結論を先に言うと、安倍晋三のアベノミクスが格差と貧困の連鎖社会をつくり出しながら、このことと関連づけずに子どもの貧困対策の充実を言っているからだ。
安倍晋三が8月28日、首相官邸で行った「子どもの貧困対策に関する検討会構成員との懇談会」の議論後、次のように発言しているのをマスコミ記事で知った。
安倍晋三「今日は大変貴重な御意見をそれぞれの立場から伺えたと思います。ただいま、森大臣からも御紹介ございましたように、森大臣自身も大変経済的な困難の中でアルバイトを重ねながら、ただ急に立派な先生と巡り合えたことが、高校、大学への進学へと結びついていったんだろうと思いますし、下村大臣は、あしなが育英会が発足するのが遅れていればですね、文部科学大臣として恐らく座っていないんだろう、このように思います。
しかし、そういった幸運等々、人との巡り合いがなくても、どんな経済状況の中においても、みんなに同じようなチャンスがある社会を作っていくことが私たちの使命だと思いますし、貧困な状況の中において、チャンスが摘まれていく、希望が持てないという状況は、無くしていかなければいけない、こう思っております。まさに貧困の連鎖は断ち切っていかなければならないと思うわけでございまして、そのためにも、その貧困が世代を超えて行かないようにしていくためにも、総合的な取組が必要であると思います。
明日、決定予定の大綱案では、皆様からの御意見も踏まえながら、今後5年程度を見据えた当面の重点施策を取りまとめたいと思います。
全ての子どもたちが、夢と希望を持って成長していくことができる社会の実現を大綱によって目指していきたいと思います。総合的な施策をそのために推進してまいりますが、特に、学校や地域の連携による学習支援、そして教育費負担の軽減、学校と福祉の連携などの施策を推進しつつ、中長期的な視野も持って継続的に取り組んでいく考えであります。
先程、森大臣からお話をしていただいたように、質の問題と、しっかりと個々の状況に対応できる仕組みができているかどうかということも、大変重要ではないかと考えております。皆様方におかれましては、今後とも引き続き、子どもの貧困対策の推進に御協力を賜りますようよろしくお願いいたします」(首相官邸HP)
親から子への貧困の連鎖を断ち切っていくと言っている。断ち切ることで、「どんな経済状況の中においても、みんなに同じようなチャンスがある社会を作っていく」。それが「私たちの使命」であると。
その方法として、「学校や地域の連携による学習支援」、「教育費負担の軽減」、「学校と福祉の連携」等々の施策を推進していくと。
そして8月29日、子どもの貧困対策の大綱を閣議決定した。「日経電子版」が次のように分野別の政策を掲げている。
「教育支援」
「福祉面の相談に応じるスクールソーシャルワーカー増員」
「高校生への奨学給付金の増額」
「児童養護施設などで暮らす子供の学習支援」
「生活支援」
「児童養護施設などを退所した児童の就職支援」
「ひとり親家庭の住宅環境を安定」
「保護者への就労支援」
「ひとり親家庭の保護者の就職支援」
「保護者への再学習支援」
「経済的支援」
「ひとり親家庭の支援策を調査・研究」
「保護者への就労支援」を謳っているものの、決定的に職業上の地位や収入を変えることは不可能だから、これらはすべて“親の貧困”という根を断たずに、そこから育った“子の貧困”に部分的に手を加えていく類いの政策である。いわば親の貧困状態をほぼ変えずにそのままにして、子どもの貧困に多少の色付けを行うといったところだろう。
「教育支援」の施策分野で貧困家庭の「高校生への奨学給付金の増額」を掲げているが、財源の手当がつかないために無利子というだけのことで、不返済の「給付型奨学金」の創設を謳っているわけではないという。
8月29日の閣議決定《「子供の貧困対策に関する大綱 ~全ての子供たちが夢と希望を持って 成長していける社会の実現を目指して~」》から、一例として「児童養護施設などで暮らす子供の学習支援」がどう謳われているか見てみる。
〈生活困窮世帯等への学習支援
生活保護世帯の子供を含む生活困窮世帯の子供を対象に、生活困窮者自立支援法に基づき、平成27年度から、地域での事例も参考に、学習支援事業を実施する。
また、児童養護施設等で暮らす子供に対する学習支援を推進するとともに、ひとり親家庭の子供が気軽に相談できる児童訪問援助員(ホームフレンド)の派遣や学習支援ボランティア事業を通じ、子供の心に寄り添うピア・サポートを行いつつ学習意欲の喚起や教科指導等を行う。〉――
親の貧困をそのままにして“子の貧困”に部分的に手を加えていく方法であることに変わりはない。但し貧困家庭をその場その場で一息つかせることに関しては役に立つかもしれない。
「保護者への再学習支援」という政策があるが、“親の貧困”の根を断つのに役に立つのだろか。
〈(親の学び直しの支援)
自立支援教育訓練給付金事業の活用等により、親の学び直しの視点も含めた就業支援を推進する。また、生活保護を受給しているひとり親家庭の親が、高等学校等に就学する場合には、一定の要件の下、就学にかかる費用(高等学校等就学費)を支給する。〉――
ただでさえ学歴を人間の価値と結びつけて高卒の人間を大卒の人間の下に見る、個人を見ずに格式を重要視する権威主義社会の日本に於いて中学と高校の学歴が連続していない、しかも一般的な高卒の年齢である18歳を超えた高卒者を差別なく迎え入れる土壌が企業には存在するのだろうか。
存在するとしたら、限りなくブラックに近い怪しげな、満足に収入を保証しない企業ぐらいのもので、“親の貧困”の状況は変わりなく続くことになる。
裕福な家の職業上、社会的に評価の高い地位に就いている親とそうでない貧しい親のそれぞれの子どもに対する評価は親に対するそれぞれの評価に従う傾向が権威主義の思考様式であって、裕福な家の子どもと貧しい家の子どもとでは備えている価値が既に違っている。
貧しい家の子どもに後から手を加えても、画期的な解決策に結びつく期待は得難い世の中となっている。
また親の経験が精神に根付いて手に入れることになる本質的な知( 物事を認識したり判断したりする能力―「デジタル大辞泉」)の影を子どもは親と同じ経験をしなくても、親と会話を交わす過程で幼い頃から知らず知らずのうちに引き継ぐ。そして子どもが成長と共に様々に経験を重ねていく過程で親から受け継いだ知の陰は経験と共に自身が根付かせていく知に対して栄養分を与える役目を果たして、知を確かなものとしていく。
そして経験の範囲や種類、あるいは経験の奥行きや間口は収入の影響を受ける。裕福な家に育った子どもと貧しい家の子どもとでは経験の質に違いがあるということである。
夏休みなどに海外旅行に行ったり、正月はハワイで過ごすといったことが珍しくない裕福な子と、貧乏で付き合いが狭いために正月にお年玉を貰う親類が殆どいなくて、これといった特別な過ごし方をしない子どもとでは、親の経験から受け継ぐ知の影の質も違えば、子ども自身の経験の質も違ってきて、それらの経験が精神に根付かせていく知の質そのものも違ってくる。
親が裕福な家に育ってピアノや英会話の習い事や学習塾に通って高学歴と高地位と高収入を得た家の子どもが習い事は自由に選ぶことができるし、有名学習塾に通うことも自由である場合と、親と同様に習い事の経験もない、学習塾にも通ったこともない子どもの場合とでは、やはり経験の質も違えば、経験によって精神に根付かせる知の質も自ずと違ってくる。
つまり、親の社会的評価とそれにイコールさせた人間的価値に対応させたその子どもに対する社会的評価や人間的価値に対する社会の受け止めだけではなく、親の収入に応じた子どもの経験の差と経験が与える知の質の差にしても、貧困家庭の子どもの場合は後からの手当で根本的な解決策にはならないということであって、親の貧困をそのままの状態に置く選択肢は条件的に有力な政策とはなり得ないことになる。
結果、貧困の連鎖が続くことになる。
安倍晋三はアベノミクスによって景気が回復してGDPが回復した、雇用が増えたと言っていたが、正規社員が減少し、非正規社員が増加していることが原因している格差社会の拡大であり、貧困の連鎖である。このことを関連づけずに、「皆に同じようなチャンスのある社会をつくっていくのが私たちの使命だ」だと言い、「学習支援や、教育費の負担軽減」を言う。原因を治療せずに、部分的に症状を手当する弥縫策に過ぎない。
総務省統計局が発表した2014年7月分の「労働力調査」(基本集計)によると、〈正規の職員・従業員数は3307万人。前年同月に比べ6万人の減少。非正規の職員・従業員数は1939万人。前年同月に比べ60万人の増加〉と、年々正規社員が減少して、非正規社員が増加傾向を辿っていて、この傾向が常態化している。
この常態化した傾向は企業側から言うと、人件費カット傾向の常態化を意味する。
この傾向は同じく総務省統計局発表した2014年7月分速報による勤労者世帯の実収入に如実に現れている。1世帯当たり555276円で、前年同月比実質6.2%の減少。この減少は10カ月連続の減少となっている。
非正規労働者が年々増え、逆に給与が年々減り、貧困の連鎖が取り残される。
企業が国際競争力の確保・維持を口実に非正規社員を増やし、人件費カットの動きを強めることは親の貧困状態を手づかずの状態に置くことを意味する。親の貧困を受け継いだ子どもの貧困を政府が根本的な解決とは程遠い対処療法でその場凌ぎの手当をして、貧困家庭をしてその場その場で一息つかせることが却って、企業が安心して非正規を増やし、安心してコストカットに邁進できる余地を与えることになる。
安倍晋三のアベノミクスに基づいた子ども貧困対策はこの程度の政策に過ぎないだろう。
8月29日、東京都千代田区の東京国際フォーラムで開催の「消防団を中核とした地域防災力充実強化大会」(主催・日本消防協会)で、安倍晋三が挨拶した。
《首相 消防団の加入促進と処遇改善図る考え》(NHK NEWS WEB/2014年8月29日 17時11分)
