大人に負けるな!

弱者のままで、世界を変えることはできない

J・S・バッハの人間力

2005-05-09 17:56:50 | 人間力
※気・オーラ・チャクラなどの実在は現代科学で証明されていません。本文はあくまでフィクションとしてお楽しみください




 全て、人の仕業には、人間力が投影されている。

 中でも、最も色濃く反映されるのが、音楽だろう。

 バッハほど、胸に沁み入る音楽はない。バッハを聴くと、我が罪を思い出し、しかもそれが許され、洗い清められるさまをひしひしと感じ、あふれる涙を抑えることができない。

 バッハを聴くとき、人は誰もが、臨終の静寂の中に、おごそかな教会の中にいる。この宇宙にはじめからあった、懐かしいステージに導かれる。

 音だけで、人々に宗教体験をさせる。それこそ、バッハという人の人間力「平和」なのだ。キリスト力、すなわち大宇宙の無限の慈愛と直結した存在が、バッハだった。

 バッハは、誰もが認める歴史的天才でありながら、存命中はオルガニストとして知られていただけで、作曲家としてはほとんど無名だった。その作品に脚光が当たったのは、死後1世紀も経ってからだった。後世に評価が高まるのは、太母タイプに共通する特色である。

 これは、バッハが特に静気系オーラに優れていたからに他ならない。静気に満ちた人は、地位や名声に振り回されず、安らぎに満ちた日々を手に入れることができる。
 そのオーラの質の高さは、キリストに匹敵するものがある。もし、キリストが中世ヨーロッパに作曲家として生まれていたなら、バッハのような曲を残しただろう。

 彼は、彼の曲がもたらすような、無限のリラックスの中で、生涯を終えた。逆にいえば、名声に心を乱されず、静かな生活を送っている音楽家でないと、こうした曲は創れないだろう。





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フランクリンの人間力

2005-05-09 17:52:59 | 人間力
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 アメリカの国父は、誰か?

 僕は、ベンジャミン・フランクリンをおいて他に考えられないと思っている。

 そもそも、アメリカ13州の連合を初めて提唱したのは彼だし、新大陸独自の課税権を確立したのも、フランクリンである。イギリスに独立を承認させたのも、彼だった。アメリカ民主党の創立者でもある。
 独立後も大統領にならず、外交官として裏方に徹し続けたので、その業績はあまり注目されていないが、実質的な合衆国の建国者なのだ。

 加えて、彼は資本主義経済の完成者でもある。
 フランクリンにはほとんど学歴もなく、家出して一文無しから事業を起こし、成功した。フランクリン基金は彼の遺言通りに運用されているが、現在、彼が予定した通りの金額に達している。彼の築いた経済学は、今日にも、そのまま通用するのだ。

 もちろん、ジャーナリスト、エッセイストとしても超1流だった。その他、彼の多才ぶりをいちいち紹介していたら、きりがない。若いころから歳晩年まで、人生のあらゆる時期に、多面的な才能を発揮した。

 フランクリンは、単なる政治家兼発明家ではなかった。ダ・ビンチ以上のスケールを誇る、万能の天才だった。



 僕はフランクリンこそ、世界史上、最も模範的な人物ではないかと思う。誰よりも多彩な才能を発揮し、しかもその全てを、公共の福祉のために捧げ尽くした。

 フランクリンは、あらゆる方法を尽くして争い事を避けた。
 政治家だったのに、選挙運動をしない。
 発明家なのに、特許を取らない。
 自らの発行する新聞に、バッシングの類は一切掲載しない。
 断定的な口調を用いない。
 特定の宗派をひいきしない。

 それでも、彼を快く思わない人はいた。そんなとき、フランクリンは進んで彼の長所を誉め讃え、友情を示したのだった。
 人間は、自分を認めてくれる相手を憎み切れないものだ。こうして、彼を嫌っていた人間も、いつしか協力者に変わっていった。最終的には、彼なくして13州はまとまらないというほどの、中心的存在になっていく。

 フランクリンが、自らのアイディアを自分の名義で発表しなかったことも、有名だ。彼は、自らのアイディアを、常に知人の発案として紹介し、ひとりの協力者を装った。名誉を捨て、アイディアの主人ではなく、召使に徹するのだった。フランクリンの多彩すぎる業績が知られていない最大の原因は、ここにある。

 フランクリンは、縁の下の力持ちに徹し、影から歴史を動かし続けた。最終的には、アメリカの独立を達成、資本主義経済も確立して、人類史のまったく新しいページを開いたのだった。



 また、彼が個々人のモラル向上を、資本主義繁栄の必須条件と考えていたことも、特筆しておきたい。フランクリン自身、道徳的に完成された人間を目指していたことは、あまりにも有名。

 浪費はしない。借金を避ける。払うべきお金を、キチンと払う。極めて当たり前のことなのだが、それが平和に守られない限り、資本主義はかえって人を不幸にすると、フランクリンは予言していた。現在、人類は、その予言に耳を傾けるべき段階に来ているのではないだろうか?

