ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

セブンス・コンチネント

2007年12月16日 | 映画レビュー
 観客を不快にすることにかけてはラース・フォン・トリアーと共に人後に落ちないミヒャエル・ハネケ監督の長編第一作とか。これが第一作ですか。初めて作るのがこれねぇ…。この人、よほど生きるのが苦しいのだろうか、なんでこんな映画ばかり作るのでしょう。しかし間違いなく力があるために、その完成度については認めざるを得ない。たぶんこの作品はこんなふうにしか撮れなかったのだろうし、こういう撮り方できっと「正解」だったのだろう。

 タイトルの第七大陸とはオーストラリアのこと…? 主人公は小学生の娘を含む一家3人。彼らは映画の中でしきりに「オーストラリアへ移住する」と言っているし、時々、白砂の美しい海岸のイメージ画像が登場するから、きっとオーストラリアのことなんだろうと思って見ていたのだ。1987年からの3年間に渉る家族3人の淡々とした生活。きちんと整除された中流家庭の日常が微細に描かれる。それはもう、退屈でたまらないくらいだ。同じ場面が何度も繰り返し現れる。だがそれは「同じような」場面であって、同じではない。そこにはゆっくりとした時間の経過が存在するのだ。ハネケはいったい何を表現したいのだろう? この映画のテーマは何なのだろう? なんの予備知識もなく見始めたけれど、1989年のある日、一家3人が突然すさまじい破壊活動を始めることによってわたしの眠気は一気に吹き飛んだ。そのあまりの徹底ぶりに唖然とする。

 そうか、こういう映画だったのか。この作品は最後まで見てもう一度初めから見直してみたくなる映画なのだ。ラストにいたるまでに積み上げられていた一家のごく普通の生活ぶり、その3年間に一体何があったのか? 答はそこまでの描写の中に潜んでいるのか? ハネケのカメラは淡々としているようで観客の不安をそそるようなねっとりしたものだ。人物の顔を写さず手元のアップを多用してみたり、かと思うと顔のアップを連続してとりわけ少女の不安げな大きな瞳を観客に印象付けたり、洗車シーンでは車の中からのカメラが逼塞した主人公たちの心理を見事に表していたりする。

<以下ネタバレ>








 第七大陸とはオーストラリアのことなんかじゃなかったのだ。一家3人がオーストラリアへ移住するまでを描いた話しなんかではなかった。よく考えれば当たり前で、大陸は6つしかないやんか! 

 最後の延々と続く破壊シーンには絶句するしかない。この不快さは並大抵ではない。DVDにはハネケのインタビューがついているのでぜひご覧いただきたいが、この場面の中でも特にお金をちぎってトイレに流す場面がもっとも観客の拒否感をそそったそうだ。わたしもそうだったのだが、何を壊すよりもお金を破損させてしまうことに最も抵抗を感じる。これは不思議だ。

 そうかなるほど、この3人たちは現代の神を破壊していたのだ。暖かい家庭、思い出の写真、貨幣、可愛がったペット。すべてが現代人にとっての「神」なのだ。とりわけ貨幣はまさに物神の魂が宿る。神を冒涜されることに観客は耐えられないのだ。ハネケはとんでもない涜神者だ。これはすごい映画なのだ。しかも実話だというではないか。答を求めるなというハネケの言葉どおり、ここには解答のない恐怖が残る。(レンタルDVD)

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DER SIEBENTE KONTINENT
オーストリア、1989年、上映時間 104分
監督・脚本: ミヒャエル・ハネケ、製作: ファイト・ハイドゥシュカ
出演: ビルギッド・ドール、ディーター・ベルナー、ウド・ザメル、ゲオルク・フリードリヒ

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