護憲+グループ・ごまめのブログ

護憲+・現憲法を守るグループの一人して、今後の社会の状況を戦時を経験した一人として社会を見つめていきたいと思います。

私の過ごしてきた朝鮮時代の体験記 第二部

2007年08月10日 17時57分55秒 | 戦前・戦中・戦後を語る
私の過ごしてきた朝鮮時代の体験記

第二部

 先ず、私が生まれて、物心が付いてからの生きてきた38度線以北の日本海側の朝鮮の情況を思い出しながら書いてみることにします。
 
 私は北朝鮮の元山(ウォンサン)に生まれて父の転勤で京城を含め5ケ所の北朝鮮の日本海側の都市で暮らした経験ばかりです。父も母も挑戦に渡ったのは少年期のようで、親に連れられ明治時代に元山に渡っているようです。明治の終から大正年代は暴動もあって怖かったと母からよく聞かかされました。

 私は昭和の初期の生まれなので、物心付いてハッキリ記憶が残っているのは昭和一桁の後半の頃からで、官立京城師範学校に行くまでは、38度線以北しかしりません。

 だから一番名古い記憶は元山(ウォンサン)です。ここでは朝鮮人の不穏分子と言われる朝鮮人(男性)が特高に捕まるのを一度見ました。其の時は逮捕された家族がものすごく抵抗して殴り倒されている光景を見ました。それ以外は泥棒など犯罪行為で警官に連れて行かれるのを見た以外は何の異常も感じたことはありません。
 と云う事は、その時代は植民地政策も安定期に入っていたのでしょう。
 しかし、元山の湾内(確か・えいこう湾)は準軍港で軍艦が出入りしていましたし、昭和10年代に海軍航空隊の飛行基地が出来ましたので治安は厳しかったと感じています。

 まず、元山で体験したことを書いてみます。
 戦時を語るにも書きましたが、この元山で銀行の朝鮮人の小使いさん(用務員)のたっての要請で二度、ねいやさん(女中)を雇っています。恐らく生活に困って口減らしの為でしょう。
 しかし、この二人とも、半年ほどで親に泣きながら連れていかれました。
その当時は幼くて意味が分かりませんでしたが、師範学校に入学して元山時代の思い出話の中で母が二人とも売られて行ったのだと話してくれました。
 それで、なぜ泣きながら無理に連れていかれた意味が分かったのです。
 結局、我が家にきて身ぎれいに成ったので高く売れたのでしょう。
 当時は、人種の差別なく貧困家庭や親の借金で郭に身を沈める話はよくある話で、私の身内にも親が博打好きで借金を抱え、年季奉公に出されたが、半年ほどで身請けされたとバカ親が喜んでいると、親族会議で話をしているのをききました。大邸宅でないので子供たちは一つの部屋にかたまっていましたが、年長の従兄弟が、知ったかぶりで説明をしている姿は今でも覚えています。

 此の元山には郭は二か所あり、父が赴任した小都市でも必ず一つは郭は有りましたから、この世に男と女が居る限り、男女の問題は永遠の課題だと思います。
 
 私は、腎盂炎で体が弱く、よく此の、ねいやさんと留守番をしました。其の時教えてもらったのは、
 「イゴリチョゴリガッコリ、ニンチンメンコトウメンコ」
意味は分かりませんが、日本のセッセッセの様なものだと思います。

 二度の身売り事件のあとは、母は二度と朝鮮人のねえいさんは雇わなかったようです。
 「売られていくためにねえやを身ぎれいにしているのではない」
 と母は怒っていました。

 当時の人身売買について説明すると、
 まず当時は、日本人でも遊郭に売られていく(厳密には年季奉公といわれ、人身売買とは違うようで、借金を返済すると親元に帰ることができるのだが、遊郭の主人が手練手管を持ってなかなか借金が返せない様にしているのだと聞き及んでいます)事が法的に認められていた時代だったと言うことです。
 身請けとは、旦那さん(お金持ち)が遊女の借金を全額払い、引き取って行く。ということは、お妾さんに成ると言うことなのでしょう。現代人には説明しにくい話ですみません。

 注・元山くらいの都市になりますと、開発地区は日本人で日本人と朝鮮民族の居住区間は別れていたようです。

 此の様な話を書くのは難しく。話が前後したり、誤字脱字はお許し下さい。


年金問題  不登校の表とグラフ

2007年08月10日 15時41分03秒 | 朝日新聞切抜とテレビの切とりと庶民の疑問
 8月10日  第二部   年金問題  不登校の表とグラフ

 年金も議会がとまっていると、メディアもあまり騒がなくなる。
 
  

 特措法も大事だが庶民には気にかかる話だ。朝日に年金問題は自民と民主に溝があるとある。


 今日の新聞には、年金・労働について民主と自民の違いの表が載っていたので取り込んでみた。(ここをクリック)


 もう一つ中学生不登校が最多という記事も出ていた。

  

 その中の全児童・生徒に占める「不登校」の比率(ここをクリック)

 それに附随して学校基本調査(速報)による在学者数表も(ここをクリック)

 あまり参考にはならないが記載しておく。


核廃絶を訴えると世界の核兵器の数

2007年08月10日 15時30分49秒 | 朝日新聞切抜とテレビの切とりと庶民の疑問
07年8月10日・金曜日 核廃絶を訴えると世界の核兵器の数

 終戦の日が近付いた。母の祥月命日なのでお墓参りにいったが、満州で死んだ両親たちの遺骨はなく、弟が満州放浪中に、なけなしの遺髪の入った荷物を元日本軍兵に盗られたので我が家の墓は何も入ってないお墓なのだ。

 早く親を亡くしていると、墓前に額突いても、若い母の顔しか浮かばないのが、親を早く亡くした者の利点かも分からない。笑い?

 昨日、若い長崎市長が式典の中で、非核三原則は法制化が必要だとはなしていた。

     

 よく考えてみよう。核廃絶を訴える日本が、アメリカの核の傘の中に入っていて核廃絶を言えるだろうか。
 核廃絶を叫ぶには、唯一、核体験国の日本が丸腰の状態で言わなければ説得力はゼロである。

田上長崎市長の非核三原則の法制化と実行を野党に求めたい。

 特措法も日本は実戦に参加しないく後方支援と言い訳をしている。しかし後方支援がなければ戦争は遂行できないのから、ロケットを発射している事と同じと云う事。これは戦後生まれの議員には分からないのだろうか。
 だから特措法云々を言っている間は、核廃絶を日本政府が叫んでも核の笠にはいって、アメリカの戦の手助けをいている間は、説得力はゼロである。

 今朝の新聞に今ある世界の核兵器記事が載っていた。

     

 その中の茶色で囲んでいるイラストを拡大してのせてみる(ここをクリック)

 どう何だろう。此れだけの核兵器が間違って使われる可能性はゼロといえるだろうか。
 やはり、日本国民全員、広島・長崎の原爆経験者と同じ気持ちで国を挙げて核廃絶を叫ぶ時がきていると感じるのである。


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