護憲+グループ・ごまめのブログ

護憲+・現憲法を守るグループの一人して、今後の社会の状況を戦時を経験した一人として社会を見つめていきたいと思います。

第6部 京城と総括編  その1

2007年08月28日 16時46分32秒 | 戦前・戦中・戦後を語る
第6部 京城と総括編  その1

 同窓会誌の中に、朝鮮の鉄道駅名の図形がありましたので、貼付けておきます。
その1北部編(咸鏡北道) (ここをクリック)
その2南部編(咸鏡南道) (ここをクリック)

 師範学校の寮生活で体を悪くして下宿生活をすることになりました。

 町の名前は長谷川町、母からの最後の手紙を持っているので其処の住所はそれに書いていますが、何故だかこの頃の記憶は忘れていません。

 その場所は,朝鮮総督府前の大通りを南大門に向かってY字道路の分かれた突き当たり所に有りました、そして、そこは中華街になっていて、その真ん中に下宿はありました。
  
 周りは中国人の中華料理屋が2~30軒ほどかたまっていて、今でいう横浜や神戸の中華街程では有りませんが、中国人租界の様な感じになっている場所で、食料事情が悪いときでも、裏に回れば結構何でもあったのが今でも不思議な感じがしております。
 気を許せる様に成ると、マントウ(豚マン)も手に入り、お陰で此処に下宿してからは、お金さえあれば余り腹ぺこは経験していません。

 ここの下宿は、京城帝大それに京城歯科医専と京城師範の生徒が20人程下宿していたと記憶しています。

 少し当時の師範学校について説明をすると、京城師範は朝鮮では唯一官立でしたので、毎月官費は国家から支給されていました。
 確か、当時の先生の初任給は60円ほどでしたからその70%ぐらいで、毎月の下宿代を支払ってもお釣りがくる金額40か45円程だと記憶しております。(現在の先生の初任給から計算してみて下さい)
 ですから、官費が支給されると、下宿の二回から中華屋のおっさんに声をかけ、二階の窓からマントウや餃子を手渡してもらったものでした。

 あの物資の少ない時に、彼等は民族間の裏で何かがあったのだと思います。
 いま思い出すと、昭和19年の冬休み前に一人の中華屋のオーナーの中国人が、憲兵に殴られ連れていかれました。聞くともうこの戦争は終わると言っていたのが官憲の耳に入って連れていかれたらしいのです。

 恵山鎮編に書いた、父に朝鮮人の行員の一人が、「日本は長くは持たない」と言いっていた事を合せて考えると、この時、昭和19年後半頃から朝鮮の地下組織動きが活発に成って来たのだと思います。




 07年8月28日・火曜日  新内閣

2007年08月28日 16時40分21秒 | 朝日新聞切抜とテレビの切とりと庶民の疑問
 07年8月28日・火曜日  新内閣

 新内閣については、皆さんが色々語られていますので、テレビの映像の中のフリップから、新内閣を命名すると、どう命名するか与野党8名の方の、今回の内閣に対しての命名を、やじ馬的に載せてみました。映像状態がよくありませんが御覧下さい。 (拡大はここをクリック)

     

 これも野次馬的ですが。
 衆参本会議の閣僚席も格があるようで、今回のひな壇の席順が新聞に載っていました。

      

私の過ごしてきた朝鮮時代の体験記
第6部 京城と総括編  この1  (ここからお入り下さい)


07年8月28日・火曜日  先日はロシア・今日は中国

2007年08月28日 15時20分52秒 | 朝日新聞切抜とテレビの切とりと庶民の疑問
07年8月28日・火曜日  先日はロシア・今日は中国

 日曜日にロシアの飛行機撃墜事件があった。

 今日の朝刊を見ると中国の海軍の駆逐艦を主体とする艦隊が二度も東シナ海から沖縄周辺に展開したと載っていた。 (拡大はここをクリック)
 
      

 私は中国の海軍力はどのくらいのものか知らなかったが、駆逐艦・フリゲート艦70隻。潜水艦も60隻保有いていると書いてる。
 駆逐艦と言っても昔と違いミサイルを搭載するのだから性能は、昔の戦艦より上だ。
 軍事評論家は、海外に向けて己の力をアピールしたといっているが、昔と同じ軍拡競争をしているような気がしてならない。
中国艦隊の航行図  (拡大はここをクリック)

 6月の新聞に日本の戦闘機の変遷の表グラフが載っていたのを切り抜いて保管してあるのを挙げてみる  (ここをクリック)

 これを見ると、世界でもトップクラスの戦闘機をこれだけそろえると、近隣諸国を刺戟するのは当たり前。

 そして、日本にヘリ空母「ひゅうが」が浸水したとあった。おそらく装備は近代科学を集約した装備だろう。


 記憶は定かでないが、その昔、あまり良い運命ではなかった日向と言う戦艦があった記憶がある。

          

 しかし、このヘリ空母の写真を見ると、昔の小型空母を見ている感じだ。

 次期国会では特措法が問題視されている。考えてみよう自衛隊を海外に派遣できるということは、自主防衛枠を越えて、攻撃できる軍隊なのである。
 燃料の給油といっても自主防衛枠を越えた装備ではないだろうか。
 私は自衛隊という名前が紛らわしく軍と認識して、護憲論争をしないと、自衛という二文字に誤魔化されていると思うのだ。

 
 よく考えると、安保に守られ、アメリカと共同歩調と、アメリカの言う成りの装備を持った軍を持ったために、周辺諸国が要注意国家と言われる日本になったと思う。
 と言う事は、日本が勝手に敵を増やしてしまい。昔のように軍の装備かどんどん拡大していくのが恐い。

 付録
 ブログの皆さんは物知りですから、何でもご存じだと思います。
 しかし、庶民は中国の偉いさんの名前や、名前を聞いても何番目の方か分かりません。
 以前に、取り込んでいた中国の偉い順のテロップをのせておきます。
 (ここをクリック)