2012年民主党マニフェストは達成内容を必要最小限の数値目標化しか行わず、数値目標化を極力避けている。2009年マニフェストが事細かに数値目標化してその殆どが達成できず、批判された反省に立って数値目標化を避けたということだが、数値目標化の回避は挑戦する姿の消滅そのものであって、同時に達成できなかった場合の批判を免れる責任回避衝動からの結論ということなのだろう。
少なくとも2009年マニフェストは各政策の達成内容を数値目標化することで、その実現に積極的に挑戦する姿で臨んだはずだ。にも関わらず、それら政策の多くが達成できず、カラ手形同然とした。
その原因を財源の見通しが甘かったことに置いているが、予算削減の事業仕分けを経ても、会計検査院から各種予算や補助金のムダ遣いの指摘を受けているし、復興予算の流用を見ても、復興予算に限らない、予算全般に亘るムダ遣いの存在を窺うことができるし、公務員宿舎賃料を民間相場より低く抑えていたムダの放置等から見て、ムダ遣いの徹底的な削減や予算の組み替え等を行なうことによって、まだまだ財源を捻出できたはずだが、不徹底に終わった。
この不徹底はマニフェスト政策のカラ手形化と相互対応する姿勢の現れでもあるはずである。
要は積極的に挑戦する姿が無効だったことになる。財源捻出をも含めて政策実現能力を欠いていたということであろう。
各政策の達成内容を数値目標化して積極的姿勢で臨んだにも関わらず、2009年マニフェスト政策の実現は殆どカラ手形同然としたということなら、数値目標化を避け、その分積極的姿勢で臨む姿勢を欠くことになる2012年マニフェストが2009年マニフェストに対応してカラ手形同然の運命を抱えることになるのも自然の流れと言える。
何よりも2009年マニフェストに引き続いて2012年がカラ手形同然を思わせる点は、《民主党5つの重点政策》の政策順位に現れている。
2012年マニフェストはテキスト版、《民主党の政権政策 Manifesto》から見てみる。
重点政策を見る前に大体が美しい言葉を書き連ねると相場が決まっているスローガンに触れてみる。
〈動かすのは、決断。今と未来への責任。民主党は、責任ある改革の道を真っすぐに進む。〉――
しかし2009年マニフェスト実現では「決断」不足であった。決断不足に対応して、3年間に関わる「今と未来への責任」を満足に果たすことはできなかった。「責任ある改革の道を真っすぐに進む」ことにならなかったのである。
このカラ手形同然の姿は次のカラ手形同然の姿につながらない保証はない。
次いで、〈すべては東日本大震災からの復興、福島の再生からはじまる。〉とスローガンを続けているが、被災地の復興も福島の再生も遅れていて、東日本大震災発災の2011年3月11日からの1年8カ月間に亘って復興と再生の的確な実行能力を欠き、カラ手形同然としたということであって、このことの言い訳はできないはずだ。
また、的確な実行能力を欠いていたと言うことなら、次の4年間の実行能力も期待できないカラ手形同然を覚悟しなければならなくなる。
では、《民主党5つの重点政策》を見てみる。
1社会保障
〈共に生きる社会
支え合いの社会、すべての人に居場所と出番がある社会をめざします。〉
2経済
〈新しい競争力は、人と地域
経済政策の目的は働く場を創ること。2020年までに400万人以上の働く場を創ります。〉
3エネルギー
〈原発ゼロで生まれ変わる日本
地域産業の創造、地域の雇用の創出につながるグリーンエネルギー革命を断行します。〉
4外交・安全保障
〈平和国家としての、現実的な外交防衛
「冷静な外交」と「責任ある防衛」を組み合わせ、日米同盟の深化、アジアとの共生をすすめます。〉
5政治改革
〈政治への信頼回復は、身を切る改革から
世襲政治からの脱却、議員定数の削減を実現し、新しい政治文化を創ります。〉
なぜ、「経済」を重点政策に於ける優先順位の第一番に持って来なかったのだろうか。だが、「社会保障」を優先順位の第一番に置いた。
国の税収は企業や国民の税金によって賄われる。その税金の多い少ないは経済状況によって左右される。税金の多い少ないによって国の税収の多い少ないも左右される。
いくら社会保障費を消費税増税で賄うといっても、現在のような不景気が続けば、ただでさえ消費活動が鈍る上に中低所得層が消費税分の購買価格増を避けるためになお消費を控える傾向が生じた場合、そのことが直ちに税収に響くだろうから、先ずは「経済」を政策の優先順位に第一に置かなければならないはずだが、二番目に持ってきている。
一般家庭に於いても、子育てにしても子どもの学校にしても、日々の食生活にしても、病院にかかるについても親の収入(家庭経済)が生活の基盤となる。
将来年金や貯蓄で生活を安定させるためにも現役時代の収入にかかっている。
それが例え生活保護受給世帯であったとしても、生活保護からの収入(家庭経済)が生活を成り立たせる出発点となる。
国という生活体をを成り立たせる点に関しても、社会保障政策についても、エネルギー政策についても、広い意味では外交・安全保障についても、政治改革についても、国の経済によってその効力が左右されることになる。
経済の力が強いか弱いかで、各政策に与える影響は異なってくる。
すべての基盤は経済なのである。政策の財源を問うこと自体が、経済が国家経営の基本なのを教えている。
社会保障に関して消費税をいくら当てにしようとも、経済によって相殺される。その相殺を免れようとするなら、経済を強くすることを考えなければならないはずだ。
当然、政策優先順位の第一番に経済政策を持って来なければならないはずだが、野田政権はニ番目に持ってきた。
マニフェストに書いてなかった消費税増税に対する後ろめたさが一体改革として打ち出した社会保障政策を優先順位の一番に持ってくることでその重要性を訴え、その重要性で後ろめたさの帳消しを図る思いが優先順位一位となって現れたといったところではないのか。
だとしても、政策の優先順位は国民が何を求めているかに対する認識の問題でもある。NHKが11月23日から3日間行った世論調査の「投票するにあたって最も重視することは何か」の答は次のようになっている。
▽「経済対策」34%
▽「社会保障制度の見直し」21%
▽「原発のあり方を含むエネルギー政策」11%
国民は「経済対策」を政策優先順位の一番に置いている。社会保障や学費、食費等々、全てに亘って生活成立の基盤は「経済」だということを第一番に認識しているのである。
だが、野田内閣は「経済」を政策優先順位の二番目に置き、経済なくして良好な状態で成り立たせることができない「社会保障」を優先順位の第一番に持ってきた。
この認識のズレは2009年マニフェストをカラ手形同然としたのと同じく2012年マニフェストをカラ手形同然とする予感となって立ちはだからないでは置かない。
なぜなら、認識のズレは立ち向かう意志、立ち向かうエネルギーのズレに還元されるからだ。政策優先順位の一位に置いた「社会保障政策」により多くのエネルギーが注がれることになるが、「経済政策」を二番目に置いた分、注がれることになるエネルギーは否応もなしに過小となる。
民主党が2009年マニフェストでカラ手形そのものとした政策の一つに最低賃金政策がある。2009年マニフェストでは、「中小企業を支援し、時給1000円(全国平均)の最低賃金を目指します」と書いた。
だが、2012年度の都道府県別最低賃金改定額の全国平均(時給)は前年度比12円増749円であって、民主党3年間で全国平均「時給1000円」をカラ手形としている。
最低賃金を思い切って上げて消費活動を誘導。物が売れて中小企業を潤し、賃金上昇分を吸収させるか、中小企業を守るために最低賃金を抑えて、消費活動を低迷させたままにしておくか、どちらの循環を取るかの優先順位の問題だが、中低所得層の生活の基盤となる、最低賃金面からの経済を無視、中小企業保護政策を優先させた認識のズレも2012年マニフェストに反映させてカラ手形同然とする認識性と見ないわけにはいかない。
野田首相は自分たちが2009年マニフェストで約束した最低賃金「時給1000円」を実現させる政治力を発揮できなかったにも関わらず、横浜市での街頭演説で日本維新の会が衆議院選挙の政権公約として最低賃金の廃止を検討していることについて、次のように批判している。
野田首相「驚いた。賃金が下がり続けていることがデフレの大きな原因であり、そんなときに最低賃金すら撤廃したらおかしい」(NHK NEWS WEB)
「賃金が下がり続けている」という状況は自身が「中間層を分厚くする」と言っていながら、中間層から下層に落ちこぼれをつくっている状況であって、このことと最低賃金「時給1000円」を実現できていないことに少しぐらい責任を感じてもよさそうだが、何ら責任意識もなく、維新の会に対する批判のみに重点を置いている。
もし経済を政策優先順位の第一位に置いていたなら、政策優先順位を第一番に置いた「社会保障」の項目で、〈共に生きる社会 支え合いの社会、すべての人に居場所と出番がある社会をめざします。〉とか、「めざす社会」として――
〈透明・公平・公正なルールにもとづき、正義が貫かれる社会。
働く人が豊かさと幸せを実感できる社会。
格差を是正し、誰にも「居場所」と「出番」のある社会。〉などと奇麗事の理念を並べ立てたりしないだろう。
経済が豊かで、国民の暮らしが豊かであるなら、「居場所」と「出番」は自ずと見つかるからである。このことは特に若年層の非正規社員と正規社員の100万円から200万円も年収の差がある収入の格差が結婚・未婚の格差へと反映している状況によって逆説的な証明とすることができる。
経済の豊かさが保証する「居場所と出番がある社会」、「透明・公平・公正なルールにもとづき、正義が貫かれる社会」、「働く人が豊かさと幸せを実感できる社会」であるにも関わらず、経済政策を優先順位の第一位に置かずに並べ立てているから、必然的に低所得層や貧困層には無縁の奇麗事となる。
このような認識のズレも2012年マニフェストがいくら数値目標化を避けようとも、カラ手形同然で終焉を迎える予感を否応もなしに誘(いざな)うことになる。
2012年4月14日、石原当時都知事が訪米、ワシントンで記者会見している。
野田政権は大飯原発再稼働要請に踏み切る決断をしていた。
