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ノブトの平凡日記

備忘録として気が向いたとき更新しています。

ノブトの生地の今は・・・・・

2012年12月02日 | ふるさと 他
 大変寒くなりましたが、お変わりありませんか。なぜかパソコンを触る気がせず、のたりのたりの毎日を送っています。
そのような状況で、ブロ友のページにも行くこと無く過ごしていました。
 
 久しぶりに故郷の徳島新聞をパソコンで見たところ、18歳まで暮らした元、麻植郡木屋平村(今は、美馬市木屋平)の記事があった。 当時は人口は5,000人以上だったと思うが、今は830人とのこと・・・・・。「その徳島新聞記事はこれです」

ノブトの生地は木屋平村の貢という山の中の20戸ほどの集落でしたが、今は2戸と聞いています。
10年以上も故郷の姿を見ておりません。恋しいけど、行く気が湧いて来ないのです。徳島市内から1時間半位なのですけどね・・・・。   
 この写真は昭和38年頃で、村内の人口も5,000人以上いたと思う。映っている斜面には上下に10戸程の家が有りましたが、画面左下隅の家のみが老夫婦が住んでおられるのです。


 この写真を写した場所は、この学校の校庭からですが、この学校は火災で焼失してしまいました。ノブトの家からは、通っていた小中学校は見えていたのです。
学校から子供の泣き声が聞こえると畑で仕事していた祖父は、弟が泣いていると思い「○○が泣かされている。行って見てこい」と母に言うので困ったと亡き母が話していたのを思い出します。この頃は昼休みになると走って帰宅し食事し、また、走って午後の授業を受けるのです。
 勿論親たちは作業中で、子供だけで食事をしたものです。


  話は変わりますが、福島県郡山市へ転勤した次男から、母の誕生祝いのメッセージに付けて今朝の郡山市の雪景色の写真が添付してあったので添付します。
スノータイヤの車の運転は初めてなので、急ブレーキ・急ハンドル・車間距離などについて留意して運転するよう言っていますが、心配です。

 

奈良で見た徳島・木屋平の記事と、近鉄電車

2011年03月05日 | ふるさと 他
 3/2~5日の讀賣新聞の奈良版に「地方を生きる」と題して、ノブトの誕生の地でありブログにも何回となくUPしたこともあります「徳島・木屋平」の記事がありました。懐かしくあり、また、悲しい気持ちになりましたが備忘のため、その記事をリンクしました。興味ありましたら日付をクリックしてご覧ください。
3月2日付~お年寄りの足“出動
3月3日付~命運び、互いに信頼
3月4日付~身の丈運営 地道に
3月5日付~「老々送迎」平均60歳 
 ノブトが育ったところは、このように超過疎地域となってしまいました。因みに、村内を北方の吉野川へ向かって流れる穴吹川は、剣山を源とした清流として名高い川なのです。清流と言えば高知県の四万十川と思いがちですが穴吹川こそ、四国一の清流であることを憶えていて欲しいと思っています。
 

 タイトル下欄のこの電車は、近鉄・田原本線を走っている新王寺行きの後ろ姿です。二両編成で1時間に上下各3本走っている田舎の電車です。「一月行って、二月は逃げて、三月去って」とよく言われますが、新年を迎えたと思ったら早くも3月5日です。皆さん、お変わりありませんか。
 
 この電車は朝5時18分から午後11時21分まで運行していますが、日によっては全くといってよいほど気にならない日があります。時には「今日電車走ってるか?」と家内に尋ね、「走っとると思うで!」と言う会話をする時があり、慣れとは恐ろしいものです。正にボケ老人夫婦の会話をし日を送っています。(笑)
但し、自動車の走行する音には電車と異なり耳触りを敏感に感じているノブトなのです。
 これは新王寺発、西田原本行きです。
  



幼小中学校同窓生との別れ・・・・

2011年01月07日 | ふるさと 他
 新しい年も七草粥をいただく日を迎えました。お元気でお過ごしでしょうか。ノブトはいつもと変わらず平凡な日を送っています。今年は昨年よりも更新回数を増やしたいと思いますが、何故か面倒に思う回数が増えてきたようです。例えば、今まで届いていた友人の年賀状が来なかった時は、直ぐ電話して無事を確認していたものですが、最近は一応心配をしているものの電話するのが面倒に思えて問い合わせる事をしなくなった事に気付きます。