安倍晋三「広島市では今このときも、多数の消防団の方々が昼夜を分かたず救命救助活動にご尽力いただいており、心から敬意と感謝を表したい。消防職員が救命救助活動中に殉職されたことは痛恨の極みであり、謹んでお悔やみ申し上げる。
東日本大震災などの大災害を経験し、首都直下地震や南海トラフ巨大地震などの発生が予測されるなか、政府としても地域防災体制の強化は喫緊の課題だと認識している。消防団への加入の促進や、団員の処遇改善、それに装備の充実が図られるよう、全力で取り組んでいく」――
確かに消防団は地域に密着して、地震を除いて豪雨や台風の接近が予想される際、災害に備えて前以て見回り・監視を行い、地震災害を含めて洪水や土石流等の災害が発生した場合、直ちに現場に駆けつけて人命救助等の活動を第一番に行う体制を担っている。
だが、日本全国全ての地域で毎年大災害が発生するわけではない。地震にしても首都直下型にしろ、南海トラフにしろ、東海地震にしろ30年単位で発生確率が70%とか、80何%かであって、その備えのために日本全国すべての地域の消防団の人数を増やしておくというのは金銭的にも人材の面でもムダをストックするようなものである。
公的な災害活動従事者が消防団以外に存在しないのなら理解できる。災害出動に於ける活動能力の点では消防団よりも自衛隊の方が遥かに優れているはずである。自衛隊が災害現場に出動後は、全体的には活動の主力は消防団ではなく、自衛隊が担うことになるはずである。
だが、問題は消防団程には地域に密着していないことであろう。
今回の広島市の土砂災害にしても、広島県知事が自衛隊に対して災害派遣要請した8月20日午前6時30分に対して要請を受けて陸上自衛隊第46普通科連隊(海田市)が駐屯地を出発したのが1時間10分後の8月20日午前7時40分である。
しかも人員は30名。
そして30名8月20日午前7時40分派遣から2時間35分後の8月20日午前10時15分に新たに約60名の人員を派遣して、それ以後、人数にバラつきはあるが、順次小刻みに時間を置いて増やしている。
8月20日のみの派遣を見てみる。
《広島県広島市における人命救助に係る災害派遣について(8月20日22時00分現在)》(防衛省/平成26年8月20日)
10時15分 第46普通科連隊(人員約60名、車両約15両)が駐屯地出発。現地到着後、行方不明者捜索活動を実施。
10時30分 第46普通科連隊(人員約70名、車両約10両)が駐屯地出発。現地到着後、行方不明者捜索活動を実施。
12時10分 第13施設隊(人員約10名)が駐屯地出発。現地到着後、行方不明者捜索活動を実施。
12時17分 呉造修補給所の部隊(人員約10名)が基地出発。現地到着後、行方不明者捜索活動を実施。
14時00分 第47普通科連隊(人員約110名、車両約30両)が駐屯地出発。現地到着後、行方不明者捜索活動を実施。
14時10分 第46普通科連隊(人員約60名、車両約10両)が駐屯地出発。現地到着後、行方不明者捜索活動を実施。
14時30分 第13施設隊(人員約20名)が駐屯地出発。現地到着後、行方不明者捜索活動を実施。
16時00分 第13後方支援隊(人員約20名、車両約10両)が駐屯地出発。現地到着後、給水支援活動を準備。
16時15分 第13施設隊(人員約20名、車両約5両)が駐屯地出発。現地到着後、行方不明者捜索活動を実施。
18時30分以降 第305施設隊(人員約20名 車両約10両)が駐屯地出発。23時13分までに順次、海田市駐屯地に到着。
19時30分以降 第304施設隊(人員約20名 車両約10両)が駐屯地出発。21日02時26分までに順次、海田市駐屯地に到着。
広島県知事の8月20日午前6時30分派遣要請から出発まで1時間10分も要したのは大臣または大臣が指名する者の承認を経由して派遣命令が下されるシステムとなっていることと、出動部隊の派遣準備に時間を必要としたからだろう。
小刻みに時間を置いて人員を増やしていったことは災害規模が明らかになっていったことに対応した措置でもあろうが、準備に時間を要したことも含まれているはずだ。
地震の場合は突然のことでそれなりの準備の時間を必要とするが、豪雨や豪雪、台風の場合は気象庁が前以て出す予報に従って、予報地域、または予報コースに所属する自衛隊は訓練として前以て災害出動部隊に召集をかけ、招集をかける時点で県知事の要請があった場合の出動の承認を大臣または大臣が指名する者に得ておけば、県知事の要請次第直ちに出動ができ、より地域密着型の体制とすることができる。
要請がなかったとしても、訓練とすることはできる。
要請があった場合の最初の出動は例えムダになったとしても、多めの人員を派遣すべきだろう。そして必要に応じて順次派遣人員を増やしていく。
どこかの地域で大規模な地震が発生した場合は、発生した時点で日本全国すべての陸上自衛隊の基地・駐屯地は防衛大臣の出動準備命令がなくても出動準備態勢を整えて、いつ何時の出動命令にも即応できるシステムとしておけば、より地域密着型の活動が可能となる
大型重機の運搬が基地・駐屯地から災害現場まで遠い場合は、災害現場の地域、あるいはその近辺にある建設機械レンタル大手と連携して、夜中でも手配できるシステムにしておいて借り出し、レンタル会社に災害現場近くにまで運搬して貰っておけば、準備や運搬の手間を省くことができて、より少ない時間で移動ができる。
借り出すことができない場合のみ、自ら運搬することにする。
このような体制にしておけば、活動する機会が出てくるかどうかも分からない消防団員を抱えておいて、予算をムダにするケースが生じることを可能な限り抑えることができる。
消防協会の大会だからと言って、消防団員を増やすことと待遇改善を約束するのは、票にする意図もあるからだろうが、利益誘導とならない保証はない。
外国人が日本に不法に入国、見つかって不法滞在者として入国管理局に収容、一時的に釈放される「仮放免」の制度があることを知った。だが、「仮放免」の間、日本人の刑務所からの仮釈放のように全く自由の身になれるわけではないらしい。
《「仮放免」外国人の在留資格求め陳情》(NHK NEWS WEB/2014年8月18日 18時17分)
「仮放免」として一時的に釈放されたとしても、不法滞在の身分に変わりはなく、在留資格がないため働くことが認められず、健康保険にも入れないなど不安定な生活が強いられているという。
要するに日本に不法入国して以降、不法滞在者であっても、その身分を隠して働き、生活することができた。一旦入管に不法滞在者として収容され、その後「仮放免」されたとしても、やはり不法滞在者の身分を隠して働くことはできるはずだ。
最も大きな違いは在留資格がないままに再度働いて摘発された場合の罪の重さである。即強制退去の方向で何らかの調査・審理を経て、強制退去が実行に移されるのだろうか。
記事は日本で暮らす外国人を支援するNPOが8月18日、東京・板橋区の区議会に在留資格を認めるよう国に働きかけることを要請する陳情書を提出したと伝えている。
「仮放免」の制度は入管施設での収容が長期化することを避けるため、法務省が4年前に仮放免を柔軟に認めるようになり、去年末で10年前の7倍以上の3235人と年々増えていて、仮放免の期間が7年を越える不法滞在者も存在するという。
生活は友人に頼ったり、NPOの支援に頼ったりしているらしい。
不法滞在、即強制退去としないのは在留資格を希望して帰国を拒否している外国人や難民認定申請外国人は直ちに送還せず、入管施設収容が慣例となっているようだ。記事が、〈日本人と結婚して長年生活していたり、子どもが日本語しか話せなかったりするなど、母国に帰るのが難しい事情を抱えている人も多い〉とも書いているが、要するに簡単に国外追放したのではただでさえ外国人難民や不法滞在外国人に非寛容と見られているところへ国際社会から何と批判を受けるか分からないから、早々事務的に扱うことはできないということなのか。
国内からの批判も覚悟しなければならない。
そこで「仮放免」処分に付し、在留資格がない不法滞在の身分のまま再度不法労働の挙に出て見つけたなら、その罪で即強制退去を命じたとしても、国際社会からも国内からの批判を最小限に抑えて厄介払いができるという魂胆なのだろうか。
但し外国人不法滞在者は大体が貧しい国から豊かな日本への流入を相場としている。日本でそれなりの家族構成のもとでのそれなりの生活基盤ができていたなら、自分の国に戻って、以前の貧しい境遇に飛び込むのは相当に勇気がいることで、強制退去の危険を覚悟の再度の不法就労にはなかなか踏ん切りがつかないということもあるに違いない。
加藤丈太郎NPO「APFS」代表理事「仮放免の人たちのなかには人生の半分以上を日本で生活している人もいて帰るに帰れない事情を抱えている。日本で共に生きていく存在として在留資格を認めるよう呼びかけていきたい」
NPOでは仮放免の外国人がいる自治体を中心に関東地方のおよそ40の地方議会に陳情を行うことにしているという。
要するに日本は一度の不法入国・不法就労だけでは日本で生活基盤が既に出来上がっている不法滞在外国人や難民申請外国人を国内外の批判の手前もあってだろう、直ちに国外退去を科すことはしない。かと言って、在留資格を与えると外国人ばかり増えて、可能な限り単一民族を守りたい日本民族優越主義の手前、そういったことは進んでしたくないということなのか。
結果、日本政府は「仮放免」という名で不法滞在外国人を正式には仕事に就くことを許さない不自由な宙ぶらりんの状態に置くことになり、不法滞在外国人からしたら、仕事に就くこともできない不自由な宙ぶらりんの状態に置かれることになる。まるでそれが不法入国・不法滞在の罰則でもあるかのように。
この宙ぶらりんには仮放免の条件として保証金の支払いや定期的な入国管理局への出頭、住む場所や行動範囲の制限などの不自由が加えられるという。
人間は仕事をして賃金を得て、生活の資金とし、様々な社会活動にもその資金を回して命をつないでいく。この循環が一番の大本で断たれるというのは命をつないでいく上でこの上なく残酷な仕打ちに当たるはずだ。仕事をする能力はありながら、仕事をすることは許されず、カネを稼ぐことができない残酷さが宙ぶらりんには含まれている。
