京都にも桜が開花し始めた。今日、仕事で外へ出たところ、とある堤防の桜が少しだけ開花していた。開花の程度は一分までもいかず、5厘(一分の半分くらいのつもり)位の開花だ。
それほどに開花を待ち望んでいたわけでもないけれど、やはり開花を見ると「春やなあ」と思ってしまう。
ところで、例えば梅などは「梅一輪一厘ほどの暖かさ」という言葉があるように、梅には開花を待ち遠しく思う有名な言葉があるが、意外に桜には開花を期待する言葉が少ない。どちらかと言うと、散り際の美学をうたう言葉が多い。
「舞初め」・「花筏」・「花吹雪」・「花むしろ」・・・・と散っていく花びらを美しく感じる言葉が多い。少し無理やりかもしれないけれど、日本人の遺伝子に残る心の動きと桜の散り際がピッタシ合うのかもしれない。
東日本大震災の被害者の事を思うと、今年はこの時期の風物詩・「花見宴会」も心底楽しめないかもしれないし、各地のライトアップも電力消費の関係で縮小されるかもしれない。
それなら、散り際まで待って、散りゆく桜を愛でながら日本人の心を堪能するのもいいのでは・・・・