りました。例えば今回の基本法などでは、改めて自民、公明、民主で法案を出し直す形で協力の上での法案が成立したことは大変良かったと思っております。

 また例えば、大臣や副大臣、政務官の数が大変制約をされておりまして、今回のこの復興本部の立ち上げにおいても、非常に、日常的な各省庁の仕事と、この震災復興のための、例えば現地に派遣する本部長の仕事と、もう少し政務三役に委任を、参加をさせてもらいたいと、こう思っているわけですけれども、まだこういった分野ではなかなか合意が得られておりません。いずれにしても、政党間の問題ではなくて、国民の皆さんにとって、あるいは被災地の皆さんにとって何が最も必要なのかと、こういう観点にお互い立つことが出来れば、私は多くの課題について前進が出来ると、このように考えております」
 
 先ず菅仮免は党派を超えた協力を要請している。勿論、党を離れる離れないはそれを決める議員の自主的判断によるが、党派を超えた協力とは所属する党を離党しての協力を言うのではなく、それぞれが所属する党に立ち位置を置いた協力を言うはずである。党の垣根を取り払った協力と表現可能ではあるが、これも離党は条件としない。

 当然、浜田人事は党派を超えた協力とは似ても似つかない性格の協力となっていて、言っていることは詭弁に過ぎない。

 また、今回の復興基本法の成立を党派を超えた協力の好例として挙げているが、それぞれが自身の党の立場に立ちつつ、それぞれが議論し合い、相談し合う相互関係性を維持した中での協力であって、いわば党対党、組織体組織を基本的な足場としている。

 だが、浜田人事は党対党の関係を基本的な足場として話し合い、決定した人事ではない。党対個人の関係性のみに立った決定であって、党派を超えたとは決して言えない。似ても似つかない事柄を似ているとする強弁、詭弁で以て言いくるめようとしたに過ぎない。

 また、「政党間の問題ではなくて、国民の皆さんにとって、あるいは被災地の皆さんにとって何が最も必要なのかと、こういう観点にお互い立つことが出来れば、私は多くの課題について前進が出来ると、このように考えております」 と言っているが、政務官人事は主たる人事ではなく、復興担当相人事こそが主たる人事である。

 民主党に政務官をこなす人材が存在しないということなら政権与党としての資格を失い、存在するにも関わらず他党の人材を主たる人事ではない準人事を党対党の関係で話し合って決めたのではなく、党を無視して個人との関係で用いたということなら、明らかに「政党間の問題」となって立ちはだかることが予想され、このことが国会運営の阻害要件となり、ひいては政権運営を阻害することになった場合、「被災地の皆さんにとって何が最も必要なのか」と言っている自らの発言を自ら裏切ることになりかねない矛盾に気づかない鈍感さを見せている。

 浜田人事は党対個人の関係で決定したと書いたが、その党自体が果たして党の立場に立って関係づけていた対個人なのかどうか怪しい。今朝の『朝日』社説は、参院での自民党の切り崩し工作も、亀井氏の助言によるもので、党幹部と十分なすりあわせはなく、首相の独走に近かったと書いている。

 とすると、相手の党を無視した極めて個人対個人の関係で決められた人事ということになる。

 《首相巡る状況 一段と厳しさ増す》NHK NEWS WEB/2011年/2011年6月28日 4時20分)

 自民党「浜田氏の起用は、片手で握手を求めながら反対の手で殴るような対応だ」

 安住国会対策委員長「菅総理大臣は、国会の厳しさを分かってやっているのか、疑問に思う」

 自ら招いている厳しい状況との趣旨の記事となっている。

 是が非でも他党から引き抜いてでも優秀な人材を据えなければならないという主たる人事ではなく、民主党にもそれ相応の人材がゴロゴロと転がっているはずの準人事でありながら、今後の国会運営、政権運営を難しくすることが予想される人事をなぜ行ったのだろうか。

 元々状況判断能力は著しく欠いていた。欠いていたからこそできた、お粗末な状況判断能力に整合性を持たせ得るお粗末な人事だと言えはするが、結果的に自身を苦しめることになる状況設定をそれだけが原因で招くようには思えない。

 菅仮免には首相就任以来、同種の事態を招いた前科がある。いわば浜田人事は性犯罪者が出所して同じ性犯罪を繰返すような再犯行為に当る。

 鳩山前の跡を引き継いで民主党代表となり、2010年6月に首相に就任以来、小沢氏と小沢グループ排除に動いた。だが、当時は民主党はまだ参院でも過半数を握っていた。そして就任から約1か月後の7月の参院選で大敗、第一党は維持したものの、与野党逆転の勢力を許した。

 当然、国会運営、政権運営共に困難となる状況に立たされながら、小沢氏と小沢グループの主たる人事からの排除に手を緩めなかった。

 これらの排除が党内対立、党内混乱を招き、自身の党に対する統制能力に関係してくることが自明のことと分かっていながら、手を緩めなかった。

 参議院の勢力逆転図を補うためにも党派を超えたではないが、それぞれのグループ派を超えた協力、小沢氏と小沢グループの協力を必要としながら、そのような協力関係、党の統一を無視して小沢派排除にエネルギーを注ぎ、自分で自分の首を絞めていくというパラドックスを演じ続けた.。

 この排除・パラドックスを支えたのは小沢氏に対する異常なまでの敵対意識であったろう。菅本人は「政治とカネ」の問題としていたが、小沢氏には「政治とカネの問題」だけでは片付けることはできない能力を持っているはずだ。

 それは指導力であり、実行力であり、それを可能とする幅広い人脈と長い過酷な政治経験を挙げることができる。このすべてに於いて菅仮免に一つでも上回る能力を示すことができるだろうか。答はノーである。

 同じ1年というスパン取って比較したとしても、その経験と能力の質・量共に小沢氏は上まわるに違いない。

 小沢氏と菅仮免と争った2010年9月の民主党代表選前の9月1日共同記者会見で菅は小沢氏の経験を甘く見る浅はかな判断能力を示している。

 菅仮免「国会における総理大臣としての行動についても、率直に申し上げて、私にはあまり想像がつきにくいんですね、予算委員会に長い間、小沢さんが座っているなんて場面がなかなか想像ができないものですから、そういうことについても、自分が総理大臣になったら、これまでの総理大臣とここが違うんだと、そのことを『政治とカネ』の問題だけでなくて、しっかりとお伝えいただく中で、ぜひ国民の皆さんに、どちらが次の総理大臣としてふさわしいのか、意見を、それぞれの地域で発していただきまして、この総理大臣選びに参加をいただきたいということを重ねてお願い申し上げておきたいと思います」

 小沢一郎元民主党代表「私が委員会席で、座っている姿が想像つかないというお話ありましたけれども、私も20年以上前に既に閣僚を経験し、長時間、予算委員会に座って、いろいろな答弁に答えてまいりました。そういう意味におきましては、別に特別な、私が心を入れ替えてというつもりはありません。自分自身の持ち味で、誠実に淡々と役職をこなしていくことができるのが、総理大臣、政治家としての資質だと思っております」(MSN産経記事から)

 当時の世論調査は「政治とカネ」の関連からの小沢アレルギーが菅支持に向かう反動を生じせしめていたが、指導力に関する質問項目では菅仮免を上回る支持を集めていた。

 指導力や政治能力の欠如を補って支持を集めるために反小沢を利用した一面はあったとしても、支持率の上昇はあくまでも一時的傾向で終わって、小沢氏を対立項として置かずに国民に対して一人で対峙した状況下では支持率を徐々に下げていったことと、反小沢が党運営、政権運営を却って難しくし、自身の立場を悪化させ、自らのクビを締めていった同じ展開を今回の浜田人事でも繰返しかねない事態を自ら招いていることを考え併せると、支持率稼ぎということよりも、別の要素を考えなければならなくなる。

 菅仮免にとって自身が優秀な首相となれるかどうかはあくまでも小沢氏の存在にかかっていたはずだ。小沢氏が次の首相となって、持ち前の指導力と政治力、人脈の広さを駆使してねじれ国会を早々に解消して政権基盤を強化し、官僚をも使いこなして悪化した財政を騙し騙し手当しながら国家運営を軌道に乗せた場合、前任者としての菅仮免はタダでさえ歴史に任せると誤魔化している自身に対する評価を決定的に地に落としめることになる。

 いわが菅仮免は小沢氏の存在を恐れていたからこその排除ではなかったのではないだろうか。その指導力、実行力、幅広い人脈と長い過酷な政治経験を恐れていた。激しい敵対意識さえ持ったはずだ。

 だが、相手の優れた能力に敵対意識を持ったとしても、まともに太刀打ちして敵対意識を晴らす能力が自らにないときに敵対意識は増幅して復讐心と化し、晴らすことができないゆえに逆にコンプレックスとなって心の底にわだかまることになる。

 多分、それらはカネをばら撒いて得た能力だと自身に言い誤魔化していたに違いない。だが、誤魔化し切れる能力ではないことは現実が教え続ける。カネをいくらばら撒こうと手に入れることができる能力の数々ではなく、自身の素の能力と経験の積み重ねが与える能力であるはずだからだ。

 いわば菅仮免にとっては恨みつらみを抱いたコンプレックスとなっていた小沢氏の数々の能力であり、その克服方法が小沢氏排除というコンプレックスの裏返しとしてあった、その解消行動であったからこそ、却って自らの政権運営を悪化させる事態にまで目を向けることができなかった。

 もしコンプレックスから出た小沢排除ではなかったなら、参議院の与野党逆転状況も計算した冷静な判断能力を示して、「政治とカネ」の問題は野党の追及だけに収めて、党の統一をより重要視したはずである。

 だが、排除でコンプレックスは解消できはしない。小沢氏一人が相手ならその政治生命を絶つことで可能かもしれないが、大勢の同士がいる。排除がなおさらの状況悪化というマイナスの局面を否応もなしに同時進行させるし、事実事実同時進行させてきた。 

 排除が自身の支持率獲得に一時的に成功して代表の座を射止めてコンプレックスが一時的に癒されたときは、人の厭がることをして怒らせ、それを見て、ザマー見ろと溜飲を下げる愉快犯のように内心、快哉を叫んだのでないだろうか。

 このような小沢氏に対する経緯を同じ状況を招きかねない再犯に当る浜田人事に当てはめてみると、敵対意識の対象、敵対意識を燃やしても太刀打ちできないためにそれが復讐心と化し、コンプレックスとしてわだかまりを持つまでに至った対象は参院自民党ということになる。

 参議院の国会質疑では殆んどの野党から、特に自民党から中国人船長逮捕と釈放問題、尖閣の領有権問題、中国首脳との会談の中身、震災対応・原発事故対応、外国人献金問題等で散々に苦しめられて一国のリーダーとして自らは優秀だと自任している体裁を失わされ、痛い目、厭な目に遭わされてきた。