 フランクリンの人間力「平和」のスケールは、かの聖徳太子にもひけをとらない。
 人類が、フランクリンの真の偉大さを理解するには、もう1000年以上の時間が必要だろう。






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コペルニクスの人間力

2005-05-09 17:49:13 | 人間力
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 中世ヨーロッパ最大の異端「地動説」を発表した天文学者、コペルニクス。さぞかし、波乱の人生を送ったのかと思いきや、実は全く弾圧されていない。

 生前のコペルニクスは、天文学者としては、全くの無名だった。教会法の博士号を取得し、教会官僚の道を歩んでいた。また、医学を修めて医師としても活動している。
 多忙な生活の中で、僧院の小さな塔を住まいに選んだコペルニクスは、夜になると、趣味の天体観測に没頭した。頭脳明晰な彼が、地動説に辿り着くのは、時間の問題だった。

 しかし、コペルニクスはこれを信頼できる友人に明かすだけで、不用意に発表しようとはしなかった。そんなことをすれば、現在の地位を失うばかりか、異端として処刑されてしまう。

 コペルニクスは穏やかな聖職者であり、名声を博することに興味はなかった。しかし、真理を知りながら、それを明かさずにいることも、罪であるように思えた。人知れず、コペルニクスは悩み苦しんだ。

 最終的に、彼は、地動説を発表する道を選んだ。

 今の時代には、受け入れられないだろう。しかし、発表さえしておけば、いずれ認められる時代が来る。

 だが、コペルニクスは極めて慎重だった。序文には「これは単なるひとつの仮説に過ぎない」と断わりを入れ、可能な限り反発をやわらげようとした。

 その上、発表時期も死の直前とした。身寄りも財産もない彼の没後であれば、何を発表しようと、弾圧される者はこの世にいない。清貧の生涯を貫いたコペルニクスだからこそ、可能な発表だった。案の定、この論文『天体の回転について』は、その後半世紀もの間、禁書とされた。

 しかし、一度開かれた真理の扉は、もう誰にも閉ざすことはできなかった。肉体は滅びても、人間力は不滅である。ブルーノ、ガリレオ、ケプラーといった後継者たちが彼の正しさを証明し、数世紀を経て、教会も地動説を認めざるを得なくなっていく。

 最終的には、コペルニクスが戦わずして、絶大な教会の権力に勝利したのだった。




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聖徳太子の人間力

2005-05-09 17:46:27 | 人間力
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 「日本の国父は誰か」と問われたら、僕は迷わず聖徳太子と答える。
 「日本史上、最も模範的な人物は誰か」と問われても、やはり聖徳太子と答えるだろう。

 聖徳太子は、風ひとつない琵琶湖の湖面のような、静穏と深遠を感じさせる。この正体は、太子の静気系オーラなのである。太子の場合、これが小さく見積もっても地球大のスケールを持つ。具体的には、地震や噴火を静められるほどのレベルである。オーラがあまりにも深遠かつ壮大過ぎて、常人には、水平で底無しの湖面を感じさせるのだ。

 時の天皇さえ暗殺した、あの絶対暴君・蘇我馬子でさえ、太子の前では毒気を抜かれてしまっただろう。太子は蘇我氏の影響力低下を計り、官位も授けなかったが、1度も目立った衝突を起こしたことがない。

 太子は、実をいうと、19歳での摂政就任から10年間も、目立った行動を起こしていない。この期間に、蘇我氏を排除し、日本の未来を築くための長期計画を練っていたと思われる。蘇我氏の独裁をじっと忍んで、計画の完成を待ち続けた。

 こうして発表された『十七条の憲法』では、仏経を尊び、天皇を中心に全員が和していくことを説いている。それはそのまま、現代まで日本人に受け継がれる道徳の根幹となっている。実に1400年も前に制定されたしきたりが、現在でも生き続けているのだ。

 また、それまでは日本を属国扱いしていた隋に、対等な国交を認めさせたことも、太子の特筆すべき実績だろう。朝鮮半島を挟んでいる隋が、地理的に日本列島を征服し切れないことを見切っての判断だった。
 隋は、日本列島と朝鮮半島が同盟を結ぶことを恐れ、太子の要望を受け入れざるを得なかった。太子が、戦わずして日本の完全独立を達成したのである。
 以来、近代の関係悪化を除いて、日本は東の超大国・中国と、対等な関係を結び続けてきた。そして今日も、日本は独立国の地位を保ち続けている。

 さらに太子は、40歳を前に政界を引退し、歴史や仏経の研究に専念している。これは、ただ蘇我氏との衝突を避けただけではない。最終的には、教育と思想の力で国の未来が決まることを、太子は熟知していた。

 太子の死後も蘇我氏の独裁は続いたが、和を以て尊しとする太子の思想は生き続けた。それが大化の改新として実を結び、蘇我氏は退けられた。結果的には、最後まで忍び続けた太子が、念願を達成したのだった。

 仏経信仰にせよ、天皇中心の大和にせよ、中国との対等な国交にせよ、独立にせよ、全て、今日の日本にそのまま受け継がれている。
 肉体は滅びても、人間力は滅びない。
 太子の威光が、1400年後の今も、日本列島を守り続けている。

 日本という国は、聖徳太子の人間力そのものなのだ。




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タモリの人間力

2005-05-09 17:43:21 | 人間力
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 今日の芸能界を代表する太母タイプが、あのタモリだろう。
 淡々と、超長寿番組の司会を、こなし続ける。「芸能界の中央広場」といった存在感。決して、塔とか、目立つ存在ではないが、誰もがお世話になる。

