8月16日 (木) ②
平成17年1月1日より 958日目
歩いた歩数 その距離
本日 6,674歩 4,672m
総計 13,387,296歩 9,371,107 m
北京より保定・石家荘・刑台・邯鄲を経て洛陽に向かう。後 378,043m
邯 鄲 到 着
邯鄲と言えば「邯鄲の夢」の物語で有名ですが、「秦の始皇帝」の出生地でもあるのです。4千年の歴史を持つ古都ですが、以外に訪ねた人は少ないようです。嘗て河北省の北部は北京を中心に「燕」の国、南部には邯鄲を中心に「趙」の国が在ったので、今も河北省は「燕趙」と自負しています。私は河北省人民政府から「燕趙友誼章」を授与されました。
国家試験に落ちた呂生が呼び止められて「邯鄲の夢」を見たと言う黄梁夢の呂仙祠や礼儀作法の学習に来ていた青年が、教えられた歩き方を忘れ、また自国の歩き方も思い出せずに、這って渡ったと言う「学歩橋」、嘗ての勢威を誇った「叢台」など示唆に富んだ挿話と共に、名所古跡が多く温存されています。
石炭の産出もあることから、鉄鋼業を中心にした工業都市ですが、私は中国海軍の民営の「中国船舶工業」からキノコ栽培を合弁でと呼びかけられたことがあります。契約書は取り交わしたのですが、私の通訳の「梁小六」さんを董事(取締役)に加えることを渋ったので、お断りした思い出があります。
1990年8月、2週間、邯鄲の冀南賓館に滞在して邯鄲地区(700万人)の各県を回ったが、当時は外国人は「未解放区」には許可なく入ることは出来ない時代、珍しいことばかり、カメラを構えると、「中国政府は喜びません」と婉曲に断られたり、泊まりとなる県には、ホテルから調理主任が同行してくれたり、楽しいことの連続でした。機会があればその裡に披露したいものです。
「終戦日前後・・」貴重な話です。
私も大連からの引き上げ時の事や、多分高主さんもご存知の矢野ともさん?が戦地から藤茂に帰還した時の様子など、戦争に関わる体験を母が問わず語りに話していたが、その当時の私は、うわの空、生返事で記録にも記憶にもほとんど留めていない。貴重な話だったと思います。
母は現在96歳、今になってその当時の事柄を知りたくなって尋ねますが、年をとってしまって、随分記憶がもつれたり、薄れてしまっています。それでも母の兄弟が4人と思っていたのが8人であったことを始めて知るなど貴重な事柄に触れることが在ります。
高主さんの衰えないシャープな記憶や物事の本質を鋭く見抜く洞察力で出来るだけこのような体験を後世に残して欲しいと思います。今後を期待します。汎