 一国の首相でありながら、相手が常に優勢に立ち、自身は常に守勢に立たされてきた。その恨みつらみ、敵意は計り知れないものがあったろう。

 敵対意識をまともに晴らすことができずに恨みつらみの歪んだコンプレックスと化していた。

 浜田人事が単に相手を一時的に怒らせることには役立っても、その一時的な役立ちに反して後々困難な状況を招くことになる危険性を計算に入れていない人事である以上、積もり積もった恨みつらみ、敵意を晴らして復讐心を満足させ、ザマー見ろと溜飲を下げる愉快犯並みのコンプレックス解消行動に過ぎないとどうしても看做さざるを得ない。

 少なくともそういった経緯を辿ることが予想される浜田人事となっている。


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こんなことを決めるために復興構想会議を設けたのか

2011-06-26 09:15:28 | Weblog

 

 ――提言の具体化は「総理のリーダーシップにかかってている」とわざわざ言われること自体が問題――

 昨6月25日、政府の復興構想会議が菅政府に対して提言を纏め、答申した。《復興構想会議 臨時増税検討を》(NHK NEWS WEB/2011年6月25日 16時39分)

 大まかに要約してみる。

 提言は『悲惨のなかの希望』と名義。何と弱々しい意味づけなのだろうか。『立ち上がるニッポン!』とか、もっと力強い意志を込めることができなかったのだろうか。

 まさか「希望」で終わらせていいわけではあるまい。

 復興構想会議設置日――震災発生から1か月後の4月11日。纏めるまでに2か月半もかかった。その間、12回の会合。

●今回の巨大津波が防波堤のみで防御できなかったことから、大自然災害は完全封殺の思想を撤回、被害を最小限化する「減災」の考え方で対処すること。

●被災地の地形や産業などの状況の多様性に対応して代表的な地域モデルごとに高台移転などの整備や土地利用を組み合わせること。

●復興財源
 次の世代に負担を先送りしないこと。基幹税を中心に多角的な検討を速やかに行い、具体的な措置を講じること。臨時増税の検討を行うこと。

●地方自治体が復興に必要な政策に必要に応じて使える自由度の高い交付金の仕組の設定。

●漁業の再生
 地元漁業者が主体となった法人が漁業権を取得できる新たな「特区」の活用。
 民間企業との連携や漁業への新規参入の促進。

●東京電力福島第一原子力発電所事故
 原子力災害に絞った復興再生のための協議の場の設置。
 放射性物質の除去など環境技術の最先端拠点の設置。

●今後のエネルギー戦略
 再生可能エネルギーの導入と省エネルギー対策等総合的な推進の必要性。 
 再生可能エネルギー電気買取り制度の早期実施。

●結び
 「『悲惨』の中にある被災地の人々と心を一つにし、全国民的な連帯と支えあいの下で、被災地に『希望』の明かりをともすことを願っている」

 提言は他にもあるだろうが、以上が重点とした提言の数々であるはずである。

 だが、こういったことが主となる提言を纏めるために構成員16名、検討部会19名も識者を集め、2カ月半も時間をかけたのだろうか。復興財源の決定にしても、その財源の被災自治体に対する振り分け方法にしても、漁業の再生方法にしても、原発事故収束と放射能除去方法、さらに復興方法にしても、被災県知事が復興構想会議のメンバーに名を連ねるまでもなく政府と直接話し合い、取り決めていけば済むことでなかったろうか。

 勿論、被災県知事は政府との話し合いに併行させて被災市町村長と話し合いの場を持たなければならないし、被災市町村長は県知事との話し合いに併行させて各被災住民と話し合いを重ねていかなければならない。

 記事に、〈被災地は地形や産業などの状況が多様〉と書いてあるように、各基礎自治体の被災民ごとに利害を異にするだろうし、この利害の相違に応じて各基礎自治体ごとの利害も異なってくるし、各県ごとの利害も自ずと違いが生じてくる。

 「代表的な地域モデルごとに高台移転などの整備や土地利用を組み合わせること」としているということは各地の実情に合わせることへの提言でもあるはずだ。

 各県ごとの復興方法の大枠を決めて、あとは各県と各基礎自治体の話し合いに任せて、復興財源の配布方法を決め、その財源に立った各県ごとの復興の過程を政府が監視するという手順を取ったなら、もっと早くに物事は決定したのではないだろうか。

 復興はどうすべきかを決定するのにワンクッションを置く形で復興構想会議と名づけた組織をわざわざ設置する必要性はあったのかということである。

 あるいは逆にこの程度のことを識者を集めた組織に決めて貰わなければ政府は何もできないということなのだろうか。

 〈政府は、この提言を基に復興の基本方針を策定し、本格的な復興予算となる第3次補正予算案を編成する方針〉だということだが、どうもムダな時間とムダなカネをかけたとしか思えないが、素人故の浅はかな考えに過ぎないのだろうか。

 五百旗頭筆耕構想会議議長「政府が、この提言を真摯(しんし)に受け止め、誠実に、速やかに実行することを強く求める」

 2か月半もかけたということで提言内容に確信を持っていることに対して政府の提言実現に確信が持てないことの裏返しとしての念押しということなのだろうか。菅仮免相手では無理もない疑心なのかもしれない。

 菅仮免「経済や社会の在り方、それに原子力の問題など大きな課題に対し、後世に残る重厚な提言を頂いた。今後は、この提言を最大限に生かして、復興に当たっていきたい」

 提言だけ重厚であっても意味はない。「政治は結果責任」。結果を伴わせて提言は生きてくる。結果責任意識がなく、責任回避ばかりに走る菅仮免がどのくらいのことができるのか。

 村井宮城県知事「提言が絵に描いた餅になるかどうかは、総理のリーダーシップにかかってている。提言はいろんなものを書き込んでいるが、最後はすべて財源に突き当たるので、政府には、それに見合った財源を準備してもらいたい」

 わざわざ「総理のリーダーシップ」を言わなければならない。リーダーシップに事欠かない総理であったなら、殊更取上げなくてもいいリーダーシップのはずだ。

 菅仮免は極楽トンボに出来上がっているから、自身のリーダーシップが期待されたと思って、内心Vサインを掲げたかもしれない。

 水産業復興特区ついて――

 村井宮城県知事「政府は実現に向かって汗を流してもらいたい。実現することを前提に、今後は漁協と調整していく」

 昨夜のNHKニュースは地元の宮城県漁業協同組合が「水産業復興特区」構想の反対署名を村井県知事に提出したと伝えていた。

 それぞれに利害を異にする。一筋縄でいかない復興構想会議提言の実現が待ち構えている。

 佐藤福島県知事(福島事故の損害賠償について)「必要となる法整備を含むことが盛り込まれ、国が最後まで意を用いるとしている。私どもの要望や意見はおおよそ認められた。具体的には、国との協議の場で進めて行きたい。与野党の国会議員が福島県を訪れた際、『挙党一致で対応する』と言っていた。小異を捨て、大同に立って、被災地のことを常に考え、この提言を具現化してほしい」

 「私どもの要望や意見はおおよそ認められた」と言っている。だったら、復興構想会議を媒介する手間を置かずに直接政府に「私どもの要望や意見」をおおよそ認めさせてもよかったし、そうしたなら時間を省くことができたはずだ。

 最後に議長の発言を再び取上げている。

 五百旗頭筆耕構想会議議長「私は、歴史家として、重大な国難であればあるほど、そのときの与野党が協力し、国民や被災地を救うために結束してやってもらいたい。今後は、政府が提言に書かれていることを具体的な施策に落としていく作業が行われる。菅総理大臣からは『今後とも見守って提言してほしい』と言われたので、そういう努力は続けたい」

 被災地そっちのけ、被災住民そっちのけの永田町政争の最終責任は菅仮免にある。政権運営能力を著しく欠いていることが原因となっている与野党対立であり、与党内対立であり、総体としての政争だからだ。

 菅仮免は4月22日の首相官邸記者会見で次のように発言している。

 菅仮免「私自身、この大震災のときに、総理という立場にあったひとつの宿命だと受け止めておりまして」

 大震災を立場上の「ひとつの宿命」と受け止めていながら、日本の政治を震災復興に向けて満足に纏めることも、満足に前に進めることもできていない。だからこそ、五百旗頭議長に「重大な国難であればあるほど、そのときの与野党が協力し、国民や被災地を救うために結束してやってもらいたい」との要望を受けることになる。

 所詮、「総理という立場にあったひとつの宿命」云々は口先だけの奇麗事に過ぎないということなのだろう。宿命と受け止めたにしては満足な実行過程を踏んでもいないし、当然のこととして着実な結果を上げてもいない。
 
 何も復興会議を間に置かずとも政府と被災県が直接議論して決めればいい復興策を中間に復興と名づけた会議を設置して決める手続きは結果的に指揮系統の乱れや、意志決定の遅れ・混乱を招いて整理統合を迫られたが、震災発生後首相官邸に何々対策本部だ、何々会議だ、何々室だ、何々チームだと名づけた20以上もの意志決定の組織を次々と立ち上げていった、必要な名称をつければ名称どおりに組織が機能して物事がスムーズに進んでいくと期待する政治運営の一環としてある意志決定機関の設置ではなかったかと思えてならない。


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仮設住宅用地確保難をクリアするためのH鋼架台上部2階式建設

2011-06-25 10:26:44 | Weblog

 

 菅仮免首相「遅くともお盆の頃までには希望者全員が入れるよう全力を尽くします」

 4月下旬、国会答弁で公約した仮設住宅8月中旬希望者全員入居達成が達成とは逆の未達成で終わることがほぼ確定的となってきたらしい。

 尤もこの公約、その舌の根が乾かぬ2日後の4月28日閣議後の記者会見で仮設住宅建設の所管官庁の大畠国交相の記者会見。

 大畠国交相「お盆までに完成できるめどがついていれば、私から申し上げている。特に津波の被害を受けた自治体では用地の確保が難しい。5月末までに3万戸を完成させるめどはついている。できるだけお盆までに仮設住宅に入れるよう、県や地元自治体とも急ぎ調整を始めた」

 多分菅仮免が大好きな大風呂敷を広げたということなのだろう。全議員、全国民に訴えたるために、いわばインパクトを与えるために大風呂敷を広げるといったことを以前言っていたが、単に訴えて終わらせるだけなら構わない。掲げた政策を着実に実現するためには計画性と実行能力を前提としなければならない。