在留資格がないことから就労は禁止され、健康保険に入ることもできないが、子どもがいる場合、その子どもは希望すれば小中学校に通うことや、自治体の裁量で予防接種などの行政サービスを受けることができるという。
それまで禁止したなら、不法滞在外国人や難民申請外国人に対する日本政府の血も涙のない冷血ぶりをすっかりと曝すことになって都合が悪いのだろう。
法務省によると、今年1月現在の不法滞在外国人は平成5年のピーク時の2割程に当たるおよそ5万9000人に大幅に減少しているとしているが、景気が回復して人手不足の状況が強まれば、再び不法入国が増加傾向を辿るのではないのだろうか。
景気回復による人手不足の加速は日本人をより良い賃金のより良い職業に向かわせる。取り残された3K現場は不法入国・不法滞在外国人で埋めるしかない。3K零細企業は大手企業の下請のその下請のその下請のその下請の・・・・・その下請を構成していて、単価を段階的に叩かれているから、満足な賃金を出すことができず、大方は日本人は見向きもしないために仕事を選ばず、安く使うことのできる不法入国・不法滞在の外国人は格好の雇用対象となる。
入国管理局「仮放免で一時的に釈放された場合であっても、強制退去が決まっていることに変わりはないので働くことはできない。基本的には、母国に帰るべきと判断された人たちなので、帰国してもらうのが前提だ」――
安く便利に使いまわしたことは日本政府には関知しないことだということなのだろう。だが、一番下の段階で日本経済を下支えしてきた事実は残る。
駒井洋筑波大学名誉教授「不法滞在の外国人は、日本人が働きたくないいわゆる3K労働や低賃金の労働の現場を下支えしてきた。また長く暮らしていると日本で家族が形成され、生まれた子どもたちは大きくなってもさまざまな権利が認められず、非常に辛い立場に置かれている。
仮放免になっても就労や健康保険に入ることが認められないと、どのように生活していいか分からない。不法滞在は違法なので、厳正に法を執行するのは当たり前のことだが、日本で長期間暮らし生活基盤が確立しているなど、事情がある人については救済すべきだ」
尤もな議論だと思うが、尤もな議論が日本では世間的に通じない。
記事は7年間「仮放免」の状態に置かれた埼玉県に住む不法滞在のフィリピン家族の例を紹介している。
父親と母親は20年前に出稼ぎのためそれぞれ来日したあと、建設や配送などの現場で働き、結婚して2人の子どもが生まれた。長男は現在高校3年生にまで成長し、次男は小学校2年生にまで成長。7年前に不法滞在で強制退去が決まり、その後、仮放免となった。
いわば13年間日本で生活して、日本の地でそれなりの生活基盤を築き、家族の立場で、あるいは家族一人一人の立場でそれなりに日本の社会に交わり、馴染んだ。子どもたちは日本語しか話せず、一家はフィリピンには生活基盤がないという。
父親「子どものためにも家族全員で日本にとどまることを認めてほしい」
長男は高校卒業後、介護福祉士を目指して専門学校への進学を希望しているが、在留資格がないために日本で就労することはできない。介護関係が極度の人不足にありながらである。
長男「日本の文化で育ってきたので、フィリピンに行っても何もできないと思います。このような状況になっているのは、自分たち家族の責任であることは分かっていますが、日本が好きなので家族と一緒に自由に暮らしていきたいです」――
例え不法入国による不法滞在であっても、犯罪も犯さず、長年真面目に働いて、日本社会にしっかりとした生活基盤を築き、人並みの社会人を形成しているなら、強制退去という形で日本社会から抹消するわけでもない、かと言って十分な社会生活を保証するのもでもない、ある種残酷な中途半端な宙ぶらりんの状態を強いるのではなく、人口減少社会であることも考えて、社会的に生かす方向の人間思想に立った政策を考えることができないものだろうか。
安倍晋三「能力あふれる外国人に日本で もっと活躍してもらう。誰にでも、何度でもチャンスがある、 ベンチャー精神あふれる国へと日本を変えていく」――
だが、チャンスを何度でも与えられる資格は既に高度な能力があると認められた外国人のみのようだ。建設や配送の仕事で真面目で必要とされる能力をそれなりに発揮する外国人には与えられないようだ。
不法入国し、犯罪も犯さず、そこに自身の生活を確立する。これもベンチャー精神だと思うが、社会の上層でのベンチャーの試みしか認めないようだ。
いわば社会の下層でのベンチャーは鼻に掛けない人間思想であるようだ。
生活の党PR
《8月26日(火) 災害対策について野党9党で協議》
生活の党からは畑浩治総合政策会議議長、小宮山泰子国会対策委員長が出席しています。
安倍晋三が今年4月に行われた高野山真言宗奥の院(和歌山県高野町)所在の「昭和殉難者法務死追悼碑法要」に哀悼メッセージを書面で送っていたという。
別に驚きはしない。安倍晋三らしい歴史認識行動だからだ。靖国参拝と共通した行動に過ぎない。
《安倍首相が哀悼書面 A級戦犯ら4月の法要》(TOKYO Web/2014年8月27日 夕刊)
追悼法要の対象者は靖国神社のように一般兵士は含まず、A級、BC級戦犯として処刑されたり、収容所内で病死や自殺をしたりした計約1180人だそうで、碑に彼らの名前が刻んであるという。
追悼法要の主催者は陸軍士官学校や防衛大のOBでつくる「近畿偕行会」と「追悼碑を守る会」。例年4月29日が開催日。遺族や陸軍士官学校出身者ら約220人が参列したという。
勿論、A級戦犯14人のうちに東条英機も含まれているという。
内閣総理大臣直轄の総力戦研究所が昭和16年(1941年)7月12日、日米開戦を想定した勝敗の帰趨を読み取る総力戦机上演習を行った結果、「日本必敗」の答を出した際の当時の首相就任3カ月前の東条英機陸軍大臣の発言を見てみる。
東条英機「諸君の研究の労を多とするが、これはあくまでも机上の演習でありまして、実際の戰争といふものは、君達が考へているやうな物では無いのであります。
日露戦争で、わが大日本帝國は勝てるとは思はなかつた。然し勝つたのであります。あの当時も列強による三國干渉で、止むに止まれず帝国は立ち上がつたのでありまして、勝てる戦争だからと思つてやつたのではなかつた。
戦といふものは、計画通りにいかない。意外裡な事が勝利に繋がつていく。したがつて、諸君の考へている事は机上の空論とまでは言はないとしても、あくまでも、その意外裡の要素といふものをば、考慮したものではないのであります。なほ、この机上演習の経緯を、諸君は軽はずみに口外してはならぬといふことであります」(Wikipedia)――
日露戦争は勝てる戦争だとは思はなかったが、勝った。だから、日米戦争も勝てる戦争だとは思えなくても、勝てると言っている。何という合理性なのだろうか。
要するに東条英機は日米の国力・軍事力の冷静・厳格な比較・分析と、緻密性と合理性を持たせた戦略(=長期的・全体的展望に立った目的行為の準備・計画・運用の理論と方法)に立った対米開戦ではな く、1904年~1905年(明治37年~38年)の日露戦争の勝利を約40年後の日米戦争を開始した場合の勝利の根拠とし、その理由を「戦というものは、計画通りにいかない。意外裡な事(=計算外の要素)が勝利に繋がっていく」と計画よりも僥倖(「思いがけない幸運」)に頼った非合理的な精神論を支えとした対米開戦を敢行、歴史は総力戦研究所が予測したとおりに動き、東条英機の「意外裡な事」が勝利に屁程も役に立たなかったことを証明した。
過去の人間として捨て去らなければならないそのような愚かしい戦争指導者を現代に蘇らせて顕彰する。その筆頭が安倍晋三であることは断るまでもない。そして4月に過去の戦争指導者たちに哀悼の名を借りた顕彰のメッセージを書面で送った。
安倍晋三哀悼メッセージ「今日の日本の平和と繁栄のため、自らの魂を賭して祖国の礎となられた昭和殉難者のみ霊に謹んで哀悼の誠を捧げる。
恒久平和を願い、人類共生の未来を切り開いていくことをお誓い申し上げる」――
天皇独裁体制下のA級戦犯を含む戦争指導者たちを戦後日本の「礎」とする。北朝鮮が民主化された場合、民主化北朝鮮が金日成・金正日・金正恩を祖国の礎とするようなものである。その滑稽な倒錯性に気づかない。
「礎」という語は土台の意味があり、支えるという意味を含む。天皇独裁体制下のA級戦犯を含む戦争指導者たちが戦後民主国家日本の土台となって支えていると、彼らに最大限の評価を与えている。
その最大限の評価が「昭和殉難者法務死追悼碑法要」に哀悼メッセージを書面で送る形となって表れた。
天皇独裁体制下の戦前日本国家を肯定する歴史認識に立っていなければ不可能な顕彰であり、「哀悼の誠」であろう。
民主主義や人権とは縁のない彼らを戦後民主国家日本を支える土台としているということは、一般常識的には倒錯そのものだが、戦前日本国家と戦後日本国家を前者を天皇独裁国家とし、後者を民主主義国家として断絶させるのではなく、前者と後者に連続性を持たせていることを意味する。
両者間に連続性を持たせているということは戦後日本を戦前日本に反映させることは不可能だから、戦前日本を戦後日本に反映させたい欲求を抱えた連続性でなければならない。
つまり安倍晋三とその一派にとっては倒錯でも何でもなく、ごく当たり前の感覚で、戦後日本という歴史的場面に呼吸しながら、戦前日本を国家の理想としているということであろう。
ここに安倍晋三が復古主義者、あるいは戦前回帰主義者と言われる理由がある。
安倍晋三が自民党政権復帰の最初の首相となって1年を記念して靖国神社を参拝したとき、戦犯崇拝の参拝ではないと発言している。
2013年12月26日参拝後の対記者団発言。
記者「中国、韓国を初めとしてですね、海外から安部総理が靖国神社を参拝することについて根強い批判の声が出ているが、これはどのように説明していかれるのでしょうか」