 上の写真はノブトが卒業した山の頂上に有った徳島県木屋平村立の●●●幼・小中学校で、昭和35~6年頃の姿です。学校は失火で焼失して見る影もありませんし見える畑も山林となり只の山となっています。ノブトの同級生は27名ですが、今では20名程となってしまいました。元日に届いた賀状には、友の奥さんの代書したものがあり、「病状が少し良くなった」との添え書きで安心したものでした。彼は糖尿病から失明し寝たきりの生活となり、奥さんが介護し中旬には施設への入所も決まっていた様でした。

 それなのに昨日、神戸に住む友から「彼が12月25日亡くなった」との連絡を貰ったのです。デジタルカメラが発売されるまで撮り溜めたフィルム写真のネガをスキャナーでパソコンに取りこんでいる最中で、今は無き母校を見ている時に訃報が入って来たのです。口数の少なくニコニコと笑っている姿が浮かんできますが人の世の常とは言え辛いものです。
 この学校から前方を見るとこの様に人家が有る集落でしたが、今は畑は山林となっています。亡き友にこの懐かしい景色を見て貰いたくて、ネガからスキャンした景色をUPしてみました。
 


 

嬉しい頂き物と、思わぬ便りの喜び!

2010年11月21日 | ふるさと 他

 朝夕冷え込む日が多くなりましたが、お変わりありませんか。ノブトは変わりなく、枯れ葉の下のダンゴ虫の様にゴソゴソと動き、少しでも異常を感じると、まん丸になり、危険が去るとまたゴソゴソ動くという日を送っております。つまり、この様にじぃーっと時の過ぎるのを待っています。(笑)

  今月に入って嬉しかった事がありました。ノブトのパソコンのメールは3個のアドレス使っていますが、ある日、受信箱に心当たりのない(後で思い出して判明)メールの受信があり、いつもの迷惑メールと思い開かずにうっちゃっていたのです。パソコンが故障し買い替えたのですが、その時にアドレス帳から抜けたのか、誰のアドレスか思い出せ無かったのでしたが、何日も思いあぐねた結果、数年間、気候の挨拶メールを交わしていた方だったのでした。

 ノブトは、迷惑メールは一切開封せず、受信拒否の措置をした後で削除していますが、このメルアドは何日たっても気になったので削除までせず、先のダンゴ虫の様に恐る恐る開封したところ、何年も連絡を取っていなかった方と分かった次第です。何でも削除し捨てるのが好きな性格を少し改め、必要無くなったものでもメモ帳などに保存して残しておこうと、少し考えを改めたところです。【覗いたホームページでも必要無くなれば直ぐ捨ててしまい、後で探し回る事はいつもの事なので、これは改めないと・・・・。】

 

 これは先日、亡き母の出里から送って下さった柚子で、ふるさと徳島・木屋平の空気と共に届いたものです。 ユズ酢を使った鯵の姿寿司と、皮は刻んで佃煮(ユコウ)にして食します。子供の頃の思い出として、姿寿司の頭も「目玉やエラを取っているので食べるように」と言われても食べられなかった事を、この綺麗なユズや鯵を見ると昔を思い出すノブトなのです。

 

【間寛平さんのアースマラソン】

 間 寛平さんは、中国・西安市まで帰って来ました。今後は青島まで走り、そこから福岡のマリーナへ向けヨットで航海し帰国する事になりますが、それは来年1月4日の予定です。今までのところは中国々内を平穏に走っていますが、得体の知れない国と言っても良いような国柄のため、無事帰国される事を願っています。昨日の動画をリンクしました。下のURLをクリックして下さい。

http://www.youtube.com/watch?v=maZxIgqrlnc&feature=player_embedded 


いつもの眉山 ・ ・ ・ ・と、フェリー料金おかしくない?

2010年03月12日 | ふるさと 他
 末弟の5回忌で、行きは神戸淡路鳴門自動車道で、帰りは南海フェリー・阪和道・南阪奈道路で行ってきた。終日どんよりとした天候の故郷に着いたが、眉山はいつもの姿で待っていてくれたかの様で、つい遠景を撮ってしまった。

 眉山の山頂を見たものですが、ノブトは一度も山頂に登った事がありません。奈良の人が大仏殿や春日大社・若草山山頂へ行った人が有るようで無いのと同じなのでしょうか。

 地元だと、いつでも行ける気持ちがあるため行かないのと、帰省の場合も出歩くより日頃会っていないため雑談が中心となり、改めて行きたいとも思わないからなのではないでしょうか。また、出歩くのが好き、嫌いという性格も影響するかも分かりませんね。