 ところが実現できそうもない大風呂敷を広げること自体が既に計画性と実行能力の欠如を証明している。百歩譲って、計画能力と実行能力を欠いていたとしても指導力がカバーするということもあり得る。ところが菅仮免が決定的に欠いている能力は指導力、リーダーシップであって、その欠如を補う関係からだろう、言うことは立派という口先だけの能力は一人前ときている。

 このよう経緯からしても、菅仮免の大風呂敷は口で言っているだけの中身なしと断ぜざるを得ない。

 次ぎの記事が仮設住宅8月中旬希望者全員入居の未達成の可能性を伝えている。《お盆までの全員入居「困難」 宮城、仮設用地確保できず》asahi.com/2011年6月25日3時0分)

 宮城県が昨6月24日、県内4市町で約4千戸分の用地確保のメドが立たない、8月中旬までの完成は困難と国土交通省に報告したという。

 宮城県が何も8月中旬までと区切ったわけではない。菅仮免が計画性もなく言ったものだから、被災自治体は8月中旬を完成基準としなければならなくなかった。

 国が積極的に支援して何が何でも実現を図るというならまだしも、殆んど自治体任せとなっている。

 原因は津波による浸水被害を受けていない纏まった土地が殆んど残っていないこと。そのため地元以外の内陸の市町村での建設を打診してきたが、地元を離れたくないとの住民の意向が強く、自治体からの合意が得られなかったこと。

 では、地元を離れたくないという住民の意向をクリアできればいいことになる。つまり地元を離れたくないという住民の意向をクリアできる何かいいアイデアがないか、考えつけばいいことになる。

 何もないなら仕方がない。

 岩手、宮城、福島などで必要とされる仮設住宅は約5万戸。6月24日現在で3万2千戸が完成済み。

 だが、当初の必要戸数は7万2000戸。仮設住宅建設がなかなか進まないことと、建設地が通勤や通学に時間がかかり過ぎ不便なことから敬遠されるケースが生じ、この問題を解決するために自治体は費用負担で民間のアパートやホテル、旅館、あるいは自治体の賃貸住宅への入居を進めた結果、必要戸数が2万戸前後減って約5万戸となった。

 この2万戸減がなかったなら、8月中旬どころの騒ぎではなかったろう。菅仮免が如何に計画性もなくいい加減なことを言ったか、あるいはいい加減な大風呂敷を広げたかを証明して余りある。

 宮城県が必要とする約2万3千戸のうち完成戸数は約1万4千戸。残る約9千戸のうち、石巻市、気仙沼市、女川町、南三陸町で計4千戸分の用地確保が困難となっているという。

 記事。〈南三陸町の不足分については、8月中旬までの完成を目指してなお調整を続けるが、残る3市町については、目標達成はほぼ不可能な情勢だ。〉

 目標達成はほぼ不可能。 

 石巻市は必要戸数約7500戸のうち約2千戸の用地が取得できていない。

 石巻市担当者「地域のつながりを維持するため、市内で暮らしたいという住民の希望がある。8月いっぱいの完成が当面の目標」

 菅仮免は4月10日に石巻市の避難所を視察している。いくらそこで避難所生活の苦労・困難を労ったとしても、仮設住宅入居に向けて政府と自治体が一丸となって全力を上げると言ったとしても、こう遅れていたのではたいした意味をなさなかったことになる。

 気仙沼市は約1千戸分の用地確保を目指している。

 気仙沼市担当者「数十戸を建てられるまとまった土地が残っていない。お盆には間に合わない」

 一方で岩手県は7月中に1万3800戸が全戸完成の見込み。福島県は原発事故の影響で必要戸数の確定が難しいが、当面必要な1万4千~1万5千戸について7月末までの完成をめざすとしている。 

 仮設住宅は発注から完成まで5週間程度の日数を必要。入居までにさらに1週間程必要。7月上旬までに発注しなければ8月中旬希望者全員入居は間に合わない計算になると記事は書いている。

 このように仮設住宅建設は思うように進んでいない。仮設住宅建設だけではなく、瓦礫撤去も進んでいるとは言えない。陸地だけではなく、漁を行うことができるようにするための湾内の瓦礫撤去に困難を極めているようだ。

 何もかも進んでいると光景となっているのは菅仮免の頭の中のみなのだろう。

 菅仮免「私は、やらなければいけない、優先度の高いものから、取り組んできたと。精一杯やってきた中で、私は進んでいると思っている」

 菅仮免「政府一体となってやるべきことはやっている」

 指導力もない、判断能力もない、計画性もないのないない尽くしでありながら、自身の有能性に対する思い込みだけは強い。この自分は有能だという思い込みが菅を支えている核心部分なのかもしれない。菅を決然と生きさせている原動力なのかもしれない。

 「地域のつながりを維持するため、市内で暮らしたいという住民の希望」や用地確保困難をクリアする方法がないこともない。画像で示したが、既設の仮設住宅の周りにボルトで簡単に組み立てることができるH鋼の架台を構築して、架台の上に新たに建設した仮設住宅を乗っけるだけの方法である。

  この方法が有効かどうかは判断次第だろう。

 画像には描いてないが、2階の廊下と2階に通じる階段をつけなければならない。2階廊下は張り出しになるから、下の空間に関係しないが、柱自体は指して場所を取らない。階段は建物の両側面の窓のない壁部分に取り付けければ、やはりたいして場所を取らないはずだ。

 テレビのニュースを見る限り、通路はかなり広く見えたが、狭い通路では車が進入できないケースは生じる。

 また、2階部分は足の弱い高齢者や身体障害者には向かないことになるが、逆に高齢者にとって上り下りが運動になるメリットとなる。

 何よりも新たな用地確保が必要でなくなるというメリットがある。デメリットは1階式よりも2階式の方が当然日当たりが悪くなる。だが、今まで済んでいた場所にしても周囲が1階だけという場所はそんなになかったはずだ。

 それに外国製の2階式仮設住宅を発注するという記事もあった。日当たりのマイナス面は少々我慢して貰うしかない。

 架台の上で一から建設すると、時間がかかるから、空き地で建設して、大型クレーンで吊り上げる方法を採ると、従来の建設時間とさして違わない手間で建設することができる。

 但しクレーが入るだけの通路の広さがないなら、架台の上で建設するしか方法はない。

 普通土木現場等ではH鋼はリースして使用、工事が終了次第返却する利用方法を採用しているが、仮設住宅に2年3年と暮らすとなると、リース料が膨大となる。初期費用はリースよりもかなり高くつくが、買取って、仮設住宅解体後売却する方法なら、H鋼として売ることができる。

 資源高騰時代だから、買い取ったときよりも高く売ることができる可能性は否定できない。余程の不況で土木工事も建設工事も減少した場合、鉄の値段が下がり、H鋼の値段も下がることとなって損害が生じる場合もある。但し損害はリース代の総額程ではないはずだ。

 現在既に完成している仮設住宅地の上部空間に新たに仮設住宅を増やして、階段の上り下りの不便や下の住宅の日照に不便を与えるとしても、通学や通勤の利便性の確保は勿論、近隣に住んでいた者同士の住人を一つの仮設住宅地により多く集めることで地域のつながりを強化する、コミュニティをより濃密にできるメリットは、「地域のつながりを維持するため、市内で暮らしたいという住民の希望」を十分に満足させるはずだ。

 如何?


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菅仮免の沖縄全戦没者追悼式の挨拶と対応し合った記者会見発言の責任の程度

2011-06-24 10:55:16 | Weblog



 沖縄戦の組織的戦闘が終結した1945年6月23日から66年を迎えた昨2011年6月23日、「沖縄慰霊の日」を迎え、沖縄本島南部の糸満市で正午前から沖縄県主催の戦没者追悼式が行われた。

 人間性豊かな思い遣り深い菅仮免が出席、挨拶。首相官邸HPから全文を採録してみる。

 沖縄全戦没者追悼式 総理あいさつ
 
 平成二十三年 沖縄全戦没者追悼式が挙行されるに当たり、戦没者の御霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。

先の大戦において、ここ沖縄の地は、国内最大規模の地上戦の場となり、苛烈な戦闘により多くの尊い命が失われました。今、改めて、県民の筆舌に尽くしがたい苦難に思いを致すとき、胸塞がる思いを禁じ得ません。さらに、東日本大震災と原子力発電所の事故という未曽有の困難の中で、「慰霊の日」を迎えることに、私は特別な感慨を覚えます。私たちは二度と悲惨な戦争を経験してはならないことは言うまでもありません。いつの時代も、人間の尊厳と生命を守ることこそ政治の任務であることをこの場で心に刻んでいます。

本年は、終戦から六十六年となりました。戦後、沖縄は、大きな悲しみを乗り越えて立ち上がり、力強い発展を遂げてきました。しかしながら、今なお、沖縄には米軍基地が集中し、県民の皆様に大きな御負担をおかけしております。本土復帰から三十九年が過ぎたにもかかわらず、沖縄だけ負担軽減が遅れていることは慙愧に堪えません。今後、米軍基地に関わる沖縄の負担軽減と危険性の除去への取組に最大限努力いたします。

沖縄は、独自の文化を育んできた、我が国が誇るべき地域です。豊かな自然に恵まれ、また、我が国で最も高い出生率により人口増加が続き、成長著しいアジアと近接するという地理的な優位性を有するなど、更なる飛躍の可能性を大いに備えています。

本年度は、十か年の沖縄振興計画の最終年に当たります。政府としては、現行の沖縄振興計画の総仕上げをしっかり行ってまいります。また、沖縄の優位性や潜在力を最大限に生かし、沖縄の自立的発展のみならず、我が国及びアジア太平洋地域の発展に寄与しうる新たな沖縄振興策に取り組んでまいりたいと思います。一括交付金、県が主体となる計画への支援、跡地利用に関する法律の制定、出先機関の見直しなど、様々な制度について、地元の方々の声に耳を傾けながら、これを実現してまいります。

今日の日本の平和と繁栄は、戦没者の尊い犠牲の上に築かれています。我が国は、二度と国民を戦争という「不幸」に陥れないという不戦の誓いを堅持し、国際社会の一員として国際平和の実現を不断に追求してまいります。