安倍晋三「あの、靖国神社の参拝ですね、いわゆる戦犯を崇拝する行為であると、ま、誤解に基づく批判がありますが、私は1年間のこの歩みをご英霊に対してご報告をする。そして二度と戦争の惨禍の中で人々の苦しむことが無い時代を創っていくという決意をお伝えするために参拝を致しました」(NHK総合テレビ/2013年12月26日夕方7時ニュースから)
そして同じ日に首相官邸HPに、『恒久平和への誓い』と題して載せた首相談話でも同じことを書いている。
安倍晋三「靖国参拝については、戦犯を崇拝するものだと批判する人がいますが、私が安倍政権の発足した今日この日に参拝したのは、御英霊に政権一年の歩みと、二度と再び戦争の惨禍に人々が苦しむことの無い時代を創るとの決意を、お伝えするためです」――
だが、「昭和殉難者法務死追悼碑法要」はA級、BC級戦犯を「昭和殉難者」として扱い、安倍晋三は「自らの魂を賭して祖国の礎となられた昭和殉難者のみ霊に謹んで哀悼の誠を捧げる」と、「昭和殉難者」と名づけて顕彰したA級、BC級戦犯そのものを哀悼の対象としている。
昭和殉難者法務死追悼供養碑を守る会のHPには次のような記述がある。
〈昭和殉難者法務死追悼碑供養碑のご案内
「昭和殉難者法務死の霊位に心からの鎮魂の誠を捧げる」
終戦後、戦争犯罪人として、はかなくも散っていった悲しき英霊達。今日の日本の平和と繁栄のため、自らの魂を賭してこの世を去った彼等・昭和殉難者を思うと、哀惜の念は止むことはありません。平成6年3月15日、その魂を悼み、聖地高野山奥の院に追悼碑・刻銘碑が建立されました。〉――
この戦犯たちに対する想いは安倍晋三がメッセージに込めた想いと同質である。
例え安倍晋三が戦犯崇拝をどう否定しようとも、戦犯を「祖国の礎となられた昭和殉難者」と顕彰していることに変わりはなく、顕彰することによって戦前日本国家を肯定する歴史認識を自らの血としていることになり、その戦前日本国家肯定の血が日本の戦前と戦後を断絶させているのではなく、戦前日本国家と戦後日本国家に連続性を持たせようとする願望の動機付けとなっていることは明らかである。
この事実は、「恒久平和を願い、人類共生の未来を切り開いていくことをお誓い申し上げる」と言おうと、「二度と戦争の惨禍の中で人々の苦しむことが無い時代を創っていくという決意」の靖国神社参拝だとしようとも、変えることはできない。
戦前日本国家と戦後日本国家に連続性を持たせようとしていることは安倍教育に於ける愛国心の涵養や道徳教育の教科化にも現れている。
安倍晋三のお友達の下村博文文科相は2014年4月25日衆院文部科学委員会で次のように発言している。
下村博文「(教育勅語は)至極真っ当。今でも十分通用する。そのまま復活する考えはない」(asahi.com)
明治の自由民権思想の芽を子どもが頭の中に芽吹かせないための縛りとして設けた日本独特の旧来型の道徳観を基に父母・夫婦・兄弟・朋友等々すべての国民が一体となって学問や徳を積み、最終的に天皇に対して忠実な国民であることを求めていた教育勅語を復活する考えはないと断ってはいるが、自身の教育思想と相通じる教育観だとして、その教育観を道徳の教科化で、教育勅語と同様に上から与えるという戦前の形式は変えずに、教える内容は巧妙に姿を変えて実現させようとしている。
結果として子どもたちは上から与えられて行動の基準を学ぶという姿勢を植えつけられて大人へと成長していくことになる。
また、主催者の中に防衛大のOBが仲間となっているということは恐ろしいことである。OBの戦前日本国家肯定の思想の影響を受けた現役自衛官が存在し、自衛隊幹部内に大きな勢力を築きでもした場合、自衛隊自体がその思想に基づいて行動する危険性の恐ろしさである。
あるかも知れないこのような動きを阻止するためにも、安倍晋三に戦前と戦後に連続性を持たせることで戦前の日本を取り戻させてはいけない。
取り戻させたなら、存在した場合の自衛隊内の勢力に力を与えることになる。
――自然災害が昼間を選んでくれるとしている危機管理は人命軽視なくして成り立たない――
松井広島市長の今回の土砂災害発生日の登庁時間は午前7時15分だったという。真夜中、石混じり、樹木混じりの泥状の土砂が家を壊し、中にまで入り込んで多くの住民を呑み込み、難を逃れた住民が姿の見えない家族を探し、捜索や救助を求めて119番通報したものの、不安と恐怖の混乱は長く続いただろうことは十分に予想できるが、そういった混乱を他処にした登庁は安倍晋三の土砂災害を他処に置いたゴルフに匹敵する悠々自適さである。
朝日新聞がこの我が道を行く体(てい)の登庁=危機管理態度を批判している。朝日の2つの記事から、どういった登庁=危機管理態度だったのか見てみる
先ずは市長登庁までの大まかな流れを前以て記しておく。
8月20日午前3時過ぎから119番通報が殺到。
8月20日午前3時広島市対策本部設置
8月20日午前4時15分最初の避難勧告。
8月20日午前7時15分松井市長登庁。
《広島市長「防災計画通り対応した」 避難勧告遅れに反論》(asahi.com/2014年8月22日11時52分)
8月22日記者会見。
〈消防局幹部が避難勧告の遅れを認めるなか、「ただちに勧告を出すように見直す必要があるかもしれない」としながらも、一連の対応について「防災計画のマニュアルに基づいてしっかり対応した」と述べた。〉という。
要するに現在の「防災計画マニュアル」に則って行動したが、今回の土砂災害に対応しきれない部分があったとしている。
松井市長「何でも私がするのがリーダーシップとは思っていない。それぞれの区で判断できるという計画になっている。判断をしている時に私の所に情報が入ったという状況ではない」
別の「asahi.com」記事が「災害対策基本法」について解説している。
〈避難勧告を出せるのは市町村長(東京23区長を含む)と定める。安佐南区で勧告を発令したのは、市水防計画で「市長に要請するいとまがない時」と定められている区長。安佐北区では、区長の庁舎到着を待たず、すでに庁舎にいた副区長が代理で出した。〉――
要するに「市長に要請するいとまがない」緊急性を要するという条件付きで、広島市の「防災計画マニュアル」では避難勧告発令はそれぞれの区の判断でも可能としている。その場合、一般常識的に考えると、避難勧告発令後の時間の余裕のあるときに発令の報告を区から市に時間雨量や区の消防当局が把握した通報、河川課が把握する各河川の水量も入っているかもしれない、それらの情報を含めて行っていたいたはずだ。
市はその報告を市長にしなければならない。なぜなら、「市長に要請するいとまがない」緊急性を要する程の切迫した状況にあったはずだからだ。報告しなかったなら、責任体制が未熟な状態にあることになって、そのことの市長の管理責任も問われることになる。
但し市は市長に、防災計画のマニュアルの義務付けによるのかどうか分からないが、一つの報告を行っている。
〈松井市長は災害があった20日未明、午前3時に対策本部の立ち上げなどについて報告を受けた後、午前7時に登庁するまで自宅にいたと説明している。〉と記事は書いている。
他社の記事では対策本部設置は午前3時30分頃となっている。
この対策本部とは広島市が設置したものである。
ここに疑問が生じる。土砂災害は重大事態である。「NHK NEWS WEB」記事が8月20日4時10分の発信で、広島市消防局からの情報として8月20日午前3時20分頃から40分過ぎにかけて広島市安佐南区の八木地区と山本地区、緑井地区の3地区の住民から近くの裏山が崩れているという通報が相次いで寄せられたと報じている。
この山の崩壊は、地震が発生したわけではなく、強い雨が降っている最中(さなか)のことだから、当然、大雨と関連づけなければならない。大雨が原因の山の崩壊なら、土石流を誰もが連想する。地震が山を崩壊させて、その土石が川を塞いで自然のダムを造り、それが決壊して発生させる類いの土石流ではない。
山の崩壊現場から下流に住宅群が存在したなら、土砂災害を想定しなければならない。
広島市安佐北区三入では午前4時半までの3時間に、平年の8月1カ月分の雨量143ミリを上回る観測史上最多となる204ミリ。
広島県が安佐北区可部町上原に設置した雨量計は午前3時50分までの1時間に130ミリの猛烈な雨を観測。
その他の地域を含めた大雨情報は気象庁から広島県へ、広島県から広島市へ、広島県独自に把握した大雨情報は直接広島市へと伝達される。あるいは自動的に送信されるシステムとなっている。
広島市は市長への午前3時の対策本部立ち上げの報告の際にその理由として大雨情報や市の消防当局が把握した土砂崩れ情報を併せて報告したはずだ。設置には設置の理由が必要となる。
区からの情報が自宅にいた市長に入らなかったとしても、市からの情報が市長に入っていたと見なければならない。当然、市長の立場上、次の危機管理対応として少なくとも住民に対する避難勧告、最悪の場合、避難指示を視野に入れなければならない。
市長に対策本部設置の報告をした市の職員に、「避難勧告を出さなければならないような状況になりそうなのか」と尋ねでもしたのだろうか。
尋ねたとしたら、大雨が集中的に降っているそれぞれの区の避難勧告を出さなければならない状況になるかどうかを心配することになったはずだ。
だが、区の判断・責任に任せて、区から情報が入ってこないままに放置した。
そしてそのまま自宅にいて、午前7時15分に登庁した。市からの対策本部設置報告時に把握したであろう予見し得る土砂災害の危険性を重大情報と看做さなかった。
もし見做していたなら、登庁時間は変わらなくても、自宅にいたまま市とも区とも様々な情報を交換し、ときには市長の方から指示を出すこともあったはずだ。
弁明。
松井市長「寝たり休んだりしながら情報を聞き、対策会議を開くと言うことで関係者を招集した。
(今回の対応について)私も職員も計画に基づいて対応したと思っている」
どこから情報を聞いていたのだろうか。テレビからか。区役所からではない。市役所から聞いていたとしたら、各地で土砂災害が発生し、行方不明者が続出していた状況の切迫性は広島市の最終責任者として共有しなければならない切迫性であって、7時15分の登庁からはその切迫性を感じ取ることはできない。