石原慎太郎「(経済に於ける)原発の比重を考えず、反対と言っても自分の首を絞めるようなものだ。原発を全廃した途端に、生活が貧乏になっていいのかという話だ」(スポニチ)
原発稼働徹底推進の姿勢を示している。
当時の橋下徹大阪市長は大飯原発再稼働に反対していた。
2012年4月24日、橋下大阪市長と藤村官房長官の会談。
橋下市長「科学者や原子力安全委員会のコメントがないなかで、安全性の問題を政治が判断するのはいかがなものか。政権が安全宣言したのは絶対におかしく、福島の事故前の平時の再稼働の手続きで進めるのは納得いかない」
大飯再稼働徹底反対の姿勢を示している。
会談後のそれぞれの記者会見。
橋下市長「政権が政治家の作った手続きをそのまま進めているだけで、安全かどうか誰も判断していない。これは国家運営の重大な危機だ。藤村官房長官は『今の手続きは変えられない』と言っていたが、それを変えるのが政治主導ではないか」
藤村官房長官「橋下市長も関西の電力需給の現状については理解しているようにみえた。お互い対立しているわけではなく、今後もさまざまな説明や遣り取りをするなかで認識は共通になってくると期待している」
2012年4月26日
橋下市長「具体的にこれから府県民に負担を示したい。去年のような節電の呼びかけではなく、ここまでやらないと無理だという負担案を示して、あとは政治感覚を研ぎ澄ませて、府県民がどう思うか、感じるしかない。産業には影響を与えないようにするので、家庭に負担をお願いしようと思ってる。
快適な生活を求めて、そこそこの安全でいくのか。しっかりと安全性を確認するために不便な生活を受け入れるのか、二つに一つだ。不便な生活が無理なら再稼働するしかない」(NHK NEWS WEB)
会談での藤村官房長官の「橋下市長も関西の電力需給の現状については理解しているようにみえた」の発言からすると、会談で藤村官房長官に説得されて、その気になったのかもしれない。
だとしても、大飯再稼働徹底反対であったはずが、4月24日の藤村官房長官との会談から2日足らずで再稼働容認姿勢に変心したことに変りはない。
停止の場合の「不便な生活」を強調して、それが嫌ならと、「そこそこの安全」=少しの不安を代償とした再稼働を勧めている。
あれ程再稼働徹底反対であったのに再稼働容認に変心したことに後ろめたさ感じたのか、今度は再稼働容認から再稼働期間限定容認にシフトさせる変心を見せている。
2012年5月19日発言。
橋下大阪市長「なぜ政府が原発問題で国民の信頼を得られていないか、よく分かった。福島と同じレベルの対策では、安心できないというのが多くの国民の感覚だ。
原発がどうしても必要だという場合にも、動かし方はいろいろある。臨時なのか1か月なのか2か月なのか。ずっとフル稼働していくような政府の説明に、国民は信頼を寄せていない」(NHK NEWS WEB)
要するに最も電力需要の大きい夏限定にして、後は停止させるべきだとの主張である。
政府にはそんな考えはなかった。
2012年5月21日記者会見。
藤村官房長官「運転再開の必要性については、電力需給の厳しさもあるが、これまで電力供給の30%を担ってきた原子力を直ちに止めた場合、LNG=液化天然ガスの膨大な買い増しなど、現実の日本経済、国民生活が大変大きく影響を受ける。需給の厳しさだけを踏まえた臨時的な稼働を念頭に置いているわけではない」(NHK NEWS WEB)
橋下徹市長の再稼働容認はあくまでも容認である。停止が必要な何らかの事故・故障が起きるまで、起きなかった場合、次の検査まで続く稼働までを含めて容認したのである。
但し大飯原発再稼働を一旦は容認したものの、維新の会としての脱原発の看板は降ろさなかった。
《橋下市長「2030年原発ゼロ」を支持、次期衆院選で争点化》(MSN産経/2012.8.9 23:27)
2012年8月9日、大阪府市エネルギー戦略会議開催。政府担当者を招いて、政府検討の2030(平成42)年電源構成に占める原発比率について説明を受けた。
3選択肢。
「0%」――(懸念される電気料金上昇)一般家庭負担1カ月当たり1・6~2・3万円
「15%」――(懸念される電気料金上昇)一般家庭負担1カ月当たり1・3~1・8万円
「20~25%」(記事掲載なし)
橋下大阪市長「原発ゼロの実現に可能性を感じる。
(負担電気料金について)そんなに変わらない。国民は許容してくれると思う」
その上で次期衆院選で争点化すべきだとの意向を示したという。
さらに、〈原発ゼロへ移行する工程を詰めた上で、自ら率いる大阪維新の会で策定中の維新八策に盛り込む考えも示唆した。〉――
「2030年原発ゼロ」の目標に対する本気度を窺うことができる。
2012年11月17日、日本維新の会と太陽の党の合流合意文書。
原発
(1)ルールの構築
(ア)安全基準
(イ)安全確認体制(規制委員・規制庁、事業主)
(ウ)使用済み核燃料
(エ)責任の所在――
脱原発の文言の記載も、脱原発目標年代の文字の記載もない。石原慎太郎の看板を必要とする政治的配慮を優先させて、石原慎太郎の原発稼働徹底推進姿勢に妥協したのである。
いわば原発維持に姿勢転換の変心を演じた。変心とは心変わりである。
2012年11月27日、嘉田由紀子表現県知事が新党「日本の未来の党」の結成表明。「卒原発」を前面に打つ出して総選挙を戦う姿勢を示した。
日本維新の会の第三極に「日本未来の党」が新たな第三極として割って入ってきたのである。
2012年11月29日、日本維新の会衆院選公約を発表。
《維新八策(各論)VER1.01》に於ける原発に関わる約束。
〈先進国をリードする脱原発依存体制の構築〉の文言のみである。
諸外国に脱原発の範を垂れるということなのだろう。立派な姿勢である。
公約と同時に「政策実例」を発表したとマスコミが伝えているが、維新のHPを探しても見つからなかった。多分、次の文言は「政策実例」に記載されているのだろう。
「原発政策のメカニズム、ルールの変更。既設の原子炉による原子力発電は2030年代までにフェードアウト」(MSN産経)
「フェードアウト」とは映画やテレビの場面が次第に暗くなっていき、最後には消えてしまうことを言うから、2030年代に向けて徐々に削減していき、最後はゼロにするという意味となるはずだ。
太陽の党との合流合意文書に石原慎太郎の原発稼働徹底推進姿勢に妥協して一旦は「脱原発」政策を放棄する変心を見せたものの、衆院選公約で、「脱原発」を再び持ち出した。
しかも「卒原発」を前面に打ち出した「日本未来の党」の結成表明2日後である。
太陽の党との合意文書で「脱原発」政策を放棄、原発政策が後退したとマスコミやその他の方面から批判も受けている状況下で、日本維新の会の第三極に新たな第三極として割って入ってきた「日本未来の党」の「卒原発」に対立軸となる脱原発相当の政策がない場合、多くの国民が脱原発を望んでいる手前、果たして国民の投票行動に有利に働くか、不利に働くか、答は自ずと出てくる。
要するに一旦は放棄した脱原発を再び掲げたということは、選挙を有利に運ぶ選挙戦術から、止むを得ず国民と契約することになった公約と見做さなければ、これまでのブレにブレまくっった経緯と整合性がつかないことになる。
もしそうでなければ、ブレることなく脱原発を終始一貫、貫いたはずだ。
当然、太陽の党との合流はなかった。
しかし、一貫性を捨て、逆を行った。
一貫性のない橋下徹が選挙公約に何をどう立派な政策を書こうと、〈先進国をリードする脱原発依存体制の構築〉と言おうと、その一貫性のなさゆえに信用を失うことになる。
昨日の11月27日、嘉田由紀子滋賀県知事は自らが代表を務める新党「日本未来の党」結成宣言を行った。
《滋賀県・嘉田知事 新党結成を表明》(NHK NEWS WEB/2012年11月27日 18時42分)
嘉田知事「『今のままでは選ぶ政党がない。本当の第三極を作ってほしい』という声に応え、新しい党を作ります。未来を開く新しい政治を始め、希望を見いだしたい。
自分が立候補したいという方がいて、準備があれば拒否するものではない。
(他党との連携)この指止まれ方式で、すべての皆さんに呼びかけたい。
(国民の生活が第一の小沢代表との連携)小沢氏らがそういう気持ちをお持ちならば、方向性としてはありえると思う」
自身は知事を辞職せず、衆議院選挙には立候補しない考えだという。
〈新党では、段階的に原発からの脱却を目指す「卒原発」や、女性や子どもがいきいきと活躍できる社会づくり、それに消費増税の前に徹底してむだをなくす「脱増税」など、6つの政策を柱として掲げる方針〉――
早速、橋下徹日本維新の会代表代行が批判の矢を放った。《維新橋下代行が新党批判 「脱原発絶対できない」》(TOKYO Web/2012年11月27日 21時48分)
新党「日本未来の党」結党日と同じ11月27日の発言。
橋下代行「脱原発グループが新しくできるが、彼らがどれだけ高い目標を掲げようと絶対に実行できない。実行した経験がないからだ。
(嘉田知事は)知事としての経験はあるが、国会議員や政治グループを束ねた経験はない」
松井日本維新の会幹事長・大阪府知事「脱原発と言うのは簡単だが、実行するための設計図をつくらないといけない」
両者とも頭の程度が知れる発言となっている。
橋下徹は脱原発は「実行した経験がないから」できないと言っている。
では、橋下徹は脱原発を「実行した経験」があるのだろうか。
「実行した経験がない」は誰もが同じ土俵に立っているはずだが、自身にもある未経験を無視して嘉田知事の未経験を以てして「卒原発」は不可能だと言う。自身の認識の矛盾にはさらさら気づいていない。
経験がないからと言って、できないというなら、何事もできないことになる。自身の他の経験も参考・応用し、他者の力も借りたあるべき姿に対する的を射た創造力と挑戦する姿勢に事欠かなかったなら、試行錯誤は繰返すだろうが、決して達成できないと決めつけることはできないはずだ。
松井維新の会幹事長の「実行するための設計図をつくらないといけない」は当たり前のことである。工程表なくして何もできない。
問題は工程表の的確な実現性である。
そもそもからして橋下徹の「脱原発グループが新しくできるが、彼らがどれだけ高い目標を掲げようと絶対に実行できない」は、「実行した経験がない」の理由如何に関わらず、奇妙キテレツな矛盾そのものの認識となっている。
