百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

石家荘地区の思い出(望都県)

2007-10-09 18:51:37 | Weblog

  10月9日  (火) 
                          平成17年1月1日より 1,012日目
                                     歩いた歩数       その距離 
                          本日         14,044歩          9,831m
                          総計   14,138,910歩  9,897,237 m
      北京より石家荘・邯鄲・洛陽・三門峡を経て崋山に向かう。151,913m

    三門峡に到着したところで、再び「訪中記録」に戻って記録を完結させたい。河北省科学技術委員会の要請を受けて1990年8月10日日本を発って北京に到着。中国は暑いが、清の皇帝が夏、政務を執った承徳は涼しく軽井沢のような所、「避暑山荘」のある所で15日間を過ごして、河北省の南部邯鄲地区に移動して15日間、そして最後の15日間を河北省の省都石家荘で「河北省を視て下さい」という目標を果たして帰国するのだが、邯鄲を発って石家荘に到着するまでを9月22日に記したので、その続きから書き記して参ります。

 1990年9月13日、昨夜は邯鄲より石家荘に移動して河北賓館に投宿、訪中初日より世話になった袁さん・邢さんの来訪を受けて気分良く語り合った。

 朝食の後、昌黎以来世話になった趙科長が邯鄲に戻って行った。お互いに言葉が通じなかった為か、それだけに心の結びつきは深いものがあった。部屋に戻ると、老婦人が二人が私を待っていた。冀光技術開発公司の総経理の金さんと河北省園芸集団経理の王さんとのことで、二人の夫々の研究所に案内され、昼食に御膳処で皇帝料理をご馳走になった。二人は私を介して金儲けをと企んでいる様子で、きのこの種菌がほしい、生産されたきのこを買って欲しいなどとしきりに話しかけてきた。

         
                      金さん       王さん 

 午後、全員で保定方面に向かう。着いたのは望都県の食用菌研究所。規模は河北省一と言うだけあって、広大な敷地(0.8ha)で種菌を培養し、それを農民に提供して、農民が培養されたきのこを引き取る事業を行っているという。9月中旬から翌年の1月中旬までで農民への供給する種菌は50万kg(中国は不思議とトンを使わない)、日量は1kg袋で4,500袋という。

         
                      綿実粕をナイロン袋に1kgづつ詰める

         
                             高圧殺菌釜へ 

 今は季節外れのため、種菌の培養より主力は冬瓜の瓶詰めを行っていると言ったが、縞の入った冬瓜は西瓜のようだった。

         
                            西瓜でなくて冬瓜とは?

         

 

                                                 これには驚いたが、更に驚いたのは、中国で初めて高速道路の実態に触れたことだ。望都県食用站を辞した車は定州で迷子になったか、公安官に道を聞いているか思いきや、高速道路に入った。車は100120kmで飛ばす。驚いたことには道の両側に、今収穫盛りの落花生をならべて乾燥していたことだ。幅広く並べ、自動車に踏まれぬように、石で囲い、引いて来た2台の荷車を交叉させてその隙間に坐って、日陰の見張りと決め込んでいる。自転車は一列横隊になって我が物顔に進んで来る。ガートラも居れば、乳母車も居る。この中を驀進するのだから凄まじい。ソ連製の車はビリビリと今にも裂けそうな音を出して突っ走る。正定県まで30分で着いた。オドロイタ!


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