写真 性別不明の天才剣士 エオンの騎士
江戸時代、日本で剣をはじめとした武術の諸流派が栄え、幾多の達人が登場したように、西洋においても、この時代に剣技が隆盛を極め、数々の名人が登場した。
ヨーロッパでは、王族から庶民に至るまで、いさかいは裁判ではなく決闘で決着する伝統があったので、男たちはこぞって剣の修練にいそしんだ。しかし、決闘に対する処罰が厳しくなり(ボクシングの復活と決闘の衰退は、無関係ではない)、また銃火器が発達するにつれて、次第に剣の伝統は廃れていった。
現在では、スポーツ化されたフェンシングにその面影を見るばかりだが、ヨーロッパにおいても、日本に勝るとも劣らない、奥深い武術の伝統があったのである。
その中でも、特に卓越した剣士を1人挙げろといわれれば、それはシャルル・ジュヌヴィエーヴ・ルイ・オーギュスト・アンドレ・ティモテ・デオン・ド・ボーモン、通称「エオンの騎士」以外に考えられない。
エオンの騎士はフランスに生まれ、3歳まで女の子として育てられた。軍事学校を卒業し、竜騎兵隊長にまでなったにもかかわらず、その美貌と美声から、「実は女ではないか」という疑惑が耐えなかった。また、本人もしばしば女装を繰り返した。何人もの男が、エオンの騎士に恋をしたが、エオンの騎士は色恋沙汰に全く関心を示さなかった。
常に女だという疑惑を持たれ続けていたエオンの騎士が、軍人としてその面目を保ち続けた秘訣は、剣の腕にあった。女装のまま決闘を繰り返しては、1度として傷を受けることなく、その全てに勝ち続けた。
歴史上のエオンの騎士の功績は、なんといってもルイ15世の全権公使として活躍し、『パリ条約』を成立させたことだろう。
さらに、密かにスコットランドと組んで、イギリスに対して有利な状況を作り上げた。エオンの騎士は、「第2のジャンヌ・ダルク」とまで呼ばれるようになる。
おまけに、「先王のしくんだ陰謀を暴露する」とルイ16世を脅迫し、12000リーヴルもの大金をせしめ、財産を築いている。
しかし、時は流れ、エオンの騎士の名声を脅かす、新世代の天才剣士が登場する。
彼の名は、サン・ジョルジュ。
サン・ジョルジュは騎士を父、黒人奴隷を母として生まれた。
卓越した運動神経と剣の腕を示し、わずか17歳で、パリ中の名だたる剣術教師を打ち負かした。
人々は、「彼こそ史上最強の剣士」だと褒め称えた。
エオンの騎士とサン・ジョルジュは、ヨーロッパ最強剣士の称号をかけて、1787年、ロンドンで公開決闘を行うことになる。
サン・ジョルジュは当時、現役の近衛騎兵であり、心身共に絶頂期にあった。
一方、エオンの騎士は、すでに59歳。いかに過去の決闘で無敗を誇ったとはいえ、とうてい、全盛期の力は望むべくもない。観衆は、若き混血の天才サン・ジョルジュの圧勝を信じた。
だが、人々は奇跡を見た。女装して現れた、すでに老境に近いエオンの騎士が、若く力強いジョルジュの剣先を全く寄せ付けず、一方的に7度の突きを成功させたのである。ジョルジュは命こそ失わなかったが、最強の称号は、完全にエオンの騎士のものになった。
武芸の達人は、東洋だけの専売特許ではなかった。エオンの騎士が生まれて初めて刀傷を受けたのは、実に68歳になってからだったという。おそらく、白内障で敵の剣先がよく見えなくなっていたのだろう。
その後も、剣術の模範演技で生計を立て、82歳で没している。
エオンの騎士の没後、その性別を調べるために、外科医が遺体の解剖を試みている。その結果は……
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ヨーロッパでは、王族から庶民に至るまで、いさかいは裁判ではなく決闘で決着する伝統があったので、男たちはこぞって剣の修練にいそしんだ。しかし、決闘に対する処罰が厳しくなり(ボクシングの復活と決闘の衰退は、無関係ではない)、また銃火器が発達するにつれて、次第に剣の伝統は廃れていった。
現在では、スポーツ化されたフェンシングにその面影を見るばかりだが、ヨーロッパにおいても、日本に勝るとも劣らない、奥深い武術の伝統があったのである。
その中でも、特に卓越した剣士を1人挙げろといわれれば、それはシャルル・ジュヌヴィエーヴ・ルイ・オーギュスト・アンドレ・ティモテ・デオン・ド・ボーモン、通称「エオンの騎士」以外に考えられない。
エオンの騎士はフランスに生まれ、3歳まで女の子として育てられた。軍事学校を卒業し、竜騎兵隊長にまでなったにもかかわらず、その美貌と美声から、「実は女ではないか」という疑惑が耐えなかった。また、本人もしばしば女装を繰り返した。何人もの男が、エオンの騎士に恋をしたが、エオンの騎士は色恋沙汰に全く関心を示さなかった。
常に女だという疑惑を持たれ続けていたエオンの騎士が、軍人としてその面目を保ち続けた秘訣は、剣の腕にあった。女装のまま決闘を繰り返しては、1度として傷を受けることなく、その全てに勝ち続けた。
歴史上のエオンの騎士の功績は、なんといってもルイ15世の全権公使として活躍し、『パリ条約』を成立させたことだろう。
さらに、密かにスコットランドと組んで、イギリスに対して有利な状況を作り上げた。エオンの騎士は、「第2のジャンヌ・ダルク」とまで呼ばれるようになる。
おまけに、「先王のしくんだ陰謀を暴露する」とルイ16世を脅迫し、12000リーヴルもの大金をせしめ、財産を築いている。
しかし、時は流れ、エオンの騎士の名声を脅かす、新世代の天才剣士が登場する。
彼の名は、サン・ジョルジュ。
サン・ジョルジュは騎士を父、黒人奴隷を母として生まれた。
卓越した運動神経と剣の腕を示し、わずか17歳で、パリ中の名だたる剣術教師を打ち負かした。
人々は、「彼こそ史上最強の剣士」だと褒め称えた。
エオンの騎士とサン・ジョルジュは、ヨーロッパ最強剣士の称号をかけて、1787年、ロンドンで公開決闘を行うことになる。
サン・ジョルジュは当時、現役の近衛騎兵であり、心身共に絶頂期にあった。
一方、エオンの騎士は、すでに59歳。いかに過去の決闘で無敗を誇ったとはいえ、とうてい、全盛期の力は望むべくもない。観衆は、若き混血の天才サン・ジョルジュの圧勝を信じた。
だが、人々は奇跡を見た。女装して現れた、すでに老境に近いエオンの騎士が、若く力強いジョルジュの剣先を全く寄せ付けず、一方的に7度の突きを成功させたのである。ジョルジュは命こそ失わなかったが、最強の称号は、完全にエオンの騎士のものになった。
武芸の達人は、東洋だけの専売特許ではなかった。エオンの騎士が生まれて初めて刀傷を受けたのは、実に68歳になってからだったという。おそらく、白内障で敵の剣先がよく見えなくなっていたのだろう。
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エオンの騎士は同性愛者という話を聞きますが本当なんでしょうか?