この地に眠る御霊の御冥福と、御遺族の方々の御多幸を心からお祈り申し上げ、私の挨拶といたします。

平成二十三年六月二十三日  内閣総理大臣 菅 直人

 「先の大戦において、ここ沖縄の地は、国内最大規模の地上戦の場となり、苛烈な戦闘により多くの尊い命が失われた」

 「今、改めて、県民の筆舌に尽くしがたい苦難に思いを致すとき、胸塞がる思いを禁じ得ない」

 「私たちは二度と悲惨な戦争を経験してはならないことは言うまでもない」

 「いつの時代も、人間の尊厳と生命を守ることこそ政治の任務であることをこの場で心に刻んでいる」

 「今なお、沖縄には米軍基地が集中し、県民の皆様に大きな御負担をおかけしている」

 「沖縄だけ負担軽減が遅れていることは慙愧に堪えない」・・・・・

 先の沖縄戦に於ける沖縄県民に対する筆舌に尽し難い犠牲に始まって、戦後の今日になっても基地負担という形で一貫して沖縄県民には多大な犠牲を強いてきた。

 ここで既に戦前から今日に至るまで沖縄県民が持つべき人間の尊厳を失わせ、あるいは奪い、人間として守るべき生命を損なわせている。

 なぜなら「生命を守る」とは単に物理的に生きている状態を保つことを言うのではなく、人間の尊厳を十全に発揮できる状態で物理的にも生きていくことができるように保障することを言うはずだからだ。

 だから、政治の任務として国民の生命を守ると言うとき、人間の尊厳を守ることと等価値的に並立させているのであって、両者を等しく保障できて初めて政治の任務を果たしていると言える。

 だが、戦争で沖縄県民が持つべき人間の尊厳を奪ったばかりか、敗戦から今日まで66年もの間、基地の負担を過大に強いることで、その代償として人間の尊厳を奪い続けているにも関わらず、「いつの時代も、人間の尊厳と生命を守ることこそ政治の任務であることをこの場で心に刻んでいる」と実態と矛盾したことを言う。

 「沖縄だけ負担軽減が遅れている」と既に果たしていてもいい政治の責任を66年間も果たさずに放置して沖縄県民の人間の尊厳を奪い続けてきたその総量に対して「慙愧に堪えない」という言葉で、少なくとも現時点に於いては政治の責任に代えている。

 この消極性、政治の不作為、あるいは沖縄に対する無責任・誠意のなさは特に普天間基地の移設を「国外、最低でも県外」と負担軽減を打ち出したのは民主党政権であり、菅仮免にしても野党時代、「沖縄に米海兵隊は要らない。米本土に帰ってもらう」と最大限の負担軽減を確約している手前、民主党にも菅仮免にも許されない消極性であり、政治の不作為であり、あるいは沖縄に対する無責任・誠意のなさであろう。

 沖縄に米基地が集中して過重な負担を強いていることが沖縄県民の人間の尊厳を奪っている以上、沖縄県民の尊厳回復は基地からの解放を措いて他にないはずだが、「人間の尊厳と生命を守ることこそ政治の任務である」と言っていることと矛盾する「今なお、沖縄には米軍基地が集中し、県民の皆様に大きな御負担をおかけしている」人間の尊厳を壊したままの状況となっている。

 当然、米軍基地からの解放、真の意味での負担軽減は政治の任務でありながら、実質的には沖縄県民の生命を守っていることにはならない。

 慚愧に堪えないだ、心に刻んでいるだ、尊い命だと尤もらしげに言葉を連ねてはいるが、所詮口先だけで並べ立てた、菅仮免の人間性・責任意識が反映した奇麗事の数々に過ぎない。

 菅仮免は式典出席後、記者会見を行っている。いち早く時事ドットコムが報道していたが、その発言にも菅仮免の責任感の程度を見る気がした。同じ人間が口にするのだから、当然と言えば当然の責任の程度ということなのだろう。

 ただ、記事が伝えているとおりの言葉を使ったのかどうか動画を捜して確かめようとしたが、見つからなかった。昨夜の7時からのNHKのニュースでも途中までしか発言を伝えていない。NHKのウエブ記事の動画では普天間基地に関する発言は省略してあった。

 鳩山前首相が県外から県内移設へと迷走していた頃はマスコミの関心も高く、詳しく報道していたが、「慰霊の日」で訪れながら、基地問題よりも菅仮免の続投に重点を置いた報道姿勢となっている。

 《沖縄での菅首相発言》時事ドットコム/2011/06/23-13:49)
 
 記者「米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)移設問題で、なぜ県外移設は無理なのか」

 菅仮免「沖縄の皆さんが、県外あるいは国外移転を望んでいることはよく理解している。そうしたことを含めていろいろ検討もしてきたが大変そのことが難しい状況に、あるということで、何とか危険性を除去し、固定化を避けるため、努力しなければいけない。これからも沖縄の皆さんの声を聞きながらそうした方向で取り組んでいきたい」

 記者「延長国会で成し遂げたいことは何か」

 菅仮免「私がやらなければいけない課題は(震災の)復旧・復興、そして原子力事故の収束。それに向けて全力を挙げ、私自身、燃え尽きる覚悟でこのことに取り組んでいきたいと考えている」

 これだけの発言で記事は成り立っているに過ぎないが、大概の記事は後半の発言を重要視して取上げていた。

 責任感の程度を見た発言箇所とは蛍光ペンをつけておいた「あるということで、何とか」という言葉遣いである。

 昨夜の「NHK」の7時のニュースから採録してみる。

 菅仮免「県外、あるいは国外、イ…移設を望んでおられるということは、よく理解をいたしております。検討オーも、この間、したわけですけども、おー、大変そのことが、あー…、難しい状況にあると」

 「難しい状況にあると」で音声を途切らさせて、アナウンサーの解説する声が続いた。

 だが、「難しい状況でした」と言い切ったわけではない。「難しい状況にあると」と「と」をつけていることからすると、「時事ドットコム」が書いている「あるということで」は菅仮免の発言を語尾の敬語は抜きにしたとしても、そのまま伝えたと見ることができる。

 県外あるいは国外移転を「いろいろ検討もしてきたが大変そのことが難しい状況に、あるということで」の言葉遣いは第三者の報告を伝聞形式で伝える表現であって、当然、「難しい状況」は菅仮免自身の判断ではなく、第三者の判断をそのまま自らの判断としたということでなければならない。

 逆に「難しい状況でした」と言い切った場合、そこに菅仮免自身の直接的な関与を見ることができるが、そうは言っていない。

 もしも菅仮免が、勿論第三者に指示を出してのことだろうが、県外あるいは国外移転実現を図るべく主体的・積極的にあれこれと熱心に指示を出す努力をしていたなら、「難しい状況に、あるということで」といった伝聞形式を取ることはあるまい。

 当然、「いろいろ検討もしてきたが大変そのことが難しい状況に、あるということで」の発言には菅仮免自身の努力の痕跡を窺うことはできない。

 また、うるさいことを言うとするなら、「何とか危険性を除去し、固定化を避けるため、努力しなければいけない」の「何とか」にしても、「何としても」、あるいは「何としてでも」の最大級に対する比較級の「何とか」であって、「何としても」や「何としてでも」から比べた場合、強い意志を欠いた言葉遣いとなっている。

 菅仮免は何も気づかずに何気なく使った言葉だろうが、普天間の国外、あるいは県外移設は難しい状況だとする判断も他人任せ、負担軽減も「何としても」、あるいは「何としてでも」やり遂げるという強い意志を示すことができずに、「何とか」と言うだけの責任で済ませている。

 自ずと責任意識の程度が現れているというだけではなく、一見立派な言葉を並べ立てた沖縄全戦没者追悼式の挨拶と対応しあった記者会見発言の責任の程度だと言える。

 勿論、どこでどのような発言をしようと、その人間の責任の程度が自ずと現れることになる。首相職が未だ本免許に至らない仮免だと言うだけではなく、人間自体もその人間性や責任意識から照らし合わせると本免許には至らない仮免人間にできているようだ。

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菅仮免の自分が種を撒いたと自覚のない「オレを追い落とそうとしているのか!」のマジ切れ

2011-06-23 11:28:07 | Weblog


  
 鳩山前と取り交わした確認書では退陣時期は「第2次補正予算の早期編成のめどをつける」ところまでと、いわゆる菅仮免に“残された仕事”とされた契約を自ら破って、第2次補正を自らの手で成立させること、さらに何ら確認書に条項づけていなかった特例公債法の成立、再生エネルギー法も自分の手で成立させると、退陣時期を3法案の成立までと欲張る延命戦術に出た。

 明らかに契約違反でありながら、契約の一方の当事者である鳩山前から何ら異議申し立てがないのはどうしたことなのだろうか。

 自らの無能、指導力欠如を省みずにあれもこれも俺の手でやりたいとなったら、意欲だけが旺盛なこと程始末に悪いが、一事不再理を利用して内閣不信任案を封じ込めるためにもそれ相応の会期延長が当然のこと必要となる。

 ところが3法案成立だけではなく、岡田幹事長は6月20日、与野党幹事長・書記局長会談で第3次補正予算案の成立も見据えて、6月22日までとしていた通常国会の会期を10月中旬まで約4カ月延長することを提案。《首相、辞任条件に再生エネルギー法成立も 計3条件に》asahi.com/2011年6月20日21時32分)

 岡田幹事長、「そのこと(辞任)と会期の大幅延長は別次元の問題」

 どのような確信があってのことなのか、会期延長幅の120日間と退陣時期が連動するわけではない、120日も居座るわけではないとした。だが、岡田個人の保証であって、菅仮免本人が自らの口で保証したわけではない。

 石原自民党幹事長「首相の延命に手を貸すつもりはない」

 菅本人が辞任時期を明確にしたわけではない。いわば120日間の延命と見た。自分から辞めると言っておきながら、120日も居座ろうなんて、それはないよ、というわけなのだろう。

 翌6月21日になって、会期幅50日案が出てきた。岡田幹事長は菅仮免の手で成立までとしていた3法案を残して、第3次補正予算案は新首相の下で議論と譲歩。一旦は民主、自民、公明3党で合意。

 同6月21日夜に岡田幹事長と枝野詭弁家が「50日案」を引っさげて首相公邸に乗り込んだ(?)。だが、「50日案」は菅仮免によってあっさりと覆され、70日なら受入れると条件提示。

 さらに第3次補正予算案は「新首相の下で議論」が菅仮免の意向で「新体制の下で」に変更。ほんの少しの文面に拘って訂正させたのはそこに抜け道を見い出して埋め込んだからだろう。

 《「『3次補正は新体制が対応』はトリック」 西岡参院議長》MSN産経/2011.6.22 11:55)

 6月22日午前の記者会見。

 西岡武夫参院議長「『新体制』というのには、トリックがある。大幅な内閣改造をやっても、それを新体制と呼ぶ。そういう、ごまかしの政治はよくない。もう、この政権はいい加減にしてもらいたい。党の執行部も、参議院を外して何を考えているのか。首相が、何月何日までに辞めますといわなければ、延長は国会として受けられない状況だ」

 要するに文面にたいして違いはないように見えるが、「新首相の下で」は完全に菅仮免を排除することになる。「新体制の下で」とすることで自分が首相として居残ることに可能性を残した。