ベッドに寝転がってうとうとしながら、テレビのニュースでも上の空で聞いていたのだろう。
《広島市長「どしゃ降りで出られず」 災害時の登庁遅れに》(asahi.com/2014年8月26日16時27分)
8月26日の定例記者会見。登庁遅れの正当性の弁。
松井市長「すごい土砂降りでした。ある意味、自分の安全ですかね、確保しながら」
記事解説。〈災害が起きた20日は午前3時すぎから119番通報が殺到し、広島市は午前4時15分に最初の避難勧告を出した。だが、松井市長の登庁は午前7時15分だった。午前4時の時点では、被害が出た安佐北区では1時間に101ミリの雨量が観測されたが、市長公舎のある中区の雨量は1ミリだった。〉――
この発言一つで8月20日午前3時(他社の記事は午前3時30分頃)の広島市対策本部設置の報告を受けた以後も、設置するそれなりの理由との関係で、例えテレビからの情報であっても、細心の注意を払って状況の推移を見守らなければならなかったはずだが、土砂災害の危険性を予見もしていなかったことが明らかとなる。
松井市長(避難勧告を出す手順の見直しについて)「(雨量が基準に達するなど)客観的に分かれば早めに勧告するという整理をしていく。その場合は避難所開設が勧告より先になければならない。
昼と夜を考えると、避難所を開設する職員も一般の配置と違う。(現在の)マニュアルは昼間ベースでやっていた。夜間対応はもう少し工夫がいる」(下線部分は解説文を会話体に直す)――
市のトップとしての責任と能力を有しているとは到底思えない発言となっている。
「(現在の)マニュアルは昼間ベースでやっていた」――
如何なる災害も、常に昼間を選んでくれるわけではない。
2013年10月16日に伊豆大島の大島町を襲い、避難勧告も避難指示も出さないままに30名以上の死者を出した台風26号に伴う土石流は夜中の3時には起きている。その他にも探せば、自然災害は昼夜を選ばないことが分かるはずだ。当然、行政のトップはそのことを学習して、肌に染み込ませておかなければならない。
だが、「マニュアルは昼間ベースでやっていた」と、自分の発言の異常に気づきさえしない。
確かに「昼と夜を考えると、避難所を開設する職員も一般の配置と違う」だろう。だが、緊急の避難を要する場合、「避難所開設が勧告より先に」を条件としたなら、避難所開設の準備ができるまで住民を危険な場所にとどめておくことになる。周囲の状況が急変しない保証を市長は与えることができるのだろうか。
避難所は各地域ごとに指定済みであるはずで、何の準備がなくても、あるいはそこに何もなくても、避難所の鍵を開けさえすれば、住民をそこに移動させることで安全な場所の提供が可能となる。安全な場所への移動が事態の急変を回避する最良の手段であろう。そうすることが住民避難に関わる危機管理の常識的な要諦であるはずだ。
布団や必要なら冷暖房器具、食事等は、例え少しぐらい時間がかかっても、避難後に用意すればいい。何事も命あっての物種である。
松井広島市長の発言からは人命よりも役所の対応を優先させる危機管理しか見えてこない。いわば市長の中では本質のところで人命と役所の対応を離しているから、既に心肺停止者が確認されている段階にあっても、7時15分に登庁することができたのだろう。
他者の命への想いのなさという点で松井市長は安倍晋三と兄弟の関係にあるように見える。
安倍晋三が8月24日に予定していた広島市土砂災害現場視察を悪天候を理由に中止、何日か置くと見ていたら、翌日の8月25日午前中から視察を行った。日にちを置くと、逆に無関心と取られることを恐れて、気遣いしているところを見せるために天気が回復したところを狙って早々に視察に及んだのかもしれない。
だとしても、8月20日午前3時から午前4時までの1時間雨量が100ミリを超えて激しく雨が降る中、午前3時半前後から消防に各方面から裏山が崩れたという土砂崩れの通報と、生き埋めになったという行方不明者の通報が寄せられていて、被害の様相が深刻化に向かいかねない情勢を読むことをしなかったばかりか、住民の災害遭遇を他処にゴルフを始めた無神経は覆すことはできない事実として残る。
昨夜7時からのNHKニュースが安倍晋三の視察を伝えていた。記者たちにに向かって沈痛な面持ちでいるところを見せるためか、眉間にシワを寄せ、眉毛をやや八の字にして深刻そうな表情をつくって話し出した。
安倍晋三「改めて、えー、土砂、あー、えー、災害の、おー、深刻さ、を認識したところで、えー、ございます。安心して、えー、生活できる、えー、そういうー、生活に戻って、いただくために、政府としては、あー、できることは全て、やっていきたいと――」
スラスラと喋ったのでは、深刻に受け止めていないと勘繰られると計算して、わざと、「えー」とか、「あー」とかの間投詞を多用したのかもしれない。
「首相官邸HP」の視察報告を見ると、時間の都合上当然のことだが、テレビは安倍晋三のすべての発言を伝えたわけではなく、上記発言にしても、途中抜けていることが分かる。次のようになっている。下線個所がNHKニュースで取り上げた発言。
安倍晋三「今日被災地を訪問をいたしまして、改めて土砂災害の深刻さを認識したところでございますし、被災者の皆さんからお話を伺いまして、近年の気候の変化によって突然集中的に雨が降り、突然災害がやってくるという、こうした変化、改めて認識をした次第でありました。これから、どういう対応をしていくかということも政府そして与党で検討していきたい思います。
そして今日は被災者の皆さん、また自治体の皆さんからお話しを伺いました。そうした御要望をしっかりと受け止めていきたいと思います。安心して、生活できる、そういう生活に戻っていただくために、政府としてはできることは全て行っていこうと思います、本部に被災者支援チームを立ち上げ、生活再建支援を加速させていかなければならないと思っています。そしてまた、まだたくさんの土砂が道やそして家屋に残ったままでありますので、この撤去作業、復旧作業にも、さらに力を入れていきたいと思います」――
土砂災害現場の大量の倒木、大量の土砂、大量の巨大な岩石等々の乱雑極まりない集積、そして大量の土石流に押し倒されて半壊した家屋などを見て、「改めて土砂災害の深刻さを認識した」と言うことなのだろうか。
だとしたら、遺体が発見されて引き出されたあとであったとしても、日常風景が見る影もない、変わり果てて唖然とするしかない土砂災害の凄絶な光景の底に沈んでいた余りにも多くの死者にまで想いを寄せた「深刻さ」の認識ではないことになる。
もし余りにも多くの死者にまで想いを寄せた「改めて土砂災害の深刻さを認識した」と言うことなら、山崩れや行方不明者の通報が相次いでいたことと、そして広島県が広島市長からの自衛隊派遣要請を受けて8月20日午前6時30分に陸上自衛隊に災害派遣を要請したことから、平成11年(1999年)6月の広島市や呉市を中心とした31名死亡、1名行方不明の過去の土砂災害時にも自衛隊を派遣したことを情報に加えただろうし、今回の自衛隊派遣要請にしても人命救助(行方不明者捜索)を理由としていることは部隊出動に関わる防衛省が承知していることであって、消防や警察だけでは手が回りきれない程に広範囲に行方不明者が続出していて、捜索困難な状況下にあることを教える情報と読み解くだろうから(読み解かないとしたら、8月20日午前4時20分に情報連絡室を設置した意味を失う)、自衛隊の派遣要請が防衛省に届き、その知らせが安倍晋三のところに報告された時点で(報告されなければならない)、行方不明者が死亡者に名前を変えることを恐れて人命の安全に想いを寄せて「土砂災害の深刻さを認識」した上で実際に自分の足で土砂災害現場に立って自分の目で変わり果てた様相を確かめて、「改めて土砂災害の深刻さを認識した」、その思いを強くしたということでなければ、多くの死者にまで想いを寄せた認識とはならないはずだ。
そしてそのような認識に至っていないことはゴルフを始めたこと自体が証明する。自衛隊への災害派遣要請を何とも思っていなかった。自衛隊が派遣要請を受けて派遣することを決めて役目として担った人命救助(行方不明者捜索)を何とも思っていなかった。
「改めて土砂災害の深刻さを認識した」と言う場合の「改めて」の言葉の意味は、前々から認識していて、今回の土砂災害で認識を新たにした、あるいは強くしたという意味である。
前々から認識していたなら、ゴルフなどできなかっただろう。前々から認識していなかったからこそ、土砂災害よりもゴルフを優先させることができた。
「改めて土砂災害の深刻さを認識した」はウソ以外の何ものでもない。
人命を考えない今回のゴルフで安倍晋三は支持率を下げるのではないかと思っていたが、広島の土砂災害3日後に毎日新聞が実施した8月23、24両日全国世論調査では6月調査プラス2ポイントの47%。不支持はマイナス1ポイントの34%。
土砂災害が自分たちの生活の利害に直接は関係しないこととしてゴルフをしたことはさして影響を与えなかったのだろうか。いくら政策的に優秀であったとしても(優秀とは決して思えないが)、国民の命を考えない政治家というのは恐ろしい。
安倍晋三が8月24日日曜日に予定していた広島市土砂災害現場の視察を中止した。理由は悪天候によって現場で混乱が生じる可能性があるからだという。
予定は自衛隊のヘリコプターに搭乗して、被害の大きかった広島市安佐南区と安佐北区の状況を上空から確認。広島県知事、松井一実広島市長から県庁で被災の現状や課題に関する説明を受け、その後政府の現地対策本部訪問、避難所となっている安佐南区の小学校での被災者激励。
視察自体は再調整するそうだ。
自衛隊ヘリコプター搭乗の際は菅無能が東日本大震災発生2011年3月11日翌日の12日午前中に自衛隊ヘリコプターで上空から被災地沿岸部を視察したとき自衛隊迷彩服を纏っていたが、軍国主義者の安倍晋三の場合は同じ迷彩服を纏って、軍事気分を少しでも味わおうとするのだろうか。
いや、まさかそんなことはできまい。土石流が発生して、住民が次々と土砂に呑み込まれて、行方不明者の通報が相次いでいたにも関わらず、被害の拡大や死者の、万が一の多数の発生と結びつける想像力も持たず、ゴルフを優先させたのだから。