 フェリーの料金も和歌山・徳島ナンバープレートと、それ以外のナンバープレートの車でも宿泊施設で泊った場合は、乗用車のフェリー代が1,000-になりますが親戚等で宿泊した場合は通常運賃を払わならないのは少し変だと思うのですが・・・・。だから、徳島ではお金を極力使わない様にしようではありませんか・・・。(笑)
 「ふるさと納税」なんて、とんでもない話ですよ。まったく・・・・!。徳島・和歌山両県が補助をしている様ですが、少し税金の使い方がおかしいと思う方がおかしいのでしょうか。「社会実験実施中」ってどういうことですか。実験しなければ分かりませんか?
 まるで今の○○党みたいと思ったりして・・・・。 これは差別ですよ。差別で無く区別してると云うのでしょうか?


 【間寛平さんのアースマラソン】
 寛平さんの今の位置をGoogle Earthの地図に入れてみました。太平サブローさんが応援に行き、昨日は一日50キロ余り一緒に走ったそうです。
 そのゴールの模様 のページをリンクしました。

「葉見ず・花見ず」(曼珠沙華) ・ ・ ・ ・

2009年09月24日 | ふるさと 他
 今年も残すところ3か月余りとなりますが、ノブトにとっても変化の多かった年でした。皆さん、お変わりありませんか。秋の彼岸を教えてくれる彼岸花も庭の隅で妖艶とも思わせる花を咲かせました。この花は球根に毒があるためミミズやネズミが近付かないことから、田の畔や土葬の墓周辺などに植えられています。
 一斉に棚田の畔などに咲いている様は秋の風物詩の一つですね。別名、「葉見ず・花見ず」とも呼ばれ、葉が茂っている時は花は咲かず、葉が枯れると暫くして花を咲かせる悲しくもあり不思議な花と思っています。

 この花の思い出は、子供のころ母が球根を潰して何日もアク抜きをして団子を作り、囲炉裏で焼いたのを少しだけかじったことがありますが、余りにも不味く吐き出したことがありました。母も試食するなり「これは食えんわ!」と言って全部捨て、家族で大笑いしたのを思い出します。この団子の名前を「ツブロ」とか言っていた記憶がありますが定かではありません。

 山村の百姓でも戦後の食糧難だったのことを教えてくれていますが、ノブトは辛かったとか、ひもじかった記憶はありません。でも、隣近所に遊びに行った時や我が家に来た時は、どの子にも「飯食ったか?」と大人は尋ねるのでした。「まだ」と返事した時は家にある食べ物を与え、子供も遠慮無く食べて遊ぶというのが普通でした。でも、私は他所の家でご飯を食べるのはあまり好きでなく、よく「遠慮しいやな」と言われたものでした。

 ここで子供に対して厳しい親の躾があります。
それは、他所の家で物を貰ったり、ご飯を食べた事を言い忘れもしようものなら、徹底して説教され叱られたものです。どの家でも同じ躾をしていたようで、お互いの助け合いと、良い人間関係を保つ事に腐心していた様です。
 また、下校時や外出先から戻る時、道で隣の人に会うと「こんにちは」とは言わず、「ただいま」と言って挨拶するのが常で、違和感を覚えたことは一度もありませんでした。その私が育った村落は、既に限界集落となってしまったことは誠に寂しい限りです。
 彼岸に咲くこの花からいろんな事を思い出させてくれました。 老人だと自覚していませんが、今日の話は、老人の戯言と思って下さい。(笑)

山口百恵さんの歌「曼珠沙華」のYou Tube動画がありましたので添付しました。


【参考】
この花には異名が多く、死人花、地獄花、幽霊花、剃刀花、狐花、捨子花、はっかけばばあ とも言い、「地域によっては不吉で忌み嫌われる花」との説明がありますが、ノブトは嫌いではありません。