 もともと、多彩な芸の持ち主ではない。僕の印象としては、「イグアナ」と「四か国語麻雀」しか思い浮かばない。決して、ブームを巻き起こすような派手さはない。しかも、TVの仕事なのに、顔面にハンディを持っている。服装も、地味。
 普通だったら、そもそもブラウン管に写ることも、難しいだろう。ところが、現実のタモリは、おそらく日本1ブラウン管に写っているタレントだ。これを可能にしているのが、彼の人間力なのである。

 司会者としての才能は、天下一品。タモリ自身、あれこれ浮気せずに司会に全てをかけて、今日の成功を実現した。
 出しゃばりすぎず、引きすぎず。誰に対しても、絶対に自分の距離感を崩さない。その司会スタイルは、終始一貫している。
 自分から話す場合も、実は同じような内容の、当たり障りのない世間話を繰り返しているだけなのに、なぜか飽きさせない。ともかく、タモリは飽きない。

 例えば、明石家さんまと所ジョージと中居クンが豪華トリプル共演したとしたら、画面がまぶしすぎて、他の出演者の印象が、全然残らない。彼らは、いずれも極めて強い陽気系オーラを発散している。空に太陽が3つあるようなものだ。

 スターっていうくらいで、芸能界には輝く人が多いけれども、番組を成功させるには、ただスターを掻き集めればいいってものでもない。
 タモリは、真暗な夜空に徹する。空が暗いからこそ、スターはいっそう輝いてみえる。決して、出演者を食わない。それこそ、司会者に最も求められているものなのだ。
 献立でいえば、ご飯。あって当たり前。決して目立たないが、無いと困る。
 派手なご馳走ばかりの芸能界においては、タモリのような縁の下の力持ちが、逆に必要なのだろう。





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ジャイアント馬場の人間力

2005-05-09 17:39:20 | 人間力
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 その人間力において、かのアントニオ猪木と好対照を為す雄大な巨峰が、ジャイアント馬場だった。
 熱気に燃える猪木が、常に時代を動かし続けたのに対して、馬場は自分のポジションを絶対に動かない、不動の巨人だった。

 常に大衆の目を意識し、新規ファン開拓に全力を注ぐ猪木と違い、馬場は、リピーターから安定した人気を得ることに専念した。彼自身、2000試合連続出場記録を打ち立てたほどで、無理のない、安定した興業の持続に徹した。地方の会場には、いつもファンにサインする馬場の姿があった。

 業界では、馬場は、世界一信義に厚いプロモーターとして、プロレスラーたちから、絶対の信頼を得ていた。世界中の1流レスラーたちが、馬場の全日本プロレスに招かれることを望んだ。
 エースだったジャンボ鶴田が、病気で長期欠場に追い込まれたときにも、彼の口座には、それまで通りのギャラが振り込まれ続けたという。いまどき、珍しいくらいの温情家だった。

 プロレスラーの現役生活は、長くない。引退後の不安は、根強い。馬場は、レスラーがピークを過ぎたときのことまで考え、最大限の配慮に努めた。レスラーを使い捨ての駒くらいにしか見ていないこの業界において、馬場だけは、レスラーを人間として扱った。

 馬場自身、還暦を過ぎるまでリングに上がり、社長自ら前座を努め続けた。一時代を築いた大レスラーに、なかなかできることではない。
 社長が率先垂範すれば、ベテランたちも文句はいえない。こうして、ベテラン勢は前座に徹し、素質ある若手にメインのチャンスが与えられるという、スムーズな世代交代システムが確立された。
 どんな組織であれ、上が詰まって代謝が阻害されるというのは、滅びの前兆である。馬場は、まずこれを取り除いてしまった。プロレス界の、50年100年先を見据えての、雄大な戦略だった。

 馬場は、猪木が異種格闘技戦で大ブームを起こそうと、挑発を続けようと、黙々と王道プロレスを守り続けた。アメリカ流の過剰なショーアップ路線にも背を向け、最もハードなパワー、スタミナ、タフネスを必要とする、肉体芸術としてのプロレスを追求し続けた。
 それも、プロレスというジャンルに対して、馬場が絶対の自信と余裕を持っていたからに他ならない。ジャンボ鶴田や小橋健太のような、人間離れした体力の持ち主たちがいる限り、プロレスは不滅だという確信に満ちていた。

 ただ、ここで面白いのは、力道山の2大後継者と目される馬場も猪木も、力道山のような覇王タイプではなかった、という点である。つまり、プロレスに覇気を求めていた人は、力道山の死と共に、プロレスから離れた。
 しかし、馬場と猪木は、それぞれの個性に応じて、全く新しいファン層を開拓した。異種格闘技戦やタイガーマスクで爆発的なブームを巻き起こしたのは猪木だったが、常にマスカラスやブッチャーのようなビッグスターをキープし、純プロレスファンから安定した支持を保っていたのは馬場だった。
 何だかんだ言いながら、彼の存命中に全日が分裂しなかったのは、馬場の威徳に寄るところが大きい。

 新日系団体が、猪木や前田といったカリスマの人間力に頼りきりで、彼らの引退と共に求心力を失っていったのに対して、全日系の団体は、馬場の衰えや鶴田の病気休養などにもかかわらず、鍛え抜かれた後継者たちが人気を守り続けている。

 馬場の人間力は、今も生き続けている。





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二宮金次郎の人間力

2005-05-09 14:22:15 | 人間力
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 僕は、模範的日本人の代表として、聖徳太子と並んで、二宮金次郎の名を挙げたい。