《【衆院選】「維新は選択肢でない」嘉田新党・飯田氏 橋下・松井氏に強烈“対決宣言”》(MSN産経/2012.11.27 21:57)が、「日本未来の党」の代表代行に飯田哲也(てつなり)民間シンクタンク・環境エネルギー政策研究所所長(53歳)が就くと書いている。
記事はまた、飯田氏が大阪府市特別顧問として松井一郎知事と橋下徹市長のエネルギー戦略を下支えしてきたと伝えている。
記事。〈飯田氏は今年1月に大阪市、2月に大阪府の特別顧問に就任。府市エネルギー戦略会議の委員として、脱原発の方向性や原発再稼働への反対姿勢など、府市政で打ち出された方針に深くかかわってきた。〉
但し飯田氏の次の発言が維新の会には関わっていなかったことを示している。
飯田哲也氏「嘉田さんを支えて、裏付けのある形の政策を一緒に作っていきたい。
維新の政策ブレーンとして協力したことは、これまでも、これからもない。山口県知事選でも、維新の推薦も応援も受けなかった」
飯田氏は今年の7月に故郷の山口県知事選に無所属で出馬。維新の会は何ら応援しなかったと記事は書いている。
だが、維新の会に関わってこなかったとしても、大阪府市特別顧問・府市エネルギー戦略会議委員として、〈脱原発の方向性や原発再稼働への反対姿勢など〉、府市政が打ち出した方針に深く関わってきたのである。
ということは、嘉田新党「日本未来の党」に飯田氏が卒原発政策問題で関わっていく経緯を前にして、「彼らがどれだけ高い目標を掲げようと絶対に実行できない」は自分たちが飯田氏を府市エネルギー戦略会議委員として採用基準としたはずの能力を否定することになる。
あるいは脱原発に関わる飯田氏の府市に於けるブレーンとしての存在をこの期に及んで否定したことになる。
このような否定は橋下徹や松井の他者能力を見抜く目の否定ともなる。
橋本徹に独断独行が多いのは他者能力を見抜く目がなく、人が信用できないからなのかもしれない。
他者能力を見抜く目のない人間が、例え行政トップ経験者だと自らをいくら誇ろうとも、政党の代表や代表代行として信頼を与えることができるだろうか。
いや、既に信頼を失っているはずだ。橋下徹は当初は「2030年代原発ゼロ」を掲げていながら、太陽の党との合流時の合意に「脱原発」の文言を盛り込まなかった。
このことは各方面から「脱原発」からの後退だと批判された。
太陽との合流のために自身の政策を売ったのである。魂を売ったのと同じであろう。
石原慎太郎の次の発言は、橋下徹の「脱原発」からの後退に添った発言であるはずだ。
《原発ゼロ 目指さない 維新・石原代表が方針》(TOKYO Web/2012年11月27日 朝刊)
11月26日の東京新聞等のインタビュー。
石原慎太郎「どういう産業をどうやって盛り上げていくか考えなければ、(原発を)何パーセント残す、残さないという議論にならない。綿密な経済のシミュレーションをやった上で、(火力や水力との)エネルギーの配分を決めていくのが妥当だ」
原発ゼロではなく、火力や水力、自然エネルギーとの併合でやっていくと言っている。
石原慎太郎(橋下徹代表代行が「原発ゼロに向けてやる」と主張していることについて)「個人的な発言だと理解している」
記事は、原発ゼロは〈党方針ではないとの考えを示した。〉と書いているが、要は合意にはないことだと言ったのである。
ということは、街頭演説や記者会見で最近、「原発ゼロに向けてやる」と言っていることは、党の方針でない以上、当初の自身の脱原発の姿勢と整合性を持たせるためと、脱原発が選挙の争点として前面に出てくるに連れ、そのような情勢との整合性を持たせるために、太陽の党との合意にはない「原発ゼロ」を口にして誤魔化しているに過ぎないと解釈しなければならなくなる。
様々な発言の矛盾は人間の信用性に深く関わっていく。いや発言の矛盾と人間の信用性は相互照射し合う。
誤魔化されてはいけない。
どうも痩せ馬の先っ走りにしか見えないのだが、安倍晋三は解散後、前年比2~3%の消費者物価上昇率を目指すデフレ脱却のインフレ目標、建設国債日銀引き受け、マイナス金利設定の金融緩和策等々、次々と矢継ぎ早に金融政策を打ち出し、それに市場が応えたのか、株価が上がり、円高が円安へと振れた。
そのような自身の金融政策に対して11月25日(2012年)、津市で講演、自ら最大限の評価を下した。未だ最終結果を見ない内に自分で自分の政策を評価したのである。
《安倍総裁“金融緩和公約は勝負あった”》(NHK NEWS WEB/2012年11月25日 18時8分)
記事は野田首相の安倍金融政策を批判する声も伝えている。対立政党の党首として批判は当然と言えば当然かもしれない。
野田首相「経済政策として通用しない」
安倍晋三「野田総理大臣は『安倍さんが言っている政策は危険だ。インフレになっていいのか』と驚くべき発言をした。デフレのままでいいような発言で、こんな人が経済運営をしていたかと世界が驚くと思う。
政権公約を発表してからどんどん円は下がり、株価は上がった。『勝負あった』だ」
スタートのゲートに入った途端に鼻息も荒く興奮する痩せ馬そっくりに鼻息が荒い。また、痩せ馬がそうであるように順序立ても考えずに突っ走っているようにも見える。
政権を取ると決まる前から、「勝負あった」と宣言している。
何事も持続性が問題となる。民主党政権が世論調査の示唆通りに3年間限りの持続性しか持たなかったなら、政権交代の意義を相当に損なうことになる。
持続性こそが、政治は結果責任を証明することになる。
自公政権は2004年6月に年金改正法を成立させ、「100年安心」と謳った。100年間の持続性を国民に約束したのである。
100年どころか、3年後の2007年5月に消えた年金問題が浮上、そして物価上昇も賃金上昇も2004年当時計算したとおりにはいかず、特に賃金は下がり続け、物価はデフレ状態で、現在では消費税増税で年々増加する社会保障給付費の手当としようとしているが、それでも給付額を下げるか、給付開始年齢を上げるかが議論されている。
消えた年金どころか、持続性もなくどこかに消えた「100年安心」である。
株価が上がり、円が下がって、それが企業活動を活発化させて利益獲得につながり、企業の利益が社員に再分配されて消費活動を促進、個人消費が上増えて国の税収も増え、日本の経済全体のパイが大きくなる実体経済への確かな反映があって、その状態が何年か続く持続性を確保できたとき、初めて「勝負あった」と言えるはずだ。
それは先っ走りでスタミナを使い切ってしまって、途中から失速してしまう痩せ馬では保証できない「勝負」であろう。
ただでさえ2014年から消費税が上がる。増税に備えて、既に節約への臨戦態勢に入っている国民も多くいるはずだ。当然、個人消費が冷え込むかもしれない状況下で、目に見える景気回復によって獲得可能となる企業の利益が社員の給与となって彼らの懐に確実に再分配されるまで、節約の臨戦態勢から消費への臨戦態勢にそうやすやすと移ることはあるまい。
この状態が続いたなら、安倍晋三の金融政策の効果――円安も株価高騰も削いで、元の木阿弥とならない保証はない。
言うべきは「勝負あった」の言葉ではなく、「私は私の金融政策を間違っているとは思わない。この金融政策を貫いて、必ずや日本の経済を復活させる」の言葉によって示し得る信念であったはずだ。
ところが、次の記事はその信念さえも腰砕け状態となったことを伝えている。《安倍氏、大胆な緩和発言を修正 現実路線に転換も》(47NEWS/2012/11/26 19:06 【共同通信】)
記事は、日銀に対する建設国債の引き受け要求の事実上の撤回、デフレ脱却に向けて前年比2~3%の消費者物価上昇率を目指すとしていたインフレ目標を政権公約で2%に修正したと書いている。
理由。〈市場では、政権奪取後に政策を実現できない場合のマイナスの影響を考え、安倍氏が現実路線に転換したとの見方も出ている。〉――
何と信念のない。「勝負あった」の「勝負」は持続性もクソもなく、どこへ消えてしまったのだろう。
この記事を見る限り、安倍晋三はスタミナを考えずに飛び出し、レースのほんの前半に限って自身の体力を考えずに先頭を先っ走りする痩せ馬の証明にしか映らない。
後は失速してびりっケツである。
このような痩せ馬の単細胞に日本の首相を任せて大丈夫なのだろうか。
「日本維新の会」代表は太陽の党が合流して石原慎太郎が就任、代表だった橋下徹が代表代行に就いたのを度忘れして、橋下氏をそのまま代表と表現してブログに書いていたようだ。
但し「維新の会」の顔は橋下徹がどれ程に石原慎太郎を持ち上げようと、実質的には依然として橋下徹が務めている。
いくら代表代行であっても、「維新の会」の顔になって、「維新の会」を動かしているのは橋下徹だということである。彼の発するメセージが「維新の会」の考えを代表していることからでも証明できる事実であろう。
言って見れば、隠れ代表として代表代行を務めている。
その隠れ代表である代表代行橋下徹の「じゃんけん」発言が当事者間で揉め事のタネとなっている。
《みんなに合流打診=29日の都知事選告示まで-維新・橋下氏【12衆院選】》(時事ドットコム/2012/11/23-15:08)
11月23日(2012年)、テレビ朝日番組に出演して、出演前に渡辺喜美みんなの党代表に電話を入れて、次のように要請したことを明かした。
橋下徹代表代行「国のことを思うのであれば、自分たちのポジションとか自分たちの努力がどうのこうのということに関係なく、一緒にやりましょう」
東京都知事選が告示される11月29日までに決断するよう求めたという。その上で自分の考えとして主張した。
橋下徹代表代行「選挙区調整は最後はじゃんけんで決めてもいい。僕も代表代行のポジションにこだわっていない。みんなの党と一つに纏まっていかないと駄目だ。国のために」
橋下徹はみんなの江田憲司幹事長にも電話で同様に呼び掛けたというと、記事は結んでいる。
じゃんけん選択を提案された渡辺喜美みんなの党代表の反応。
《橋下氏のじゃんけん発言に激怒 渡辺氏「バカなこと許されない」》(MSN産経/2012.11.24 17:39)
11月24日の都内での街頭演説。
渡辺喜美「そんなばかなことが許されるのか。じゃんけんで決められる程、いいかげんな候補者を選んでいない。
(前日の23日に橋下氏に対して候補者同士による討論会を通じた一本化を提案したと明らかにした上で)橋下氏は『合流が前提でなければできない』と返答してきた。何のために戦う集団を立ち上げたのか」
