ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

母べえ

2008年02月11日 | 映画レビュー
 善くも悪しくも吉永小百合の映画だ。実に端正、上品、慎ましく、儚げでいてくじけない。吉永小百合の映画ということは、観客の年齢層が高いということであり、劇場は老人でほぼ満席。とかく老人と子どもの多い映画はやかましい。なんであんなにしゃべりながら見るのだろう? しかもストーリーを先に先にしゃべるのだ。電報が届くシーンでは、「あ、お父さんが死んだんやね」というひそひそ声があちこちから聞こえ、美しいチャコ(久子)おばさんが広島へ帰るという場面では、「あ、あの人、きっと原爆で死ぬね」云々…。ここはあんたの居間じゃないんだよ、と言いたいわ、ほんま。黙って見られへんのか、黙って!! でも、最後はみんなが一斉に泣き始めてあちこちからすすり上げる音が聞こえてくるというのもなかなかいいものかもしれない。


 して、物語は。時代は1940年2月。長引く日中戦争の暗い時代だ。家族が互いを母べえ(かあべえ)、父べえ(とうべえ)、照べえ、初べえと呼び合う一家があった。父べえは優秀なドイツ文学者だが、書くものが次々検閲にひっかかり出版させてもらえず、家賃を3ヶ月溜める貧乏所帯。母べえは佳代という名の美しく質素で賢い女性。娘たちは12歳の多感な初子、9歳のおしゃまで元気いっぱいの照代という可愛い二人。2月の寒い早朝、父は土足で踏み込んで来た特高警察に逮捕状無しで検束され、そのまま治安維持法違反容疑で留置所と拘置所を転々とすることになる。突然大黒柱を失った一家にあって、健気な母べえは代用教員として働きづめに働くようになる。いつか必ず夫は帰ってくると信じて…。


 本作の役者はみな万全の演技をしていて、安心して見ていられる。子役二人も最高に愛らしくまた巧い。あえて言えば吉永小百合、この人がやっぱり小さな子どもの母親というのがちょっと…。たたずまいが落ち着きすぎているのが難点か。キャラクターでとてもいいのが、父べえの元教え子で今は出版社に勤務している山崎、愛称山ちゃんだ。浅野忠信がこれまでにない純情で滑稽なキャラクターを好演している。あとは、強烈に印象に残るのが、笑福亭鶴瓶が演じた仙吉おじさん。軍国主義の時代に、「金や、金がすべてや、なんで軍隊のためにわしの大事な金を供出せなあかんねん、してたまるかっ」と言い放つアウトローな個人主義者。倹ましい一家の中にあってこの人だけが異彩を放ち、物語に魅力を添えている。

 困窮した佳代の一家にあっては、いつの間にか彼女たちを助けてくれる人々が集まってくるのだ。夫の妹であるチャコ(久子)がしょっちゅうやって来ては食事の世話など焼いてくれる。夫の教え子だった山崎はほとんど家族のように日参してきて「山ちゃん」と呼ばれて一家全員に頼りにされる。佳代の叔父の仙吉もいつのまにか居候し、また近所の隣組の組長もなにかと親切にしてくれる。これはきっと母べえの懸命に生きる姿が自然と人を呼び寄せるからだろう。国は助けてくれないどころか、敵なのだ。夫を拘束し劣悪な環境の獄に閉じこめたまま返さない国家に対して、家族と地域のネットワークは強く確実にここでは機能している。もちろん戦時中のことであるから、隣組は相互監視制度として存在するのだが、監視を超えた厚意や好意もまた確かにある。

 恩師の美しい妻に憧れ、秘めた愛を胸に出征していく山ちゃんのいじらしい気持ちがほんとうに切ない。この頃の人たちはつつましく、決して想いをストレートに口に出したりはしない。久子にしても山ちゃんに恋をしているのだが、その気持ちを告げることはない。


 何しろ山田洋次ですから、お話は極めてわかりやすく、笑うところと泣くところのメリハリもはっきりし、もちろん最後は「さあ泣け!」とばかりに号泣場面を用意する。そのわかりやすさが多くの人の胸に「反戦平和」という静かなメッセージを伝えるのだろう、大ヒットもむべなるかな。

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日本、2007年、上映時間 132分
監督: 山田洋次、プロデューサー: 深澤宏、矢島孝、原作: 野上照代 『母べえ』(『父へのレクイエム』改題)、脚本: 山田洋次、平松恵美子、撮影: 長沼六男、美術: 出川三男、音楽:冨田勲
出演: 吉永小百合、浅野忠信、檀れい、志田未来、佐藤未来、坂東三津五郎、中村梅之助、笹野高史、笑福亭鶴瓶