河原町正面にある「元和キリシタン殉教地」の碑から東へ5分ほど歩いたところに、「耳塚」なるものがある。
今はここも観光地になっているが、京都の歴史ではあまり触れられていない悲しい出来事の地だ。
信長に代わり天下統一を成し遂げた秀吉は、その勢いをかって朝鮮半島にも兵を出した。いわゆる文禄・慶長の役だ。
武将たちは、戦功の証として朝鮮・明国人の耳や鼻をそいで、塩漬けにして持って帰ってきた。ここに、実に2万人分の耳や鼻が葬られているという。
慶長2年に、この塚が建造され、秀吉の意向でここで施我鬼供養がとり行われた。この供養は霊による災禍を防ぐという慣習で、古来より日本では行われていたようである。
京都の悲しい歴史的遺跡のひとつだ。