 幕末から新政府、さらに軍国主義から戦後民主主義という激動の中で、二宮金次郎は、常に模範の人として仰がれ続けてきた。これは、極めて異例だろう。そこには、イデオロギーの変遷に左右されない、普遍の人間力がある。



 幼くして両親を失い、さらに水害で田畑を失った金次郎は、伯父の家に引き取られ、苦しい生活を強いられることになる。朝は早くから野良仕事、夜は縄ないや草鞋づくり。もちろん、給金が出るわけでもない。奴隷にも等しい生活だった。

 一日中クタクタになるまで働き、一家が寝静まると、ようやく好きな読書の時間を得られた。だがそれさえ、灯油を惜しむ伯父に見つかれば、中断を余儀なくされた。

 ならば、自分で灯油をつくれば、文句はいわれないだろう。そう考えた金次郎は、友人に一握りの菜種を借りて荒れ地に蒔き、翌年には8升もの菜種を収穫した。
 小さな努力でも、積み重ねれば大きな実を結ぶ。この教訓を胸に、金次郎は、田植えの後に捨ててあったわずかな苗を元に、わずか数年で20俵もの米を収穫している。

 また、荒れ地で獲れた作物に年貢がかからないことも、大きな発見だった。金次郎は、荒れ地の開墾に全力を注いだ。数年経ってそこが課税対象になると小作に出し、自分は別の荒れ地を開墾した。
 さらに、薪や米を行商したり、武家に奉公したりして、現金収入も得ている。そうして蓄えた米や金を貸し付け、利息も得ている。こうした利益は、すべて課税対象外だった。克明な出納帳を付けることも忘れなかった。
 地道かつ賢明な努力の積み重ねにより、金次郎は、20歳にして生家の再興に成功したのだった。

 これは、「理知」と「押忍」を兼ね備えていたからこその成果だった。すなわち金次郎は、天才的頭脳と類希なる忍耐力を併せ持っていたのだ。



 有名になった金次郎は、藩の家老から、家の財政再建を依頼される。金次郎は、食事は飯と汁だけ、衣類は木綿のみ、その他無駄遣いは一切しないという、徹底的な倹約を推し進めた。使用人には、こうして減らした支出を現金でバックするという方法で、倹約意欲を高めた。

 浪費を戒めるべきは主人であって、働きのいい使用人には、むしろ余分に給金を払う。苦労に苦労を重ねてきた金次郎のまなざしは、常に庶民の視線にあった。さらに、世界初の信用組合まで設立している。

 こうした地道な努力が功を奏して、家は再建に成功する。金次郎は、さらに藩主から直々に、桜町の再建を依頼された。金次郎は、徹底した調査の末、年貢を4分の1に減らして領民の負担を軽くすることを条件に、再建を引き受けた。

 金次郎は、苦労して再建した土地家屋の一切を売却して、桜町に移住した。農民たちの投票によって選ばれた働き者を表彰し、年貢のかからない荒れ地の開墾や副業を奨励した。しかし、住民の無理解や代官の抵抗もあり、改革はなかなか進まなかった。

 思い余った金次郎は、姿を消して成田山で断食祈願を開始する。その間に反対派の代官は更迭され、住民たちも金次郎の思いを知り、ようやく再建が軌道に乗り始めた。
 10年後には、目標税収はほぼ達成された。金次郎の人間力が、ひとつの村を変えたのだった。



 天保年間には全国規模の飢饉が相次いだが、金次郎は、長年の百姓経験からいち早く冷夏の訪れを知り、万全の準備を整えた。借金してまで、穀類を買い蓄えている。
 全国で数10万人の餓死者が出る中、桜町ではひとりの餓死者も出なかったばかりか、食糧が有り余り、近辺の村々に炊き出しをしてやるほどの余裕があったという。

 飯を食う。これほど必要なことはない。飯は飯にあらず、命なり。金次郎は、黙々と地味な日常を守り続けることに徹した。それほど偉大なことはない。

 天変地異も、根本的には天地のプラナのバランスが乱れることによって生じる。人災と異なり、その威力にはとうてい抗いがたい。だが、たったひとりの人間力によって、幾千万の民が、飢餓の苦を免れ、命を永らえたのだった。金次郎は「野州聖人」と讃えられ、全国にその名を知られることになる。
 ひとりの人間には、これだけの力があるのだ。





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伊能忠敬の人間力

2005-05-09 14:13:06 | 人間力
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 衛星写真どころか、気球さえ無かった時代に、徒歩の測量で全国地図を完成させた、偉大な地理学者。しかし、その学問への道は、永く険しいものだった。

 少年時代から学者を夢見ていた忠敬を待っていたのは、養子に入った伊能家の家業を継ぐ運命だった。封建時代においては、個人の意志で進路を選ぶことなど、許されることではなかった。

 忠敬は、まず自分のいる場所で結果を出すことに専念した。酒造りや米取り引きに才能を示し、落ち目だった家業の復興に成功する。

 村役人となってからは、飢饉で苦しむ村人のために、家財をなげうっている。これが評価され、忠敬は苗字帯刀を許された。

 ようやく学問の道を歩み始めたのは、50歳で隠居してからだった。忠敬は、息子ほども年下の高橋至時に弟子入りし、5年がかりで天文学と測量を学んだ。
 かりにも商人、また役人としてそれなりの成功を収めた人物が、この年齢で一からの下積みに逆戻りすることなど、普通ならとうてい体面が許すことではない。だが、忠敬にとっては、ようやく巡ってきた夢を叶えるチャンス。体面など、ものの数ではなかった。