要するに「候補者同士による討論会を通じての一本化」であろうと、じゃんけん選択であろうと、橋下徹は合流を前提としている。合流した上で、当日時点で両党の競合選挙区は18選挙区だそうだが、どちらの候補者を立てるのか決める考えでいるということである。
日本維新と太陽の党の合流について。
渡辺喜美「(両党の)政策合意書に『改革』という言葉が出てこない。戦う覚悟が書かれていない」――
「じゃんけんで決められる程、いいかげんな候補者を選んでいない」の意味には、インスタントないい加減の決められ方をされたのではたまったものではないという非難を含んでいるはずだ。
この非難に安住民主党幹事長代行が便乗した。《安住氏“野合に野合重ねる姿勢だ”》(NHK NEWS WEB/2012年11月24日 20時15分)
安住、「選挙が近づいたから、俄(にわか)に一緒になり、政策はどうでもいいから、とにかく候補者を統一するために最後はじゃんけんで決めると言っている。
そこまで有権者を愚弄していては、選挙どころか政党不信を増長させてしまうのではないか。野合に野合を重ねる姿勢は、いずれ厳しい審判が下る」――
民主党にも「厳しい審判」が待ち構えつつあるはずである。
橋下徹は「日本維新の会」の隠れ代表である、反発しないでは収まるまい。
次の記事が橋下徹代表代行の反発発言を詳しく伝えている。《「最後はえいやあ、で決めるしかない」 橋下徹氏》(asahi.com/2012年11月24日21時27分)
橋下徹「それくらいの言葉のニュアンス、表現の仕方を受け止められない政治家は政治なんてできない。政治家は言葉で物事を動かしていく。ジャンケンで決めましょうよ、というのは、要は最後は理屈で決めなくても一つにまとまりましょうよ、という強烈なメッセージだ。
批判することがないから、そういうことを取り上げて批判するのではないか。多くの国民のみなさんは分かっている。どうしようもない状況になった場合に理屈じゃなくて最後どっちをとるか。そういう政治判断、政治決断をジャンケンと表現した。最後五分五分になってどっちをとったらいいかとなったら、最後はえいやあ、で決めるしかない。そういうことを経験したことのない政治家がたぶん今回のジャンケン発言を批判していると思う。
分かる人は分かります。企業のトップをやっている人、責任ある判断をやり続ける人は僕の趣旨は十分理解してくれると思う。日本の政治家は、責任ある、ギリギリの判断をやったことのない人たちばっかりだというのがよく分かりました」――
「どうしようもない状況になった場合に理屈じゃなくて最後どっちをとるか。そういう政治判断、政治決断をジャンケンと表現した」と言い、「最後五分五分になってどっちをとったらいいかとなったら、最後はえいやあ、で決めるしかない」と言っている。
要するに五分五分でどちらにするか決めかねる状況では「最後はえいやあ、で決めるしかない」「政治判断、政治決断をジャンケンと表現した」のであり、このような「理屈」を超えた選択がどちらかに決めかねる状況下では一つに纏まる有力な方法であって、そのための「強烈なメッセージ」として、「じゃんけん」と表現したという発言趣旨になる。
だが、「ジャンケンと表現した」「政治判断、政治決断」が、立派な言葉を使っているが、その立派な言葉に反して、「最後はえいやあ、で決める」方法だと言うのだから、「えいやあ」が「じゃんけん」とイコールであってもいいわけであって、「ジャンケンで決めましょうよ」が「強烈なメッセージ」でも何でもなく、「えいやあ」と言葉を変えてはいるが、「じゃんけん」という選択方法を直接提示したことに変りはない。
要するに渡辺喜美代表の反論に対する橋下徹の反論にしても、最初に持ち出した「選挙区調整は最後はじゃんけんで決めてもいい」の提案と何ら変わらない言葉となっている。
最初に「じゃんけん」発言を扱った記事に触れたとき、言葉の綾に過ぎないと思った。実際にじゃんけんで決めるはずはないからだ。
しかし言葉の用い方としては不適切そのものとなる。二人の候補者をいずれかの一本に絞らなければならないとき、その選挙区に於ける各候補者の支持率、情報伝達力(=説得力)、積極的行動性(=実行能力=行動エネルギー)、指導力、政策構築能力等々を考慮しない選択はあり得ないからだ。
「じゃんけん」選択は候補者の以上の能力・資質に対する考慮を無視する決め方となる。当然、渡辺代表の「じゃんけんで決められる程、いいかげんな候補者を選んでいない」というごくごく真っ当な反発を生むことになる。
このように考えていくと、有権者に対する愚弄だという安住の批判も納得がいくことになる。
あるいは次のことも有権者に対する愚弄となるが、それぞれの能力・資質を無視して、党全体の利害打算から、一方に因果を含めて引導を渡すということもあり得る。
にも関わらず、「じゃんけん」を持ち出す、あるいは「えいやあ」を持ち出すのは認識が軽くできていなければできないはずだ。
橋下徹の提案は合流を前提としていると既に書いたが、橋下徹はそもそもからして対等合流ではなく、「日本維新の会」への吸収を形式とした合流を目的としている。
このことは既にブログに書いた次の発言が何よりも証明している。
11月19日(2012年)の大阪府高槻市内での、維新と太陽の党合流後初の街頭演説。
橋下代表「東京都知事、大阪府知事(経験者の)2人がタッグを組んだ政党は日本の政治史上初めて。行政経験のある石原慎太郎と橋下徹が中心の日本維新の会に一度力を貸していただきたい。
市長も知事も経験のない議員が日本国家を運営できるわけない」――
11月18日のフジテレビ「新報道2001」
橋下代表「行政組織を動かす、どこに問題があるかを判断して、そのような指示を出すのか、これはね、自治体の長を務めた者しか分かりません。
こういう自治体の長が国政を動かしていく、ってことが世界各国の潮流なんですよ。もう、このような方式をやらざるを得ませんね」――
日本国家運営者は行政トップ経験者でなければならないとしているのである。自身を支配的位置に置いた合流というわけである。石原慎太郎が代表であっても、あくまでも飾りであって、実質的な顔は橋下徹であると既に触れた。
例え石原慎太郎が首相になることがあっても、橋下徹が国を動かすことになるだろう。もし石原慎太郎が橋下徹のロボットになることを忌避、反発したら、二人の関係は決裂することになるに違いない。
自身を支配的位置に置き、何でも取り仕切る意識でいて、その取り仕切りが「日本維新の会」の内部には通用していて、維新の候補者には鶴の一言で効くだろうが(独裁的だと言われる所以である)、外部の組織であるみんなの党に手続きもなく通用するはずはなく、外部の組織なりに主体性を保持していることも考えることができずに手続きなしに取り仕切ろうとしたから、「選挙区調整は最後はじゃんけんで決めてもいい」などと、みんなの党の候補者の存在性を無視した軽い認識で提案することができたのだろう。
いずれにしても渡辺代表の反論に対する橋下徹の反論はマヤカシそのものの論理で成り立たせているに過ぎない。
日本維新の会は当初、全小選挙区候補擁立という選挙戦略を立てていた。
このことは日本維新の会が独立独歩を看板としたことを意味する。他党に頼らない、日本維新の会のみの力による全区候補擁立と選挙勝利を予定した、自尊心高い独立独歩戦術の宣言だった。
【独立独歩】「独立して他から支配も影響も受けずに自分の思うとおりにやること」(『大辞林』三省堂)
だが、世論調査で意外と支持率が伸びなかったことと、公募応募者の中から候補者が集まらなかったために擁立が困難となって、小選挙区全区候補擁立という選挙戦術の転換を余儀なくされることとなった。
余儀ない転換は仕方がない。だが、一度独立独歩の看板を掲げた以上、擁立可能な選挙区のみの戦いに限定するのが看板に偽りなしの独立独歩の姿勢であるはずだが、「小異を捨てて大同につく」の口実の元、政策の異なる上に、「維新」とは「これ新なり」という意味に反して古い政治家たちの集団である「太陽の党」と合流、独立独歩がかなり怪しくなってきた。
あるいは独立独歩のガタがきたと印象を与えた
だが、日本維新の会が西村真悟氏を擁立するに至って、独立独歩ががここまで落ちたのかという印象を拭うことはできなかった。
《【衆院選】西村真悟氏の擁立明言 日本維新幹事長》(MSN産経/2012.11.23 17:57)
11月23日、日本維新の会幹事長の松井一郎大阪府知事が堺市で西村真悟元衆院議員(64)と共に街頭演説。
松井幹事長「長年活動してきた大阪17区を(西村氏から)譲っていただいた。比例近畿ブロックから、しっかりと国政に戻っていただく」
記事写真を無断転載しておくが、写真を見てのとおり、〈演説には日本維新代表代行の橋下徹大阪市長も参加した。〉と記事には書いてある。
「Wikipedia」を参考にすると、西村眞悟は民主党が政権交代を果たした2009年総選挙で改革クラブ公認で出馬、小選挙区、比例区共に落選。後、たちあがれ日本に参加。そのまま石原慎太郎の太陽の党にスライド。太陽の党が日本維新の会と合流したことにより、こういう結果となったのだろう。
番組は尖閣諸島に日本人の政治家として初めて上陸したと紹介していて、この紹介のみでも西村眞悟が如何なる政治家か大方の知るところとなると思うが、11月11日(2012年)「たかじんのそこまで言って委員会」に出演していて、「目覚めよ日本 怒れるオッサン大賞」と題したコナーで中国に対して怒りをぶつけていたが、このコーナを取り上げるだけで、如何なる思想家であるかが分かるはずである。
怒りのポイント
1日本に感謝せず、非難し、金をせびる
2中共は自国民を共産化の中で8000万人殺した
3人の物を自分の物と思うイナゴの群れ
1番の解説として、日本は2009年までに中国に援助したODAの総額は3兆6412億円でありながら、尖閣国有化の反日デモで暴動化した中国人の殆どはその事実を知らされていないとされているとしている。
西村眞悟「もっとあるんですが、この三っつだけ、思いついた順から書いただけです。これは怒りと言うよりも、冷静に我が国益の観点から、動物生態学者の目を持って、中国共産党というものを――」
辛坊アナウンサー「動物生態学者だったんですね」
西村眞悟「いえいえ、違います。あのね、相手を人間と思うから、本質が分からない(笑い)。
あの、賛否両論に分かれることを本当に目指してですね、これからはっきりと申し上げたい。