ゴルフのお詫びに喪服をつけて視察すべきかもしれないが、死者を出した住民から、「ゴルフをしていたくせにわざとらしい」と却って反発を喰らうかもしれない。最初から予定のゴルフを中止して、直ちに官邸に戻る以外に批判を避ける道はなかったろう。
インターネット上から記事漁りをしていて、視察中止の記事3つに8月24日2時過ぎから3題ほぼ続けて投稿した。
手代木恕之(てしろぎ ひろゆき) @HTeshirogi · 6 分
〈『広島土砂災害、死者50人に 安倍首相の現地視察は中止 -朝日デジタル』 http://t.asahi.com/fmqa 〉
「安倍晋三は死者が出たという報告を官邸から受けて、ゴルフを渋々と中止した。広島市現地視察は悪天候による延期がゴルフ批判沈静化の時間稼ぎになると見て喜んで中止した。」
手代木恕之(てしろぎ ひろゆき) @HTeshirogi · 40分
〈『首相、広島の災害視察を中止 悪天候で - 47NEWS( よんなな)』http://www.47news.jp/CN/201408/CN2014082401001148.html … 〉
「雨が降る中土砂に埋まっている行方不明者のことを考えると、悪天候を言っていられるか。ゴルフのことに触れられるのを恐れて、もっと時間を置こうという魂胆なのではないのか。」
手代木恕之(てしろぎ ひろゆき) @HTeshirogi · 57分
〈『安倍首相、広島土砂災害現場の視察を中止 : 政治 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)』 http://www.yomiuri.co.jp/politics/20140824-OYT1T50023.html?from=tw … @Yomiuri_Onlineさんから〉
「『ゴルフ』という声を一言でもかけられることを恐れたか。〉(以上)
お粗末さまです。
マスコミが今朝9時頃のニュースで、広島市の土砂災害の死者が50人、行方不明者38人と伝えていた。
8月20日午前3時20分頃、広島市安佐南区山本の住民から住宅の裏山が崩れて、2階建ての住宅の1階部分に土砂が流れ込み、5人家族のうち子ども2人の行方が分からなくなったと消防に通報が入った。
これが最初の土砂崩れと予測されている。
どれ程の雨が降ったのだろうか。
▽8月19日午後8時~9時までの1時間雨量19ミリ
その後断続的に雨が降る。
▽8月20日午前1時~午前2時までの1時間雨量29ミリ
▽8月20日午前2時~午前3時までの1時間雨量92ミリ
▽8月20日午前3時~午前4時までの1時間雨量115ミリ
場所によって多少の違いはあっても、既に総雨量が優に200ミリを超えていた。そして土砂災害が発生した一帯は花崗岩が風化してサラサラとなった、雨が降ると水を含み崩れやすくなる真砂土に覆われていた。
政府は8月20日4時0分に首相官邸の危機管理センターに情報連絡室を設置。情報収集に当たったという。
つまり首相が不在でも、内閣自体は早くから対応していた。だから、安倍晋三がゴルフを始めようが、何ら問題はないとしたいのだろう。
では、どんな情報を収集していたのだろうか。
大雨の範囲と各地区の時間雨量と各地区の総雨量は勿論のこと情報収集していたはずだ。さらに一帯が大雨が降ると崩れやすい花崗岩風化の真砂土を土質としていること。
特に過去を学ぶ点で、15年前の1999年(平成11年)6月に大雨で広島市や呉市を中心に325個所で土石流や崖崩れが発生、31人死亡、1人行方不明の情報は収集漏れがあってはならない。
この時呉市は広島県知事に対して海上自衛隊と陸上自衛隊の出動を要請している。
海上自衛隊の出動要請は呉市にその基地があったからだろうが、海上自衛隊が陸上自衛隊程には災害活動の装備を備えているとは思えない。だから、後から陸上自衛隊に対してまで出動要請をしたのだろうか。詳しいことは分からない。
そして国土交通省が把握している広島県内土砂災害危険箇所。全国最多の3万2000個所だと「NHK NEWS WEB」記事が伝えていた。
この過去の災害を参考にして、何よりも前以ての避難活動が行われていなかったことを情報把握していただろうから、殆どの住民が住宅に取り残されていることを考えて、刻々と判明していく1時間当たりの雨量とその時々の総雨量と一帯の土質等、これらの情報を総合して、土砂災害が発生した場合の人的被害が決して小さくはないことを想定しなければならなかったはずだ。
残酷なことを言うことになるが、地震で倒壊した家屋に閉じ込められた場合、木材に圧し潰されずに偶然にできた木材と木材の隙間に恵まれて一命を取り留めたなら、一定時間かそれ以上息を吸い続けることができて、火災が発生しな限り、助けを待つことができるが、大規模な土石流を受けて倒壊した家屋に閉じ込められた場合、倒壊した木材に圧し潰されなくても、水混じりの土砂が柔らかな泥となって隙間の殆ど全てを埋め尽くす形を取り、呼吸できない状態を作るから、住宅と共に大量の土砂に一旦埋められてしまうと、必然的に救命率は低くなる。
最悪の場合、行方不明者数がそのまま死亡者数になりかねないことになる。
こういった点を政府情報連絡室は各種情報収集と同時に頭に入れていたはずだ。単に報告される情報を収集していただけでは情報収集とは言えない。以後の活動に活かすことができる形で同時進行で情報処理することが含まれて、初めて情報収集と言うことができる。
政府情報連絡室は以降、行方不明者の人数の情報が報告されるたびに、やはり残酷なことだが、無事を願いつつも、少なくとも頭の中では最悪の事態として死者数に置き換える情報処理を行わなければならないことになる。
政府情報連絡室が行っていただろうこのような情報収集と情報処理の中に当然、8月20日午前3時20分頃の土砂崩れによる子ども2人の行方不明者発生の情報も含まれていたことになる。
そして8月20日午前4時過ぎ頃から土砂崩れと住宅が埋まって行方不明者が出たという通報が消防局に相次いで寄せられる状況が続くことになる情報の把握も行われたであろう。
広島市消防局が、8月20日午前3時20分頃の土砂崩れで土砂に埋まった子ども2人のうち1人が午前5時15分頃心肺停止の状態で発見されたと発表。この発見は広島市にも伝えられただろうから、いずれかの機関から政府情報連絡室は情報を把握していなければならない。
政府情報連絡室はこのような行方不明者の情報と遺体発見の情報に接したなら、住宅にいて大規模な土石流災害を受けた場合、残酷なことではあるが、生存率が低いという情報処理を施していかなければならないことになる。
そしてこの処理した情報は大規模な人的被害を予想した時点で危機管理の最終責任者の首相たる安倍晋三に報告することになったはずだし、報告していなければならない。
だが、「国民の生命と財産を守る」第1位の最高責任者たる安倍晋三は広島市の土砂災害の被害報告が拡大する方向で進行中、夏休み中の山梨県の別荘から富士河口湖町のゴルフ場「富士桜カントリー倶楽部」に向かい、8月20日午前7時26分に到着、ゴルフを開始している。
そしてゴルフを中止したのは午前9時19分。
古屋防災担当相は、「最終的に死亡者が出た8時37分とか8分に総理にも連絡をして、その時点ではこちらに帰る支度をしてます」と安倍晋三のゴルフに問題はないとしたが、大規模な災害が発生した場合、安倍晋三が首相官邸に駆けつける基準を最初の死者が出てからとしたことになる。
安倍晋三は8月20日午後5時54分、公邸を発って別荘に戻っている。官邸関係者は「資料などを取りに行くためで、休暇を切り上げることはすでに決めていた」と説明。実際には葛西敬之JR東海名誉会長と別荘で昼食を取ってから、東京に向かった。
安倍晋三が公邸を発つ午後5時54分を26分遡る午後5時28分の発信時間で、「NHK NEWS WEB」が警察の発表として、「32人死亡9人不明」を伝えている。
行方不明者の9人にしても、こういった場合の災害として生存率が小さいことを考えなければならない。
このことは前以ての避難が如何に大切か教えることになる。
だが、安倍晋三はゴルフを行った行動にしても、別荘に戻った行動にしても、行方不明者に対する生存率を考えない行動――いわば被害の規模を考えない行動となって現れている。
8月20日午後の市消防局幹部の記者会見。
金山健三広島市消防局危機管理部長「1時間に115ミリという急激な雨で同時多発的に土砂災害が発生した」
この情報が8月20日午後以降の把握となったとしても、8月20日午前3時から午前4時までの1時間雨量115ミリに達した時点で同時多発的に土砂災害が発生したことを教えている。
この時間の近辺で、現在の死者50人、行方不明者38人、合計88人の殆どが土砂に埋められた可能性を考えることができる。
例え結果論であったとしても、安倍晋三は88人が埋められているにも関わらず、ゴルフを楽しんでいた。少なくとも過去の災害や時間当たり雨量や総雨量、土砂災害が発生した一帯の土質、さらに前以ての避難が行われていない等々の点から被害が拡大方向に進行すると予想される情報処理を官邸で行っていたとしても、そのような情報処理に反してゴルフを行っていたことは、「国民の生命と財産を守る」第1位の国家責任者として到底許されることではない。
生活の党PR
《8月19日(火) 鈴木克昌代表代行・幹事長 記者会見要旨》
『9月に夏季研修会をソウルで開催の報告』
【質疑要旨】
・民主海江田代表の発言の受け止めと党首会談について
・消費税増税に対する考え方について
・民主党との統一会派に向けた問題について
・夏季研修会について
《8月23日(土)、25日(月) 小沢一郎代表テレビ出演ご案内》
【8月23日(土)】
・番組名:TOKYO MXTV『淳と隆の週刊リテラシー』
・日 時:平成26年8月23日(土)17:00~17:55(生放送)
・内 容:第2次安倍政権日600日。
剛腕小沢一郎は、安倍政権をどう評価する?
集団的自衛権・アベノミクス・野党再編は?
