食ったら即、脂肪。

大食い。太りやすい。
日々のこと。

ホントノハナシ

2006-03-31 15:15:11 | 日記
先行で記事をアップしておけば、買っただけで本も終わらず。なんとか日の目をみるんじゃないかと思っていたら、本読むまでブログ書けないジャン。。。本を選んで買うのは好きだけど読むのがめんどくさいってどういうことですか!!って自分にむちを振るうもといハンマーで足裏をたたく。(けっこう気持ちがいい)なのでここ1週間で読む本を本棚からピックアップ!!

 
  そのときは彼によろしく(市川拓司)

  銭湯の女神(星野博美)

  著者略歴(ジョン・コラピント)

  乱世を生きる、市場原理は嘘かもしれない(橋本治)

時間を見つけて読もうと思います。それでは!!

読んでくれてありがとう

2006-03-30 19:01:36 | 日記
おじいちゃんやおばあちゃんになるとだんだん腰が曲がってくるのはどんどん感謝の気持ちでいっぱいになって「ありがとうございます」って頭を下げすぎているからじゃないのかな。

実家に帰って顔を出しに行くとそう思う。

こっちが言わなきゃいけないのにね。

きっと神様が肩にちょこんと乗ってるってのもありえるね。

とにかくうちのおばあちゃんは、感謝のかたまりみたいなもんだ。

感謝の生まれ変わりだね。

ぼくも見習いたいです。

おやすみなさい。

2006-03-24 01:34:38 | 日記
木曜日は、とにもかくにもヨガである。先生が言うには4月でこのクラスは1年だそうだ。週1回だけど、ずいぶん長かったよな気がする。ていうかどのくらいやってたか忘れるね。ブログも初めて1年たってるね。同じぐらいに始めてのは興味深い。ヨガのおけげでふとももが太くなった。リキ入れるからか変なところから毛がはいてきた、今日は眠たいし体中がいたいです。マッサージして、してもらったあとだから、どんなに角度のないキーボードでも文字のうえを指先がすべって叩けない、置いているだけ。もう寝なきゃ。

お話し。

2006-03-20 02:53:49 | 日記
 インターネットラジオをやっている人で共通していえることは話しを上手くなりたいということだ(自分を含め)。でもこれは伝えたいことがあっていえることで妙に英語の発音がいいんだけど話の内容がないほど滑稽なことはない。いいたいことがあってそれを伝える技術を身に付けたいってことだろう。

 どうすればいいか、うーーーん・・・自分がいいなと思ったものしか載せないことである。人の判断にゆだねないで、自分で判断するしかない。好みの問題があるかもしれないけど、それでいいのだ、きっと。

その日の前に重松清

2006-03-18 08:02:18 | 日記
バイト帰りに友達ちに遊びに行って、さっきもらったばっかの本

笑いすぎて泣いたことはあるけど、泣きながら笑ったのは初めてだ。

誰かが生まれたら世の中から押し出されるように人1人消えていくのかな。

実家に帰ったとき、母さんの習慣になっている散歩について行った。ほぼ毎日ジムに行って、それなりに汗を流してるものとして楽勝だろうとたかをくくっていたのだが、早い早い。(靴が合ってなかったことを差し引いても)週に1回、1時間歩いてるといってたけど散歩じゃないね、競歩だね。会話する余裕もなかったけど、背中が何か語ってたね。結局親の背中を今も見てます。

「読書からはじまる」長田弘

2006-03-17 15:58:15 | 読書日記
読んでいてヤバイなと共感できる本には出会ってきたけど声無き悲鳴を上げていたことに気づかされたのは初めてだ。

 「読書からはじまる」 長田弘 NHK出版

 金沢の詩人、室生犀星(むろうさいせい)の詩に

 「ふるさとは遠きにありて思ふものそして悲しくうたふもの」

という有名な詩が紹介されていて日本人のふるさとのイメージを彫りこんだこの詩は、ひろく世に好まれて、さまざまに引用されてきた詩ですが、このように知られてきた詩行というのは、さて、わたしたちにとって情報の言葉なのでしょうか。それとも、読書の言葉なのでしょうかと問われている。
 詩を読んで「ふるさとは遠きにありて思ふもの」という一文を覚え、記憶するのが読むこと。すなわち「読むこと」、すなわち読書です。片や日本近代の出郷者たちの思いをうたった室生犀星のうたであるというのは「知ること」、すなわち情報です。」といってる。

 たとえば「世界の中心で愛をさけぶ」ってどんな本ってきかれたらきっと、
「柴崎コウが書いた本の帯で話題になって、あの題名ってエバンゲリオンの最終回の題名から出版社の人がパクってつけたんだって」って情報を僕はきっと流します。本の内容なんかより刺激的だ。