 忠敬が実地で測量を開始したのは、55歳からだった。もはや初老のご隠居が、北国を含めた、全国の海岸線を踏破する。それだけでも、どれだけの凄まじい押忍を要する事業だったかが伺い知れよう。おまけに、これは散歩ではなく、測量である。

 覚悟。持続。忍耐。忠敬は、実に17年も海岸を測り続けて、本邦初の全国地図を完成させた。その精度は、今日の地図とほとんど変わらない。

 他の人物であれば、早々にギブアップしてしまったに違いない。夢のために何10年も忍び続けた忠敬でなければ、とうていやり通せることではなかった。

 長すぎた遠回りも、決して無駄ではなかった。そこで培われた押忍あればこそ、忠敬は、日本列島の全貌を明らかにすることができたのだから。

 最後に、耐え忍んできた全てが生きてくる。それこそ、押忍の人の素晴らしさなのだ。





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徳川家康の人間力

2005-05-09 14:06:19 | 人間力
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 家康は、どこまでも押忍の人だった。それゆえに、彼は天下を手にし、徳川300年の治世を実現したのだった。

 家康ほど苦渋に満ちた生涯を送った戦国武将は、いないだろう。幼いころから、家康は人質として諸国をたらし回しにされていた。今川義元から手足のようにコキ使われ、否応なしに、武将の道を歩み始める。庶民の気楽な生活を選ぶことさえ、家康には許されなかった。

 信長に命じられ、実の息子を斬首する悲惨さえ、忍んだ。押し忍ぶしかなかった。それが、戦国の世の掟だった。

 秀吉からは、先祖代々の領地だった東海から、当時は未開拓だった辺境の地、関東平野に移される。褒賞の名を借りた事実上の左遷に等しく、家臣たちは嘆いた。
 だが家康は、ここにどっしりと根を下ろして湿地を開墾することから始め、黙々と天下取りの地力を培った。さらに、城下町を築き、後の江戸、今日のメガロポリス東京の基盤さえ築いたのだった。

 家康は、率先垂範の人でもあった。年配になっても武芸の鍛練を重ね、武士の模範を示した。最後の戦となった大阪夏の陣では、数え年74歳で出陣している。頑健が売りものの戦国武将の中にあってさえ、その鉄人ぶりは卓越していた。
 実力では随一といわれた武田信玄でさえ、志半ばにして病に倒れた。体が資本。家康は、その誰もがわかっている原則を堅持し続けたことで、最終的に逆転サヨナラ勝ちできたのだった。

 勝つことは、まだた易い。家康の偉大な点は、自らの勝利で戦乱にピリオドを打ったところにある。なぜ、家康は乱世に終止符を打ち、太平の時代を開くことができたのだろうか? 
 それは、彼が誰よりも乱世の終わりを熱望したからに他ならないだろう。
 重鎮タイプは、基本的に必要以上の衝突、争いを嫌う。中央のリーダーシップなくして戦乱はなくならないことを、家康は十分すぎるほど理解していた。争いが嫌いだったからこそ、家康は、戦国の世に終止符を打つことができたのだ。
 彼は、その生涯を費やして、「戦乱を認めない江戸幕府というシステム」をデザインし、忍んで忍んで、最後にとうとう実現させたのだった。それは、長すぎるほど安定した政権となり、人々を戦乱から守り続けた。

 家康の押忍、肝は、一国の戦乱を収めるほどのエネルギーを持っていた。

 天下太平の江戸幕府とは、家康の人間力そのものなのだ。





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高田延彦の人間力

2005-05-09 14:01:42 | 人間力
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 中学卒業と同時にプロレス界に飛び込むと、カリスマ・前田日明の弟分として堅実に居場所を築き、ようやくエースの座に上り詰めながら、最強の座を懸けて対戦したヒクソンに、あっけなく連敗。築き上げてきたものを、すべて失った。
 しかし、高田の物語は、ここから始まる。

 もはや、自らの肉体は、とうに限界を超えていた。自力でのリベンジは、難しい。
 高田は、プロレスファンからのバッシングの嵐の中で、グレイシー対策を若き桜庭に伝授し、執念で、ホイスに初黒星をつけた。あの歴史的瞬間を、僕は、

「高田の執念だな……」

 そうつぶやきながら、見つめていた。高田の人間力が、グレイシー100年の不敗神話を上回ったのだった。



 一か八かの賭けに出るタイプではない。高田には、よく自分から仰向けに寝転がる癖があった。大地のコアから気を得るタイプだから、つい地面に近づきたくなるのだ。
 これはファンには不評だったが、
「どんな強い相手にも、決して1本負けしない」
 という、彼の専守防衛スタイルからすれば、利に適った戦術だったのだろう。実際、あのミルコでさえ、高田をKOできなかったのだから。

 もちろん、守るだけでは限度があるのも確かだった。一時はみっともなく負け続け、ファンから嘲笑され続けた高田だが、ぶざまな姿をさらすことから逃げない彼の生き方は、いつのまにか独特の居場所を築いていた。大人のカッコよさとでもいうべきか。
 いまや、総合格闘技界の最も有力なプロモーターとして活躍している。

 現役ファイターとしては、決して高い評価を得られなかったが、ファンもなぜか、高田をこの業界に欠かせない存在として受け入れている。高田の存在が、何となく安心感になる。文鎮のような存在感。高田の安定したオーラが、ファンにも伝わるのだ。