 なかなかの策士であるということだけではない。指導力や政権運営に必要とされる能力発揮は期待外れに終わっていることに反して政権にしがみつこうとする執着能力は優れて粘り強いものがあり、誰憚ることなく如何なく発揮している。

 菅仮免自身が会期延長70日以後も首相職に可能性を残している以上、岡田幹事長が言っていた「そのこと(辞任)と会期の大幅延長は別次元の問題」は甘すぎる認識だったことになる。


 《首相の粘り勝ち 根負けした岡田氏 面罵された仙谷氏「ナントカに刃物…」》MSN産経/2011.6.22 01:16)が、会期延長幅が迷走して終着するまでの与野党対応の内幕を伝えている。

 記事冒頭は、〈最後は菅直人首相の粘り勝ちだった。〉と書いている。

 リンクをつけておいたから、詳しい内容は直接記事に当って貰うとして、次ぎの件(くだり)が興味を引いた。

 6月20日夜の政府・民主党首脳会合でのこと。

 菅仮免(仙谷官房副長官に対して)「オレを追い落とそうとしているのか!」

 記事はこの発言を以って「面罵」と形容している。

 このことがあって、翌6月21日、首相執務室に岡田幹事長や輿石東参院議員会長らが入れ代わり立ち代わり足を運んだが、仙谷官房副の姿はなかったという。

 仙谷官房副「ナントカに刃物だな…」

 こう周囲に漏らしたという。

 仙谷は一時期菅首相を退陣させて自公と大連立を組む構想を与野党の主だったところと話し合い、野田財務相を念頭に置いた後継首相選びを始動させている。

 一度は見限った菅仮免に「オレを追い落とそうとしているのか!」と面罵されて、その場で有効な反論を試みることはできなかったのだろう、このことは翌日首相執務室に顔を出さず、周囲に「ナントカに刃物だな…」とこぼすしかない太刀打ちできなかった状況が証明している。

 「お前さんが首相でいる限り、前へ進まないんだよ。自分では進んでいると思っているだろうが、実際は進み方が遅いんだ」ぐらいのことは言えなかったのだろうか。

 だとしても、「ナントカに刃物だな…」と形容する以上、菅仮免は相当にヒステリックに怒り狂っていたことになる。

 ヒステリックに怒り狂う程にも退陣を“追い落とし”と受け止めていることになる。あるいは“追い落とし”だと認識しているということになる。いわば不当な要求だと看做して抵抗を露にしている。

 仙谷が一時菅仮免の退陣に動いたことが“追い落とし”と看做すキッカケとなったのかもしれないが、確認書で自身の退陣と引き替えに不信任案可決回避を取引して、代議士会で「一定のメドがついたら若い世代に責任を引き継いでもらいたい」と退陣表明し、そのことが発端となった今回の退陣騒動であり、「一定のメド」は確認書に謳った「第2次補正予算の早期編成のめどをつける」ところまでとしなければならないが、それを無視して「一定のメド」をいつにするかの条件闘争に移っているとしても、会期延長も法案提出もすべては確認書で約束し、代議士会で自身が言い出した退陣が前提となっている。

 いわば今回の退陣騒動に限って言うと、自分が撒いた種が芽を出して姿を現した退陣である

 このことを動かし難い事実としているのは衆参のねじれが生んだ、国会運営上一方的には無視できない野党との関係力学であろう。

 これも自身が撒いた種である。

 そして震災対応・原発事故対応の拙劣さ、遅滞が逆に証明することになった指導力や判断能力、指示命令の機能不全といった能力欠如も自身が撒いた種であろう。

 これらの撒いた種は参議院で優位に立っている野党との関係力学という名の畑でそれぞれ芽を出した。

 いわば「一定のメド」は菅仮免側の都合だけで決めていい事柄ではなく、野党は野党としての立場上、菅仮免を追い落とす意図を持っているだろうが、あくまでも野党との関係を絡めた中で決めていかなければならない退陣となっている。

 例え菅仮免の近くに位置する幹部から“追い落とし”が仕掛けられたとしても、自身が撒いた様々な種がすべて関係して構成することとなっている野党との関係力学の全体であり、“追い落とし”の策動を党内、あるいは閣内から受けたとしても決して文句は言えない状況にあったはずだ。

 いい例が支持率を獲得できない首相は衆議院、参議院、どちらの選挙が近づいても、これでは選挙が戦えないと追い落としに遭うことになる。

 有能であったなら、撒く種は違った種類のものとなり、出す芽も違ったものとなっていたはずだ。参院選敗北もなく、当然ねじれ国会という芽も吹き出すことはなかった。当然、今回の退陣騒動もなかった。

 だが、まともに判断できるだけの合理的判断能力を欠いているために自身が種を撒いて、今日の退陣騒動があることにサラサラ気づいていないから、自身を一方的に善の存在とし、相手を一方的に悪とする、“追い落とし”を不当とする意識を働かせて、「オレを追い落とそうとしているのか!」という怒り狂った発言となる。

 この発言から窺うことができるもう一つの事実は、多くが既に承知していることだが、確認書を最初から守るつもりはなかったという事実であろう。確認書の違約だけでも追い落としを受けても仕方のない重大な違反事項である。そのことを少しで自覚していたなら、後ろめたさが働き、「オレを追い落とそうとしているのか!」といったきつい言葉は決して出てこなかったろう。


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菅仮免、あれをやりたい、これをやりたいと言う前に政治空白・政治混乱解消を先決の責任とすべし

2011-06-22 07:40:25 | Weblog



 退陣時期を決めないことには物事が前に進まないからと岡田幹事長らが菅首相のクビに退陣時期を決めさせる鈴をつけようと悪戦苦闘している。

 何しろ21世紀臨調から、機能しない政治、動かない政治となっていて、「機能する政権」とするためには「新たな代表の選出を通して党の求心力と政策の軸の回復を地道にはかる以外に道はない」と首相の交代を強い調子で求められながら、あるいは米倉弘昌経団連会長から、「自分の言ったことは必ず実行すると若い人に示さないと、教育上も具合が悪い」(YOMIURI ONLINE)と辞めると自分で言ったことを実行するよう、有言実行を求められながら、「なりゆきを決然と居座る」の座右の銘を頑として守るつもりでいるのか、「職に恋々」としがみつこうとしている敵のクビに鈴をつけるのはなかなか至難の業、悪戦苦闘する結果となっているようだ。

 《菅首相居座りは「教育上も具合悪い」経団連会長》YOMIURI ONLINE2011年6月21日08時33分)

 米倉経団連会長「被災地の人たちの生活を考えると一刻の猶予もないのに、政治の実行力や判断力などすべてに物足りない」

 震災の復旧・復興に、あるいは原発事故対応に「政治の実行力や判断力などが」的確に反映されていないと警告している。勿論反映されない状況は菅仮免の「政治の実行力や判断力」に不足があるからなおは断るまでもない。

 問題はこの意見が米倉会長一人のものではなく、大方に共通している意見だということである。多くの政治家、識者が同じ見方をしているだけではなく、6月11日付「asahi.com」が被災42市町村長アンケートでは、「菅政権の震災対応に対する評価」に対する回答は、「評価する」はゼロに対して「評価しない」と「あまり評価しない」を合わせて8割近くにものぼる33市町村長にまで達している事実は被災当事者が言っていることで、これ程確かなことはない菅仮免の「政治の実行力や判断力」不足ということであろう。

 ところが菅仮免本人は決然たる思いで自分に不足があるとはサラサラ思っていない。

 6月19日日曜日放送のフジテレビ「新報道2001」で流していた。
 
 6月14日参院復興特別委員会

 菅仮免「私は、やらなければいけない、優先度の高いものから、取り組んできたと。精一杯やってきた中で、私は進んでいると思っている」

 被災当事者である被災地域の市町村長の約8割が菅政権の震災対応を評価していないにも関わらず、本人は復旧・復興に何ら遅れはない、進んでいると太鼓判を押している。

 尤もこれまでも、「政府を挙げてやるべきことはしっかりやってきている」と言って、何ら遅れはない、不足もない、いわば内閣としての、あるいは政府としての体裁を為しているという態度を取ってきたのだから、その点では一切のブレはなく、終始一貫しているし、なかなか見上げた図々しさだと言える。

 岡田幹事長などが鈴をつけようとしたのに対して菅仮免は3つの条件をつけたという。2次補正と赤字国債発行可能化の特例公債法と再生エネルギー法の3法案の成立をつけるまでだと。

 だが、不信任案可決回避と退陣を交換条件に鳩山前と取り交わした確認書の退陣時期は、「復興基本法案の成立」と「第2次補正予算の早期編成のめどをつける」ところまでである。確認書を取り交わした後開催された代議士会で鳩山前は念を押す形で、「第2次補正予算の早期編成のめどをつける所までで、成立までではない」と発言している。

 復興基本法案は6月20日に既に可決、成立している。あとは第2次補正予算編成の目途がつくまでだから、残すところ僅かな就任期間となるはずだが、確認書に契約違反までして特例公債法と再生エネルギー法の成立までだと居座りを決めた。

 居座るエネルギーにかける「実行力や判断力」に関しては優れたものがあるようだ。

 自身の政治能力・指導力に欠点はない、実行能力・判断能力共に十分に発揮していると自己評価し、自己評価どおりの能力が震災対応にも原発事故対応にも反映されていると信じているのだから、誰がどう否定する言葉をかけても馬の耳に念仏かもしれないが、自身の存在が政治を停滞させ、政治空白をつくり出していることは事実として認めないわけにはいくまい。

 このことはいくら自分は有能だと確信していたとしても、野党は菅仮免ではダメだとノーを突きつけ、そのことによって生じている衝突・軋轢を簡単には乗り超えることができていないことが証明している。

 一国のリーダーの存在自体が政治空白・政治停滞を招いている以上、菅仮免はあの法案も通したい、この法案を成立させたいを自らの責任とするよりも、すべての障害の元凶となっている目先の政治空白・政治停滞の解消を何よりも先決の責任としなければならないはずだ。

 いや、もっと早くに解消すべきだった。そしたなら、被災市町村長や被災者自体の日本の政治に向ける目、評価は現在とは違っていたに違いない。当然、復旧・復興も現在よりも進んでいたはずだ。

 大体が参院選で数の力を失ったことが菅仮免自身の能力の結果を示すすべての責任の発端であり、今日の政治混乱・政治空白を生み出す責任の発端となっている。

 民主党参院選敗北が自身の政治能力にある以上、その責任は測り知れないが、このことにどのような責任も取っていない。

 今年4月の統一地方選敗北でも何ら責任を取っていない。

 選挙の敗北が自身の政治能力の結果だという認識、政治能力が招いた当然の結果だという認識がないから、「政治は結果責任」に目を向けることもできずに責任を取ろうという意識も働かない。

