2009年3月17日(火)
Financial Timesは日本的な資本主義のあり方については常に、冷笑的(cynical)というより、ある種の異端児に対する嫌悪感に満ちた攻撃的(sarcastic)な論調が目立つのであるが、特に金融機関については、ここ10年来その容赦ない批判は緩まることはない。特に株式コラムLEXは、その筆勢は鋭く、日本の金融界には耳の痛いものが多い。
この伝にならい、本日の同紙論評のひとつは、”Japanese Banks”となっているが、「政府・日銀の市中銀行に対する救済措置が微温湯的である」と批判する以上に、むしろからかう内容となっている。
「米国の銀行が、輸血(transfusion)を受けているときに、日本の銀行は絆創膏「sticking plaster」を張ってもらっている」と評し、政府が発表した1兆円規模の株式買取りや、劣後債権の買取りという方策は、「涙もちょちょぎれる」(pitiful)程度のものだと手厳しい。
なんとなれば、こんなことは、もっともやらなければならない、銀行の自己資本の増強に「何の関係もない」(unaffected)からだといい、銀行への政府の資本注入を遅らせたいだけの、「たこ踊り」(dancing around)をしているだけだ、との一刀両断である。
日本の大手銀行の貸し出しの太宗を締める法人貸し出しの利幅は、超薄利(wafer thin)であり、貸し出しの伸びが鈍れば、収益のベースは一瞬に瓦解(crack)してしまうだろう。さらには、株価の大幅下落が、金融庁に要求されている自己資本比率をどんどん先細らせている状況である。
自己資本増強のために増資をしているが、日本の金融株へ市場の食指は動かず、先般のみずほ銀行の優先株にも15%の配当をつけなければならなかった。さらに普通株による増資は、利回りに対する要求が厳しくなり、ますますハードルは高くなっているのが現実である、と続く。
LEXは、ここで日本の金融界の深層を見通して、「もう一度お上のご厄介にはなりたくない」(put in hock to the government)というのが、政府からの救済資金を返済し終わったばかりの日本の銀行の本音だろうという見立てでまとめている。
Financial Timesは日本的な資本主義のあり方については常に、冷笑的(cynical)というより、ある種の異端児に対する嫌悪感に満ちた攻撃的(sarcastic)な論調が目立つのであるが、特に金融機関については、ここ10年来その容赦ない批判は緩まることはない。特に株式コラムLEXは、その筆勢は鋭く、日本の金融界には耳の痛いものが多い。
この伝にならい、本日の同紙論評のひとつは、”Japanese Banks”となっているが、「政府・日銀の市中銀行に対する救済措置が微温湯的である」と批判する以上に、むしろからかう内容となっている。
「米国の銀行が、輸血(transfusion)を受けているときに、日本の銀行は絆創膏「sticking plaster」を張ってもらっている」と評し、政府が発表した1兆円規模の株式買取りや、劣後債権の買取りという方策は、「涙もちょちょぎれる」(pitiful)程度のものだと手厳しい。
なんとなれば、こんなことは、もっともやらなければならない、銀行の自己資本の増強に「何の関係もない」(unaffected)からだといい、銀行への政府の資本注入を遅らせたいだけの、「たこ踊り」(dancing around)をしているだけだ、との一刀両断である。
日本の大手銀行の貸し出しの太宗を締める法人貸し出しの利幅は、超薄利(wafer thin)であり、貸し出しの伸びが鈍れば、収益のベースは一瞬に瓦解(crack)してしまうだろう。さらには、株価の大幅下落が、金融庁に要求されている自己資本比率をどんどん先細らせている状況である。
自己資本増強のために増資をしているが、日本の金融株へ市場の食指は動かず、先般のみずほ銀行の優先株にも15%の配当をつけなければならなかった。さらに普通株による増資は、利回りに対する要求が厳しくなり、ますますハードルは高くなっているのが現実である、と続く。
LEXは、ここで日本の金融界の深層を見通して、「もう一度お上のご厄介にはなりたくない」(put in hock to the government)というのが、政府からの救済資金を返済し終わったばかりの日本の銀行の本音だろうという見立てでまとめている。