 人生の勝敗は、一時の評判では分からない。スポーツだって、要は最終的に勝つか負けるかしかない。
 継続は力なり。押忍とは、執念の異名なのである。





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千代の富士の人間力

2005-05-09 13:53:35 | 人間力
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 典型的な大器晩成タイプで、中学から単身上京して部屋に住み込み、小さな体、肩の脱臼癖を押し忍びながら、執念と精進で綱を締めた苦労人。その人間力が、土俵での一挙手一投足からあふれていた。
 力士としてただ1人、国民栄誉賞を受賞したのも、無理はない。昭和という時代を象徴する横綱だった。

 これが貴乃花だと、出世も早くてスケールも雄大だし、優勝も重ねたのに、なんか中心がないような印象を受ける。これは、肝がちゃんと座っていなかったためだ。

 千代の富士の肝は特に引力が強く、並外れた押忍を形成していた。
 人によっては、ドッシリなんてのを通り越して、地面に釘付けにされてしまうようなグワーッという圧力を、千代の富士のオーラに感じるだろう。
 これは、千代の富士の中心、肝が大地の底にあり、下から彼の引力を感じるからだ。そのオーラは、ひとつの星の質量に達するスケールを持っていた。



 千代の富士の決まり手は、寄り切りが1番多かった。地味だが、堅実。相手を必要以上に傷つけたり、辱しめることもない。観ているほうは歯がゆいが、これも重鎮タイプの傾向なのだ。

 もともと相撲というのは、押忍の国・日本の国技だけあって、典型的に押忍を磨くための芸能だと思う。国際的にも、「相手を押し出すと勝ち」というレスリングは少ない。一か八かで打って出るのではなく、自分の居場所(土俵)をじっと堅持し続け、外敵を排除することを重んじる。相撲とは、一所懸命の体現なのだ。

 横綱は、文字通り綱を締める。御神木と同じように。
 つまり、年月を重ねた御神木と同様の何かが、横綱には求められている。その何かこそ、押忍に他ならない。
 浮ついた動物と違って、植物は自分の居場所にどっしりと根を張り巡らし、悠久の時を経て、大樹へと成長する。
 動かないこと、持続すること。つまり押忍こそ、横綱に求められる人間力なのである。

 千代の富士が北海道出身というのも、押忍を高める一因だったと思う。もちろん文化的な傾向も関係するけれど、北国の、浮ついたものを許さない厳しい気候は、押忍の鍛練、精進に適した環境だろう。
 寒稽古なんていうのも、近代スポーツでは敬遠されがちだが、押忍、ハラの鍛練という意味では、決して無駄ではないと僕は思う。もちろん、怪我をしては元も子もないが、安全性を確保した上でなら、やる意味はある。
 猪木は、毎朝水風呂に浸かっているそうだし、ヒクソンも、冬の日本アルプスで川に潜ったりしていた。これは、オーラという観点からすると、肝の精進に他ならない。



 スケールでは千代の富士にやや劣るものの、同じタイプが、プロレスラーの木戸修だった。
 木戸は、練習中の事故で選手生命を絶たれた兄の夢を受け継ぎ、プロレスの世界に飛び込む。派手さはないが、堅実な技巧派として渋さを売り物とし、ブームに頼らない安定した人気を保って、淡々と現役を全うした。
 この2人に、共通する何かを感じているのは、僕1人ではないと思う。これは、両者の人間力の質が、極めて似通っているからなのだ。




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重鎮タイプの人間力「押忍」

2005-05-09 13:44:06 | 人間力
※気・オーラ・チャクラなどの実在は現代科学で証明されていません。本文はあくまでフィクションとしてお楽しみください




 辛抱。堪忍。覚悟。我慢。忍耐と持続。どっしりと肝を据えて、その重みでハートの熱気を制御することによって成立する人間力。
 最も日本人らしい人間力といえる。



 最後に勝つ。何事においても、一番大事なことだ。
 野球でもマラソンでもなんでも、途中でどんなにリードしていようが、最後に負ければ、そのゲームは負け。押忍に欠ける者は、最終的に勝利することができない。

 急いては事をし損じる。つぼみをこじ開けようとしても、花は咲かずにただ散るばかりだろう。日々の地道な手入れを持続しながら、開花の時を待つしかない。生きものを育むような場合にも、押忍は不可欠な人間力となる。もちろん、教育者にも必要だ。

 釣りだって、頻繁に竿を挙げて場所を変えていたら、釣れるものも釣れない。
 一つの所に命を懸ける。
 一度腰を落ち着けたら、じっと待ち続けない限り、成果は上がっていかない。

 脚光を浴びることは少ないが、じっくり腰を据えて取り組み、着実に結果を出す。このタイプを、僕は「重鎮」と呼んでいる。

 重鎮タイプは、むやみにチョコマカと動き回ることを嫌う。自分の居場所をよりよくすることに専念する。転職は滅多にせず、安定した収入を重視する。インドア派で、その部屋は本人にとって、大変居心地のいい場所となっている。

 農耕を基として発展してきた日本では、様々な人間力の中でも、とりわけ押忍を高めることが美徳とされてきた。
 武士道とはやせ我慢の異名であるし、大和撫子にも、耐え忍ぶことが要求された。
 忍んで忍んで、最後に目的を果たす忍者など、このタイプの最たるものだった。
 現代でも、全てを犠牲にして仕事に命を捧げるモーレツガンバリーマンは重宝される。