つらい1週間でした・・・・と、葡萄の実割れ

2009年08月07日 | ふるさと 他
 奈良・田原本は梅雨明けしたと言っても夏特有の澄み切った夏空ではありません。皆さん、お変わりありませんか。 ノブトは去る30日、元職場の友人からお誘いでの釣行途中、和歌山に入ったところで「母危篤」との連絡を受けたのです。
 4月に逢いに行った時は流動食のチューブは点滴に替わり、相変わらず眠った状態で元気になるのは到底期待できない状態でしたが、盆過ぎか9月にでも覗きに行く考えでいたのでした。昼過ぎ「ローソクの火が燃え尽きた時の様に静かに息を引き取った」との電話を受けたのです。ノブト(67歳)の母は、大正5年生まれの92歳、故郷を離れて就職や所帯を構えたため兄弟の中で一番、親との縁が薄いノブトなのです。親の旅立ちを見送れなかったですが、声も出さない、眼を開かない顔を見に帰るたび「今生のお別れ」を心の中でしていたので、亡くなった知らせでは自分でも分かる「ため息」が思わず出た程度でした。
 葬儀を終え2日に帰宅した翌日、入院していた母より6歳年下の叔母が、母の後を追うかの様に4日後亡くなり、再び帰省し昨日葬儀参列して帰ってきたところです。母と叔母は大変な仲良しだったので二人連れ立って旅立ったのではと思っています。この様な訳で、ただでさえ更新の少ないブログを休んだ訳でした。

 見て下さい!。色付き始めた葡萄(藤稔)ですが、先日の大雨の後、実が割れ初めました。ハウス栽培でないため株本に雨が沁み込まないようにしても根が広く張って庭の水を吸うようです。かなり甘くなっていますが、強い雨は降らないでと願うばかりです。種無しは98パーセント成功しているようで、種が無いと「食べ応え」があります。 

【間 寛平さんアースマラソン】  間 寛平さんは順調良くフランス ルアブールの港を目指して航海している様です。

マグロ釣ったそうです。 動画配信されればUPしたいと思います。 
マグロ料理実演



【ビワ種酒】 風 ? ? ?作る  

2009年06月16日 | ふるさと 他
 奈良・田原本は曇り空の中から雷の音が聞こえたかと思うと一時雨などで、不安定な朝を迎えています。皆さん、お変わりありませんか。先日、故郷の義弟から沢山の「ビワ」や「ワカメ」を送ってくれたのでした。前回は子供の頃に「グミ」を食べた時の思い出を書きましたが、「ビワ」にも思い出があるのです。

 それは、伯母(父の姉)が畑で麦を作っていて、猫の手でも借りたいほど忙しかったのか小学生であったノブトも麦刈に駆り出されたのでした。その畑の横には大人でも登れる程の大きなビワの樹があり実がたわわに熟していたのです。麦が黄色く色づく、いわゆる麦秋を見るたび伯母の麦刈を手伝い、休憩時には思い存分ビワを頬張った時を思い出すのです。
 この様な思い出を懐かしく思いながら食しましたが、沢山出てくる「ビワの種」を捨てるのが惜しくなりビワの効能を調べたところ、葉よりも実の方に薬効が多いとの事であり【ビワ種酒】なるものを作ってみました。
 「作った」と言っても何年も前の梅酒に、ビワの種を土鍋で煎り皮を剥いて梅酒に漬け込んだだけなのです。(笑) ノブトはどうも梅酒は好きでありませんで、いつまでも広口瓶の中には琥珀色した梅酒があるのでその中にビワの種を入れたという訳です。

 まだビワの実のエキスは出ていませんが綺麗な色でしょう。ビワの実の一部が黒くなっているのは土鍋で焦がしたものです。なお、ビワの実の効能については割愛しますが、NETで検索すると色々UPされています。
  
参考までに【ビワの効能】の一部ですが添付します。 
       (薬草の自然療法 東城百合子先生著 池田書店 より抜粋)
【びわは、昔から魔法の木、なんと3千年も昔から、涅槃経(ねはんきょう)などインドの古い仏典の中に、びわは大変優れた薬効を持ち生きとし生けるものの万病を治す植物として登場します。びわの樹は「大薬王樹」、びわの葉は全ての憂いを取り除く「無優扇」と名付けられていたことからも、その癒しの力の絶大さが、すでにこの頃からあまねく知られていたことがうかがわれます。
 この古い療法は、びわの葉を焦げない程度にあぶって、2枚あわせて両手で10回ほどすり、1枚ずつ手に持って熱いうちに患部を摩擦するという、素朴なやり方だったようです。それ以来、全国のお寺にはびわの木が植えられ、難病に悩む衆生を治療してきたのです。
 びわの葉には、ブドウ糖、蔗糖、果糖などいろいろな成分が含まれていますが、その中のアミグダリンという物質が薬効成分なのです。そしてこのアミグダリンが、ビタミンB17になるのです。ガンに画期的な効果があるとして、今、国際的に脚光を浴びているこのビタミンB17こそ、びわの葉の驚くべき効果の主役でもあるのです。
 ビワの種には、アミグダリンという成分が葉の1,300倍も含まれていると言われています。これを焼酎に漬け、びわ種のエキスを患部に塗ったり飲んだりして我が家の万能薬味酒としてぜひお使いになってみてはいかがでしょうか。】
      以上です。




