10月13日 (土)
平成17年1月1日より 1,016日目
歩いた歩数 その距離
本日 15,875歩 11,113m
総計 14,203,775歩 9,942,643 m
北京より石家荘・邯鄲・洛陽・三門峡を経て崋山に向かう。後 106,508m
1990年9月17日 晴れ 気温 15℃~27℃
朝の散歩で、槐北中路を東へ行き次の道路を右折して帰る心算で歩いて行った所、30分も歩いたが居本道で、とうとう橋を渡って農村部へ入ってしまう。道には朝食の揚げパンを買う人々の行列が幾列もあり、それが朝の陽を受けて影法師が長く尾を引いている。如何にも大陸的なムードである。“平和だなァ!”としみじみ思う。
見とれて歩いて行くうち、やっと建華南大街という出来立ての大通りに辿り着く。石家荘市は新しい都市だけに東西の道は○○路、南北の道は○○街と、“路”と“街”で区別されていて、碁盤の目のように区画されているので、道に迷うことは無い。
右側が全て六階建てのアパート群(日本なら公団住宅)の中に、石家荘第24中学校があった。三階建ての見事な校舎で、現在建設中の日本の校舎に比べても優るとも劣らぬ立派なものである。偶然、菲菲ちゃんの登校姿に出会う。朝7:05
今日は灤城県(ランジョウケン)の食用菌の視察と言う。午前8時半、灤城県梅家村の農家へ平茹(ヒラタケ)の栽培施設に出かける。泥の塀をくぐると豚が居る。あちこちに穴の開いた壁のような所を曲がると、〔先生、どうぞ!〕というので、穴の中へ入る。穴の中には幾列もの棚が作られていて、棚の上にはビニールの袋に入った菌床からは茸が出始めている。
見渡せば、穴は1mほど掘って,掘った土で壁を作ってある。高さは2mを若干越えたほどで、天井と屋根はビニール囲い。遮光のため、ビニールの上に草や粗朶が載っている。また棚の下の地面は10~20cm程,皿状に抉られて、水を湛えられるようになっていて、湿度保持の役割を果たしている。壁の穴は空気の流通を調整するようで、粗末ながら理論的で素晴らしいアイディアだと感じた。
記念写真を撮るとその家の主人は喜んで大きな手で握手してくれた。昼食は和やかに、賑やかに、何時までも続き、〔是非、来年もいらっしゃい!〕と要望される。例によってしめじと白いエノキの種菌の要請をされたので快諾する。
灤城県梅家村の農家で
昼寝なしで河北賓館に戻ったのは午後2時半でした。本日のお勤めはこれにて終了。なんとも楽だが、なんともやるせない。通訳の梁君が遊びに行きましょうと誘ってくれるが、気分が乗ってこない。一番期待し、一番張り切ってきた省都石家荘市での仕事がこれではどうにもやりきれない。
薄暗くなった頃、邢春さんから電話、「先生、今日は主人のお客様が来るので、オジャマできません。お客様が帰った後で陸麗麗さんを訪ねます」「その後で来てください」「イエ、遅くなりますので・・・明日ハキット・・・」ガチャン!もう一人ではとても我慢できなくなり、梁君を誘って散歩に出る。
夕食後、日記を書いていると、陸麗麗さんがお母さんと二人で訪ねてきた。今まで塞ぎ込んでいた気分が一度に吹っ飛んで歓声を上げて飛びつく。そしてお母さんの居るのも忘れて何時までも何時までも握手。彼女もどうしたことか、手を放そうとしない。承徳市以来の出会い(一ヶ月以上逢ってない)だ。その間、彼女は、あちこちから私の行く先々に手を打って呉れた事・シルバーゴランティアズの山本先生一行を案内て居た事・先生からもよろしくとの伝言のあったことなどを話し、ヤット手を放した。そして私と判れて以来の私の行動を記録して帰って行った。〔先生!両手に花ネ!〕と梁君が笑った。<o:p></o:p>