中国はあの文明という観点から見ても、日本と共に天を戴かない。そして国家としても、敵・味方(の)、識別としても、明確に中国共産党独裁国家は打倒すべき敵であると、いうふうな前提で、これから、この(三っつの)項目について話をさせていただきたいと思います」
1番の「1日本に感謝せず、非難し、金をせびる」
西村眞悟「我々の税金がですね、日中友好の美名のもとに巨額のカネが流れて、そして彼(中国)はそのカネを以って核大国、核ミサイル大国となって、そのミサイルの狙う先は我が日本である、という物凄いグロテスクな状況が彼の国の謀略によって実現しとるわけですな。
これについて怒りと言うよりもですね、我が国の政治を立て直すという、この、国家キンコク(?「緊急」の言い違えか)のですね、えー、決断をしなければならない。
我が国のカネで核ミサイルを開発して、我が国の主要都市に狙いを定めている。中国共産党国家は我が国の敵なんです。
辛坊「2、『中共は自国民を共産化の中で8000万人殺した』」
西村眞悟「これ、何人殺したか分からんです。しかし大体、文化大革命だけで2千万人が死んだと言っているわけなんですね。その前の大躍進、そして共産革命の中でも、あの内戦の中で8千万、毛沢東が殺したということを、世界の、主にアメリカの学者が言っているもので、8千万人という数字を出しました。
で、その数字が如何なる意味かと。中国共産党は自国民にウソをつき続けなければ存立を続けることはできない体制なんです。このウソをつくことの内容に、8千万人は日本が殺したんだと。
だから、中国人民に対する最大の敵は日本軍国主義であるから、日本軍国主義を打ち負かした中国共産党こそ、人民の恨みを日本に集中させることによって、自国の政治を維持している。
こういう者と、日中友好で歩み寄れると錯覚した日本の政治自体、が戦後体制の中で狂っていると」
辛坊「3、『人の物を自分の物と思うイナゴの群れ』」
西村眞悟「まさに、イナゴの群れであって、人の物を、自分の物と。
辛坊さん、これ(辛坊の左手を取って、腕時計を上に向ける)俺のもんや」
辛坊「いやいや、これ私のものです」
西村眞悟「自分の領土をですね、棚に上げて喜ぶバカがどこにあるんですか。尖閣という小さな無人島を獲りに来ているのではないと。沖縄本島を呑み込んで、全日本を屈服させるための軍備を着々と進めている。
で、これから以降、民主党脆弱内閣が存在を続けるならば、ある一点の時点で、軍事的行動に出るだろうと、こう思っております」
いよいよ採点。
「共感できる」――宮崎哲弥、津川雅彦、桂ざこば、勝谷誠彦、金美齢、加藤清隆
「共感できない」――筆坂秀世、山田玲奈
筆坂秀世元共産党員「大体は共感できるが。西村さんの言っていることが分からないではない。中国の脅威を大きく描写し過ぎてはいないか。中国を巨大に描き過ぎている」
西村眞悟「まだまだ抑制して言ってるんです。ベマ・ギャルボさんの書いた物を読むと、私が言っていることはまだまだ抑制されたものだとお分かり頂けると思います」
勝谷誠彦「ベマ・ギャルボさんの本によると、最後の目的は天皇の処刑だそうですね」
別画面の挿入でその書物を紹介。ベマ・ギャルボ著『最終目標は天皇の処刑』
西村眞悟「そうです。従って、今まさに中国人民全ては日本を敵勢力として打倒しに来ると、正常な国家運営の感覚を持っていたら、そう断定してですね、胡錦涛に150人の議員を連れていかない」
宮崎哲弥「日本人として、日本として、中国にどのように対抗すべきなのでしょうか」
西村眞悟「賛否両論分かれることを言いますよ。武力で対抗する。それ以外にない。それを躊躇したら、殺られる。
それからもう一つ。軍服を着てこないから、平服を着て、尖閣に上陸してくるし、平服を着て、大阪市内で行動を起こし始める。
北京オリンピックの聖火リレーが行われた長野市の状態を、あれは彼ら実験したんです。4千名で長野市全域を制圧をできた。沖縄ですね」
「4千名で長野市全域を制圧」とは長野の善光寺が2008年北京オリンピック聖火リレーの出発式会場とされるが、チベット騒乱に対する中国弾圧に抗議して長野市に対して不使用を求めると、学生を主体とした中国人が大挙して抗議デモに駆けつけ、市を埋め尽くしたことを指している。
辛坊「山田玲奈さん、共感できないのは?」
山田玲奈「大学で中国語を勉強していますが、まだ中国人が分からないんです」
西村眞悟「よく聞いて頂いた。中国人には二種類あります。悪い中国人と、非常に悪い中国人」
笑いが起こる。
さらに続くが、これで十分だから、以下略。
中国が共産化の中で何人殺したかは中国の問題であって、ここでは日中関係のみを取り上げる。
西村は「中国はあの文明という観点から見ても、日本と共に天を戴かない。そして国家としても、敵・味方(の)、識別としても、明確に中国共産党独裁国家は打倒すべき敵である」と断定している。
確かに中国が共産党一党独裁体制を打破して、共通の価値観を抱くことができる民主主義に生まれ変わることは望ましいが、しかし経済的には既に共産党一党独裁体制の中国と共に天を戴く関係になっているのであって、その関係を絶った場合、日本は経済的に相当な打撃を受けることになる。
尖閣国有化による中国国内の反日デモでも中国の日本企業は相当な打撃を受けているのである。
例えば今年10月に中国で販売された新車台数は去年の同じ月に比べて5.3%増加し、2か月ぶりに前年を上回ったが、日本の乗用車に限った場合、日中関係の冷え込みによって約60%も減少ししたと「NHK NEWS WEB」が伝えている。
当然、日本からの部品輸出も滞っているはずで、このことは他の産業にも影響しているはずだ。
だが、中国にしても日本と経済的に共に天を戴くことをやめた場合、経済的損失は無視できないはずだ。
尤も一次的には経済的損失を被ったとしても、軍事的に「全日本を屈服させる」ことで日本が持つ経済的全資源まで簒奪・吸収して、中国の経済的資源に加えた場合、結果的には中国のプラスになるだろう。
但しこの考えには日本が米国と軍事同盟を結んでいるという視点を欠いている。
また中国が軍事的に「全日本を屈服させる」ことは日本を植民地とすることを意味する。
戦前の植民地時代ではない。果たして世界の世論が黙っているだろうか。
こういったことばかりではない。西村が中国人を「イナゴの群れであって」、人間と思わない扱いをし、「中国共産党国家は我が国の敵」で、「中国人には二種類あります。悪い中国人と、非常に悪い中国人」だと差別的な言説で排除して、何が解決するというのだろうか。
要するに言っていることの全てに合理的判断能力を欠いている。
西村がどのような主張を展開しようが、思想・信条の自由によって守られている。だが、このような政治家を日本維新の会が所属議員として抱えた場合、彼の主張が中国関係に影響を与えないと保証できるだろうか。
例え好ましくな共産党一党独裁体制であっても、最早断ち切ることのできない中国との経済関係に何らかの障害となって現れない保証があるのだろか。
全小選挙区候補擁立という自尊心も露わな独立独歩から肌合いの異なる政党と合流する、自尊心を捨てた、言ってみれば数合わせに後退、さらに西村みたいな、一面的に勇ましいことを言っているだけの合理的判断能力を欠いた政治家まで日本維新の会の候補者に擁立する後退は、同じことを言うことになるが、最早独立独歩の見る影もない無残な姿、独立独歩はここまで落ちたのかの感しか湧いてこない。
独立独歩の自尊心を捨てているから、それを悟られまいと、言葉だけ勇ましくなる。
野田首相の自民党世襲体制批判が「“舌”好調」だと、次の記事が伝えている。《野田首相:“舌”好調「2世、3世、ルパンじゃない」》(毎日jp/2012年11月22日 22時34分)
11月22日(2012年)の全国幹事長会議で挨拶。
先ず挨拶冒頭。安倍自民総裁との党首討論で11月16日の衆院解散を宣言したことを振返って。
野田首相「『近いうちっていつだ』と言うから答えたら、相手(安倍氏)もびっくりした。一番驚いたのは(民主党の)同志のみなさんだ。私の女房も、解散については寝言でも言わないと言っていたので大変驚いていた」
記事は安倍晋三をびっくりさせたことを、〈電撃作戦を自賛。〉と書いている。だが、この驚かせ作戦が予想不利な中で総選挙を有利に逆転させる起爆剤となる可能性を孕んでいたならまだしも、世論調査を見る限り、その可能性はほぼゼロに等しく、そのための政策とは関係のない世襲批判を激しく繰返すことになっているはずだ。
何よりも選挙結果でびっくりさせなければ意味はないのは分かっているはずだ。結果でびっくりさせて初めて自賛の価値に値する。
このこともわかっていなければならない。
唐突な解散宣言に「一番驚いたのは(民主党の)同志のみなさん」だということは、現在のところ民主党大敗の方向でびっくりする確率が高いことの証明としかならない。
解散宣言がいくら唐突であっても、勝利の方向に世論の風が吹いていたなら、驚く間もなく勝利に向けて欣喜雀躍、勇躍して選挙戦に突入していくはずだからだ。
唐突さが過ぎて選挙の準備ができていないなどといった不備は世論が相殺してくれるだろうから、何ら障害とはならない。
いわば予想不利の中で結果に結びつく保証のない“びっくり”は意味がないにも関わらず、「相手(安倍氏)もびっくりした」と今更ながらに取り上げるのは判断が甘いからに他ならない。
自民党幹部に世襲議員が多いことに対して衆院選で世襲議員を公認しない民主党方針を強調しつつ、次のように発言したという。
野田首相「特定の後援会がずっと続き、特定の家柄が政治を続ける。これ家業じゃありませんか。2世、3世、ルパンじゃない」
会場は笑いが起こったという。
民主党の世襲批判には有能性という資質を問うキーワードを常に欠いている。例え有能な世襲であっても、その有能性を問題としないということであって、問題とするのは世襲議員を排除して世襲以外の議員の有能性のみとなり、一種の差別の論理を容喙させていることになる。
また、このような世襲議員の有能性如何を問わずに非世襲議員の有能性に限定する差別の姿勢は橋下徹の「行政トップ経験者でなければ国家運営できない」とする行政トップ経験者の国家運営万能者説が行政トップ無経験者を国家運営非適格者だとすることになる差別の姿勢と同じレベルで対応している。
自己絶対化による自己と異なる他者差別であり、他者排除である。
