大人に負けるな!

弱者のままで、世界を変えることはできない

人間は環境の奴隷

2005-05-02 17:02:43 | 成功原則 全てはバランス
「人間は、無意識のうちに環境に影響される」

 僕がそう自覚したのは、高校時代でした。僕のいた中学はヤンキーの巣窟で、毎日のように違法行為が繰り返されていました。その当時は僕も今以上に粗雑な性格で、それが自分だと思っていました。
 しかし、進学した隣街の高校では、みんな無気味なまでにおとなしく、当惑したものでした。しかも、しばらくすると、自分自身もそれに染まっていることに気がつきました。他の高校の様子を聞いてみると、全然違うから、これは年齢による変化というより、環境の影響が大きいと悟ったのです。

 この気づきは、当時の僕にとって大きなショックでした。自分の意志だけで形成されていると信じてきた性格、行動パターン、生き方などが、少なからず環境によって植えつけられたものであることを、認めるしかありませんでした。後にユングの著作に出会い、これが真実であることを確信します。

 そうなると、自分を正しく導くためには、どんな環境が適切なのかを考えずにはいられません。これにひとつのヒントをもたらす事件が起こりました。


 僕は、当時生渡会役員だったのですが、文化祭企画会議において、ディベートの議題を「受験勉強の賛否」としてはどうかと提案しました。
 あれがまるで役に立たない知識であることは、教師と受験生以外は、みんな知っています。当時、世間では、オウムの幹部が受験エリートだったこともあり、教育改革が熱心に論議されていました。僕の提案は、時期的にも不自然ではなかったと思います。
 ところが、この意見は顧問教諭によって封殺されました。みんな受験に向けて準備しているのに、志気をくじくような企画は論外だというのです。おまけに、この教諭は、僕に始皇帝による焚書を教えた社会科担任でした。
 この教諭の例からも、受験勉強による知識が、人格形成に結びつかないことは明白でしょう。この教諭は、しょせん、教育者である前に、公務員であり、お役人でした。

 それだけでなく、この意見には、生徒からの反発も大きかったのです。みんな考えないようにしていることを蒸し返すとは何事だ、寝た子を起こすな、というわけです。
 必要に迫られて受験勉強することと、その賛否を客観的に評価することとは、別のことです。まして、来年には最高学府に進もうという若者たちが、その程度の多角的な思考ができるのは当然でしょう。
 ところが、大部分の生徒たちは、世界が狭い。心理的に校内だけで世界が完結していたのです。世間の常識など、この世に存在しないかのように。


 ともあれ、

「隔離された環境に置かれた人間が、心理的に極めて未熟な段階にとどまってしまう」

ことに、気がついたわけです。特徴としては、硬直した、単調な思考パターンに支配されがちな点が挙げられます。全体観が育たないわけです。


 同年齢の人間だけが集まっている空間など、自然にはありえません。貴重な大人であるはずの教師でさえ、外の世界で評価されたことのない、特殊な人間が大半です。先生が世間知らずなことなど、みんな知っています。一般人が締め出された、奇妙でアンバランスな空間。それが学校なのです。
 仮に大学を別としても、学校は極めて閉鎖性の高い場所であり、意識的に外の世界に目を向けなければ、一般的な感覚はどんどん失われてしまいます。環境が単調だと、そこにいる生徒まで単調になってしまうのです。均一、画一的に。教師には向くかも知れませんが、それ以外のあらゆる仕事には向かなくなります。
 試験勉強と部活に時間を消耗し、バイトさえしたことがない。たまの休みはゲーム三昧。目を通すメディアは、娯楽番組とマンガとファッション誌。こんな生活で、どうして常識が身に付くでしょう?



 この事件を手がかりに、僕はこの世のあらゆる事象を観察し、「理想的な環境とは、まず開放されていることが前提になる」という結論に達しました。
 開放されれば、ゆらぎと多様性が生じます。それで初めて、理想のバランスを実現する可能性がでてくるのです。最初から閉じていてはダメなのです。


 人間は、環境の奴隷です。特に無意識は、環境に盲従しやすい性質を持っているようです。北朝鮮で産まれ育てば、99%の人が、民主主義を憎むようになるでしょう。人間も開放系のシステムである限り、それは避けられません。

 しかし、人間には、環境を創造する力もあります。人間が環境から影響を受けるように、人間もまた、環境に影響できるのです。世界は、自らの意志で広げられるのです。

 いまどき、ネットを無視していては、世の中から取り残されてしまいます。しかし、ネットが世界の全てではないことも明らかです。リアルでもネットでも、片方の世界に閉じこもっていてはダメなのです。一方を全肯定し、一方を全否定するという思考パターンでは、必ず極端化し、行き詰まります。

 うちのブログにくるコメントは、大部分がクレームですが、それでも、コメント不可にしようとは思いません。トータルでは、有益な情報を得られるメリットが大きいからです。

 大切なのは、バランスです。バランスをとっていくには、まず開かなくてはならないのです。





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1 コメント

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Unknown (おっしゃる通りでござんす)
2015-06-22 16:14:54
大切なのはバランスねぇ…
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