 日本では、「諦めることが大人になること」だとか、「苦しむことが善である」みたいな風潮がある。忍耐そのものが目的化している。中高年の自殺が激増しているのは、過剰な押忍が原因だ。
 ここまでやるのは、行き過ぎだけれども、最終目的を達成するための忍耐であれば、プロセスとしてそれなりの価値があるといえるだろう。



   ◇押忍のシンボル◇

 巨石 巨木 文鎮 亀 北国の冬 和太鼓 切腹 ド演歌 苦学生 ガンバリーマン 満員電車 長期ローン 年功序列 やせ我慢 泣き寝入り



   ◇実在の重鎮タイプ◇

徳川家康
伊能忠敬
二宮尊徳
松下幸之助
北島三郎
ジャイアント馬場
坂口政二
タモリ
藤波辰巳
千代の富士
高田延彦
木戸修
綾小路きみまろ



   ◇フィクションの重鎮タイプ◇

おしん
大原部長(こち亀)
葉隠覚悟(覚悟ノススメ)






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少年タイプの人間力「元気」

2005-05-09 13:26:23 | 人間力
※気・オーラ・チャクラなどの実在は現代科学で証明されていません。本文はあくまでフィクションとしてお楽しみください





 これも、分かりやすい人間力のひとつ。陽気系オーラによってもたらされる。いわゆる人気者には、必ずというほどこの人間力が備わっている。
 子どもは総じて元気が強いので、このタイプを仮に「少年」と呼ぶことにする。



 少年タイプは、総じて快活で破天荒。人生を楽しむのが得意で、面白いことをいろいろ知っている。サービス精神も旺盛で、遊び相手としては最高だ。

 それというのも、少年タイプが、太陽を源とする陽気を、どんどん自分のオーラに取り込んでいるためである。これが周囲にも伝わり、元気を分けてもらえるので、人が集まってくる。プライベートな人間関係の輪は、たいてい少年タイプが中心となって形成される。

 天気が悪いと、なぜか元気が出ない。天候は、人間のオーラに強く影響する。快晴の時は陽気が大気に満ちているので、ただ外出するだけでも、元気が出てくるのだ。

 日本は、バブル時代には陽気過剰の状態だったが、バブルがはじけて、一気に陽気不足に陥った。96年の冷夏などは、象徴的だ。民の気分は、天候にまで影響を及ぼす。
 陽気が足りないと、元気も出ない。最近になって、モー娘。みたいなバカ明るいタレントが人気を呼んでいるのも、お笑いブームが起こっているのも、日本中に元気を補給する必要があるためだ。

 陽気によって成立する代表的なチャクラは、顔面の「スマイル」だ。熱気は、ハートに集まりやすい。陽気も熱気も共に陽性の気であるが、太陽の陽気は首から上、マグマの熱気は首から下に集まりやすい傾向にある。

 人間に限らず、動物も、子どものほうが元気が強い。だから、人間でもペットでも、子どもと接する時間を増やせば、元気がアップする。

 子ども、特に赤ん坊の発する元気は激烈なまでに強力で、大人たちの我欲を吹っ飛ばし、家族を形成させてしまうほどのパワーを持つ。だからこそ、人類はここまで繁栄できたのだ。
 赤ちゃんのいる家は、目に見えない活気にあふれている。これは、赤ちゃんの陽性オーラが、家中を包んでいるからなのだ。

 現代人は、もっと子どもに接するべきだと思う。誰もが我先に子どもの世話をするようになれば、母親だけに負担が集中することもなくなる。もともと、子どもは両親だけでなく、もっと大勢の大人を引きつけ、育てさせるパワーを持っているのだ。



   ◇元気のシンボル◇

太陽 スマイル 子ども ひまわり 夏休み 人気者 エンターテイナー ポップアート



   ◇実在する少年タイプ◇

 ここに挙げる人たちみんな、背中にお日様がサンサンと輝いているような気がしませんか? それが、この人たちのオーラなんです。

豊臣秀吉
坂本龍馬
マーク・トゥウェイン
チャーリー・チャップリン
ウォルト・ディズニー
ネルソン・マンデラ
長嶋茂雄
芦原英行
スティーヴン・スピルバーグ
ジャッキー・チェン
鳥山明
カッパーフィールド
マイケル・ムーア
ハルク・ホーガン
所ジョージ
明石屋さんま
桑田圭介
森口博子
カールスモーキー石井
林屋ペーパー夫妻
中居正宏
前田憲作
武藤敬司
獣神サンダーライガー
ヴォルク・ハン
最近の猪木
矢口真理
乙武広匡
桜庭和志
須藤元気
ボブ・サップ
アントニオ・ホドリコ・ノゲイラ
マーク・ハント
チェ・ホンマン



   ◇フィクションの少年タイプ◇

トム・ソーヤ(トム・ソーヤの冒険)
ピノコ(ブラックジャック)
オバQ(オバケのQ太郎)
則巻アラレ(ドクタースランプ)
孫悟空(ドラゴンボール)
ひかるちゃん(オレンジロード)




 こうして名前を並べるだけで、何となくワクワクして、笑顔がこぼれてきませんか? 人間力は、名前だけでも伝達するものなんです。





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ヒョードルの人間力

2005-05-02 16:13:34 | 人間力
※気・オーラ・チャクラなどの実在は現代科学で証明されていません。本文はあくまでフィクションとしてお楽しみください