※番組の詳細はこちらから
『淳と隆の週刊リテラシー』の番組サイト
【8月25日(月)】
・番組名:BS11『報道ライブ 21 INsideOUT』
・日 時:平成26年8月25日(月)21:00~21:54(生放送)
・内 容:・これまでの安倍政権をどう評価するか
・野党強化や野党再編はどうあるべきか
・他党の動きをどのようにみるか
・福島県・沖縄県知事選挙の対応と対策 等
※番組の詳細はこちらから
『報道ライブ 21 INsideOUT』の番組サイト
――災害発生後に避難勧告・避難指示を出す防災マニュアルはどこの世界にも存在しない――
今回の広島市の多数の死者を出した土砂災害について松井広島市長は次のように発言している。土砂災害発生の安佐北区三入では午前3時に避難勧告を出す基準の140ミリを大幅に超える171ミリを記録していた。
午前3時21分に安佐南区山本地区で「土砂災害で2人が生き埋めになっている」という119番通報。約10分後に別の地区から「女性が土石流に流された」という通報。
《基準の雨量超えたのに避難勧告出さず》(NHK NEWS WEB/2014年8月21日 4時08分)
松井市長「一部の地域では基準の雨量を超えていたものの、ほかの地域では超えておらずに職員が躊躇した。今後、改善策を検討したい」
〈市が最初に避難勧告を出したのは午前4時15分で、より強く避難を求める避難指示を出したのは午前7時58分になってから〉と記事は書いている。
要するに災害発生後に避難勧告を出した。既に災害が発生しているのだから、避難勧告を飛び越えて一定の強制性を持たせた避難指示を即刻出すことはせず、住宅に土砂が流入して行方不明者を出してから避難指示を出した。
松井市長の翌日の臨時の記者会見での発言。《広島市長 防災計画抜本的見直しへ》(NHK NEWS WEB/2014年8月22日 13時18分)
松井市長「亡くなった方に心からお悔やみを申し上げたい。行方不明者の捜索に全力で当たるとともに、被災した人の生活の再建に向けて、市が一丸となって取り組む」
(土砂災害の後に避難勧告を出したことについて)職員は今の防災計画を踏まえて対応した。避難勧告が先に出ていれば住民の命が助かった可能性は高い。今の計画のままでよいのか検証するのが問題解決への糸口だ」――
職員は防災計画に基づいてきちんと対応した。但し現在の防災計画のままで良いのか検証しなければならない。
つまり防災計画の不備を暗示させている。だから記事解説も、〈職員の対応に誤りはなかったという認識を示す一方、避難勧告を出す手順などを定めた市の防災計画を抜本的に見直す考えを明らかにしました。〉となっている。
だが、最初に書いたように、災害発生後に避難勧告・避難指示を出す防災マニュアルはどこの世界にも存在しない。これは絶対現実である。にも関わらず、存在させるような事態を生じせしめたのは職員の対応以外の何ものでもない。
広島市で災害現場で直接災害と対応する市消防局の責任者の発言。《広島市消防局 「避難勧告遅かった」》(NHK NEWS WEB/2014年8月22日 13時18分)
金山健三広島市消防局危機管理部長「1時間に115ミリという急激な雨で同時多発的に土砂災害が発生した。今月は雨が多かったため地域を決めて巡回するなど警戒していたが、災害に対する分析を誤った部分があることは間違いなく、避難勧告を出すのも遅かった。災害発生前に勧告を出すのが本来の目的であり、見直す必要がある」――
金山部長は「災害に対する分析を誤った部分がある」と素直に人災であることを認めている。「災害発生前に勧告を出すのが本来の目的」は当たり前のことであり、「見直す必要」とは、自分たちの危機管理対応に関してでって、この言葉にも人災であることの意を含んでいる。
問題は部長が「今月は雨が多かった」と言っていることである。土砂災害が発生した一帯は花崗岩が風化したサラサラの土に覆われていて、雨が降ると水を含み崩れやすくなる性質があるという。
だから、市消防局は8月は多雨に応じて地域を決めて巡回するなどの警戒に当たっていた。
だとしたら、なぜ8月20日1時15分の広島県に発せられた土砂災害警戒情報に留意しなかったのだろうか。
土砂災害警戒情報とは、公式の意味としては、大雨による土砂災害発生の危険度が高まったとき、市町村長が避難勧告等を発令する際の判断や住民の自主避難の参考となるよう、都道府県と気象庁が共同で発表する防災情報のこととなっていて、広島県から広島市に伝達されたはずである。あるいはテレビやラジオがニュースで伝えたはずである。
この公式の意味以外に現在降っている大雨が天気予報に触れずとも、降雨量が多いままに一定時間は降るという意味が含まれているはずだ。例え少量の雨であっても、降る日が多くて、既に傾斜地の土に雨水が十分に染み込んでいて、ほんのちょっとした短時間の強い雨でも土砂災害が誘発される事例や、雨がやんだにも関わらず、既に含んでいた雨水の重みで土砂崩れが生じるといった事例もあるだろうが、一般的な規模の大きい土砂災害の発生という点では、上記の意味を読み取らなければならないだろう。
その上、「今月は雨が多かった」と言うことなら、当然、土砂災害警戒情報が発令された8月20日1時15分の時点で避難勧告なり、避難指示なりを判断しなければならなかったはずだが、避難指示を出したのは土砂災害情報発令の1時15分から3時間遅れの、しかも土砂災害発生後の午前4時15分となった。
一般的に危機管理とは最悪の事態を前以て想定して、想定した最悪の事態に被害の最小限化等の備えを準備し、実際の危機に忠実に具体化させることを言うが、より良い危機管理の発動のためには一言で言うと、過剰反応するということであるはずだ。
過剰反応が例え空振りに終わっても、空振りは災害が発生しないことを言うのだから、そのことを良しとし、災害が実際に発生した場合は過剰反応は必然的に被害の抑止に役立つことになる。
過剰反応は人災を防ぐことにも役立つ。過剰反応を旨として防災計画を作成したなら、否応もなしに早手回しの避難勧告なり、避難指示なりを発令基準とすることになる。
2013年10月16日に伊豆大島の大島町を襲った台風26号に伴う土石流は大きな被害をもたらしたが、気象庁が26号の風速、雨量、コース等の台風情報と共に10年に一度の大型で強い台風だと警戒を呼びかけていた中、コースに当っていた大島町の町長は前日の朝に出張、島を出ていて、 町長の代理で台風に備えるためにだろう、総務課長が10月16日午前0時頃に役場に出勤したものの、東京都が送信した「土砂災害警戒情報」のファクスに気づきながら、夜間だったという理由で避難勧告や避難指示を出す対応を取らなかった。
だが、気象庁と都が「土砂災害警戒情報」の運用を始めた2008年から今年4月までの計7回、同情報を出していたにも関わらず、大島町が避難勧告の対応を取ったことが一度もなかったことが判明、「夜間だった」は後付けの口実で、土砂災害警戒情報を避難勧告や避難指示の判断基準としていない慣例に従った無対応に過ぎなかった。
その証拠は、東京都は大島町に対して10月15日午後6時05分に第1回の土砂災害警戒情報、10月16日午前0時10分に第2回目の土砂災害警戒情報、土砂災害警戒情報、10月16日午前2時35分に3回目の3回目の土砂災害警戒情報、10月16日05時50分に4回目の土砂災害警戒情報、10月16日10時55分に5回目の土砂災害警戒情報、10月16日13時40分に最後の土砂災害警戒情報を発しているが、ついに避難勧告も避難指示も出さなかったからである。
その結果、2013年11月25日現在、死者35 名、行方不明者4名の大災害となった。まさに人災以外の何ものでもない。
大島町はこのことを教訓として、現在では土砂災害警戒情報を目安にして避難勧告を出す防災計画を立てていると、昨日のNHKテレビで放送していた。
土砂災害警戒情報を避難勧告や避難指示発令の判断基準としていなかった市町村は大島町の人災を他山の石とし、大島町が学んだことを教訓とすべきだったが、広島市は何ら教訓としなかった。
この点も人災に当たる。
その他にも人災と言える点がある。今回の広島市の被災地区の多くが「土砂災害警戒区域」に指定されていなかったという。《被災6地区は「土砂災害警戒」未指定》(NHK NEWS WEB/2014年8月20日 20時14分)
今回の土砂災害で死亡者と行方不明者を出した広島市安佐南区の山本と緑井、それに八木の3地区と安佐北区の三入南と可部町桐原、大林の3地区の合わせて6地区が未指定だっと伝えている。
記事解説。〈「土砂災害警戒区域」は、土砂災害防止法に基づいて、都道府県が地形図を基に割り出した土砂崩れや土石流などが起きるおそれのある「土砂災害危険箇所」などを調査したうえで指定するもので〉、〈「土砂災害警戒区域」に指定されると、市町村は土砂災害に関する情報の伝達や避難、救助などの警戒や避難の態勢を確立しておくことや、ハザードマップを作成して住民に必要な情報を知らせることなどが求められ〉るとしている。
未指定の理由。
広島県「過去に土砂災害が起きた地区や病院や老人ホームなど避難に支援が必要な人たちの施設がある地区を優先していたため、指定が進んでいなかった」(解説文を会話体に直す)
ここ毎年のように日本列島の何個所かで大雨が降り、少なくない死者や行方不明者を伴った洪水や土砂災害が発生させていて、常態化している。
このことを学習していたなら、住民の命が関係してくる以上、どこを優先させて、結果として他は後回しとなるということは許されないはずだ。他の事業を後回しにしてでも、カネと人手を集中させて危険区域の指定を完了させるべきだったが、そうしなかった。
そのことも原因した多数の死者ということなら、やはり人災を決定づける根拠としかならない。
福島の第1原発事故も全電源喪失を想定しなかった人災であった。なぜかくまでも人災を繰返すのだろうか。防災計画がしっかりしていても、それを運用する人間の行動に手抜かりがあったなら、必然的に人災の姿を取ることになる。人災となることを回避したいなら、空振りを良い結果と看做して過剰反応に徹するべきだろう。
生活の党PR
《8月19日(火) 鈴木克昌代表代行・幹事長 記者会見要旨》
『9月に夏季研修会をソウルで開催』
【質疑要旨】
・民主海江田代表の発言の受け止めと党首会談について
・消費税増税に対する考え方について
・民主党との統一会派に向けた問題について
・夏季研修会について
安倍晋三が広島市の土砂災害が発生中にも関わらずゴルフを始めて約1時間20分程度プレーしてから中断、首相官邸に駆けつけたことと、一旦は官邸に駆けつけていながら、夜になって再び別荘に戻って、翌8月21日午後官邸に戻ったことに対して野党が「緊張感がない」と批判、その批判に対して古屋防災担当相が8月21日午後4時からの災害対策会議後に対記者団に対して「問題はない」と首相を擁護したとマスコミが伝えている。