 喫緊の課題として必要とされている政治空白・政治混乱の解消に向けて動く姿勢を見せずにあれをやりたい、これをやりたいと一日伸ばしの政権への執着を見ると、このことが麻痺させている責任意識なのかもしれない。

 だとしても、一日も早い政治空白・政治混乱の解消を先決の責任しないと、被災地の被災者だけではなく、国民自体の政治不信を益々拡大させることになる。

 今朝のNHKニュースが国会の会期を8月31日まで70日間の延長として公債特例法案を成立、第3次補正予算案は新しい体制で議論する方針を確認したことと、この方針を受けて民主党内では公債特例法案などが成立すれば菅総理大臣は8月中には退陣するのではないかという見方が大勢となっていると伝えていたが、菅本人が8月中の退陣を明言したわけではない。
 
 いつまで経っても退陣時期を明言しないのは何をどうはき違えているのか、政治空白・政治混乱の解消を先決の責任としていないことの証明にしかならない。
 
 菅仮免が自ら退陣時期を明言しない場合は、鳩山前との確認書取り交わしで鳩山前が署名を求めながら断られて契約違反を招き、なおのこと政治空白・政治混乱を長引かせることとなった失敗例を反面教師として、時期を記した書面を作成、署名させることぐらいしないと、巧妙な政治術でなおのこと居座りの手を打ってこないとも限らない。

 そうなった場合、政治空白・政治混乱はより始末の悪い状態となっているに違いない。このことはどうしても避けるべきだろう。


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ピースサインしている場合ではない菅仮免の盗人猛々しい雇用経済論

2011-06-21 11:09:26 | Weblog


  
 「一に雇用、二に雇用、三に雇用」とはさすがに言わなかったが、久々に菅仮免十八番の雇用先行論を聞いた。雇用が経済の成長につながり、財政の再建に貢献するという景気回復のプロセス論である。

 6月15日(2011年)の参院東日本大震災復興特別委員会で亀井亜紀子国民新党議員の質問に対する菅仮免の答弁で飛び出した。

 亀井亜紀子議員は2007年当選の参議院議員。童顔だから、若いかと思ったら、1965年5月生れ46歳のオバサンに見えないオバサン。持ち時間は10分。

 亀井亜紀子「被災地が復興できるかどうか、日本経済が立ち直れるかどうか、政府、具体的には財務省が国民のためにお金を出すかどうかにすべてがかかっています。一次補正のときに国民新党は10兆円規模を主張したが、その一部はファンドにして二重ローンに対応すべきだと主張した。財源は無利子国債を復興債として出す。総理と財務大臣の方針で、国債を一次補正に於いて発行しないことを決めたので、4兆円しかおカネが出てこなかった。

 そして今、増税大合唱が起こっている。復興構想会議に於いて、税・社会保障一体改革集中検討会議に於いて、元々増税論者の有識者が多いものですから、増税の大合唱になります。

 私は新自由主義に基づく緊縮財政、これが諸悪の根源だと思っていて、そろそろこの経済政策から決別していただきたい。プライマリーバランス黒字化を目指せば、財政再建できるという主張だが、これで財政再建できるのであれば、とっくにできている。

 残念ながら、政府はときどきウソをつく。これは故意だと思わないが、政策の修正をしないためにずうっと辻褄合わせが続いてしまう。税収を減らした責任は財務省と内閣府の両方にあると思う。

 一番いい例はいざなぎ景気以来の景気拡大を主張し続けたこと。2006年11月、内閣府の月例経済報告で、2002年2月から2006年11月までの58ヶ月間、いざなぎ景気を超えて戦後最長だと主張したが、これは数字のトリックだった。

 実質GDP成長率がプラスであるから景気拡大だと主張したのだが、これは譬えれば、1マイナスマイナス5はプラスの6です。マイナス括弧、マイナスは括弧を取ってプラスになるから、それと同じロジックです。

 名目成長率、マイナスGDPデフレーター、つまり物価総合指数を引くと実質成長率が出てきます。GDPデフレーターはデフレのときはマイナスですから、括弧の中にマイナス数字が入る。計算すると、実質成長率は高い数字となる。

 この数字の読み方は経済成長ということではなくて、デフレがずうっと続いていると解釈しなければいけなかったのに、経済成長しているとずうっと主張していた。

 小泉政権はこれを言い続けたが、実際は何が起きたかというと、2000年の末、小泉政権が始まる前は政府債務が368兆だったのに、2006年末には国債で137兆に増えて、541兆になった。

 基本的にこの政策が続けられているので、今、政府債務が増え続けている。この政策の失敗を認めないまま、増税によって国民に責任を負わせようとしているのが今の財務省だと思うが、この私の分析に対して、野田財務大臣、与謝野大臣、どのように考えているか」

 野田財務相「景気の話は後で与謝野大臣の方からあると思う。委員、ご指摘のとおり、いざなぎ景気というのがございました。私が小学校から中学校、まさに右肩上がりで、よくなっている実感がありました。

 一方で今ご指摘のいざなぎ景気を超える景気拡大と言われた2002年1月から2007年10月、これ69ヶ月間ですが、今委員がご指摘のあったデフレ下であったというのは大事なことだと思う。年平均の成長率が2%で、途中で4半期ごとに見ると、いわゆる踊り場になっていることが何回も見られた。なかなか国民が実感を得られたかと言うと、そうではない。

 その上で税収の関連のお話がありましたので、平成15年から平成19年にかけての財政状況を見てみると、一般会計の税収は43.8から51兆にまで増えてはいる。ただ平成2年のピークの約60兆円にまでは至っていないということが事実として一つある。

 一般会計歳出は83.7兆円から80.8兆円とほぼ横ばいです。

 ただ、公債発行額は35兆から25.4兆に減ってはいますけども、累積をしていくと、今ご指摘のとおり、公債残高は421兆から541兆に累増し、厳しい財政状況が続いたのは事実だと認識している」

 実質的には経済成長が続いていたわけでなかったから、税収がさして増えているわけではないにも関わらず政府債務だけを増やす政策を続けてきた。「この政策の失敗を認めないまま、増税によって国民に責任を負わせようとしているのが今の財務省だと思うが、この私の分析」をどう考えるかと亀井亜紀子は質問した。

 対して次の首相に望まれるだけあって、単に数字を並べて、「厳しい財政状況が続いたのは事実だと認識している」と結論づけたに過ぎない。

 亀井亜紀子としては今の野田財務大臣下の財務省が消費税増税を目論んでいる、これまでの政策の失敗を引き継ぐ政策の過ちではないかと、その説明を求めたはずだが、正しいと考えて目指しているなら、その説明責任を果たすべきだが、増税に関しては何も答えていない。

 与謝野変節漢「政府が持っている経済政策の、いわば道具立て、これは一つは日銀の金融政策。これは金利を上げる、下げる。あるいはおカネを市場に供給する。あるいは引き上げる、というのが金融政策の側面と。

 政府が持っている経済政策としての道具としては、一つは税制、一つは規制緩和、一つは財政出動、この三つしか基本的にはない。

 財政出動はバブルが弾けた以降、不景気なときに相当な財政出動をしたが、基本的に日本の経済は強くならなかった。一時的には有効需要が発生したが、それは波及効果がなく、持続性もなかったわけでございます。

 小泉内閣になってからは経済に対してやや中立的な財政政策を採ってきた。しかし福田内閣になって、ガソリンが高くなった。こういう原油高に対する補正を組んだ。麻生内閣になって、リーマンショックがあったときに、日本の経済が底抜けしないように15兆円になんなんとする非常に大型の補正を組んだ。

 それはそれなりの効果があったが、財政出動によって支えられる経済というのは先ずホンモノではない。やっぱり日本の経済が国際的な競争力を持つこと。それから内需がサービス業を中心としてもう少し生産性が高くなる、内需も高まる。そういう状況でなければならないと思っている。

 デフレの要因は様々あるけれども、こういうふうに国境のない経済になると、諸外国の物価安、諸外国の賃金安が当然日本の物価、日本の賃金に反映してくるという避け難い現象が起きていると思います。

 しかしインフレというのは、大変住み心地の悪い、勤労者の実質的所得も、あるいは貯蓄をしている方々の貯蓄も破壊する。そういう大変な悪質性のものとなり得るわけで、その点は十分注意をしながら、インフレとデフレを論じていかなければならないと思っている」

 与謝野肇が政治家を辞めて高校の教員程度の評論家になったことを知らなかった。政府が持っている経済政策としての道具立てはどうのこうの、デフレ、あるいはインフレはどういったことだ、こういったことだといったことを解説するのが政治家の務めではない。

 解決策を提示し、提示した解決策で解決を図るのが政治家であるはずだ。このような発言自体が与謝野の限界を既に示しているのではないだろうか。

 与謝野は「小泉内閣になってからは経済に対してやや中立的な財政政策を採ってきた」とのみ小泉内閣の経済政策を端折って説明しているが、与謝野は2005年発足の第3次小泉改造内閣時代に金融・経済財政政策担当の内閣府特命担当大臣を務めている。

 2001年4月26日から2006年9月26日まで続いた小泉内閣は2002年2月から2007年10月まで続いた、亀井亜紀子が質問で取上げている戦後最長景気にほぼ重なる。

 この景気拡大期は周知のことだが、個人所得が伸びなかったことに伴って個人消費が低迷した、一般国民には実感なき景気と言われた。但し一般国民には実感はなかったことに反して大企業は大いなる実感を持つことができた景気拡大であった。大企業は軒並み戦後最高益を手に入れたのだから。

 その結果として生じた、全般的な小泉内閣の経済政策がもたらすこととなった貧富の格差拡大であり、地方と都市との格差拡大であった。

 与謝野が金融・経済財政政策担当の内閣府特命担当大臣として貢献しなかったとは言えない、一般国民には縁のなかった景気ゆえの貧富の格差拡大ということであろう。

 与謝野は麻生内閣と福田内閣でも経済政策担当の特命担当大臣を務めている。だが、両内閣の経済政策は任期が短かったこともあるが、見るべき効果を上げることはできなかった。

 だとしても、与謝野自身は豊富な経済閣僚の経験を持つ。その豊富な経験が言わせた最高の知見なのだろう、「日本の経済が国際的な競争力を持つこと。それから内需がサービス業を中心としてもう少し生産性が高くなる、内需も高まる。そういう状況でなければならないと思っている」と、日本経済回復の具体的な方法論ではなく、単に解説するだけの一般論を描いて見せている。

 これまで与謝野も含めて誰もが目に見える具体的な成果を上げることができなかったのだから、当然の一般論なのかもしれない。

 亀井亜紀子「私は10年デフレは財政出動によってしか解決しないと思っております。モノと貨幣のバランスに於いて貨幣が足りない、投資が足りない、おカネがまわっていないということが先ず原因だと思う。

