僕が仕事をしている部屋は、実は僕の仕事と関係のない部署の方々の部屋だ。ややこしいけれど、要するに僕だけに部屋を確保するほどの必要も余裕もなく、したがって「我慢してください」というわけで居座っている。
したがって、部屋の仲間たちの仕事上の会話は分かるけれど、僕には直接関係のない事で、反対に僕のやっていることは彼らには関係のない事である。
何が言いたいかというと、時々彼らが仕事のミーティングをする。徐々に熱くなって沸騰状態になる時がある。10人程の部署なのでそれぞれが賛否両論に分かれて興奮してくる。唯一、冷静でいるのは僕ということになる。
昨日、ケーブルテレビで、アンソニー・ホプキンスの「ハーモニーベイの夜明け」という映画を見た。ルワンダの奥地でゴリラの生態を研究していた人類学者が2年間失踪して後に出てきた時は現地人を殺した殺人犯だった・・・・というイントロだが。
彼はゴリラとの生活の中で、「生きる」という事の荘厳さと近代社会に生きる人間の虚しさを感じていく・・・・・
映画を見ていて、ふと、大変失礼な言い方だが、ちょうど今の職場では、僕は人類学者で、他の連中がゴリラみたいに感じた。
ボスゴリラの前で、若いゴリラたちが思いきりパフォーマンスをする。うまく行くときもあるが、他のゴリラの邪魔が入って思惑通り進まない事もある。争いはするが、決して決裂はしない。決裂すると仲間から外れる可能性がある。器いっぱいのギリギリの中でパフォーマンスが続く。
このバトルでは、近代社会の虚しさはイヤと言うほど感じるが、「生きる」荘厳さは浮かんでこないね。