09年4月23日 木曜日 政治家の独り言と悲しい話の続き
テレビ番組のテロップ政治家の愚痴?
昨日の「悲しい話」に友達の林太郎さんからコメントを頂戴した。お許しを頂き全文転載する。
転載はじめ
2009-04-22 23:28:32
日本の介護制度はまだまだ黎明期だからなのでしょうか、あるいはお上が作った制度だからなのかひずみが多々みられます、それに制度を食い物にする輩が多いのも気になります。財政的にも貧困であることは間違いの無いところでしょう。
オット、政治(政治屋)の貧困もある。
清水由貴子さんの自殺は本当に悲しい出来事です、マスコミや芸能人のコメントを聞いていて、同じように自殺の前になんとかならなかったのだろうかと思いました。
でも、そのコメントに少し違和感も感じています。
母子家庭であった彼女(長女)は芸能人になって家族の面倒をみていたようで、いかにも日本的な長子の責任感と、他人に迷惑を掛けまいとする気遣いが伺えて、苦しんだのだろうと同情します。
如何に介護制度や社会保障が整ったとしても、この日本人的な性向はちょっとやそっとでは変らないのではないでしょうか、その人が真面目であればあるだけに親や兄弟の面倒は他人様に頼る事が出来ないという。
その昔の庶民はそれでもご近所に障害や老齢の人が居たなら、それなりの気遣いや気配りがあったものです、介護にくたびれた人や苦労している人に声をかけたりして助け合ったようです。
貧しければ貧しいほど温情は深かったのではないかと思います。
また村や町内では地主さんや大家さんが小作や店子の面倒をみていたようです、そんな社会はお上の擁護がなくとも庶民の中でお互いに補完しあっていた。全てがそうではないでしょうが今の社会と比べれば。
戦後の日本はなんでも自由という名の元に社会や近隣、家族や親子のシガラミや絆を断ち切って弧(個人)の自由を追い求めた結果、薄情な世の中になってしまった、と、私は思うのです。
個の自由と社会の連帯のバランスは本当に難しい、これからもその折れ合いを模索することになるのでしょう。
転載終わり
全く、お書きになった通りで、私が結婚した当時は、昔の隣組みが生きていてお互い知らず知らずに助け合いしながら生活して、貧しいながら触れ合いのある時代でした。
しかし、物資か豊富になり便利な社会になるほど、人としての触れ合いが疎外される冷たい社会に成ってしまい、最近は、古い家が新築され他所から移ってこられると玄関には鍵がかかり、居るのか居ないのか顔も見ないことがあります。。
戦後、日本の教育伝統が疎外され、個人主義でなく利己主義がまん延すると、気楽に話せ助け合える社会が消失。
清水由貴子さんは早くにお父上を亡くされ、長女の彼女は全責任を小さい体に受けながら人生を歩まれたのだと思います。
新聞には介護施設も利用されていたと書いていましたが,それは心の支えにはなりません。
そして現在の介護制度は、同居している家族の介護には、行政は冷ややかの様です。
以前にも書きましたが、孤児の悲哀を感じ自分のみを始末しようと試みたことがあり、其の時の心境は文章には書き表わせないのです。
一人の元芸能人の自殺でしたが昨日は実に辛い一日でした。
東京都の要介護認定者
介護を必要としている人と同居する女性の中で悩み・ストレスを感じる人は
樋口恵子さんの提言