 デフレ下で増税してはいけないというのは国民新党にとって常識なのだが、菅総理大臣は就任したときにデフレから脱却しなければいけないということを強調していたが、デフレのときは増税してはいけないという認識は総理にはないのか、このバカ野郎が(とは言わなかった)」

 我が日本の菅仮免がいよいよ大トリとして登場。

 菅仮免「今の二人の大臣の話を聞きながら、ま、私もこの間、デフレの問題を考えてきた。デフレの原因は何か。一言で言えば、モノで使うよりもカネで持っていた方が安心だと、この状態が今の日本に於けるデフレだと思う。

 おカネを持っていた方が安心だという人から何らかの形で強制的にと言いましょうか、使わせる方法は国債で借りて、使うか、あるいは税で以って使うかだと思う。

 私はこの前の(自民党内閣のという意味か)財政政策は基本的に間違っていたと思うが、それは何が間違っていたのか。財政出動が大きかったから、小さかったからじゃなくて、使い道が間違っていたと。

 つまりは雇用を生み出すような方面に使わなかったことが結局のところ間違っていたと。つまり雇用というものは必ずそこに、例えば失業率が低下をし、新しい人たちが給料を貰いますから、新しい消費が生れる。そういう形で全体として需要が不足しているのがデフレのもう一つの側面でありますから、それをカバーしていくことができるわけです。
 
 ですから、私は財政によくおっしゃるように、確かに増税がいいとか悪いとか議論をすれば、それは誰も増税が好きなわけではない。しかし私が考えるのはデフレのもとに於いては何らかの形でそれが将来の、国債だって将来は償還しなければいけないわけだから、何らかの形でおカネを動かす必要があるわけだから、使い道を間違っていないようにしていけば、雇用を中心にした需要の拡大を大きな柱にしてやってきたつもりです」

 「一言で言えば、モノで使うよりもカネで持っていた方が安心だと、この状態が今の日本に於けるデフレだと思う」とはなかなか見事な経済論だが、「モノで使うよりもカネで持っていた方が安心」だとする、いわばデフレで物価が安くてもカネを出して買うことを控える状況とは個人所得上昇の保証がないこと、あるいは不景気でいつリストラに遭うか分からないことによる個人所得そのものの保証があやふやだといった状況を前提としているはずで、会社の経営と個人所得が低迷した状態で悪循環していることに原因があることへの視点を欠いたまま堂々と自らの経済理論を述べている。

 亀井亜紀子「時間ですので、これで終わりたいと思います」

 時間など図々しく無視して、「雇用を生み出すような方面」にカネを使えば間違いない、「雇用を中心にした需要の拡大を大きな柱にしてやってきたつもりです」と言っているが、就任から今日までの1年間にどの方面にどう使ったのか、1年間の成果は何かあるのか追及すればよかったが、2007年当選の参議院1期生のせいか、すんなりと引っ込んでしまった。

 政治は結果責任である。「やってきたつもりです」では済まされない。「やってきた」ことの成果が能力発揮の証明となり、業績とすることができる。

 菅仮免は首相就任後、雇用を生み出す方面として盛んに介護や林業・農業を挙げて、「一に雇用、二に雇用、三に雇用」とバカの一つ覚えの呪文のように唱えていた。

 多分、その成果なのだろう、リーマンショック後の派遣切りで仕事を失った大量の派遣契約労働者が少なからず介護職や林業・農業に就職したが、これは単なる人材の移動に過ぎなかったから、全体としてプラスとなる雇用とは言えない。

 但し与謝野変節漢が「財政出動によって支えられる経済というのは先ずホンモノではない」と批判しているエコカーや家電エコポイント制、エコ住宅等の財政出動によって統計上は一見完全失業率が少しは持ち直したように見えたものの、個人消費は低い水準のままだし、大学生の震災前に当る今年2月1日時点の就職内定率は過去最低の前年同期比2.6ポイント減の77.4%(asahi.com)といった貧弱な雇用状況にあり、対して高校生の場合は僅かに改善していたが、低い給与の人材に集中した雇用と見ることができ、全体として見た場合、決して褒められた雇用状況とは言えないことからすると、どこにどう使ったのか、「雇用を中心にした需要の拡大を大きな柱にしてやってきたつもりです」が成果として見えてこない。

 だが、菅仮免が首相就任の2010年6月前後からの日本の景気の回復軌道はリーマンショックからいち早く立ち直った中国を中心としたアジアの外需に主として牽引されもので、アジアに引き続いた欧米の景気回復が後押しした欧米向け外需が併せてもたらし、財政出動政策による内需を従とした国内生産の増加であり、企業収益の改善だったはずだ。

 但し国内生産の増加と企業収益の改善に必然的に伴う雇用の改善、完全失業率の持ち直しは大学生の震災前の時点での就職内定率が過去最低であることから分かるように正社員向けのものではなく、震災の影響から立ち直ってホンダ自動車が1000人の期間工を採用し、富士重工が400人の採用に踏み切る採用状況が示しているように現場従業員向けの雇用が主体ということであろう。

 《ホンダ:期間従業員1000人採用へ 生産急回復で》毎日jp 2011年6月16日 18時28分)は書いている。

 〈ホンダは4月、埼玉製作所に勤務する期間従業員約600人を順次削減し、9月中にゼロにする方針を決めていたが、6月下旬に生産がおおむね正常化する見通しとなったため撤回する。すでに契約を満了した人についても、本人の意向を確認して再度契約する方針。〉

 常に調整を受ける状況にある期間工員となっていて、実労働に於けるそのときどきの雇用状況に大きく影響を与える存在となっている。

 また、外需に牽引される日本の景気が常態となっていることから見ても、決して「雇用を中心にした需要の拡大を大きな柱にしてやってきた」政策の恩恵を受けた雇用とは言えない。

 それをさも「雇用を中心にした需要の拡大を大きな柱にしてやってきた」ことが成果を挙げているかのように言うのは盗人猛々しいとしか言いようがない。

 菅仮免は震災対応でも遅滞と混乱を招いているにも関わらず、「政府を挙げてやるべきことはしっかりやってきていると、そのように考えておりまして」と盗人猛々しいウソ偽りを平気で口にしているが、そのことが教えてくれる、例の如くにやってもいないことをやっていると言っているに過ぎない奇麗事と、奇麗事を言うしかない無能を曝け出しているに過ぎない。

 「菅の顔を見たくないのなら、この法案を通してくれ」とか、ピースサインを見せて悪乗りしている場合ではない。サルでも反省する自身の無能の反省を示すべきときがきている。


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再生可能エネルギー促進法案問題は「菅の顔を見たくない」ことよりも指導力の問題だと気づかないお目出度さ

2011-06-20 11:26:00 | Weblog



 《「カンの顔を見たくないなら通せ」菅首相が挑発》MSN産経/2011.6.15 20:42)

 菅仮免が再生可能エネルギー促進法の早期制定を求める集会に飛び入りで参加して、「国会には『カンの顔だけは見たくない』という人が結構いる。そういう人たちには『本当に見たくないのなら、早くこの法案を通した方がいい』と言おうと思う」と発言、早期退陣を求める与野党議員らにこう訴え、挑発してみせたと言ったことを記事は書いている。

 集会には、民主、社民両党の国会議員を中心にソフトバンクの孫正義社長ら民間人も参加していたという。

 具体的にどういった場面でどう発言したのか検索してみたが、「本当に見たくないのか、本当に見たくないのか、本当に見たくないのか」と3回言ったとする記事はあるが、この発言箇所を主として取上げる記事が殆んどであった。

 Twitterでプレスクラブ - ビデオニュース・ドットコム インターネット放送局がこの動画を配信していることを知り、菅仮免の再生可能エネルギー促進法に関する発言箇所と「顔を見たくないのか」の発言箇所を主として取り上げてみることにした。

 途中途中で役にも立たない感想を挟んでみる。年齢のせいで最近集中力をなくしているため、面倒だから、菅仮免に付き物の例の如くの「あー」、「いー」、「うー」、「えー」、「おー」を省くことにした。

 菅仮免「30年前から風力も太陽(光発電)もやっていた。(日本は)30年遅れている。日本の政治は行政は、結局のところ私の責任を含めて、本格的なエネルギー源という形で(自然エネルギーに)政治としても経済としても取り組もうとしなかった。そこに意図があったということを私は反省を含めてはっきりと申し上げたい。

 今回の(福島原発)事故が起きた後、エネルギー庁(経産省)が出しているエネルギー基本計画、3年おきに出しているが、昨年の計画について白紙からの見直しを言った。これは今政府の方針となっている。

 先日G8に行ったとき、これまでのエネルギー基本計画では2030年に総電力の中で原子力53%、自然エネルギーを20%となっていた。それに対して私は当然白紙から見直そう、自然エネルギーについては2030年、20%ではなくて、10年前倒しして、2020年代初頭、チョッピリ幅があるんですが(嬉しそうに笑いながら)、初頭に20%にしたい、このことを国際的にも表明をしてきたところであります(強い拍手が起こる)。

 多少の議論はありますけれども、基本的にはそこまで政府の一つの方針として決めることはできた。そこで今日のまさに本題です。

 この再生可能エネルギー促進法案、全量買取り制の法案は、この法案が通らないと、補助金がついていたものも、この法案が通ることを前提に補助金がカットしているから、単に前進がゼロではなくて、後ろに下がってしまう。経済界も賛成してくれると思ったが、経団連、この全量買取り制度を導入すると、電力の価格が上昇する可能性があるから、導入には基本的に反対だというのが、経団連の現在の姿勢。

 そのときのコスト計画は確か原子力7円とか言われているが、本当に7円ですかねえ。ゼロが一つくらいつくんじゃないですか(拍手)。

 つまり原子力は安いんだ、何とか安いんだ。風力は高いんだ。何とか高いんだ、技術的にも揺らぎがあってダメなんだ。ダメな理由をつける気になったら、私に任せてください。いくらでもつけられますが、そうではなくて、どうやってそれを育てるかじゃないですか」

 「原子力7円とか言われているが、本当に7円ですかねえ。ゼロが一つくらいつくんじゃないですか」と、1KW当りの原子力の発電コストがさも実際はゼロが一つつくくらいの70円前後と思わせてかなり盛大な拍手を受けているが、計算方法によって違いはあるらしいとしても、一国の首相が実際の値段を知らないわけはないし、知りませんでしたでは通らない。

 要するに菅仮免は政府代表者として、原発立地自治体に対する億単位の交付金や補助金等がコスト高の原因となっているのかもしれないが、原子力発電の発電コストは実際は70円前後だと把握していることになる。

