5月24日 (土)
平成17年1月1日より 1,240日目
歩いた歩数 その距離
本日 11,937歩 8,356m
総計 17,286,411歩 12,100,488m
北京より西安・蘭州・西寧・酒泉・嘉峪関・莫高窟を経て哈蜜に向かう。後404,662m
今日、飯山市公民館で飯山市雪国大学 平和学習公開講座で「元在満同胞救済陳情代表の「アジアの曙 死線を越えて」の著者武蔵正道氏の講演が行われた。
第二次世界大戦 昭和20年8月15日終戦 当時の旧満州国に居る在満同胞170万人の混乱と悲惨な悲劇の中、当時飯山市出身の丸山邦雄先生と共に満州より脱出に成功、日本政府並びに連合軍の最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥に面談、在満同胞救済陳情代表丸山邦雄先生と共にその促進運動に活躍貢献された元在満同胞救済陳情代表武蔵正道氏が当時の真実秘話丸山邦雄先生を語り、また終戦当時より現在の世の中を語る。
先生が飯山に来て、市役所を訪れた際、丸山邦雄先生の銅像が建てられているのではないかと期待していたが・・・と口火を切った。
受付で渡された『柳原村誌より 抜粋』には丸山邦雄先生の出生から大志を抱いてアメリカに渡り幾つもの大学で研修、『排日移民法案』が上程された時には移民法の非を訴えて是正運動をしたこと、母校での教鞭をとることを勧められたが渡満して鉄鋼会社で社員の育成に当ったこと、終戦を迎えて、170万同胞の引き揚げに死線を越えて帰国、マッカーサー元帥に直談判、早期引き揚げを実現させたこと、トルーマン大統領に1千万留守家族の窮状をうったえるなど帰還促進に努めたと記載されていた。
村誌にこれだけの記述があるのに、今日まで丸山先生の業績が村民(いや飯山市民)に浸透して居なかったことは何とも恥ずかしいことだといわざるを得ない。
講演を終わって質疑応答を受けるというので、私は「先生が持って再度渡満した重要書類の内容とその成果」と「先生の功績に対する日本政府の対応」の2点について質問した。
第一の点については「私は現地で活躍していた有力事業者に、困却している難民に生活援助を要請するもので、それに応えて支援した資金に保証しなかったと聞いているが?」と尋ねたのだが、複雑な説明で納得の行く回答は得られなかった。
第二の点については、「国民栄誉賞」に値する賞と、大阪の造幣局で鋳造された女性像が贈られるようだったが、複雑な時代で中々進まぬ情勢からこちらから辞退したという回答だった。そして丸山邦雄先生には亡くなられた時、「勲4等」が贈られたと話された。
87歳の武蔵正道」先生が2時間に亘って立ち通しで熱弁を振るわれた其の精神力とエネルギーには満堂の聴衆から賞賛の拍手が何時までも続いた。