甥っ子の婚礼で九ケ月ぶりの帰省・・・・

2008年04月30日 | ふるさと 他
 奈良・田原本は最高気温が27度との予報で、毎日暑い日が続いています。皆さん、お変わりありませんか。年中、サンデー毎日のノブトにとってはマスコミが騒ぐことに、「もっと視聴者に伝えることがあるのでは・・・?」と言いたくなってきます。

 先日、甥っ子の婚礼で9カ月ぶりに帰省してきました。病院で臥す母は顔色も良く、綺麗にしてもらってベッドでウツラウツラという状態でしたが、ノブトが見えているのか、声が聞こえているのか分かりません。耳元で「●●が嫁さん貰うんやで! 明日婚礼や!」と話しかけても・・・。
 その時、向かいのベッドの親に付き添っている同年輩の女性が、ノブトに「婚礼で帰って来られたんで。返事しなくても聞いた時は分かっているはずやから声掛けたげて・・」と寂しい笑みを浮かべて話しかけてくれました。いつ病院へ行っても付き添っているので顔見知りの方ですが、同じ症状の親の付き添いをされているのでノブトの内心が手に取るように分かったのでしょうね。


 甥っ子の婚礼は徳島マラソン当日(27日)行われたのです。幸せな姿を祖母に見てもらいたいと思っていたのでしょうか。生い立ち等を紹介したスライド映写の中に、元気な時の母の写真が大きく映されていたことに、「婆ちゃんにも見て欲しい」と思ってか、甥っ子●●の優しさを感じずにはおれませんでした。
 心根の優しい二人の人生に幸多かれと伯父として祈るばかりです。ノブトには結婚予定の甥と姪がまだ9人いて、この秋には姪の婚礼が決まっているのです。目出度いことは何度あっても良いものです。体調管理に努め、全員の結婚式に出席したいと思っています。

 翌日、奈良へ帰るとき病院の母には報告しましたが、母には伝わったと思いたいのですが・・・・・。(笑)

 今日からテンプレートタイトル画像変更します。元画像を備忘のためUPしました。

孫の素直な詩で浮かんできた「四季の歌」と、今日の誕生日の花

2008年02月17日 | ふるさと 他
 奈良・田原本は晴天の日曜日の朝を迎えました。寒い毎日が続いていますがお変わりありませんか。ノブトは変わりなく達者で過ごしています。
 昨日、久しぶりに息子と孫が帰ってきました。孫をお持ちの方はお分かりの通り嬉しいものですよね。 以前にも紹介したことがありますが、小学4年生の女の子の孫なのです。色々話をしているうち息子が、「父兄参観に行った時、クラスの壁に貼っている数枚の詩の中に、娘の「森」という題の詩が張り出されていたので嬉しくて写した」と話し、携帯電話の画面を見せてくれたのでした。
 それには、このように書いてあったのです。

       『 森 』              
      森は おしゃれだ
            いいにおい
        春になると
           森の色は 黄緑
          夏になると
             森の色は 緑
          秋になると
            森の色は 赤
           冬になると
               森の色は なくなる
   冬は色がなくて さみしい
   つぎの春まで さようなら 

  
 爺馬鹿でお恥ずかしい限りですが、素直に成長しているそのままの心根が、詩に現れていることに嬉しくなり、孫に断わりなくUPした次第です。このまま杉の若樹のように、素直にすくすくと育ってくれるよう願わずにはおれませんでした。
 そして、孫の詩を読んでストレートに浮かんできた歌は、「四季の歌」だったのです。
動画サイトYou Tubeに、芹 洋子さんが歌っている「四季の歌」がありましたのでお借りしました。クリックしてお聞き下さい。

  四季の歌(1974) - 芹 洋子さん


 さて、今日の誕生日の花は、キク科の【アキタブキ】で花言葉は「包容力」とのことです。歌人 鳥海昭子さんは、
        ごぶさたのお詫びのような音たてて
             雨にうたれるアキタブキあり
と、詠まれています。鳥海さんのコメントは画像上です。

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雨の中を久々に

古い友人を訪ねたときのこと。

自生している

アキタブキの大きな葉が、

降りはじめた雨に

音を立てていました。

鳥海昭子