 政府代表者が把握もせずに、「ゼロが一つついて70円ぐらいではないか」と憶測だけで言ったとしたら、今度は無責任の謗りを受けることになる。

 実際は70円前後でありながら、表向きは7円としていたなら、政府は情報を隠していることになる。その情報隠蔽に菅仮免も一枚加わっていたことになる。単純に拍手することができる発言ではないはずだが、自然エネルギーへの追い風となる金額だけのことと把えて拍手したに違いない。

 菅仮免「最後に政治家みたいなことを最後にもう一つだけつけますが、私はこの自然エネルギーともう一つの省エネルギーがある意味では民主主義とマッチしている。今の民主主義、投票というのが一つの行動だが、単にエネルギー政策をAにするかBにするか投票するだけでは残念ながら、省エネとか自然エネルギーは広がらない。

 屋根にはソーラーパネルがあって、ヒートポンプがあって、部屋の造り方はなるべくクーラーが少なくてもいいような家を造っていた。つまりはみんなが参加をして、エネルギーを作ったり、あるいは省エネ、省エネというのは最近はネガイネと呼ぶんだそうですが、つまりはネガティブエネルギー、エネルギーを少なくするということですから、省エネと自然エネルギーは国民自ら参加をしてつくったり、マイナスのエネルギーを生み出すということは逆にプラスが増えるわけだが、そういうことができるエネルギーというものは社会のあり方そのものを決める。

 昔お爺さんが山に芝刈りに行き、お婆さんが川に洗濯に行ったような、2、300年前には世界中にあったような生活を選ぶのか、 (原子力事故という)怖いことがあるような生活を選ぶのか、冒頭申し上げように私たちはこの地球を貸して貰っている。未来の子どもたちが、孫たちの気持も含めて、最終的には国民が選択をする、国民が決めることだと思う」

 「昔お爺さんが山に芝刈りに行き、お婆さんが川に洗濯に行った」世界と現在の世界を比較するのは極端に過ぎる。昨年の参院選で消費税増税容認の空気を作り出すためにギリシャの財政危機を持ち出して、今すぐにも日本の財政にギリシャと同様の危機が生じるような煽り方をしたのと似た極端な比較となっている。

 要するにギリシャの財政危機を威しに用いて消費税を上げないことには日本は飛んでもないことになると、成功はしなかったが、危機感を煽ったのに対して現在の原子力事故が非現実の世界のこととは言えない「怖いことがあるような生活」になっていることを威しに用いて危機感を持たせ、自然エネルギー転換の必要性の訴えに正当性を持たせようとしたということなのだろう。

 威しの効果を持たせるためにはどうしても極端な対比が必要となる。何とはなしに菅仮免の意図に胡散臭さを感じる。

 菅仮免「そのときに専門家や政治家が、もう化石しかないんだ、もう原子力しかないんだという選択ではなくて、化石も段々CO2が増えるよ、原子力もちょっとヤバイかもしれないよ。しかし使わないではいられないじゃないか。だが、ここにも選択肢があるんだ、省エネと自然エネルギーというものがあるんだと、そういう選択肢を育てていって、それから5年先か10年先、こっちでも十分やれる、これでもやれるという段階のときに、じゃあ、どっちを選びますかということを選択肢をつけることが専門家や政治家の仕事ではないか。

 その選択肢を、つまり自然エネルギーを育てる。選択肢を育てる。その第一歩がまさに再生エネルギー促進法(激しい拍手)、何と言ってもこの法律は3月11日に閣議決定をして、既に国会に提出をされ、何ヶ月か経っています」

 菅仮免は5年か10年先に自然エネルギーでも十分にやっていけるという段階になったときに、「どっちを選びますかということを選択肢をつけることが専門家や政治家の仕事」だと言っているが、逆で、将来的にやっていけるかどうかの予測を立てるのが専門家の仕事であって、専門家がやっていけると見通しを立てた場合、その見通しにやっていけるような内容を持たせた政策を立てて、その内容通りの実現に道筋をつけ、完成させるのが政治家の仕事であろう。5年先10年先の実現に向けて道筋をつける方法の一つが再生エネルギー促進法であって、決して5年か10年先に自然エネルギーでも十分にやっていけるという段階に向けて「どっちを選びますか」という「選択肢」を育てる第一歩が再生エネルギー促進法ではないはずだ。

 胡散臭いばかりに言っていることに矛盾がある。

 菅仮免は再生エネルギー促進法を「3月11日に閣議決定をして、既に国会に提出をされ、何ヶ月か経っています」と言った。3カ月以上経過している。

 菅仮免「私も毎日のように経産大臣や党の国対関係者に何とかしてくれと要請しているが、まあ、(手をぐるぐるとまわして)色んな力学があるのか、なかなか、またスイスイとは行っておりません。どうか今お集まりのみなさん。そして多くの党から自発的に参加されたみなさんと一緒になって、まあ、ほかの法律が重要でないなんて言うと、すぐに私のクビが飛びますから、ほかの法律との比較は言いませんが、少なくとも未来を選択するための、この自然エネルギーを育てるという、まさに今回の事故を逆に(教訓として)、これ(原発)を止めるとか止めないとか言う前に先ず選択肢を育てるその一歩になるですね、この法案だけはですね、私も何としても通したい(かなり多くの拍手)。

 これを通さないと、これ以上言うとヤバイですから(ニコニコ笑いながら)、これを通さない限りは、やっぱりですね、政治家としての責任は果たしたことにはなりませんので、頑張りぬきますので、みなさんと一緒になって、お願いをして、私の挨拶とさせていただきます。今日はどうもありがとうございました」

 集会出席者から歓迎の声が上がり、盛大な拍手。菅、長テーブルの席に着く。

 孫正義「この土俵際のねばりで、ねばり倒して、この法律だけは絶対通して欲しい。頑張ってください」

 菅、席から立ち上がって、孫と頭を下げ合いながら熱い熱い握手。その間中拍手が鳴り止まない。菅仮免、席に戻りながら、ピースサインなのかVサインサインなのかニコニコしながら見せる。

 3月11日に閣議決定をして、既に国会に提出してあり、「毎日のように経産大臣や党の国対関係者に何とかしてくれと要請している」。だが、3カ月以上経過していながら、採決にまで至らない。

 問題はどこにあるかと言うと、経産大臣や党の国体関係者に丸投げして、「毎日のように」「何とかしてくれと要請している」だけのことで、自身の努力不足も問題だが、経産大臣や党の国対関係者の努力も実らない、菅自らの要請も実らない指示が機能しない点に問題があるということであろう。

 簡単に言うと、経産大臣や党の国対関係者の力不足であり、菅仮免の指導力不足が問題だということになる。

 と言うことは、菅仮免の指示が鶴の一声とならない迫力不足にそもそもの原因があることになる。

 最終的には菅仮免の指導力不足が問題であるなら、「これを通さない限りは、やっぱりですね、政治家としての責任は果たしたことにはなりません」ではなく、政治家としてのと言うよりも、内閣のトップである首相としての責任は既に果たしていないことになる。3カ月経っても採決の場に持ち込むことはできない指導力不足を演じているということである。

 自身の指導力不足、自身の責任不履行に問題があることに気づかずにニコニコしてピースサインだかVサインだかを掲げていられる。何とお目出度く出来上がっているのだろうか。
 
 孫正義が話した後、最後に再び菅仮免がマイクを握る。

 菅仮免「今の遜さんの話を聞きながら、私も戦略を考えていた。どうやったらこの法案を通せるかということを、聞きながら考えた。応援してくれるみなさん、勿論ありがうございます。そして一緒になって賛成してくれる国会議員の仲間、勿論ありがたいです。

 それだけでは足らないときはどうするか。今考えたんですね。どうも菅だけの顔は見たくないという人がいるんですよね、国会の中には。そういう人たちにですね、言おうかと思うんですよ。
(マイクを両手で握り締めて、嬉しそうな笑みを満面に見せながら声を一段と強め、同じ言葉を繰返すごとに頭を下向きに突き出して調子をつけながら)ホントに見たくないのか、ホントに見たくないのか、ホントに見たくないのか、と。

 それなら
(口から笑いを吐き出して)、早いことこの法案を通した方がいいよと(大きく笑う)、この作戦でいきたいと思いますので、(右手を二度突き上げて)どうかよろしくお願いします」

 満面をニコニコさせてマイクを置く。激しい拍手。

 情けない話ではないか。3月11日に閣議決定をして国会に提出。3カ月以上も採決の場に持ち込む有効な戦略を打ち出せなかった男が、「菅の顔を見たくないなら、早いとここの法案を通したらいい」が唯一考えついた戦略だとは。

 勿論、これはジョークだと済ますことはできる。だが、閣議決定から3カ月も経過しながら採決の場に持ち込むことができない指導力不足・力不足、あるいは戦略不足はジョークでは済ますことはできない。

 にも関わらず、得意げにVサインだかピースサインを示すことができる。

 もしねじれ国会が採決の場に至らない原因だとしたら、「菅の顔を見たくないなら」は言っても始まらない戦略、あるいは言っても始まらない無益なジョークということになる。
 
 必要なことはねじれ国会にまともに向き合うことになるからだ。

 亡くなった松田優作の妻の松田美由紀がマイクを握って会場の参加者にも聞かせる形で次のように菅に話しかけた。

 松田美由紀「本当に今日はありがとうございました。今日は涙、涙。本当に、こんな、菅総理がロックスターのような方だったとは、初めて、本当に驚きました。

 本当にこの姿を国民のみなさんに、本当にお伝えしたいと、本当に嬉しかったです」

 菅仮免の指導力不足・責任遂行能力不足から3カ月も法案が店晒し遭っていることに気づかずに「ロックスター」と言える感激は単細胞という点で素晴らしい。

 菅仮免は、「菅の顔を見たくないなら、早いとここの法案を通したらいい」を戦略としたい、この作戦で行くといっているが、菅仮免も単細胞だから、「菅の顔を見たくないから、通さない」という逆の選択肢もあることに気づいていない。

 顔も見たくもない厭な奴だから、その人間の手柄にしたくないという感情の働きに支配されて、世の中のためになることでも反対するということが世の中には往々にして起こる。

 菅自身、自らも行っている選択肢でもあるはずである。小沢氏の顔を見たくもないから、その指導力が党のため、内閣のため、引いては日本のために役立つとする予測可能性を無視して、そのグループまで含めて党や内閣の要職から最大限斥けたはずだ。

 問題がどこにあるのか気づかずに菅の演説に盛大な拍手を送り、菅仮免を「ロックスターのような方」だと言うお目出度さにお目にかかって日本の政治の将来に素晴らしさを感じた菅発言と会場の一コマであった。


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