護憲+グループ・ごまめのブログ

護憲+・現憲法を守るグループの一人して、今後の社会の状況を戦時を経験した一人として社会を見つめていきたいと思います。

第三部 吉州編 その二

2007年08月13日 16時15分38秒 | 朝日新聞切抜とテレビの切とりと庶民の疑問
私の過ごしてきた朝鮮時代の体験記

第三部 吉州編 その二

 もう一つ朝鮮でないと見られない光景を見ることになります。朝鮮民族は犬を食べると言うことが判ったのも此の吉州でした。
 私の自宅の裏はケシ畑で、時節になるとアヘンの採取をしていました。芥子の実に切り込みを入れると乳色の液体が出てきます。それを採取して入れ物に入れると酸化して色が黒くなっていました。それがアヘンだと言う事をここで知ることになったのです。

 その畑の向かいの家で犬を殺しているのです。何故か犬を吊るしてぶら下げ、こん棒で叩き倒すのです。その犬の悲鳴は今だに頭の中に残っています。
 母がご近所さんに何故にひと思いに殺さないのかと聞くと、ああしてすると肉が柔らかいなり美味しくなると言っていたと話してくれましたが、我が家でも鶏を絞めて食べるのと同じことなのだが、断末魔の声にはかなわない。
 今考えると、魚の踊り食いなどもおなじことになるのでしょう。

 以前、韓国のオリンピックか何かの時に、韓国は犬を食べるので残酷だとアメリカが言っていたという記事を見ましたが、そのお国柄で食も色々なもの色々な食べ方があります。アメリカとて、バッファローをサファリ気分で絶滅寸前まで殺りくし、色々な肉を食べるのだから、朝鮮民族の犬を食す習いには文句はいわない。しかし犬の悲鳴は未だに消えない。日本がクジラを食べるのにイチャモンつけるのと同じになります。

 人類の歴史の中で、食生活などは、日本人は何ともなくても、他民族には惨く移るものもあるのだろうと、これを書きながら改めてそう感じました。

 

 TBしていませんでしたので、
    第三部  吉州編 その一 は
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月曜日  半藤一利さん

2007年08月13日 15時44分30秒 | 朝日新聞切抜とテレビの切とりと庶民の疑問
 07年8月13日・月曜日  半藤一利さん

 今日は新聞の休刊日なので、各社社説の保存も一服ひと休みだ。

 昨日の時事放談は、野中広務と半藤一利という人物の対談だった。私は戦争孤児なので飢えや苦しみや悲しみは、若い時に嫌というほど経験している。 
 しかし、悲いかな終戦と同時に勉学とはプッツリ縁がなくなったので、戦後は有名政治家をのぞいては、恥ずかしながら有名人は全く知らない。

    

 時事放談の話題の中で、一つのテロップが出てきた。よく見ると最近私の感じている事を全部述べられているので、どのような方か興味を持ち調べてみると、ウィキペディア(Wikipedia)』の中に資料があった。

 この方は、私と同じくらいの年代だから似通った考え方もするのかも分からない。そして奥さんは夏目漱石のお孫さんらしい。そして護憲派だそうだ。

株式会社・きかんし(クリック)

 の中に彼の言葉が書いてある。テロップの文章は短くしてあるがこの中から引用しておく。

 引用
1・安易に戦争ムードなど「国民的熱狂」に陥ってはならない。
2・抽象的な観念論ではなく、具体的で理性的な方法論に立て。
3・タコツボ社会の小集団エリートに振り回されないように。
4・国際社会での日本の位置づけを明確にし、それにふさわしく振る舞うこと。
5・起こる問題に対して対症療法的、短兵急な成果主義に走ってはならない。
引用終わり
 
 見ると日本の政治、社会は全くこれと逆をやっていると感じる。

 彼は、40年周期で世の中は変わるとお書きになっている。全くその通りだとおもう。それは。40年経つと国家の指導者も、彼等が生まれた40面前のことは全く知らない。
 私たちは戦争の悲惨さは体にしみ込んでいるが、40年後の私たちの子供は口で言い伝えても私たちの思いの百分の一も分からないと思う。だから平気で軍隊を持とう核を持とうと言う人物が現れるのである。

 先日も述べたが、歴史は繰り返すという。半藤一利氏の言う40年周期がピッタンコ、と合うと感じる。戦後60余年。昭和20年に日本歴史の再生のスタートを切った。だから昭和の終わりがバブルの一区切り。だから現在は歴史を繰り返すまっただ中の平成19年と言うことで、今は国際情勢も昭和の10~13年代に似ている感じがするのである。

 余談だが、昨日テレビ番組で、戦時中の食生活の紹介をして、それを作って食べさせていた。ひもじかった当時を思い出し3勺のお米の中に芋づるとお芋を入れた雑炊を作ってみた。
 テレビでもやっていたが、食料の無いところでは野草も食べていた経験者は年とともに少なくなり、そう多くいらっしゃらない
だろう。

 さて3勺(約42グラム)お米とサツマイモと芋づるの雑炊の感想は、婆さんと懐かしいと食べた。「こんなに美味しかっただろうか?」と顔を見合わせて笑った。しかし、食べて直ぐにお腹がへってしまった。笑い。
 考えると何でもお金があればの時代に育った人間には説明できないことばかり。
   
 考えると現代の米も芋も改良されているので味ないことはなかったのだろう。昔のお米に、味より増産を主とした味ないサツマイモで作っていれば、恐らくそう美味しいものではなかったと思う。

 空き腹だから、当時は何でもおいしかった。おかずは殆ど無かったので、子供たちはガリガリばかりだった。お米の食べられない時もあった。考えると負けて当たり前の戦争だったのだ。

 先日、食料自給率の低下をブログに載せた。歴史は40年周期で繰り返すとすれば、そのうちにお金を積んでも、食物の手に入らない時代が回ってくると、この芋雑炊をすすりながら頭の中を過っていったのである。

 私も、あと何年生きていけるか分からない。だから来年から8月15日の終戦の日には、昔の食生活の一日を過ごす日にして餓死した両親の供養をしよう。

 日本語にしかない「もったいない」という言葉と精神を大事にしよう。


 最後に、ヤメ蚊さんからTB頂いたので拝見とると、

 の76条3項には、【軍事に関する裁判を行うため、法律の定めるところにより、下級裁判所として、軍事裁判所を設置する】と書かれている。

と書かれていた。

 防衛庁が省に昇格すると「軍事裁判所」が必ずできると思っていたが矢張りだ。

 PDFファイルを取り出して見たが、新憲法草案でもあれだけ膨大なものは庶民は絶対に見ない。だからメディアは重要な法案を抜粋して、アルツファイマーとバカな発言をした外相がいたが、子供でも分かるように解説してほしいものだ。

 軍事裁判所は最初は下級裁判所だろう。いずれは独立したものに昇格して、民間でも軍に関係したものは其処で裁かれるおそれがあり。何れ憲兵組織もできるだろう。それが軍隊で、そうでなければ戦う軍隊ができないからだ。

 やはり歴史は繰り返すだ。おそらくこれを見て、本気で腹立たしく思うのは昔を知っている私たち年代以上の人間だけだ。