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2004年09月14日 | 当ブログについて
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第一印象で決めてました

2004年09月14日 | ゲーム
火曜日のテーマは『ゲーム』です。
※本来ならば20日も前に書いていたはずの文ですし、早く現実の時間に追いつくためにも、「なるべく簡潔に書いて分量を減らそう」キャンペーンを実施することをあらかじめお知らせ&お詫びいたします。

これまでに紹介したゲームの数々を振り返って、ちょっと反省いたしました。
“昔のゲームの話題が多すぎる! もっと最近のゲームも取り上げるべきだ!”と。
そんなわけで今回は僕とゲームのなれそめを語りたいと思います。(被告人に反省の色は見えない模様)

なにを隠そうなにも隠しはしません。僕が生まれて初めてやったゲームは
『ファミリースタジアム』機種:FC ジャンル:野球 メーカー:ナムコ 86年発売
でした。あの阪神優勝(バース! 掛布! 岡田!)の翌年に発売され、強い阪神が収録された唯一のファミスタです。

ファミスタはゲーム史上に決して消えることのない金字塔を打ち立て、一時代を築きました。
あらゆる野球ゲームの頂点に立ち、模範となったことは疑いようもありません。
僕は『ファミスタ』からいろんなことを学びました。
たとえば僕に野球のルールを覚えさせ、以降18年来の野球ファンにしてくれました。
なにごとも努力すれば、練習すればうまくなることを、報われることを最初に教えてくれたのも『ファミスタ』です。
対戦プレイの楽しさを教えてくれたのも『ファミスタ』なのかも知れません。
そしてなにより『ファミスタ』は・・・誰が相手であろうと決して手を抜いてはいけないことを教えてくれました。

いえ、正確には『ファミスタ』が、ではありません。『ファミスタ』を通じて『父』が教えてくれました。たとえ相手が小学1~2年のこわっぱであろうとも、絶対に手を抜いて戦ってはいけないということを・・・。

父はそんなに負けず嫌いではありません。子供好きで、気のいい優しいおっさんです。
しかしこと『ファミスタ』にかけては非情です。『息子』が相手では話が別です。
父は、まだ物心の付いていなかった時間の方が人生の中で長いガキンチョ相手に、容赦のない外角攻めをしてきました。ストライクゾーンギリギリの、ボール一個の厳しい出し入れで、引っぱればボテボテのゴロ、流せばファール見逃せば三振という、普通ならとても7才児を相手にやるべきではない配球で翻弄してくれました。
打撃も非情です。臭い球はすべてカットし、ストライクを投げざるをえない状況に追い込み痛打、バントや進塁打も抜け目なくやってきます。

なんて大人げないんでしょう。

母によると父は夜中、僕が寝静まった後に、音を消してこっそりと練習を重ねていたそうです。7才児を完膚無きまで叩きつぶすために夜間練習をしてやがったのです。父、恐るべし。

しかしそのおかげで僕は『ファミスタ』の腕をめきめきと上げ、過去にオヤジ以外の人間に負けたことがありません。「おれ、ファミスタ強いぜ」とかほざく身の程しらずを次々と血祭りにあげてやりました。『自称ファミスタ最強』を十指にあまる人数葬ってやりましたとも。あの非情の戦略は、僕を鍛え上げ仲間内での評価を上げるための、親心だったのかもしれません。ちがいますね。絶対ちがいますとも。

しかし時は流れ・・・『ファミスタ』の栄光の日々は終わりを告げました。コナミの放った新興勢力『実況パワフルプロ野球』シリーズによって『ファミスタ』は“最強野球ゲーム”の座を逐われたのです。
それと同時にオヤジのゲーム歴も幕を閉じました。
フォークボール以外高低差すら存在しない『ファミスタ』とは異なり、ポリゴンを駆使した立体的な野球ゲームである『パワプロ』には、適応できなかったのです。これぞ適者生存の理ですねちがいます。
僕も当然のように『パワプロ』にホームグラウンドを移し、オヤジと対戦することもなくなりました。
しかし、『ファミスタ』の記憶は決して薄れることなく、今もなお僕の中で輝き続けています。
・・・いろんな恨みつらみの記憶を伴って。

ありがとう、そしてさようならファミスタ。そして・・・ビバ、オヤジ。

※予想通り書き始めてみたらむっちゃ長くなったことをお詫びいたします。