CDでいえばちょっと前までオリコンチャートが基準であったように中身そのものより順位のほうが大切だった。(今はインディーズという、ぼくらファンが彼らを支えているんだ。なんて感じられる、形態が好まれていたりもするし、様々だ。)

自分が本やCDを情報として捉えてることにショックを感じたんだ。

というのはある女性の投書のことが書かれていたんだけど、

僕と彼女にちょっとあてはまったんだ。

その人は、結婚してるんだけど奥さんは本をたくさん読むんだけど買わない。

図書館で借りて読む。あくまで読書のための読書を、本に求めている。

だから本を所有しなくてもいいという。

一方、夫は買った本は、積読。どんどん買ったものが重なっていく。

なんとなく読んだ気になる。本を買うのは気になって買ってくる。

気になって買ってくるのは、その中にあるであろう情報を手に入れたいから情報として本を求める。

しかし、情報の価値は情報を手に入れることにあるので、手に入れば気持ちは落ち着く。

結局読まない。これが、僕と彼女の本に対する接し方にあてはまったのだ。

さらに悪い事に僕は図書館でも本を借りて読まずに返したりしている始末。

もはや末期だ。(実はこの本も図書館から借りた本。。。)

そういう危機感から先に記事をアップさせて強引に本を読んでいく方法をこの本から始めるなんて、なんだか運命を感じるよ。時期としては、ギリセーフだね。

考えるヨガ  シャンバラ・ガイド

2006-03-17 04:34:28 | 読書日記
 生き方としてヨガを知るためにー

読み終わったら感想を書こうと思っていたのですが、なかなか進まないので、ここで書いて強引に読んでいこうと思います。(映画にしてもいえること・・・)

これからは、先行で記事を乗っけていくことが多くなると思いますが、そこらへんはご勘弁を。

よろしくお願いします。。。

感想
 読んでいると、昔々おれたちひょうきん族のブラックデビルとたけちゃんマンの「あっみだくじ~あっみだくじ~♪」って歌が聞こえてきた。

縦に並んでる文字があみだに見えてきて自分はこのままどこに連れて行かれるんだろうと少し怖くなった。

今は、完全にフィットネス感覚で身体をいい状態に保つため、安定した心でいれることだけで十分だけど、

4000年もの間、受け継がれてきて洗練されたヨガの歴史には惹かれる。

高校時代の倫理のクラスで哲学の勉強しながら座禅を組んでるような感じだ。

頭だけじゃなく体と心に問いかけながら学んでる。

この本は、教科書の教科書とでもいうべきか。

僕のなかでは、井上雄彦のバカボンドを読んでるような感覚でした。

ヨガではポーズをとっている時、どこを見てるかという視点がとても重要ですが、

集中力を増すだけじゃなく、じっと外に向けられた目で自分自身を見ているのだなと気づきました。

ヨガの食事では、多く食べることは盗んでいることと同じだ。なんて書いてあって

今も昔もやっちゃいけないことは、それほど変わってないけど

今の社会の変化は早すぎる。

みんなと一緒に車がこないか左右の確認をしているうちに信号が赤に変わってしまう、

それじゃホリエモンみたいに、ルールをやぶって渡りたくなるものだ。

待っているだけじゃ世の中も渡っていけないしね。

帰る道中、幸せにひたれるスピードで、

2006-03-17 01:29:22 | 日記
yoga帰りです~。こんばんは。

ヨガの醍醐味ってなんだろって思ったけど、その前に醍醐味って言葉にフィットしてないね。野球の醍醐味、サッカーの醍醐味、これは合う。

パワーヨガの醍醐味、リズムとしてはいいんだけどね。

やっぱりブームとしてヨガは乗っているけど文化とまではいってないし。根付いていないもんね。

スポーツクラブのヨガクラスで周りを見渡しても10パーセントもヨガマット持参してないし。

野球とかは、やってない人も語ったりしてるし、そこまで浸透したらすごいよね。

今日、ヨガの先生に質問したことは、

「鼻呼吸している状態で吐く時、のどの奥をとおって、さざなみの音が鳴っていてダースベーダ-のようになっているんですが、吸う時音が鳴らないんですが、どうすれば?」

先生「ビールを飲んだ時、のどをゴクゴクいわせた後、プハーってなるよね、そのとき、のどが開いているんだけど、それで吸うイメージだね。まあ、技術としてはあるけど、そっちに心がとらわれるとね。。、」

「自然が一番と」

先生「そうだねー」とのことです。

「ありがとうございました」