物事を見る合理的判断能力を欠いたまま自己を絶対化しているから、発言に自己矛盾を来すことになる。
《首相 決断したら実現する党に》(NHK NEWS WEB/2012年11月22日 19時36分)
同じく11月22日の全国幹事長会議。
野田首相「政権交代を通じてやり遂げようとしている改革を前に進めるのか、政権交代以前の既得権益に軸足をおいた古い政治に戻ってしまうのか。それとも理念や方向性の十分な議論もしないで、合従連衡の新しい政治勢力に、この国のかじ取りを委ねるのかの戦いだ。
(民主党執行部が党方針に従うことを公認の条件にしていることについて)自分たちで決めたことは、決めたとおりに守り抜く、戦う集団を作りたい。『決断する政治』が求められている。決断したら、みんなで一緒に実現していく党になれば、間違いなく国民の信頼を得ることができる」――
「自分たちで決めたことは、決めたとおりに守り抜く」は絶対ルールであろう。
2009年民主党マニフェストは「自分たちで決めたこと」であるはずだ。例えマニフェスト作成に直接関わらなくても、事後承認し、そのマニフェストの旗のもとに2009年総選挙を戦い、政権を得た。
だが、野田首相は「自分たちで決めたこと」を「決めたとおりに守り抜」いたのだろうか。絶対ルールを守ったのだろうか。
民主党は「自分たちで決めたこと」を「決めたとおりに守り抜」こうとする集団と「自分たちで決めたこと」を「決めたとおりに守り抜」かなかった集団とで内部分裂し、「戦う集団」とは程遠い指揮命令系統の大混乱を招き、決断に手間取る党内状況に至った。
なぜ2009年マニフェストで「自分たちで決めたこと」を絶対ルールとしなかったのだろうか。絶対ルールとしていたなら、いわば「みんなで一緒に実現していく党」になっていたなら、「間違いなく国民の信頼を得ることができ」たはずだ。
例え財源不足で実現できない政策が生じたとしても、「みんなで一緒に実現して」いこうとする一生懸命に努力する姿勢は国民の共感を呼ばないはずはない。
だが、その逆を行った。マニフェストに決めていない消費税税増税を野田首相の前任者である菅無能が突然言い出して、一番ビックリしたのは国民であって、国民との契約がないままに野田首相がマニフェストに決めていない消費税増税を引き継いだ。
にも関わらず、野田首相は自らが絶対ルールとしなかったことを今になって党所属議員に対して絶対ルールとすることを求めた。
盗人猛々しい自己矛盾でなくして、どう表現できるだろうか。
「決断したら、みんなで一緒に実現していく党になれば、間違いなく国民の信頼を得ることができる」は既に遅きに失した発言であることは種々の状況が示していて、誰の目にも明らかである。
遅過ぎるにも関わらず、このように言うこと自体、判断能力を欠いているとしか言い様がない。多分、自分の勇ましい言葉に頼る以外に打つ手を失ってしまったのだろう。
最後に民主党世襲議員党非公認問題で羽田雄一郎議員が無所属で立候補して復党する抜け道があると先頃のブログに書いたが、羽田議員は党に迷惑がかかることを理由に立候補を断念した。
だが、2009年マニフェストは、「現職の国会議員の配偶者及び三親等以内の親族が、同一選挙区から連続して立候補することは、民主党のルールとして認めない」という世襲禁止ルールになっていて、一度間を置いて次の総選挙まで待てば、奇妙なことだが、世襲扱いとはしないことになる。
勿論、間を置くことは難しい問題が生じる。民主党が空白区として手付かずのままにしておいてくれたなら、次の総選挙ですんなりと立候補できるが、誰かを立てた場合、後援会が当選に力を貸さないというわけにはいかないから、当選が実現し、その当選者が居座ったとき、身内同士の戦いとなる。
後援会が次の次は羽田雄一郎に譲るという密約の元、後援会の息のかかった者、例えば雄一郎の秘書か誰かを立てた場合、スムーズに藩主交代といくが、将来、譲った者の口から密約が露見しない保証はなく、露見した場合、雄一郎は例え当選を続けることができても、政治家としてのイメージに打撃を受けることになる。
だとしても、困難を考えて父親の選挙区を永久に受け継がないということは考えられない。閣僚になるにしても、参議院枠は2人だ、3人だと言っている参議院議員の身分であるよりも、衆議院議員の身分の方が門戸は遥かに広い。
連続の立候補でなければ世襲に当たらないとするルール自体が滑稽で、意味はないのである。
父親の羽田孜を大量差で当選させてきた後援会は強固な組織を維持し続けるだろうから、間を置いて当選した場合、野田首相がいくら忌避しようとも、「特定の後援会がずっと続き、特定の家柄が政治を続ける」状況を保証することになって、世襲禁止ルールに触れない純然たる世襲が続くというパラドックスを打ち立てることになるに違いない。
所詮、世襲禁止も言葉だけで終わるということである。
解散、総選挙戦突入ということで、民主党は国会答弁やテレビ出演の機会を狙って民主党政権3年間の成果を一大合唱する手に出た。高校授業無償化で中退者が減少しただけではなく、今まで支払っていた授業料を家計に回すことができて、生活に余裕を与えたとか。
11月19日(2012年)昼のTBS「ひるおび!」に民主党の松原仁が出演、子ども手当によって出生率が増加した、完全失業者数が減少した、雇用保険加入者数が増加した、介護保険拡充によって介護従事者が増加した、25年間保険料納付の年金受給資格を10年間とし、年金受給対象者を拡充した、無年金者が出るのを減らすことができるようにしたと、民主党3年間の成果を次々と挙げていた。
「ひるおび!」前日の2012年11月18日日曜日フジテレビ「新報道2001」でも、細野民主党政調会長が有効求人倍率の回復を例に取って民主党3年間の成果を誇示している。
先ず番組がボードで挙げた厚労省発表の「2012年9月の年齢別完全失業率」とキャプチャーで示した同じく厚労省発表の2012年大卒平均初任給を見てみる。
15~24歳――6・9%
25~34歳――5・7%
35~44歳――4・3%
45~54歳――3・1%
55~64歳――3・7%
65歳以上 ――2・0%
全体平均――4・2%
2012年大卒平均初任給――19万9600円(前年比-1・2%)
これは2年ぶりだと解説していた。
細野豪志「あのー、これまでの(民主党政権の)3年間を振返りたいと思うんですが、私共がですね、政権を取る前というのは、リーマンショックの後のですね、非常に厳しーい、あのー、状況の中でした。
ま、当時の有効求人倍率を改めて確認してみたのですけれども、0・43です。ま、つまり、あのー、それこそ仕事を求めても、半分…以上は仕事が就けないという状況でした。
それが今、数字を借用しますと、0・83と、いうところまで回復できたんです。
これは民主党が財政もしっかりやりですね、金融政策についても、ま、しっかりと言うべきことは言って、様々な政策を打ってきた結果だと思います」
対して甘利自民党政調会長は、麻生政権でリーマンショックに対して財政的に手を打って、経済を横這い状態に支えたが、民主党政権はそれを挙げる力がなかったというふうに反論していた。
どちらが正しいかである。
松原仁や細野が誇っている成果の出典としているのか、あるいは逆に成果としていることを纏めた記事なのか、次のようなPdf記事を公表している。
政権交代の成果 民主党文部科学部門会議(平成24年9月)
〈「人」に関する産業を中心に、雇用環境が大きく改善 政権交代による社会構造の変革
・失業率は5.3% (H21.9 )→ 4.1% (H23.9)に改善
cf.アメリカ9.1%、フランス9.1%、イギリス8.1%、ドイツ6.0%
・就業者数は、平成24年7月現在、平成21年9月比で、医療・福祉及び教育・学習支援で+87万人を実現(9.6%の増)。
・雇用者数は、この2年間で13万人増加。学校耐震化など現場密着型公共事業を重視することで、建設業の雇用者は3万人減少(▲0.7%)にとどめ、医療・福祉で+62万人(10.4%)、教育・学習支援で+24万人(9.4%)増加を実現。
【就業者ベースでも建設業▲9万人に対し、医療・福祉+67万人、教育・学習支援+28万人】
●出生率も1.37(08’)→1.39(10’)に上昇
・人と知恵を大切にする予算の充実により、文科省予算は3年間で7% (3,560億円)増の5兆6,377億円に(うち、将来を担う子どもたちの育成のための文教関係予算は、3年間で9%増(3,509億円)の4兆2,737億円)〉等々――
そして野田首相自身も国会答弁で3年間の成果を謳っている。その一例として2012年11月13日衆院予算委での佐藤茂樹公明党議員の質問に対する野田首相の答弁を記してみる。
佐藤茂樹議員が、これまでの民主党政権で経済は良くならなかった。低迷したままだった。責任をどう考えているのか、答弁を求めた。
野田首相「あの、民主党政権になってから、景気が悪くなったようなご指摘がありますけれども、あの、リーマンショック後、厳しい情勢の中から、政権交代以降、4四半期プラスの成長を遂げました。
大震災があって、これ、また景気が落ち込みましたけども、その後も回復軌道に乗りながら、え、まあ、3四半期、私の政権からプラス成長になりました。
と言うように、一貫して悪かったようなご指摘でありますが、厳しい国際情勢の中でも、プラス成長を着実にやってきたし、そして最近はあまり、雇用の話がありましたけども、完全失業率は4・2%まで引き下げてきたと、いう数字もあるということは事実です。
むしろこれは安倍政権から色々な話がしていますが、その前からずっとデフレじゃないですか。そのデフレを克服できなかった政権に戻すって言うのですか。
我々はデフレのギャップを縮めてきています。どういうように、あの、一貫して悪かったようなご指摘は、これはあまり一方的な話ではないかと、反論させて頂きます」
佐藤議員はこの答弁にまともに反論はせず、政府の今後の経済対策や補正予算についての質問に入っていった。
民主党側は根拠もなく言うわけはないから、確かに完全失業率が減少しただろうし、出生率も増加しただろうし、介護従事者が増加しただろうし、有効求人倍率も下がっているだろう。
