百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

同級生の死

2007-03-24 19:03:33 | Weblog

  3月24日  (土) 
                          平成17年1月1日より 813日目
                     歩いた歩数       其の距離
                          本日     11,996歩        8,397m
                          総計   11,720,534歩   8,204,374 m
         上海から連雲港・徐州を経て北京に向かう 曲阜まで 68,776m  

    生者必滅 会者定離 生あるものは死し、 形あるものは毀れる。これは浮世の定め とは知りつつも、幽冥境を異にするに至った盟友との別れは辛い。

 小学校1年忠組の同級生で在郷の友、3名の一人が欠けたのである。高橋春雄君は私の記憶によれば、小学生でありながら自宅からではなく、愛宕町の仏壇屋から通学していたように思う。そんな逆境にもめげず、頑張り屋で憂国の志抑えがたく海軍に志願、戦後仏壇師の道に精進。独立開業したのは奇しくも私と同じ日だった。

 開業するや、新しい経営理念で先輩同業を凌ぐ活躍で、販路を拡張して飯山仏壇の名声を押しも押されもせぬものにした。経営は積極的な発想と行動で、愛宕山を切り崩して工場を建て、仏壇の製造工業化をし、長野・高田にまで店舗展開をするなど、時代の波にも乗って急成長、盤石の春榮堂を築き上げた。

 また「斑尾開発」を発案したり、区の祭りを「奥信濃特産祭り」に仕上げるなど、持って生れた独創的発想で地域の政治経済に大きな貢献をしてきた。しかし表に出ることは少なく、常に謙虚で黒子役に徹したことは、識者の知るところである。

 還暦を以って嫡男に経営を譲り、悠々自適の生活にはいったが趣味が昂じて工作機械を導入して家具製作をするまでになった。それは所得を得るためではなく、友人知己に贈って、使用してもらうことで、思い出の中に生きて行きたいとの願望からと聞いて、奥行きの深さに心打たれた。

 「散る桜 残る桜も 散る桜」と良寛さんは言ったが,私もそんなに何時までも娑婆に居られまい。そのうちに行くから心静かに待っていて欲しい。

              

 


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