 現PRIDE無差別級王者、エメリヤーエンコ・ヒョードル。彼こそ、現代を代表する、典型的な天才タイプのアスリートだろう。

 格闘家には、熱気系人間力「覇気」が過剰なタイプが多いのに、ヒョードルほど覇気を感じさせない選手も珍しい。クールなんて次元を、はるかに通り越している。まるで、バーリトゥード用に開発された冷たい兵器である。
 リング上に一切のエキサイトを持ち込まず、一か八かの賭けにも出ない。白星の確立が最も高い作戦を、無感情に実施するだけ。眉ひとつ動かさずに、すでに血ダルマの相手を、なお粛々とパウンドし続ける。

 あたかも、氷の刃で背筋を一刀両断されるような、一片の情もない冷徹さが、彼のスタイルには感じられる。この痛いほどの冷たさこそ、ヒョードルの人間力「理知」なのだ。



 ヒョードルは、対戦相手の持ち味を凍りつかせてしまう。実力差のある相手は、決められるところであっけなく勝負を決めてしまうし、少しでも負ける可能性のある相手に対しては、絶対に冒険せず、判定勝ち狙いに徹する。
 ある意味で、最も見栄えのしない、面白くない試合展開だろう。現王者でありながら、人気の点でミルコやノゲイラに譲るのは、そのあたりに原因がある。天才タイプは、どうしても大衆受けしにくい。

 一切のムダや飾りを排し、白星という目標一点を、一直線に突き刺す。この集中力こそ、冷気系オーラによってもたらされる、天才タイプの大きな特徴なのだ。
彼のロシアンフックに「氷の拳」というニックネームがつけられているのも、ヒョードルのオーラが冷性であることを、誰もが感じ取っているからだろう。



 かつてヒョードルは、ミルコの膝をまともに食らってケロリとしていたタフな藤田和之を、ジャブでダウンさせたことがあった。藤田の完敗は、後にも先にもあれだけだろう。
 ジョーをピンポイントで、理想の角度で打ち抜いたからこそ可能なことだが、イチローなどにも共通するシャープで精密な動きは、天才タイプアスリートの特徴である。

 剛力王グッドリッジと対戦したときも、ゴングが鳴ると同時に飛び込んで、鋭いワンツーでKOしてしまった。これには度肝を抜かれた。この男に、恐怖心は存在しないのだろうか。
 普通、あれだけの強打者に対したら、どんな度胸があっても、迷わず飛び込むことはできない。冷気系オーラで神経系をコントロールできないと、とても無理。
 ヒョードルには、前頭部の冷気系チャクラ「マナ」が、極めて強固に形成されている。だからこそ、理性と知性で感情をコントロールできる。

「理論的には可能なのに、実際は誰にもできない」

 ということを、理論通りにやってしまうのが、天才タイプなのだ。



 ヒョードルが今以上のスケールに成長するには、熱気系オーラの強化が必要だろう。
 ミルコも天才タイプだが、人気でヒョードルを上回っているのは、ハートに覇気が満ちているからである。ヒョードルにはハートを感じないのに、ミルコには熱いハートを感じる。だから、人気が出るのだ。

 カリスマ的な魅力というのは、理知と覇気の相乗効果によって生じる。ホリエモンもこのタイプ。ヒョードルが熱いハートを持つようになれば、今以上の人気と実力を手に入れることになるだろう。




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蘇我馬子の人間力

2005-05-02 15:24:40 | 人間力
※気・オーラ・チャクラなどの実在は現代科学で証明されていません。本文はあくまでフィクションとしてお楽しみください




 馬子は、自ら擁立した嵩峻天皇を、自分を退けようとしたからと、暗殺してしまう。

 天皇暗殺。この、空前絶後の大謀反ひとつとってみても、馬子がとんでもない覇王タイプだったことが分かる。おそらく、その覇気は、戦国の魔王・織田信長以上だったろう。信長でさえ、天皇暗殺までは考えなかったのだから。おそらく、日本史上最高の覇気の持ち主は、馬子だろうと、僕は考えている。



 その後、馬子は聖徳太子を摂政に立てる。太子は馬子を敬遠する動きを見せたが、結局、馬子は最後まで太子を重んじ続けた。

 そこには当然、共に仏経の信仰者だったという絆もあっただろう。
 しかし、より根本的には、熱気系のオーラにあふれすぎている馬子にとって、静気系オーラに満ちた太子というパートナーが必要なことを、本人が感じていたからではないだろうか。

 また、内省的な太子にも、馬子という強引なパートナーが必要であり、生前は蘇我氏を嫌いながらも、あえて協調し続けた。
 このあたりは、信長と家康のコンビにも共通するところだろう。

 政府に限らず、夫婦でもなんでも、どんな集団にも大切なのは、正反対のタイプ同士を組み合わせることだ。
 似たタイプを組ませようとすると、どうしても軋轢を招く。凸同士や凹同士では、噛み合わない。

 馬子は、評判ほどひどい独裁者ではない。確かに、皇室にとっては邪魔な存在だったが、政治家としては卓抜していた。わずか19歳の聖徳太子を、能力本意で大抜擢した事実ひとつ示せば、十分だろう。太子と並ぶ、日本建国の功労者なのだ。




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