その遣り取りを「朝日新聞官邸クラブ」が自身のツイッターに投稿しているのをたまたま覗いた私自身のツイッターから見つけた。
いくつかに分かれているから、纏めてみる。
本田修一サブキャップ「災害対策会議の後に、古屋防災相が記者団の取材に応じました。その内容からツイートします」
記者「調査結果内容、報告内容は」
古屋「お亡くなりになった方が39人。そのうち身元が確認出来た方が14名、まだ確認出来ていない方が25名。安否不明という方が51名で、この中に25名の方との重複がどれだけあるかは精査している。このことが警察から発表された。これは午後2時現在です」
記者「調査を踏まえた上での、現場での今後の課題は」
古屋「まず、まだ行方不明者、安否不明者がいらっしゃいますので、警察・消防・自衛隊挙げてテック・フォース含めて徹底的な捜索活動をしております。これがまず最優先です。特に昨日まで、踏み込めないでいた地域もございます。
2次災害の危険性があると。今はその状況も解消して全ての地区で入っております。まずこの捜索の徹底をし、行方不明者、安否不明者の確認をすることが最優先です」
記者「今後、応援の増員などは」
古屋「もう既に自衛隊も含めて警察も千人規模、自衛隊も650人規模で入っておりますので、それをしっかりと対応しながら担務(業務内容を分担して責任をもつこと。)に当たって貰うということです。
記者「総理が指示後にゴルフを始めたことについて野党から批判の声が上がっているが初動については」
古屋「それは全く批判は当たらないと思います。というのは私もこの状況を聞きまして、携帯電話で秘書官あるいは内閣府の幹部と連絡を取って、初めて連絡が不明者がいると出たのが6時十何分ですね。
それは常に官邸にも総理秘書官経由で報告をいたしておりまして、最終的に死亡者が出たということがはっきりしたのが8時37分とか8分とかその頃に3人。それから、行方不明者がいらっしゃると。
もうその時点で、総理にも連絡をして、その時点ではこちらに帰る支度をしてますので、まったくそういう批判はあたらない。常に連携をしながら対応をしているということだと思います」
記者「一旦、総理が官邸に戻った後に再び別荘に戻ったことにも批判があるが」
古屋「そういう批判があることは私、承知しておりません。常に連携をとって私は防災担当大臣として常に総理、そして秘書官とも連携をとりながら、対応をしております。対応に何の問題もなかったと思っておりまして、批判はあたらないというふうに考えております」
記者「別荘に戻ったことは事後対応としても全く問題なかったと」
古屋「現実に何か支障は一つも起きておりませんですし、常に我々は内閣そして防災担当が連携をしてやっており、常に総理にも報告をしながら対応をしているということであります」(以上)
記者が「総理が指示後にゴルフを始めたことについて」と言っているが、官邸から安倍晋三に何らかの報告があって、その報告に対して安倍晋三からゴルフ開始前に何らかの指示が官邸になされたと言うことなのだろうか。
だとしたら、安倍晋三は官邸からの報告内容に対してゴルフを開始しても何の支障もない程度の被害状況だと考えたことになる。安倍晋三がゴルフ場に向かうべく山梨県鳴沢村の別荘を発ったのは8月20日7時22分。
いわば8月20日7時22分前の広島市の広範囲に亘る土砂災害は安倍晋三がゴルフをするについて何の支障もない被害状況にあると読んだ。
そのような読みの中には以後の全体的な被害予測も入っていなければならない。「これから被害が次々と明らかになってくるかも知れない、そのような状況だ」と先行きの全体的な被害状況をそのように深刻に予測していたなら、とてもゴルフなど始めることはできなかったろう。
古屋は安倍晋三がゴルフを始めたことは問題ないとした理由に、自身は常に総理秘書官経由で官邸と連絡を取り合い、官邸も安倍晋三と連絡を取り合って状況を伝えている、不明者がいるという連絡が出たのが6時十何分、最終的に死亡者が出たということがはっきりしたのが8時37分とか8分とかその頃に3人、その他行方不明者が何人かいて、もうその時点で総理に連絡して、帰る支度をしたと、常に連携して対応し合っていることを挙げている。
だが、この被害状況の連絡は単にその場その場の被害状況を表面的に読み取った連絡であって、現況からの被害の全体的な先行きに対する読みがないばかりか、安倍晋三が官邸に駆けつける基準を死亡者が出たという連絡があってからとしていることになる。
つまり死亡者が出るまでゴルフはできるとした。「国民の生命・財産を守る」第1位の国家責任者に許されるルールなのだろうか。
死亡者が出たという連絡があってからの対応に重点を置いている点についても、情報の把握をその場その場の被害状況の表面的な読みで済ませているからであって、大雨や土石流を原因とした山崩れ、土砂崩れを受けた大量の土砂による家屋の埋没が多数発生している状況に応じた先行きの被害予測を含めた情報把握なら、その被害予測の中に死亡者を考慮しないわけにはいかないはずで、当然、「国民の生命・財産を守る」第1位の国家責任者である以上、実際に死亡者が出てから責任者としての行動に出ることは許されないことになる。
だが、古屋は安倍晋三に似た明晰な脳ミソの持ち主らしく、「不明者がいるという連絡が出たのが6時十何分」と言って、「8時37分とか8分とか」の時間に実際に死亡者が出るまで、不明者の中に、例え全員の生存を願ったとしても、最悪、死亡者に変わり得る可能性すら予測せずに安倍晋三のゴルフを続けさせて、死亡者の連絡が実際に出てから、安倍晋三に連絡した。
「総理、死亡者が出ました。これ以上ゴルフを続けるのは差し障りが出かねません」とでも連絡したのだろうか。
しかも死亡者が出たと古屋が言っている時間から安倍晋三がゴルフを中止したのは約30分後の9時19分前後であって、直ちの行動とはなっていない。
これをどう説明するのだろうか。もう一打、もう一打で、30分も発ってしまったということなのか。
古屋は死亡者発生を安倍晋三が大災害時に官邸に駆けつける基準としたが、今回の災害に於ける死亡者発生の時間を「最終的に死亡者が出たということがはっきりしたのが8時37分とか8分とかその頃に3人」と言っているが、確かに「NHK NEWS WEB」が「8月20日 8時47分」の発信時間で、《広島 住宅に土砂 2歳含む3人死亡 不明者多数》の記事を発信している。
しかし別の「NHK NEWS WEB」は「8月20日 6時25分」の発信時間で、各地で住宅の裏山が崩れて土砂が家屋に入り込む被害が相次いでいること、2人の子どものうち1人が土砂に呑み込まれて行方不明、2歳のもう1人が心肺停止の状態となっているほか、7人と連絡が取れないことを、《広島 土砂崩れ相次ぎ9人被災か 》と題した記事で既に発信している。
前出の記事の「2歳含む3人死亡」の2歳の子どもは心肺停止となっていた子どもを指す。首相官邸の災害対策本部はマスコミの記事を元に情報を把握するわけではなく、広島市消防局や広島警察署発出の情報等に基づいているだろうから、これらの機関がマスコミ各社に情報を発表する前に直接伝えられているはずだ。
また広島市消防局や広島警察署が発表する情報にしても、住民からの通報もあるだろうが、消防署員や警察署員が出動した現場で直接観察し、把握した被害状況からの通報の形を取った情報もあるはずで、住民からの通報の場合にしても、消防署員か警察署員が直接現場に赴いて、詳しい状況を把握すると同時に行方不明者がいるようなら、その救出にとりかかることになるだろう。
古屋が「8時37分とか8分とか」と言っている死亡者が出た時間と前出記事発信の「8時47分」は前者の方が10分程度早い時間となっているが、広島市消防局か広島警察署から直接得ていたことを考えると、時間差は当然と見なければならない。
直接得る情報時間が常に10分前かどうかは分からないが、「NHK NEWS WEB」記事に従うと、広島市消防局の情報として8月20日午前3時20分頃から40分過ぎにかけて、広島市安佐南区の八木地区と山本地区、緑井地区の3つの地区の住民から近くの裏山が崩れているという通報が相次いで寄せられていたのに対して広島市が最初に避難勧告を出したのは午前4時15分、より強く避難を求める避難指示を出したのは午前7時58分。山間(やまあい)にまで住宅が密集していたことを考え併せると、8月20日午前4時前後の時点で多くの住民が避難しないままの状態で住宅と共に土砂に埋まる危険性は高いと予想しなければならない。
土砂崩れが発生して、その土砂によって家屋が埋没状態となって、そこに住む住人までが土砂に埋まって行方不明となっていることが考えられる場合、土砂崩れの範囲、その程度、土砂に対する家屋の埋没程度、土砂除去の方法として重機が入れそうか、手作業に頼らざるを得ないか、後者の方法なら、土砂除去に時間がかかり、救出の困難が予想されることなどの情報をも把握しなければならないはずで、土砂除去の困難度に応じて死亡者が出ることも予想しなければならない。
だが、安倍晋三にしても古屋にしても、各情報の表面をなぞっだ解読を專らとし、実際に死亡者の情報が出るまでゴルフ中止を待った。「国民の生命・財産を守る」第1位の責任者としての安倍晋三の意識、そしてその責任を補佐する古屋の意識が「守る」を口で言う程に実態は伴わすことができずに希薄だからこそ可能としている情報の表面的な解読であるはずだ。
このことは古屋自身の次の発言に現れている。「常に連携をとって私は防災担当大臣として常に総理、そして秘書官とも連携をとりながら、対応をしております。対応に何の問題もなかったと思っておりまして」
連携と対応に疎漏がなければいいとしている。如何に情報を読み、詠んだ情報にどう的確に他部署と連携して対応するか、そのことに重点を一切置かない発言となっている。
そして次の言葉。記者の、安倍晋三が官邸に戻ったあと再度別荘に向かったことに批判があるとした質問に対して、「現実に何か支障は一つも起きておりませんですし、常に我々は内閣そして防災担当が連携をしてやっており、常に総理にも報告をしながら対応をしているということであります」云々。
つまり自分たちに課せられた連携と対応の役目に支障がなければ良しとしている。「お亡くなりになった方が39人。そのうち身元が確認出来た方が14名、まだ確認出来ていない方が25名。安否不明という方が51名で、この中に25名の方との重複がどれだけあるかは精査している。このことが警察から発表された。これは午後2時現在です」と発言していながらである。
家族を失った近親者の心痛、安否不明の家族を抱えた近親者の極度の不安、家が土砂に埋まって壊されたり水に流されたりした被災者の生活再建に対する戸惑い、家の中にまで流れ込んだ土砂や泥を掻き出す住民の難儀等々が進行中でありながら、それを他処に置いて、自分たちの責任だけのことを言っている。
被災住民が置かれている状況を考えずに済ましているから、ゴルフができた。