様々に成果を謳っている中で野田首相自身が2011年8月29日民主党両院議員総会民主党代表選で、「中産階級の厚みが日本の底力」であり、「そこに光を当てようと言うのが民主党の『国民の生活が第一』という、私は理念」だと公約したのを皮切りに、「分厚い中間層の復活」を日本再生のキーワードとしてきたのである。
いわばいくら民主党3年間の成果を謳おうとも、「分厚い中間層の復活」に向けた、せめて兆しでも見せていなければ、成果は正当性を得ることはできない。
「分厚い中間層の復活」は上層の下層部分を中間層に引きずり降ろすことで中間層を分厚くすることではなく、上層は維持して、下層の内から多くを中間層に引き上げることで達成する「分厚い中間層の復活」でなければ意味を成さないはずだ。
前者なら、日本全体を貧しくすることになる。後者なら、全体的な所得の増加を意味することになる。
2009年民主党マニフェストでも、〈子ども手当、高校無償化、高速道路無料化、暫定税率廃止などの政策により、家計の可処分所得を増やし、消費を拡大します。それによって日本の経済を内需主導型へ転換し、安定した経済成長を実現します。〉と謳っているのである。下層の可処分所得を増やしてこそ、「分厚い中間層の復活」は可能となる。
高額所得層の可処分所得をいくら増やしても、利益の再配分が下流に流れない現在の状況からして、「分厚い中間層の復活」はあり得ない。
例えこのことが可能となったとしても、下層を取り残すことになり、より一層の格差拡大を結果とすることになる。
次の記事を見ると、「分厚い中間層の復活」は、その兆しさえ現れていないようである。
《22年世帯所得は昭和62年並みに低下、平均538万円》(MSN産経/2012.7.5 17:49)
岩手、宮城、福島3県を除く厚労省発表の「国民生活基礎調査」は平成22年(2010年)1世帯当たり平均所得を前年比マイナス13万2千円の538万円と弾き出している。
22年前の1988年とほぼ同じ低水準で、ピークの1994年の664万2千円と比較して126万2千円減少だということだが、民主党政権3年間の成果に限って言うと、2009年から13万2千円減だということは「分厚い中間層の復活」に何ら責任を果たしていなかったことになる。
厚労省担当者「非正規職員・従業員の割合が増加するなど、働き手の稼ぐ額が減少したことが一因」
「正規職員・正規従業員」15歳以上(役員以外)雇用者1人当たり平均所得
――414万3千円
「非正規職員・非正規従業員」15歳以上(役員以外)雇用者1人当たり平均所得
――123万4千円
290万円9千円の格差がある。
非正規社員を正規社員に引き上げてこそ、「分厚い中間層の復活」、日本の底力の復活は可能となる。
だが厚労省担当者が言っているように、逆の状況となっている。
岩手県,宮城県及び福島県を除く厚労省「労働力調査(詳細集計)」の平成23年平均(速報)結果を見てみる。
2010年(平成23年)平均の雇用者(役員を除く)(4918万人)。
正規の職員・従業員――3185万人(前年比マイナス25万人)
非正規の職員・従業員――1733万人(前年比+48万人)
正規が減って、非正規が増えている状況は「分厚い中間層の復活」とは逆行した、上層+中層から下層に労働者を移動させている光景を映し出しているはずだ。
但しこの「労働力調査(詳細集計)」は、一方で、〈2011年(平成23年)平均の完全失業者(284万人)のうち、失業期間が1年以上の完全失業者は109万人と、前年に比べ5万人減少〉と、経済の好転を映し出している。
このような表面的な好転を取り上げて、野田首相以下、民主党の閣僚やその他がテレビ番組や国会答弁で誇っている民主党3年間の成果であって、実態は自民党政権から引き続いて経済格差や所得格差の拡大に手を貸していても、自らが約束したように下層の所得を引き上げて中間層に位置づける「分厚い中間層の復活」に関しては何ら力を発揮していないし、当然、何ら成果を上げていなかったのである。
当然、民主党3年間の成果は非正規社員の増減を指標とした、「分厚い中間層の復活」の成果如何で誇らなければならないはずだ。
にも関わらず、誰もが非正規社員の増減を根拠とした「分厚い中間層の復活」の検証抜きに安易に成果を語っている。
ついに出た!タカ派の面目躍如といったところか。11月20日の日本外国特派員協会で講演・会見での発言だとのこと。
《石原代表「豪華客船の沈没思い出す」 講演・会見の要旨》(THE ASAHISINBUN DIGITAL/2012年11月21日0時40分)
記事題名の「豪華客船の沈没思い出す」は日本の現状に対する認識だそうだ。事実だとしても、あるいは事実に近いとしても、民主党政権だけの責任ではなく、自民党一党独裁長期政権の責任はより重いはずだ。
記者「石原氏はナショナリストだと思われている。軍事力を強化するより外交を追求した方がいいのではないか。」
石原核保有衝動者「軍事的な抑止力を強く持たないと、外交の発言力はない。今の世界の中で核を持っていない国は外交的に圧倒的に弱い。核を持っていないと発言力は圧倒的にない。防衛費は増やさないといけない。私は、核兵器に関するシミュレーションぐらいやったらいいと思う。これは一つの抑止力になる。持つ持たないは先の話だけど。(これは)個人(意見)です」 ――
《石原慎太郎代表:「核シミュレーション、抑止力になる」》(毎日jp/2012年11月21日 01時36分)は別の発言を伝えている。
石原核保有衝動者「核を持っていないと発言権が圧倒的にない。北朝鮮は核開発しているから、米国もハラハラする」
記事解説。〈核兵器の有無が外交力を左右するとの認識を示した。〉――
要するに日本の貧弱な外交力・外交上の発信力は核兵器を所有していないからだということになる。
だとすると、外交力・外交上の発信力は核兵器、最低でも他国を圧倒する軍事力が決定権を握ることになり、直接的に外交の場に立つ政治家自体は外交力・外交上の発信力に関しては無力だということになる。
核兵器を背景とした、あるいは軍事力を背景とした対外発信力とは、北朝鮮がよく使う手だが、恐喝外交に当たらないだろうか。
あるいは核兵器や軍事力を背景としなければ、満足な発信力を発揮できないというのは国家の姿として情けない姿を意味しないだろうか。
例え核保有のシミュレーションに限定したとしても、政治権力者が核所有衝動を内に秘めていいたなら、シミュレーションから保有まで一歩の距離となる。また、シミュレーション開始時点で、北朝鮮の核保有になお一層の正当性を与え、その正当性に応じたなお一層の核保有を北朝鮮に対して誘導させることにならないだろうか。
発信力が核保有に依存する関係にあるなら、敵対国の核保有数が自国保有数に勝った場合、敵対国の発信力も自国発信力に優ることになり、それをリセットして自国発信力を敵対国の発信力よりも上に置くためには自国核保有数に於いても敵対国の保有数に優る数としなけれがならなくなる。
あるいは核運搬ロケットをより強力な仕様とする開発を行わなければ、発言力の低下になす術もなく手をこまねくことになる。何て言ったって、他を圧倒する軍事力、もしくは核保有が外交上の発信力を決定するのだから。
あるいは発信力は軍事力や核に依存していることになるのだから。
まさに核軍拡競争である。
石原慎太郎は「北朝鮮は核開発しているから、米国もハラハラする」と言っているが、アメリカが北朝鮮に対してハラハラしているのは国家存立の基盤をなす経済が国民の飢え、餓死、あるいは困窮した生活を招いている状況にあるにも関わらず、それを無視して、先軍政治と名乗って軍事に多大な国費を費やす頭でっかち・中空の独裁国家が、それゆえにシナリオとしては高い確率で想定可能な破綻した場合の対外暴走を恐れての「ハラハラ」であって、単純に核を保有しているだけのことで「ハラハラ」しているわけではないはずだ。
北朝鮮が権・非民主主義の独裁国家であるために人権や民主主義の価値観を共有できないことからの話が通じないことの「ハラハラ」もあるだろう。
インドやパキスタンが核を保有していても、日本は両国と人権や民主主義の価値観を共有しているから、相互に話が通じる関係を築くことができる。
この場合のインドやパキスタンは外交の場で核を背景とした発信力を武器に日本に対しているだろうか。
アメリカは大量の核を所有しているが、核兵器を背景として発言しているのだろか。
日本が核保有したとしても、果たして尖閣問題で中国に対して発信力を高めることができるだろうか。日本が所有を果たした核兵器をバックに中国に対して発信力を高めたなら、中国は同じく核兵器をバックに日本の発信力に対抗するに違いない。
核保有と外交上の発信力が別物であることの例をもう一つ挙げる。
ソ連は計画経済の破綻等から国内が混乱、1991年にソ連崩壊、ロシア連邦が成立したが、計画経済から市場経済への移行が急激に行われたために、経済はなお混乱し、対外債務にも苦しむことになって、対外的発信力も力を失っていった。
多額の借金のある者が借金した相手に強い発言力、あるいは発信力を持ち得るだろうか。
もしロシアが発足後、核を背景に対外発信力を強めようとしたなら、意味もない恐喝外交となったはずだ。
ロシアはプーチン政権発足以降、エネルギー価格の急騰により苦しんでいた対外債務を返済したばかりか、巨額の外貨準備国となり、自信を深めて、対外発信力を強めていった。(以上、ソ連・ロシアに関わる記述は「Wikipedia」を参考に解釈)
多くの国がそうであるように経済の力が対外発信力の重要な保証の一つとなる。経済力を先導役として、政治家の対外的創造性が自らの発信力の確かな保証となるはずだ。
石原慎太郎が都知事だったとき、月刊「文芸春秋」2012年11月号に「最低限核兵器のシミュレーションが必要だと考える。強い抑止力としてはたらくはずだ」と書いていると、《橋下氏、石原氏の核武装論に「あってはならぬ」》(YOMIURI ONLINE/2012年11月9日17時41分)が伝えていた。
橋下徹「維新の会」代表の反応。
橋下徹「考えることは大いに結構だ。核を日本が持つかどうかを前提とするのではなく、安全保障で核の役割を考えるのは政治家としてやらなければいけない。
(但し)日本が置かれた状況下で、核保有を目指すと公言することは日本維新の会では、あってはならない」
核保有の公言ではなく、例え核保有にまで一歩の距離になるとしても、シミュレーションだけ、考えるだけなら構わないということなのか。
石原本人は日本外国特派員協会の講演で、記者から「自民党と維新の連立政権になったら、閣僚になるか」と問われて、「どの省の大臣になるつもりもない」(THE ASAHISINBUN DIGITAL)と答えているが、橋下徹自身は石原慎太郎の首相実現を熱望している。《石原代表を首相候補に 橋下氏が表明》(TOKYO Web/2012年11月18日 23時08分)
11月18日のテレビ番組。
橋下徹「一国民として石原首相を見たい。石原首相と僕に任せてほしい」
自社さ連立政権での社会党の村山富市首相の例もある。総選挙の結果が比較第1党の自民の議席に迫る纏まった議席で維新の会が第2党を確保した場合、強力なキャスティングボードを握ることとなって、橋下徹が「市長も知事も経験のない議員が日本国家を運営できるわけない」と、安倍晋三を押しのけて石原慎太郎を首相に担ぎ出すといった可能性は完全には否定できない。
だが、万が一そうなった場合、日本国民は核保有衝動を抱えた政治家を一国のリーダーとすることになる。
《首長経験アピール=兼職禁止撤廃なら参院選挑戦-維新・橋下氏【12衆院選】》(時事ドットコム/2012/11/19-16:24)
11月19日(2012年)の大阪府高槻市内での、維新と太陽の党合流後初の街頭演説。
橋下代表「東京都知事、大阪府知事(経験者の)2人がタッグを組んだ政党は日本の政治史上初めて。行政経験のある石原慎太郎と橋下徹が中心の日本維新の会に一度力を貸していただきたい。
市長も知事も経験のない議員が日本国家を運営できるわけない」
要するに真の意味での日本国家運営、あるいは日本国家を正しい方向に導く政権運営は行政のトップを経験していない国会議員には不可能だと断定している。
国会議員には不可能なことを行政トップ経験者は可能とするということだから、行政トップ経験者を国家運営に於ける全能者に位置づけていることになる。我々こそ、オールマイティだと。
なかなかの大自信家である。
記事は題名にあるように橋下氏自身の国政進出に関わる発言も伝えている。
橋下代表「大阪市長のまま国会議員にならせてくれるなら、来年の参院選に挑戦したい」
これは衆院選出馬の可能性は否定したものの、地方の首長と国会議員の兼職を禁止している地方自治法改正などの必要性を訴えた発言だそうだ。
果たして行政トップ経験者の国家運営万能者説に正当性を認めることができるのだろうか。
二つの疑問が湧く。
第一の疑問は市長や県知事等の行政トップ経験者が国政に進出、多くが国会議員となっているはずだ。彼らはその経験を生かして、行政トップ経験者以外はできないとされる国家運営をなぜ担わなかったのだろうか。
あるいは行政トップ経験者ではないその他大勢の国会議員は行政トップ経験者に行政トップ経験者以外はできないとされる国家運営をなぜ担わせなかったのだろうか。
行政トップ経験者で国政トップを務めた政治家は熊本県知事を務めたことがある細川護熙氏が唯一の事例だそうだが、もし行政トップ経験者であってもその政治能力に優劣があって、国家運営を任せる程の能力ある議員が存在しなかったというなら、「市長も知事も経験のない議員が日本国家を運営できるわけない」という表現で、行政トップ経験者のみが国家運営ができるとする説はウソ・矛盾が生じることになる。
二番目の疑問は、行政トップ経験者のみが国家運営に能力を発揮すると言うなら、ブレーンの価値を貶めることになる。例え有能なブレーンを採用しても、採用者が行政トップ経験者でなければ、満足な国家運営はできないことになり、ブレーンの存在はあってもなきが如くとなる。
あくまでも行政トップ経験の有無が国家運営のキーワードとなるからだ。
一般的には国政トップは市長も知事も経験していなければ、市長・知事を経験した者、もしくは行政組織に詳しい識者をブレーンとして採用、自身のその方面の乏しい経験・知識を補って国家運営に役立てる方法を採っているはずだ。
それが地方行政に役立っていないのは日本の国が国家を頂点に据え、地方を下の位置に従属させる権威主義的な中央集権国家だったからだろう。
このような国家体制は基本的には上(=国家)を発展させ、その発展の恩恵を下(地方)に配分していく構造を取る。中央と地方を対等な関係に置いて、共に発展させていくという発想、あるいは視点がなかった。
だが、国の経済が沈滞し、それ以上に地方が疲弊している現在、地方の立て直し・救済が急務となった。にも関わらず、国の手がまわらないために、地方の自立が言われるようになり、国から地方への財源と権限の委譲まで求められるようになった。
国の手がまわらないことからの地方自立だから、あくまでも意識の上では中央集権を構造とした国の関与のもとの地方自立となっているため、国からの完全且つ対等な自立を求めて地方の戦いが続いている。
橋下徹は自身をも含めて行政トップ経験者を全能と位置づけ、結果的にブレーンの存在を影薄くしているが、日本維新の会は竹中平蔵や堺屋太一、古賀茂明、上山信一等々の傑出したメンバーをブレーンとして採用している。
このことも矛盾のうちに加えなければならない。
橋下徹は11月18日のフジテレビ「新報道2001」でも同じ趣旨の発言をしている。
細野豪志民主党政党会長と甘利明自民党政調会長が出演していて、細野が自民党の世襲議員の多さを批判、甘利がそれに対応戦していた。
そのあと司会者から大阪から中継生出演していた橋下徹に世襲の是非を問われた。
橋下徹「今、あのー、細野さんや甘利さんのお話を伺ってました。世襲かどうかっていうところが問題になっていますけど、正直、世襲かどうかっていうところは問題ではないんですね。
あの、問題なのはですね、行政組織のトップについていたかっていうことが問題なんですね。これは、あの、国会議員の立場から、政府に入ってですね、政府組織を動かすときに、もう、全然違うんですね。
細野さんも環境大臣に就かれましたけれども、恐らく、議員のときの立場と全然違ったはずです。行政組織を動かすっていうのはね、もうトップにしか分からない問題がたくさんあるんですね。
1300万人のトップに立たれた石原、あー、代表とですね、880万人のトップに立った僕と。あと僕は大阪、あの、大阪府知事、大阪市長を経験した者っていうのは、日本全国で僕しかいません。
やはり行政組織を動かす、どこに問題があるかを判断して、そのような指示を出すのか、これはね、自治体の長を務めた者しか分かりません。
こういう自治体の長が国政を動かしていく、ってことが世界各国の潮流なんですよ。もう、このような方式をやらざるを得ませんね」――
この発言は上記記事の発言以上に行政トップ経験者を国家運営全能者にリンクさせている。「大阪府知事、大阪市長を経験した者っていうのは、日本全国で僕しかいません」、あるいは何をどう判断して、どのような指示を出すかは「自治体の長を務めた者しか分かりません」と、自分の口から行政トップ経験者の国家運営能力に太鼓判を押していることからも判断できる全能性と言える。
これ程にも全能であるなら、ブレーンなど一人も必要ないように思えるが、しっかりとブレーンを抱え、抱えながら行政トップ経験者の国家運営能力の優越性を説いている。
全能であるゆえに、「自治体の長が国政を動かしていく、ってことが世界各国の潮流」となっているのであって、だから日本も世界の潮流に遅れないように行政トップ経験者を首相に就ける方式でやっていくしかないと説いている。
これが事実としたら、憲法を「内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する」の規定を「内閣総理大臣は、行政のトップを経験した国会議員の中から国会の議決で、これを指名する」に変えなければならない。
果たして「世界各国の潮流」になっているのか、アメリカに限って調べてみた。
確かにアメリカは州知事から大統領になるコースが一般化しているが、全てではない。
ジョージ・ウォーカー・ブッシュ前大統領はテキサス州知事を1995年1月17日から2000年12月21日まで務めてから、2001年1月20日に第43代アメリカ大統領に就任しているから、行政トップ経験者に入る。
だとしても、国家運営の万能者と言えただろうか。
但し父親のジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュはレーガン大統領のもとで1981年1月20日から1989年1月20日まで副大統領を努めてから、第41代アメリカ大統領に就任。それ以前はテキサス州選出下院議員であって、州知事等の行政のトップを務めていたわけではない。
ブッシュ親子の間に挟まって第42代アメリカ大統領を務めたビル・クリントンは1978年に32歳でアーカンソー州知事を務めていて、行政トップ経験者と言える。
だが、ビル・クリントンに民主党員として続く第44代アメリカ大統領のオバマはイリノイ州議会上院議員を務めているが、州知事等の経験はない。
こう見てくると、「自治体の長を務めた者しか分かりません」などと、国家運営を行政トップ経験者にリンクさせる意味合いはなくなる。
また橋下徹の発言は日本の中央集権体制下で上に立つ意識で組織が動いている霞が関と、その霞が関に対して下に立つ意識で組織が動いている東京都庁や大阪府庁、大阪市庁を同レベルに置いていることになる。
上に立つ意識で動いている組織程、難儀な相手はないと思うが、橋下徹にかかると、大阪府庁、大阪市庁と同レベルに見えるらしい。
それ程にも官僚主導が生易しければ、とっくの昔に官僚政治は死語となっているはずだが、どっこい依然として中央集権体制を堅固に維持している。
国政トップが行政トップ経験者ではなくても、国民の総体的利益と合致させるために自身にとって何を最重要課題とするか、選択意志の問題であり、それを実現させるための最善のチームを構成するためには閣僚や党役員を含めてどのようなブレーンを必要とするか、チーム構成後、そのチームを率いて、彼らの有能性を引き出しつつ課題を実現していく実行意志(=リーダーシップ)が問題となるはずで、行政トップ経験者であることが国民による首相選択の基準では決してないはずだ。
橋下徹の発言は早口で切れ味よろしくきっぱりとした口調で断定的に言うから、一見、正当性を持っているかのように尤もらしげに聞こえるが、かなりインチキがある。矛盾は矛盾として摘出、決して誤魔化されてはいけない。
「新報道2001」を見た中には誤魔化される国民が少なからずいるに違いない。